晶くんシリーズ10


「晶くんTS十番勝負」
一番

作・街さん

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僕の名前は白鳥晶。しらとりあきら、と読む。
 性別不詳の名前だけど、立派な男。男子高校生だ。

 でも、ある日突然うちに郵送されてきた謎の雑誌「根暗な蜜柑」という雑誌を読んだ日から僕は奇妙な運命に巻き込まれることになってしまったのだった…。

綾子さんと出会ってから1ヶ月が経とうとしていた。
あの日以降綾子さんのとの連絡は途切れがちになっていた。
綾子さん携帯電話の番号は教えてもらっていたが、こちらから電話を掛けることもなかったし、あの日のように綾子さんからTELが入ることもなかった。
ただ1回だけ、それはあの日の翌日だったが、綾子さんから僕のPCにメールが入った。
そこには
「あなたの助けが必要な時、あなたに会いたい時は、わたしから連絡します。
それまでは不用意な行動をとることは極力慎みなさい。」
とだけ書かれていた。
その後はまるで音沙汰無し。
ただ新聞、TV等各種マスコミでは、相変わらず綾子さんの活躍が大きく取り上げられていた。
子供のための交通安全教室、防犯キャンペーン、交通安全運動に関わる各種行事。
その若さと美しさのため、だれにも好印象をあたえるのか、綾子さんは警察署いや県警本部が主催する広報行事にさえなくてはならない人となっていた。
だが僕はもっとひねくれた見方をしていた。j市警察署としては綾子さんを対外広報用の顔として使いながら、実務的な事には一切携わらせず、俗に言う「人寄せパンダ」としてしか扱っていないのではないかと・・・・・・
綾子さんは婦人警官とはいえキャリア組のエリート警察官だ。
1、2年ほどj市警察署長を勤め後は県警本部、いや警察庁本庁に戻り順調に出世コースを駆け上っていくことだろう。
そして同じようなエリート官僚の男性と結婚し幸せな人生を歩んで行くことになるのだろう。
つまりお飾り、腰掛けのj市警察署長であり、実務に携わることもなければ、責任を負うことも無い。犯罪捜査等の本当の業務は生え抜きの人達がやることとなる。
警察組織の中のお姫さま。
それが綾子さんの現在の立場だ。
それ以前に綾子さんは大道寺儀一という政界の黒幕の「一人娘」なのだ。
文字通りの「お姫さま」「深窓の令嬢」であるのだが・・・・

伊吹という伯父も同じようなことを言っていた。
この伯父は綾子さんが署長を勤めるj市警察署に勤務しており、刑事課で警部をしている。ようするに第1線で働く下っ端、たたき上げの刑事さんということ・・・・
秋になり我が家に伯父が来た時、職場の話から、上司である警察署長、つまり綾子さんのことに話が及んだ。
「それでもわずか1、2年といえどもあのような美人が署長でいてくれるんだ。いやでも士気はあがるわな。対外的な顔としては欠かせないし・・・
容姿端麗、頭脳明晰、スピーチもうまいし、人当たりも抜群だ。
仕事も良く出来るし、女ながら良くやっているよ。うちの署長は・・・」
綾子さんのことを話すとき伯父の顔は緩みっぱなしだった。
昔からこの伯父は女好きで助平だった。そんな伯父に綾子さんのような上品な美女が上司として来たのだ。
伯父にとっては毎日が天国だろう。
鼻の下が伸びているよ、伯父さん!
伯父さんは妻子持ちだろ。
あ、それより前にむさくるしい中年男なんか綾子さんが相手にする訳ないか・・・
僕は馬鹿馬鹿しくなって自室に戻りPCを起動した。
相変わらず綾子さんからのメールは入ってなかった。
期待してはいなかったけれども、僕の失望は大きかった。
あ、これでは伯父と同じだ・・・僕も他人のことなど言えないな・・
漫然とネットサーフィンを続ける。
芸能系のサイトを覗いてみる。
そこには日本だけでなくアジア各地の芸能情報が紹介されていた。
香港の芸能情報を見る。
「魔法の国からやってきた3人の妖精!!
クリスタル・トライアングル
只今人気大ブレイク中!!」
そのようなコンテンツが目に入った。
どうやら香港の美少女アイドルユニットの紹介記事のようだった。
確かに3人の可憐な美少女が画面に映っている。
その時だった。
突然、PCの画像に大きく「HELP ME!!」という文字が表示された。

やられた!
新手のウイルスだ!
慌ててサイトを閉じ駆除ツールを使い検査を始めた。
30分後、どうやらシステムに異常が無いことが分ったが、謎のメールが1通入っていた。スパムメールらしい。
閲覧せずに削除しようと思ったが、残念ながらすでにメールは開いていた。
中には
「白鳥 晶様
これが過去してきたことの償いであることはわかってます。
だから、元の姿に戻れるとは思ってません。
だけど今のわたし達に対するこの仕打ちはあんまりです。
どうかわたし達を助けて下さい
クリスタル・トライアングル 大伴俊子・室井啓子・立花理沙 」
とあった。
「クリスタル・トライアングル」
さっきの香港の美少女アイドルユニットの名前だった。

確かにメールの差し出し先は香港になっている。
香港のアイドルユニットなのに何故、日本人の女の子の名前が・・・
何故、見ず知らずの僕の元に・・・
これでは綾子さんの時のパターンと同じではないか・・・
そして「助けて下さい」とは何を意味しているのか・・・


再度音がしてもう一通メールが来た
「新たなる動きがあったようね。明日、学校まであなたを迎えに行きます。
待機していて下さい。
大道寺綾子」
今度こそ正真正銘、そして久しぶりの綾子さんからの連絡メールだった。
しかし、僕の学校まで迎えに来る?
大丈夫だろうか?綾子さんのことだからきっと目立たないようにはしてくるとは思うけど・・・
少し心配になってきた。

翌日、放課後、校門のところに見知らぬ少女が立っていた。
艶やかな長い髪と引き込まれるような大きな瞳、透き通るような白い肌が印象的な美しい少女だった。
「晶君。待ちかねたわよ。」
少女は僕を見つけると、すぐに駆け寄ってきて話し掛けてきた。
同じ学年の女生徒ではない。
全く見覚えがないからだ。
上級生、それとも下級生?
いや違う。着ているのは私服のためよく分らないが、うちの高校の女生徒ではないことだけは確かだ。
だいたいうちの学校の女生徒の中にはこんな美少女は逆立ちしても見つからないし、都会的な垢抜けた雰囲気は、どこかのご令嬢を思わせる上品さを漂わせていた。
まさかお嬢様学校として名高いM市にあるT女学園の生徒・・・・
確かにあそこは女子高だし、結構いいとこのお嬢様が集まっていると有名だからなー
しかし地方の公立高校に通っている僕には当然そのようなお嬢様方とお付き合い出来るご縁などない。
しかも最近あそこも女の子の質が著しく落ちてきていると言うしなー・・・
しかしこの少女には確かに見覚えがある。
いや、見覚えというより初対面とも思えない親近感を感じるのだ。
なぜなら最近会った女性に非常に良く似ていたからだ。

「おいおい、晶。誰なんだ、この女の子は?」
「畜生、お前ばっかもてやがって!俺にも紹介しろよ。」
一緒にいたクラスメートの男子生徒が騒ぎ出した。
「君、こいつは止めといた方がいいよ。底無しの優柔不断だから・・
それより俺と付きなわない?」
ナンパ師を気取るJは早くも少女を口説き始める。
「晶君、行きましょ!」
少女は僕の手を取って走り始めた。
少女のあまりにも大胆かつあでやかな行動に、僕だけでなく回りにいた
生徒達もあっけにとられていた。
僕達は疾走して校門から離れた。
後方では相当の騒ぎになっている。
「あの野郎。どうも最近様子が変だと思ったら・・・」
「なんであんなダサイ奴にあんな可愛い子が・・・・」
「チョーシこきやがって。明日絶対にフクロにして本当のことを吐かしてやる!」
ばーか!明日は日曜だっちゅーの!
でも来週が心配だな・・・
はたして僕は無事に帰宅出来るだろうか?
「へえ、おとなしそうにしていながら晶君て結構もてるのねー。やるじゃん!」
女生徒までが騒ぎ出しているようだ。

僕達はそのまま静かな公園の中に入った。
豊かな木立の中、僕は少女を再度見つめる。
確かに美しい少女だ。引き込まれるように潤んだ二重まぶたの大きな瞳、
植えたように長くカールされたまつげ、透き通るような白い肌、鼻筋が通り日本人離れした華やかで美しく上品な表情。
細く長い三カ月型の美しい柳眉、薄く小さく上品な濡れた唇。
スタイルも良く、細く伸びやかな長い脚。
誰かに似ている。しかし誰かっていったい誰なんだ?
「あの、君。すまないけど僕には君が誰かわからないんだ。いったい君は何処の誰なんだ?」
僕は急に疾走したため息切れしそうになり、やっとのことで少女に尋ねた。
「晶君、まだ分らないの?」
少女は微笑みながら再度言った。

僕達は公園のかたわらにあるこじんまりした小さな喫茶店に入った。
門口には小さいのにもかかわらず、奥行きは驚くほど深い店だった。
少女はどんどん奥に入って行く。
僕は追いかけるように彼女の後に続いた。
僕達は一番奥の席に座った。
相変わらず少女は美しい笑みを浮かべ静かに微笑んでいる。
「晶君、わたしよ。まだ分からない?」
再度、少女は言った。
その瞬間だった。僕の心の中にある感覚が走った。
そう丁度1ヶ月ほど前、発現したばかりのサイコメトリーの感覚だった。
ま、まさかあの女(ひと)が・・・・
「綾子さん・・・・?」
僕は今、一番会いたかった女(ひと)の名を口にしていた。
「やっと分かってくれたのね。」
少女、いや少女にメタルフォーゼした綾子さんはにっこりと微笑んだ。

綾子さんもメタルフォーゼ能力を持っていた。
いったい何時の時点でその能力を得たのか?
「1ヶ月ほど前あなたと会った時、言わなかったかしら?以前わたしが男達の慰み物にされた状態から、ある気高き女性に救われたということを話したわね?
あなたはそのようなわたしの告白を聞き、ほとんど反射的に多くの能力を見出した。
でもね、わたしにも「根暗な蜜柑」は送られて来ているのよ。
あの方に救われたと同時にわたしにも、いえもしかしたらあなたより早いかもしれない。自分の年齢をある程度まで若返らせる能力に目覚めたの・・・」
綾子さんはにこやかに微笑みながら言った。
今は16歳の美少女となってはいるが、その上品な物腰のため、25歳の美女の時とまるで変わらない落ち着きと、知性を感じさせる。
「でも残念ながら、あなたのように着ている服まで変化させることは出来ないわ。
今着ているこのワンピースだって自分のお金で買ったのよ。」
綾子さんは少し残念そうに言った。
「僕はあなたのように初めからコントロール出来た訳じゃない。
あなたと出会う前は突発的、そして訳の分からない力によって無理やり変身させられていたんだ。勘違いしてもらっては困るよ。」
僕は憮然として言った。
「でも、今ではコントロール可能でしょ。羨ましいわ。もしわたしにもあなたのように、着ている服まで変えれる能力があったなら・・・
パリコレの最新モード、エルメス、シャネル、サンローラン・・・
すべて手に入れれるのに・・・・・」
だめだ、こりゃ!前言撤回!
どこが知性だ!これではブランド物にあこがれるだけの、ただのミーハーな女性そのままではないか・・・
東大出の若き女性警察署長なんだろ、綾子さん!
もう少し高尚なことに与えられたスキルを使いましょうね、綾子さん!
まさか、「パパ」の大道寺儀一にも「お願ーい!」なんて言ってブランド物をおねだりしているじゃないでしょーね?
もっとも、僕も他人のことは言えた柄ではないけど・・・・
「綾子さん、猫に鰹節ていう諺知っている?」
僕は綾子さんにキツーイ嫌味を皮肉たっぷりに言ってやった。

「ひどいわ、晶君。あなたって見かけによらず残酷な言葉を平気な顔をして口にするのね。もう少し女心をわかってくれる人だと思っていたのに・・・」
綾子さんは大きな美しい瞳で僕を見つめわざと困ったような様子で言った。
なんて魅力的な瞳なんだ・・・・
綾子さんのあまりに美しいしぐさに僕は思わずとまどってしまった・・・・
BUT!!綾子さんの色香に迷っている場合ではない!!
今、この時にも僕に助けを求めている人がいるのだ・・・・
そして何時までも綾子さんに甘い顔を見せているわけにはいかない!!
ひとつ、ここでビシッと綾子さんに言ってやらねば・・・
え、助けと言ったって、それが女の子からのリクエストだからハッチャキになるんだろうって・・・・
ええ、そうですよ!そうですよ!
どうせ僕はあの伯父と同じ、女性の色香ひとつで簡単に動く「安い」男さ!
だけど、こんどメタルフォーゼして女性に、速見晶子になった時・・・・
今度は自分自身がそこで学んだ手法を使って、色香を使って僕のような馬鹿な男共をこき使ってやる・・・・・・
・・・・
あ、自己嫌悪・・・・
自分自身で言っていて嫌になってきた・・・・
最近、ほとんどこれだ・・・・・
僕は着実にアブナイ方向に突進して行っている・・・・

気を取り直して・・・・・と
「それより、僕達にはもっと大事な用があったはずでしょ?」
僕は綾子さんに言って、昨晩クリスタル・トライアングルと称する3人の少女から送られて来たと思われる、メールをプリントアウトしたペーパーを綾子さんに差し出した。
「これがあなたのところに送られて来たというヘルプメール?」
綾子さんはペーパーをさっと一瞥して言った
「そうです。」
僕は答える。
「そうね。この内容と同じメールがわたしのもとにも送られて来たわ。
それであわててあなたにもメールした訳。
ただしわたし宛のメールには差出人の名前は出ていなかったけど・・・」
「このクリスタル・トライアングルという名前ですけど、何だかわかります?」
僕は綾子さんに聞いた。
「確かアイドルユニットの名前よね。ただし日本でなく香港のアイドルの・・・」
「ええ、ただ香港のアイドルなのに、何故日本の女の子の名前が載っているのか、そして何故見ず知らずの僕のところにメールが届いたのかがよくわからなくて・・・」
「おそらくメールの差出元は「根暗の蜜柑」、いえあの方だとわたしは思うわ。
ただ、日本の女の子の名前が使われている理由は良くわからないわね。
わたしもそのアイドルユニットのことについてネットで少し調べてみたけれど、
メンバーは皆向こうの女の子だったわ。」
「彼女達のプロフィールは分かりましたか?」
「駄目だったわ。分かったのはデビューしたのは1年ほど前。ケイ、リン、メイという16歳の少女で構成されているということだけ。
彼女達のプロフィールのたぐいは一切謎なのよ。」
「・・・・・」

「ご注文はお決まりですか?」
ウエイトレスの女性が注文を取りに来た。
結構きれいな人だが、綾子さんには到底かなわない。
僕はコーヒーを二つたのんだ。
綾子さんは続けた。
「ただ、アイドルとかのプロフィールの類はあまりあてにならないのも確かね。年齢詐称なんて当たり前の世界ですしね・・・・
それに香港のアイドルでしょ。引き合いに出すのも失礼かもしれないけど、戸籍偽造は蛇頭などの犯罪集団の重要な資金源なのよ。」
「やはり物騒な話になってきましたね。」
「彼らの手に掛かったら偽の戸籍はおろか人物を偽造することなど朝飯前よ。
経歴はおろか生年月日、現住所、本籍、出身地そして性別まで・・・・」
「!!」
まさか、綾子さんと同じケースも・・・・
「ここではこの話題は控えましょう。誰に聞かれているかわからないわ。」
綾子さんは声をひそめて言った。
丁度、注文したコーヒーも来たので僕は話題を変えた。

「しかし。その姿良く似合っていますね。いつもの綾子さんも綺麗だけど、今の綾子さんも魅力的です。ずっとそのままでもいいんじゃないですか?」
「ふふっ・・さっきの埋め合わせのつもり?もうその手には乗らないわよ。嫌味を言ったり、おだてたり変な子・・・」
すっかり見抜かれている。綾子さんは魅力的な瞳で僕を見つめ逆襲に出てきた。
「いや、さっきは・・・・・」僕は困って頭を掻いた

ひとつ綾子さんにはっきりさせておいたい事があった。
「僕の場合はメタルフォーゼしても元に戻れるけど、綾子さんもその能力を使って元に、つまり以前の性に戻ることはできないの?」
僕はおそるおそる綾子さんに聞いた。
「絶対に無理ね。わたしの場合、ただ若返ることが出来るだけ・・」
綾子さんは微笑みながら言った。
「たとえ可能だとしても、もう二度と元に戻る気はないわ。」
え・・・?その言葉かつて聞いたような気が・・・
「そう、あなたもにも言ったけど、あの方に言われた通りよ。
元に戻れないし、戻す気も無い。
あの方はそうおっしゃったわ。
そしてわたしもこれからの一生、ずっと今のまま、女性のまま生きてゆくつもりよ。
なぜなら女性であることの喜び、そして幸せに気づいたから・・」
「綾子さん・・」
「そして、その幸せに気づかさせてくれたのは、晶君、あなたよ。」
綾子さんは大きな美しい瞳で僕を見つめ言った。

僕は1ヶ月前、はじめて綾子さんと出会い、彼女の秘密を聞き、そして彼女の魅力に惹かれ、そして新たなる自分の可能性に目覚めた。
その出会いの中でそして僕に出会ってから、綾子さんは何を思い、感じていたのだろうか。
僕はあの時、別れ際に綾子さんが涙ながらに言った言葉を思い出していた。
「今まで、そう無理やり女にされてからというもの、わたしはずっと屈辱と恥辱、後悔、それでありながら女という性、そして女性としての肉体がもたらす快楽に溺れ、そんな自分自身に対する嫌悪感、そして開き直り、そしてそれらの反動として女性としての優越感、そのような相矛盾した歪んだ感情に支配されてきたわ。
だけどあなたに出会った今だから言える。女性になれて本当に良かった。
女としてこんなに満ち足りた幸せな気持ちに包まれたことはないわ。
ありがとう、晶君」
はっとして綾子さんを見た。
まただ、また綾子さんの大きな美しい瞳はまるで朝露のような澄んだ涙で満たされている。
どうして綾子さんは僕の前だとこうも涙もろくなるのだろうか。
普段は若い女性ながら法の秩序を守る警察署長として、人の上に立つ超エリートとして毅然とした態度を崩さないはずなのだ。
たとえ女らしいしとやかさと優しさを持ちつつも燐とした芯の強さは、余人には及びもつかないはずなのだ。
あの伯父も同じ印象を語っていた。
しかし今僕の前にいる綾子さんはいくら少女の姿をしているとはいえ、とてもか弱く、守ってあげたいような可憐さに包まれている。
何故だろうか。
何故、綾子さんは僕の前だとこうまで自分を、そう弱さまで含めてすべてをさらけ出そうとするのか。
そして一方で、まるで実の姉のような優しさで時には厳しく僕を教え諭してくれる。
僕は綾子さんの気持ちを推し量りかねてていた。
ああ、綾子さんが本当に僕の姉さんであってくれたなら・・・・
いや、駄目だ!それでは綾子さんはいつかは他の男の物になってしまう!
それだけは・・・・
僕は知らず知らずのうちに何もかも綾子さんの魅力の虜になって行く、自分自身を押し留めることが出来なくなっていた。
「晶君、晶君・・・?」
突然、綾子さんに呼ばれ僕は我に帰った。
「どうしたの?ぼうっとしたりして?疲れているの・・・?」
気がつくと綾子さんが心配そうな顔で僕の顔を覗き込んでいた。
そして1時間後・・・・
僕達は公園の近くに停めてあったミニパトに乗り、僕は平凡な男子高校生、白鳥晶から若き女性警察官、速見晶子に変身し、ミニパトを運転して「上司」である綾子さんと伴に「職場」であるj市警察署に向かった。
ただし表面上は少女である綾子さんを保護しj市警察署に連れて来た形を装ったが・・・・
そして30分後僕達は二人の美人婦警としてj市警察署長室の中にいた。
そのとき綾子さんはすでに若く美しい女性警察署長に戻っていた。
ロッカールーム中で少女から普段の25歳の妙齢の女性に戻り、制服に着替えたのだ。
かつて新聞の写真、雑誌のグラビアで見たことはあっても、制服姿の綾子さんを間近に見るのはこれが初めてだ。
制服姿の綾子さんは私服のときはまた別の凛としたりりしさ、そして清楚な美しさにあふれていた。
いつもとは違う新鮮な魅力にあふれている。
入室すると同時に室内に隠しカメラ、盗聴器の類がないか例の能力を使って調べる。
この部屋は一応防音装置は施されている。
異常はないようだった。
「すまないけど今日もわたしにつきあってくれない?」
僕の・・女性警察官速見晶子としての「上司」である綾子さんは言った。
すでに両親への連絡は済ましていた。
友人の家で勉強するので帰りは少し遅くなると・・・
僕は帰宅部、部活動は特にしていないのでそう言い訳するしかないのだ。
帰宅する前、見知らぬ美少女と会っていたことは程なく両親にばれることとなるであろう。
その時僕には間違いなくおしおきが待っているだろうけれども、その時はその時だ。

