TS関係のオススメ本10-01
*アップロードする際に在庫を確認してから行ってはいますが、なにぶん古い本が多い為、時間が経過することで在庫切れになる場合もございますのでご了承下さい。 真城 悠 |
「魔法少年マジョーリアン」 (2007年〜・石田敦子・双葉社)1巻続巻 |
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魔法少年マジョーリアン 1 (1) (アクションコミックス) |
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作者の石田敦子さんのプロフィールは以下の通り(「」内全てWikipedhiaより)。 「石田敦子(いしだ あつこ、1963年8月9日 - )は広島県福山市出身のアニメーター、漫画家、およびイラストレーター。血液型A型。 作品: テレビアニメ さすがの猿飛(1982年) 動画 プラレス3四郎(1983年) 動画 らんま1/2 (1989年) 原画 老人Z (1992年) 原画 伝説の勇者ダ・ガーン (1992年) 作画監督 勇者特急マイトガイン (1993年) キャラクターデザイン・作画監督 勇者警察ジェイデッカー (1994年) キャラクターデザイン・作画監督 魔法騎士レイアース (1994年) キャラクターデザイン・作画監督 るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- (1996年〜1998年) 原画 神八剣伝 (1999年) キャラクターデザイン 銀装騎攻オーディアン (2000年) キャラクター原案 成恵の世界 (2003年) アイキャッチイラスト・原画 サムライチャンプルー (2005年)原画 ほか」 押しも押されもせぬアニメ界の大スターです。そしてこの頃は漫画ジャンルにも精力的に進出中。お得意のアニメ業界を舞台とした『アニメがお仕事!』などの作品もあります。 |
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アニメがお仕事! 7 (7) (ヤングキングコミックス) |
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「アニメーターが漫画を描く」という意味においては過去に類例がかなりあります。 今やアニメーター、キャラデザイナーというよりは「漫画家・イラストレイター」となられた安彦義和先生とか。 |
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(4)ヴィナス戦記 オリジナルサウンドトラック |
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国際的人気のカルト漫画「ファイブスター物語」の永野護氏とか。 |
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などがそう。 ま、何と言っても成功例としては「風の谷のナウシカ」が挙げられるでしょう。 |
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この漫画のアニメ化を推進するために、まだアニメージュスタッフだった鈴木プロデューサーが特別にスタッフを編成し(その中には若き日の庵野秀明氏も)、それが「スタジオジブリ」の原型となった…という一連の流れは正に日本のアニメ史そのものです(ということで「風の谷のナウシカ」はスタジオジブリ作品ではありません。正確には「天空の城ラピュタ」以降)。 では、漫画家・石田敦子とはどういうクリエイターなのでしょうか? 今回取り上げる「マジョーリアン」が連載されているのは「コミック ハイ」(双葉社)。 |
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この「魔法少年マジョーリアン」はリアルタイムに連載されている現役TS作品ということでTSファン界隈ではかなり話題になって八重洲さんのところでは毎号掲載される度に「速報」が掲載されていたものです。 この「少年が「魔法少女」にならざるを得なくなる」というシチュエーションは21世紀に入る頃から非常にメジャーな設定となって来ました。 もともと「TSもの」はどこかSF・ファンタジーの匂いを漂わせながら、後腐れなく、非現実的なカジュアルな性転換の擬似体験でなくてはなりません。 何故こう言い切ってしまえるかと言うと、これらの条件を全て否定すれば「そうしたフィクション」(女装・性転換)そのものは結構存在はしているからです。 決して表立って商業ルートで流通することはないけど、熱心に読まれている『そうした』小説郡。 