「魔法少女ナナシちゃん!」
連載第111回〜第120回

連載第111回(2003.1.9.)

「ぐはあ!」
 どさり、と崩れ落ちる暴漢。
 物凄いせきを連発する。
「それくらいじゃ捕まんないよ」
 ひらりと地面に降り立った浩太の口からまた軽口が出る。
「うーん、まともに入ったみたいね。でも自業自得よ!さあ!観念してお縄を頂戴しなさい!」
 びいいっ!とポーズを決めてその貧相な容貌の男を指差して“決める”浩太。
 これって・・・まるで「正義の味方」みたいじゃないか。
 浩太は勝手に動く自分の身体に戦慄していた。
「う・・・おおおおおーっ!」
 暴漢は再び立ち上がり、状態を倒してタックルの様な姿勢で突進してくる。
 その瞬間だった。
 何故か浩太にははっきりと“目標”が見えた。
 その男の襟首である。
 技を極めた野球の打者は、時にボールが静止して見えることがあると言う。
 この時の浩太の精神状態がそうであったのかは分からない。
 だが、その一瞬の間に、そこを掴むのが最も効率的であることを本能が告げていた。
 そして次の瞬間にはもう手袋の上からそこを掴んでねじり上げていた。
 腕をぐるりと自分の背中側に乗せて膝をかがめ、背中に相手の身体を“乗せた”瞬間に思いっきり膝を伸ばして跳ね上げる。
 目の前に地面があった。
 強く顎を引いて頭上を通過する身体を思いっきり自分のほうに引き寄せ、強くねじる。
 上体を起こす。
 目の前にドシン!と男の身体が落下する。


連載第112回(2003.1.10.)
 その目はうつろだった。
 浩太の見た目にも気絶しているらしいことが分かる。
 な、何だこれ?
 どうなってるんだ?
 僕が・・・投げた・・・の?
 浩太は生まれてこの方他人に暴力を振るった事なんて無い。
 騙すより騙される方がいい、という言葉がある。浩太は必要があれば殴るよりも殴られる方がいいと考えるタイプの人間だった。
 例え自分に落ち度があっても、可能な限り周囲との摩擦を避けたい。それは優しいのではなく、臆病なだけだった。だからいじめられるのだとも言える。
 ご、ごめんなさい・・・。
 その言葉が喉まで出かかった時だった。
「ふう・・・」
 ぱんぱんと手を払う。これも勝手に取ってしまうアクションだった。
「うーん・・・気絶してるか・・・受身もロクに知らなそうだったから・・・でもこれくらいは天罰よ!」
 またまたポーズを付けながら言ってしまう。
 そんな・・・僕って女の子になっちゃっただけじゃなくて性格まで正反対になっちゃってるじゃないか!

 その後の事はよく覚えていない。
 その後、襲われていたらしい女性を介抱して近所の交番からお巡りさんを連れてきて・・・
 いろいろやって・・・その後どうなったんだっけ?
 余りにも色んな事があった。
 あり過ぎてよく憶えていないったらいないんだ。


連載第113回(2003.1.11.)
 気が付いた。
 ・・・いつの間に眠ってしまったのだろう。
 ああ・・・駄目じゃないか。眠れば時間が早く過ぎてしまう・・・。
 実際にはそんなことが起こるはずは無いのだが。
 時計を見た。
 悪夢だった。
 時間は朝の6時を指していた。
 6時!?6時ってあの6時だよな?
 もう朝じゃないか・・・。
 稲妻に打たれた様にその場に跳ね上がった。
 ベッドの上に仁王立ちになる浩太。
 ・・・。

 あれは一体なんだったんだろうか?
 とぼとぼ歩きながら考えた。
 夢にしてはあまりにもリアルな夢だった。
 あの晩・・・確かに僕は小さな女の子になって、暴漢を投げ飛ばしていたんだ・・・。
 今も手にその感覚が残っている。
 手だけではない。
 暴漢の身体を背中に乗せて持ち上げたときの重さも、スカートから出た脚の寒さも・・・よく覚えている。
 楽しげな声を上げてそばを女子生徒が通り過ぎる。
 その脚に目が行く。
 浩太の通う中学は、近頃テレビでよく見る“女子高生”みたいに極端に短くは無い。だけどスカートには違いない。
 何故か自然と笑みがこぼれてくる。
 別に仲間意識って訳じゃない。でもなんかおかしかった。