「晶君、これを見てくれない?」
綾子さんは僕に1冊のファイルを差し出した。
中を開けると、2年ほど前に出された捜索願がファイルされていた。
綾子さんに教えられたページを開くと2年程前、東京、渋谷で起きた、3人の少年の失踪事件についての記録がファイルされていた。

事件内容はこうだ
平成○○年○月○日、東京、渋谷の街の中で3人の少年が白昼突如として失踪した。3人ともアイドルのスカウトと称した謎の男に呼び止められ、そのまま行方不明となってしまった。3人の間に特に関係らしきものはなかったが、呼び止めた男はみな同一人物であったことがその後の目撃証言で判明した。
家族から捜索願が出されたこともあり、警察は捜査に入ったが、3人はおろか、その謎の男の行方まで全く不明。まるで神隠しにでもあったかのように3人の少年は忽然と姿を消したのだ。
少年達が男に呼び止められた以降の情報、目撃証言等は一切得られず、事件は今や迷宮入りの様相を呈してきている。
やりきれない話だが、このような行方不明事件など今の日本でははいて捨てるほどある。
しかし、ある出来事がこの事件に対しての注目を集めることとなった。
事件から1ヶ月程経った後だ、突如として家族の元に少年達の助けを求める電話が入ったのである。
「助けて・・・このままでは女にされてしまう・・・」
少年達から入った連絡だった。
警察側はどうせ迷宮入りとたかをくくっていたことが災いして、せっかくの助けを求める電話を見逃し、少年達の居場所、発信元等なんら情報を得ることが出来なかった。
また表示された発信元は皆存在しないものであり、少年達の居場所追及の手がかりはぷっつりと途切れてしまった。
大伴俊宏
室井啓一
立花伸吾
これが3人の少年の名前だった。
少年達の写真を見てみたが、みなジャニーズ系というか、容姿、スタイル伴にいい、いわゆる美少年タイプだった。そしてどちらかというと線の細そうな女性的な容姿をしている。
何故かあの香港のアイドルユニットのメンバーの美少女達に良く似ていた。
まさか・・・
「クリスタル・トライアングルのメンバーの正体は、この3人の少年のなれの果てということではないでしょうね?」
僕は綾子さんに聞いた。
「断定するのは危険だけど可能性はあるわね。」
綾子さんは答えた。
「しかし香港じゃなー・・・またその発信元だって本物とは限らないんだし・・・・」
僕は頭をかいた。
「それに、事件そのものが狂言という可能性だってあるわけだし・・・・」
「その可能性もあるわね。事件発生当初からも捜査陣の中にその指摘をする人も結構いたわ・・・ただ『このままでは女にされてしまう』というSOSは普通ではないわよ。」
綾子さんは一段と深刻な表情で言った。
「警察当局の動きはどうなんです?」
「あまり活発とはいえなかったわね。常に何か政治的な圧力が捜査陣に掛かり続けているようだったし・・・」
「まさか昔、綾子さんの身に起きたこととも関係があるのでは・・・」
「それを一番心配しているのよ、わたしは・・」
「メールが来たことは一切他の人に言ってはいけないようですね。」
「あたりまえよ。そしてあなた自身にも無関係なことではないわよ。
依然もあなたに言ったことがあるけど、あなたも結構美少年タイプだからね・・」
重い沈黙が流れた・・・。
しかし程なく僕が立ち直ってしまった。(相変わらず何も考えてない奴!!)
ま、いいか。もうすでに僕は女の子なんだもん。
しかも、こんな美少女なんだから・・・
い、いかーん!
何なんだ?今の反応は・・・
こりゃ綾子さんが言うのとは別な意味で気をつけなければならないぞ・・
本当に・・・

「綾子さん。今日は土曜日ですよね?また綾子さんの別荘に行きませんか?」
僕は綾子さんに言った。
「こらっ!一度甘い顔を見せたらだんだん図に乗って!ご両親には断って来たの?」
綾子さんはたしなめるように言った。
「へへ・・・今日は泊りがけで友達の家に行くと連絡済みです・・・」
僕は嘘をついた。本当は遅くなると連絡しただけなのに・・・
「まったく・・・まあいいわ。この事件はかなり奥が深そうだし・・・
後はわたしの家で調べましょう。」
綾子さんはため息をついて、あきれたように言った。

1時間後、僕たちは綾子さんのエリーゼに乗って例の別荘に向かっていた。
ハンドルを握るのは僕。もちろん女性警察官、速見晶子としてのままだった。
オートマチックだから僕のような運転音痴にも実に運転しやすい車だ。
綾子さんの好みなのか、車内にはクラッシク音楽のCDが揃っている。
ショパンのピアノソナタの澄んだ調べに乗せて、すべるようにエリーゼはバイパスを走ってゆく。
「晶君は普段どんな曲を聞くの?」綾子さんが聞いてきた。
「もち、浜田省吾に決まっているじゃないですか。最近の流行の曲にはどうもついていけなくて・・・」僕は答えた。
「このような曲はどう?退屈だったらCDショップであなたの好きな曲を買うけど・・・」
「いえ、いいですよ。たまにはこういった曲もいいです。綾子さんはクラッシク1本槍ですか?」
「そうね。特にそういう訳でもないけど、子供のころから慣れ親しんできたせいか、クラッシクを聞くことの方が多いわね。」
「ご自分でも演奏とかなさるんですか?」
「ピアノとフルート。少しだけど・・・小学生くらいから習っている関係もあって・・」
さすが綾子さん。僕のような庶民とは全然違う。
待て、小学生くらいからって・・・それは男の子だったころからじゃないか・・・・
おそらくピアノとフルートが似合うとてもきれいな美少年だっただろう・・
そりゃ、大道寺儀一に目をつけられる訳だわ・・・

綾子さんの話だと最近では週末は別荘で過ごすことの方が多いという。
重要な書類も別荘の方に保管し、自宅であるマンションはただの通勤のための連絡先としてしか使っていないという。
「もうあのマンションは引き払うことにするわ。通勤用なら賃貸でも他にいい物件はいくらでもあるし・・・」
綾子さんは長い髪をなびかせ車外の景色を見ながら言った。
「でも街で遊ぶならあのマンションの方が便利だと思うけど。」
「そんなような女にわたしが見える?
最近では一人で音楽を聴きながら読書したり、思索にふけっていることの方が好きになってきたわ。」
それってまんま引きこもりじゃん!
「お疲れのようですね。警察組織の看板娘にもむなしさを感じてきたとか・・」
「生意気言わないで!あなたに何が判るっていうのよ!」
綾子さんは突然、声を上げた。
僕は何も言えず押し黙ってしまった。
「ごめんなさいね。あなたに当たってもどうしょうもないのに・・
どうかしていたわ、わたし・・・」
綾子さんは優しくなだめるように言った。
「確かにあなたから見たらわたしなんか、ただの『人寄せパンダ』のようなことしかしていないように見えるでしょう。確かにそれは事実だわ。
署長なんて言ったって所詮、飾り物に過ぎないのよ、わたしは・・・
今回の事件について署内の人に問い合わせた時の、あの人たちの姿勢がはっきりそれを示していたわ。
何でお前がそんな余計なことに首を突っ込むんだ?という意識が見え見え・・
言うことがいいわよね。
『その事件についてはわたし供も十分な関心をもって、解決するよう営為努力しております。署長が御気になさらずとも結構です。』
何で飾り物のお前がこのような些細な、それも管轄外の事件を気に掛ける必要がある・・ということかしら?飾り物は飾り物らしく『人寄せパンダ』を演じていろ・・・ということなのかもしれないわね。
でもそんな『人寄せパンダ』でも決して無意味な存在という訳ではないとわたしは思っているの・・・。
ただ犯人を捕まえることだけが警察の仕事ではない、防犯、犯罪が起きないような社会にしてゆくことも大事な警察の業務なのよ。
だからそのための広報活動も大切なことだと思っている。
所詮飾り物としてのわたしのむなしい言い訳に過ぎないのだけど・・・」
綾子さんはかすかに笑って言った。

僕たちは再び綾子さんの別荘に着いた。
前来たときと同じく、回りを取り巻く深い林の緑と、池の深く澄んだ色が印象的な美しく静寂な風景が広がっている。
僕たちはそのまま別荘に入った。

僕たちは3階にある書斎も兼ねたリビングルームに入った。
1ヶ月ほど前、綾子さんから自分の秘密について告白を受けた場所だ。
大きなベランダからは回りの深い木立と、前方の美しい池が見え、あたりは静寂に包まれている。
午後の日差しが薄いカーテンを通して部屋に差し込んでいる。
あの時は気が付かなかったけれど、部屋の傍らには立派なグランドピアノがあった。
そういえば綾子さんはピアノを弾くと言っていたっけ・・
綾子さんは読みきれないほど多くの書物が収められた書棚の中にあるミニコンポに近寄り、書棚から取り出したCDを入れた。
綾子さんの話だとフォーレという作曲家の曲だという。
フルートとピアノの二重奏のとても静かな曲が流れ始めた。

「どこでもいいわよ。お掛けなさい・・」綾子さんは言った。
綾子さんもソファーに座り長いすらりとした脚線美を組んだ。
ううっ・・ミニスカートの間から綾子さんの豊満な太腿の間に白いものが見える・・パ、パンティー!!
自然と僕の目はそちらに吸い寄せられた・・・
ま、負けてたまるものか!!
また色仕掛けではぐらかすすもり?綾子さん・・・
もうその手には乗らないからね!!
若く美しい(?)女性警察官、速見晶子になっていた僕は張り合うかのように、女性警察官の制服のミニスカートから白いショーツが見えるように、足を組んで綾子さんに見せ付けてやった・・
ち、違―う!!こんなことやっている場合じゃない!!
人気のない別荘の中で美女(?)2人パンチラ見せ合っている場合じゃない!
それともこのままレズねたに持ち込むつもりか?この作者は・・・
最近こればっかりや・・・・
よっぽどネタ作りに苦しんでいるな。
これだから才能のないTSF制作者は・・・

しかし綾子さんは僕のそんな妄想など知ってか知らずか、すました顔で話始めた。
「晶君、1ヶ月前、かつてわたしが屈辱的な目にあわされたロサンジェルスの施設が、その後どうなったについてあなたに言ったこと覚えている?」
「え?あ、はい・・・」
綾子さんのパンチラに見とれていた僕は思わずしどろもどろになってしまった。
まったく・・今は女の子にメタルファオーゼしているのに・・・
そういう所に目が行くか?普通・・・いや普通の女の子は・・・・
どう見たってフォーレの静かな旋律に似合う光景ではない。
いや、速見晶子は百合っ気の強い女の子なんだ・・
だから綺麗なお姉さまを見るとどうしてもそちらに目が行ってしまうのよ・・・
い、いかーん!!
最近、段々僕も染まってきているぞ!!
しかし、染まってきているって・・・いったい何に?!
「ちょっと、晶君・・わたしの話を聞いていたの?」
綾子さんの口調が少しきつくなってきた・・・
「あ、聞いてましたよ・・・その・・・あの・・・綾子さんが囲われていた病院が・・・数ヵ月後・・・何者かに・・・その・・あぼーんと、爆破されたということ・・・」
「まったく・・・しどろもどろになって・・・いったい何を考えていたの?!
人の話は真剣に聞きなさい!!」
「はい、よく学校の先生にも言われます・・・」
僕は頭を掻いた。(艶やかなロングヘアー、速見晶子としてだぞー!!いったい何を言っているんだ?僕は・・・)
「まあ、いいわ。それで前はあなたに言ってなかったけど、その爆発でわたしに施された施術、つまりタンパク質ロボットによる遺伝子操作だけれど、そのための資料、実験データ、施設、それらがすべて灰になってしまったのよ。
同時に各所にあった関連データもすべて失われてしまったの。
実験を行った担当者、わたしにとっては憎んでもあまりある奴らだけれども、彼らも何処へ行ったか行方不明になってしまったの。つまり再度実験を行うにも、データもなければ施術できる技術を持った者もいない。つまりわたしという成功例だけ残してタンパク質ロボット実験は二度と行うことの出来ない幻となってしまったわけね・・
ただ爆破された施設の廃墟の後には、何処から来たのか記憶喪失の全裸の美女達が泣き叫んでいたという不思議な噂だけ残して・・」
綾子さんは言った。
「そうでしたね。だけど何者が起こしたんでしょうね?その爆破テロ・・・
まさか、ア○カ○ダとかフ○インの残党とか・・・・」
僕は答えた。
「まだ、冗談言っているの?おちゃらけも程々にしなさい!」
綾子さんは僕を睨み付けた・・・
ヤバイ、ヤバイ・・・
しかし怒った綾子さんて・・一段と綺麗だなー・・
美人は怒った時にこそその美しさが分かると言われるけど、ほんまだわ・・
綾子さんは話を続けた。
「わたしがこの話を何で知ったと思う?驚いてはだめよ。
あなたのとこにも来ているあの『根暗の蜜柑』で知ったのよ。」
えっ・・・何でそんなことがあの雑誌に載っているんだ?
ちょっと止めてよ!冗談言っているのは綾子さんの方じゃない!!
「前も言ったけどあの雑誌には多くの大事な情報が載っているわ。
わたしにそしてあなたにとっても大事な情報が・・。
あの施設のたどった顛末を『根暗の蜜柑』で知った時わたしは確信したわ・・・
あの施設を爆破しタンパク質ロボットについての情報をすべてこの世から葬り去ったのはあの方に違いない・・・。
そう、わたしをあの屈辱的な地獄から救って下さったあの方よ・・・
そして記憶喪失の全裸の美女達というのはわたしを慰み物にしたあいつら、
あの施設にいた医者や研究者達のなれの果ての姿だと・・・
その時初めてわたしは溜飲を下げ、すべての物に立ち向かう勇気が湧いてきたわ。
いい?晶君。『根暗の蜜柑』に載っている情報は大切にしなくてはだめよ。
そこには、わたし達だけでなくこれから人類、いえこの世がどのような運命をたどっていくのかが示唆されているのだから・・・
そう、『根暗の蜜柑』はねあの方がわたし達に送って下さる大事なメッセージなのよ!」
綾子さんは少し興奮していた。
「そういえば、僕もあの日、綾子さんと別れてから帰り道不思議な女の子に会ったよ。」
僕はぽつりと言った。
「え?」綾子さんは僕のほうを振り向く。
「7、8歳ぐらいの女の子だった。僕から何も言わないのに『女神さまに会ったのね?』と聞いてきたんだ。今の僕にとって女神を呼べれる女性は一人しかいない。そう、綾子さんだ・・・
僕がそう答えると女の子は言った。
出来る限り綾子さんの力になって欲しいと・・・」
綾子さんは黙っていた・・・
そしてまたその大きく美しい瞳に涙が浮かんでいた。
「そうなの。やっぱりあの方よ!あの方が晶君、あなたのところにも会いに来て下さったのだわ・・・それにしても・・・わたしのことを・・・こんなわたしのことを・・・女神だなんて・・・ありがとう、晶君。さっきは怒ったりしてごめんなさい・・」
綾子さんはまた泣き出した。
それにしても綾子さんは最近とても泣き上戸だ。
もっとも、無理もないけどね。いままでさんざんひどい目に遭わされて来たのだから・・・
「そして、今朝わたしのところにこれが送られて来たわ。」
綾子さんは涙をぬぐって1冊の本を僕の前に差し出した。
それは紛れもなくあの『根暗の蜜柑』の最新号だった。

『根暗の蜜柑』の最新号。その表紙にはこのようなキャッチコピーが載っていた。
「ワンダーランド出雲。今、山陰に何かが起きている。その謎と秘密を探る」
あまりにも出来すぎというか・・・どうやら僕の地元S県についての特集記事らしい。
表紙を開けると
「すべてはまだ始まったばかり・・・灯台元暗し。自分の周囲を再度見直すべし。」との表題が目に入ってきた。
「何だ?これは」僕は思わず声をあげた。
「読んで字の通りよ。あなたが現在暮らしている故郷。ここ、S県周辺を再度見なおして見なさいという内容よ。」
綾子さんが言った。
読み進んで行く。出て来る、出て来る。
山岳地帯を中心に平家の落武者部落伝説をはじめ、海の方では後醍醐天皇が流刑されたことで有名な隠岐諸島、歴史上古代日本の文明のルーツとして名高い沖ノ島についての記事。S県の秘境スポット案内情報が満載だ。
しかしこの内容では「ム○」のようなオカルト雑誌か、それでなければ「じゃ○ん」「サ○イ」のような旅行案内雑誌と変わらない。
ぱらぱらとページをめくって行くと突拍子も無くこのような記事が目に入ってきた。
「香港の超人気アイドルユニット
クリスタル・トライアングル
3人の美少女の素顔に迫る!」
とうとう問題の「クリスタル・トライアングル」についての記事が出てきた。
ただ内容はデビューから今までの活動の紹介と彼らのピンナップ、グラビアが中心で、肝心の3人のデビュー以前のプロフィールについては一切出ていなかった。
「『根暗の蜜柑』も段々ありきたりの雑誌になってきましたね。」
そこまで読んで僕はため息をついてページを閉じた。
「そうね。今回はちょっとマンネリかしら。わたしも少しがっかりしたわ。
編集部に文句でも言ってやりましょうか?他の雑誌の猿真似ばっかりしていないで、もっと独自の特色ある記事内容にしなさい!!・・・てね。」
綾子さんもくすくす笑いながら言った。
「綾子さん、編集部の宛先知ってます?」
僕はあきれて綾子さんに聞いた。
「わたしが知る訳ないじゃない。だけど、あなたクリスタル・トライアングルについて紹介していたWEBサイトのURL知っているんでしょ?そちらの方を調べることの方が先決だと思うけど・・・」
なるほど、その手があったか。さすが綾子さん。
「それより、その観光情報は使えるわよ。わたし、S県に来たばっかりであまり詳しくないの。この記事見ていたら行ってみたいところばかりだわ。晶君、案内して下さる。」
綾子さんはうきうきし始めてきている。
「喜んで・・・といって僕もあまり詳しい方ではありませんけどね。」僕は答えた。
「いいのよ。地元の人が一緒にいてくれるだけで心強いわ。このS県て重要なポイントよ。今までそしてこれから起きてくるいろいろな事に密接に関係してくる場所よ、ここS県にわたしの『父』大道寺儀一が本拠地を構えたのは伊達ではないわ。今後嫌でもあちこち回らなくてはならなくなるわよ・・・」
綾子さんはまた不思議なことを言った。
「それより、晶君。続きを読んで見たら?」
綾子さんに言われて僕はあわてて『根暗の蜜柑』を再び開いた。
次のページには
「クリスタル・トライアングル来日決定!!
10月下旬以降来日。全国ツアー敢行!!」
との記事が載っていた。
あわてて、ツアースケジュールを確認する。
驚くべきことに彼らは東京から即、僕達が今住んでいるS県に来ることになっていた。

