「華森欄丸くん」 作・真城 悠 「少年少女ギャラリー」さま宛小説群トップに戻る |
「ワー」(中学館)1999年七月号
「ふむ、なるほどねえ」 感心したような相槌を欠かさないように木田は、カルテにペンを走らせた。 「その時の様子はもっと詳しく分からないかなあ?」 「え?」 その少女は尋ね返す。いかにも不満げだ。 「あの…それってどういう…」 可愛らしい少女だった。セーラー服を着ているので高校生か中学生だろう。しかし、今風の「茶髪にガングロ、携帯電話にルーズソックス」といった風情とは対極である。 「いや、何と言うかなあ…君の言う事を信用していないって訳じゃないんだよ。こういうことってのはなるべく多くの事象から過去の例を調査しなければいけないからね」 「そうですか…」 その少女は完全に得心した訳ではなさそうだったが、一応は納得したようだ。考え込んでいる。 木田はその様子も丹念に観察した。その文字はまさしく「殴り書き」でとても読めたものではない。しかも、医学用語の多くはドイツ語であったり、しかもその書式にマニュアルがあるわけでもない。このあたりの事情が、カルテから薬を調合しなければならない薬剤師の悲哀に繋がるのだが、それはまた別の話である。 「ええとですね…」 少女は少しずつ話し始めた。そのカルテには「華森欄丸」とあった。
木田は考え込んでいる。 「今度の患者さんはどんな方なんですか?」 美人看護婦の渡辺嬢が話し掛けて来る。 「うーん…なんともはや…」 「可愛い女の子でしたね」 「それがそうじゃないらしい」 「え?」 「うん。何でもその…華森くんに言わせると、一週間前までは自分は男だった…んだそうだ」 「へえ、確かに変り種ですね」 微笑んで言う渡辺嬢。流石の余裕、この程度は慣れっこということか。 「性同一性障害…ですか?」 「いや、なんとも言えないね。少なくとも彼女…というか彼なのかな…は、精神的には極めて普通だよ。心神喪失とは考えられない。受け答えも理知的だった」 「それで血液検査をなさったんですね」 「おお、そうだそうだ。結果はどうだったんだい?」 「医学的には問題なく女性です」 「やはりね…」 「妄想ですね」 「ふむ…まあ、百歩譲って華森くんの話が本当だったとしても、その他の部分で辻褄が合わない部分が多すぎる」 「と、おっしゃいますと?」 「時に渡辺くん、「男になりたい」と思ったことは?」 「あら、唐突ですね」 「どうだい?」 「そうですねえ…」 笑顔のままはぐらかす。どこから見ても楚々とした大人の女性である渡辺には最も似つかわしくない質問の一つだろう。 「先生はいかがです?男の人って、みんな華森さんみたいな可愛い女の子になら、なってみたいって一生に一回くらいは思うって聞いたことがありますけど」 「…ま、まあ、とにかくだ。しかし想像してみることと、実際になることとは全然別じゃないかね」 「ごもっともです」 「華森くんの言うように朝起きたら…その、性転換していた…なんてことになったらとても正気を保ってはおれまい。君もそうじゃないかね?朝起きたら男になっていたらどうする?」 「自殺しますね」 笑顔のままさらっと言い放つ。これはなかなかの傑物か。 「…そ、そうだろう。うん。まあ自殺まではしなくとも、少なくともすんなりその性別で生活するなんて精神状態に落ち着くとは思えない」 無言で頷く渡辺。 「でも、だから先生のところにいらっしゃったんじゃないですか?」 「うん。確かにここは精神科だ。しかし、彼はその…なんだ女性の…」 胸の前でジェスチャーをする木田。 「ブラジャーですね」 「ああ…そう。それをさせられた話をとうとうとしたのは勿論、見ての通りその…制服を着て、あまつさえ学校にまで通っている」 「みたいですね」 「医学的に表現系として異性の外観のまま第二次性徴にまで至る例は無いでもない」 「女性仮性半陰陽ですか」 「うむ。これである時期から生活を切り替えると客観的には「性転換」したように見える。性差ってのは文化的なものだからね。例えば服装であったり、仕草であったり言葉遣いであったり…ともあれ我々が「男らしい」「女らしい」とする根拠と思っているものには医学的、生物学的に理由のあるものもあるが、そうでないものもある。内股の男もいれば、ガサツな女性もいる」 頷いている渡辺。 「我々が華森くんを見て「可愛い」と思うのは主に外見だ。華森くんが女装した男の子であったとしても別に驚かないね」 「華森さんの身体は診られたんですか?」 「いや、…というか君も知ってるだろ?私の権限では患者の身体に触っても法律に触れる」 「そうでしたね。…では華森さんの診療記録を調べたり、戸籍の性別欄を見てみては?」 