TS関係のオススメ本09-06
*アップロードする際に在庫を確認してから行ってはいますが、なにぶん古い本が多い為、時間が経過することで在庫切れになる場合もございますのでご了承下さい。 真城 悠 |
「D・N・A2 ―何処かで失くしたあいつのアイツ」 (1993年〜1995年・全5巻・桂正和・集英社) |
真城の世代にとって桂正和先生と言えばもう「ウイングマン」ですよ。 今では全く珍しくありませんが、とにかく作中に大量の美少女が登場し、敵そっちのけで萌え萌えな(当時はこんな表現は無いですが)漫画でした。 少年漫画にこれほど女の子ばかり出てくるというのは正に画期的で、かなり異色ではありますが「ああっ女神さまっ」に代表される「落下女」(ある日突然美少女が降って来る、からこう呼ぶんだとか)、「女ドラえもん」の系譜を先取りしていたかもしれません。 アニメ版の「夢戦士ウイングマン」についてならば一晩中語る自信がありますよ(*^^*。 桂先生は本当に「戦隊ヒーロー」を始めとした「特撮ヒーロー」が大好きな方で、その欲求を爆発させたのが「夢戦士ウイングマン」。デビュー前や直後にも同趣向の作品が沢山あり、いかにこっちの傾向が強い方なのかがうかがい知れます。 その後編集部の要請もあって、「可愛い女の子が描ける」能力を最大限に活かすべくそうした作品を手掛ける機会が増えてまいりました。 普段は余りやらないのですが、何しろ漫画・アニメともに「ウイングマン」にハマり狂ったファンとしてちょっと桂先生の作品履歴をば。 (Wikipediaより) ・ツバサ(1980年、単行本未収録未) ・転校生はヘンソウセイ!?(1981年) ・学園部隊3パロかん(1981年) ・学園部隊3パロかん II(1981年) ・夏にすずみ!(1982年) ・秋にすずみ…(1982年) ・ウイングマン(1983年) ・ヴォーグマン(1985年) ・超機動員ヴァンダー(1985年-1986年) ・すず風のパンテノン(1986年) ・KANA(1986年) ・プレゼント・フロム LEMON(1987年) ・小さな灯り(1988年) ・エトランゼ(1988年) - 原案・大場ひろし。 ・SHIN-NO-SHIN 愛と憎しみのタイムスリップ(1989年) ・ビデオガール(1989年) ・電影少女(1989年 -1992年) ・SHADOW LADY【VJ版】(1992年 - 1993年) ・WOMAN IN THE MAN -男の中の女-(1993年)*入れ替わりもの ・D・N・A2 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜(1993年 -1994年) *今回取り上げるのはこれ ・ZETMAN(1994年) ・SHADOW LADY【読切版】(1995年) ・SHADOW LADY【WJ版】(1995年 - 1996年) ・エム(1996年) ・I"s(1997年 - 2000年) ・a virgin(2001年) ・Dr.チャンバリー (2000年) ・M 完全版(2002年) ・記憶の迷宮(2002年) ・ZETMAN(2002年) |
今回メインで取り上げる2巻の表紙。とにかく表紙のアートワークなども素晴らしいです。 |
ちなみにこってこての入れ替わりものである「WOMAN IN THE MAN」という短編も手掛けています。 わが国は手塚治虫先生という「漫画の神」がいたこともあって、世界稀に見る漫画大国なのですが、その中でもこれだけの長期間に渡って大ヒット作ありスマッシュヒットあり、それほどでもないのもあり(爆)ながら作品を発表し続けている桂先生は間違いなく「売れっ子」のお一人でしょう。 ではこの「DNA2」とはどんなお話なのか? |
今回、本文中では殆ど触れることが出来なかったのですが、VHSビデオにてアニメ版が発売されています。 旧世代のメディアだけあって最終巻以外はどれも数百円もしないアホみたいに安い値段。 この機会にどうでしょう?サブタイトルを見る限り該当は最終回近くだと思います。 |