「綾子さん、一つ確認させて下さい。先ほど綾子さんタンパク質ロボットについての情報をすべてこの世から葬り去られたと言いましたね。それは今現在でも自信持って言えますか?」僕は綾子さんに聞いた。
「それがね・・・このクリスタル・トライアングルの話を聞いて、だんだんわたしもぐらついてきたのよ。確かにわたしに施こされた完全な形の遺伝子操作についての情報は幻になってしまったかもしれない。しかし・・」
綾子さんもだんだん困惑の表情を見せ始めた。
「性遺伝子を変化させることは出来なくても、性ホルモンを操作する方法ならかなりの線まで情報は伝わっているのではないかしら?」
「性ホルモンの注射なら昔からやってますよ。」
「性ホルモンを外部から入れるのでは効果は一時的なものにとどまるわ。その後はどうしても外科的方法が必要となってしまう。わたしの言っているのはそんなありふれた方法ではないの。外部から性ホルモンを注射するのではなく、何らかの方法で内分泌する男女の性ホルモンの組成比率の割合を操作することが出来るとしたならば・・」
「男性でも副腎皮質、脳下垂体、いや睾丸からすらも女性ホルモン、エストロゲンが微量ながら分泌されていると言いますしね。しかしそれでも骨格構造だけは変化させることは出来ませんよ。どうしても外科的方法が必要では・・」
「馬鹿ね。性ホルモンの分泌により骨格構造すらも長期的には変化してゆくのよ。特にあなたのような思春期、成長期の過程にある青少年ならなおさら・・・
だいたい、骨格構造とは身長との相対比によって決められる部分もあるのよ。男性と女性の骨格構造の差といったら、主にその太さ、骨盤がの大きさの差、そしてウエストのくびれにもかかわる肋骨の位置、及び高さというところかしら。だけどこの骨格構造の差すら、長身の欧米の女性の骨格構造なら、日本人男性の骨格構造とあまり差が無いという調査結果があるのよ。」
「へえー」
「だいたい、人間の性は基本的には女性型に分化してゆくものを、テストロンをはじめとする男性ホルモンの働きで男女間の肉体差を作り出しているといわれるくらいですからね・・・
そもそも、何故その量にに差こそあれ、女性ホルモン、エストロジンが一部の器官から男女とも分泌されているかについては、本当の理由は分ってないのよ。
このことについては、はじめ哺乳類も性が未分化で、人間のこの機能はその頃のなごりだという説をとなえる人もいるわ・・・」
「人間の性の基本的形質は女ということですか・・・・?」
「さあ・・・・・。ただ今後環境ホルモンなどを原因とする性ホルモンの分泌異常が起きて、男性の女性化が発生した時、生殖機能を除いて肉体的に男女間の性差が無くなることもあるかもしれないわね。」
「男性の方も生殖器は除いて、膨らんだ乳房、丸みを帯びた体つき、きめ細やかな肌などの女性的肉体形質を有するようになるということですか?」
「それだけならいいけど、その後人間の性が女性に統合され、女性同士の生殖行為で次世代を繋ぐ新種の生物に進化を遂げるなんていうことにもなるかもしれないわよ・・・」
綾子さんは不思議な笑みを浮かべ微笑んでいた。
しかし僕が受けた衝撃は決して小さなものではなかった・・・・。
男性は皆シーメールと化し、男女の別なく人間の肉体は女体化する。
性差は生殖機能だけ・・・。
その後、性は女性に統合され、女同士のSEXで子供が産まれるようになる・・・・・・・
まさか、綾子さんも僕もそのような来るべき時代の魁だとしたら・・・
「もしかして、今後確実に来ると予想される、地球環境の悪化に対処するため、
人間が皆女性化を始めるなんてこともあるかもしれませんね。」
動揺のあまり僕の思考も発言も常軌を逸してきた。
「さあ、どうでしょう?ただ女性ホルモンには老化を防ぐ作用があることは事実みたいね。
女性が男性より生命力が強く、寿命が長いのもそのためだと言うし・・・・
最近健康食品として注目されているアセロラにはその女性ホルモンの活動を活発化させる効用があるみたいよ。あなたもためしてみたら・・・?」
綾子さんはあくまでも冷静だった。

僕は何の気なしにリビングルームにあるマントルピースの上を見てみた。
そこには1つの写真があった。
それはテニスウエア姿の綾子さんの写真だった。おそらくロサンジェルスの施設に軟禁されていたころの綾子さんの写真だろう。白のノースリーブのテニスウエア姿がまぶしい程の魅力的な綾子さんの美しさを際立たせている。
ブラで押さえていても、ノースリーブのテニスウエアからは綾子さんのサイズ94cm以上もある、豊満な形良いバストの柔らかくふくよかな美しさがはっきりと判る。
白のミニのスコートからはしぶくように美しくむっちりとした官能的な太腿と、まるでかも鹿を思わせるようなすらりとした長く美しい脚線美が伸びている。
綾子さんはラケットをたずさえネットによりかかるような形でポーズをとっている。すらりとしたスタイルの良いビーナスのような美女、綾子さんがテニスウエア姿でそこに写っていた。
綾子さんはその写真を手に取って見ている僕に気付き言った。
「それは遺伝子操作を施されて3ヵ月後のわたしの姿よ。1ヶ月前、あなたにこの別荘の寝室で話したことは覚えているかしら・・・?今のこの姿、女にされる前わたしがテニス選手だったこと・・・・」
「ええ、覚えてます。世界ユニバーシアード大会のテニス部門で優勝したんですよね・・・?」
「そう・・・・その直後何がわたしの身に起きて、そして今の女の姿にさせられたか・・・・そのいきさつも覚えているわよね・・・」
「はい・・・・」
「あの時あなたに言い忘れていたのだけど、遺伝子操作により無理やり女にされてからもテニスは続けたの・・・・いえ、続けさせられたと言った方が正しいかしら・・・今度は女子テニスの選手として・・・もっとも、テニスを続けることはわたし自身が望んだことなのだけど・・・
だけどわたしも馬鹿だったわ。テニスを続けることが出来ることだけに気をとられて・・・自分がその時どのような姿で、テニスをさせられるのか考えても見なかったのよ・・・・女にされる前は、テニスウエア姿の女性がいかに男たちの情欲を掻き立たせる存在であるかを知っていたはずなのに・・・」
「まさかこの姿でも・・・・・」僕は綾子さんに言った。
「そう・・・男たちの慰み物にされたわ・・・もっとも屈辱的な調教にも耐え、次の年にも今度は女子テニス部門の選手としてユニバーシアード大会で優勝したけど・・・・」
僕は黙って綾子さんの話を聞くしかなかった。寝室にある結城将という男性の写真、彼が誰で、彼の身に何が起きたのか・・・そのいきさつを1ヶ月前この別荘の寝室で綾子さんから涙ながらの告白と伴に聞かされていたのだ。
そしてこのテニスウエア姿の綾子さんの写真・・・
これらが両方ともこの別荘にあるということは、綾子さんが現在でもどのような立場におかれているかをはっきりと物語っていた。
「寝室の写真とこの写真、これらは大道寺氏から渡されたものなんですね?」
僕は綾子さんに聞いた。
「そうよ。無理やり「父」大道寺儀一から持たされたものよ・・・過去の自分の姿と現在の自分の姿とを見比べ、自分の立場を認識してみろということなのかしらね・・?「実家」に帰った時はいまでもテニスをやらされるわ・・父や父の取り巻きの男性たちの前で・・・もちろんこの写真のようなテニスウエアを着させられて・・・お人形としてのわたしの仕事ということかしら・・?
もっともわたしの方も結構楽しませてもらっているけど・・・」
綾子さんは寂しげに笑った。
「以前あなたに、「父」大道寺儀一に連れられて初めてこのS県にある大道寺邸に連れられてきた時のことを話たよね・・・?」綾子さんは続けた。
「はい、その時たしか綾子さんは確かビジネスジェットで羽田空港から直接S県まで大道寺氏に連れられて来たといいました。」僕は答えた。
「そう、その時わたしがどのような格好をさせられたか判る?」
「・・・・・」
僕は答えれなかった・・・綾子さんがその時どのような姿で大道寺儀一に連れられてきたか・・・・いやその時機内にて綾子さんがその姿でどのような目に合わされたかがいやというほど分かっていたが・・・・・その時の綾子さんの気持ち、そして綾子さんの受けた屈辱と恥辱を考えると、いたたまれなくなって、何も言えなかった。
しかし、綾子さんはそのおぞましい体験を断ち切るかのように自分の口からはっきりと言った。
「あなたにもだいたいの察しはついているようね・・・・そうよ・・・その時わたしはスチュワーデスの姿をさせられていたのよ・・・・そして機内にてわたしに対して何が行われたのか・・・・勘のいいあなたならわかるでしょう?」
もう我慢できなかった。僕は綾子さんに尋ねた。
「まさか、綾子さん・・・大道寺邸で今着ている婦人警官の制服を着ることを強制されているのでは・・・」
「そう、よく判ったわね。まるっきりという訳ではないけど、時々この女性警察官の制服姿にさせられているわ。そしてこの姿でも、わたしが何をされているか、何をさせられているか・・・お分かりよね?」
綾子さんはただテニスを続けたいと考えていた。たとえ自分の性、そして肉体が無理やり変えられても・・・しかし、嗜虐者達は綾子さんのそんな純粋な情熱を逆手に取り、綾子さんに様々なコスチュームの着用を強制し、自分達の淫靡な欲望を満たし続けているのだ。
「コスチュームプレイ責めというのかしら・・・今の姿にされてからというもの、いろいろな格好、衣装を着させられたわ・・・・。
ロスのあの施設において・・・夏はカルフォウルニアの海で泳がされたわ・・・・今にも取れてしまいそうな・・・・水着はいつも白のビキニで・・・わずかな白い布と肩紐だけで出来たブラジャー。横からは乳房がはみ出してしまう・・・紐一つすぐに脱がされてしまうハイレグの紐ショーツ・・・西海岸の荒波をかぶればすぐに脱げてしまうほどのわずかな布しか纏うことを許されず・・・・多くの男たちが淫靡な目で見ている前で・・・・
もっとも波がこなくてもそんな水着、男達の手によってすぐに脱がされてしまったけど・・・・それより前に薄い白地の水着でしょう。
水に濡れれば透けて見えるのよ・・・秋はさっきも言ったテニスウエアで・・
そして冬はフイギュアスケートのコスチュームで・・・
そして男達のおもちゃにされ・・・・・・・・慰み物にされ・・・
被虐のためのコスチュームにはいくらかかっても構わないということかしら・・・
わたしには様々な高価なファッションが与えられ続けているわ・・・「父」大道寺儀一から組織から・・・下着、ファンデーション、普段着からよそ行きのお洋服、ドレス、水着、ハイヒール・・そしてネグリジェにいたるまで・・・」
綾子さんはとうとう泣きじゃくり始めた・・・・あまりにの屈辱と恥辱のあまり・・・・
「ごめんなさい、嫌なことまで思い出せてしまって・・・・だけど、こんな僕でよかったらこれからは綾子さんの力になってあげる・・・・出来る限り・・・・我が身に代えても・・・」
僕はなだめるように綾子さんに言った、そのような言葉で綾子さんの苦しみを軽く出来るとは思っていなかったが・・・それでも言わなくてはいれなかったのだ。
「ありがとう。晶君・・・・その言葉だけで十分だわ・・・」
綾子さんは涙ながらもかすかに微笑んで言った。
「そうだ、今度は僕とテニスで対戦しません?もちろん綾子さんにかなう筈ないけど・・」
僕は綾子さんをなだめるかのように言った。
実はテニスなんて少ししかしたことがないのに・・・・
「いえ、わからないわよ・・・・・あなたはどのような潜在能力を持っているかわからないもの・・・そうね、あなたとテニスで対戦・・・楽しみにしているわ」
今度は綾子さんはにっこりと微笑んだ。

その日は綾子さんからそのままエリーゼを借りて街に戻った。
綾子さんはどうするのかと思ったら、別荘の大きなガレージにはちゃんとセカンドカーのBMWがあった。
さすが、綾子さん・・・お嬢様は違う・・・
エリーゼを綾子さんのマンションに戻し、元の姿に戻り自宅に戻る。
家に帰ったのは午後4:30。
思ったほど時間は経っていなかった。
夕食後、綾子さんに言われた通りクリスタル・トライアングルについてサイトを検索する。
さすが来日ツアーが近づいているため検索エンジンには多数のページが表示された。
しかし、何故か昨日、僕が偶然見つけたサイトは二度と見つけることが出来なかった。
ここまでなら良くある話だが、「お気に入り」及びHDDに保存したクリスタル・トライアングルについての記事をもう一度見ようとした時だった。
突如として僕のPCのモニターは真っ黒になり、PCは完全にダウンしてしまった。何故だ・・・・セキュリティ対策は万全だったはずなのに・・・・
僕は何の気なしにプリンターの方を見てみた。
不思議なことに1枚だけプリントアウトされている。
高鳴る心臓を抑えながら、その)ペーパーを見る。
「いろいろなことに首を突っ込むのもいいが、最終的にそのツケを払うのは自分だぜ・・・兄ちゃん」
はたして、謎の脅迫じみた文章だけが載っていた。
メールをプリントアウトしたものではない。URL,プリント月日・・
それらが一切無いのだ・・・・・・・・・・
どう見てもWORDや一太郎のファイルをプリントアウトしたものだ・・・
完全に僕のPC内部にあったファイルから印刷されたものだった。
僕は恐怖のあまり背筋が凍りつくのが判った。

そして結果はすぐ現れた。
綾子さんと会って1週間後、学校の帰り道、突然僕の眼前に大きな黒塗りのベンツが止まった。
ドアが開き中から黒のスーツにサングラスというものものしい出で立ちの男達が降りてきた。
「白鳥晶だな?」
男達の中で頭株と思われる男が僕に聞いてきた。
「はい」
「一緒に来てもらおうか?」
「あなた達はどういう人なんですか?警察関係の方ですか?」
僕は男に聞いた。
突然腹部に強烈な痛みが走った。
男が僕の腹にパンチを入れたのだ。
「ふざけるなよ、小僧。俺達をなめるのもほどほどにしろ。お前、まだ自分のしたことの重大さが良く分かってないらしいな。お前は虎の尾を踏んでしまったんだよ。怒らせてはいけない人を怒らせてしまったんだ。」
自分でも不思議なくらい冷静だった。
来るべきものが来たと開き直っていたからか・・・
それともすぐ暴力訴える輩の底の浅さが見えたからであろうか・・・・・
男は暴力と恫喝で僕を畏怖させているつもりだろうが、その姿はまるでピエロのように滑稽で薄っぺらだった。
「会ってはいけない人と頻繁につきあったからだ、とはっきりおっしゃったらどうですか?」僕は痛みに耐えながらも男に言ってやった。
「なにっ」男は肩を怒らせ再び僕に殴りかかろうとした。
僕は目をつぶり肩をすくめた。
「止めんか」
ベンツの中からドスの効いた声が聞こえた。

「なるほど大した度胸だ。さすがはあの人が目をかけただけのことはある。
しかし、これ以上君が我々の手を煩わせるなら、もっと手荒いこともしなくてはならなくなる。そうなれば君にとってだけでなく、君のご家族、そして今君が一番大切に思っているはずのあの女(ひと)を悲しませることになる。それは君にとっても不本意なことだろう。頼むから今少し大人しく我々と付き合ってもらえないか?なに、心配しなくてもいい。ほんの一時話し合い疑問が晴れたなら君を自宅に帰す。」
車の中にいた集団の頭目らしき男は言った。
「分りました。丁度僕の方でもあなた方にお聞きしたいことがあったのですよ。」
一瞬男達は変な顔をしたが、僕が乗り込むとすぐにベンツは発進した。

「別に隠す訳ではないがいろいろと問題があってもいけないのでね。行き先は隠させてもらうよ。」
頭目らしき男はそう言って僕にサングラスを渡した。
なるほどこれがアイマスクということか。サングラスをかけると、すべては暗闇に閉ざされた。
僕は男達に言った。
「僕は今日家族に帰りが遅くなるとは言っていません。しかしこの様子では帰宅が遅くなるのは避けれないでしょう。その方はなにか対処していただけたのでしょうか?」
「安心したまえ。受験対策のための泊り込みの講習があると家族には通知済みだ。もちろん君の通っている高校にもその旨連絡済みだがね・・・」
声からすると頭目の男だろう。
つまり学校には自分達の権力をひけらかし、口裏を合わせるよう圧力をかけたということだ。おあつらえ向きに今日も土曜日だ。明日は学校は休み。つまりこのピンチを僕は己の力だけで乗り切らなければならないということだった。
そこまで分ればもう何も迷うことはない。僕は完全に開き直った。
「すみませんが警察の方もよろしくお願いいたします。伯父が勤めてさせていただいているから言うのではありませんが、もう一人迷惑をかけたくない人がうちの街の警察署にいるので・・・」
その言葉を言うと同時に再び僕の腹に熱い衝撃が走った。
「調子に乗るなよ小僧。黙って聞いていればいい気になりやがって!お嬢様に迷惑をかけたくないだと・・・
のぼせ上がるのもほどほどにしろ!
警察の奴等がどうだって言うのだ。あいつらは俺がじきじきにヤキを入れてやる・・・さんざんお嬢様に無礼、失礼の限りを尽くしやがって・・・・
おまけに公安からうさんくさい女を寄越し、組織内で孤立していることをいいことに、お嬢様の孤独な立場につけこみ操りやがって・・・・
お前がその女とつるんでいることはもう分っているんだ。どうせお前の伯父貴とやらも仲間だろう。こっちはすべて把握しているんだ。隠し事はしない方が身のためだぜ」
声は間違いなくあの頭目の男のものだった。
単純な奴!さっきまでのこわ持てのクールさが台無しじゃん!
綾子さんのことを匂わせただけでもう逆ギレかよ!おまけにぺらぺらネタばらしをして・・・しかもその情報が間違っているのだから話にならない。
どこが「すべて把握しているんだ」だよ?
はいはい、僕は警察庁公安部所属の女性警察官、速見晶子巡査のパシリですよ・・・だけど言っておくけど、伯父は無関係だからね・・・・
あの伯父はただの助平なおっさん。かつていい時代に警察に入ったから今まで勤まってきただけ・・・・・
あなたが言うのが真実ならもっと出世してますって!
もっともこれは親父も同じか・・・・
もちろん僕もその息子だから同類だよ。
ただ「ヤキを入れる」のは賛成だ・・・
あなたがどういう人か分らないけど・・・おおよその予想はついているけど・・・
最近の凶悪犯罪の増加は警察がだらしないからだと言われていますからね。
よろしくご指導お願いしますよ。伯父共々・・・

