「タイム・パラドックス」

作・真城 悠

雑多な小説トップに戻る


「つまり、そういうことなんだよ」

「よく分からないわ」

 京子が不平を漏らした。それはそうだろう、部長…高千穂の話はいつもよく分からない。曰く、因果律がどうの、特殊相対生成理論がどうのと、あと聞いた事も無い様な外国人作家の名前を挙げて激賞を繰り返す。お陰で、SFに全くうといこの俺までもがアイザック・アシモフ、ロバート・ハインライン、クラーク、ディック、ウィンダムといった名前が刷り込まれてしまった。どれも小説なんか一冊も読んだことはないのに。

「それで、さっきの話の続きだ。高橋」

 こっちに話が振られて来たらしい。

「今度は何だっけ?」

 適当に話を合わせておく。何しろこいつの話は大して面白くないが、部室に置いてある各種ゲーム機は魅力だからだ。第一、一応は「SF研究会」部員なのだから。

「循環理論からの繋がりで、古典的なテーマさ「親殺しのパラドックス」」

「名前は聞いたことあるな」

「そう、もしも過去に戻って自分の親を殺したとすると、今の自分はどうなるのか?」

「確か映画であったよな「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だっけ」

「「親殺し」とはちょっと違うが、まあ、そうだな」

「どうなるの?」

「何だ井上、見てないのか?」

「うん」

 度の強いメガネを掛けた高千穂は、見様によってはいわゆる「オタク」だし、その話ぶりを聞けば正真正銘の「オタク」だ。まあ、本人は「マニア」と呼べと言ってるが。

「しょうがないなあ、今度うちに来いよ」

 ともあれ、客観的にはとても異性にアピールするようには見えないのだ。しかし、この二人は非常に仲が言い。

「詳しい過程は省くが、過去に戻って自分の両親の出会いを阻止しかかるのさ。偶然ではあるけど」

「へーえ」

 男女の出会いとは不思議なものだなあ、と思う。

「それでどうなるの?」

「途中までだけど、存在が消えかかる」

「…?どういうこと?」

「見る見る自分の手が透明になっていくんだよ」

 僕は口を挟んだ。

「へーえ。どうして?」

「これが「親殺しのパラドックス」の変形だね。殺してはいないけど、出会いを阻止したってことは、つまり自分も生まれてこないことになる」

「そっか、だから消えてくのね」

「そういうことになる。しかし、これはあり得ない」

「どうしてだよ」

「どういう形を取るにしろ、マーティ…これは主人公の名前な…は必ず生まれてくる」

「…?どうして?親を殺したら生まれてこないだろ?」

「ふふん、それは素人の意見だ。一種の極論だが、仮に過去に戻って自分の父親を殺したとしても自分は生まれてくるのさ」

「え?そんな話は聞いたことがないぞ。大体おかしいじゃないか、親が死ねば自分が生まれるのは無理だろ?」

「じゃあ、逆に聞くが、その「殺しに来た自分」は誰が産んだんだ?」

 頭が混乱した。

「まさしくパラドックスって奴だ。いいか?この事実が成立するにはまず、過去のある時点で自分の両親が自分を産む。ここまではいいな」

「ああ」

「その子供が成長し、過去に戻って…間接的に自分の誕生を阻む…」

「あ!」

 京子が声を出す。

「そう、「自分が産まれて来なくては、自分の誕生を阻むことも出来ない」んだ」

「じゃあ、どうなるんだ?」

 ふふん、と得意げな顔になる高千穂。

「そこで山のような仮説が登場する訳だ。例えばこんな話がある。仮に拳銃で自分の父親を射殺しようとしたとする」

 京子がつばを飲む。

「すると、不思議なことにその銃はいざ撃とうとすると絶対に故障する…」

「へ?」

「あるいは車で轢き殺そうとしても、逆に自分のほうが事故に遭う…とかな。つまり「運命」って奴がそれをなんとしても阻止するって仮説」

「あはは、何かおかしい」

「あと、これが一番現実的なんだけど、そういう「パラドックス」を生じさせる様な宇宙では「時間旅行」は出来ない」

「それを言ったら身も蓋も無いじゃないか」

「まあね。しかしタイムマシンを単に「あり得ない話」と決め付けるよりもロマンのある話だろ?」

「他には無いのかい?」

「あることはある」

「言えよ」

「ふん…映画の「ターミネーター」は観たか?」

「名前は知ってる」

 やれやれ、という表情をする高千穂。

「一作目はそういった破綻が殆ど無い名作なんだが、二作目は有名な「循環理論」含めて矛盾が山のようにある」

「そうなんだ」

「だが、ある考え方を導入すると…ある程度説明がつく…それに」

「それに?」

「親殺しのパラドックスが解決する」

 しばし沈黙。

「聞きたいね」

 ふふん、と不適な笑みを浮かべる高千穂。ああ、嬉しいんだろうなあ。こいつの好きそうな話だもんなあ。とちょっと同情。

「まず固定概念を覆す必要がある。…我々は未来は不確定だと思ってるな」

「…そりゃね」

「同時に、というか未来が不確定であるが故に、過去は確定であると思っている」

「…当たり前だろうが」

「この考え方ではそうじゃないのさ。例えば、それこそ親を殺したりしてしまった場合、「運命」とでも言うべきものが「過去」の方を改変して辻褄を合わせる…って訳だ」

「…」

「さっきの例で言えば、過去において親を殺してしまった場合、当然自分は産まれてこれないが、実は「別の人間の子供だった」などと「過去そのもの」が「改変」されてしまうって考え方さ」