人口が過剰となり、二人以上の子供を作った人間は死刑になる未来世界において、なんと100人以上の子供を作った「メガプレイボーイ」が存在していた。 彼の残した子供はその遺伝子を引き継ぎ、深刻な社会問題となっていた。 その未来からやってきた葵かりんは、若い頃の桃生純太にメガプレイボーイ抑制遺伝子を打ち込むことで歴史を書き換えようとするが…。 なんと「メガプレイボーイの誕生阻止」の為に行なった行動が結果として「メガプレイボーイ」の誕生に寄与してしまう、という展開に。 こうした物語に「ドラえもん」の影響を見るのは仕方が無いですね。 主人公が超人に変身したりするあたりは「ヒーローもの」好きな作者の業ということでいいと思いますが、タイトルに「ドコサヘキサ塩酸」の略である「DNA」を頂くこの漫画がTS、つまり「性転換」に手を出さないということがありえると思いますか?いや、ない(反語)。 主人公の桃生純太(ももなり・じゅんた)が「遺伝子改変」を行なうことが出来る弾丸を主人公の桃成純太に打ち込もうとしますが、手元が狂ってたまたまその場に居合わせた菅下 竜二(すがした りゅうじ)に命中してしまいます。 |
思わず外したにしては致命傷になるような当たり方ですが…この後の展開を考えれば大いにありでしょう。 その後、謎の苦痛に見舞われる竜二。 TSものを読みなれたベテランとなるとこの後の展開の素敵な予感に 心臓をバクバクさせて楽しみにするところです(本当) そして… Σ(゜Д゜)!! |
鏡を観ていたらなんとクラスメートの一人に姿かたちが変わってしまった!のです。 私は「漫画家の業」と勝手に呼んでいるんですけど、極論すれば自らの妄想を「絵(漫画)」と言う形で具現化するという技量に恵まれるのみならず、それを数百万部という部数を誇るメジャーな雑誌で発表する機会を得た漫画家は、全てではないにしろ一回は「願望」を滲ませた展開をやってみたくなるもの、ということです(爆)。 この「見る見る身体が女になっていくシミュレート」というのは、私も「おかしなふたり」Flashなんかでやった訳ですが、それこそ漫画家の方の特権です。 自慢じゃありませんが私はこの「変化」を跨(また)ぐジャンプを連載時にリアルタイムに購入して読んでおりました。 この時にどれだけ一週間が長かったかは…もう、書くまでもありませんね(爆)。 どの様に少なく数えても「男が女になる」とか「男女の精神が入れ替わる」という商業出版された漫画は200を下回ることは無いと思われるのですが、実は「ムクムクと変わっていく」場面をしっかり描いた漫画というのはどちらかというと少数派に属します。 大抵は「朝起きたら変わっていた」とかの「趣のある」展開になるもの。大体「ムクムク変わっていく」などという表現そのものが「原生動物」以降などではないでしょうか。「おれがあいつであいつがおれで」等のように「入れ替わり」がせいぜいだったんじゃないかと。 ここはTSファンサイトなので、その側面に絞ってご紹介します。 桂先生も明らかにこの「女性の身体への変身」シチュエーションには執着があったらしく、初登場した回の最後で「完全に変身しきっている」にも関わらず、次の回の冒頭で少し時間を巻き戻してより緻密に繰り返しています。 |
「TS表現の歴史」について詳しく調べた訳では無いのですが、漫画における「ムクムク表現」ではかなりいい線を行っているでしょう。 しかし十数ページでちゃんとオチまでつけて毎回の人気アンケートに勝ち抜かなくてはならないジャンプ誌上ではこれ以上緻密で詳細なフェチ的表現を延々行なってストーリーを止める訳にはいかなかったであろうところがとても惜しいです。 ぶっちゃけた話、これだけで十数ページ掛けてもいいほど「キモ」なんですが。 しかも、何故か「身体」は男のままという不完全さ。 菅下 竜二(すがした りゅうじ)は劇中ではヒール(悪役)なのですが、この能力をどんどん洗練させていきます。 栗本 亜美(くりもと あみ)という幸薄い副ヒロインに接触すると「DAN情報を取得」してしまい、不随意に身体が彼女に変身してしまいます。 |
この直後、竜二は獲得した「能力」について勝どきを上げます。 |
嬉しそうだな。おい。 …気持ちは分かる…というか確かに有頂天になるところだけど。 |
