「やられた…」

作・真城 悠

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 オベルは息が上がっていた。

 畜生…ここまでか…野郎、ロマンス伯爵の野郎、一体どれくらいの練習をしやがったんだ?

 スコアは劣悪だった。もともとテニスは得意ではないのだ。それをテニス対決に持ち込んだのはいかにも上手い。こうして数々の貴族階級を支配下に置いてきたのだろう。

 もう殆ど勝ち目は無かった。オベルはその結末に思いを馳せ、天を仰いだ。

 

 

「これで二十一だ」

 見る見るロマンス伯爵の顔が紅潮してくる。

「どうした?そっちはまだ十九だな?もう一枚めくれ」

「分かってる!」

 ギャラリーがざわめき始める。十中八九、ロマンス伯爵に勝ち目は無かった。

 唸るように山札をめくる…固唾を飲んで見守る。

 絵札。ジャックだった。

 オベルが席を立つ。

「待て!」

「待たないね。勝負はついた」

「…」

 歯噛みしているロマンス伯爵。

「分かったよ…何でも言え」

「は?」

「負けたほうが何でも言うことを聞く約束だ」

「そんなことも言ったかな」

「とぼけるな!」

「しかしそれはお前が言い出したことだろ?」

「約束は約束だ」

「いいよ別に」

「そういう訳にはいかん!」

「興味無えな。俺はあんたと違って相手を屈服させて快感を得る趣味は無い」

「ギャンブルの神聖を侮辱するな!リスクが無くてどうして賭け事が成立するんだ!俺はお前に負けたんだ!それなりの報いを受ける必要がある!」

 はあはあと荒い呼吸をしているロマンス。興奮している。

「じゃあ、金払っといてくれ」

「何?」

「あんたには負けたが、他のギャンブルでは全然でね。あとは頼むわ」

「貴様…俺に情けをかけている積りか?」

「あんたねえ…そういう思考からいいかげん卒業しろよ」

 去って行くオベル。

 テーブルに拳を叩きつけるロマンス。テーブルが破壊される。

 

 

 審判の声が無常に響き渡る。

 オベルの完敗だった。

 息が上がり、その場を動く気にもなれない。

「勝負あったな」

 見下ろしてくるロマンス伯爵。

「嬉しいか」

「ああ、嬉しいね」

「俺をどうする?宮廷魔術師の生贄にでもするか?」

「いや、そんな勿体無いことはしないね」

「じゃあどうする?」

「今夜うちの屋敷に来い」

「デートの待ち合わせかよ」

「いや、今夜の舞踏会で勝負してもらう」

「何?勝負?だってお前…」

「このテニス勝負はまくまで前哨戦だ!お前ほど俺をこけにした奴はいない。完膚なきまでに負けを認めさせてやる」

 あきれたように首を振っているオベル。

「やれやれだが、チャンスがもう一度あるってのはありがたいね」

 立ち上がってロマンス伯爵に向き直るオベル。

「で?勝負の方法ってのは?舞踏会じゃあ喧嘩って訳にもいかんだろ。それとも武道会なのか?」

「方法に付いてはその時に教えてやる」

「あんたの舞踏会にゃあ俺みたいな下級貴族は入れてもらえないんじゃないのかい?」

「今回は特別に枠を作ってやった。衣装はこちらで用意する。その汗まみれの身体をしっかり綺麗にしてくるんだな!」

 

 

「綺麗にしてきたぜ」

 控え室。

「ふむ、よく逃げなかった」

「あんたもな」

 既に舞踏会は始まっているのか、快い旋律が聞こえてくる。ここはロマンス伯爵の城である。

「よしこっちに来い」

 歩み寄るオベル。

「今夜の勝負は簡単だ。制限時間以内、すなわち舞踏会のお開きまでに何人と踊ることが出来るかの勝負だ」

「…へえ」

「貴様、今「簡単だ」と思っただろ?」

「…」

「とんでもない話だ。ここにきているのは貴様が会ったことも無いような上流階級の方々だ。少々の男では軽くあしらわれる」

「…割に合わんな」

「ほう、逃げるのか」

「そうじゃねえ。そうじゃねえが、お前は今夜の客と顔見知りなのかも知れんが、俺は初対面だ。勝負は見えてる」

「衣装はこちらで用意するといっただろ」

「馬子にも衣装か?その程度であんたの優勢が揺らぐとは思えないな…。一応聞いておくが今回の勝者は何を得るんだ?」

「ふん。一応教えておいてやろう。この夏の間勝者にかしずいて身辺の世話をするのさ」

「大した趣味だな」

「が、俺も鬼じゃない。お前にはハンデをやろう」

「お前がシークレットブーツを穿かないってのはどうだ?」

 顔を紅潮させるロマンス。

「…その毒舌が吐けるのも今のうちだ。ところでお前、ワインは飲んだか?」

「さっきここに置いてあったやつか?」

「俺が置かせたんだ」

「ああ。もらったぜ。なかなかうまかった」

「そうか、じゃあそろそろ効いてくる筈だ」

「…?何」

 その瞬間、身体に異変を覚えるオベル。

 むむむ…と胸の部分が盛り上がってくる。

「な、何だ?」

 節くれだっていたその腕は、か細くなめらかなものに変わって行く。腰の周りがきゅうっとくびれていく。

 にやにやしながら見ているロマンス伯爵。

 ヒップが大きくなり、流れるように脚線美が形成される。その髪はさらさらと伸び、胸のあたりまで達する。顔から角張った部分が取れ、女性らしい可愛らしい形へと変わって行く。

