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TSシリーズ 1

「ねまき」

作・真城 悠


 二00六年。  

 ある発明が日本人の手によってなされた。  

 それは通称「トランスポーテーション・システム」と呼ばれる。よく「TS」と略され、 日本語正式名称は「物質転送装置」。掌サイズのものならまず電波に変換して転送することが出来た。最初に理論提唱されて以来、数千、数万回の実験が繰り返された。結果、転送後にも成分変化は認められず、完全にに転送前の個性を復元できることが確認れた。唯一、生体の転送のみは不可能であった。

 技術は転用され、応用される。開発当初からその軍事利用に警鐘が鳴らされ続けていた が、実際には全く意外な方向に向けて発展した。  

 電話ボックスの様なそれの中に人間が直立不動で立ち、TSを起動させると自動的に「着替え」が出来るのである。それに留まらず、靴、化粧、かつらに至るまで研究が進み二00七年遂に実用化された。日本の経済が好況に転ずるのはこの頃からである。  

 TSは一家に一台とまでは行かずとも、オフィスに一台、各施設に一台程度には普及し、 品物を手に取る必要が無い為、各種の量販店の存在を脅かしかねない、という時代に突入した。

 しかし、数が増えるに従って混乱も広がり、電波の混乱による転送、融合ミスが相継いだ。

そこで政府は新法を制定し、全ての「物質転送装置」を登録制とし、中央コンピュータ ーで管理するものとした。  

 

 世の中、ある部分は便利になっても、必ず取り残されている部分はあるものだ。豊川正 志は現在絶好調の日本の商社マンである。今日も仕事で見知らぬ街に来ている。宿の方は会社が手配してくれているので何の問題も無いが、問題は宿に辿り着くまでである。  

 結婚式の“お色直し”が数秒で済み、学校へ行く前のガキが数秒で着替え、葬式ともな ればあっという間に喪服、会社に行くとなれば背広・・・ 、と次から次へと金さえ払えばこの“魔法”を駆使することが出来るこの時代に、人間様が自ら歩いて宿に向かわなければ ならないのだ。  

 三流近未来映画に描かれたような、張りめぐらされた高速道路、極度に管理されたコンピュータ社会・・・ そんなものは存在しない。ただ、「自動着せ替え機」があるだけだ。  この機械も最初は何でも転送しまくる野望もあったようだが、今や「自動着せ替え機」 と化している。  

 仕方なく豊川はタクシーを使って問題のホテルへ着いた。時間は午前二時。一日の疲れ が出、急激に眠気が襲って来た。フロントでIDカードと指紋照合を済ませ、 さっさとキーを受けとる。もう何もしたく無い。早く寝たい。

 でかいホテルである。

 カウンターから自分の部屋に辿り着くまでに更に数分かかった。ボーイが色々と説明し てくれるが、こちらは殆ど上の空である。彼はこの返の出身らしく、この辺が英会話教室 と結婚式場のメッカだと説明していたのだけは記憶に残っている。部屋の使用法など諸注意をした後、彼が「トランスポーテーション・システム」の説明を始めた。要するに“ねまき”の説明である。この機械が普及して、旅先に着替えを持っていく必要が無くなったのである。勿論、ホテルでねまきのレンタルも受けられる。  

 俺は仕事に必要なもの以外は持って来ないクチなので、当然ねまきレンタルを受ける。

 ボーイが去ると彼は軽くシャワーを浴びた。

 それもTSを使ってである。

 ホテルの客室に置いてあるようなTSは機能として「風呂」モードを内蔵しているもの もある。着ている衣服をTS内に電解して吸収し、汗を落とし、垢を取る。入浴、或はシャワーを浴びたのと同じ効果が得られる。勿論普通に風呂に入るなり、シャワーを浴びるなりしてもいいのだろう。事実、これらの人気は今もって廃れてはいない。しかし、時間 に追われるビジネスマンなどにはものの数秒で入浴と同じ効果の得られるこのモードは好評であった。

 さて、一応その作業が終わった。会社が出してくれたのは一回の「風呂モード」と一晩のねまきレンタル代だけである。今回は疲れていることもあって「風呂モード」もエコノ ミーコースを選択している。まだ料金には余裕があるはずだ。

 豊川は裸のまま“ねまき”のカタログを出すようボタンを押した。「風呂モード」の時 にも出た機械的な合成音声が答える。

『コノ度ハ、ゴ利用有リ難ウゴザイマス』

今の技術ならもっと上質なものに出来そうなものだが、恐らくムードを出すためだろう。

「ああ」

 豊川は言って、自動販売機のジュース取り出し口にも似た場所からカタログを取り出し た。カタログとは言ってもあまり選ぶ気は無かった。適当にやろうと思っていた。以前に コンピュータに任せたらどぎつい色の変なものを着せられてしまい、もう一度選び直そう

にもレンタル代を考えると替える訳にはいかなかった苦い経験があるのだ。  

 表紙は余り見ずに一頁目を開いた。いきなり美しく化粧した女性が純白のウェディング ドレスに身を包み、こちらに微笑みかけている。

 ・・・ はて?これはどういうことだろう。カタログに広告を載せるのは禁止されているはずだが・・・ 。しかしその頁の右上には「A−α−01」とある。  

 豊川は続けて何枚も何枚も頁をめくってみた。しかしどこまでいってもウェディングド レスばかり。思わず豊川は言った。

「こいつは一体何だ?」

『ゴ衣装ノ、かたろぐデゴザイマス』  

 そうか分かった。またコンピュータのミスで結婚式場のデータがホテルに流れ込んだんだな。こういったことは時々あるらしいのだ。全体としてはその数は微少だが、なにせ使う人間の数が膨大なだけに数としては馬鹿にならないのである。

