「魔法少女ナナシちゃん!」
連載第61回〜第70回

連載第61回(2002.11.20.)
「私はあんまり熱心にアニメを観ていた方では無いので・・・」
「基本的に“魔法少女”に限らず『何とか少女何とかちゃん』みたいなアニメって「女の子向け」に作られています」
 そりゃそうだろう。
「例外は73年の『キューティーハニー』位でしょう。まあこれは土曜日の夜8時という現在ではほぼ考えられない時間帯に放送されたことからも『大人向け』コンテンツであったと推測されますけども」
「はあ・・・」
「あ、ちなみにOAV、テレビ、映画、漫画、ゲーム、小説を制覇し、“メディアミックス”と呼ばれたのは『機動警察パトレイバー』(1988年)あたりが最初と思われていますが、実はこの『キューティーハニー』が最初です。テレビ放送に合わせて漫画連載が同時進行しています。大変な人気だったそうですが、連動企画だったのでテレビ版放送終了と同時に連載も打ち切りになりました。・・・まるっきり最近の話みたいでしょ」
「・・・」
「あ、すいません。脱線しました。ともかく、これが恐らく最初の『男の子』を視野に入れた『魔法少女』ものなんです」
「・・・え?」
「最近は『魔法使いTai!』あたりからこっち、もう完全に『男の子』・・・というか『大きなお友達』を目当てに製作されていますが、その傾向はこの頃からある訳です」
「そう・・・何ですか?「セーラームーン」とか」
「「セーラームーン」は俗に『無印』と呼ばれている最初のシリーズが始まったのが1992年・・・実に10年前・・・です。これはもうアニメ史的に言えばごくごく最近のことです。この頃にはもう『魔法少女ものはある程度以上男性視聴者を視野に入れて作る』のは常識になっています」
 そんな世界があったなんて・・・安宅(あたか)には悪いが進藤は薄気味悪さに背筋が寒くなった。


連載第62回(2002.11.21.)
「後にリメイクもされるんですが、「ミンキーモモ」は流石にまだ内容的にかなり子供向けですね。これを見て楽しんでいたのはまだまだ先鋭的な一部のファンだけでしょう」
 “先鋭的”なのかそれは?病気なんじゃないのか?
「スタッフからは“男性視聴者を視野に入れている”旨の発言があります。もう間違いないでしょう」
「はあ・・・」
「時代は下ります。あ、ちなみに『超時空要塞マクロス』が1982年に始まっています。実は『ガンダム』の3年後なんですよね。かなり経っている様な気がしますけども。次は1983年の『魔法の天使クリーミーマミ』、1984年の『魔法の妖精ペルシャ』になるでしょうか」
 これも何となく聞いたことがある。
「このあたりから一気に加速しまして1985年『魔法のスター マジカルエミ』、1986年『魔法のアイドル パステルユーミ』と続きます。恐らく当時のオタクはもう夢中になって観ていたでしょうね」
「・・・?安宅(あたか)さんは違うんですか?」
「・・・ちょっと病気がちでしてね。このあたりはちょっと・・・」
 触れて欲しくない話題なのかもしれない。
「ところがここでぴたりとこの系譜が途絶えます」