「こ…これは…な、何をした!?」

 自分の声に驚いているオベル。すっかり女性のそれに変わっていたのだ。

「ほうほうほう…これは美しい」

「き、貴様…まさか…」

 身体の自由が利かない。どうしたというんだ?

 一回り背の縮んだオベルの顎に指を掛けてくい、と自分の方を向かせるロマンス伯爵。

「どうだ?女になった気分は?」

 ぶっ!とその顔に唾を吐きかけるオベル。

 顎を離すロマンス。

「これが…これがハンデかよ?」

 ハンカチを取り出して唾を拭いているロマンス。

「そうさ…貴様のそのむさくるしい面じゃあ貴婦人方は寄ってこない。だがその美貌なら、女ならひょっとしたら俺に対抗できるかも知れない。違うか?」

「詭弁だ。貴様の本当の目的は俺に屈辱を味合わせることだ!違うか!?」

「…まあ、それもある」

「…男の風上にも置けねえゲス野郎だ」

「忘れるな。テニス勝負に勝ったのは俺だ。その程度の屈辱を与える権限はあるんだ。むしろ感謝して欲しい位だね」

「何だと…」

「おい。やれ」

 その声と同時に黒ずくめの男たちが現れる。

「お、おい…よせ!何をする気だ?」

 男たちは慣れた手つきで動けないオベルの服を次々に脱がせて行く。

「や、やめろおー!」

 ぷりんっ!と空気にさらされる豊かな乳房。

「ああ!」

 その間にも男たちは作業を止めない。

「おやおや、情けない声だな…」

 にやにやしているロマンス伯爵。あっという間に生まれたままの姿にされてしまうオベル。

「こ…この…変態野郎…」

「お前は肝心なことを忘れてる」

「な、何だと?」

「衣装は提供すると言っただろ?」

 脚の下から下着がぐいっと上げられる。

「あ…」

 そして目の前に胸当てを持った男が立つ。

「や、やめろ…やめてくれ。お、女の下着…なんて…」

「お前は、今のお前は女だ。何を恥ずかしがることがある?」

 むぎゅり、と乳房に押し付けられる胸当て。

「ああっ!」

 背中で止められるそれ。

「おいおい、こんなことでそんな情けない声を出すなよ。これからが本番だ」

 コルセットが腰に巻きつけられる。そして、もともと細いその腰を強烈に締め付ける。

「ぐあああ!」

「貴婦人方はいつもこの苦痛に耐えているんだ。一日だけだ。我慢するんだな」

 ようやく終わったと思った瞬間、男が大きなものを抱えてくる。それはダイヤの散りばめられた美しいドレスである。

「や、やめろ…いやだ…やめてくれ」

「ほう、お前がこんなに嫌がるところが見られるとはな…もっと早く気が付くべきだったな」

 構わず、足元にそれを広げる男。脚が勝手に動いてその筒状に広げられたドレスのスカートに一歩づつ踏み入る。

「あ…ああ…」

 両側に二人の男が付き、ゆっくりとドレスを引き上げて行く。

「い、いや…やめ…」

 泣きそうになっているオベル。

 うれしそうににやにやしているロマンス伯爵。

 遂に腰の部分にまでスカートが引き上げられる。そして上半身の部分に腕が通される。

「あ…ああ…」

「待て、最後は俺がやる」

 すっかり美しい女性になってしまったオベルの背中にロマンスが歩み寄る。あふれるようなスカートはそれを阻むかのようであった。

 目に入ってくるその細い腰にゾクリという感覚が背中を走り抜けるロマンス。

「行くぞ」

 ジジジ、と背中を閉じて行く。

「あ…や、やめ…」

 もう声にならなかった。

 そうこうしている内に、その顔に丹念な化粧が施され、髪飾りがつけられる。イヤリングに真珠のネックレス。動かないその腕の先にはシルクの手袋がかぶせられる。

 そして遂に背中の止め具が上弦に到達した。

「あ、ああっ!」

 そこには美しい貴婦人がいた。

 

 

 オベル、いや「ヴィータ」は必死に数を数えていた。

 これで十六人。なかなかの数だ。

 踏まれないように必死にスカートを操る。ようやく少しはコツを掴んできた所だ。

 確かに踊りの相手には事欠かなかった。女性の側の踊り方など全く知らないのだが、その旨を言えば必ずといっていいほど「リードしてあげます」という答えがもらえる。そして事実、促されるままに動いていればそれなりにサマになるのだ。このカウントはロマンスの取り巻きによってもカウントされている。恐らく敵もさるもの、かなりの数をこなしている筈だ。