 例えばある結婚式のこと。お色直しに使うデータが混乱し、新郎がウェディングドレス

を着せられてしまったのである。その場に臨機応変な人間がいなかったのか、再転送が出

来ず、仕方なく直接ドレスを脱がそうとしたところ、花嫁がそんなもの汚くて着れないと

言い出し、結局その場で喧嘩して別れたという笑い話がある。

 そこまで大外しはせずとも、未だに制服を採用している学校や企業でユニフォームを誤

って逆に転送されてしまう事故などはしばしば起こっている。

 そんな事故が遂に自分の身に降りかかって来たのである。  

「おい、データが混乱してるぜ。これは結婚式場のカタログだ」  

表紙にはやはり「紺林結婚式場」と印刷されている。

『イエ、オ客様ノ ゴ予約ニナッタモノニ間違イアリマセン』

「いいかげんにしろ。こんなものが着れるかさっさとねまきのカタログを出せ」

『ソウナリマスト、マズコノオ部屋ヲ解約シテ頂カナクテハナリマセン』

「ちょっと待て!何でそうなるんだ!客の俺が言ってるんだ。お前らコンピュータのミス

なんだぜ!」

『みすハ、アリマセン』

まあ、自分ではそう言うだろうよ。

「とにかくフロントに電話させろ」

『ダメデス』

「なんで駄目なんだ!俺は客だぞ!」

『ソウイウ事ニナッテイマス。ゴ予約ノ時点デ、一度コノとらんすぽーてーしょん・しす てむノ中ニ入ッタラ、外部ヘノ連絡ハ一切不可能、トイウぷろぐらみんぐがナサレテイマス』

「何だって!?」

 まさか会社がそんなことをする訳が無い。これもコンピュータの混乱なのか?

 とにかくいつまでも裸でいると寒い事この上ない。

「分かった。もういいよ」

『“モウイイ”といいますと?』

「ねまきはいらんと言ってるんだ。こうなったら背広のまま・・・ !」

と言って豊川は口をつぐんだ。着てきたスーツはこの機械の中に転送されてしまっているのだ。

「こうなったら裸で寝るさ!ウェディングドレスなんぞ着れるか」

『ワカリマシタ』

扉が開いて、裸のままの彼が部屋の壁際に電話ボックスの様に置いてあるTSから出て来。   

 畜生め!なんてこった。明日になったらフロントに怒鳴り込んでやる。

 そして、豊川がベッドに歩み寄った時、突然バチン!と弾かれた様な衝撃があり、彼は

弾き飛ばされた。

 豊川は再びTSに飛び込んだ。

「おい!どうなってるんだ!ベッドの回りに泥棒用のバリヤーなんか張りやがって!寝れ

ないじゃないか!」

『オ客様ハ、契約ノ時点デ、着替エナケレバ寝レナイヨウニナサイマシタ』

 駄目だ。もうこの機械は混乱していて何を言っているのか分からない。

「じゃあ何でもいいから着るものをよこせ!」

『オ手元ニかたろぐガアリマス』

「俺にウェディングドレスを着て寝ろってのか!?」  

 確かに俺が生まれて初めてウェディングドレスを見た時に「あ、“ねまき”に似ている な」と思ったのは確かだが・・・

「そうだ!これは結婚式場のデータだから新郎側のやつがあるだろう!?」 「残リノでーたハアリマス」

「何だ!あるんなら勿体ぶらずにそれを出せ!!」

 決してゆったりとしたものでは無いだろうが、ウェディングドレスを着て寝るよりはいいだろう。タキシードを脱いでパンツとシャツで寝ればいい。コンピュータもそこまで文句は言わないだろう。

 カタログがもう一冊出て来た。それをめくる。豊川は目を疑った。こちらは純白では無

く、色とりどりのパーティードレスやカクテルドレス集なのである。幾らめくっても同じ

だった。男物は一つも無い。

「おい!ふざけるものいい加減にしやがれ」

「ゴ契約ニナッタ残リでーたハソレダケデス」

「なんてこった・・・ 」

こんなことになるとは・・・ 。もう時間は午前三時に近付いている。これ以上あれこれや っていては明日の仕事にも関わる。かといって着替えることも出来ないし、それにこのま

まだとベッドにも入れない。

「おい!仕方がないこの中で寝るぞ!」

 と言ってすぐにやめる!と訂正した。こんな混乱した機械の中で寝たら翌朝どんなこと

になっているか分かったものではない。まだ生物の転送が出来ないことなどこの機械はお

構いなしだろう。もしもそんなことをされたら人体にどんな影響が出るか分からない。か

と言って床に裸で寝たら間違いなく風邪の一つもひくだろう。

「くそ・・・ 」

 懸案が“着るもの”であるというのが厄介だ。別に着たからといって命に関わる訳じゃ

無い。この場合はこれが“最善の選択”なのか?

