不条理劇場
 
パリと東京
 
水谷秋夫(BLOG)

 ぼくは画学生だ。
 アルバイトを重ね、夏休みに憧れのパリに出かけた。
 画学生のぼくが最初に訪ねたのは、もちろんルーブル美術館だ。
 ルーブルでまず見たかったのはサモトラケのニケだ。首から先が無い勝利の女神。有名な彫刻。
 ニケはルーブル美術館の中でも目立つ場所、「ダリュの階段踊り場」に据え付けてある。ぼくはニケの正面に近づくと、A4のクロッキーブックをリュックから取り出して、さっそくデッサンを始めた。
 そこで一人の若い女性に出会った。
「なかなかうまいものね」
 その女性はフランス語で独り言を言った。褒められて悪い気はしない。
「ありがとう。君も描いてあげようか」
 ぼくはフランス語で話しかけた。今回はただの旅行だが、いずれぼくはパリに留学しようと思っていた。簡単なフランス語なら話せるくらいに勉強していた。
「あら」
 フランス語を話す東洋人に彼女は興味を持ったようだった。ブロンドの髪、大きな瞳。異国でこんなに若く美しい女の人と話が出来るなんて、それだけで楽しい気分になる。ぼくはデッサンの手を止めて、彼女と話した。
「初めまして。君はパリの人?」
「ええ、そう」
 パリジェンヌだ。
「あなたは中国人? 日本人? 韓国人?」
「日本人だよ」
「日本のどこから来たの?」
「東京」
 彼女は少し思案顔になった。
「そうか、東京か。あなたはいくつ?」
「え? 二十歳だけど」
「ふうん、私は二十二だからあなたのお姉さんになるわけね」
 お姉さん、って、会ったばかりでずいぶん親しげだな、とぼくは少し疑問に思った。
 
 その時だった。異変が起こった。
 突然、頬に何か掛かってきた。手に取るとそれは、するすると伸びたぼくの髪だった。
「え?」
 声をあげた。その声にもまた驚いた。ぼくの声じゃない。甲高い。思わず首を触る。のど仏が無くなっている。
 胸に違和感が生じた。胸を押さえる。その手の中で胸が次第に膨らんでいく。
「ああっ」
 不安になったぼくは今度は股間を押さえた。不安は的中した。男性器が縮まって消えていく。下腹部の中がぐるぐると動いている。体の中まで変わっていくようだ。
 前を向いた。目の前のパリジェンヌの顔。さっきまでぼくが少し見下ろす感じだったのに、今は逆に少し見上げる感じになっていた。ぼくの背が低くなっているんだ。
「どうして、こんな」
「そう。わたしがお姉さんだから、あなたは妹」
「何を言っているの」
 
「だから、パリと東京は姉妹都市なのよ」