 突如立ち止まった。

「おやおや、これはヴィータ嬢。ご機嫌麗しゅう」

 恭しくひざまずいて手の甲にキスをするロマンス。

「踊って頂けますかな?」

 必死に考えを巡らせるオベル。

 こいつと踊ればお互いに一カウントだ。つまり差がつかない。当然承知で申し込んできている筈だ。大した余裕である。

 答える間もなく、手を取って踊り始めるロマンス。

「あっ」

 逆らえなかった。

 仕方が無い。少し付き合ってやろう。

「なあ」

「何でしょう?レディ?」

「今、カウントは?」

 踊り続けながら会話も続く。

「それを聞くのは反則だな」

「…だが、教えないでもない」

「どうすればいい?」

「もっと女性らしい言葉使いで尋ねるんだ」

 考えているオベル。

「今、お幾つ…ですの?…ロマンス…様」

「ん?聞こえないな」

 顔を紅潮させて屈辱に耐えているオベル。

「教えて…下さいまし…」

「ふ、まあいいだろう…十五だ」

 はっ!とするオベル。

「どうだい?もう残り時間は少ない…観念したかな?」

 この馬鹿気が付いてないらしい。

 と、腕から力が抜ける。

 いかん!次のターゲットを狙う気だ!

 オベルはロマンスを握る手に力を込めた。

「ん?」

 次の瞬間、オベルはロマンスの胸に飛び込んで抱きついた。

「おっと…」

 ぎゅうっと抱きしめるオベル。いや、「ヴィータ」。

「ふ…」

 抱き返してくるロマンス。必死にその気持ち悪さに耐えるオベル。

「いいだろう。観念したんだね。踊ってあげるよ」

 にやり、とするオベル。もらった!

 そのまま二人は時間まで踊りつづけた。周囲の聴衆は美男美女の舞踏にうっとりとして見とれていた。

 

 

「やられた…」

 そう言わずにはおれなかった。覚えていろよロマンス伯爵。

 そこには清楚なエプロンドレスに身を包んだオベル…いや「ヴィータ」がいた。

 確かに勝負には勝ったはずだ。しかし、その後に部屋に乱入してきた取巻きともはオベルを元に戻すどころか、寄ってたかってこのメイドの衣装を着せて竜巻のように去って行ったのである。

 そうだ、何も約束を守る必要など無いではないか。あいつのことだから、俺に散々屈辱を与えて、結局勝たせない、などということくらいは平気でやりそうだ。そもそもあそこで教えてくれたカウントが正確であった保証など無いのだ。

 バタン!と音がしてドアが開く。

 振り仰いだ。そこには勝ち誇った表情のロマンス伯爵がいた。しかし、次の瞬間から、両者にとって信じられない事態が巻き起こる。

 「あ」とも言う暇は無かった。見る見る内にロマンス伯爵の身体は女性化し、すっかり美人になってしまったのだ。それどころかまたしてもどこからか現れた取巻き軍団によって、メイド姿にされてしまう。

 

 

 並んで座っている二人の可愛いメイド。

「どういうつもりなんだよ」

「…」

「俺以外にも勝負を挑んでいる奴がいたなんて話は聞いてないぞ」

「…」

「ましてや勝者が残り二人の身柄を預かるなんてよお」

「仕方がないだろうが!お前があそこで抱き着いてくるから!」

「お前に勝つための作戦だろうが!」

 立ち上がって取っ組み合いになりかけるメイドたち。

 と、その瞬間、脚がもつれて倒れこんでしまう二人。

「きゃあ!」

 むにゅり、とお互いの胸が押し付け合う。

「な、なんてことするんだこのスケベ!」

 真っ赤になって怒鳴るロマンス…だったメイド。しかしその可愛い声では説得力がまるでない。

「あんだと!大体お前の胸が大きすぎるんだこの巨乳女!」

「何を!」

 ギイ、とドアが開いて誰かが入ってくる。

 反射的に身体が勝手に跳ね上がり、直立不動になる二人のメイド。

 ドアの向こうからの主人の登場に両手をスカートの前に揃え、うやうやしく礼をするメイドたち。その声がハモる。

「いらっしゃいませ。ご主人様」

「はい、顔を上げてもいいわよ」

 その美しく優しい声に驚いて顔を上げるオベル。

「あらあら、二人とも可愛くなりましたね」

 にっこりと微笑んでいる小柄な女性がそこにはいた。

「お、皇女様…」

「はい。二人とも、約束は約束ですからね。これから二箇月間、私の身の回りの世話をしていただきますよ」

 横目でロマンスを睨みつけるオベル。こ、こんな人に喧嘩…いや、勝負を挑んだのか?

 と、そこには、ぽーっつと恍惚の面持ちで皇女に見とれている少女がいるばかりだった。

 こ、こんな奴と二箇月も一緒に働くのか…。

 オベルは気が重くなった。