「ジャーク・シティ」

作・真城 悠
  • この作品は映画「ダーク・シティ」を元に発想されました。そのまま読んでもある程度お楽しみ頂けますが、映画をご覧になってから読むと、より一層お楽しみ頂けます。
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 いつからこんなことになったのか分からない。

 どうしてこんなに狂ってしまったのだろう。ともあれ、今の俺はドアの前にいる。

 気が付いてからここに辿り着くまでに要した時間は…せいぜい数時間というところだろうか。まるで数日の時間が掛かったような気がする。が、しかしまだ沈む夕日を見ていない。気が付いてから一日経っていないのは明白だった。

 ドアの前にいることが問題なのでは無い。

 今の俺がセーラー服姿なのが問題なのだ。そしてその肉体は間違い無く思春期…16〜17歳程度の少女のものであることこそが問題なのだ。

 

 気が付いたとき、俺はベッドの中にいた。

 その見知らぬ天井に俺は血相を変えて飛び起きた。…そしてその身体の異常に気が付いたのだ。

 俺にはそれまでの一切の記憶が無かった。

 自分がどこの誰なのかも分からない。しかしこの身体に違和感を感じているということは、恐らく男だったのだろう。…そう考えるしかない。

 この長い髪を振り乱して騒いでいるところに見も知らない女がやってきた。

 どうやらそれは俺の母親らしかった。

 促されるまま、セーラー服に着替え、この会場に連れてこられてしまった。

 先ほど俺の元の精神は男だったらしい…と言ったが、あの堂に言った着替えっぷりからすると自信が無くなってくる。見たことも無い…いや、見たことも無いことも無いのだが、少なくとも日常的に着ていたとも思えない衣服をすいすいと着こなす自分に不信感が募る。

 こうしていても、スカート独特の脚もとのさびしい感覚は、意識しないと感じることが出来ない。ブラジャーの押しつけてくる感覚も一緒だ。そもそもこの制服、お尻のあたりが擦り切れててかてかになっている。よく着こんでいる証拠である。

 俺は…俺は最初から女子高生だったのだろうか?いや、最初から女子高生というのもおかしいんだが…。

 ともあれ俺は、…いや意識がそう言っている以上「あたし」などとする必要も無いだろう。俺はドアを空けた。

 そこには純白のウェディングドレスに身を包んだ美しい花嫁がいた。

「…!」

 俺はその美しさに一瞬放心した。

 その花嫁はこちらに気がついたらしく、にっこりと微笑んで言った。

「いらっしゃい」

「あ…は、はい…」

 かあっと顔が赤くなる。綺麗なお嫁さんを「綺麗」と感じるのもこの身体が感じさせている?…そんな馬鹿な。

 俺はそんな考えを振り払うと1歩1歩部屋の中に入っていった。今日はこのお姉さんの結婚式なのだ。母親…と名乗っている女の話では私…じゃなくて俺はこのお姉さんと幼い時から仲が良く、本当の姉妹の様によく遊んでいた…らしい。

