不条理劇場 9

「四人の女」

連載第2回
このイラストはオーダーメイドCOMによって製作されました。
クリエイターの平岡正宗さんに感謝!




 大野はパチパチとチャンネルを変えていた。

 ホテルの部屋は典型的な洋室で、ベッドが2つ並ぶ部屋に薄暗い照明と和室に比べて素っ気無く映る。

 しがないフリーターだった大野は仕事でホテルに泊まったことはない。ホテルに泊まった経験と言えば年に一回の家族旅行と修学旅行・・・、つまりは非日常のイベントばかりである。

 だから場違いながらもどうしてもどこかワクワクしてしまうところがあった。ビジネスホテル独特の雰囲気、部屋の匂い・・・。ゲームコーナーがあれば時代遅れのレトロなゲームがあり、たまに有料だったりするテレビには深夜のやらしいチャンネルなんかあったりする。

 チャンネルサーフィンにも飽きた大野はテレビを・・・付けっ放しにしておいた。コマーシャルは愚にもつかないバラエティショーであっても、そこから流れてくる「人の声」が大野を現実に引き止める効果を期待していたのだろうか。それともいい年こいて「テレビっ子」から脱却できない大野の日常習慣なのだろうか。

 結局大野は着替えてはいなかった。

 OLの制服のまま、ベッドにうつぶせになっている。

 自らの胸が体重に押しつぶされてむにゅりと歪み、その感覚がブラジャーを通じて彼・・・いや“彼女”に伝わってくる。

 その大振りの乳房を押し付けるようにぐりぐりと身体を動かす。ピンと張ったブラジャーのひもがギシギシと乙女の柔肌に食い込み、乳房の先端がブラジャーの内側にこすれ摩擦による刺激をチリチリと鋭敏に大野の脳に送り込んでくる。

 ビクッ!と反応する身体。湧き上がる快感に”のび”をするかのように身体をぴんと伸ばして硬直し、すぐに果てることを繰り返す。

「・・・っ!・・・っ!!・・・」

 タイトスカートのため、大きく股を広げることができず、ピーンと突っ張ったその生地。スカートの内側には女性の衣類特有の柔らかくてすべすべつるつるの生地があり、ストッキングとこすれ合うざらざらとした感覚が絶え間なく襲ってくる。自らの体温で人肌の温度と化したそれらに馴染むこの身体・・・。大野は足の指先をお互いにからませてストッキングの感触を確かめる。足の指を曲げてそこに反対の足のストッキングを挟んでみたり、軽く引っ張ったりする。

 右脚のすねを左脚のふくらはぎに押し付け、ざらざらとすりつぶす。ふとももの内側同士でストッキングをこねる。

「あ・・・」

 目は閉じている。大野は全身の触覚を総動員して「女性の身体」を体感していた。胴を・・・いや、全身をすっぽりと覆うかのような柔らかくてすべすべの下着が動くたびに優しく肌をなでる。その優美な快感・・・。

 こうしてうつ伏せになっていると、普段はそれほど意識しなかった「化粧」の匂いがより間近に感じられる。ふと顔を上げると、口紅とファンデーションにほんのり染まった枕があるのだった。

 その甘い香りと、さらさらのショートカットから漂うシャンプーの芳香に、否応無く「女性」を感じてしまう。それはまた、記号化された「女性」のアイコンたちであったが、それゆえ効果的で大野はしばしその感覚に酔った。

 我慢しきれないとばかりに自分の身体をかき抱く。

 光沢を放つすべすべのブラウスに皺が寄り、胸の谷間が出来る。乱れた、いや自ら乱したそのブラウスは一番上のボタンが外れ、胸の谷間とブラジャーの一部を除きこむ大野にさらしていた。

 はがゆかった。

 妙な話だが、もしも男のままだったらとっくに爆発していただろう。

 しかし、布団にこれでもかとばかりに押し付けた下腹部は、本来あるべきものがそこに無く、ぺたりと吸い付くばかりである。

 溢れる性欲を受け止めてくれていた器官の消滅は、性欲そのものをも迷走させているかの如くだった。

 大野とて健全な「男の子」である。いや、「だった」。

 自分が女性になったことを想像してあらぬ妄想にふけった経験くらいは持っている。が、しかしいざこうして実現してみると、それを存分に「楽しむ」ことが出来なくなってしまっていたのである。