それこそインターネットなんて影も形も無い時代から、神田神保町の一部の書店ではその手のマニアが編纂した、同人誌に毛が生えたような「雑誌」を手にすることが出来ました。 利益を出す為にどうしても単価が高くならざるを得ないこれらの「アングラ雑誌」にはそれこそ女装や性転換が渦巻いていた訳ですが、こうした内容の小説を「らんま1/2」みたいに「気軽に楽しみたい」作品で満足している読者が楽しめるかと言われると中々厳しいものがあります。 私も都会に出て来た直後はそれなりに読ませていただきましたが、最初の内は刺激的だったものの、どうしてもストライクゾーンがずれているために次第に疎遠になっていきました。 どうにも生々し過ぎるんですね。それに、当たり前だけど弾けるものが無い。 また「望まない」ってところが一番違っていて、明らかに「そちらの願望を成就する」筋立てになっていたりすると別の世界のお話みたいです。 極論ですが、ロリコンの方々は自らの趣味を忠実に実行してしまうと犯罪者になってしまいますが、我々TSファンはそれはありません。 理由は簡単。だって、我々は華代ちゃんじゃないので、少なくとも「目の前でムクムクと変わっていく」性転換など不可能だから。 現在原稿を書き溜めているところですが、「らんま1/2」がカジュアルなTS(性転換)コメディの地平を切り開いたことは間違いないでしょう。確かに「うる星やつら」などにも度々登場しましたが、あくまでもイレギュラーであるという位置づけであり、主人公の少年自身が不随意に少女に変身してしまう大前提で続くものではありませんでした。 |
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ちなみにわが国はこうした性的に微妙なモチーフに対して非常に寛大なところがあります。アメリカにおいては「らんま1/2」などは「子供の精神の発育に悪影響を及ぼす」として年齢制限がつけられています。 「基本的には嫌がっているけども、でも仕方なくやらされる女の子役」という意味では「魔法少女」という位置付けは正に絶妙でした。 「けんぷファー」の様に「その立場になるには少女でなくてはならないが、たまたまその役を仰せつかったのが少年だったので、必然的に少女に変身しなくてはならなくなった」という大義名分が立てやすいんです。 |
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また、「魔法少女」というモチーフそのものが非常にねじれた構造を持っています(魔法少女ものに関わる方々への人格攻撃や誹謗中傷ではありません)。 正直、この辺りの分析は難しすぎるので本職のアニメ評論家先生に歴史を紐解きながら行なって欲しいところですが、一つだけ確実に言えるのはこの場合において「少女である」ことは決してハンディではないのです。 普通に考えるならば、こと「戦う事」に限って言えば肉体的に女性であることで有利になることなど何もありません。 腕力や頑丈さもさることながら、体格の違いによる体重の軽さなど、有利なところなど皆無です(*)。 (*女の肉体に於けるハンディを逆利用した格闘術については、「エルフを狩るモノたち」の「入れ替わり」が起こった状態でレクチャーがなされています。巻数を忘れてしまったのですが…すみません) |
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ところが、「魔法少女」たちは「少女であるにも関わらず」「それを乗り越えて」戦うのではなく、「少女であるからこそ」の強みを最大限に発揮して戦い抜きます。 それが「魔法」であったり色々とある訳ですが、ともあれ、こと「魔法少女・少年もの」とでも言うべきジャンルに於いては「少女への変身」は「強いものへの変身」という位置付けで使われている訳です。 |
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この辺になると「女の子に変身する」デメリットが何ひとつありません。 純粋なプラス形質の獲得となってます。 |
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これは「ウルトラマンに変身する」のと物語り内の使われ方において全くの同義である訳です。 変身後の姿が美少女であるというだけで。 |
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こう考えてくると「時代は変わったなあ」と言わざるを得ません(^^。 アメリカにも「変身ヒーロー」は沢山います。スパイダーマンやバットマン、スーパーマンなどがそれに当たりますね。 ま、もっとも、スパイダーマンやスーパーマンは元々超人なので、正体を隠す為の「扮装」をしているだけですし、バットマンの衣装は「単なる衣装」でしかなく、本人が超人になるわけではありません。 ただ、ここでは「変身して超人になる」構図は維持されているという意味で引いていますのでご容赦を。 ではアメリカにおいてアメコミや実写映画において「民衆の危機にスーパーガールに変身して活躍する青年」の物語が成立するか?といえば多分成立しないでしょう。アメリカンジョークの対象にしかなりません。少なくともビッグ・バジェット(大予算)映画へのそんな企画はまず通らないと断言出来ます。 |