「おい」

『ハイ』

「分かったよ。これを着るよ」

『ワカリマシタ。ドレニイタシマショウ』

「勝手にしろ」

『ソウイウ訳ニハマイリマセン』

「じゃあ、一番最初の奴にしとけ」

『ハイ。シバラクオ待チ下サイ』

 このことはなるべく秘密にしておかなければならない。勿論ホテルと結婚式場の責任は厳しく問わなくてはならないが・・・

『でーた呼ビ出シ完了。A−α−01。着装準備』

身体の身長やサイズはフロントで提示したIDカードにインプットされている。彼は正面を向いて直立不動の姿勢をとった。すると横の壁が鏡になった。ホテルなどでは風呂モードの時はひっこんでいるが、家庭用では最初から出ている。

 するとこの機械で着替える時に味わういつもの感覚が全身を包んだ。とんだ事に巻き込まれてしまって心臓も激しく打っている。彼は思わず目を閉じた。

『完了シマシタ』

 その声がしても、しばらく彼は動けなかった。自分は今どんな格好をしているのだろうか?そう考えるのは怖かった。

 彼は少し指先を動かしてみた。

 しゅるり。

 手袋をしている。手袋をした指先がドレスのスカートをなでたのだろう。豊川は目を閉じたまま鏡の方に身体を向けた。衣ずれの音が耳をくすぐる。これまで履いた事は無かったが、脚にストッキングをしているのと、踵の高い靴を履いているのが分かる。腰の回りにくまなく重く垂れ下がるスカートの感触。息が苦しい程締めつけられる上半身。それでいて背中にそよそよと空気が抜ける。頭をつままれている様な髪止めの感触・・・ 。豊川は思いきって目を開けた!

 そこには純白のウェディングドレスに身を包み、美しく化粧した自分がいた。

豊川はしばらくの間言葉を発する事が出来なかった。

 これが自分だろうか?

 しばし茫然と立ちつくす。少しずつ、少しずつ身体のあちこちを動かしてみる。

 さらり、しゅるり、という柔らかい音がやさしく空気を伝わって来る。

 とにかく全身が白ずくめである。“純白の”という惹句に嘘は無い。

透き通る様な色白に化粧され、押さえ気味の口紅、ほお紅、アイシャドウを施されたそ

の顔の後ろにアップされた黒髪。それを止める花をあしらったヴェール。耳元には簡易な

イヤリングまである。

 かぼちゃブルマの様に膨らんだ両肩、女性の服であるせいか、胸もふっくらと出ている。

きっとパッドも入っているのだろう。腕は全身と同じ純白の手袋で覆われ、左手には花嫁

のヴーケを握っている。

 まるで本当の女のようにきゅっと引き締まったその腰から波打つ様なスカートがつなが

る。スカートはこうして見ている鏡に映る自分の面積の三分の二以上は占めている様に見

える。そのすそはとてもこんな狭いTSには収まり切らずに壁につき、床を完全に覆い尽

くしている。そのすそはひいき目に見ても一メートル以上はありそうだ。

 今まで一、二回友人の結婚式に出席したことはあるが、正直今まで見たウェディングドレスの中でもこれほど立派なものは見た事が無い。それを自分が着ているなんて・・・

 はっ!と我に帰る。

 いかんいかん。何を考えているんだ。女装した自分の姿にうっとり見とれてただなんて・・・ それじゃナルシストじゃないか・・・ 何か違う気がするがともかくまともじゃない。

 そうそう、ともあれこれでベッドで寝られるんだ。ここから出なきゃ。

 豊川は振り返ろうとした。と、鏡の中の花嫁も振り返る。

 どきっとした。

 そうだ・・・ 今本当に自分は純白のウェディングドレスに身を包んでいるんだ・・・  

 自分の身体を見下ろした。

 白い。

 どこまでも白い。

 顔を下に向けると耳元のイヤリングがちりちりと鳴り、ヴェールが揺らぐ。つるつるの

手袋に覆われたその手を見ると、自分が「白い人」になってしまった様な気がする。

 豊川はぶるん!と頭を振った。

 いかんいかん。とにかく寝るんだ。睡眠を取るんだ。  

身体を出口の方に向ける。しかし、動いたのはドレスの真ん中の自分の身体だけである。

スカートはひねられただけだ。しかもこのまま踏み出したら自分で内側からスカートを踏みつけてつまずいてしまうのは確実である。

「・・・」

 豊川は衣ずれをこらえてかがみ込み、よくテレビや映画で花嫁がやっている様に、ドレスのスカートを抱えるように持ちあげて反転した。スカートを抱えたまま顔だけ鏡の方に振り返ってみる。

 ドレスの背中から露出した肌、きゅっと引き締まった腰にまたゾクッとする。

 今にも誰かが手を取ってくれそうな立派な花嫁である。スカートの下から純白のハイヒールとストッキングに包まれた脚がのぞく。ここでカチッという音がした気がするが気

のせいだろう。

 ドアノブに手を掛ける。

 動かない。

 もう一度。今回は思いっきりがちゃがちゃと動かすがビクともしない。

「おい!」

 流石に大声を上げる豊川。

『オ気ニ召シマシタカ』

「ああ!大いにお気に召したよ!」

『ソウデスカ。シンガタぱっどノ感触はイカガデスカ?』

 そう言われて豊川ははっと自分の胸を見た。

それは服のくせだけでは無い膨らみを持っているとは思っていたが、今まで鏡の自分に見とれてばかりで気付かなかったが。すぐに手袋のまま触り、もみほごす。確かに胸に感触

がある。どうなってるんだ!?

