不条理劇場 7

「この卑しき地表に」

作・真城 悠

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 俺は必死に逃げていた。

 どうしてこんなことになったのだろう?分からない。全く分からない。どうしてこんな運命に見まわれなければならないのか?そもそも一体何が起こったのか?

 さっきから同じ疑問を何度繰り返したことだろう?その「異変」に気が付いてからどれくらいの時間が経ったのか。

 2〜3時間は確実に経っている。どれくらいの距離を移動しただろうか。今まで本気で一方向に向かって走りつづけたことは無かった。

 思いの外、車というのはスピードを維持出来ない。一般道には信号が多い。それほどでもないが渋滞もある。急いでいる時に限って目の前に進路を塞ぐかのごとき蛇行と遅行を続ける車がいたりする。所謂「一姫ニタク」という奴である。女性ドライバーは方向感覚が希薄なのか直進中に急にウィンカーを出していきなり曲がったり、左右確認もせずに飛び出して来たり道の真ん中で意味無く急減速したりとまさにやりたい放題なのである。

 俺は燃料を確認した。

 もう半減している。

 時間感覚が無茶苦茶である。ついさっき補給した様な気になっている。

 俺は東京は都会だと思っていた。それは事実には違いないが、数時間車を走らせただけでこんなに寂しい道に突入してしまうのは意外だった。ガソリンスタンドなんて角を一つ曲がれば出くわす東京のど真ん中と同じという訳には到底行かない。

 俺はガソリンスタンドを必死で探した。目で追った。

 こんな時間に車を走らせたことは無かったが、そうでもなければ気が付かなかった事がある。それは「ガソリンスタンドは深夜は閉店する」ということだ。

 俺は焦った。例え走り続けていなくてもタンクを半分以上カラにすることに恐怖していた。

 人通りどころか民家も少なくなっていた通りを必死にスタンドを求めた。

 それは、前日から始まった。

 

 

 俺は休憩していた。

 俺の仕事は工業製品のデザインである。小さな町工場だったが、自慢じゃないが俺で持っている様な会社…いや工場(こうば)だった。

 日本の零細町工場をなめてはいけない。小さな部品程度なら世界クラスのシェアを持つ所も少なくない。

 その点、うちはスピードが売りだった。決して粗製濫造ではないクオリティで、注文を受けた2日後には納入してみせる。

 その日、灰皿をデザインしてコンピューターへの打ちこみを済ませていた。

 そろそろ試作品が上がっている頃だが、初めてのことではない。いちいち見に行ったりはしないのだ。気心の知れたスタッフが何か問題が起これば言ってくるはずだ。

 が、その日は何かがおかしかった。

 待てど暮らせど誰もやってこないのだ。

 嫌な予感がした。

 俺は工場に向かおうとした。そこに社長の息子が血相を変えて飛びこんできた。

「た、大変です!大変な!」

 聞き取れたのはこれだけである。まさしくそれは錯乱状態と言って良かった。

「な、何だよ?おい」

 その時だった。その後、嫌というほど目にすることになる悪夢を初めて目にすることになる。

「う、うわああああああ〜っ!!」

 俺は動物的本能で一目散に車に飛び乗った。

 気が付いた時には工場から数十キロ離れたガソリンスタンドで手際の悪い従業員に怒鳴り散らしている自分に気付いた。

 

 車を止め、何度も吐いた。

 気分が悪かった。無理も無い。あんなものを見せられたらどうかなってしまう。

 この時期になって、漸くその「異変」が起きた直後のことが少しずつ頭の中に再現されてきた。

 周囲のみんなが次々に「あの姿」に変わって行く…

 悪夢だ。何かの間違いだ。しかし、混乱の中、走り続けるにつれ、走りぬけた道端の人々が次々に「あの姿」に変わって行くのだ。

 一瞬だけ振り向いた時にそれは確認した。

 益々混乱の度合いを強める。

 

 

 最初に停車したのはいつだったか。

 そうそう、30分も車を走らせた時だった。俺は何を血迷ったのか、道路沿いのファミリーレストランに乗りつけたのだ。

 そこで何でもいいから腹に詰め込もうとした。髪をひっつめにした女の店員に向けて注文をしている時だった。

 またもあの悪夢が展開したのだ!

 髪をひっつめにした店員は目の前で見る見るうちに「その姿」に変身し始めていた!