 勿論そんな記憶は全く無い。こうしてのこのこやってきたのも母親に強く促されて仕方なくやってきたのである。

「あ…あの…」

 一体何を話せばいいんだ?「自分は誰なんですか?」などと聞くのか?いや、もしも聞いたとしてもこの女子高生の身体の中に入った精神の正体などこの花嫁が知るはずも無い。

「よく来てくれたわね。嬉しい」

 花嫁は嬉しそうに微笑みかけてくる。

 俺はいたたまれなくなった。こんな生活が長続きするはずは無い。こうして流されて日常生活を送っていても絶対にボロが出るはずだ。

「お…おねえ…さん…」

「ん?」

「あの…あたし…」

 自然に「あたし」という一人称が口を突いて出てきた。

「どうしたの?」

 恥ずかしさなのか何なのか、こんな絶望的な状況に置かれた自分への哀れみが津波の様に押し寄せて来た。涙がぽろぽろと流れてくる。

 俺は衝動的に自分の境遇を吐露した。何と思われようと構わない。一気に吐き出した。

「…」

 花嫁は…考え込んでいる様子だった。

「2、3聞きたいんだけど」

「は、はい」

「起きたとき、おでこのあたりに小さな傷が無かった?」

 …この質問は一体何だろう?俺は奇妙な事態の成り行きに戸惑った。

「よく思い出して!」

 見ると、花嫁にはこれまでに無い真剣な表情が浮かんでいる。

 俺は必死にその時の状況に思いを馳せた。大混乱に陥り、記憶が飛んでいたが、それを必死に頭の中で修正し、つなぎ合わせる。

 鏡に向かって美少女となっている自分の前髪の間から小さな血筋が降りてくる映像が鮮やかに脳裏に蘇った。

「あ、ありました!ありました!」

 ぐ!と花嫁が乗り出してくる。純白のドレスを大きく揺らし、衣擦れの音が耳をくすぐる。その純白の手袋に包まれた手が俺の前髪を掻き揚げる。

「あ…」

 反射的にヴェールを掻き揚げ、その傷を目を細めて凝視する花嫁。

「ふむ…やっぱりな」

「あの…これは?」

「その前に質問をもう一つ。部屋に注射器は転がってなかったか?」

 心なしか花嫁の態度が豹変した気がする。清楚な淑女というよりも、がさつなあんちゃん、という感じである。

 俺は記憶の壷を必死でひっくり返す。床に転がっている何か金属製のものをベッドの下に蹴りこんだ様な記憶がある。あれは注射器だったのか?

「そう…いえば…」

「そうか…」

 「そうか」?今、「そうか」って…この人…。

 しゅるるっ!とドレスのスカートを鷲づかみにした花嫁は慣れた手つきでそれを扱い、部屋にあった椅子に自分の身体を投げ出す様にどすん!と座った。

 俺が呆然としているのを尻目に花嫁は面倒くさそうにヴェールを跳ね上げると、テーブルの上に置いてあったタバコに手を伸ばすとその紅の間に挟みこんでシュボ!と火を付けた。

「あ、あの…」

「んん?」

 最早その仕草は完全に女性のそれとは異なっている。

「間違いねえよ。お前さんも前の記憶が残ってる」

 見た目は完全に美しい花嫁であり、声も透き通っているその女性が放つ男口調とその態度は見るものに倒錯した感情を抱かせる。

「どういうこと…なんですか?」

「知りてえか?」

「そりゃ…」

「後悔するかも知れねえぜ…おっと」

 花嫁は落ちそうになった灰を慌てて灰皿に落とす。

「危ねえ危ねえ。このドレス、レンタルらしいからな」

 しゅるる、とドレスが盛りあがって動く。スカートの中で脚を組んだのだろう。

「あなたは…私の従姉妹では無いんですね?」

「従姉妹さ。これが目に入らねえか?」

 と、ウェディングドレス姿の自分を指す花嫁。その表情にはこちらをからかう様な響きが浮かんでいる。

 改めてその姿をまじまじと見るが、その折れそうな細いウェストといい、豊かなバストといい、とても男性が女装している様には見えない。目の前の花嫁は正真正銘の女性である。少なくとも肉体的には。

「でも…」

「やれやれ…」

 タバコを灰皿に押しつけて消す花嫁。

「せめて手袋くらいは外してえんだが、これくらい長いと一人じゃ皺にならない様に着れねえんだ。ちとタバコ臭くなっちまうが新郎には我慢してもらうさ」

「あなたは…誰なんです?」

「その質問に意味は無いな。そうだろ?」

「…」

 何も答えられない。

「信じられねえかも知れんが、結論から言おう」

 俺は唾を飲みこんだ。

「この街さ」

「この…街?」

「この街の人間は全員、一夜明けると全て自分の記憶を失って他人になるのさ」

「…え?」

「お前の母親役の女だって昨日はお前さんが毎日行ってるコンビニの店員だったかも知れない。ここの警備員だって、誰だって昨日には全く別の人間だったのさ」

「…え?…、でも…」

「うん。普通はきちんと記憶を操作され、そんな記憶は残らない。のみならず新しい生活環境に順応できるだけの記憶を植え付けられているのさ。お前さん、さっきすいすい着替えられたって言ってたな?」

