TS関係のオススメ本02-03
*アップロードする際に在庫を確認してから行ってはいますが、なにぶん古い本が多い為、時間が経過することで在庫切れになる場合もございますのでご了承下さい。 真城 悠 |
「オレの愛するアタシ」(1985年・筒井 広志・新潮社) |
このタイトルを見て「何か「おれがあいつであいつがおれで」に似ているな」と思ったあなたはかなりのベテランです。 「時をかける少女」に匹敵するほど何度も何度も映画化され、ドラマ化された同原作(小説版)は、何と入れ替わる主人公二人の年齢設定は小学生!もう犯罪並です。…が、同時にそれは「健全な少年少女の物語」であるという保険の担保にもなっていました。 流石に余りにも若すぎるので映画「転校生」(…っていつのまにかDVD化されてたんですね!)においては「中学生」に年齢が引き上げられ、ドラマ「放課後」では「高校生」にまで引き上げられていました。 ではその「社会人」版って無いのか?…実はあります。 それがこの「オレの愛するアタシ」です。 内容はほぼそのまんま「おれがあいつであいつがおれで」のアダルト版。あ、ここで言う「アダルト」ってのは「いやらしい」という意味ではなくて、「ジュニア・ヤング・アダルト」みたいな対象年齢のお話。 今は星の数ほどのTS系作品が乱舞しているのでかなりの“意欲作”であっても十把一絡げに扱われかねないのですが、まだまだ作品数そのものが少ない時期に刊行されていることもあって、かなりあちこちのTS作品レビューサイトで「書評」を読むことが出来ます。そこでタイトルだけを目にした、という方も多いことでしょう。 同じ作品を読んでも感じ方が千差万別なのは当然で、私にとってはバイブル的な作品である「まるでシンデレラボーイ」ですら「まあ普通」程度の評価を下されているサイトや掲示板の書き込みも少なくないです。 この作品も「萌え」には程遠い泥臭い作風から「オヤジ臭いTS小説」という表現をされていて、個人的には「なるほど!」と膝を打ちました。正に「オヤジ臭い」というセンスがぴったり来る作品です。 真城が個人的に「入れ替わり」は余り好きでは無いのは何度も書きました。どうしても「入れ替わり」だとそこには「男の身体で女の精神」の肉体が「余る」ことになってしまい、この扱いが非常に難しいからです。 TS界隈では「聖典」ということになっている映画「転校生」ですが、見終わった後に残るのは主演男優のくねくねしたオカマ演技ばかり…これは歴代実写化のどれにも共通する感慨です。 あ、この映画に熱狂的なファンがいらっしゃるのは知っています。ファーストインプレッションというのは中々消せないものでした…ご容赦下さいm(_ _)m。 この作品も「入れ替わり」もので、真城がこの世でただ一人だけ勝手に「アウェイクニング・キャプサイズ」(直訳すると「覚醒・転覆」。朝起きたら女の身体になっていてびっくり)もの、と呼んでいる「朝起きたら」パターン。あ〜あ。 主人公は中堅の作曲家で、CM音楽や映画・アニメの劇伴の作曲などで活躍しています。それがかねてからいい仲だった女の子と入れ替わってしまい、その日から逆転生活がスタート。 お互い色んなトラブルに巻き込まれ、女の身体になった主人公は地元に呼び出されて体よく見合いを断ったりと女の立場を満喫しつつ、最後には二人は結婚して職場も辞め、山奥に二人でペンションを立ててそこで暮らし始めます(勿論入れ替わったまま)。 最後の最後、二人の間に新しい命が宿り、出産した正にその瞬間!二人は元に戻ってめでたしめでたし…というわずか二段落で大体説明できてしまう「典型的」な入れ替わり小説。「最後に元に戻る」というのもちゃんと「おれが」路線を引き継いでいるのがいいですね。 この頃って何というか「ハッピーエンド」思考ではないんですが、最後に元に戻らないと何とも後味が悪いというか「人間として犯さざる一線を越えてしまった」感が出てしまう雰囲気がありました。何というか「冒険」はしても、帰ってこなければそれは「遭難」だ、みたいな。 今は「結局戻れませんでした」作品も珍しくないですよね。果ては「結局性転換したまんま」である結末を「ハッピーエンド」として描く作品まで出る始末(ぶっちゃけ「宇宙海賊ミトの大冒険 2人の女王様」のこと。その内レビューします)。 