連載第63回(2002.11.22.)
「色々と邪推したくなりますが、まあはっきり言えば世間が“飽きて”来たんでしょうね。そんな事を言えば「セーラームーン」シリーズが絶えていることにも深遠な理由を設定しなくてはならなくなる・・・まああっちは純粋な続き物ですけども」
「はあ・・・」
「ちょっと変わった子孫として『アイドル伝説えり子』(1989年)、『アイドル天使ようこそようこ』(1990年)が登場します。これは『クリーミーマミ』で描かれた芸能界ものの要素をより現実的に発展させたものと言えるでしょう。あ、ちなみに『えり子』は実在のアイドル『田村絵里子』のタイアップアニメとして放送されるという恐らく空前絶後の企画でした。本人も演技派アイドルとしてしぶとく頑張っていたみたいですが最近はあんまり名前を聞きませんね。アニメ本編のほうはこれまでの“芸能界もの”のセオリーを次々覆す意欲的な内容で現在に至るまで高い評価を得ています。ちなみに「ようこそようこ」になりますとアイドルタイアップでは無くて現在の元祖“おっはー”の山ちゃんこと声優の山寺宏一氏の奥様であるかないみかさんが声を当てられています・・・ってどうでもいいですね」
「・・・」
「歴史として1989年に『魔法使いサリー(新)』が放送されていますが、これまたどうでもいいってことで」
 どうでもいいなら言うなよ。
「あ、そうそう『魔法のエンジェル スイートミント』(1990年)がありましたね。「魔法の天使」が「魔法のエンジェル」になっている辺りスタッフの苦労がしのばれますが、1991年には『魔法のプリンセス ミンキーモモ(新)』が登場です。『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイで名高い林原めぐみ嬢がモモの声を当てています。ちなみに先代は『アラレちゃん』の小山まみさんでした」
「はあ・・・」


連載第64回(2002.11.23.)
「順調に連続しまして『花の魔法使いマリーベル』(1992年)と来ます。が、流石にそろそろ息切れでしょう。近接作品として『ヤダモン』(1992年)、『ミラクル☆ガールズ』(1992年)、そして『美少女戦士セーラームーン』の最初のシリーズもこの年です」
「あの・・・」
「わかります分かります。もうすぐ終わりますので。このあたりから純粋な『魔女っ子』『魔法少女』ものはほぼ絶えます。同じく近接作品として『赤ずきんチャチャ』(1994年)、『魔法騎士レイアース』(1994年)、かなり微妙ですが『愛と勇気のピッグガール とんでぶ〜りん』(1994年)」
「・・・」
「1995年になりますと『本家』以外の『近接作』とでも言うべき作品が非常に増えてきます。『愛天使伝説ウェディングピーチ』、『快盗セイント・テール』、『ナースエンジェルりりかSOS』・・・。ちなみに同年は『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始の年であるのは忘れたくないですね。1997年の『キューティーハニーF(フラッシュ)』をさらっと流して、・・・お待たせしました。久しぶりの『本家』とも言うべき『魔法のステージ ファンシーララ(1998年)が登場します。そして、現在まで続く『魔法少女もの』の最も大きな流れ・・・、傍系の子孫と言える『おじゃ魔女どれみ』(1998年)が始まります。その他沢山ある近接作の中から絞りに絞り込んで列挙しますと、『スーパードール・リカちゃん』(1998年)、『コレクター・ユイ』(1999年)、『神風怪盗ジャンヌ』(2000年)というところでしょう。アニヲタ・・・『アニメオタク』のことですが・・・に見せたらかなり怒られそうなリストですが、ともかくこんなもんでしょう」
 はあ・・・やっと終わるのか。
「『どれみ』が傍系の子孫なら、直系の子孫といえる『カードキャプターさくら』(1998年〜)を加えて一応の完成としましょう」
「あ、ありがとうございます」
「それでは本題です」
 進藤はげんなりした。