その後僕も減らず口をたたくのは止め大人しくしていた。
ま、注意されたんだ・・
少し自重しなくては・・・あなた方の上司にも会わねばならないしね・・・
おそらく綾子さんは今晩、自宅のマンションにもあの別荘にもいない。
間違いなく「実家」に帰らされているだろう。
どのくらい時間が経過したのかわからない。僕は知らないうちにうとうとと、眠り込んでいた。
「おい!起きろ!着いたぜ」
僕は突然起こされた。サングラスをはずし車外に出ると回りは急に広々とした空間になっていた・・・・
良く見ると回りを塀に取り囲まれ、前方には大きく立派な和風建築が何棟も建っている。
それらは皆渡り廊下でつながれ、後ろを振り向くと大きな池を持ったこれまた広大で立派な日本庭園が広がっている。
塀の向こうは奥深い樹齢何百年というような広大な杉林が広がっていた。
あたりにはあちこちにかがり火がたかれ、目つきの鋭い男たちが立っている。
まるで時代劇の1シーンを思わせるものものしさだ・・
「こっちにこい!」
僕は男たちにこずかれ、前方の巨大なお屋敷に向かって歩かされ始めた。
建物に接近するにつれて、それがもう一つ塀に囲まれているのが分った。
その塀もくぐり同じように灯りに照らされ多くの男たちが警戒にあたる緑深い立派な日本庭園を通り建物に近づいた。
その時だった。
「晶君!!」聞き覚えのある澄んだ美しい女性の声が聞こえた。
振り向くと和服を着た美しい女性がこちらに駆け寄って来る。見覚えのある、いや、今一番会いたかった女性だった。
綾子さんだった・・・

着物姿の綾子さんを見るのは初めてだ。
綾子さんは裾に牡丹模様が付いた薄い桃色の訪問着を着て薄水色の袋帯を締め、レモン色の帯締を締めていた。今日はいつもながらの艶やかな流れるばかりのロングヘアーに桃色のリボンを結んでいる。正装した綾子さんはまさにおしとやかな深窓の令嬢そのものだった。和服姿の綾子さんは大したお化粧もしていないのに、いつにも増して輝くばかりに美しかった。
おしとやかで、上品で美しく・・・大和撫子とはまさにこの女性(ひと)のためにある言葉だと思う。
綾子さんは爪先の薄い婦人用草履を履いている。夜のライトアップの中、綾子さんの履いている絹100% 正絹の白キャラコ地の最高級品の4枚コハゼの純白の白足袋が白魚のように白く輝く。それはいつもとはまた違った綾子さんの清楚な美しさを引き立てていた。
「綾子さん!どうしてここに・・・?」僕は思わず声を上げた。
「小僧!抜けぬけとお嬢様の名前を口にしやがって・・」
僕は頭目の男に再度腹に鉄拳を入れられた。熱い火箸のような激痛が走る。
「止めて!権藤様・・お願いだから・・その少年には乱暴しないで・・・・」
綾子さんは必死にその男に懇願する。綾子さんの目はかすかに涙で潤んでいた。
「綾子お嬢様。お口出しは無用です。これは総帥のご命令ですから・・そして、お嬢様・・・・総帥はあなたにもお話があるそうですよ・・・この小僧のことでね・・・」権藤は薄ら笑いを浮かべながら綾子さんに言った。
「さあ、来い!総帥がお前をお呼びだ!」
権藤はいい気になって乱暴に僕を引き立てようとした。

「分りました。お父様のおいいつけなら仕方ありませんものね・・・だけどその少年をあまり怒らせない方がいいですわよ・・」
突然、綾子さんは権藤に言った。その時綾子さんは何時の間にか冷静な姿に戻っていた。
鬱蒼たる大森林の中にある古風な大邸宅の中、和服姿ということもあって、綾子さんは凛とした、美しさにあふれていた。それは見る者の背筋をぞっと凍らせるような、まるで氷のような冴えた美しさだった・・・
「馬鹿な!こんな小僧っ子に何が出来る!」
権藤は虚勢を張る・・・そう虚勢だ・・・その証拠に彼の足はかすかに震えている。
「お父様はわたし以上に、彼の潜在的な力を見抜いていらっしゃるということですわ・・・・・お父様が彼を呼んだのもその能力を自分の目で確認したかったからではないかしら・・・・」
綾子さんは答えた。凛とした氷のような冴えた冷静さは変えることなく・・・
「晶君、行きましょう。後はわたしが案内するわ・・・」綾子さんは言った。
「結構です。これはわたしの任務ですから。さっさと歩け!小僧!」綾子さんの言葉を払いのけるように権藤が言って乱暴に僕を小突いた。
何と言う奴だ。
「そう、ご苦労様。後ほどわたしも行くわ。」
そう言った時、綾子さんはかすかに微笑んでいた。

檜作りの広大な豪奢な玄関を上がらされ、僕は屋敷の奥に連れて行かれた。
数え切れないほどの部屋を通り抜け、数々の立派な座敷や中庭らしき日本庭園を横目に見ながら、何処まで行くのか分らない廊下を奥に向けて進んでいく。
立派な襖が次々と開けられ、何畳もある真新しい青畳を敷き詰められた部屋を通り抜け奥へ奥へと屋敷の最深部へと向かって僕は歩かされた。
いったい何処までいくのだろう。
(こんなところに無防備で追い詰められたらひとたまりもないな・・・)
僕がそう思った瞬間だった。
非常に陰惨なイメージが僕の全身を貫いた。
かつてこの屋敷でどのようなひどいことが行われたのか・・
どのように淫靡で非人道的なことが行われたのか・・
そのイメージがまるで映像のように僕の心の中に浮かんできた。

次々と開かれていく襖。
何人かの男たちが着物姿の美しい女性を追いかけている。
その美女は男たちの淫靡な魔の手から逃れようと、必死に屋敷の奥に向かって疾走する。
しかし和服姿ということもあって足はもつれがちになり身動きがとれず、見知らぬ屋敷の中、美女が逃れることなど出来るはずもない。
男たちは薄ら笑いを浮かべながら、まるで猫が鼠をいたぶるように美女を追いかけ、美女は奥の座敷へと追い詰められていく。
やがて美女は男達に追いつかれ、必死に抵抗するが帯も解かれ、着物も無理やり脱がされていく。
「いやぁー!やめてー!ゆるして・・」
美女は振り向きながら、必死に男達に助けてくれるよう懇願する。
美しい顔は恐怖のあまりゆがみ、涙にあふれている・・・
そしてその美女は・・・・
綾子さんだった・・・・
男達はまるで狼が子羊を餌食にするかのように、泣き叫ぶ綾子さんに襲い掛かった・・・
「いやぁぁー・・・・やめてぇぇー・・お願い・・許して・・」
綾子さんの悲痛な叫び声が広い座敷内に響き渡った。


そうか、ここで・・・この場所で・・綾子さんはそのようなひどい目にあわされていたんだ・・・・
つらかっただろうね・・・綾子さん・・・
以前綾子さんが僕に言った言葉が自然に心の中に浮かんできた。
(無理やり女にされてからというもの・・・・
わたしはずっと屈辱と恥辱、後悔・・・・
それでありながら女という性・・・・
そして女性としての肉体がもたらす快楽に溺れ
そんな自分自身に対する嫌悪感、そして開き直り、そしてそれらの反動として女性としての優越感
そのような相矛盾した歪んだ感情に支配されてきたわ。
だけどあなたに出会った今だから言える。
女性になれて本当に良かった。
女としてこんなに満ち足りた幸せな気持ちに包まれたことはないわ。
ありがとう、晶君・・)
僕は綾子さんのその言葉を噛み締め、心の中に刻み込んだ。

そして僕は重厚で立派だが割とこじんまりした座敷に引き出された。
ここがこの広大な屋敷の最深部だろう。広さは約20畳くらい、
確かに立派ではあるが、他の部屋に比べて少し規模が小さい感じがした。
その座敷には、つるつるの剃髪頭で恰幅の良い貫禄のある人物が羽織袴で座っていた。
その人は重厚な床の間を背にして、ふんぞり返るように安楽椅子に座っている。
間違いない。おそらく綾子さんの「御尊父」大道寺儀一氏のその人であろう。
大道寺氏の周りには、用心棒であろう目つきの鋭い、黒ずくめの屈強な男たちが、かしこまり待機している。
衣服の下に、拳銃、機関銃など物騒な武器を隠し持っているであろうことは容易に感じられた。
「この小僧か?わしの娘をたぶらかそうとした命知らずは・・・」
大道寺氏は底から響くような低い声で言った。
「たぶらかすだなんて・・・・残念ながらそれだけ女性にもてるなら嬉しいですけどね・・」僕は笑いながら軽口を叩く。
誰もが心臓が縮みあがるようなこの状況で、どうしてそのような態度を取れるのか?僕は我ながら自分自身の精神状態を疑った。
どう考えても普通ではなかった。
「小僧!まだ調子に乗りやがって!」
権藤がののしり、僕を足蹴にして畳の上に突き飛ばす。
僕は蛙のように畳の上に這いつくばさせられた。
「止めんか!」
大道寺氏が屋敷を震わすような怒号で権藤を一括する。
「すまんな。この男も悪気はないのだが・・・まあいい。座れ」
大道寺氏は笑いながら言った。
僕は真新しい青畳の上にきちんと正座した。後ろでは権藤が座る音が聞こえた。
「なるほど、評判通り大した度胸だ。気にいったぞ、小僧」
大道寺氏は再びにやりと笑った。それに対して権藤は意外な顔をした。
大道寺氏が僕に対して見せた反応が意外と好意的だった事が、信じられなかったに違いない。
「よかろう。改めて名乗らさせてもらう。わしが綾子の父親、大道寺儀一だ。白鳥晶とはお前のことか?」
果たして大道寺儀一氏は言った。
「そうです」僕は緊張して答える。
「お前のことは聞いていたが一度どんな奴か見てみたかったのでな。それでご足労願った訳だ。」大道寺氏は続ける。
「そうですか。丁度良かった。僕もあなたに一度お会いしたいと思っていたところなんですよ。」僕は答えた。
いったいどうしたというのだ?どう考えても今日の僕は普通じゃない。こんな状況で・・・何故、こんな馬鹿な冗談口を叩けるのか?開き直りにも程がある。
案の定、権藤が僕に殴りかかろうとした。
しかし・・・・
「ははは・・・わしに会いたかったか・・これはいい・・ますます気にいったぞ・・・小僧」
大道寺氏は天をも揺るがせるような大声で豪快に笑い出した。
権藤はびっくりしたような顔でその様子を眺めている。

「どうだ?和服姿の綾子は・・?」
大道寺氏は突然僕に聞いてきた。
完全に逆ギレ状態の権藤を前にしてうかつなことは言えない。
僕はどう言ってよいか分らず少しとまどっていた。
「権藤のことは心配するな。率直に思ったことを言えばよい。」
今度は穏やかに大道寺氏は言った。
「総帥!!」すかさず権藤は言いかけようとした・・。
「馬鹿者!少しは恥を知れ!年端も行かない子供相手にいきり立ちおって。少し度が過ぎやせぬか?大人気ないというより、己の器量の程の底が見えていることにまだ気付かないのか?!」
大道寺氏の一喝が響く。
とたんに権藤はまるで借りてきた猫のようにしゅんと押し黙ってしまった。
なんだよ、弱い僕には居丈高になっていて大道寺氏に対してはそれかい?
あなた、態度に裏表あり過ぎ!!
「手間をとらせたな。さっきも言ったがこの権藤も悪気はないのだ・・ただ、自分の任務のことを考えると後先分らなくなる奴でな。大目に見てやってくれ。さて、着物姿の綾子に対しての感想を聞こうか。」大道寺氏はこわ持ての態度から一転して柔和な笑顔を見せた。
「はい、とても素敵です。スーツ、ワンピース、ドレスなどの洋装や女性警察官の制服姿の時の綾子さんも綺麗ですが、いつものそのような姿とは違ったおしとやかな美しさにあふれています。」
僕は言われる通り率直に思ったことを言った。権藤は苦虫を噛み潰したような顔をしている・・
「ははは・・・正直な小童だ・・・ふむ、なるほど・・・・・洋装とは違った新鮮な美しさか・・・この屋敷内では綾子には和服しか許していないのでな・・・・
そのためわしは着物姿の綾子の方が見慣れているのだ・・・・
たまには、洋装をした綾子の姿もいいかもしれんな」
大道寺氏は一人で納得したかのようにいった。
「綾子お嬢様はまさに美術品です。どのような服をお召しになっても綾子お嬢様の気品ある美しさは変わりません」
権藤もお追従を言う。
そうでしょう、そうでしょう。綾子さんは美人だから何を着ても良く似合います。だけどあなた方がその綾子さんに対してみだらな劣情を抱いて、いや綾子さんに対してどのようなことしているのかは、見え見えなんですよ。
大道寺氏は続けた。
「綾子にはアメリカ留学中から和装を身につけさせた。着付けも一人でできるようにな・・・日本の女としての最低限のたしなみだ。その他にも、日本舞踊、琴、華道、茶道一通り身に付けさせておる。」
以前綾子さんに聞いた通り、そして先程僕が感じたイメージ通りだった。
着物姿の綾子さん・・大和撫子と呼ぶにふさわしいおしとやかな綾子さん・・・その綾子さんは・・・和服姿の綾子さんは・・それらお稽古事の間に、どのような「こと」をされたのか・・・どのような「お稽古事」を習わさせられたのか・・・権藤、いや大道寺氏が知らないわけがなかった。
「綾子は昔から(綾子さんが今の姿にされる前からだろう)ピアノ、フルート、ハープ、バイオリン一通り弾きこなした。しかし日本の心とでもいう筝曲、お琴は身につけさせておきたかったのでな。それに淑やかさを身につけるには、踊り、茶道、お花は欠かすことの出来ないものだ。
そして書道も綾子を躾るのに欠かすことが出来ない稽古事だった。
何故欠かすことが出来なかったかだと。この書道は和服姿で綾子にたおやかな女らしい字を書かせることだが、書かせ方が問題じゃて。まあ女のある所に筆を咥えさせて行う稽古ということじゃ。ひっひっひっひっ・・」
大道寺氏の顔が少しゆるんできた。先程心に浮かんできたあの淫靡でいやらしいイメージが再びよみがえってきた。大道寺氏が思わず漏らした笑いは思い出し笑いとでも言ったほうがいいのだろうか・・・権藤と同じ淫靡なものをまぎれもなく大道寺氏が持っていることを僕は感じていた。
「この屋敷にいるときは当然だが、他の場所でも正月には綾子には付下げ、訪問着、留袖などの和服を身につけさせている。それは日本にいるときだけではなく、アメリカ留学中、いや警察庁に奉職してからのアメリカ研修中でも同じだ。第一、あの娘は成人式を留学中に迎えたのだ。その時はロサンゼルスでも綾子には振袖を着付けさせ成人式を祝ってやったぞ。」
どのような「成人式」だったのか・・だいたい想像はついた。
「そして東大の卒業する時。綾子は矢絣に海老茶色の行灯袴、正絹四枚コハゼ白絹キャラコ地の白足袋にかかとの薄い婦人用草履を履き、艶やかな美しく長い髪に桃色のリボンを結んで卒業式に出席したのだ。そう海老茶式部と呼ばれた大正時代の美しい高等女学生の姿で卒業式を迎えたのだ。
ただ女学生といっても女子大生なので奈良女子高等師範学校の女学生と言った方が良いかも知れぬが・・・
もちろん、綾子にはその女学生の姿のまま内々で卒業を祝ってやった。
もっとも司法試験に首席で合格したときも、司法修習所を首席で卒業したときも綾子にはこの海老茶式部と呼ばれた大正時代の美しい高等女学生の姿をさせ祝ってやった。」
大正時代の女学生の姿をした綾子さんか・・さぞかし綺麗だったろう・・
人気少女マンガ「はいからさんが通る」に出てくるヒロインに負けないくらい綺麗でキュートだったのではないか・・・
「さて小童、綾子の話だとお前は少々妙な術を使うようだな?」
大道寺氏は再び改まった顔つきで突然僕に聞いてきた。
ついに来ましたよー・・・この質問が・・・・
「綾子の話」だなんてもったいつけなくてもいいじゃん!
綾子さんに問い質す前に僕のことなんかとっくの間に調べ上げているんでしょ。
「「根暗の蜜柑」はご愛読なさってますか?」僕のほうも核心に切り込んでみた。
大道寺氏の顔色が変わる。どうやら大道寺氏もあの雑誌のことについて少し知っていることは確かだった。
しかし権藤の方は何のことか分らずぽかんとしている。相変わらず鈍い奴!
「不届きな!逆に質問してくるとは何事だ!聞いているのは総帥の方だ」
慌てて権藤はいきり立つ。間抜けなことこの上も無い。
「止めんか!!」再度大道寺氏の一喝が響く。
やーい。怒られてやんの!
再び権藤は大人しくなってしまった。
「そうだな、あの雑誌のことか・・・なるほど、改めて今月号を読み直してみよう」大道寺氏は一人でうなずくように言った。
「まあ、お前に硬気が発現したことはあの雑誌にも載っておったが、綾子から先月お前に会った時の話を聞かされてな・・・是非とこの目でお前のその爆発的な能力を見てみたかったのだ・・・ところでお前の姉、警察庁公安部刑事、速水晶子のことについてのことだが・・・」
さすがは大道寺氏だった。
僕の「姉」速水晶子・・・・そう来ましたか。
なるほどそうすれば権藤には話の本質がまるで見えなくなる。
「根暗の蜜柑」についての各種の現象について、そして僕に今現在起きていること、そして「速水晶子」という女性が何者であるかについて、大道時氏は間違いなく知っている。
それらのことを呑み込んだ上で、大道寺氏一流の腹芸だった。
特に自分の部下、権藤に対しての・・・
「え!あの女、公安のあの女がこいつの姉?」
案の定、権藤はびっくりしている。
醜態この上ない。自分だけはすべてを把握しているつもりになっていたのが、全く何も知らなかったことが明白になってしまったのだ。
みるみる権藤はそわそわと落ち着き無い様子でうろたえだした。
「こやつが何を言ったかは知らぬが、お前の姉には礼を言っておいてくれ。常々綾子が世話になっているとな・・・I市警察署長としての今の部署に就く前、警察庁公安部にいるころから、綾子はお前の姉には世話になり放しだと言っていた。
過去、学生時代にいろいろのことがあったこともあってな。公安時代から綾子は部局内で孤立しがちだった・・・・それをお前の姉は綾子のただ一人の部下、いや懐刀、仲間として、綾子に尽くしてきてくれたのだ・・・」
うまい!さすが大道寺氏!このストーリーなら何故綾子さんと僕に接点が生まれたのかも自然に説明出来る。
しかし・・・嫉妬に狂った権藤がそのような説明で納得するわけなかった。
「違います!綾子お嬢様の公安勤務時代のことはわたしの方が良く存じ上げています!速水晶子・・・あんな女などお嬢様の回りにはいなかった!
その頃はわたし、この権藤真二こそが綾子お嬢様を見守って差し上げたんだ!
そうか!どうもおかしいと思っていたが、小僧お前はあの女の弟だったのか。
これですべてが読めた!どうせ○○や△△の差し金だろう・・・・
総帥、やはり気を付けなくてはいけませんよ!
あいつらは総帥の追い落としを狙って、愛娘である綾子お嬢様に狙いを絞り、この小僧の姉である速見晶子をお嬢様の下に送り込んで来たんだ!」
権藤の方も新しいストーリーを作り出し、自分一人で納得したつもりになっている。
それにしてもあなた不用意な発言が多すぎますよ!
○○氏とか△△氏とか、何で他の政治家の名前が出てくるの?
その人達が大道寺氏にとっての政敵であるくらい僕にも容易に予想出来るけど・・
「控えろ!権藤。わしは今この小童と話をしているのだ!」
案の定、大道寺氏もいいかげんうんざりした様子で権藤をまた一喝した。
「すみません、総帥。出すぎたことを言いました・」
思わず権藤は首をすくめる。
ああ・・・また、怒られてやんの・・!
「お父様の言う通りですわ、権藤さん。ここにいる白鳥晶君のお姉様、速見晶子さんにはわたしは以前からお世話になっていたのです。」
突然後ろから澄んだ美しい声が聞こえた。
権藤も僕も慌てて後ろを振り向く。
そこには和服姿の綾子さんが静かに座っていた。
「お嬢様!!」権藤は驚きの声を上げた。綾子さんがまさかこの部屋に来るとは思ってもいなかったに違いない。
綾子さんは先程「後ほどわたしも行くわ」とはっきりと言っていたんだけどね・・・・
その驚きは言っていることとは裏腹に、権度が今までいかに綾子さんを侮り、蔑ろにしてきたかをはっきりと示していた。
着物姿の綾子さんは一段と燐とした気品ある美しさに溢れていた。
「お姉様といっても晶子さんは実はあなたの従姉にあたる方・・苗字が異なるのはそのため・・・そうだったわね?晶君」
そう言うと綾子さんはにっこりと微笑んだ。