『ソレハ、理想ノ体型ニ近付ケル為ノモノデス』

「しかし!」

『ソノぱっどハ、表面ノ感触ヲ直接肌ニ伝エル仕組ミニナッテイマス』

そういや最近の科学雑誌でそんなものが発明

されたと聞いている。こんなところで実用化されていたとは・・・

彼はお尻もドレスの上からなでてみた。はっきりとは分からないが、こちらも同様だっ

た。なるほど鏡を見た時に単に女装した様に見えない訳だ。体型まで女になっていたのだ

から。

「分かったよ。それはいいからドア開けろよ!これ以上何かあるのか!?」

『ハイ』

「まさか一晩中立ってろってのか?」

『イエ』

「じゃあ何だ?」

『笑ッテ下サイ』

「何?」

『にっこり笑ッテ頂ケマスカ』

「何故そんなことせにゃならん」

『コレモ契約デス』

「馬鹿馬鹿しい。付き合っちゃおれん」

豊川はそう言ってドレスを翻し、ベッドに向かおうと取っ手に手を掛けた。しかしびく ともしない。

「おい!悪い冗談はよせ!」

『冗談モ何モ、オ客様ノゴ契約ニ従ッテイルダケデス』

 この機械は本当にどうかしている。フロントの連中を半殺しにしたくなった。こんなに混乱して客をおちょくるボンクラ機械を置きやがって。

「何なんだよ契約って!?何をどうすれば出られるんだ!?」

『コレカラ残リノ写真撮影ヲ行イマス』

 豊川は蒼白になった。

「な、なに?」

『ツイテハヤハリ“笑顔ノ花嫁”写真モ』

「や、やめろ!やめてくれ!」

 こんな姿にされた上に、これを他人に見られたりしたら・・・考えただけでもぞっとする。

『シカシ、契約デハアト二枚ハ撮影シテ頂カナイトどあガ開カナイコトニナッテイマス』

「あと二枚だと!?じゃあ今までに何枚撮ったんだ?」

『三枚デス』

 何て事だ・・・ 。そう言えばさっき何か音がした気がしたが、シャッター音だったのか。 『自主的ニ後ロヲ向イテ下サッタジャアリマセンカ』

 いや、そうじゃない。そんなつもりじゃないんだ。

『結婚式ノ当日ハ花嫁ハ意外ニ神妙ニナリマスケレドモ、ヤハリ笑顔ノ写真モ欲シイデスカラネ』

「その写真はどこだ!よこせ!ネガもよこせ!」

『写真トねがハ明日ゴ自宅ニ転送サレマス』

「ま、まさか社員寮にか?」

『イエ、たかのサマ宅デゴザイマス』

「高野?高野誰だ?」

『たかの・みやサマデス』

 豊川は必死に「タカノ・ミヤ」という名前を頭に刻み込んだ。明日は何としてもタカノとかいう人物を捜し出して写真を取り返さねばならん。混乱したコンピュータが恐らく無作為に選んだ家を捜すなど雲を掴む様な話ではあるが・・・

『ソレデハハジメマス』

 ええい!くそ!どうにでもなりやがれ!

「マズ、鏡ノ方ヲ向イテ下サイ』

「鏡でいいのか?カメラは?」

『鏡に内蔵されています』

豊川はまたスカートを抱えて鏡を正面から見た。そこには純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁がいる。

『次ニ花嫁ノヴーケヲ両手デ持ッテ下サイ』

 ここはもう従うしかない。豊川は左手のヴーケを身体の中央に持って来た。

『ハイ。う゛ーけハソレデイイデス。ソレデハ笑顔ヲ作ッテ下サイ』

そう気軽に言われても困る。何とか目もと口もとをちょっと笑わせる。

『マダ、ソレジャ駄目デス。モット幸セソウニ』

 いっそ死にたい。

こんな夜中に一人でウェディングドレス着て微笑んでいる男など変態である。そう思うと自分がみじめになって涙が出てきた。

『駄目デスヨ泣イチャ。めいくガ落チマス』

「泣いてなんかいねえや」

 しかしそう言う声は半分涙声だった。

『ハイ。ソレジャア笑ッテ』

 もうやけくそである。清水の舞台から飛び降りるつもりでちょっと小首をかしげてにっこり笑った。

 カチッと音がして鏡の中の花嫁が顔を真っ赤にする。

「ようし、もう一枚さっさと撮っちまおうぜ!」

『イエ。モウ結構デス』

「本当か?」

『ハイ。イマシガタ両親トノ別レヲ悲シム花嫁ノ写真ヲ撮レマシタカラ』

「何だって!?」

 こりゃあ大変だ。益々何としても写真を撮り返さねば。

『ア、モウ結構デスヨ。オ休ミナサイ』

 声を聞くと同時に飛び出そうとして、スカートに引っかかって激しく壁に手をついてしまう。

「くそっ!」

 ドレスを抱え上げ、TSを飛び出す豊川。

 出た途端にまたウェディングドレスを着た自分がいる。部屋の鏡である。もう驚かないぞ。そう思ってよく見ると鏡では無かった。ガラスである。窓ガラスである。

「しまった!」

 大急ぎでヴーケを放り出してガラスに駆け寄り、ブラインドを下ろした。

 危ない所だった。

 こういうホテルではよく窓から覗かれているらしいではないか。こんなところにウェディングドレス姿の花嫁はいたんでは当然怪しまれるだろう。いや、こんなコンピュータの混乱である。もしかしたらホテルの宿泊客全員がドレスを着せられているのではないか?・・・ いや、だとしたらもっと大騒ぎになっているはずだ。

 それにしても・・・ 広がったスカートのすそは畳一枚はありそうな面積だ。後ろを振り返るとその床がヴァージンロードで無いのは不自然な程だ。

 豊川はベッドに腰を下ろした。スカートで、それもあふれる様なドレスで“座った”経験

など皆無だったが、なるほどこんな感じなのか。こうしてやわらかくてすべすべのスカート内側の生地に脚を触れてみると自分がストッキングを履いているのだと実感する。そのズボンともちがうざらざらした感触に思わず内股をすりすりとこすりあわせてしまう。

 豊川はさんざん苦労して薄い布団をめくり上げ、そこにドレスと身体を押し込んだ。

 なんだこりゃ?

 寝返りが打てないじゃないか。身体を回そうにもスカートがついてきてくれないのである。やれやれ。やっぱりウェディングドレスは“ねまき”には向きそうに無い、という当たり前のことが実感出来た。まあ、考えようによっては布団を着ているかのごとき生地の量だからいいのかもしれないが。

 とにかく寝よう!