連載第65回(2002.11.24.)
「“ナナシちゃん”がこれらのフィクションを擬しているかどうかというのは内容を精査しなくてはならないんですが・・・これは必要ありません」
「そうなんですか?」
「これら概観してきた『魔法少女もの』の中で『現実の』悪と向かい合った作品なんてほぼ無いと言っていいでしょう。まあ中には悪徳芸能社長とか汚職政治家を“懲らしめた”話はあるのかも知れませんが、街のチンピラをのしたりレイプ犯から人を救ったりする『魔法少女』がいたでしょうか?というかそんな深刻なお話を子供が楽しめるとも思えません」
 まあ、そうだろうな。
「実はこれは私の個人的な感慨なんですけど、フィクションの中での“スーパーヒーロー”というのは所詮絵空事なんですが、その“絵空事”感を余計に深めているのが、“敵を設定する”という行為なんです」
 ちょっと分かりそうな話になってきた。
「『仮面ライダー』では実は主人公であるはずのライダーそれ自体がショッカーの脱走改造人間です。つまりこの世界の唯一のスーパーパワーは『ショッカー』ということになってしまいます」
「はい」
 ふむふむ。
「日本の古武道は残念なことに殆どが柔道と空手に吸収されてしまう形になったのですが、わが国の「ロボットもの」も残念ながら『機動戦士ガンダム』路線が主流になりつつあります」
「そうですか・・・」
「平たく言えば「リアルロボット」路線ですね。『装甲騎兵ボトムズ』なども生き残ってはいるんですけど、はやり『人間同士の戦争』ものこそ正統派であると看做される傾向は根強くあります」


連載第66回(2002.11.25.)
「これは日本のアニメ云々では無くて人類が考え出したフィクションの歴史そのものに踏み込まなくてはならなくなるんですが、『マジンガーZ』の様な“夢の機械”そのものを創造する試みは確かにありました。」
「はい」
「私なんかはもしもそういうものがあったら“それを現実世界に放り込んだらどうなるか?”というシミュレーションが楽しいんですが・・・」
 なるほどそれは面白そうだ。
「実際に今それらのアニメを観てもそういった醍醐味は全く味わえません」
「・・・それは何故ですか?」
 こういう言い方に上手く合いの手を入れるのは進藤の仕事みたいなもんだ。お手の物である。
「それはこれらのアニメや特撮ものの舞台となる“世界”が我々の住んでいるこの世界とは異なる世界だからです」
「異なる・・・世界?」
「はい」
「どう違うんですか?」
「“敵”がいます」
「“敵”・・・」
「現実世界には“機械獣”もいなければ“ショッカー”も“薔薇十字軍”もいません。それらがいる時点でもうそれらのお話は“絵空事”なんです。ですが、これは仕方の無い面があります。・・・進藤さん黒澤明監督の『七人の侍』はご覧になりました?」
「あ、ごめんなさい・・・」
「日本史マニアから言えばその設定からして言いたいことが山ほどあるんでうけども、ともあれ夜盗と化していた侍の集団を“雇われ侍”軍団と村人が力を合わせて撃退するお話です」


連載第67回(2002.11.26.)
「はあ・・・」
 そういう話だったのか・・・。
「ネタばれになってしまうんですが、最後結局撃退に成功した村ではお祭り状態になります。よく戯画化される“役目を終えて追い出され、村を後にする生き残った侍”という場面はありません。死んだ4人の侍の墓の前で『結局勝ったのは百姓だ』と言う場面で終わります」
「はあ・・・」
「つまりこれは“平時に軍事力は必要ない”という場面なんですね」
 なんだか映画評論家の話を聞いているみたいだ。
「私はロボットアニメや変身ヒーローもの・・・『ウルトラマン』路線にしろ『仮面ライダー』にしろ、いずれにせよ“超人願望”の発露だと思っています」
 “超人願望”か・・・。
「人は誰しも自分に無いものに憧れます。怪力や超能力などですね。女性なら美しさなどがあるでしょう」
「はあ・・・」
 まだ進藤には安宅(あたか)の話が掴めない。