連載第114回(2003.1.12.)
「おう!どけよゴルァ!」
 いきなり突き飛ばされる浩太。
 振り返るとそこにはいつも何かとねちねちいびってくるいじめっ子がいるではないか。
 いっしゅん、よろ・・・とバランスを崩しかける浩太。
 2〜3歩よろけ、そして振り返る。
 ニヤニヤしながらその集団は見下ろすような視線を投げつけてくる。
 不思議だった。
 一言で言えば“恐くなかった”。
 これまでな、一挙手一投足が非難の対象になるのではないかと恐ろしくて仕方が無かった。
 だが・・・上手くいえないのだが、昨日の経験が浩太を変えていた。
 今でも夢だったんじゃないかと思う。客観的な状況証拠だけを見れば夢と考える方が合理的だ。だが、浩太は思った。夢でも何でもいい。実際に自分が“体験した”と思い込んでいるのだからいいでは無いか。
 接近してくるいじめっ子。
 こいつは無意味に背が大きい。
 だが・・・浩太は妙に安心していた。
 本当は恐くて逃げ出したいはずなのに、奇妙に落ち着いている。
 昨日の晩は、今の自分よりも頭二つは小さい姿でこいつよりもずっと大きな人間を投げ飛ばしたのである。
 この程度の人間なんてちょろいもんだろう。
 まさかそこまで思っていた訳でもないだろう。だが、自然とその視点はだらしなくはだけられたその胸元に行っていた。


連載第115回(2003.1.13.)
 昨日の晩もそうだった。
 脳の中で何かがスパークし、ごく自然に相手の胸倉を掴んでいたのだ。
「おうおうおうっ!」
 またドン!と胸を突き飛ばした。
 いじめっこは違和感を感じていた。
 浩太が咄嗟によけようとしたからである。
 浩太はいじめっ子の顔をごく自然体で凝視している。
「何だテメエは?」
 凄んでみたものの、明らかにいつもの迫力が無い。
 何かおかしかった。
 こいつはいつもならちょっと突き飛ばせばすぐに怖気づいてへなへなっとなってしまっていたはずである。それが全くそういう素振りを見せないばかりか、マトモにこちらを見返してくるのである。
「おい!どうしたんだよ!
 涼しく、その奥を見通すかの様な浩太の目。
「あ、ああ・・・」
 先に視線をそらしたのはいじめっ子の方だった。
「調子に乗るんじゃねえぞ!」
 捨て台詞を残して去ってしまういじめっ子。
 ・・・何だ・・・つまらないな・・・。
 浩太は自分の思考にある種戦慄していた。
 ひょっとして・・・誘ってる?
 本気で襲い掛かってくるのを待っていたのではないか?
 浩太は自分で自分をそう分析した。
 きっとそうだったんだと思う。

連載第116回(2003.1.14.)
 いじめっ子も、“動物的本能”で危険を察知したのだろう。
 何かしらこれまでと違うものを感じ取っていた。
 浩太の顔に笑みが広がった。
 昨日までの実存に関する罪悪感からはどこか解放された気分だった。
 いじめっ子がよく陥るのが、自分自身を“価値の無いもの”と見なしてしまう事である。
 周囲からそう思い込んでも仕方の無い仕打ちを受けつづけるのであるからそれも道理であった。
 浩太が見せた先ほどの反応は、決してそれを覆した物ではない。間接的ではあるが、自らの存在証明を“腕力”で掴み取った瞬間であった。
 自分は周囲に迷惑をかけていると思った。一挙手一投足に“むかつく”人がいる。それをどうしようもなく申し訳ないと思った。
 これを解消するには、それこそ自分がこの世から消えてなくなるしか無い。そうすればせめてこれ以上迷惑を掛ける事は無くなる。唯一心残りがあるとしたら、自殺することによって“世間を騒がせる”ことだろう。もしかしたら、いじめた相手がそれによって“罪悪感”を感じてしまうかもしれないということだ。
 いじめっこというのはそれほどまでに卑屈な思考に至ってしまうものなのである。実際にはいじめっ子の方が社会の害悪になりそうなクズばかりだったりするのだが、そこは“弱肉強食”が世の習いである。

連載第117回(2003.1.15.)
 その日はどこか気分が良かった。
 いじめは相変わらずだった。
 みんなは浩太の存在理由をことごとく否定してみせる“ゲーム”に興じ続けていた。
 浩太はいつもの様に椅子に座るときにはそこに画鋲が無いかを確かめ、教室から教科書を全て持って帰る生活を続けていた。
 昼休みに自転車置き場に行ってみる。
 浩太の自転車だけが自転車置き場から引き出され、ハンドルを下に逆さまに立てられていた。
 またか・・・。と思った。
 恐らくさっきのいじめっ子だろう。
 全く暇人もいたものだ。
 反射的に後者の方を振り仰いだ。
 さっ!と数人が窓の影に隠れるのが見える。
 反応を見て楽しんでいるのだろう。
 このままにしておいてもいけないので、倒して、正しい向きに立て直す。
 サドルの部分には何かがへばりついている。恐らく犬の糞か何かだろう。これも後で掃除しないといけないな。淡々と浩太は考えた。この程度でめげていてはいじめられっ子はやっていられないのである。
 ・・・ハンドルの感覚が何かおかしかった。
 ネジが巧妙に緩められている様だ。
 普通に運転し始める分には問題無いけども、いざこぎ始めるとハンドルが外れるという仕組みだ。
 下手をすると大怪我である。
 なかなか巧妙になって来ている。

