晶くんシリーズ8

「白鳥さん」

原案・風祭 玲  作・真城 悠

  • この小説は風祭さんのアイデアを元に真城が小説化したものです。感謝すると共に、この作品を風祭さんに送ります。
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 その女性は小さく頷いた。

「私は…」

 遠い目をして言う。

「病弱だったんですよ」

「はあ…」

「なんでも原因不明の奇病だったそうで、物心ついていらいの記憶と言えば常に入院生活だった様に思います」

 淡々とした口調だった。

「その日は丁度、今日みたいによく晴れた日でしたね…」

 

 

 きょろきょろと周囲を見渡している少年。

 そこは病院の廊下である。独特の薬臭い雰囲気が漂う。

 とある病室の前で立ち止まる。

 そゾ来こむとそこには色白で髪の長い美少女がベッドの上に上半身を起こして座っていた。

 

 

「で、その少年が入ってきたんですか」

「ええ。どうして私の部屋に来たのか、今でも分からないんですけど」

「どんな感じの少年でした?」

「大人しい感じでした。どちらかというと中性的な雰囲気だったと思います」

「どんないでたちでした?」

「私服…だったと思います。詰襟やブレザーで無かったのは憶えていますから」

「失礼ですがそのときはお幾つでした?」

「6歳か7歳の頃だったと思います」

「そうですか…その少年の方は?」

「…そうですねえ…あくまでその頃の印象ですけど、結構お兄さんだったと思います。中学生以上…多分高校生くらいじゃなかったかしら」

「それは小学生にとってはかなり大きく感じるでしょうね」

「はい」

 その女性はにっこりと微笑んだ。この謎の男の子の話になると、急に機嫌が良くなり、うきうきして話し始めるのがありありと分かった。

 

 

 私は朝目新聞の記者である。

 今日は国際的な評価も高いある日本人バレリーナの取材に来ている。

 少し小柄でほっそりした女性だった。

 私はスポーツ蘭の担当ではない。勿論、バレエ好きという訳でもない。野球は人並みに好きだが、その程度。小・中学生の時にクラブ活動で運動はかじっている程度で全く体育会系でもない。はっきり言って運動音痴な方である。

 何より私は文化部なのだ。ここに来たのは“今日のこの人”というコーナーに、なにやら国際的な賞を受賞したというこの女性を取材しに来たに過ぎない。

 彼女は出身地や身長・体重・血液型といった他愛ない質問にもハキハキと答えてくれた。何でもバレエ専門誌や機関紙に取材を受けることは多くても、私が所属している様な「一般誌」それも全国紙からの取材は珍しいのだそうだ。

 彼女に対して一連の質問をし、次の質問に移った時のことだった。

「そうですか。有難うございます。えーと、それでは次の質問です。バレエを始めたきっかけは?」

 と、それまで陽気に話しつづけていた女性がぴたりと話すのを止めた。

 そしてその吸い込まれそうな大きな瞳でこちらをじいぃっと見つめるのである。

「あ、あの…」

 何か触れられたくない質問だったのだろうか?私は身を固くする。

 突然、破顔一笑する女性。

「信じていただけます?」

 私はたじろいだ。

 女性に潜む魔性、の様なものを一瞬垣間見た気がする。

「は、はい」

 思わずそう答えていた。

「本当に?」

 またじいぃっと見てくる。美人に見つめられるのは悪い気はしないが、こうもやられると気味が悪くなってくる。

 ふと見ると、その女性は口元に小悪魔的な微笑を浮かべている。どこか楽しそうなのである。

「信じていただけますね?」

 女性は念を押す。

 ここで押されては負ける。そう考えた私はから元気を振りしぼって返した。

「はい」

 

 

「それで?どうなりました?」

「そのおにいちゃんは私の前に置いてあった椅子に座って話し掛けて来ました」

「個室だったんですか?」

「ええ。元は大部屋にいたんですけど同室の子と仲良くなってもすぐに退院しちゃって…それで友達を作るのも馬鹿らしくなっていましたから。両親が個室に移してくれたんです」