 純白の花嫁衣装に抱かれ、白雪姫然とした外観で豊川は眠りについた。

 

 目の前に見覚えのある顔が覗いた。

 君は誰だ?

 女か?・・・ 女だ。確かに見覚えがある。そうだ。中学時代に好きだったあの娘だ。綺麗になったなあ・・・ 。

 ・・・ それにしてもここはどこだ?

 部屋の中?いや、TSの中だ。

 おや?彼女がいない。今のは覗窓のあの娘が目の前を通り過ぎたんだ。それにしても何か身体の様子がおかしいな・・・ああっ!!こ、これは!!何故俺はウェディングドレスなんか着てるんだ!しかも化粧までして・・・

 ん?そういえばあの娘の様子も変だ。髪をオールバックなんかにしてモーニングなんか着て男装して・・・ まるで新郎みたいじゃないか。こりゃ仮装大会か何かか?

 あっ!こっちに来る!お願いだ!来ないでくれ!こんな姿を君に見られたく無い。あ! 

 ああっ!ドアが開けられる!

「わあ素敵!綺麗になったわねえ」

 え?どういうことだい?俺は男だぜ。よしてくれ。こんな姿を君の前で・・・

「何言ってるのよ。あんなに話し合って決めたことじゃないの」

 何を決めたのさ。男の俺が花嫁衣装を着ることをかい?

「そうよ。どうせやるなら奇抜な披露宴にしようって『リバーシブルセット』ってのを試してみたんじゃ無い」

 何のことだかさっぱり解らない。

「大丈夫よお。お色直しでまたとりかえっこすることになってるんだから」

 じゃあ、ひょっとしてこれから・・・ 披露宴!?

「うん。年配のひとにはキツ過ぎる冗談だからお友達ばかり呼んだ内々のものよ。まあ学園祭の仮装大賞の延長だと思って」

 し、しかし・・・

「参加者もみいんなコスプレして来てるんだし、さ、行こ!」

 お、おいどこまで連れていくんだ。そんなに急がないでくれよ。この格好は歩きにくくって・・・ 何だこいつらは?ドレスのスカートを持ってくれるのか・・・ 確かにこれならちょっとは歩きやすいな・・・ そうじゃなくて!

 こ、ここが入口か。何だその手は・・・ 俺に組めってのか?何を馬鹿な・・・ 女じゃあるまいし。ああ!強引に!

「これから入場よ。花嫁はもっとしおらしくしてなさい!」

 悪戯っぽく微笑む彼女の笑顔。

 そ、そんな あ・・・

 扉が開く。鳴り響く結婚式の交響曲。

 彼女が先にずいずい歩んで行くものだから自然と引っ張られるようになる。拍手と歓声、そして嬌声・・・ 。ひやかしのわめき声・・・ 。

 恥ずかしい・・・ 。

 顔から火が出そうだ。

 下ばかり向いているものだから嫌でも純白のウェディングドレスに包まれた自分の身体が目に入って来る。どういうからくりなのか大きく開いたドレスの胸からは乳房の谷間まで見える。ヴェールの感触がうなじを刺激し、その内一切の雑音が消え、耳には自分のドレスの衣ずれの音ばかりが響いて来る。

 その歩みが止んだ。

 ふと気付いてあたりを見回すと、フォーマルな装いの紳士淑女が一斉に何かを囃してい

る。何だ?何て言ってるんだ?

「仕方ないなあ。こうまでリクエストされたんじゃ答えないとネ。」

 こちらに向かってウインクする彼女。何が進行しているのかさっぱり解らない。

 と、ヴェールに手をかけて来る。よ、よせ!よしてくれ。やめろよそうやって背中に手を回すのは。あっ!せ、背中をなで回すのはやめてくれ。慣れて無いんだ。こ、腰に手を回すんじゃないって!ん・・・ ん。へ、変な気分になってきちゃうじゃないか。や、やめろ!抱きしめないでくれ!な、何故だ。力が・・力が入らない・・・ 胸をもむな・・あっ、ああっ

 いやだ!は、花嫁としてキスされるなんていやだあああ!

 

 目を見開いた。

 心臓が大地震を起こしている。

 真っ暗だ。

 真っ暗な部屋の中。見知らぬ天井・・・

 夢か・・・ 。

 大きくため息をついた。・・・ ?

 その感触が何か変だ。どうしてこんなに胸が締めつけられてるんだ。

 反射的に手を動かす。

 しゅるる。

 がばり、と上半身を起こす。ちりり、というイヤリングの音。下を見る。その人工的に作られた胸の谷間を見て、はっきりと思い出した。

 夢じゃなかったんだ・・・ 。

 衣ずれの音をさせながら枕元のスイッチで部屋の電灯を付けた。

 明るくなると一気に純白のドレスが目に映える。部屋の鏡に上半身を起こした花嫁が映っている。どうしてこんなことになってしまったんだ・・・ 彼はそのまま膝を立ててスカートに顔をうずめた。