 俺は完全に恐慌を来たし…ていたら今こうしてはいないだろう。ともあれ何か訳のわからないことを猛り狂いながらテーブルを蹴り倒し、数十の赤信号を突破していた。

 拡大している…。

 俺を追いかける様に…いや違う。膨張する宇宙の様にその影響力は周囲に向かって広がっているのだ。

 これは夢だ。夢であってくれ…。

 何度も頬をつねった。

 夢ではなさそうなのは分かっている。しかし目の前からその現実は消え無かった。

 俺はラジオを付けた。

 本当か嘘かも分からない人生相談やら恋の悩みやら…きっと浮世離れした安心を与えてくれるはずだ。

 ラジオからは高い女の声が聞こえてきた。

 やはりだ…。これはきっと夢だんだ。いや、単なる勘違いさ。

 何度も自分に言い聞かせながらそれでも車を止めることは出来なかった。

 …満タンだけじゃ足りないな。次のガソリンスタンドでは容器自体を買ってそれにも予備のガソリンを詰めよう。…しかし、このまま走り続けるといつかは海に落ちちまうな…。

 そこまで考えた時だった。

 …?

 何かヘンだ。

 俺は時計を見た。

 それは俺がいつもラジオでニュース番組を聞くはずの時間帯だった。日常生活では杜撰なことも多いが、この番組だけは欠かさず聴いている。

 今度は周波数を確認する。

 間違い無い。野太い年配のキャスターの声が聞こえてこなくてはいけないはずだ。若手女性歌手の番組か何かになったのだろうか?

 俺は耳を傾けた。

「以上。総選挙のニュースをお伝えしました。次、首相の「日本はTSの国」発言の波紋ですが…」

 俺は慌ててチャンネルを回した。

 只でさえ動悸が高まっている心臓の壁が更に内側から突き上げる。

 な、何だ?何だ今のは?

 どうしてあんなねーちゃんがニュース読んでんだ?

 いや、よく考えろ。女のキャスターなんて今や吐いて捨てるほどいる。たまたまさ。たまたま。

 俺はチャンネルをFMに変えた。ここはノリノリのDJが放送コードギリギリの熱いトークで盛り上げてくれているはずだ。女子供なんかおととい来やがれの番組を…。

「いいぇ〜いぃい!!乗ってますかぁ〜みなさ〜ん?」

 俺はラジオを叩き切った。

 

 

 どこなのか分からない地方都市に付いた。

 正直、人のいる場所、人の大勢いる場所に辿りつくことに恐怖していた。なぜかどんなに地方に行っても、山の中の様な道にすら建っているコンビニにいるであろう人影を見ることすら恐怖の対象だった。

 もしもそこにいる人間が「あの姿」だったら…。

 それはもう「無限地獄」としか言いようの無い恐怖だった。

 しかし、ここに来て安堵した。やはり普通の人間たちである。

 油断したのだろうか。俺は繁華街に車を止めて飲み物でも買おうと少し歩いた。

 その時だった。

 街頭に設置してあったテレビには東京、渋谷のセンター街が映っていた。

 俺は言葉を失った。

 それは、ある意味で清清しく、清らかな光景だったのだろうが、俺にとってはおぞましいものでしかなかった。

 そこを行き来する人々は全員が全員「あの姿」だったのだ!!

 俺はあまりのことに固まった。

 しかし、その程度の驚きで済んだのは次の画面が映し出される瞬間までだった。

 画面が切り替わり、「あの姿」になった…確かに元の面影を残す…二人のニュースキャスターがいたのだ!

「と、いう事なんですぅ。全国のお兄ちゃん」

「ご主人様」

 絶叫が鳴り響いた。

 

 

 日付が変わった。

 遂に逃げ続けて深夜に至ってしまった。

 逃げられない…どこにも逃げられない…。

 次第に恐怖が支配し始める。

 東京はもう全滅だ。この勢いで行くと世界全てが…。

 何故だ!どうしてこんなことになったんだ…。

 

 

 俺は血迷ったのだろうか?ホテルにチェックインしていた。

 誰かに騙されているのだろうか?もう自暴自棄だったのだろうか。

 部屋に入ると昏倒する様に倒れこんだ。

 張り詰めていた神経が途切れたのだろうか。

 しかし、ベッドの上に置かれていたテレビのコントローラーのスイッチを押してしまった。

 プチン、とテレビのスイッチが入る。

 血の気が下がった。見たくない!!

 その時だった。

 何やら全身に違和感を感じる…。

「な、何だ?」

 あまりの異様な感触に思わず声を上げてしまう。

 一瞬のことだった。ぴくぴくとわななく唇…。

 全身が跡形も無く変貌し、「あの姿」になってしまったのである!

「ああっ!!」

 ベッドの上にスカートを広げて「ぺったんこ座り」になってしまう俺。

 その時だった、テレビの中の、今の俺の姿と同じ「あの姿」の娘が何かを示した。

 そこには俺がデザインした灰皿の映像が映し出されていた。

「…?…!!!」

 何と言うことだ!そこには致命的な誤字があったのである。

 そこにはこう書かれていた。

 MAID IN JAPAN
















































































イラスト 鬼邪太郎さん