連載第68回(2002.11.27.)
「ちょっと“魔法少女”の話しから急に飛んだので用意が出来ていないんですけど、人間には間違いなく「暴力衝動」みたいなものがあるんですね。「闘争本能」と言い換えてもいい」
「はあ・・・」
「フェミニストの女性議員の方々がどう考えているのか分かりませんが日本は世界一に近いほどレイプ犯罪率は低いんです。各種の性的慰安施設やアメリカ人が羨む性的表現の規制の低さがこれらの“ガス抜き”の効果を果たしているのは疑いが無いでしょう。マスコミやPTAはそうは思っていないみたいですけどね」
 一応マスコミの末席にいる進藤へのあてこすりだろうか。
「日本は徴兵制がありません。今ではかつてのNATO国や肝腎のアメリカですら志願兵制になっていますが、韓国やイスラエルの様に国民皆兵を取る国も多いのですが・・・一応「軍隊」を舞台とする「リアルロボット」ものが、「国民皆兵」から最も遠いはずの我が国で発達したのは決して故なしとは言えないでしょう」
 よく分からない。進藤としてはアニメ談義を聞きたいのではない。
「アメリカで本が最もよく売れた時代は・・・現代を除くと何時だと思います?」
「いえ・・・分かりません」
「大恐慌時代です」
「はあ」
「要するに“現実逃避”の役割を果たしたのがフィクションだったんですよ」


連載第69回(2002.11.28.)
「『ロード・オブ・ザ・リング』という原題をカタカナにしただけの工夫の無い邦題で最近映画が公開された「指輪物語」ですけども、これの発売はベトナム戦争時代です」
「はあ・・・」
「近代文学の中で“小説”というのは正直あまりいい立場は与えられてきませんでした。“小説”という単語は漢語ですけども、これも中国が「作り話」をいかに軽視しているかを表しているでしょうね。世論を形作るのは大衆ですけども先導するのは知識人です。明治時代には「小説なんか読んでいると馬鹿になる」といった論が大真面目に語られていたそうです。現在も跳梁跋扈する「評論家」先生諸氏の発言がどれくらい信用が置けるのかの傍証になるでしょう」
 ・・・あまり「評論家」が好きでは無いらしい。まあ、進藤だっていかがわしい連中だと思っているが。
「この他にも「新聞を読んでいる奴は馬鹿になる」とか「テレビを見ていると頭が空っぽになる」なんて話もあります。未だに「ゲームをやっているとゲーム脳になる」とか言う粗雑な理論がまかり通っていますが、要するに新しいものに対する反発でしょう。現在、教育ママの皆さんはお子さんに本を読ませようと躍起みたいですけど評論家が「本を読むと馬鹿になる」と言っていたのを知ったらどう思うんでしょうかね。まあ本を読まなくても馬鹿はいる、という証明にはなりますがね」


連載第70回(2002.11.29.)
「話がずれました。まあ私の友人にも人並み以上に本を読み、同時にゲームを楽しんでいるのも珍しくありません。はっきり言えば「ゲームをやる」「アニメを観る」行為と「本を読む」行為は矛盾しません。ゲームが登場する以前の世代は水と油だと思っているんでしょうけどね」
「あの・・・」
「済みません。ともあれ“現実逃避”の方法として“フィクション”を楽しむという方法論を人類は獲得しました。“昔話”は“教訓”だし、各種“神話”もありますがあれは“宗教”です。このあたりを詳しく話しているとキリが無いので省略しますが、ともかく純粋な「作り話」を楽しむ前提が出来ました」
「はあ・・・」
「何しろ“現実逃避”ですから、ここから“超人願望”を満たそうというものが登場するのも当然でしょう。ところがここで問題が起こります」
 まだ進藤の理解出来る段階まで至らない。
「“超人願望”と言ったって、その“力”が最も有効に使える舞台が整っていないといけない訳です。ところが現実は“力”が有効に使える世界では無いんですよ。戦後民主主義の暴力否定の風潮ですから。・・・まあだからこそ“暴力衝動”を満たす“超人願望”のお話が求められる訳なんですけど」
「ちょっといいですか・・・?」
「どうぞ」
「先ほどのお話ですと、これまで“フィクション”は無かったってお話ですよね」
「まあ」
「でも日本には『源氏物語』も『平家物語』もある訳ですよね」
「そうですね。『太平記』とか」
「私もあまり詳しくないんですけど“ねずみ小僧”とか“清水の次郎長”とか、あと“真田十勇士”とか」