「思ったより早かったな、綾子・・・」大道時氏は綾子さんに言った。
「はい、支度が意外と早く出来ましたので・・」綾子さんは答えた。
着ている和服が先程と違う。綾子さんが着ている着物は先程と同じ付け下げの訪問着だが、前着ていたのが薄桃色の訪問着に対して今度のは生地の色が薄い緑色の訪問着で模様のデザインもより豪華になっていた。
綾子さんは先程とは異なりつややかなロングヘアーをいいとこの若奥様のようにアップにまとめていた。それは綾子さんの理知的な上品な美しさを引き立たせ、先程より綾子さんは大人びた雰囲気を漂わせていた。
僕は思わず息を飲んだ。清楚でありながら、それでいてあでやかでたおやかな綾子さんの美しさに引つけられたからだ。

「そうか。今丁度、和服姿のお前のことで話がはずんでいたところだ。
この小童、訪問着を着たお前がたいそう気に入ったそうだ。」
大道寺しは笑いながら綾子さんに言った。
「ま、お父様たら・・」
綾子さんははにかみながら微笑んだ。
綾子さんのそのような姿を見て、そのあでやかさ、たおやかさに虜にならない男性はいないだろう。その証拠に苦虫を噛み潰したような表情をしていた権藤の顔が、綾子さんが来ると同時にだらしなく緩んでしまった。
「綾子お嬢様。今日は一段とお美しい・・」
権藤はお追従を口にする。
よ!この世渡り上手!
しかしお世辞抜きに和服姿の綾子さんは一段と綺麗だった。
おしとやかでありがらあでやかでたおやかで、それでいて清楚な上品さにあふれている。
権藤でなくてもめろめろになってしまいそうだ。
いかん!いかん!鼻の下なんか伸ばしている場合じゃない!
「どうなさったの?権藤様まで・・・そんなことおっしゃっても何も出ませんよ。」綾子さんは一段と美しく微笑んだ。
「あ、はい・・」たちまち権藤はしどろもどろになる・・・
このー・・大道寺氏に対してもだけど、綾子さんに対しての態度、僕の時と全然違うじゃん!このカメレオン男!

「まあ、そう言うな。確かに最近、お前は急に美しくなってきたことは事実だ。特に今日のお前は一段とあでやかだ。どうやらやっと女としての自覚が生まれてきたようだな・・・」大道寺氏は言った。
しかしこの言葉を聞いたとたん綾子さんから微笑みが消えた。
「何をおっしゃりたいですか?お父様。」
綾子さんはいぶかしげに大道寺氏に尋ねる。大道寺氏は続けた・・・
「お前にやっと女として生きていく心構えができたということだ。お前は今、やっと精神的にも女として安定してきたようだ。そのきっかけは何だろうかな?」
「お父様・・」
「俗に女が美しくなるときは男に恋している時だと言われる。どうやらそれはお前でも同じだったようだな・・・」
あちゃー!とうとう言ってしまいましたか・・・・
どうして不用意にそんな爆弾のようなことを言うのですか!
そんなこと言うから権藤の顔が段々引きつってきた・・・
「お父様!何をおっしゃるのですか!そのようなことはありません!」
綾子さんはすぐ大道寺氏に抗議するように言った。
以前も言ったけど、本当に美しい女性は怒ったときでも美しさが際立つそうだ。
事実、その時の綾子さんは柳眉を吊り上げ必死に大道寺氏に抗議しようとしていたが、その一方で凛とした冴えた美しさにあふれていた。

「ふ、まあいい。お前も人並みに娘らしくなってきたようだ。安心したぞ」
大道寺氏は豪快に笑った。
しかし権藤の逆ギレ状態は収まるどころかさらに激化したようだ。
まるで親の仇を見るかのような目つきで僕を睨み付けている。
何だよ・・・・何で僕を睨み付けるんだよ・・・・
まさか僕を恋敵扱い・・・いやー!もてる男はつらいねー!
あなた、想像力旺盛過ぎ・・・・
綾子さんが何回か僕と付き合ってくらたからって、今度でやっと3度目だぜ。
あなたのほうがはるかに以前から綾子さんと親密に接してきているはずじゃないか?
たとえ綾子さんが僕に好意を持ってくれているとしたって、ライク=ラブという訳じゃない。そこまでしょっていませんて・・・・・
しかし権藤は僕に対しての刺すような嫉妬丸出しの視線を変えようとはしない。
綾子さんはその色白の上品な美貌に不安な表情を浮かべ心配そうに僕と権藤を交互に見ている。

「ところで小僧、お前は今いくつだ?」
大道寺氏は助け舟を出すかのように話題を変えてくれた。
「17歳です」渡りに船とばかりに僕は答えた。
「ほう、来年は受験か。志望校は決まっているのか?」大道寺氏はさらに聞いてきた。
「まあ、大体は・・ただその他に県警の警察官採用試験は受験しようとは思っています。」
「ふむ。最近の若い者に似合わず堅実な考え方を持っているようだ。どうだ?わしの元で男を磨いてみないか?」
だからー・・・せっかく雰囲気がやっと和らごうとしたのに・・・どうしてあなたはそう事態を悪化させるようなことばかりおっしゃるのですか!?
そんなこと言うからほらほら・・・また権藤氏の顔が一段と引きつってきた・・・
元々は結構ハンサムなのにね・・・彼氏も・・・いい男台無しじゃん。
「総帥!こんな小僧など何の役にも立ちませんよ!」
やったー!とうとう逆ギレ爆発ー!
権藤は突然立ち上がり、まるで吐き捨てるかのように叫んだ。

「まあまあ・・・お父様も権藤様も、晶君の進路は彼自身が決めることですから・・・」
綾子さんはにこやかに微笑みながらなだめるように言った。
さすが、美女の微笑みは偉大だ。張り詰めていたあたりの雰囲気が一変に和らいだ。
権藤もしぶしぶ再び畳の上に座った。
しかし立ったり座ったり忙しい人ですね、あなたも・・・・・
この男、大道寺氏と綾子さんの言うことなら良く聞くらしい。
そういえば僕の通っている高校にもいたな。こういうタイプの先生が・・・・・
コギャル買いをしているとか、うちの学校の女子生徒に手を出しているとか、とにかく悪い噂が絶えないようだけど・・・
あなたもその口じゃないでしょうね?
綾子さんにばれたら一発で嫌われるよ!

「晶君、たまにはあなたのお姉様のことも聞かせていただけないかしら?」
綾子さんは一段とあでやかに微笑みながら僕に向かって言った。
「確かあなたのお姉様は今年19歳よね?
なら来年は成人式。
晶子さんは式にはやはりお振袖を着ていかれるのかしら?」
・・・・・・
綾子さーん・・・・・僕に何か恨みでもあるんですかー?!
速水晶子の正体が僕と分っていてどうしてそんな人をどつぼに陥れるようなことを言うのですかー?この、いけずー・・・・!
あなた権藤より性質悪いですよー。
そんなこと言われたら来年の1月には本当に振袖姿の美女にメタルフォーゼしてしまうじゃん!
コスプレはせいぜいバニーガールかバレリーナそして女性警察官程度にしておきたいのに・・・・・
い、いかん!どうやら僕の方も本格的にとろけ気味になってきたようだぞ!
これは権藤のことなど笑っていれなくなってきた!
「姉と言ったって、数年前までは従姉だったんですからね・・アメリカにいた商社マンの叔父とアメリカ人の女性との間に出来た娘だったんです、姉は・・・・
つまり、ハーフということですね・・・
しかし、3年前、交通事故で叔父とアメリカ人の叔母は亡くなってしまったんです・・・・」
これは事実だった。確かに母方に商社マンでアメリカ在住中、現地の女性と結婚していた叔父がいた。その叔父の名は速見良平。しかし3年前不慮の事故(一応は交通事故となってはいるが、真相はさだかでない)でその叔父もアメリカ人の叔母も同時に亡くなってしまった。
確か二人の間に子供はいなかったが、ここに僕の「従姉」であり「姉」である速見晶子が設定されることになった。
このシュチュエーションは以前、初めて会ったときに綾子さんからレクチャーされたものだ。
もっとも本当は綾子さんの方が僕にとって姉のような存在になってきているが・・・・
「お気の毒に・・・・でもそれで、何故あなたのお姉様、晶子さんが日本人離れした美しさを持っているか良く分ったわ」
綾子さんが気の毒そうな顔をして言った。
しかし、上手いなー、綾子さん・・・・
権藤や大道寺氏だけでなく僕もだんだん綾子さんのペースに乗せられて来ている・・・
「日本人離れした美しさ」だって!それは綾子さん、あなたのことじゃないですか・・・・
ナルッ気抜きに、確かに僕の「姉」速見晶子が美人なのは認めるが(あ、自分で言っていて歯が浮いてきた・・・・)、あなたには遠く及びませんて・・・
自己嫌悪・・・・・・

僕は続けた・・
「突然両親を亡くした晶子は僕の家に引き取られることになったのです。そして日本国籍を取る関係上、うちの家族の養女となり、晶子は僕の姉となったのです。
ただ姉と言いながら晶子とは1年も同居しませんでした。
すぐ東京の高校に編入してしまい、そのまま警察官になってしまったのです。そしてすぐに速見姓に戻ってしまいました・・・・・・・」
これも綾子さんのレクチャー。
嘘ではない。警察庁の人事関係のデータベースには僕の架空の姉、そして架空の女性警察官「速水晶子」が存在するらしいのだ・・・
そしてこのことに綾子さん、大道寺氏のみならず綾子さんの実のお父さん、
結城警察庁長官も関係しているらしい。
もちろん綾子さんが言っていた「あの方」という女性も・・・・
いやはや、恐ろしい時代になったものであります。
しかしこんな穴だらけのレトリックしか聞かしてもらえないとなると・・・・
権藤・・・こやつ、もう大道寺氏からは切られているな・・・・
綾子さんもそのたおやかで上品な美しい表情の下で何かを考えているか分からない・・・
僕は居住まいを正し話を続けた。
「実は先日、インターネットをしていたら僕のパソコンに突然不思議なメールが届きました。香港発の国際メールで、「クリスタル・トライアングル」という現地のアイドルユニットのメンバーの女の子達から発信されたメールでした・・・・・」
僕がここまで言いかけた時だった。
僕は不思議に思った。
僕の「姉」、もう一人の僕である、速水晶子についてのことだ。
彼女の公式の経歴(始めて綾子さんに会った時、j市警察署署長室で綾子さんに見せてもらったもの、県警交通課に女性警察官として採用されていたという経歴)、「実際」の経歴(警察庁公安部所属という経歴)の2つが存在しているのはわかる。
速水晶子がそのような2重の顔をもつ特殊な任務を帯びた女性警察官だということになっているからだ。
しかし権藤はその特命女性警察官、速水晶子の存在をどのようにして掴んだのだろうか。
そして彼女が同じく警察庁の女性警察官であり、キャリア組であるエリート女性警察官である大道寺綾子警視の直属の部下であり、綾子さんがj市警察署署長として赴任してくると同時に、j市警察署署交通課に配属されていた(あたかも最初から警交通課に女性警察官として採用されていたかのように経歴が作られて)という情報もどこでキャッチしたのだろうか。
大道寺氏ということはありえないはずだ。この場の様子からみて・・
しかし、もし大道寺氏が権藤と裏で示し合わせて僕に罠をかけようとしていたら・・・・・
どうやら切り札を切る時がきた・・
「すみませんちょっとトイレを借していただけないでしょうか」
僕は大道寺氏に言った。

「そうか、おいお前、この小僧を厠に案内してやれ」
大道寺氏は部屋に隅にかしこまっていた男たちの一人に命じた。
「はっ」
その男は大道寺氏に答えて立ち上がり僕に言った。
「おい、小僧。トイレはこっちだ。ついてこい」
「はい」僕は答えその男の後について行こうとした。
「待て、それならばわたしが・・・」
案の定、権藤が言いかけた。
「権藤、お前はここにいろ。少し話しがある」
大道寺氏が恐ろしい声で言った。
「しかし、総帥・・・」
権藤はなおも食い下がろうとする。
「案ずるな。この広い屋敷、しかもこの小僧にとっては全くの見ず知らずの場所だ・・・これだけ屈強の者たちが控えて逃げることなど不可能だ。お前が付いていくほどのことはない。」
大道寺氏は権藤に言った後、僕にも言った。
「という訳だ。お前がそのようなおろか者とは思わないが万が一にもこの屋敷から逃げることなど不可能だ。用を足したらおとなしく帰って来い」
僕は綾子さんを見た。
綾子さんの瞳がかすかに光ったような気がした。

奥の奥のまた奥・・・
いったいトイレにいくのにどこまで行かなくてはならないんだ。
しかもこのお屋敷いったいどのくらいの大きさなんだ?
数々の座敷、部屋を横目に見て、無限に続くかのごとく思える廊下を渡り、やっとトイレの前に出た。
まるでどこかの高級旅館のトイレだ。男性女性両方に分かれており、暖房設備、手洗い場も完備してある。
この規模なら一度に20人以上の人が用を足せるだろう。
しかもきちんと掃除がいき届いていて。ぴかぴかに輝いている。
「さっさと済まして来い」男は言った。
僕は当然、扉のあるほうに入った。
さあ、姉さんを呼ぶか・・・・
僕は意識を定めた。

一瞬光が輝く。
むっちりとした豊満かつグラマーなボディライン。
豊かなバストとヒップ、それに反比例するかにように良く締まったウェスト。
紺色の女性警察官の制服。
流れるようなロングヘアーの上には女性警察官の制帽。
一瞬のうちに僕は女性警察官、速水晶子に変身していた。
そして再び意識を集中する。
あたりに閃光が走る。
扉を開けて出てみると先ほどの男は白目を剥いてのびていた。
速水晶子に変身してから後の僕の運動、察知能力は飛躍的に高まる。
トイレに来るまでは20分以上もかかったのに先ほどの部屋に戻るのに1分もかからなかった。
僕は思い切り襖を開いた。
「お、お前は・・・速水晶子・・・貴様・・・どこから・・・・」
権藤がうめくように声を上げた。
権藤のみならず大道寺氏、その場にいた15人ほどの男たちは皆あっけにとられたような顔をしていた。
ただ一人・・・
綾子さんだけはまるでこのことを予想していたかのように、美しくあでやかに微笑んでいた。
「遅かったわね、晶子。晶君は無事お家へ帰れて・・・・?」
綾子さんはにこやかに微笑みながら言った。
「はい、もう今頃は帰りのバスに乗ったころでしょう。」
僕も微笑みながら答える。
「貴様、どこから・・・そうか・・・あの小僧のあとをつけていたな・・
しかし・・・・」
権藤は怒りにわなわなと体を震わさせている。
僕は畳に上に膝をそろえきちんと正座し大道寺氏の方を向いて言った。
「はじめまして。速水晶子です。いつも弟がお世話になっております。弟は何か急用が出来たらしく、代わって姉であるわたしが御用の向きお伺いいたします。」
大道寺氏も先ほどまでの威厳はどこへやら、かすかに体を震わせている。
「そうか、お前が速水晶子か・・・・綾子がいつも世話になっているそうだな・・・・
改めて礼を言うぞ・・・・そうか、あの小僧は帰ったか・・・・おい、厠を見て来い・・・・」
大道寺氏は震える声で部屋にいた男の一人に言った。

「御前大変です!!護衛の者たちがあちこちで皆気を失って倒れています。」
様子を見に行った男が蒼白で部屋に駆け込んできた。
「何っ!!」大道寺氏が目を剥く。
「小娘!!貴様何をした!」
大道寺氏が大声をあげた。
「だってあの人達エッチなんですもの。わたしがこの部屋に来ようとするのに嫌らしくまとわりついて、うざったいたらありゃしない・・・」
僕は口を尖らせるようにうそぶいた。
「晶子、あなた年頃の女の子なんでしょ。もう少しおしとやかに出来ないの?」
綾子さんはわざとあきれたように言った。もちろんお芝居だけどね・・
「貴様よくものこのこと、・・・・・馬鹿め・・・飛んで火に入るとはお前のことだ・・どんな術を使うか知らないがここから生きて出られると思うな・・・」
権藤はいきり立つ。
だけど格好をつけてすごんでいるが両足の方はがくがく震えている。
そりゃそうだ。
ここは政財界の黒幕、大道寺儀一氏のお屋敷だ。その守りの鉄壁さはそんじょそこらの暴力団事務所の比じゃないはずだ。
現に僕の回りの黒服の男達もH&KMP5やらM16A1やらUZIやら89式小銃やら色々物騒な「道具」を持ち出してきている。
あれって当然本物だよね。
間違ってもエアガンということはないだろう。
その中に単身、女の子が一人で乗り込んできて無傷でいられると思う?
だが僕はかすり傷一つ、息切れ一つしていない。
この女性警察官、只者ではないということは嫌でもわかるよね。
やせてもかれてもプロなんだからさ・・・
だから権藤をはじめその屈強な男達ががたがた震えている。
たった一人のか弱い女の子相手に・・・
その癖下半身の方もなんだか「いきり立たせている」(爆)
嫌らしいなー・・・・
このスケベ!!
可愛い女の子が一人で乗り込んできて、あなた達が何を考えているかだいたい分かるけどさ・・・
エッチなこと考えながら身震いするのだけは止めましょうね。
もっともそれで綾子さんに対して今まであなたたちが何をしてきたかおおよそのことは見当がついたよ。
綾子さんは男たちのうろたえぶりをよそにその美しく上品な顔に涼しげな表情を浮かべきちんとお座りしていた。しかしその美しい瞳には今まで僕が見たことも無い鋭い光が浮かんでいた。
そうか綾子さんこの日が来るのをずっと待っていたんだ・・・
長い間、屈辱と恥辱に耐えながら・・・
なら僕も遠慮はいらない。
女の子を怒らせたらどういうことになるか、今日こそこの男たちに思い知らせてやる。