 あの妄想は一体何だったのだろう?少なくとも立場としては「男」のままで「女」を楽しもうとしていたのだな・・・と改めて思う。「女」として楽しむ?・・・嫌だ。

 少なくとも男とセックスしたいなんて思わないし、女性精器を使って快感を得たいとは・・・ちょっとは思ったりするが、しかし基本的には考えられない。

 大野は身体を起こした。

 圧迫されていた乳房が開放され、少し楽になる。無理な力をかけ過ぎたのか、ブラジャーが歪み、ひもが少しずれているのが分かった。

 放心した様に今度はお尻を下にしてベッドにばふん、と座り込む。

 反射的に胡座を組もうとして脚を広げ、ギッ!とタイトスカートに阻まれる。

 びっ。

「あ・・・」

 嫌な音がして、スカートの一部が割けた。

「・・・あちゃー・・・」

 誰に言うでもなく小さくつぶやいた。

 これまでの負担を思えば無理も無い。

 仕方なく女性がやるようにスカートにしたがって脚を揃える。自分が無意識に取る「リラックスした姿勢」で無いので、どこか落ち着かない。胸の中にもやもやとしたストレスが溜まってくる。

 大きく出る溜息。

 なんて過ごしにくい恰好だろう。女性はいつもこんな恰好で過ごしているのか。

 とはいえ、実は大野はパンティストッキングの意外な快適さに驚いていたのだ。意識していないと自分がスカートを穿いていることすら忘れてしまう防寒性・快適性である。いや、その肌触りというか体感感覚はズボンと大差無いと断言できる。

 まだまだ冬であたりは寒いのだが、このミニスカートでも何とか耐えられるのはこのパンストのお陰であると言っていい。あの脱ぐときのグロテスクなほどの醜悪な形態とは裏腹にその体感快適度はかなりのものである。そのうえ、看護婦さんの真っ白なストッキングや、スチュワーデスさんや少々色気づいたOLの穿く黒いストッキングに包まれた脚の嫌らしいことと言ったら!上手い表現が見当たらないが、「趣味と実益を兼ねた」存在(?)である。全く、見事な知恵と言える。

 テレビは相変わらずまるで頭に入ってこない狂態を垂れ流していた。彼方に吹き飛んでいた曜日の感覚がほんの少し戻ってくる。

 ああ、そろそろバイトの時間だよなあ・・・などと間抜けなことを考える。テレビの番組編成が時間感覚のよりどころとなっている自らの駄目人間ぶりが否応なく自覚される。

 別に休みがちだったりした訳ではないが、あの店長とは妙にウマが合わなかった。きっと今ごろ来ねー!と怒ってるだろうなあ・・・この恰好で行ったら・・・やっぱ怒るかなあ。この制服はともかく、働く意志はあるんだけど・・・。女子のバイトとして雇ってくれるだろうか。

 ぼーっとしたままどれくらい時間が経っただろう。

 実は大野はこの姿になってからマジマジと自分の姿を見つめた事が無かった。

 きっと怖かったんだと思う。

 生まれて初めて自分の顔を・・・勿論男だった時の話だ・・・見たときのことは覚えている。

 ああ、これが俺の顔か・・・変な顔だなあ・・・と、思った。

 人間と言うのは詰まるところその意思である。自分もまた世界をなんとなく見つめている目の一つでも何でもなく、人間として生まれていつか死ぬ存在であるという事実を知らしめられるのが「鏡」との出会いである。自分は、今ここに映っている存在以上でもなく、以下でもない。

 それが少し前までは二十代も中盤に差し掛かってまだバイトに毛が生えたような事で口を糊しているうだつのあがらない男だったものが、きっと可愛らしく綺麗な女性になっている。ただそれだけのことだ。

 こう言っちゃ何だけど、世の中には偉い人が一杯いる。それこそ五体満足でない人なんかだ。そういうハンディを背負いながらけなげな努力で成功を勝ち取る。

 凄いなあ、と思う。とてもじゃないけど真似出来ない。「パラリンピック」なんて見ていると、車椅子のバスケットボールや目の不自由な人の水泳、なんて信じられない競技がある。

 もしも自分が五体不満足だったらそれを理由にあらゆることをさぼりまくるのになあ、などと不謹慎なことを考える。自分も分かっている。それは救い様がないほど甘えた思想である。

 俺は、今はこうして女性になってしまった感覚に戸惑っているが、それによって社会生活に支障をきたす・・・などという言い訳が通用するのも、最初の数日がいいところだろう。

 何かのニュースで見たが、現在わが国の「引きこもり」は100万人に達するらしい。社会人としては失格のフリーターたる自分であるが、それでも、いやもしかしたらそれ故に自分の食いぶち位は自分で稼いでいる。しかし引きこもり連中はそれすらしていない。恐らく連中はこんな困難にぶつかったら大喜びで尚更韜晦するだろう。俺だって出来ることならそうしたい。

 しかしそれは出来ない。とにもかくにも稼がないと干上がってしまうのだ。

 小学生の頃は、体温計を脇の下でこすって「熱」を出して、早退するなんて喜々としてやっていた。社会人ともなれば全く逆のことすら場合によってはしなくてはならない。それらは全て「自分のため」である。

 仕事にいつまでも夢や希望を持てるわけじゃない。どんな仕事でもいつかはルーティンワークになるし、ましてや俺みたいなバイトは「どうやって終業時間までやり過ごすか」が仕事の最大のテーマと言っていい。だからもし「どうしても働けない理由がある時は、働かなくても給料が出る」のなら大喜びでその理由を探すだろう。

 つまりは、そういうことだ。

 この「突然の性転換」はそんな風な理由になりえるのだろうか?