「はあ…」

「俺もこんな宝塚みたいな声で喋り続けるのは本意じゃねえんだが(苦笑)、ともあれそれも植え付けられた記憶さ。お前のもんじゃない」

「え?えええ???」

「記憶を司る物質は注射器で額から注入される。原因は知らないが、お前さんはたまたまその作業に失敗して、中途半端な記憶のまま放り出されたのさ」

「…?????」

「その作業がきちんとなされてりゃお前さんは今ごろきゃぴきゃぴの女子高生として何の問題も無く“幼馴染のおねえさん”たる俺のところに飛んできてたはずだぜ。もっとも明日になれば誰になってるか分からないがな」

「…そんな…そんな」

「信じたくねえのも無理は無いさ。俺も最初は気が狂いそうだったよ。しかし、どんなに抵抗しても次の日になりゃ別人になってる。変え様が無いんだこの現実は」

 と、そこで疑問が浮かんだ。

「でも…あなたは?」

「よく聞いてくれたな」

 にやり、と得意げな表情を浮かべる花嫁。腕を組んで立ち上がり、歩き出そう…とするもスカートでつんのめりそうになる。

「おっ…とと。どうもドレスってのは慣れねえな」

 と、苦笑を浮かべる。「慣れねえ」と言いつつ、しゅるるっと衣擦れの音を響かせながら慣れた手つきでスカートを整え、座る。その仕草になるとまた女性そのものである。

「どうやら俺は特異体質らしくてな、他の人間と違って記憶が途切れねえのさ。だから…」

 と、ドレスのスカートをつまむ。

「こんなのもいつものこった」

「そう…なんですか」

「といいつつお前だって花嫁位は経験しているんじゃねえの?」

「そ、そんな…」

「セーラー服の女子高生姿でほざくなよ(笑)。今回は珍しくてな。昨日は新郎の方だったんだが、今朝起きてみたらこの通りさ」

「はあ…」

「お前もこれをきっかけに記憶が連続するかも知れんぞ」

 俺は戦慄した。明日になれば全ての記憶が消え、平然と他人となって生活するのも恐怖だが、毎日他人に変化し続け、それがいちいち記憶に残っている生活もまた恐怖だった。

「まあ、そう悲観したもんでも無いさ。俺だってこんなことになってもどうにか生活してるだろ?要は慣れだよ慣れ」

「女性に…なることも多いんですか?」

「まあ、半々だな。どこの誰がやってるのか知らんがまるっきりランダムにやっているらしい」

「じゃあ…」

「お前が元はどんな人間だったかは分からん。が、多分昨日は男だったんだろうな」

「ふせぐ方法は無いんですか?」

「…実は過去に何人か“気付いた”人間はいた。街の外に出ようとした奴も多い。が、結局残ったのは俺だけだ」

「まさか…殺され…」

「さあな。しかし精神的に耐えられなくなった奴も多いぜ。当局も目を光らせてるしな。精神病院に行けば2度と帰ってこない。ま、翌日その精神科医になってない保証は無いがな」