結局大道寺氏からはあまり目新しいことは聞くことは出来なかった。
愚かにも室内で銃を乱射しようとした権藤をはじめ、そこにいた10人ほどの男達を僕は発現したスーパーパワーで瞬時に叩きのめし事なきは得たものの、大道寺氏の落胆ぶりははた目でみても気の毒なくらいだった。
「馬鹿めが!こやつらがこれほど使えない奴らだとは思いもよらなかった!」
大道寺氏はだらしなく悶絶し、一帯に寝転がっている男達を見て、いまいましそうにつぶやいていた。
そして・・・・
「小娘、できるな。さすがあの小僧の姉だけのことはある。よかろう。
わしもお前の知りたいことにどれだけ答えれるか自信はないが、出来る限りのことは話してやる」
大道寺氏はようやっと落ち着いた様子で、僕の方を向き話し始めた。
「お前がにらんだとおり、遺伝子ロボットの技術、これはその一部ながら相当まで漏洩したようだ。綾子が入院していた施設は爆破されたものの、内分泌される性ホルモン比を人工的かつ永続的に操作する方法は、事前に何者かが漏らしていたようだ。残念なことだが・・」
「漏洩された情報の行き先は分りますか?」
「それが簡単に特定できるなら苦労しない。このような技術なら誰もが欲しがることなどお前も予想がつこう」
「癌、遺伝子異常を原因とした治療には効果的な方法でしょうね」
「そしてより淫靡な目的にもだ・・・」
「!!」
やはり・・僕と綾子さんの予想は間違っていなかった。
現在、世界各地では犯罪組織などによって多くの子供達が不法に人身売買されている。
安価な労働力として、そして売春目的として。
女の子ばかりでない・・・・男の子ですらだ・・・
幼い男の子を誘拐してきて、女の子に強制的に性転換し、売春目的に売り飛ばす。
あのタンパク質ロボットの技術はそのようなおぞましいことを考えている奴らにとってまさに喉から手が出るほど欲しい情報だろう。
これはひそかに見つけたサイトで知ったアングラ情報だが、きれいな男の子を大人になる前に何らかの形で女性化すると、ちまたの女性よりよりはるかに美しい女性になるということが昔から言われてきたそうだ。
現に僕の前にはその言い伝えの証明とも言うべき綾子さんという美女がいる。
金のためならそして自分の欲望を満たすためなら何でもする輩が世の中にはごまんといる。
そして同じく僕の目の前には大道寺儀一氏というその欲望の権化のような人がいた。
「そういうことだ。たしかにわしはお前にとっても綾子にとっても憎むべき存在だろう。だがこれだけは知っておいてくれ。
はじめはどうあれ今綾子はわしにとって実の娘以上に愛おしくかけがえの無い存在になってきている。
綾子のためならいくらでもこの命喜んで捨てるつもりだ。」
僕は綾子さんの方を見た。綾子さんははっと驚いたような顔をしていた。
「小娘。お前と綾子が追っている事件。それがお前達が考えているとうり、憎むべき邪悪な欲望をもった・・・・ふ・・・・わしが言えた義理ではないか・・・・しかし、そのような犯罪集団が関わった事件に違いない。」
大道寺氏はうめくように言った。
「お父様・・・」綾子さんは心配そうに大道寺氏の元に駆け寄る。
「間違いなくあのタンパク質ロボットの情報はあちこちに漏洩しておる。
だから、小娘、わしからも頼む。なんとしてでもこの事件を解決し、お前が言いかけた3人の娘だけでなく多くの少女を助け出してやってくれ。
そのためにわしはどのような力でも貸そう」
大道寺氏はおろおろと僕に頼むばかりだった。
「晶子。ごめんなさい、今はわたしとお父様の二人だけにして。権藤様はじめこの人たちを介抱しなければならないし・・・・・
お願い今日だけは大人しく帰って・・・」
綾子さんもすすり泣きながら僕に言った。
「今日はわたしのエリーゼを使いなさい。門口に停めてあるわ。」
玄関で綾子さんはキーを貸してくれた。
「ねえ、晶子・・」
礼を言って外に出ようとした僕に綾子さんは言った・・・・
「これはお父様から聞かされた話だけど・・・・
聖書に出てくるアダムとイブの話・・・・
あれは今までわたしたちが考えていたものとは別なことを意味しているのかもしれないわよ・・・・」
綾子さんは何を言いたいのだろうか・・・
「アダムの肋骨からイブが神によって作られた・・・
創世記にはそう書いてあるけど、本当はイブはもう一人のアダムだったというのが正解かもしれないわね・・・」
「・・・・・・」
「あれは地球上にはかつて男性しかいなかった。しかし何らかの要因によりその一部が女性に変身し、子供を産み今の人類へとつながって来た・・」
「!!」
「以前あなたに桜ますの話をしたでしょう。あれは人類にも言えることなのかも知れないわよ」
「ごめんなさい。今日はこれで帰ります。」
僕は外に出た。


街の中にある綾子さんのマンションの車庫にエリーゼを戻し、僕はそこで泊まる事にした。権藤の言葉を信じるなら今晩、遅くなって僕が帰宅するほうがよっぽど不自然だからだ。
綾子さんからも「今晩はわたしのマンションで泊まりなさい」と言われたし・・・
疲れたから今晩はもう寝るか。
綾子さんから貸してもらったカードキーを使い部屋の中に入る。
1ヶ月ほど前に来ているので迷うことはなかった。
室内はその時とくあまり変わっていない。
疲れたな・・・今日はもう寝るか・・
あつかましくも綾子さんが毎晩寝ているベットに向かおうとした。
TELがかかってきた。
僕は壁に取り付けてある受話器を取った。
「あ、晶子。もうわたしのマンションについた?」
綾子さんからだった。僕はなにかほっとした気分になった。
「よく、わたしがそのままだったと分りましたね。」
どこで盗聴されているか分らない。僕は「姉」である速水晶子のままのつもりで話した。
「部屋に入るまで元の姿に戻れる場所ないでしょ。慎重なあなたのことだから大丈夫とは思ったけど念のためTELさせてもらったわ。」
綾子さんは思いの他元気そうだった。
「あれから大道寺氏、どうでした?」
僕は綾子さんに聞いた。
帰り掛けの気落ちした様子が気の毒で気に掛かっていたのだ。
「大丈夫よ。ただ今晩は疲れたらしく、もう床についてらっしゃるけど・・・」
綾子さんはあくまでも冷静に答えた。
「他の皆さんは・・」
「大丈夫、皆30分ほど経ったら気がついてそれぞれに元の配置に戻ったわ。ただあの調子なら本調子に戻るまで2、3日はかかりそうだけれど・・」
やっぱりね・・・
「権藤氏はわたしのこと何か言ってました?」
僕は1番気に掛かっていたことを聞いた。
「その、権藤様が大変よ。気がつき早々でれっとした様子で・・開口1番にあなたのことを聞くのですもの・・晶子、あなた当分こちらには来ないほうがいいわね・・・・」
呆れた様子で綾子さんは答えた。
まったく・・・・・あの男ならそんなとこだとは予想していたけど・・・
しかし・・・・困ったことになったぞ・・・これは・・・
ああいうタイプの男は、一度女性に痛い目にあわせられると、今までの反動でマゾに走ることが多いというからな・・・。
「それでね、晶子。今晩はそのままの姿でいなさい。」
綾子さんが突拍子もないことを言った。
「え?」僕は思わず問い直した。このままの姿でいろとは、「姉」のまま、速水晶子・・・女性のままで一晩過ごせということか?
いったい何を考えているんだ?綾子さんは・・・・
「だってあなた。寝巻を持ってないんでしょ。そろそろ夜は冷えるし・・制服のままだと堅苦しくて肩がこるわよ。わたしの寝巻を貸してあげます。元に戻ったら着れないでしょ。今晩はそのままの姿でいなさい。」
「服は変えれます」僕は何で綾子さんがそんなことを言うの分らず、必死食い下がった。
「駄目よ。明日わたしが帰るまでそのままの姿でいなさい。いいつけを破ったらおしおきよ。」
「ど、どうして・・・・」僕は理由を聞こうとした。
「そうね。おそらく今晩一晩あなたは元の姿には戻れないわよ。出来るならばやって御覧なさい」
綾子さんはまるでこちらの様子が見えているかのように言った。
ようし・・・そこまで言うのなら・・・・
僕は元の姿、白鳥晶の姿に戻ろうとした。
な、何だ・・・・元にもどれない!
速水晶子・・・そう女性のままだ・・・
いったいどうしたんだ?
「だから言ったでしょ。そのままの姿でいなさいと・・・
わたし、あなたのことなら不思議と勘が働くのよ。お家の方に帰らなくてよかったわね」
綾子さんがにこやかに微笑みながらTELしているのが手にとるように分る。
しかたがない。
「おやすみなさい」僕はふてくされたように答えた。
「おやすみ。晶子」綾子さんはそう言ってTELを切った。

寝室に入り僕はクローゼットを開けた。
あるある。清楚でありながらセクシーなネグリジェの山だ。
もっともこのままでも、スリップ、ブラ、ショーツの3点セットで寝なければならない。結局は同じことだ。
そういえばお腹がすいたな。今日は昼から何も食べていない。
キッチンに行くと簡単だが夕食の用意がしてあり、
『晶子さんへ
今日は遅くまでご苦労様。お腹が空いたでしょう。簡単ですけど夕食の用意しておきました。食べていなさい。   綾子 』
という書置きがあった。
どうやら綾子さんもスーパーヒロインに違いない。
今日起こることを最初から最後まで全部分っていたのか?
テーブルの上にかぶせてあるシートをめくると、綾子さんが用意してくれていた食事が並べられていた。
メニューはあさりのボンゴレのパスタとトマトとレタスのサラダ。。
調子こいて棚からワインを出していただく。
お腹一杯になったら急に眠くなってきた。
綾子さんに言われたとおり、ブラ(Eカップ、白だぞ!)とショーツ(これも白のビキニタイプだ!嬉しいかい?!)だけになり割と大人し目の白のネグリジェを着てふかふかのベットに入った。

翌日、僕はそのまま自宅に帰る羽目になってしまった。
どうしても元に、白鳥晶の姿に戻れないのだ。
仕方ないので綾子さんのマンションで適当な服を失敬することになった・・
タータンチェックの入った淡いブルーのタイトスカートにピンクのブラウス、
淡いイエローのセーターを首に巻き、綾子さんのマンションを出る。
綾子さんからは待ってるように言われたけど、そんなこと言っている場合じゃない。
元に・・・何度試しても・・・・速水晶子から白鳥晶に戻れない・・・・
僕は次第に焦り始めた・・・
そんな・・・・まだ早すぎるよ・・・・・・
1ヶ月以上前、綾子さんに始めて会ったとき言われた言葉がよみがえって来た。
「もっと真面目に考えなさい!もし、大人になってもこの現象が収まらず、もう一つの性に固定化して、つまり肉体的に完全に女性になってしまった時はどうするの?!」
「わたしの見るところそれは近い将来、非常に高い確率で起きる可能性があると思うわ。」
僕は馬鹿だった・・・
あれだけ綾子さんから忠告を受けていたのに・・・・
すでに僕は「ゆらぎ」の状態に入りつつあると綾子さんは言っていた。
もしかしたら完全に性が変換する時期に差し掛かってきてたのかもしれない。
それなのにメタルフォーゼを自らの力でコントロールできるようになったと勘違いして・・・・調子に乗って数々の潜在的パワーを無駄使いして・・・・
あげくの果てがこのざまだ・・・・
これじゃ権藤達のことなんか笑ってられない・・・・
帰宅する道を歩きながら、僕はいつの間にか目に涙を浮かべていた。

権藤・・・・そうだ・・・・あいつがいたんだ・・・
あいつ、変だと綾子さんが言っていたな・・・
まさか・・・・僕に・・・・今の僕、速水晶子におかしな感情を抱き始めたんじゃないよな・・・
どうしよう・・・

そんなことを考えながらとぼとぼと歩いていた時だった。
「晶子、晶子っ!」
僕を呼ぶ声がする。
いつも聞きなれた声だ・・・
え?
僕は慌てて振り向く。
「晶子、こっちに戻って来たのなら連絡しなさい!もうびっくりしたわ・・・」
母だった・・・・
だけど何で僕を「晶子」と呼ぶんだ?
この架空の姉について母は知らないはずなのに・・・・
「それで県警に配置換えになったんだって?」母は聞いてきた。
「うん、今年の7月から・・・」僕は言葉少なに答える。
「まあ、良かったわ、東京、それも警察庁の公安だって・・・あんたみたいなおっとりした娘がそんな生き馬の目を抜くような所で務まるわけないもの・・・」
おかしい・・・絶対におかしい・・・何故、母がそんなことを知っている・・・?
極秘事項のはずだぞ・・・その経歴は・・・・
「さあ、帰りましょ。お父さんと・・・喜ぶわよ・・」
この時は母変なことを言った。
「お父さんと・・・・」と言ったのだ。
・ ・・・て、いったい誰だ・・・・?
自宅に帰る。ほんの1晩のことなのにまるで長い旅を終えてやっと帰ってきたような錯覚に陥る。
父はいなかった。
二階に上りドアを開けた。
誰かいる。
誰だ・・・
男の子だ・・・丁度、以前の僕ぐらいの年格好の・・・
少年は振り向く・・
「あ、びっくりした・・・姉さん・・お帰り」
少年は僕自身・・・・・・白鳥晶だった・・・・
「きゃぁああ・・・・・」
僕は悲鳴を上げていた。

目が覚めた・・・・
布団の中だった。びっしゃり寝汗をかいている。まだ外は暗い。
こんどこそ正真正銘の自分の部屋だった。
よかった・・・元に・・・・白鳥晶に戻っている・・・
夢だった・・・・。
後ろを振り向くのが怖かった・・・
まさか・・・・後ろに・・・・僕のドッペンベルガー、それとも・・・・・
「姉」速水晶子がいないだろうな・・・
僕は振り向いた・・・・
良かった・・・・誰もいない・・・部屋には僕一人だ・・
喉が渇いた・・・・下に下りていく・・・・
蛇口を開け、むさぼるように水を飲む。
自分の部屋に戻りカーテンをかすかに開けた。
日の出の少し前らしい。東の空に少し赤みが差してきている。

何だ・・?あの異様な空は・・・
まるで血を流したような気持ちの悪い朱色が東の空に見える。
上からはどす黒い雲が垂れ下がっている。
刺すような赤みを帯びた光が東から大きくなる。
雲もまるで帯のように西の空に向かってのびている。
僕は身支度をして外に飛び出した。

「何だ・・・こんな朝早くから・・・」
寝ぼけまなこで父も外に出てきた。
「父さん・・・・あの空・・・」僕が指を指す・・・。
父は少しの間何も言わずに不気味な夜明け前の東の空を見ていた。
「晶・・・デジカメ持って来い。」
突然、父が言った。
「え・・・?」
「いいから。早くあの空を写すんだ!!」
あまりにの父の鬼気迫る様子に、僕はせき立てられるように部屋に戻りデジカメを引っつかみ、外に戻り、シャッターを切りまくった。
自動ストロボで失敗はないはずだ。
PCモードで確認してみたら確かに写っている。
「通し日だよ・・・・」父が言った。
「通し日?」
「地震雲の一種さ・・・いい兆候じゃないぞ・・・・こりゃー何か大変なことが起きるんじゃないか・・?」父の顔は青ざめていた。

悪夢は夢の中だけではなかった。
9月になり異常な台風が僕の住んでいる県周辺一帯を襲った。
何回でも・・・そして大規模な台風が・・・
例年なら中規模の台風が1,2個通過するだけなのに・・・
台風が来るたびにバケツをひっくり返したような雨が降り、川はあふれ田畑、人家、は洪水にさらされ、各地で土砂崩れが頻発し、大風はすべての物を吹き飛ばした。
そしてニュースでは同じように頻発する全国各地、いや全世界の災害、異常気象を報道し続けられていた。
何かが違う・・・今までとは違う何かがこの地球全体に起きている・・・・
しかしこのJ市周辺一帯は不思議と静かだった。
雨が降っても、特に土砂崩れや洪水をもたらすほどひどくはなかったし、強風といっても軽い突風程度が一度来ただけだった。
全国各地で災害が頻発する中、このJ市周辺一帯がまるで別世界のように平静だった・・
10月になりあれほど荒れ狂った台風シーズンもようやく終わり秋も深まりだした頃・・・
再びすべてが動き出した。
10月になりあれほど荒れ狂った台風シーズンもようやく終わり秋も深まりだした頃・・・
再びすべてが動き出した。

その時僕は大都会の喧騒の中にいた
立ち並ぶ高層ビル。街には人があふれ、道路には地の果てまで車の列が続く。
ここはどこだ・・・J市か・・・いやJ市はこのような都会ではない・・・
ならいったいここはどこ・・・
突然景色が変わる・・・・
住宅地帯だろうか、丘陵地帯を削り造成された巨大宅地造成地。
地の果てまで同じ形の住宅、団地が立ち並ぶ・・・・
そうか・・・ここは・・・・東京だ・・・・
かつて幼いころ僕が暮らしていた東京・・・
僕はこの地で生まれ、両親の都合で現在のJ市に引っ越してきたのだった・・・
突然目の前の情景が強く揺さぶられた。
強い振動とともに、地の果てまで続く巨大な団地群は一瞬のうちに瓦礫と化し、どこからとも無く起きてきた火災がたちまち巨大な火旋風に広がり街々、住宅街を火の海にする。
あのビル群も・・・
天まで届く超高層ビル群はすべて倒れ瓦礫と化し、海沿いのコンビナートが爆発したのであろうか、天を覆いつくす黒煙の向こうから竜のしたのように不気味な火の手がこちらの方めがけてやってくる。
そしてその向こうには・・・・・水の壁が・・・
津波だ!!
高さは100m以上だろうか巨大な津波がこちらを目指してやってくる。
地震だ!!
以前から心配されていた巨大地震がとうとう首都東京に発生したのだった・・・
しかし、何故・・・何故・・・・僕はここに・・・この東京にいる・・・?