この場面でピンと来た方はもう購入OK!でしょう(*^^*。すぐにでもどうぞ。 ちなみにこの能力及び展開はこの「TS業界」の分類では「随意変化」と呼ばれます。要するに「自分の意思で変身することが出来る能力」ということになります。 これはちょっとだけ微妙。 というのも基本的には「巻き込まれ型」が好まれるからです。「なりたくないんだけど女の子になっちゃう」方がいいのです。 作劇的にもそちらの方が遥かに難しく、作者の技量が問われます。 自分の意思で変身出来るとなるとそれは「能力の獲得」に等しく、純粋にプラスでしかない…というのはこのコラムでも繰り返し書いてきた通り。 「女になる」というのは同時に「男で無くなる」というリスクを差し出して初めて手に入れるものであり、その「痛し痒し」がTSものの萌えどころ。 それが都合よく男になったり女になったり出来るのであれば少なくとも「男で無くなる」感慨は放棄していることになります。 TS(性転換)描写そのものは「やりたかったこと」ではあっても、その「方法論」について作者が詳しく考察している訳では無いので、必ずしも効果的な作劇が行われる訳ではありません。 寧(むし)ろ「自由に制御したい」のが願望ですから、実際その様なストーリーにしてしまって、結果的に「性転換萌え」の魅力が減殺してしまうことが少なく無いもの。 ま、この作品については主人公が性転換能力を持つわけではなく、それがメインモチーフではないので、この点でのみあーだこーだと論評するのは若干外れてはいますが。 ともあれ、「軽い性転換願望」があって、それを物語を描くことで発散させたい…と考えている「作者」の皆さんに言いたい。 「もしも性転換能力を獲得したならばどれほど素晴らしいだろうか?」という観点で描くよりも「もしも不随意に性転換被害に巻き込まれたならばどうしようか?」と考えた方がいいでしょう。 これは物凄く大変なことです。 というのは、かなり用意周到に「この時点で何が起こって、この時点ではどこまでやってはまずいか?」を計算せねばならず、また舞台装置の配置も「計算ずく」でなくてはならないからです。 行き当たりばったりで願望を充足させる為だけにやってると(耳が痛いですが)、「細かいことは決めないまま」で突っ走ることになりがち。 実際「受身型」には佳作が多いんですね。最近の例で言うと当ホームページでも大人気の「けんぷファー」などは完全にこのパターン。実は「らんま」も基本的には受身型です。 …とはいうものの、「欲望」だけで突っ走った作品もその熱い煩悩が小賢(こざか)しい計算を超えた思わぬパワーを持つことも多くて好きなんですけどね。 「DNA2」に話を戻しますと、竜二は「ヒール(悪役)」であるという立場を利用して正に「やりたい放題」やり始めます。 これもTS的に見ますとある意味賢いやり方です。 元々「悪役」というのは、作者の欲望や暗黒面を仮託して「極論」でありながら一面の真実を述べさせて突きつける役割が出来るもの。 映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」で、論理的にはムチャクチャなシャアの演説があんなに魅力的なのはその為です。「カイジ」の利根川さんの「金は命より重い」発言とか、一面の真実でありながらベビーフェイス(正義)側の主人公は絶対に主張できないでしょ? 性転換願望というのは、実はその内容というのは願望を抱いている本人も正確に何であるかというのは良く分かっていないと思います。普通の人はそんな事深くは考えませんからね(爆)。 「女性になりたい」のか純粋に(?)「女性の身体に興味がある」のか。この二種類の願望は「女性の身体」を志向していながら、内容は正反対です。 真城は勿論のこと、単なるTSファンが一番ピタリと来るのが「男性の立場として“最も距離が近い状態”で女性の身体に接する」状況を、フィクションとして疑似体験することでしょう。 つまり、精神的に「一番大事なところ」は男性のままである必要があるんですね。 この辺がとても難しいところ。 完全に女性になってしまったのでは、「単なる女の子」です。 この漫画は少年誌に連載されたこともあって、女の子になった状態で自らの身体に欲望を向ける場面はありません。 