 しばらくその香ばしいドレスの息吹を堪能していたが、ハッと顔を上げる。

 よし!もう朝だ。時計を見る。午前五時。

 しかも早朝だ。こんな姿を誰にも見られずに着替えるには絶好のチャンスだ。

 豊川は、これまたさんざん苦労して布団の下からドレスを全て引っ張り出すと、ベッドの下の散乱したウェディングシューズに足を押し込む。

 さあ、こうこんな格好ともオサラバだ。立ち上がって鏡の前に立つ。

 ・・・ 。

 もうこの姿ともお別れか・・・ 。じゃあ、最後ってことで記念に・・・ 。

 豊川は左手にヴーケを持ち、右手でスカートを掴んでくるりと一回転。そしてしなを作って鏡に流し目をくれる。

 う・・・ やっぱり気持ち悪い。

 さっさとTSに入る。今度は入っただけでは済まない。TSの外に長々と続くすそをす

るすると引っ張り込む。そして入口のドアを閉める。

『オハヨウゴザイマス』

「おい!着替えるぞ服を返せ」

『ハイ。デハかたろぐをドウゾ』

「ん?カタログ?」

 取り出し口を見ると昨夜のウェディングドレス集と色ドレス集である。

「いいかげんにしないとスクラップにするぞ貴様!」

『シカシ、契約ニヨリマスト、アト十九種類ノドレスヲオ召シニナレマスガ・・・ 』

「また“契約”かよ。いい加減に・・・ 」

 そこまで言って豊川は絶句した。よく考えてみればこの機械は混乱じているのだ。昨日の晩は考えもしなかったが、朝になれば再びスーツ姿になれるという保証などどこにもないではないか。その上TSの言う“契約”のお陰で外部に連絡も出来ない。そりゃドアは開くだろうが、こんな姿で長い廊下を歩いてフロントまで行けるはずが無い。

 ピンポーン。

 飛び上がりそうなほど驚いた。呼び鈴だ。

誰かがやって来たのだ。

 誰なんだ一体?ルームサービスは頼んで無い。モーニングコールにしても五時は早過ぎる。掃除のおばさんであるはずもない。とにかく、今入られたらウェディングドレス姿を見られてしまう

 ピンポーン。

 また鳴った。適当な理由をつけて追い返すか?しかし、こんな時間に直接訪ねて来るってことはこの“事件”に関係ある者かも知れない。

 ピンポーン。

 わかったよ!

 TSを出る豊川。もしもマスターキーなんかでドアを先に開けられたらコトだ。ドレスを掴んで走りだそうとしたその刹那、

「きゃあっ!」

 ドレスのすそを踏んずけ、前のめりに倒れてしまう。胸のパッドがむぎゅっと床に押しつけられる。感触が伝わって来る。

「くそっ!」

 花嫁にあるまじき悪態をつきながら立ち上がり、今度は絶対に転ばないように、足が前から完全に見えるくらいスカートを抱えあげながらドアへ走る。ハイヒールのウェディングシューズがグラグラして走りにくい。

「畜生!」

 ピンポーン。

 はいはい!わかったよ!

「どちら様ですか?」

 幾分怒気を孕んでいたかも知れない。

 壁についたインタホンでドアの前の人物に話しかける。

『あのう・・・ 申し訳ありません』

 可愛い女の子の声である。

『私、高野と申しますが、名武子商事の豊川様でいらっしゃいますか?』

「え?高野さん?」

 意外な名前に豊川の怒りは一時的に吹っ飛んだ。

「あの・・・ ひょっとして「たかの・みや」さん?」

『そうです!高い野原に美しい也と書きます』

 どういう事だ?あの名前はTSが無作為に選んだものでは無かったのか?

「あの・・・ これはどういう・・・ 」

 事態が把握できていない豊川。

『あの・・・ それが、実は私、昨日の晩、この部屋に泊まる予定だったんです』

 可愛い声である。顔は見えないが、きっと本人も器量よしに違いない。

『でも急用が出来てキャンセルして帰っちゃったんですよ』

「何ですって?それでどうしてここに?」

 途端にそれまで元気一杯だった声がひそひそ声になる。

『あの・・・ 、私・・・ ここのTSに個人的なプログラムを入れっぱなしにしちゃったんです・・・ 』

「え!? それじゃああの“契約”って君の!?」

 何てことだ。コンピュータの混乱では無かったんだ。

『“あの”っておっしゃるってことはまさか・・・ 』

 何が“まさか”だ。そのために来たんだろうが!

「ああ。その“まさか”だよ!」

『きゃー!すいません!ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったんです!』

「しかし君は何だってプログラムを解除して帰らなかったんだ!?」

 この事件がいわば“人災”だと解って彼は頭に来ていた。

『すいません!何しろ急だったもんで、あのプログラミングは遠隔操作では解除出来ないようにロックしてあったんです。あたしがホテル側に連絡とればよかったんだけど、そういう訳にもいかなくて、翌日チェックインしなかったからホテルはキャンセル扱いにしちゃってそれで・・・ 』

「何故、連絡がとれなかったんだ!」

『あの・・・ 』

ちょっと間がある。あたりを見渡しているのか?

『ここだけの話なんですけど・・・ 』

ますますひそひそ声になった。

『実は私、今度設置されたウェディングドレスの試着コースっていうのを試そうと思いまして・・・ 』

レンタル衣装は今やどこでも気軽にやってる。そんなことは解り切っているんだ。

「しかしTSに入った途端に外部への連絡がとれなくなったんだ!」

『実はその・・・ 回線をいじって、タダで引き出したデータなんです。だから途中でアクセスされるとバレちゃいますから・・・ 』

なるほどだんだん解って来た。

「しかし、ベッドにバリアー張ったのはどういうことなんだ?」

『私って忘れっぽいんです。だから忘れないように・・・ あ!あと写真も撮りたかったんでそれもセットしました。本当にすみません』

もう怒る気にもなれない。

「わかったよ」

『あの・・・ 中に入れてもらえますか?』

「冗談じゃない!ちょっと待ってくれ!!」

そう言って、ドレスを掴んでTSに突入する。

「おい!十九種類のドレスの後の着替えを見せろ!」

『結構デス。オトリ下サイ』

ごとん。

ピンポーン。

また呼び鈴が鳴っている。無視してファイルを見る。出て来たのは個人ファイルだった。

「TAKANO−MIYA」とある。めくってみる。セーラー服、ブレザー、ブラジャーやスリップ、ネグリジェ、パンティ、各種のスカートなど−女子学生の個人ファイルそのものだった。