目が覚めた。
びっしゃりと寝汗をかいている。
よかった。夢だった・・・・・
しかし・・・・いやな、恐ろしい夢だった・・・・
部屋の中には・・・・・誰もいない・・・・
誰も・・・誰もって・・・・いったい誰だ・・・?
僕は階段をおそるおそる下りていった。
玄関を開け外に出る。
夜明け前・・・・そして今日もまた異様な夜明けだった・・・・
朝焼けとも夕焼けともつかず・・・
夜の暗闇の中、東の空だけどす黒い血の色のような赤さに染まっている。
僕は玄関の状差を開けた。
中には朝刊が入っていた。
「新潟県中部山間部震度6以上の巨大地震発生」
大きな見出しと地震に壊滅的に破壊された新潟山間部を写した写真が紙面全体に踊っていた。

その日僕は電話をかけ続けた。
携帯から公衆電話から自宅から・・・
そしてメールも何10本も送った。
誰に・・・?
決まっている・・・・・綾子さんだ・・・・
何かが起きる・・・何かが迫ってきている・・・何か不気味なものが・・・
この日本に・・・・いやこの世界に・・・・・
早く知らせなければ・・・・早く会わなければ・・・・綾子さんに・・・・
しかし、夢の中ではあれだけ頻繁に出てきた綾子さんに電話一つつながらない・・・当然、メールに対しても一切音沙汰無かった・・・
何故だ・・・・何故、綾子さんに連絡が届かない・・・?
こんな時に・・・こんな差し迫った時になって・・・・
「はい、大道寺です。御用の方はピーという発信音の後メッセージを吹き込んで下さい。」
留守電に吹き込まれた綾子さんの澄んだ美しい声がむなしく響く。
僕は受話器を手にして呆然と立ち尽くすしかなかった。
暦を見る。
しまった!今日じゃないか・・・あの豪華客船、クイーン・メリー号が・・・我がJ市のT新港に入港してくるのは・・・
こうしてはいられない・・・
「友達が急用なんだ!ちょっと出かけてくる・・」
母に言って僕は家を飛び出した。
「待ちなさい!晶!
こんな遅くなってどこに行く気?
何時帰るの?」
家の中から母が叫ぶ声が聞こえる。
「ごめん。今、急いでいるんだ!」
慌てて答え僕は夜の住宅街を街に向けて走った。

表通りでタクシーを捕まえる。
「T新港まで。急いで」
僕が言うと、タクシーの運転手は「T新港ね」と一言言っただけですぐに車を走り出させた。

バイパスに入りまっすぐ北の方に向かう。
このバイパスを反対側、南の方に向かえば綾子さんの別荘や、実家である大道寺氏邸がある山間部に向かう。
しかし現在僕が向かっている方向は海、日本海側だ。
かつてそこはさびれた一漁村でしかなかったが、旧J市が周辺市町村と広域合併して現在のJ市が出来る直前に、7万tクラスの大型船が自由に入港、着岸出来るT新港が完成し、今ではJ市の海の玄関口として大きく発展してきている。
T新港が海の玄関口なら綾子さんの別荘や、実家である大道寺氏邸がある山間部はさしずめJ市の奥座敷といったところか。
タクシーは快調にバイパスを走って行った。やはりクイーン・メリー号入港、クリスタル・トライアングル来日を見に行く人が多いのだろうか、今日はやけにT新港に向かう車の数が多い。
暗い夜の海が、そして宝石のような数々の照明が輝くT新港が見えてきた。
見たこともない大きな旅客船が港の1番大きなデッキに接岸している。
間違いない。
クイーン・メリー号だ・・・・
港の外の日本海はもう漆黒に閉ざされた一方でこちら側のクイーン・メリー号は数多くのライトアップに照らし出されその美しく白い船影を輝かせていた。まるで夢の中の一場面のような幻想的な風景が広がっている。
タクシーはバイパスを降りて港に向かう道に入った。
すごい人手だ。港祭りでもこれだけの人が出てくることは無いだろう。
僕の乗ったタクシーはたちまち渋滞に巻き込まれて身動き取れなくなった。
「お兄ちゃんもあの3人組のタレントが目当てなんだろ?残念だけど船の近くまでは行けないよ。ごらんのとおり人でごった返していてこれ以上1歩も動けそうもないし、船の周囲100M半径は関係者意外立ち入り禁止だからね。」
運転手はため息をつくように言った。
しかたない。
僕はそこでタクシーから下りた。
ごった返す人ごみの中、僕はかきわけるように街の中を港に向かって進んだ。
ほんの数年前は小さな漁港があるだけのさびれた港町なったのに・・・
いつこんなに大きな街並みになったのだろう。
赤のまま何時までたっても変わらない信号機を前にして僕はいらいらしていた。
突然僕の目の前に立派な黒塗りのリムジンが止まる。
後部座席のドアが開かれ中から誰か人が出てきた。
「遅いぞ!小僧!いったい今まで何をしていた?さっさと車に乗れ!」
その人は僕をしかりつけた。
権藤だった。

リムジンは特別車らしく信号無視、交通優先でたちまち渋滞から抜け出し、港に向かった。当然検問もフリーパス。
車の中は権藤の他に運転手と他に1名。みんな大道寺氏邸にいた黒服たちだった。
「遅い!遅すぎる!いったいどこにいた?学校からお前の自宅まで皆で連絡を入れ捜したんだぞ!」
権藤はかないいらいらしている様子だった。
この男の横柄さはあい変わらずだ。
「すみません。皆さんに連絡を入れようとしてなかなかつながらなかったものですから・・急に今日がクリスタル・トライアングル来日の日だということを思い出しまして、あわてて家を飛び出してしまって・・・」
僕はおそるおそる答えた。しかしなんでこいつの前でにここまで小さくならなければならない?むかつくなー・・・全く・・・
「当たり前だ!今日をどういう日だと思っている?昨日から我々は非常体制に入っている。一刻を争う今こうしている時間も惜しいくらいだ。それを綾子お嬢様のたってのお願いということでお前を捜してやったのだ。感謝しろ!」
一段と横柄に権藤は言った。
たく・・・どうしてこの男にここまで威張られなければならない?
しかたない。これもクイーン・メリー号に乗船するためだ。我慢、我慢・・・・
「お前の姉には連絡はついているんだろうな?」
そう言うと、権藤は急にへらつきだした。
へー、本音出たじゃん。
はいはい、あなたのお待ちかねの「姉」速水晶子はもうスタンバイに入ってますよ。準備でき次第、流れるような長い脚線美で顔面に一発蹴りをかましてあげますから楽しみにしていてね!!
「はい、連絡はついてます。今頃はここに向かっているのではないでしょうか?」どうせこの後クイーン・メリー号に乗船したら自由に変身できるはずだ。
僕は適当に権藤の調子に合わせた。
車はターミナル・ビルの前に止まった。
僕達は警察が警備するチェックもほとんどフリーパスで通り抜けた。
検問係りのお巡りさんはかしこまって権藤に敬礼までしている。
「ご苦労、警備の方よろしくたのむぞ」
権藤はあい変わらず横柄な口調で言った・・・て、あなた警察関係者でも何でもないじゃない!ただの政治家秘書でしょ!それも私設の・・・
やな時代だねー・・・・
やくざに向かって警察が最敬礼しているよ・・・・・日本ももうおしまいだ・・・
ガラス張りのコンコースを渡り船に向かう。
しかし・・・・こうしてみると船の巨大さがわかる。
ペントハウスのある最上階までは見上げるばかりの高さだし、コンコースから見る船体はまるで崖から谷底を見下ろすように高かった。
大きなビルのような高いデッキにはきらびやかなライトが輝き、まるで超高級ホテルのようだ。
エントランスに入ると大きな立派なホールがあり、3階の高さの吹き抜けには美しく豪華で巨大なシャンデリアがぶら下がっている。
僕は外側からだけでなく内側から見たクイーン・メリー号のあまりの豪華さに圧倒されぽかんとしていた。
その時・・・
「晶君、クイーン・メリー号へようこそ。ご苦労様。大変だったでしょう?」
澄んだ美しいソプラノボイスが響いた。
綾子さんだった。
綾子さんは両肩、両腕もあらわな白いシルクのドレスを身にまとい、今晩も輝くばかりに美しかった。

両肩もあらわで胸元も深い白いドレスではいやでも綾子さんのスタイルの良さグラマーさが目立つ。抜けるようにそして透き通るように白い肌。ほっそりとした細い首からなめらかなで優しげな撫で肩、すらりとした細く長い二の腕にかけては息を呑むほど美しく女らしい曲線美を描き、開かれた胸元は深い谷間を見せ、形がよく豊満な美しいバストがドレスの上からもなめらかな曲線を描き、まるでギリシャ神話の美の女神、アフロイデの生まれ変わりのような綾子さんの美しい10頭身の女体を嫌でも際立たせる。
歩くたびに、鏡のように磨き上げられたフローリングの床に届くくらい長いドレスの裾に入ったスリットから、膝下が頭部の2倍半以上もあり、足首がキュッと締まった、スーパーモデルのようにすらりとした長く美しい脚線美があらわになる。今日は綾子さんはかかとの高い白のピンヒールのハイヒールをはいていた。
豪華なドレスを身にまとった美しいご婦人方が多数つどうクイーン・メリー号の華やかなロビーの中で、綾子さんの上品な美しさは今晩ひときわ目立っている。
「グット、イブニング、ミス・アヤコ」
世界各国から集まった上流階級の紳士、淑女達が綾子さんにあいさつする。
「グット、イブニング」
綾子さんは上品な美しい微笑みを浮かべその人たちに丁寧な挨拶を返していた。

上品さの中にかすかなに官能的なエロステックさがほのかに漂う綾子さんの美しさを目の当たりにして僕はどぎまぎしっぱなしだった。
横を見ると案の定、権藤も鼻の下を伸ばし、だらしなく表情をゆるめ放しだ。
「綾子お嬢様。今日は一段とお美しい」
あのね・・・あなたそれしか言葉知らないの?さっさと更衣室で貧相なスーツからタキシードにでも着替えてきた方がいいよ。まわりの人たちは全員フォーマルなタキシードかドレスじゃない。
僕達だけだよ。こんな貧相な格好をしているのは・・
「ご苦労様。権藤様も今晩はゆっくりと楽しんで日頃のご苦労をお癒しになって下さいませ。」
そんな権藤のワンパな反応にも綾子さんは丁寧かつエレガントに対応する。
「あと、権藤様。どうかお召し物をお変えになって下さいませ。ドレスルームで用意ができておりますので・・」
綾子さんは微笑みながら言った。
ほらほら・・・言ったとおりじゃない・・・早く、更衣室の方に行った、行った。
「は、これは失礼いたしました。」権藤はあわててロビーの向こうに走って行った。
だから、どたどたと走るんじゃない!育ちが分るよ!権藤様!
綾子さんは僕の方にも優しく微笑みながら言った。
「晶君。あなたも笑っている場合じゃなくてよ。もう晶子が来ているころじゃない?」
いかん、いかん。僕もこんなことしている場合じゃなかった。
「晶子には今晩この服を着てパーティーに出るように言って。わたしの部屋の方なら人の出入りも少ないしゆっくりとおめかしができるでしょ?」
綾子さんはバックからパンフのようなものを出し僕に手渡した。

まるで高級ホテルのような船内をたどる。
大小いくつもの立派なホール。レストラン、酒場、スポーツジム、映画館、プール、病院・・・・・
ホテルというよりほとんど街だ。
もらったパンフレットをもとに果てしない迷路のような船内を巡り歩き、やっとのことでデッキの最上階に上り綾子さんに教えられた部屋の前に立った。
この部屋のある一角はペントハウスといって最上甲板の中央部にマンションのように独立して作られた、バルコニー付の最上級の部屋だった。
綾子さんからもらったカードキー扉を開け部屋の中に入る。
部屋というよりほとんど高級マンションの1室だ。
この1室を与えられたということは今回のセレモニーにおいて、いかに綾子さんがなくてはならないゲストかということを如実に示していた。
室内は5LDKほどに分かれ、リビング、ダイニング、バス、寝室、キッチン何でも揃っている。
失礼な話だが、綾子さんが現在暮らしている億ションより立派だと思った。
別荘や実家、大道寺氏邸には負けるが・・・
そういえば綾子さんの隣のペントハウスは大道寺氏の部屋だと聞いていた。
ま、当然だろうね。
綾子さんの話だとこのクイーン・メリー号J市訪問というイベントは意外と極秘にされていて、招待されたゲストもそのほとんどが外国の人たちだそうだ。
邦人招待客は何故かS県内在住の人に限られ最高のVIPクラスで県知事だそうだ。だから古参国会議員で中央政界に隠然たる勢力を持つ大道寺氏は当然このセレモニーの中においては最重要ゲストということになる。
しかし何故かそのとき僕はホスト側の最大のお目当ては大道寺氏本人ではなく、その御令嬢、綾子さんのような気がしてならなかった。
大人3人以上が楽々寝れるクイーンズベットが部屋の中央にどんと置かれた立派な寝室の中に入る。枕元の間接照明だけで寝室全体は闇に閉ざされていた。
当然部屋の中には僕一人しかいない。
よし、ここなら人目もはばからず堂々とメタルフォーゼ出来る。
僕が意識を定めたようとした時だった。
何か音がした。
「誰だ!」僕は声を上げ、寝室の中隅々を捜し歩いた。
ようやくスイッチを見つけライトを付ける。
すぐに部屋の隅々まで照らし出された。
そしてそこには白いシルクのミニドレスを着た17、8歳ぐらいのショートカットの美しい少女が立っていた。

僕も驚いたが少女もびっくりしたようだ。
わなわなと震えながらおびえた表情で僕を見ている。
少女の大きな美しい澄んだ瞳には涙が浮かんでいた。
「君は誰だ?何故綾子さんの部屋にいる?」
僕は少女に尋ねた。
「お願い見逃して・・・」
少女は美しい表情を振るわせながらおびえるように僕に懇願した。
ただでさえ透き通るように白い肌が恐怖のあまり青ざめている。
「見逃す・・?僕はただの高校生だよ。この船の関係者じゃない・・・
それに見逃すって・・・いったいどういうことなんだい?」
僕は少女にできるだけ優しく尋ねた。
「せっかく日本の港に来ているのに・・・・故郷の東京までもう一息なのに・・・
お願い・・・・わたしを見逃して・・・晶君」
「!!」
何故だ?何故この少女は僕の名前を知っている?
僕はこの少女には一面識すらないのに・・・
「あなた白鳥晶君でしょ?・・・ねえ、そうなんでしょ?」
少女は美しく大きな瞳でじっと僕を見つめ再び言った。
だれだろう、この少女は?本当に何故僕のことを知っているのだろう・・?
いや、待て!さっき一面識すらないと思ったけどそれは僕の間違いだ。
この少女何処かで見覚えがあるぞ!
何処で・・・いったい何処で・・・
あ!この少女は・・・・
「君はクリスタル・トライアングルのメンバーの一人・・・メイ・・・」
僕はやっとのことで思い出した少女の名前を口にしていた。

「ああ、よかった。あなたのところに出したメール見ていてくれたのね。」
メイはほっとしたのか細く美しい両腕を僕の後ろに回しいきなり抱きついてきた。香水だろうか?かすかな良い香りだ漂う。
この香水綾子さんも使っていたことがあるな・・・・
て、こんな時に何を考えているんだ?僕は・・・
「ちょっと、待ってくれ。他のメンバー・・・リンとケイはどうしたんだ?」
僕はあわてて両手をほどきメイに尋ねた。
「伴子と啓子はもう信じられない・・・あの子たちはもう伯爵様のいいなり・・・伯爵様の後ならどこまでも連いて行くって・・・でもわたしは嫌・・・
帰りたいのよ・・・故郷へ・・・生まれた東京へ・・・・」
メイは美しい瞳に涙を一杯に浮かべ泣きながら僕に訴えた。
「俊子と啓子て・・・大伴俊子さんと室井啓子さんかい?」
僕はメイに以前から思っていたことを確かめた。
「そうよ・・・」
驚いたような顔でメイは答えた。
「なら君の本名は立花理沙さん・・・違うかい?」
メイは一瞬とまどった様子で僕を見つめ
「何故、分かったの・・・わたし、いえ・・・・俊子と啓子のことも・・」
つぶやくように逆に僕に尋ねてきた。
「だって君達がその名前で僕にメールをよこしたんじゃないか。」
僕も負けずにメイいや理沙に言った。
「いいえ、違うわ。わたしが、いえわたし達クリスタル・トライアングルのみんなであなたにメールを出した時はリン・ケイ・メイの名前で出したわ。」
理沙は信じられない様子で答えた。
「そうか・・・やっぱり君達は日本人の女の子だったんだな・・・・でも君、いや君達はどこで僕宛のメールを出したんだ?」
続けて僕は理沙に尋ねた。
「ふふ・・・日本人の女の子・・・・そうよね・・・確かにそうだわ。こんな姿にされてしまっているのですもの・・・・あなたから見たら・・いえ誰から見ても・・・・・わたし、いえメンバー全員が確かに女の子だわ・・・・あの時から・・・あの組織において・・こんな姿にされてしまったあの時から・・・。
どこであなたにメールを出したかですって・・・。香港にある伯爵様のお屋敷からよ。伯爵様がわたし達のオーナーとなってから・・・伯爵様の御命令で・・・
丁度アイドルユニット、クリスタル・トライアングルとしてデビューさせられた直後だったわ・・・ふふ・・・笑ってよ・・・・そりゃこの世界にあこがれがなかったといえば嘘になるけど・・・異国から・・・まさかこの肉体(からだ)で・・・・・・美少女アイドルとして売り出されるなんて・・・・・・思ってもいなかったわ・・・」
理沙はまるで自嘲するかのように言った。
そのつぶやき方はかつて綾子さんが僕に告白したときの様子と良く似ていた・・・
まさか・・・・やっぱり・・・・・・この少女も・・・・
それにしてもさっきから出てくる「伯爵様」て・・・・・
今時、そんな大時代的なダサイ名前を名乗る男って・・・いったい何者なんだ・・・
しかもそんなうさんくさい奴が僕のことを知っていて、どこから嗅ぎ付けたのか僕のメアドを把握し、彼女達にメールを出させた・・・・
まあ「根暗の蜜柑」から綾子さんから大道寺氏から色々あったんだ。
もうなにがあっても驚かなくなってはいるが・・・・やっぱり相当キショイな・・・
ふーん・・・「伯爵様」ね・・・・どんな奴なんだろ・・・・
おそらく権藤タイプの男だろうけど、どうして最近こういうキモイ奴らが僕にからんでくるんだ?いいかげんにしてくれ!!
「君はさっきから「伯爵様」て言っているけどいったいどういう人なんだい?
何故、どこから、僕のことを聞いたんだ?」
おそらく理沙が答えてくれるとは思わなかったが念のため聞いてみた。
「言えないわ・・・・わたしから・・・わたしの口からは・・・」
案の定おびえた様子で理沙は首を振りながら答えた。
ただ理沙はひとことだけ僕に教えてくれた。
「でも、これだけは覚えといて・・・・伯爵様はこの船・・・このクイーン・メリー号のオーナーよ」
なにおー!この豪華客船・・・このクイーン・メリー号のオーナーだと・・・・
ざーけやがって!なにが「伯爵様」だ!
美少女を三人も引き連れて豪華客船でクルーズ三昧かい!!
少々「勝組」だからって調子こきやがって!
その上、綾子さんにまで目をつけやがって・・・
少々世の中のきびしさを教えてやらんといかんな。そういう馬鹿には・・・
よーし・・・・腹は決まった・・・
僕は携帯で綾子さん宛てにメールを送った。
(クリスタルのメンバーの一人、立花理沙さんを綾子さんの部屋の中で保護しました。至急応援の人をよこして下さい。出来れば警察の人達を。外交上問題があるなら大道寺氏のボディーガードの人達でも構いません。お願いします。   
晶)
ほどなく綾子さんからメールが帰ってきた。
(分かりました。わたしはこの場を離れることはできませんが権藤様にお願いして、SATとの共同部隊をその場に送ります。あなたはお姉様の晶子さんに至急連絡をとって下さい。   綾子)
よし、「祭り」といくか・・・・
僕は理沙のほっそりとした両肩をつかんで優しく言った。
「すまない・・・僕は少々この船内でしなくてはならない仕事があるんだ・・・だから今この部屋を離れなくてはならない。だけどJ市警察署長、大道寺綾子警視正に君のことを助けてくれるよう連絡した。程なく救出の人達がこの部屋に来る。僕がその人達につなぎをつけるから、君はそれまで見つからないように部屋のこの部屋の鍵をかけ、どこかに隠れているんだ。いいね。」
「でも・・・・」
理沙は不安げな様子で僕に言った。
「大丈夫さ。他の部屋、外鍵はすべて僕が掛けておく。君は僕がこの部屋に入って来た時のように部屋の照明を消し、じっとベットの下にでも隠れているんだ。」
僕は理沙に念を押寝室を出た。
バスルームに入る。
ようし・・・こんどこそ改めて・・・・・僕は意識を集中した。
一瞬のうちに「姉」に変身!!
J市警察署女性警察官、速見晶子、只今参上!!
婦人警官の制服でビシッと決める。
綾子さんからはライトイエローのワンピースドレスを着てきなさいと言われ、ファッションカタログのパンフまでもらっていたけど、今はそんな場合じゃない。
ま、靴だけはヒールの丈が少し短い動きやすいタイプの白のハイヒールにしておいた。
しかし・・・・・
僕も最近、少々ファッションに目覚めてきているのではあるまいな・・・
ヤバイぞ・・・・・これは・・・・