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何やかやいってもマッチョイズムの国です。未だに他人を馬鹿にする際に「このオカマ野郎!」というのが立派な罵倒になるのですから。 そもそも「女になる」として「男でなくなる」というデメリットの方が強調され、「変身して超人になるのはいいが、何故女になる必要が!?」と言われてしまうことでしょう。 ただ、その日本人にしても「少女への変身」をデメリットだとかマイナスポイントではなく、一方的なメリットであると解釈する「魔法少女もの」が特殊なジャンルであることは間違いありません。 以前にも紹介しました「シュヴァリエ」ですが、これなどは「女装仮面ライダー」とでも言うべき作品。 「詩人(ガーゴイル)」の出現に合わせて「亡くなった姉の姿」に変身して戦うというゴシック・ロマンですが、その「変身シーン」はまんま「女装シーン」なのです。 |
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ドレスに袖を通し、スカートからハイヒールを覗かせ、コルセットを締め付けるこの人はれっきとした男性(*^^* このくびれたウェストがたまりません…ってこれは何の漫画なの? (「分かった上で敢えてやっているツッコミ」ですので、作者の方々への人格攻撃や誹謗中傷ではありません) |
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ちなみに「前日談」を描くアニメ版が存在します。 |
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受験勉強真っ最中だった私は視聴しておりませんが、「ニュータイプ」誌上において、原作者のコラムの挿絵に「最近女装が板に付いてきたな…」という自虐ギャグが掲載されていたところを見ると、アニメでも頻繁に女装していたみたいですね(^^。 厳密には「変身」というよりは「降霊術」に近く、自らの身体に姉の精神を憑依させて(この時、肉体も完全に女性のものに変身)戦うので、基本的に変身中は自らの意識はありません。 が、体型矯正までして女装した状態で降りてくるのを待ち構えなくてはならず、その「女装行為」部分は完全に男の意識のままで行わなくてはなりません。 数ある「変身もの」の中でも相当難儀な変身方法であるのは論を待たないでしょう。 つーかこれは辛い…。「変身準備」状態を目撃されたら完全に変態です。 これがコルセットでウェストを締め上げてくびれさせた上に露出度の殆ど無い豪奢なドレス女装なのでかなりサマになっていますが、体型も露でセクシーな網タイツのバニーガールの格好とか、バレリーナのチュチュなどに女装して待ち構えなくてはならない…という設定だとしたら、どれだけシリアスなストーリーを展開したとしても…少なくとも絵面的には相当間抜けなものにならざるを得ないでしょうね。 閑話休題。 前置きが長くなりましたが、「魔法少年マジョーリアン」です。 この世界で「マジョーリアン」を仰せつかるのは2人の少年。鷺乃宮マサルと久米河イオリ。 彼ら二人組が街を破壊して暴れ回る怪獣を倒すために「魔法少女」に変身させられます。 |
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突如現れた人間の言葉を理解する謎の宇宙人に変身する役割を背負わされる主人公たち。 このパターンは「ウルトラマン」から変わりませんね。 |
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この「変身シーン」の「嫌がりながらもセクシーな女の子の身体になってしまう」描写におけるディティールやその表情などは、すれっからしのTSファンも瞠目させるものがあります。 |
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Σ(゜Д゜*)!! |