それに、私は18禁ありのTS漫画で何度も「そういう場面」は読んでいるんですけど…意外に美味しくないんですよ。 この辺の「絵としてTS(性転換)の醍醐味をどう表現するか」は私のような立場の人間は常に悩んでいるところでして、同人誌にはその考察を寄稿したこともあります。興味のある方はどうぞ。 だって「完全に性転換した絵」と言われても外見は単なる女の子でしかありません。 恐らく桂先生も色々悩んだんでしょうね。 「一体どうやって“女の身体になった男”を表現すればいいのか?」ということに。 仕草や表情で匂わせる、とか「男装させる」などの方法もあります。 既に紹介したコマでやっているように顔の後ろに「元の姿」をイメージとして浮かび上がらせることで表現する場合もあります。 創作物の担う役割として「論理的にやってはいけないことを疑似体験する」ということがあります。 TSものの醍醐味として「男でありながら身体を女のものにする」という「禁断の行為」を疑似体験出来るという側面があり、その「恥ずかしくてたまらない」立場に自らを叩き込む…という感慨もある訳ですね。 直接的に言えば「女装」漫画などはかなりそれに近いものがあります。 実際に性転換していないので、足らない部分は「演出」で補う必要があり、結果的に実際に性転換する漫画よりも良く出来ていることも少なくありません。 散々考えた末に桂先生が行なったのが「頭は完全に男で、身体は女」という“奇策”でした。 ではご覧になってください。 |
…どうです? 端的に言って「気持ち悪い」と思うと思います。 というかそもそもこいつは一体何をやってるんでしょうか(核爆)。 やっているのは身体だけ女に変身して写真を手に全身鏡の前で独り言を言っているだけです。 純粋に変態です(核爆)。 これ、単行本収録はモノクロなんですけど雑誌掲載時点ではカラーでした。その時では「肌の色」が首の上と下が違っていてよりグロテスクだったんです。 よく見なくてもお分かりの通り、首の大きさと身体の大きさのバランスが明らかに崩れています。恐らくあの首の細さだと大きな頭を支えきれないでしょう。非常にフリーキー(奇形的)な絵面です。 言ってみれば「身体の女装」とでも言うべき状況です。形式的には「顔だけ男、身体は女」ということで「女装」に似ていなくも無い…のですが、類似の絵柄は殆ど見かけません。 気色が悪い…ということもあるんですが、要するにこれは「象徴」なのですね。 「頭の部分」を「元の姿」にすることによって「男です」ということを強調しているんです。 また同時に「アイデンティティの分裂」も演出しています。というかどちらかと言えばこちらがメインでしょう。 誰がなんと言おうと「男」と「女」は違うものであり、全く違うものが同居している「異様な絵柄」を現出することによって、このキャラの「異様性」…いや「異常性」を演出している訳ですよ。 実際この場面での竜二は狂人にしか見えません。 これが犬の身体とかでも同じく異常性は出せたでしょう。 しかしそれをいたいけな少女のものにする…というところが素敵です(爆)。 この展開が最も盛り上がるのが表紙を掲載している2巻。 勿論、前後の文脈もあるのでその辺りも併せてどうぞ。 こちらのストリームがメインではないので、個人的にはちょっとツッコミが浅いのが残念なところ。 同じく打ち込まれた遺伝子によって能力が覚醒している純太が竜二によってその流れを操られ、暴走して身体が勝手に女性化してしまう…とかの展開も欲しかったです。 或いは竜二の能力が極限に達し、触れた人間に遺伝子異常を起こさせる能力を獲得、手当たり次第に街行く人を性転換させまくる…とか(爆)。 ってか私が考え始めるといつもこんな具合になっちゃいますね(^^;;。 ともあれ、竜二の鏡場面を現出せしめただけでも私にとっては千両の漫画です。 これは古本屋での入手もかなり容易だと思います。恐らく遠からん内に「完全版」とかも発売されるんじゃないかと。 2007.04.08.Sun. |
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