「は、何を言い出すかと思えば馬鹿馬鹿しい。所詮SFの話じゃないか」

「…」

 黙りこむ高千穂。

「それならいいんだけどね」

「違うってのか?」

「お前、自分の…人間の認識能力を過信してないか?例えば今、この時点でも俺たちは時速数百キロで移動してるんだぜ」

「は?」

「地球の自転さ」

「は…なるほどね」

「例えば宇宙は膨張を続けてる訳だが、俺たちの身体含めて、一秒間に二倍の大きさになっていたとしても俺たちには気が付かない。それはそこいらじゅうの物も含めて大きくなっているんだから」

 京子の顔がひきつる。そりゃそうだろう、「科学的仮説」だか何だか知らないが気味悪い話だ。

「この話には続きがある。つまり、「過去が改変された」ってことは、その世界に住んでいる俺たちにはそれを全く自覚出来ないってことさ…過去にどうしても説明のつかない記憶とかって無いか?」

「…」

「俺にはあるね。子供の頃、ある空き地でよく遊んでいたんだが、翌日からどうしてもそこにたどり着けなかった」

「錯覚だね。それが「改変された過去」だとでも言うんか?」

「そうは言わない。しかし歴史のミッシングリンク、その他もろもろ、世の中には説明できない事が多すぎる」

 

 高千穂の話は長々と続いた。しかし、後半は上の空だった。今の僕にはそれどころではなかったのだ。

 もう暗くなった帰途、僕は公衆電話に入って父と話した。

 結果は望ましいものではなかった。

 母の凶行はまだ収まっていなかった。

 思えば不思議な母ではあった。

 不思議なほど勘が冴える人で、大きなニュースなら大体当ててしまう。特に人の心を読むのが得意で、僕の行動など殆どが見透かされてしまったものだ。それでいて、じゃんけんの結果などは全然当たらない。

 その母はこの夏になってからおかしい。

 やけざけを飲み、言動も意味不明である。特に僕の外出を執拗に阻止しようとする。

 平和な家庭は一変した。

 母を施設に収容することも考えられたが、今のところは見送っている。

 あの家に帰るのはごめんだった。今はどうにか暴れ疲れて眠っているらしい。僕は近所で父と外食をする約束をして公衆電話を離れた。

 そして、その角を曲がった瞬間だった。

 急に目の前が光に包まれた。それが何なのか自覚は無かった。車だったのか、それとも他の何かなのか、ともあれ僕は気を失った。

 

 まぶしい。

 暑い。

 全身に軽い寝汗をかいていた。

 状況が把握出来なかった。

 確かに自分は帰宅途中だったはずだ。それなのにここは昼だ。いや「ここ」はどこだ?

 僕はあたりを見渡した。

 そこは「観なれた風景」…のはずだった。しかし、微妙に違っていた。

 混乱して訳がわからない。どうしたらいいんだ?

 ふらり、と歩き出す。

「危ない!」

 その声と同時に僕は突き飛ばされた。

 けたたましい音。

 なんてめまぐるしいんだろう。

 今度は目の前で起こっていることがはっきりと目に入ってきた。

 僕を突き飛ばしたと思われるその女性は、突っ込んできた車に撥ね飛ばされ、おかしな形で捻じ曲がりながら宙を飛んでいた。

 

「じゃあさ、その状況で父親を殺したとしたらどうなるんだ?」

 考えている高千穂。

「まあ、いろいろ考えられるわけだが」

 もったいぶる高千穂。

「その時点で自分の遺伝子を持っているのは、その父親を殺した自分だけ、ということになる…だろ?」

「まあ…そうかな」

「だったら歴史を改変した責任を取って自分の遺伝子を伝達すべきだな」

「それって、自分のお母さんと結婚するってこと?」

 無邪気な顔をして京子が言う。

 

 人が集まっては来なかった。

 そんな時間すら無かった。

 その車は何事も無かったかのように走り去ってしまった。

 僕は目の前で起こった事故に戦慄していた。全身ががくがく震える。足腰が立たない。

 その女性は明らかに死んでいた。こんな遠くから見てもそれは明らかだった。血の気が引いていく。気が付いたら僕は塀を頼りによろよろと歩き始めていた。カバンも何もかも放り出して。

「大丈夫ですか?」

 唐突に声が掛かった。

 心臓が止まるほど驚いてそちらを振り仰ぐ。

 その瞬間、僕は身体の異変に気がついた。

「お顔が青いですよ」

 な、何だこりゃ?足元がすうすうする。…スカート?いや、セーラー服じゃないか!どうして!いつの間にセーラー服なんて着てるんだ!?ま、まさか!身体まで女に?

 セーラー服姿で飛ばされていくさっきの女性がフラッシュバックした。全身の力が抜けていく。

「あ、あぶない」

 僕は力強い腕に抱きとめられた。

「あ…」

 その男性の顔を認めた僕は全てを了解した。

 僕はこの人と結婚し、そして子供を産む。そしてその子供は十四歳の夏、行方不明になって帰って来ない…。

 それは例え様の無い恐怖のはずだった。しかし、どういう訳かそのセーラー服の下の胸は、恋の予感で高鳴っていた。