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これが第一話の一番最初に描かれた変身シーンの描写。Σ(゜Д゜)コレハスゴイ…。 「魔法少女」そのものにそれほど詳しい訳では無いのですが、変身のパターンとして 「少女」→「少女」 「少女」→「大人の女」 の大きく分けて2つのパターンがあると思います。 前者に関しては当然セクシャルなものは感じられない演出になる訳ですが、かなり多くの作品では実は結構セクシャルな表現に踏み込むものみたいです。 そもそも我々は一口に「魔法少女もの」と言ってしまいがちですが、実は変身後も可愛らしい姿を維持する「ミンキーモモ」、「カードキャプターさくら」系の「変身少女」ものと、「キューティーハニー」「美少女戦士セーラームーン」系の「(変身)戦闘美少女」ものがあります。 |
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私が観るところでは、この所のTSがらみの「少年魔法少女」ものは、この両方の要素が入っているみたいですね。 ちなみに次回予定の「ブロッケンブラッド」は「クリーミィマミ」系の「変身アイドル」路線ということになります。 ジャンルの先駆けである「キューティーハニー」では一度全裸になる様に見える表現があり、一緒にテレビを観ているお父さんがたをかなり喜ばせたそうです(同種の工夫は「タイムボカンシリーズ」などにも凝らされていました)。 この所の「少年魔法少女もの」の原型であろう「美少女戦士セーラームーン」でも体型も露なシルエットでの変身シーンは明らかに「煩悩の刺激」を狙ったものでしたし、その意図はかなり達成されていました。 この後に書く記述と矛盾するんですが、この「変身」は「女の子」の「大人の女に早くなりたい!」という願望を掬い上げた演出であると考えられます。 だからこそ「過剰にセクシー」に見える演出なのですね。普通に考えればあの年代の女の子があそこまでメリハリのある体型であるはずがありません。 もう一度変身コマを見てみましょう。 |
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…Σ(゜Д゜)!! …( ;´Д`)ハァハァ。 む〜ん、これは連載開始と同時にTS界隈が盛り上がるのも当然ですわ。 極論すればこの変身シーンだけあれば後は何もいらないくらい凄い変身シーン。言い過ぎかもしれませんが、「TS漫画」がたどり着いた一つの到達点かもしれません。 次のページも観てみましょう。 |
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これは…すごいですね。 これは一応「性転換シーン」ではあるんだけど、同時に「変身シーン」でもあります。それは「毎回経験するお約束」のシーンだってこと。 もう書いちゃって構わないと思うんだけど、全裸になってしかも汗だくで苦痛に頬を赤らめながら身悶えつつの変身ってのはもう明らかにセックスを思わせます。最後なんて「絶頂」に達していますよ。 「セーラームーン」とかでも体型も露に変身シーンが描かれてはいだけどこんなにあんあん言ってませんよね? もっというと「女の身体に変身させ“られて”」いるわけで、ということは望まない(自主規制)をされていることに……後は察してください。 れっきとした男の子が全裸になった状態で苦悶に顔を歪めて「あんっ!」とか言いながら胸が「ぼろん!」と乳房になって盛り上がる…TSファン以外には悪夢みたいな変身シーンです。 そしてTSファンには天国みたいな変身シーンということに…( ;´Д`)。 変身時に「苦しむ」ヒーローと言えば「宇宙の騎士テッカマン」が有名ですが、 |
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それの「性転換」版というところでしょうか。 「らんま」が水を掛けられて女に変身する際に顔を赤らめて「あんっ!あんっ」とか言うか?と言えば言わないでしょ? そこがいいんですよそこが!(落ち着け) |
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これが変身完了後の姿。 「きゃー」言ってますけど明らかに喜んでますね ( *´∀`)…。 |
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石田先生ご本人が相当自覚的に描いていらっしゃる通り、今やこの構図(魔法少女に変身させられる少年)は少なくとも「斬新なアイデア」ではありません。 「男の子が魔法少女に任命されちゃうんだ!どうだ!凄い趣向だろう!」といわれても、10年前ならば「凄い!」と驚いてもらえたかもしれませんが、現在では「またか」と言われてしまいます。 ここではこれを持って「二番煎じだ」とか「アイデアのパクりだ」と糾弾する積もりではありません。 この「枠組みそのものに自覚的」な姿勢は、この後取り上げます「ブロッケンブラッド」と表裏をなすものなのです。 どういうことかというと、作者の石田敦子さんにとって「魔法少女に変身させられる男の子」というのは自らのテーマを作品で表現するためのモチーフに過ぎないからです。 ついでに言及しておきますと、それでいてあれだけ萌え萌えな描写で楽しませてくれるのですから正にエンターテイナーというところですね(^∀^)ノ! なので、「何故魔法少女なのか?」とか「何故戦わなくてはならないのか?」とか「どうして男の子が任命されたのか?」といった物語上当然要請されてしかるべき必然性がことごとくおざなりにされているんですね(*必ずしも非難ではありません。理由は後述)。 例えば「怪獣」の描写です。 第一巻に登場する怪獣は全部で8種類です。列記しますとこんな感じ。 |