連載第118回(2003.1.16.)
 やっぱり無力だな、と浩太は思った。
 多勢に無勢である。
 朝には少し回復した気持ちが再び絶望的な段階に落ちていくのが分かった。
 一体自分が何をしたと言うのか。
 いや、みんなが言う“むかつく”というのがそのままなのだろう。
 このままこの学校に通いつづけるのは不可能なのでは無いだろうか。
 少々馬鹿なことを考えた。
 もしも昨日の少女に自由自在に変身出来たとしても、それでいじめっこを全員ぶちのめしたとしても、このいじめ状況はきっと何も変化しないだろう。
 僕は・・・まだ中学に入ったばかりだ。
 きっこの惨状は一生続くに違いない。
 そう思った。
 もう疲れた。
 本当に疲れた。
 でも・・・これを解決する手段なんて見出せない。きっと、こうして靴を履いて外の自転車置き場に来てしまったスキに上履きがヒドイことになっているはずだ。
 もう帰りたかった。
 それは以前の精神状態とまるっきり同じだった。

連載第119回(2003.1.17.)
「よう」
 景気のいい声がかかる。
「あの・・・」
「いいからこっち来なって」
 べらんめえ口調のこの人は養護教諭である。分かりやすく言うと「保健室の先生」だ。
「寒いからさ」
 にやりとする。
「はい・・・」
 ガラガラと音を立てて引き戸を閉め、入ってくる浩太。
 言われるままにストーブの近いところにある椅子に腰掛ける浩太。
「堀井・・・上履きは?」
 養護の教諭というのは、担任とは違って全校生徒を相手にする。それが立て板に水の様にやってきた生徒の名前を言うのは、そこだけ見れば驚異的なことだった。
 だが、そうでは無い。
 浩太はこの保健室の、言ってみれば“常連”なのである。
 何も言わない浩太。
 それを察したようにこちらも黙り込む。養護。
 保健室というのは、決して気分が悪いときに来るだけの場所では無い。一種の“駆け込み寺”なのである。
 そこにデンと構えているこの姉御肌の女教師こそ川畑紫(ゆかり)だった。
 紫(ゆかり)は特に何も言わない。事情を察しているのだ。
 事情を察しているのならどうして問題の解決に動いてくれないのか。別に冷たいからでは無い。こうした問題に迂闊に教師がクビを突っ込むと余計に事態をこじらせることも珍しくない。


連載第120回(2003.1.18.)
「あの・・・先生・・・」
「ん?」
 紫(ゆかり)は決して事情を詮索しない。愚かな教師はいじめられてやってきた生徒を問い詰めてしまったりする。それは首を吊った状態の相手の踏み台を蹴飛ばすにも等しい愚挙である。
 相手に任せるしかないのだ。
「いいよ。寝て」
 全てを察したかのようだった。
「すみません・・・じゃあ」
 窮余の策として保健室に“逃げ込む”生徒は少なくない。また、素行に問題のある、所謂“不良生徒”の中にも、保健室を一種の“溜まり場”にしている者もいる。
 紫(ゆかり)とて、そんな生徒を全て受け入れている訳では無い。
 明らかにサボり目的でやってきた不良なんかは追い返す。
 中には純粋に“話に”やって来るのもいる。
 マニュアル世代で、話していてもちっとも面白くない教師連中よりもこの紫(ゆかり)先生といる方が楽しいのである。
 そのべらんめえ口調や、姉御肌の性格から昔は不良の番長だったんじゃないかとも言われている。
 そして、浩太がここを選んだのは現実的な理由もあった。
 そう、ここにいる間は少なくとも安全だったのである。
 ここには“番人”の紫(ゆかり)がいるのだから。
 勿論、ここに来たからといって、根本的な解決になる訳では無い。だが、来なくてはやっていられないと考える日もあるのだ。
 浩太は滅多にやってくる事は無い。「寝かせてくれ」という事など稀なのである。
 それだけにいざ要求が出ればすんなり通るのだ。
 実際に具合が悪いかどうかは紫(ゆかり)には大した問題では無い。保健室の機能はそんな所にある訳では無いのだ。
 浩太は眠りに落ちていった。