この「オレの愛するアタシ」は細かいディティールへの筆遣いはかなり念の入ったもので(^^、爽やかなお見合い相手を振るシチュエーションなんか(勿論女の立場でね)、明らかに「若くて綺麗な女」という「特権」を誇らしげに使っている感が見え見え。もう行間から「どうだ!」という「優越感」が噴出して来そうです(爆)。フィクションの筈(はず)なんですが…。 当然、「結婚式」の「純白のウェディングドレス姿の花嫁」に対する描写なんて「この下りを書いている時は気持ちよかっただろうなあ…」という自己陶酔がぷんぷんですよ。 何故そこまで言い切れるかといいますと、筆者の経歴を見れば明らかです。 良くある「社会人の入れ替わりもの」にするんなら「サラリーマンとOL」で良さそうなものですが、何故「作曲家」などという職業になっているのか? それはこの筒井広志氏自身が「作曲家」だから。 Wikipediaによりますと、作曲家稼業の日々である日突然「超大作の構想」が浮かんできたのはいいけども、新人の長編小説を出版させてくれるところなんてありはしないので、その前に短編や単行本で実績を積む為に小説を書き始めた…という変り種です。 要は職業作家でも何でもない「作曲家」さんがある日突然何を思い立ったのか「入れ替わり小説」を書いて発表してしまった!というのが真相なんですね。だから主人公が到底「一般的」とは言い難い職場環境の「作曲家」なんです。 ちなみにあの巨躯の作曲家にして「寺内貫太郎」こと小林亜星氏と親交が深いらしく、作品内にも明らかに小林亜星氏をもじったとしか思えない登場人物が『同僚』として出てきます。 …ってこれ自分の身の回りを“そのまんま”描いてるだけじゃん!! ということはつまり、あの念の入った花嫁姿の描写は勿論のこと、女性になってからの立ち居振る舞いその他は全部「自分が女になっちゃったら(この場合は入れ替わりですが)こんな風になりたいなあ」という願望をそのまま描写していると考えて間違いないでしょう。これはもうアブノーマルなナルシシズムそのものですよ! そうですねえ、大きな会社に勤めている方は想像してみて下さい。自分の上司のいい年こいた壮年の男が何をトチ狂ったかある日「自分の身の回り」を明らかにモデルにして部下のOLと「精神が入れ替わる物語」を描いた小説書いて発売した…みたいな感じでしょう。う〜ん。 「まるでシンデレラボーイ」の山内氏もそうなんですが、どうしてもデビュー作をこうしたTSもので飾った作家さんはその後明らかに精彩を欠くんですね。 内氏が最終的にアダルトコミックの描き手になったことは有名ですが(それでもTSものばかりなのは流石(^^;;)、この筒井氏もその後「ライトノベル」と言って良い小説を何作か発表していますけど、個人的見解では「心ここにあらず」というところ。やっぱTS書きたいよね(爆)。 個人的経験でもそうなんですけど、TSものって書くことそのものが「癒し」になるので(ここ大事!テストに出ます!)、長年の思いを込めた一冊を書ききったことで「憑き物が落ちて」しまったんじゃないかなあ…と思ったりしています。 個人的に「初々しいなあ」と思うのが、どうしても「照れ」を完全に払拭できていないところ。 何しろ職業作家さんではなくて作曲家さんが、極論すれば「見よう見まね」で「TS願望」を文字にして叩きつけているのでシリアスになりそうな場面をギャグで切り抜けようとしているところがあります。 最初にお互いの寝床で入れ替わりに気が付いた後、主人公の男性は相手の女性の家に飛んでいくのですが、その時に「オバケのQ太郎みたいに口紅を塗って」やってくるんですが…んなアホな(爆)。 こういうのを真面目に考察してもしょうがないんですが、恐らく大半の男性はそういうシチュエーションになってもまず口紅は塗らないだろうし、仮に塗ったとしても幾らなんでもそんな塗り方がおかしいことは分かるわけですよ。 ま、ステレオタイプなギャグ(?)なんですね。「おっぱいが重くて肩がこる」とか「スカートがすーすーする」とか「ハイヒールで転ぶ」とかその辺りの定番な。ま、書きたかったんだろうなあ…と。 そして、物語も終盤に近づくと遂に二人の「入れ替わったままの性交渉」が描かれるのですが…なんとここで作者自身が「地の文」に直接登場して「この場面を書く為にこそここまで書き進んできたのに…どうしても書けない!