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モチーフがモチーフなので、意図的に「特撮もの」独特のいい加減さというかパロディ精神が濃厚なのですが、別にそんなところまで踏襲する必要はありません。 むしろ、やるならやるで「仮面ライダークウガ」の様にこれまでのお約束を完全に噛み砕き、全てに必然性を付与せんと格闘する道もあったはずです。 |
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しかし、少なくとも「魔法少年マジョーリアン」はそういう趣向には全く走っていません。 没個性もいいところの「怪獣」たちはロクに名前すら与えられず、「苦戦」→「弱点の発見」→「得意技で撃退」という「お約束のパターン」すら辿りません(人格攻撃や誹謗中傷ではありません)。 それに、本編中に一応は8体登場するのですが、実は「描かれていない場面において大量に退治している」ことを匂わせる描写があるんです。 |
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*怪獣を倒すと「鍵」が出現するのですが、それをこんなに集めている…というコマ |
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実は最初に読んだ時に引っ掛かったのはまずこの点でした。 どうして石田先生はそこまでディティールに興味が無いんだろうか?と。 (*人格攻撃や誹謗中傷ではありません) 例えば、「魔法少年マジョーリアン」においては「怪獣」の統一呼称も第7話まで長らく提示されず、「必殺技」なども名前もありません。 |
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例えばこの怪獣などは、マリリン・モンローを模したスカートを履いた怪獣に対して「手鏡フラッシュ」なるこの回のみの「必殺技」で倒しています。 これは明らかに某大学教授が駅構内で女性のスカートの内部を手鏡で覗き見ようとしたかどで逮捕された一連の事件の風刺になっています(Wikipediaより)。 「植草 一秀(うえくさ かずひで、1960年12月18日 -)は、日本の経済評論家・経済学者。専門は、日本経済論・金融論・経済政策論 2004年4月8日、早稲田大学大学院公共経営研究科教授であった時に、品川駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとしたとして逮捕された不祥事がマスコミで扱われ広く人々に知られた。この影響により2004年5月7日に、早稲田大学教授職を退き、表舞台から去る。公判の中で検察側は被告人が1998年6月に東海道線横浜駅〜品川駅間で痴漢行為をおこし神奈川県迷惑防止条例違反で罰金5万円の刑を受けたことを明らかにした。また、捜査において収集した証拠から被告人の特異な性的嗜好を公表した。それらはマスコミによって公衆にさらされた。」 大衆娯楽作品が現実の風刺を含むことそのものはよくあることです。 「ドラえもん」で「ロッキード事件」をパロディにした回もありますし、ハイジャック事件をモチーフにした回すらあります。 「キン肉マン」に登場する「超人」は常に流行物を取り入れています。例えば主人公の「キン肉マン」の本名は「キン肉スグル」ですが、ジャイアンツの投手「江川卓(えがわ・すぐる)」からの引用。 ウルフこと千代の富士がブームになれば「ウルフマン」(アニメではリキシマン)が登場し、ウォークマンがブームになれば「ステカセキング」、エリマキトカゲがブームになれば「スニゲーター」…という具合。 もしも連載時期が違ったら「ファミコンマン」が出ていたそうです。 大衆娯楽作品が当時の社会情勢を反映するのは当然で、だからこそ大ヒットする訳です。例えば映画「インデペンデンス・デイ」に登場する巨大UFOですが、あれは「世界唯一の超大国」となったアメリカそのものを暗喩していると言われています。 |
