「換身」 作・真城 悠 雑多な小説トップに戻る |
目が覚めた。 奇妙な感覚だった。 全身に粘りつくような汗をかいている。 真夏の昼にうとうとしてしまったとき特有の感覚にも似ていた。 俺は…確かにベッドで寝たはずだ。それもきちんと夜に。 まあいい。 起き上がろうと身体を動かす。 全身を電流のような違和感が走り抜けた。 …な、なんだこれは? 俺はゆっくりと頭を左右に振ってみた。 天井がそれにつられて左右に動く。 それと同時に頭に何かがまとわりついてくるのである。 背中を冷たいものが流れ落ちる。 いや、全身が奈落の底に落ちて行きそうな絶望感に打ちひしがれていた。 思いきってがばり!と上半身を起こす。 はらり、とそのタオルケットがはだける。 「ああ!」 実際にはそれほど大きな声が出せた訳ではなかった。しかし、声にならない叫びを上げる事で、少しでもショックを軽減しようという試みが反射的に発動したのは間違いが無かった。 そこには見慣れた締まりの無い男の肉体は無かった。 豊満でかつ美しい乳房。蜂の様に細くくびれた腰がすぐに眼に入ってきた。その下にはあるべきものが無くなっている。 「あ…あああ…」 俺は頭にまとわりつくそれ…はっきり言えば以前の自分よりも遥かに長く伸びた頭髪を触った。 それは確かに自分のものである感触をその手に、そして頭皮に伝えていた。 「…!」 俺は自分の手を見てみた。 そこにはとても毛深い自分のそれとは信じられない、キメ細やかな美しい手があった。 自分の身の上に起こった出来事は明らかだった。 再び自分の身体に視線を落とす。 ごくりと唾を飲み込んだ。 そ…とその乳房に触れてみる。 やはりその感覚は自分自身の身体のものに間違い無かった。 堰を切った様に自分の身体に触りまくる。
思っていたほど取り乱さなかった。 しかし、どうしようもない不安に打ちひしがれていたのも事実だった。 ここは間違い無く自分の部屋だ。そして自分のベッドだ。 しかし自分は女になってしまっている。 鏡で確認した。 その容姿については良く分からなかった。 そう不細工では無いとは思うのだが、目を見張るほどに美人だとも思わない。何より、そんなことに一喜一憂していられる様な状況ではないのである。 明日から一体どうしたらいいのか? 自分にはこれまでの男としての生活がある。人間関係だってあるし、第一このままでは生活していくことすら覚束ない。 裸のままベッドに座り込んで頭を抱えた。 美しい頭髪が垂れ下がってきて香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。 シャンプーの匂いか…。 とにかく何か着なくては始まらない。 しかし、箪笥の中には男物ばかりである。 俺はいつもの様に服を選んでそのまま着た。ブラジャーはまだともかく、パンティを穿く必然性は何も無いのだ。 「…」 薄手のTシャツに包まれた自らの女体を見下ろして絶句した。いや、絶句はしないがドキッとした。 そこには胸の…はっきり言えば乳首がくっきりと浮かんでいたのである。 いくらなんでもこれはまずい。裸と大差ないではないか。いや、考え様によっては裸よりも数段いやらしい。 とはいえ、ブラジャーなんて持っていないしな… 考えるうち、俺は思い出した。そして箪笥のある引出しを開ける。 あった…。 そこには付き合っている彼女の下着が入っているのである。 勇気を持ってその中をあさる。 程なくして可愛らしいブラジャーが姿を表した。 「…」 これをするのか?本当に? 第一入るのか? それは失礼だとしても出来るだろうか… 観念してTシャツを脱いだ。おっぱいが引っかかってなかなか脱げない。こりゃかなりの大きさだ。 ピンク色のそれはその装飾からも嫌というほど女性らしさをこちらにアピールしてくる。 これをするということは、自分の身に起こったこの出来事に屈服し、認めることになるのではないだろううか? 俺の胸はドキドキもしなかった。