「そうですか…」

「今から考えると余計にスポイルされる様な気もしますけど…一人っ子でしたしね。甘やかしてくれたんだと思います」

「で?どんな話をしたんです?」

 女性は照れた様に笑う。

「こまっしゃくれていましたしね。「どうせあたしは直らないんだ!一生病院にいるんだ!」ってひねくれてたし、凄く反発しました。まともに相手もせずに」

「あの…その少年とは初対面なんですよね」

「はい。間違い無く。でもたまにいるんですよ。そうやって気休めを言いに来てくれる人が」

「はあ…」

「でもそのおにいちゃんはこれまでの人と大分違いました」

「どんな風に?」

「“大丈夫だよ”とか“きっと良くなるよ”とか言わないんです。それよりもどんな病状なのか、何にそんなに悩んでいるのかを聞くんですね」

「へー」

「とうとうと話しましたね(笑)。かなり勝手な言い分だったと思うんですけど、おにいちゃんはうんうん頷いて聞いてくれました」

「いい人ですね」

「はい。…ちょっと子供っぽくって恥ずかしいんですけど、今でも理想の男性はあのお兄ちゃんなんですよ」

 と、ぽっと頬を染める。

「…でも、あのおにいちゃんの聞き方だと、とにかく私の病状というか、どんな風に悪いのかに興味があるみたい…だった気がします」

 ふむふむ。

「子供心ですけど“ああ、このおにいちゃんもあたしと同じで悩みを抱えてるんだ”って思いました」

「あの…それで?」

 私は話しがちっとも「バレエを始めたきっかけ」にならないので促した。恐らくその少年にバレエの素晴らしさを説かれた、とかその少年がバレエダンサーだった、とか言う流れになるのだろう。

「そこに看護婦さんが来たんですよ」

「はあ…」

「そしてそのお兄ちゃんを呼んだんです“白鳥さん”って」

「はくちょう…さん?」

「ええ。間違い無く」

 何やら不思議な話しである。

「それは間違い無くその少年を呼んだんですか?」

「…だと思います。おにいちゃんも振りかえってましたし。看護婦さんは誰かに呼ばれてすぐに出て行ってしまいました」

「それで?」

「そしたらおにいちゃんが、途端に苦しみ出したんです」

「…え?」

「汗を一杯かいて…身体を押さえてうんうん言っていました」

「どうしたんです?」

「…分かりません。…でも、あのおにいちゃんはきっと天使というか…妖精さんだったのかも知れません」

 突然変なことを言い出す目の前の女性に私の背筋に寒気が走った。

「おにいちゃんは見る見る内に髪の毛が伸びて来ました」

「…え?」

「それだけじゃなくって…その体つきがほっそり柔らかくなって…気が付いたらもう“おねえちゃん”になってました」

 大丈夫なのかこの人は?

「それは…見間違いなんじゃないですか?その…女性が男装していて髪をぱっと振りほどいたとか…」

 女性は討つ様な目つきでこちらを見据えてくる。

「今まで話しをした数少ない人達にもみんなそう言われました。でも、確かに見たんです」

「はあ…」

 これは何だろう?子供の頃に見た幻影…というか夢の話なんだろうか?それにしては妙に現実的だ。

「そして…そのおにいちゃんは見る見る白くなって行きました」

「白く?」

「はい。私も知識としては知っていたんですけど。おにいちゃんの服はバレリーナのチュチュになってしまったんです」

「…」

 余りのことに私は言葉を失った。

「突然現れたバレリーナのおねえちゃんに、私は驚きました。…でもそれ以上にその綺麗な衣装にうっとりして見とれてしまったんです…」

 どこか恍惚とした表情を浮かべる女性。

「おねえちゃんになっちゃったおにいちゃんは踊り始めました。その踊りはもう…言葉に出来ないほど幻想的で…綺麗で…その時、決めたんです。あたしもおおきくなったらおにいちゃんみたいな素敵なバレリーナになるんだっ!って」

 私の表情はひきつっていた。

「その日からそりゃもう一生懸命病気を治そうと頑張りましたよ。はい。先生や両親も人が変わった様に元気になったんでびっくりしてました。退院してすぐにバレエ教室に通わせてもらって…」

「はあ…」

「びっくりしたでしょ?」

 そりゃな。

「だから私はバレリーナって長いこと目の前でむくむくと変わって行くもんだと思ってたんです(笑)。そんなわけ無いんですけど」

 私は少し放心状態に近くなった。こんな荒唐無稽な話をどうやって記事にするのか。

「あ…そういえば…こんな言葉を知ってます?インドのことわざなんですけど」

「どんな言葉です?」

「“師は必要な時に目の前に現れる”って。私の人生って常にそうだった気がします」

「はあ…」

 何やら薄気味が悪くなってきた。実は彼女の周囲には良くない…というか不可解な噂があるらしい、と聞いている。何でもいじめっ子がいても、すぐにからまれなくなるとか。些細なことではあるのだが、このか弱い印象の、しかも病弱な少女がどうやっていじめっ子をことごとく避けられたのか、考えてみれば不思議ではある。

「実は私…今創作ダンスを構想してるんですけど…どうしても今1歩突き抜けないんです」

 彼女はまた小悪魔的ににっこりと微笑んだ。

 直後、私は彼女の言葉を理解した。