ペントハウス内の鍵をすべてかけ、最後に外鍵をかけ部屋を出る。
腕を組んで扉にもたれかかりながら救出部隊の到着を待つ・・・
10分程して・・・・どたどたと騒がしい足音が聞こえてきた。
予想した通り警官隊と大道寺氏配下の黒服軍団の面々だった。
先頭は皆さんお待ちかね、我らが「特命係長」権藤真二氏だ!!
しかし・・・・前にも言ったけど警官隊がやくざまがいの男に指揮されているとは・・・おかしくないか?最近のわが国は・・・・
「あら、意外と早かったじゃない?」
僕は部屋の扉にもたれかかりながら薄い白手袋をはいた手を権藤に振ってやった。
「お前こそ・・・・理沙という娘は別状はないんだろうな・・・?」
僕を見るなり、案の定権藤の顔がにへらー・・と緩んできた。
「あなたと違うわよ。これでも警察官なんですからね」
一発、権藤に皮肉をかましてやる。
さすがに権藤の顔がむっとする。
鍵を開けると警官達は部屋に入って行った。
僕も同行して部屋に戻る。
寝室に入り部屋の奥に呼びかけた。
「J市警察の速見晶子です。立花理沙さん、もう大丈夫です。白鳥晶君の通報により救出の人達を連れてきました。」
程なく部屋の電気がついて理沙は「再度」僕に抱きついてきた。
(いや、今度は白鳥晶でなく速見晶子である僕にだが・・・ああ!ややこしい!)
「ああーん」
助け出されてほっとしたのか理沙は僕の腕の中で急に泣き出した。

「さて、わたしはこの少女を署長のところに連れていくわ。後のことはよろしくね」
僕は権藤に言って理沙を連れて部屋を出ようとした。
「待て。お前には話がある」
慌てて権藤は僕に追いすがるように言った。
「わたしは忙しいの!この少女を保護した後で他にしなくてはならないことが山ほどあるのに・・・お話なら後にしてよね・・・それより警備のよろしくお願いするわよ!」
しつこいのできつい調子でもう一発かましてやる。
しぶしぶ権藤は引き下がった。いい気味だ・・・
僕は理沙を保護して数名の警官と伴に綾子さんが待つセレモニーホールへ向かうエレベーターに乗った。
セレモニーが開催される大ホールに向かう。
会場に着くなり僕はその規模そして豪華さに度肝を抜かれた。
吹き抜け3階以上。広さはJ市市民体育館の2倍以上の広さがある。
はるかに高い天井には豪華で巨大なシャンデリアがいくつもかかっている。
良く磨きこまれた床はまるで鏡のようだ。
歓迎セレモニーが始まるらしく正装をした紳士、淑女達が多数集まってきている。その中でもひときわ多くの人々が集う場所があった。
その人の輪の中に入っていくとやはり中心にいたのは綾子さんだった。
夜も深まる中、白のシルクのドレスを着た綾子さんは多くの人々に囲まれ、注目を浴び華やかにそしていつもより美しく輝いていた。
綾子さんの隣には御尊父大道寺氏が紋付袴というこの場には不釣合いな格好で立っていた。大道寺氏は多くの人々の注目の的となっている綾子さんを見て、嬉しそうに目を細めながらその場の人達と歓談していた。
理沙を連れて綾子さんの前に立つ。足を揃えて敬礼し綾子さんに報告した。
「交通課の速見晶子です。大道寺署長。クリスタル・トライアングルのメンバーの一人、立花理沙さんを只今保護して参りました。」
「おお・・・小娘・・・・お前か・・・御苦労だった。今日もすまんな・・・・」
大道寺氏がねぎらうように僕に言う。
しかし・・・・それまでにこやかに微笑んでいた綾子さんは僕の姿を見るなり
突然表情を変えた。
綾子さんは静かだが今まで見たこともない厳しい表情で僕に言った。
「晶子。あなたTPOという言葉知っている?」
このようなきびしい表情をした綾子さんを見たのは初めてだ。
「いくら我が国に寄港したとはいえ、それが外国船となれば他国と同じ。しかもここは公式のセレモニーの場。それをあなたは今何をしているの?」
「・・・・」
僕は一言も返せす言葉が無かった。全く綾子さんの言う通りだった。
理沙の救出は警官隊や権藤達に任せ、僕は他にするべきことがあったはずなのだ・・・・持てる特殊な能力を生かし、僕にしか出来ないことが・・・
そのことを考慮して綾子さんは考えていた計画があったはずなのだ。
しかもそのために着る衣装まで綾子さんから指示されていたのに・・・・
それを僕はすべてぶち壊してしまった。
「すみません・・・大道寺署長・・・」
僕はうつむいたまま自分の愚かさ加減を噛みしめて、綾子さんにあやまるしかなかった。
「晶子さんは悪くありません!すべてわたしが悪いんです。わたしが勝手なことさえ言わなければ・・・」
突然、理沙が必死に僕をかばうように叫んだ。
「あなたが立花理沙さん。いいのよ・・・・わたしも少しきついことを言い過ぎたわ。もういいわ、晶子、今後は気をつけてね・・・・
さあ、歓迎セレモニーの時間が迫っているわ。あなたは花束贈呈係よ。早く更衣室に行って着替えてらっしゃい」
そう言った時綾子さんはいつもの優しく美しいおだやかな表情に戻っていた。

綾子さんに言われた通り更衣室でライトイエローのワンピースドレスに着替え花束を持って会場に戻る。
開会の辞の後で主催者、来賓双方からの挨拶。
来賓側からは県知事、衆議院議員である大道寺氏、J市市長、J市警察署長である綾子さん、主催者側はこの船の船長とオーナーとスピーチが続く。
僕は先程綾子さんにたしなめられたということもあって綾子さんのスピーチ以外はほとんど上の空で聞いていた。
そして肝心要のところで注意を払うことを忘れてしまった。
主催、来賓双方のスピーチが終わり、花束贈呈。バラの花束だ。
ゲスト、主催それぞれを代表して花束を贈呈する。
いよいよ僕の出番だ。
ライトブルーのワンピースドレスを着た長い髪の美しい少女と供に花束を渡す。
僕が花束を手渡したのは主催者側の男性だった。すらりとした背の高いかなりハンサムな欧米人の男性だ。
花束を手渡す瞬間、男性は片目で軽く僕にウインクした。
僕は思わずどぎまぎした。
しかしこの男性は誰だろう。主催者を代表して花束を受けるところを見ると、若いが相当のVIPクラスの人だとは思うけど・・・
隣を見ると髪の長い美少女が大道寺氏に花束を手渡している。
大道寺氏は満面に喜色を浮かべ表情は緩みっぱなしだった。
だけどこの少女もどこかで見覚えがある・・・
あ・・・・この女の子も・・・・クリスタルのメンバーの一人じゃないか!
確か・・・リン!!そして本名は大伴俊子・・・
そして男性の方も・・・確かこの船のオーナーだといっていたな。
そうだ・・・この男が・・理沙の言っていた「伯爵」じゃないか・・・・
思わず一度渡したバラの花束を奪い取り、それで男を引っ叩いてやりたい衝動にかられた。
しかしその時僕はちらりと綾子さんの方を見た。
綾子さんは冷静な表情をしている。しかしその大きな美しい瞳は・・・
(晶子!落ち着きなさい!ここで感情に流されたらわたし達の負けよ!)
無言ながらはっきりと言っていた。

花束贈呈が終わり僕はやっとのことで綾子さんのいる方に戻った。
あの「伯爵」を叩きのめしてやりたい衝動に何度もかられながら・・・
セレモニーが終わりダンスパーティーまでまだ少し間がある。
人々は再び酒を酌み交わし歓談の時間に入った。
あい変わらず綾子さんの周りには多くの人達が取り巻き、綾子さんはにこやかに応対している。
理沙はどこかに保護されたのかもう会場にはいなかった。
僕はホールの片隅にあるバーのカウンターのストールに腰を下ろした。
あるある・・・バランタイン、マッカレン・・・高級スコッチの山だ・・・
言っちゃー悪いが僕は未成年、それも高校生だが結構いける口だ・・・
だけど深酒という訳にはいかない。
プリマスのジンフィズをバーテンダーに頼みちびりちびり飲り始めた。
「ふん、大人しそうな顔をして結構やるじゃないんか・・・え、小娘・・・」
聞きなれた声が聞こえた。振り向くと、やはり・・・
われらが権藤「特命係長」だった。
この会場にいる男性のほとんどがタキシードで正装しているのにもかかわらず、あい変わらず着くたびれたスーツを着込み、よれよれのネクタイを締め、口にはタバコをくわえている。
しかしさっきの「伯爵」の嫌味な気障さに辟易した僕は、このときばかりは権藤のラフな格好に妙にすがすがしい格好良さを感じた。
「お前はまだ19だろ。しかも自分の任務を抱えて・・・こんなところで飲んだくれていて良いのか・・」
皮肉な口調を浮かべながら権藤もスツールに腰を落とす。
「いいの・・・わたしはもう任務は終わったから・・・だいたい綾子さんの護衛はあなた達の仕事でしょ・・・こんな所で油売っていていいの?」
僕も嫌味たっぷりの口調で言い返してやる。
「お前に言われるまでもない。綾子お嬢様には誰も指1本触れさせやしない・・・特にあのにやけた野郎には・・・・」
そう言うと権藤は「伯爵」の方をにぎらりとした鋭い視線でにらんだ。
へー、初めて意見が合ったじゃん。
「小娘、お前もあの野郎は嫌っているようだが・・」
マッカレンのシングルを飲みながら権藤は言った。
「まーね・・・・あんまり好みじゃないの・・・ああいうタイプの男性は・・・
それより理沙は大丈夫?」
僕は権藤に尋ねた。
「安心しろ。綾子お嬢様に言われ無事J市警察署に送り届けてやった。残り二人の娘も程なく保護する。」
権藤はマッカレンの水割りを舐めながら独り言のように答えた。
程なくしてダンスの時間に入ったらしい。
案の定、綾子さんの周りにはダンスのお相手を・・・ということで多くの男性が集まっている。
その中で「伯爵」が綾子さんの下に歩み寄り、綾子さんの美しい白い手を取って接吻するのが見えた。
あの野郎・・・・!!
しかし僕がより早く権藤の方が席を立っていた。
「小娘・・・・これは俺の仕事だ・・・お前はここで大人しく飲んでいろ!」
捨て台詞のように言って権藤は「伯爵」に向かって歩み寄って行った。

しかし、権藤のその意気込みもあっけなく空振りに終った。
権藤が「伯爵」のもとにたどり着く前に軽快だが格調高い音楽がどこからともなく流れ出し、綾子さんは「伯爵」にエスコートされホールの中に滑り出た。
まるで胡蝶いや白鳥のように優雅に美しく・・
「伯爵」に手を取られ上品で華麗なステップをとる綾子さんを権藤は呆然と見ているしかなかった。
その時だった。
バーのカウンターに座っていた僕はかすかな揺れを感じた。
地の底、いやここは船の中だから海の底だが、響き渡ってくるような気味の悪い揺れだ。
遥かに高い3階吹き抜けの天井を見上げると、豪華で巨大なシャンデリアがゆっくりとだが大きく揺れている。
ま、まさか・・・・地震・・・?
いや、ここは船上、海の上だ。地の振動である地震が影響を及ぼすはずがない。
なら、津波・・・・しかし津波がこのようなゆっくりとした左右に揺れる振幅をもたらすだろうか・・・?
会場にいた人々も異常に気がついたらしく、騒ぎが大きくなり始めた。
ホールを見ると舞踏会は当然急遽中止され人々の騒ぎはさらに大きくなってきている。
その人々の騒ぎの中で綾子さんが不安そうに「伯爵」すがりついているのが見えた。
綾子さんのような美女にすがられて、悪い気分になる男は誰一人としていrない。案の定「伯爵」はにやけた表情を見せ、鼻の下を伸ばしているのが遠目にもはっきり分かる。
権藤は権藤でどうすることもできずに、嫉妬にかられ鬼のような形相で「伯爵」の方をにらみつけ、歯軋りして振るえている。
まずい!彼らは今現在何が起こっているのか全く把握していない。
僕は密かに持参した携帯を開く。
そこには・・・・・
20××年×月×日  〇〇時〇分 S県沖北100k沖を震源とするM8.1の地震発生
数分後に津波の到来の危険あり。沿岸部に津波警報発令
との表示があった。


一刻の猶予もならない。便所に飛びこみ急いでもとの姿「白鳥晶」のス姿に戻った。僕は便所を飛び出し全速力でホールに舞い戻り、「伯爵」のもとに駆け寄り、綾子さんのたおやかな細く白く美しい手を掴み、綾子さんを会場から連れ出した。
「な、何をする!」
後方で伯爵が叫ぶのが聞こえた。
綾子さんは僕に無理やり手を引かれて、白いハイヒールをはいたすらりとした長く美しい脚線美をもつれさせてけつまずきそうになりながら、やっとのことで僕に付いて来た。
僕は綾子さんの手を必死に握り締め、全速力で船の最上階に掛け上がり、タラップを渡り、やっとのことでターミナルビルの中に掛け込んだ。
ああ・・・どうやら船から脱出できた・・・・・
全速力で駈け続けたため心臓が破裂しそうだ・・・
「あ、晶君・・・いったいどうしたの?・・・何をする気?」
綾子さんの声に我に返ると、綾子さんは真っ青な顔で息も絶え絶えになりながら、僕の腕ににすがりついてきた。
「地震が起きたんですよ。この先の海の沖合いで・・・・30分もしたら津波が襲ってきます。船内にいたら危険です。だから必死で逃げ出してきたんです。」
僕も絶え絶えに綾子さんに答えた。
綾子さんは何も言わずに静かにうなずいた。
僕達はゆっくりと立ち上がり、後ろを振りかえることなくまっすぐに先に進みターミナルビルから外に出た。
そこには多くのパトカーや救急車はじめ多くの車が集結して不測の事態に待機していた。
何時の間にか下船したのか大道寺氏をはじめその配下の男たちが僕達を出迎えた。権藤はまだ船内にいるらしい。その場にはいなかった。
「でかしたぞ!小僧!よくぞ綾子を助け出してくれた。さすがはわしが見込んだだけのことはある!」
開口一番、大道寺氏は大きな声で僕のことを褒め称えてくれた。
「地震の状況はどうなっています?市内に被害が出てますか?そして津波の到来までそう時間もないでしょう?そして権藤氏は・・・・?」
僕は未だ動悸が収まらないまま矢継ぎ早に大道寺氏に質問を浴びせた。
「案ずるな、小僧。伝えられるところによると地震による街の被害はたいしたことないそうだ。安心しろ。今日は本当に御苦労だった。あとの事は心配せず今晩はわしの屋敷でゆっくり休め」
大道寺氏はそう答えるとターミナルビル前に待機していたメルスデスベンツのドアを開けた。

大きな車だった。僕、綾子さん、大道寺氏。
3人が乗っても後部座席には十分の余裕がある。
大道寺氏が先にベンツに乗り込み、僕は綾子さんを連れて乗車しようとした。
その時だった。
「待って、晶君。わたしはこれでも警察官よ。この場に待機して残された人々の救出にあたらなければならないわ。わたしはこの場に残ります。」
綾子さんは突然言った。
「あ、綾子・・・何を言う・・・・?お前も今日は十分疲れているはずだ。後のことは他のものが引き受けると言っている。今晩は十分休んだ方が良いのではないか?」
大道寺氏は驚いて綾子さんに言った。
「いいえ、お父様。わたしはこれでも警察官です。J市警察署長としてこの場を指揮し人々の救出にあたらねばならない任務があります。わたしはこの場に残ります。」
綾子さんは頑として乗車するつもりはない。
大道寺氏は困った様子で娘である綾子さんを見ている。
「綾子さん、あなたは先ほど僕にTPOという言葉を知っているかといいましたよね?」
僕は綾子さんに言った。
「な、何を言いたいの?晶君・・・?」
綾子さんはうろたえた様子で僕を見つめた。
「ならイブニングドレスを着て肌も露にした警察署長が命がけで仕事にあたる人達を指揮するのも、不釣合いだと思いませんか?」
「!!」
綾子さんの目に衝撃が走った。
そして綾子さんは穏やかに微笑んだ。
「ごめんなさい。あなたの言う通りだわ。分かりました、今晩は帰りましょう。」
綾子さん僕と一緒には優雅にベンツに乗り込んだ。
車は全速力でバイパスを走って行った。山の方へ・・綾子さんの実家、大道寺氏のお屋敷のある山間部の方へ・・・
疲れのためか僕は何時の間にかうつらうつらと眠り始めた。
夢見心地の中、綾子さんの澄んだ美しい声が聞こえてきた。
「晶君。今日は本当にご苦労様。今はゆっくりおやすみなさい。さっきあなたに言われて初めて気がついたわ。いかに自分自身愚かだったことに・・・晶君・・・
本当にありがとう。今日はあなたがとても大きく・・大人に見える・・・」
綾子さんはかすかにすすり泣いていた。

j市市街地に戻ったところで僕は大道寺氏と綾子さんに頼んで下車しまっすぐ自宅へ帰った。
幸い自宅周辺の地震の被害はさほどでなく、いつも通りの閑静な住宅街のままだった。
案の定両親には大目玉。
幸いにも規模が大きくなかったから良いものを、地震の被害に巻き込まれたらどうすると父にはこってりと油を絞られた。
翌日起きると真っ先に朝刊を見てみた。
しかし特にたいした被害が無かったためか地震に関連したニュースは思ったより小さい扱いだった。
確かに直接の被害は停電、棚からの商品の落下、軽い怪我人等発生した地震の規模に比べて驚くほど軽微だった。
特に津波については一時期警報まで発令されT新港全体が異様な緊張状態に包まれたが実際の水位上昇は30センチ程度。
これまた不思議なほど小規模な水位変化に留まったと報道されていた。
ただ一つだけ気になることがあった。
クイーン・メリー号に関連してのニュースが一切ないのだ。
寄港時には地元ニュースで結構大きく報道されていたのに。
ましてやあれだけの騒ぎになり、多数の乗船客が津波に備えて一気に下船していたのだ。
実際被害は大したことはなかっただろうが、ならそのことをわずかでも伝えるはずなのだ・・・
父にそのことを言うと、実際イメージダウンに繋がるので報道を押さえてくれる様、船主サイドが報道機関に頼んだのではないのかと答えた。
しかしその後ほど無く僕はすさまじい衝撃とともにことの真相を知ることになる。そしてそれがさらなる大きく不可思議な事態へと繋がっていくのだが、その時はそんなことは夢にも思っていなかった僕だった。
(2番終り)