すまん!」と肝腎の描写を全てふっ飛ばしてしまいます(!!)。 もうお分かりですね。要するにここで性交渉の様子を微に入り細をうがって描写するのは「自分はこの様に女の身体となって男に性的に弄ばれたいのだ!」という告白を満天下に曝(さら)すにも等しく、「流石にそれは勘弁してくれ」ということなんです。…ここまでこんな調子で書いてきてもう遅いよ…とは思うんですが、そこは「譲れない一線」というところなのでしょう。 その後新婚生活で朝から晩まで性交渉ばかり…みたいな描写もあるんですが、いずれも「そういうこともありました」と淡々と出来事を記すのみで具体的な描写は全くなし。 もう想像でお腹一杯なのですね(*^^*。 私も経験がありますが、この小説によって読者はともかく作者が目一杯楽しんだのは間違いありません(核爆)。 しかし!そういう「ベタなギャグ」「オヤジ臭い展開」だけで取り上げている訳では無いんです。 私が最初にこの小説を見つけたのは…確か高校に入ったばかりの時、馴染みの古本屋さんの店頭ででした。 もう当時から「該当作」漁りに精を出していた私はタイトルだけで「これだ!」と直感して見事ビンゴ! 何しろ「おれがあいつであいつがおれで」がせいぜいだったこの世界にいやらしいという意味ではない「アダルト路線」を持ち込んだのは画期的でした。 私が注目したのはその描写の生々しさ! いいですか?まず主人公は目が覚めると女性の肉体に入っている訳ですが、当然布団の中に寝ています。 何となく意識を取り戻した自分の体温で生暖かい布団の中で、脱ぎ散らかしたブラジャーの金具に手が当たる…ところからスタートするのです(!!)。 な、何という生々しい描写! これを読んだ時には本当に背筋に電流が走りぬけました。 正に「皮膚感覚」で「見てきたよう」ではありませんか。まるで実際に自分が半裸で布団の中にいるかのような感覚に襲われました。 こうした「皮膚感覚のリアリティ」は「おれがあいつであいつがおれで」には全く無いもので、もしかしたら私の作風に影響を与えているかも知れません。というか、現在に引き寄せてもTS小説でこういう「皮膚感覚」に訴える作品ってそう無いんじゃないでしょうか? 残念ながら(?)作者はウェディングドレスを着た経験とかは無いらしくその辺りの描写全てに「皮膚感覚」が内包されたものになっている訳ではありません。実際に着なくても「取材」すれば外観だけではなくて「こういうものなんだ」式の描写はもっと出来たはず。私はちゃんと取材しています(えっへん。 ともかく、私はこのオープニングだけである意味「殿堂入り」の資格ありではないかと思ったほどです。 感電した私は、高校生の身の上だったので所持金が無く、なるべく本棚の後ろの方に同書を隠すと光速(誤字にあらず)で自宅からお金を持って引き返したのですが、何と言う事でしょう!既に棚には無かったのです! その後私は目の色を変えて探し回り、隣町含めて自転車で行ける範囲(田舎の高校生なので…)の古本屋は全て五寸刻みで探索を続けたのですが遂に見つけられませんでした。タイトルもうろ覚えだったので本屋に訊くことも出来ず、夢にまで見たほどです(本当)。 ところが! ある日ふらっと立ち寄った最初に見つけた古本屋に入ると…そこに鎮座しているではありませんか! 一も二も無く買いましたよそりゃ! という訳で、世間的な評価は必ずしも高くない同書ですが、真城にとってはいろんな意味で「思い出の一冊」なのでした。 今では嘘みたいな話ですがTSファンにとって「古本屋めぐり」は本当に必須科目で、それだけを綴った同人誌出そうかと思うくらいです。十年前にそんな有様なので今ではもっと入手困難でしょう…と思ったら! なんと「マーケットプレイス」に出品されているではありませんか! 残念ながら真城が持っているハードカバーの単行本版ではなくて文庫版(再販されたんだ…知らなかった)しか無いみたいですけど、これを苦労せずに手に入れることが出来る皆さんが羨ましいっ! …ていうか私。自分で買います(爆)。 ハードカバー版は確かに持ってますけど、文庫ならきっと巻末に「解説」が付いているでしょう。何が書いてあるのか楽しみなので。 今から10年以上前に妖しく咲き誇った「入れ替え」の華が確かにあったのです。2006.11.17.(金) |