「私は精神科医だよ。私立探偵じゃないんだ。大体必要無い」 「そうですか?」 「ああ。彼は家族と共に暮らしているらしいんだが…家族の内の一人がある朝突然性転換していたらどうするかね?」 「…困ります」 「そうだろう。というか信じられまい。これが理由さ。聞けば華森くんが「性転換した」と思いこんでいるのは一週間前だそうじゃないか」 「ええ」 「これが一年前とか言うんなら分かる。家族ともそれなりに事態に対処できるには充分な時間だ。…ありえないね」 「そういう報告って無いんですか?」 「ん?」 「朝起きたら性転換していた…という実際の記録、みたいなものとか」 「ははは。あるわけないだろそんなもの。漫画や小説ならともかく…」 「でも、神話なんかにはたまにありますよね」 「御伽噺じゃないか…まあ、仮に本当に性転換する病気みたいなものがあったとしても一晩で…ということはあり得ないだろうね数ヶ月以上をかけて変わって行くだろう」 「ホルモン投与みたいですね」 「まあ、そうだな。同じ理由で仮に性転換薬があったとしてもその効果が完全に発現するまでにはかなりかかるだろうね」 と、考え込んでいる渡辺。 「華森さんのケースってそのどれにも当てはまらないんですよね」 「ああ」 「それって、「不思議な出来事」じゃないですかねえ?」 「何だそりゃ?」 「ほら、ポルターガイスト(騒霊)とかパイロテクニクス(自然発火現象)とか」 「下らない。じゃあ、もし仮に華森くんが本当に元男で、超常現象で性転換したんだとしても、周囲がそれに順応しているのはどう説明するんだ?」 「それは…」 「説明できないだろ?大体、…まあ華森くんの話が本当である、という前提で話すが…もし性転換したとしても、すんなり異性の服なんか着ないだろ?特に女性はズボンを穿くのに抵抗は少ないだろうが、男性はスカートを穿く習慣は無いからな」 押し殺すように苦笑している渡辺。可愛い。 「でも先生」 その笑顔を崩さないまま小さな声で言う渡辺。 「説明できないから「不思議」なんじゃないですか?」
「あら、貴方は昨日の…」 「華森です…」 「ごめんなさいね。木田先生、今日はお休みみたいなの」 「そう…なんですか」 「ええ」
「…行ったかい?」 「はい。残念がっていましたよ」 「仕方が無いだろう…混乱させる訳にはいかない」 「冷静でいらっしゃいますね」 「…意外にな」 「それにしてもいけませんわ」 「な、何が?」 「ストッキングが伝染してます」 「し、仕方が無いだろ!?こんなの初めて穿いたんだから」 「スカートは穿かないんじゃありませんでしたっけ?」 「こ、これはその…うちの娘が調子に乗って…」 「まだまだ経験の浅いお嬢様ですわね」 「は?」 「ブラジャーってのは上から押し付けるだけでは無いんですのよ。きちんと「寄せて、上げ」ないと」 「い、いいよ。そんな本格的な…」 「あら、怖がっていらっしゃるの?逃げなくてもいいじゃありませんか」 「よ、寄るな」 「おかしいですわね。特に恐慌をきたした訳でもなく、あまつさえそのお召し物でいつものように出勤なさったんでしょ?「覚悟」は出来ているんじゃありませんこと?」 「な、何だ「覚悟」ってのは?」 ばさり、と白衣を取り出す渡辺。 「とりあえずこれを着て頂いて一緒に看護婦業務をしましょう。それから…」
(前略) その現象は俗に「ギャルカー現象」と呼ばれ、昨日まで健康な男性だった人物が、ある日を境に性転換してしまうというものだ。しかも恐るべき事に、本人にも周囲の人間にもその自覚があるにも関わらず、女性になった人物の適応に協力的な姿勢を示すらしい。具体的には下着を始めとした衣装を買い揃えてくれるのは勿論、寄ってたかって社会的な「女性らしさ」を教育してくれるのだという。これまでも「人間消滅」(バニシング)などのように多くの目撃者を出すタイプのものはあったが、これはいわば周囲の人間が「共犯」関係にあるという、これまでにないタイプの現象である。 実は、その最も古い例は1964年にアメリカで確認されている。この年号に覚えは無いだろうか?そう、あの「ロズウェル事件」の年なのである。我々の調査によれば「グランドクロス」の起こる1999年にも「ギャルカー現象」が頻発する可能性があることを示唆する文書がペンタゴンによって隠蔽されているという。一説に寄れば「ギャルカー現象」によって、ポール・シフトが誘発されるとも言われており、アメリカ政府は一刻も早くウンモ星人とニャントロ星人の呪縛から逃れて、この事実を公表すべきである。 「ワー」(中学館)1999年七月号 *この記事は後に中津川大観著「人類におけるファンタジー性転換の歴史」に引用された。 |