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なので、絵空事には違いない「魔法少女もの」たるこの作品で一種の社会風刺或いはパロディが描かれることそのものはそれほど問題ではありません。 ただ、もし仮に「新世紀エヴァンゲリオン」に上記イラストみたいな、スカートを履いた状態の敵が現れて、ミサトさんが「この敵には手鏡で攻撃よ!」とかいう「作戦」が展開されたらどう思います? 少なくとも「いい年こいた大人」はアホらしくて観てられないでしょ? 私はロボットアニメを「ガンダム以前・ガンダム以後」に分けてガンダム以前を闇黒時代みたいに言う風潮には反対なのですが、ただこうした趣向が厳然と存在したことも確かではあるんです。あんなものジャリ番だと(…という風に言われたこともあったけど、実は違いますよ、という反語であって当時のアニメが全てジャリ番であったと決め付ける罵詈雑言ではありません)。 別に痴漢事件をモチーフにした怪獣出すのがいけないわけじゃありません。ありませんが、そういう趣向を行なった時点である程度「受け取られ方」のスタンスを自ら狭めていることは指摘しても失礼にはあたらないでしょう。 また、「怪獣の襲来」にまつわるパニック描写が非常に希薄なのも特徴。この点も「セカイ系」の源流と称される「新世紀エヴァンゲリオン」と共通します。ほんの少しだけ描かれていますが、「怪獣に逃げ惑う人々」も殆ど描かれていないので「現実感」すら希薄です(人格攻撃や誹謗中傷ではありません)。 これはもう、「怪獣の襲来」といった状況を描くことに比重が無いことを示しています。 それが極まったのが、この場面。 |
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この「謎の小動物」が人語を解して、マスコット的な役割を演じる…というのも「魔法少女もの」の「お約束」ではありますが、幾らなんでもこれは無いだろ…と思ってしまったんです。読んでいた当時はね。今は違いますので。 というのは、ここで物語が「メタ・フィクション」になってしまっているんです。 「〜という設定で」などと言われてしまったら少なくとも「物語」に没入して読んでいる読者はどうしたらいいのでしょうか? 漫画を読んでいる読者に対して「何を漫画なんかに夢中になってるの?馬鹿じゃないの?」と言い放つみたいなものです(*ここでは「一見そう見えるけども、実はそうじゃなかったこと」に後で気が付いた、という布石なので人格攻撃や誹謗中傷ではありません)。 というか、多少設定に瑕疵(かし)があるのはともかくも、全てを知る立場にあるキャラクターが作者に成り代わってこういう台詞を吐いてしまったのでは「作り話」そのものが全く成り立たなくなってしまいます。 元々、サラリーマン刑事が足を棒にして走り回る警察物だとか何の変哲も無い恋愛ものという「現実的」なお話という訳ではなく、怪獣が当たり前に出現し、男の子が魔法少女に変身してそれを倒す…という粗筋だけ取り出せば荒唐無稽そのもののお話です。 こんなのは作者と読者の間に「細かい統合性云々については言及しない」という「共犯関係」が無くては成立しません。 熱心なファンが少なくとも番組を視聴している間には「ウルトラマンなんていねえよ」とは言わないでしょ?そんな事言い出したらお話にもなんにもならないんだから。 にも拘らず、無神経にも登場人物がこういうことを言っちゃう。 例えばですよ、「ウルトラマン」で「謎の怪獣」が出てきた時に登場人物の一人がこう言ったらどう思います? 「でも、まだ細かい設定決まってないんだよ。来週までには考えとくんで、それじゃ!」 …馬鹿馬鹿しくて観ていられないでしょ?「ルーニー・チューンズ」じゃないんだから。 |
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だから最初に私がここを読んだ時には「ふざけるな!」と顔を真っ赤にして怒ったんですね(当時はそう思った、ということであって今もそう思っているわけではありません)。 |
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読者を馬鹿にしてるのかと。 設定を考えるのも馬鹿馬鹿しいお話なのか、それともそんなにいい加減な作り方をしている「作品」を金とって人に読ませるなんでふざけてるのか?と思ってしまったんですね(当時はそう思った、ということであって今もそう思っているわけではありません)。 …ただ、この見方は必ずしも正しくは無いんです。 というのは、本当に調子で全く何も考えていないのならばともかく、その後ちゃんと「設定」が存在しており、何らかの理由で戦わされていたことが明らかになるからです。 |
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*この様に一応説明はされているんですが、あんまり印象に残っていらっしゃらないと思います (人格攻撃や誹謗中傷の意図はありません) |