 自嘲的に薄笑いを浮かべる美しい花嫁。

「…」

「あ、そうそう。1回面白い例があったぜ。その気付いた奴…これも精神的には男だったがな…はその時俺の恋人だったんだよ」

「…それは…女性ってことですか?」

「そう。俺がな。で、そいつが男だったわけだ」

「“一緒に脱出しよう!”って言って聞かなくてな。俺はやめろって言ったんだが…」

「で?」

「やられたよ」

「…!!…それって…」

「女子高生にゃあ早い話題かな?」

 重大事にも取れなくも無い話を淡々と日常の雑事の様に話す花嫁。

「で、翌日だ」

 にやりとする花嫁。美しいうなじの脇のイヤリングをちりり、といじる。

「俺はあいつの上司になってたよ」

「え?」

「そしてあいつはOLだった」

「…」

「そっから先は想像にまかせる」

「あの…」

「ん?」

「じゃあその…夫婦生活とかも…」

「お前その話ばっかり聞くなあ(笑)。そりゃあるさ。俺だって多分今夜は初夜だぜ(笑)。風俗嬢…バニーガールもやったし、バレリーナもやった。男のダンサーもやったし、それこそ今のお前みたいな女子高生だってやったさ。心配すんなって!お前だってこれから存分に色んな人生を体験できるって。…まあ、精神が持てばだがね」

 俺は呆然と立ち尽くしていた。

 と、花嫁は椅子から降り、大きく伸びをした。

「ん、ん〜ん!」

 身体を動かす度、純白の光沢が揺らぎ、やわらかな衣擦れの音が耳をくすぐる。

「さ!そろそろ行こうぜ!これから俺は新婦を演じなきゃいかんのだからさ。お前は参列者だろ?神妙な顔して御馳走食らってりゃいいんだから楽なもんさ。俺なんかお色直し3回もやるんだぜ。カラードレスに文金高島田。しっかもこのドレスって腹を締め付けるもんだから御馳走もロクに食えやしない」

「は、はあ…」

「新婦として結婚式…ていうか披露宴に出るのは3回目だけど、花嫁ってのも結構いいもんだぜ。何しろ主役だしな。新郎なんておまけみてえなもんさ。みんな俺のウェディングドレス姿見て「きれ〜い!」とか言うために来てるんだから。…あ、そうそうブーケトスやるらしいけど…お前んとこ投げてやろうか?次に“お嫁に行ける”かも知れんぜ」

「い、いいです!」

 はっはっは、と口紅の引かれた口を大きく開けて笑う花嫁。

 こんこん、とドアを叩く音がする。

「そろそろ時間で〜す」

「あ、は〜い」

 その声は実に可愛らしく、さっきまでの正体を知っているだけに背筋が寒くなる。

「…上手く…化けますね」

「ん?ああ。これくらい出来なきゃやってられないぜ。まあ、女には女のいいところもあるし、いっそ楽しむ位の気持ちでやった方がいいって…と、そろそろ俺の“女友達”が来るよ」

「じゃ、じゃあ…」

 振りかえろうとしたその瞬間、なにやら花嫁が苦しむ様な表情を浮かべるのが視界の隅に飛びこんできた。

「…?」

「???」

「どう…したんですか?」

「い、いや…ちょっとね」

 何やら微妙に雰囲気に変化がある様な気がする…が、よく分からない。

「大丈夫ですか?」

「え、ええ。大丈夫よ」

 自然にすっと手が伸び、アップにされた髪に触る。私の印象では、その仕草は余りに自然に見えた。

「何か…おかしいわ……!!」

 すっかり女言葉になっている。

「な、何よ!何なのよ!これ!」

 私の前でまでそんな演技しなくてもいいのに…とちょっといぶかしった。

「おねえさん?」

「ち、ちがうの!違うのよ!」

 何やら必死に訴えている。

「何が違うの?」

「違うの!あたしは…あたしは女言葉なんて使う気は無いのに…口から出ると勝手に!い、いやあぁっ!」

 あれだけふてぶてしいほど冷静だった花嫁は我を忘れてパニックに陥っている。

「そ、そんな…遂に…あたしの…精神まで…完全に…お、おんな…に……あ、ああぁっ!」

 目をかっ!と見開き、絶頂に達したかの様に熱が引いていく。

 花嫁は沈黙した。

「お、ねえ…さん…?」

 ぱちっ!と開く花嫁。

「ん?どうしたの?」

「い、いやその…男の…人?ですよね」

「ええっ?いやーだもお!何言ってるのよぉ!あたしが男に見えるの?」

 永遠にも感じたほんの一瞬の間、私は自分が一人ぼっちになった…と思った。

「すいません…冗談です」

 あたしはにっこりと笑った。