 ピンポーン。

また呼び鈴が鳴った。畜生め!どうなってるんだ!豊川はそのファイルを掴んで“お嫁さん走り”でまたドアへ。

『あのう!その中にお洋服をお入れになりましたかあ?』

「ああ入れたよ!どうやったら出せるんだ!教えてくれ!君の着替えが出て来ただけだ」

『その中に入れた洋服はうちへ転送されたはずです』

「どうして!?」

『私は旅先で洋服を変える主義なんです。私の個人ファイルが出て来たと思いますけど』

「とにかく俺の服を返せ!」

『それにはまずウェディングドレスのコースを解除して、うちにアクセスしてデータを取り出さないと』

「パスワードか何かあるだろ!教えてくれよ!」

『中に入れて下さい!私がいないと駄目なんです!』

「どうしてだ!?IDカードならドアの隙間

から渡せるだろ?」

『私の声紋照合がないと解除出来ません』

「フロントに言って何とか出来ないのか?」

『さっきも言ったはずです!遠隔操作コードは封じてあります!』

「じゃあ外から電話を掛けてくれ」

『電話や録音だと本人以外でも解けるんで、それも封じてあるんです』

豊川は絶句した。何て事だ。こんな姿を他人に・・・ しかも若い女の子に見られるなん

て・・・ 。彼は自分の身体を見下ろした。しかしウェディングドレスを着ているという事実が変わるはずもない。手袋の上からスカートをなでる。しゅるりという音がする。

『絶対に・・・ 笑いませんから・・・ 』

相手が神妙になっているのが解る。

「何か・・・ 身を隠す場所は無いの?」

『はい・・・ その部屋は特に洋服ダンスもありませんし・・・ 』

TSやトイレがあるにはあるが、あまり意味は無い。大体どこに身を隠そうにも、最終的には彼女の操作するTSに入らねばならないのだから。

「あのね・・・ 」

『はい』

「これからドアを開けるけど、僕はドアの影に隠れてるから、なるべくこっち見ないでくれる?」

『わかりました』

 本当にわかったのだろうか?しかしそうでなくても彼女がいないと一生ここでファッションモデルの花嫁修業である。

 内側からロックを外す。

 ドアの内側に張りつくようにして、ゆっくりと開ける。ドアと壁の間に無理矢理身体を押し込む。顔が真っ赤に紅潮して来る。

 彼女は足音も立てずに入って来た。長過ぎるすそを踏みそうになり、かがみ込んで持とうとするが、それをひったくるように豊川が引き寄せる。衣ずれの音。心臓の鼓動が聞こえる。ウェディングドレスが一層重く感じる。

「わあ!可愛い〜い!」

 その娘、高野がびっくりしたように言う。

 見るなというのに・・・ 。

「素敵ですよ!本当に綺麗!」

「と、とにかく早くしてくれ・・・ 」

 彼はそう言うのが精一杯だった。

「はいっ!わかりました。来て下さい」

 彼女が部屋の奥に向かう。おずおずと後に続く豊川。後ろから見た彼女は髪を思いきったショートカットにし、GパンにTシャツというボーイッシュな、いや殆ど男物を着ている。

 それに対して男であるこっちは純白のウェディングドレス・・・ さっきの夢は正夢だったようだ。

「これですね」

 彼女は二冊のドレスファイルを持ってTSから顔を出した。やっぱり可愛い娘である。くりっとした大きな瞳にくっきりした顔立ち。

「それと、これだ」

そう言って彼女の個人ファイルを差し出す。

「あっ!有り難うございます」

「挨拶はいいから何とかしてくれ」

 その時、下半身を奇妙な感覚が襲った。

 ざ−っと血の気が引く。

「あ、すみませ〜ん。でも、もう解除できましたよ。これから家に連絡をとってあなたのスーツを取り出しますから」

 その感覚はまさしく深刻さを増して来る。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 彼は分厚いスカートの上から股を押さえつけた。

「どうかしましたか?」

 彼はヴーケを放り出し、チャックでも無いかと死に物狂いでで背中をまさぐり始めた。

「ちょ、ちょっと!何してるんですか!」

「も、もれそうなんだ!」

「ええええええ!」

「何とかしてくれ!」

「む、無理です!それは転送用の新作ドレスだから手動では脱げません!」

「頼むよ!な、何とかしてくれよお!」

「ちょっと待って下さい!今ここに呼び出してあるあたしの個人ファイルからもっとオシッコのしやすいものを呼び出します!」

 それじゃまた俺は別の女物を!?

「俺のスーツは呼び出せないのか?!」

「まだ回線開いてません!」

「わかったよ!じゃあ今の君みたいに男物に

近いものにしてくれ!」

「それがさっき呼び出してあったファイルにはまだ入って無いんです!」

「もう、何でもいいから早くしてくれえ!」

「準備出来ました!入って下さい!」

 彼女がTSから飛び出してきた。ヴーケとスカートを掴んで飛び込む。

『それじゃあ行きますよ。辛いのはわかるけど我慢してじっとしててください!』

 外から彼女の声がする。覚悟を決めていつもの直立不動の姿勢をとる。右にはウェディングドレス姿の自分。もうこんなみっともない格好とはお別れだ。

『でーた、呼ビ出シ完了。着装準備』

 するといつもの感覚が全身を包む。今度は何だ?畜生め。

『終了シマシタ』

 その声と同時に反射的に横を振り向く。

 黒い。

 黒ずくめだ。

 背中まで届きそうな長い黒髪。黒い長袖の手首に入った白いライン。両肩から伸びた白いラインが胸の中央で合わさり、そこから真っ赤なスカーフが出ている。おなかからはわずかに白いスリップがのぞき、その下には膝下十センチに及ぶプリーツスカート・・・ 。