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ただ、この辺は「設定の為の設定」という感じが拭えません。その理由が読者にまで共感できて始めて心を揺さぶることが出来る筋立てになるのです。 手塚治虫先生が、少年漫画においても「最後に主人公が死んでしまう」話を描いて「定型」をぶち壊し始めてからというもの、その破壊は進み、いつの間にか本当に物語の中で世界が滅亡したりムチャクチャになっちゃったりすることも当たり前となった今、「世界人類を守るため」だけでは安易に主人公達の行動に説得力を持たせることは出来ません。 この「何故戦わなくてはならないのか?」というのは「セカイ系」の物語が抱える一大テーマです。 これはひいては「何故生きなくてはならないのか?」という質問と全く同義です。 これに一応の答えを出したのがあの「デビルマン」なんですね。 |
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そしてその問いにもがき苦しんだのがあの「新世紀エヴァンゲリオン」。 …この辺りのお話はブログの方で毎日やってますので興味のある方はどうぞ。 ということで、設定こそされていますが「何故戦わなくてはならないのか?」はこの「魔法少年マジョーリアン」のメインのテーマではありません。 では石田敦子さんは「魔法少年マジョーリアン」で一体何を表現しようとしているのでしょうか? ここが一番大事なポイントです。 実は「漫画家」石田敦子の漫画には顕著な特徴があります。 それは「鬱展開」(人格攻撃や誹謗中傷の意図はありません)。 ファンは の漫画のことを俗にこう言い習わしているそうです。 「明るいテーマでも鬱展開になり、鬱展開でも鬱展開になる」 と(人格攻撃や誹謗中傷の意図はありません)。 …こういう風に書くと、それだけで「誹謗中傷している!」とカンカンに怒られそうで怖いのですが、別に「だから駄目だ」と言っている訳ではありません。作風がそういう作風である、というだけの話です。それは「作家性」というものなんだから、徹底的に突き詰めるべきです。 とても分かりやすいデビッド・リンチの映画(人格攻撃や誹謗中傷の意図はありません)が観たいか?ってことですよ。 |
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スカッと爽やかで万人が納得するハッピーエンドのデビッド・クローネンバーグ(人格攻撃や誹謗中傷の意図はありません)が観たいか?ってね。 |
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なので、この物語のモチーフは「魔法少女」とか「セカイの危機」とか「性転換して女の子になる」とかも使ってはいますが、本当に描きたいのはそこではないんです。だから、この辺りは…極論すれば適当でいいのです(*)。 (*「適当」という言葉は今では「いい加減」「投げやり」という否定的な意味でのみ使われていますが、元は「丁度いい塩梅(あんばい)」「適切な頃合」というプラスの含みもある言葉です。人格攻撃や誹謗中傷ではありません) つまり、私が先ほど吐露した非難は、一面的には妥当ですがこの作品を評するのに適当とは言えないんですね。 焼き物の大きさを競うコンテストで、焼き物の模様が汚いと怒っているみたいなピントの外れ方です。 では何が描きたいのか? テーマ性のあるお話が「この漫画のテーマは○○です」と明示してくれるものではないので、本編から読み取る他無いのですが、恐らくこの辺ではないかと思います。 ・人の心のすれ違い(分かり合いたいのに分かってもらえない苦しさ) ・女の二面性(人間の裏表) ・「女性性」への嫌悪(*後述) 恐らく、「男の子が魔法少女にされる漫画」というストーリーラインを聞いてそれで手に取る読者が大半だろうと思うのですが、確かに絵柄も可愛らしいし変身シーンや変身後の姿も萌え萌えなんだけど、何か違和感を感じた方も多かったと思います。 まるで抜き身のナイフで切り裂き合うみたいな心に突き刺さる辛い展開の数々。人間のダークサイド、エゴをむき出しにした描写(*)。 何やら隙間風が通り抜けていくみたいな心温まらない展開の数々にかなり驚いたのではないでしょうか(*これは非難ではありません。詳しく説明するのでこの後をしっかりお読みいただくことをお願いいたします)。 元々TS界では、願望として「1泊2日くらいならば可愛い女の子になってみたいな」といったものがあるので、あの「らんま」まで含めて大半は「性転換」シチュエーションにはプラスの属性が付与されます。 「男から女への性転換のデメリット」を積極的に描いた作品が今もって「画期的」とされていることからもこの傾向はお分かりいただけると思います(「キックアウト・ラヴァーズ」のこと。レビューは |