しかし、男でありながらその豊満なバストにブラジャーをあてがう、という行為が何かの「一線を越える」行為なのでないか、という自覚だけは大きくあった。 思いきってぴちりと引っ付ける。 「……」 そのなまめかしいフィット感に言葉を失う。押さえつけられるその感覚は、その慣れない突起物の隅々まで感覚器官が通っていることを認識させ、そして…なんだかとっても気持ちが良かった。 さんざん苦労して後ろを止める。 何度も付けては外れ、ずれて付いてしまう。 一度は、後ろの金具をはめてからかぶろうとしたが、不慣れなところに持ってきてその「大きさ」に断念する。 「ふう…」 やっとその「闘い」に勝利した俺はベッドにうつぶせに倒れこんだ。 その身体の下でぐにゃっと胸が押しつぶされる。 「あ…」 男物のパンツに上半身ブラジャー一丁の女は反射的に起き上がる。 今度と言う今度は胸がどきどきした。 俺は…本当に女になってしまったのか… 今度はブラジャーの上からそ…とその胸に触れる。 その時だった。 ガンガン、とドアを叩く音がする。 飛び上がりそうなほど驚いた。 そう、このマンションの俺の部屋は呼び鈴が壊れているのだ。 しかし、どうあっても開ける訳にはいかなかった。 無視しよう。 無視すれば新聞の勧誘なんかは諦めて帰るだろう。 ガンガン、と叩く音は尚も続く。 誰だ?…こんな時間に? と、その来訪者は黙り込んだ。 帰ってのだろうか?いや、そうではなかった。こちらの返事も聞かずにガチャガチャとドアを開け始めるではないか! こいつ…鍵持ってる!? 遅かった。 次の瞬間にはもうドアは開いていた。 「まだ寝てんのー?もう…」 彼女だった。 当然の様に彼女もまた言葉を失って立ち尽くしていた。 「いやあの…これはその…」 もうしどろもどろだった。 「朝、起きたらこうなってたんだよ!本当だ!」 彼女は呆然としていた。 「いや…確かにこのブラはお前のだけど…他に持ってなくて…その…」 「…なの?」 最後の方だけ聞き取れた。やはり怒っているのだろうか? 「すまん!あやまる。この通りだ!」 「誰…なの?あんた」 「へ?」 「人の男の部屋に勝手に入り込んで…何なのよ」 「ば、馬鹿!俺だよ俺!」 「しかもその格好…あの人と寝たの?」 「そうじゃないんだよ!違うって!」 しかし、挑発的な下着姿の美女の言葉として、逆上した女への説得力は皆無だった。 「ゆ、許さない…許さない!」 掴みかかってくる。 「わっ!よ、よせ!俺だってば!」 もう取っ組み合いだった。逆上した女の馬鹿力は凄い。髪を振り乱してのまさしく「キャットファイト」がそこに展開される。 双方がへとへとになっていると、なんと彼女は台所にあった包丁を取り出した。 「あんた美人だものねえ…彼も浮気性だったし…」 目が座っている。 「お、おい…よせよ…それはシャレにならねえぞ…」 あとずさる俺。 「何よ!男言葉なんて使って!…そうやって男をたらしこんできたんでしょ!」 無茶な論理だ。しかし今の彼女に通じそうに無い。必死に逃げ道を探すが、どうにもならない。袋小路だ。 奇態な金切り声を上げて彼女は突進してきた。 自らの腹に包丁がずぶりという嫌な音を立ててめり込む。 「ぎゃあああ!」 激痛に目の前で閃光が弾ける。 溢れ出すおびただしい鮮血。そしてその耳には正気を失った女の高笑いがこだまする。
がばり!と布団を跳ね上げる。 心臓が口から飛び出してきそうだ。 部屋は暗かった。その静寂の中に自分の荒い息遣いが響く。 「夢…」 思わず口に出していた。 全身の力が抜け、安堵のため息が出る。まとわりつくような汗も今は心地… 妙な感覚がした。 胸を触ってみる。 そこには柔らかい感触があった。 半分恐慌状態になった俺は部屋の電気を付けた。 見下ろしたその先には豊かな乳房、蜂のような腰、豊満なヒップがあった。 「あ…あああ…」 ベッドを見る。 そこには見知らぬ男がやはり裸で寝ていた。 絶叫が鳴り響いた。
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