 いっぱしのオタクであるこの俺はかつてテーブルトークRPGなんてのをかじった事がある。要はルールのある”ごっこ遊び”だ。まあ、実際には遊ぶよりテキストを読んでいる方が長かったのだが。

 その中で「パーティ全員を性転換させるトラップ」なんてイベントがあった。曰く「精神的にはともかく、実質的なダメージは何もない」とその解説には書かれていた。その時は「なんて想像力のない奴だ。本当に作家か?」と思ったものだが、なるほど確かに実害は無い。命に別状があるわけでもない。

 俺の頭の中にはある場面が浮かんでいた。それは深夜、なんとなく見ていたプロレス中継でのことだった。

 野外特設リングで行なわれたその試合は、折りしもの雨で雨中決戦となった。にも関わらず滑りやすい場外に出た二人はなんと鉄製の金具で凶器攻撃を始めたのだった。予想通りに試合は血の雨が降る乱戦になり、審判が無理やり終わらせるような形でうやむやの決着になった。

 問題はここからで、腕を大きく切り裂かれ、大出血していたその大柄な外人レスラーは引き上げていく時も大袈裟に腕を押さえては「痛えよ〜!」とばかりに咆哮を上げていた。英語(多分)だったので正確に何を言っていたかなんて分からないけども。

 そのレスラーはバリバリのヒールで、当時最強の呼び名も高いコワモテだったのだが、2、3歩歩いちゃ泣き出さんばかりに膝を付くその様子に正直「引いた」。

 が、同時にヘンなことにそのレスラーに同情する様になっていた。

 厳しい訓練に耐え抜いてきたレスラーである、激痛には違いないが歯を食いしばって我慢することは決して不可能ではないはずだ。にも関わらずそこまでして「やられた自分」をアピールする姿に、現実とその認識が追いついていない姿を見た。

 他のスポーツならいざ知らず、プロレスには「やられる美学」がある。中途半端に「怪我をして歩いて退場」する位なら地の海に沈んで病院送り、の方がいい。

 目の前に現実に起こっている自分が大怪我をしているという「事実」。そしてそれに対して大して動揺していない自分がいる。理性・・・というか、「知識」(!!)では「大変なこと」だというのは分かっているのだが、どういう訳か自らの身体が驚いてくれないのである。だから必死に自分で自分に驚いてもらおうとアピールを繰り返すのだ。

 まるで説明出来ていない感じもするが、今の自分の心理状態を説明するとこんな感じだった。

 ことここに至って妙な話だが、俺は今の自分の姿が恥ずかしかった。

 これでも20数年男として生きてきたのである。

 人前で「女装」するなんて考えられない。

 ましてやそれを日常化するなんて考えられない。

 いや、正確には「女装」では無いのだ。何しろ今の自分は、生物学的には間違いなく「女」なのだから。

 女、おんな、オンナ・・・

 頭の中で繰り返し発音する。

 こうして考えている”認識”に押し付けるかの様に同時に胸の谷間を見、ミニスカートから伸びるストッキングに包まれた自らの脚線美を見る。

 ドキッとした。

 これが・・・これが・・・俺の・・・今の・・・身体?

 改めてむにむにと乳房を揉む。

 柔らかい・・・。

 ブラジャーの”硬さ”にはばまれつつもそこには乳房の感触があった。快感にこそ直結しないが、「触られている」感触が自分のものである現実は動かし様が無い。

 いや、むしろその「感触」がこの程度であることが不満だった。

 俺は男だぞ。男だったんだぞ。それが女になっておっぱいが出来、それをこうやって揉んでるんだぞ!だったらもっとあんあん悶えるほど気持ちよくってもいいじゃないか。それがこの程度しか感じないのはどういうことなんだ?

 実はこれがさっきから、いや正確にはこの姿になってから2〜3日、感じている不満の最大のものだったのだ。

 俺は女になってしまっている。それどころか女装させられ、化粧までされている。だがこの心の平静さは一体何なんだ?