 セーラー服である。

 純白のウェディングドレスの次は漆黒のセーラー服である。

 驚いている暇は無い。彼はスカートと長い髪をひるがえしてTSから飛び出してトイレに駆け込んだ。

 すぐにスカートとスリップをまくりあげると、少々パンティからはみ出した一物を掴んで用を足し始めた。

 大きくため息をつく。長い髪の感覚が頭から首、背中を襲う。そしてウェディングドレスの時にはそう感じなかったブラジャーの締めつける感覚が一層強く本物同様の胸を圧迫した。  

 漸く用を足し終った。

 全く何て事だ・・・ 。ウェディングドレスの次はセーラー服・・・ 今日は踏んだり蹴ったりだ。ふと鏡を見る。流石に今度ばかりは上手く化けたとは言いがたい。ナチュラルメイクとでも言うんだろう。つやつやの肌は確かに美しいが、大きな身長と隠し切れない年齢は

女子校生とは言いがたい。イメクラのねーちゃんにしか見えない。

 やつれた顔でバスルームから出て来る豊川。

 

 目を開く。

 

 今度と言う今度はウェディングドレスでもセーラー服でもなく、背広を着た自分がいた。

 完全に元に戻ったのだ。

「お疲れ様でした〜」

 TSを出た途端に明るい声がする。まるで反省の色が感じられない。

 時刻は午前六時に近付いている。

「あのさあ」

「はい。何でしょう?」

 彼女は笑顔を絶やさずに言った。

「あの写真はどこに行ったんだい?」

「ああ!あれですか。私のうちです」

「それをね・・・ 」

 豊川は名刺の裏に社員寮の住所を書いて彼女に差し出した。

「それの写真とネガをここに送ってくれ。これ、送料ってことで・・・ 」

豊川は彼女の手に一万円を握らせた。

「あら、こんなに?どうもすいません」

 殴り倒してやりたいが、弱みを握られている手前、そうもいかない。

「それと、今度からこんな事が無いように注意しなさい。今回は僕一人で済んだけど、もっと大規模な事件に発展しないとも限らないんだから」

「は〜い。じゃあこれで失礼しまーす」

 他にも言いたい事は山ほどあったのだが、彼女は豊川のなけなしの小遣いを手にあっという間に部屋から出ていってしまった。

 大きな疲労感が彼を襲った。ベッドに倒れ込む。

 少しうとうとする。あれは夢だったのだろうか?と、布団に口紅の跡がある。やはり夢ではなかったのだ。

 彼は起き上がると荷物をまとめ始めた。彼の手つきは速く、昨夜のことなど忘れるように、なるべくさっそうと廊下に出、チェックアウトするためにフロントに向かった。

 

「ただいま〜!」

 高野美也の高い声がホテルの一室の内側にこだまする。

「美也! ドア閉めてから大声出しな!」

 と大山奈々が応える。

「あ、ごめ〜ん」

 そう言われて美也は重いドアをしっかりと閉めると、再び鼻歌混じりにスキップで部屋の奥にやって来る。

「いくらだった?」

 眼鏡を掛け、知的な雰囲気の少女が尋ねる。

「一万円だよ〜ん」

ええ〜、という声が起こる。

「大した事無いね」

「うん、この間の人平社員なのに二万円くれたから」

「あの人商社マンでしょ?恥ずかしいと思わないのかしら」

「でも、恥ずかしいと思うからお金くれるんですよね?」

「まあね。これで総計が・・・ 」

「五十五万円」

「う〜ん」

「やっぱ援助交際の方が効率いいかな・・・ 」

「いいアイデアだと思ったんだけど」

「まあ、ある意味それより面白いから」

「ところで写真は?」

「もうばっちりよ。これ見てよ」

 三人娘ののぞき込む先には豊川の数十枚のウェディングドレス姿とセーラー服姿の写真

があった。

「でもこの人なかなか綺麗だったよね」

「そーね」

「あんたがた見られなかったでしょーけど、あの人真っ赤になって恥かしがっちゃってちょ〜可愛いの」

「あの人TSのマジックミラーの向こうからみ〜んなあたしたちが見てたって知ったらどう思うかしら?」

「でもまあ、今までで一番ケッサクだったのはここのホテルのオーナーのバニーガール姿かしらね」

「ケッサクったってあんたアミタイツにナニがはみ出してたってだけじゃない」

「面白く無いかなあ?あのもっこりはけっこうキてたぞ」

「いやいや、マイベストは結婚式場の若主人のバレリーナ姿だね」

「まあね。あの時は結構意地悪してバレエまで踊らせちゃったからね」

「でもさ、この二人の協力が無かったらこんなお小遣い稼ぎなんて出来ないもんね」

 そう、彼女ら三人はこのホテル一室を占拠し、たまたまそこに泊まった不幸な旅行者に恥ずかしい格好をさせて写真を撮り、それをネタに金銭を脅し取っていたのである。

「あの豊川とか言う商社マン。一万円ぽっきりしかくんなかった罰として、口止め料プラスペナルティも進呈するわ」

「さんせ〜い」

 

 翌日、豊川の元に純白のウェディングドレスに身を包み、小首をかしげてにっこり微笑

んだ自分の写真と、さしあたっての口止め料十万円の請求書が送りつけられてきた。

 勿論彼は、自分のファイルに『お小遣いが少なかったバツよ!請求書に従わないともっとひどいことするからね!』というメッセージが入力されていることも、その日の背広のデータがウェディングドレスにすり替えられ、翌日のそれがセーラー服にすり替えられてい

ることも、実際にTSを動かしてみるまでは知る由も無かった。