 ついさっきまで車を運転していて、ストッキングのあまりの快適性の高さに、ふと自分がスカートを穿き、OLの制服姿であることをすっかり忘れていた瞬間が何度もあった。ふとそれに気付き、慌てて「大変なことになった」と言い聞かせたことが何度あっただろう。

 そういう、妙な知識とそこから導かれる結論・・・男が女になってしまったらもっと動揺するはず・・・と”現実”はどんどんギャップを広げつつあった。

 これまであり得なかった・・・いや、あることはあったがそれは“形式”として残っているだけで、実質的には無いも同然・・・の「乳房」を揉んでいるというのに、そこから伝わってくる“触られている感覚”は逆に余りに自然なものだった。言い換えれば「何も感じない」のである。もう、ただ「触られている」感触しかしない。

 おっぱいを揉んでいる、俺は自分のおっぱいを揉んでいるんだ!と心の中で絶叫しても、それは二の腕についた脂肪や背中を揉んでいるのと変わらないごく自然な被接触しか喚起しない。官能小説やエロ劇画、そしてまれにある男女の人格が入れ替わってしまう漫画や小説の様に「ゾクゾクするような快感」「性的な興奮」も何も無い。

 さっきからOLの制服を布団に押し付け、こねまわして快感を得ているが、逆に言えばそこまでしないと快感なんて感じられないのだ。

 それはある意味リアルな「女としての感覚」だった。

 確かに、ブラジャーの上からちょっと触られた程度で昇天してしまったのでは人類の半数はまともな日常生活もままなるまい。らんまも言っている「オレは自分の身体を見慣れているから女の裸を見ても何も感じない」と。

 個人に何が起ころうと日常は待ってはくれない。

 こうして俺は女になってしまったが、今月末には生活費が苦しくなるという「現実」は刻一刻と迫っているのだ。勝手な予想だが、あのバレリーナになっちゃった白鳥さんなんかはきっと見事に女性に対応するんだろうなあ、と思う。

 朝起きたら髪をとかし、パンティを穿き、ブラジャーをし、スリップを気、日によってはストッキングを身に付け、スカートを穿いて出勤・・・という生活は・・・慣れちまえば何でも無いかな。うん。

 立ち上がる大野。

 ストッキングのお陰でスカート特有の下半身の寂しさが余り感じられない。かろうじて胸を締め付けるブラジャーの感触を意識する程度だ。

 つまりは感覚的には今までと何も変わらない。いや、変わらない訳は無いのだが意識しなくなっている。にも関わらず自分は女なのである。そのいらいらは耐え難いものがある。

 ぐいと首をひねって肩越しに自分の背中からお尻を見下ろす。

 きゅっと引き締まった腰からタイトスカートに包まれたお尻がまんまるに見える。その姿形は劣情をもよおさせる。

 ああ!しかしこれは自分の身体なんだ!自分自身なんだ!

 現実から逃げるようにぶんぶんと頭を振る。

 衝動的に走り出し、ユニットバスに突入する。

 そこには鏡がある。

 直視しないよう、正視しないようにその正面に立ち、鏡の両脇に手をつく。

 はあはあと息が切れ、動悸が激しくなっている。視界の端々に鏡に映ったブラウスのクリーム色とベストのピンク色がちらちらと映り込む。

 そのふんわりと柔らかな雰囲気は不完全な視覚認識ながら萌え萌えとした感情を与えてくる。何度も直接視認したはずのその「OL」という記号は、鏡を通すと驚くほど生々しかった。

 胸がドキドキする。

 自分の顔を見るのが怖かった。

 鏡を見ないようにうつむいているので、これまでにも増してブラウスの下から生地を押し上げるバストがはあはあと呼吸に合わせて上下している様が目に飛び込んでくる。しゅる、しゅる、とブラウスとブラジャーのこすれる音がやさしく耳をなでる。小さい頃近所で会った「大人のお姉さん」の匂いがする。

 これが今の俺なんだ・・・俺は・・・俺は女になってしまったんだ・・・。

 もう何度目だろうか。またも自分に言い聞かせる。

 ブラジャーの表面には当然皮膚感覚が無い。まるで鎧の様なその衣類構造は男のものにはありえない。

 ピンクのベストの上から胸を押さえてみる。

 指先でブラウスをブラジャーの表面の刺繍にざらざらと押し付ける。くくっと指がかかり、すべる。

 俺は一体何をやっているんだろう。

 いざ鏡の前に来ると正視できない。

 ふと気になって自分の指を見る。

 細い指だった。

 鏡に背中を向け、指を広げ、ゆっくりと回す。するりと表面をなでる。

 気持ちいい・・・。

 なんて柔らかいんだろう。

 これまで2日間に渡って車を運転してきたのである。自分の「手」なんて嫌と言うほど見てきたはずだ。

「ふう・・・う・・・」

 またもこらえ切れない様に両手で自らの身体を抱きしめる。力が抜け、ユニットバスの壁にとん、と背中が接触する。

 背中の真ん中を走るブラジャーのひもが壁とその女体に挟まれた。

「ひっ!」

 “反応”だった。

 そこに突然「女」が現れた。

 いや、そうでは無かった。

 それは鏡に映った自分だったのだ。



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