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TS関係のオススメ本10-10


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真城 悠


・スポンサーサイトもご覧ください。


らんま1/2
(1987年〜1996年・高橋留美子・小学館)
らんま1/2 (1)
らんま1/2 (1)

 「TS」(性転換)フィクションの西の横綱が映画「転校生」だとするならば、
東の横綱がこの「らんま1/2」ということになるでしょう。
 既に
「TS作品」の枠すらも越えた超有名作品であり、「不随意な性転換現象」「男のキャラの女版」といった概念そのものを明示してみせた記念碑的作品です。

 基本的にマイナーというか「こんなのもありますよ」という風な紹介記事を心掛けている当レビューで取り上げるのは相応しくないかもしれません。だってここを読む様な方はまず100%既に知っているはずだから(^^。

 しかし、2006年11月5日にこのTS作品紹介が、
本日遂に通算100作品紹介を達成いたしました。ということで記念すべき100作品目をこの名実共に代表作で飾りたいと思います。
 かなりはしょって急ぎ足で紹介しますけど、何しろ単行本にして38巻にもなる長期連載ですし、歴史的意義では1冊の本になるほどの作品ですのでかなり長くなりますがそこはよろしくお付き合い下さい。


 タイトルってのはその漫画の「顔」ですからとても大事なのですが、いざ付けるとなると結構苦労する物件でもあります。
 TS作品で一番有名なのはやっぱり「らんま1/2」ということになるのでしょうが、
実はこのタイトルの意味はイマイチよく分かりません(^^。

 いや、言わんとするところは分かるんですが、主人公の乱馬は男も女も体験することが出来る立場なのであって、別に人生が半分になった訳では無いので「らんま×2」が正しいのではないかと。
 ただ、一種のハンディキャップであると捉えるならば「1/2」というのは正に的確なタイトルであると言えるでしょう。
 このタイトルを効いただけで、「らんま」とやらに「何か足らない」(不随意に女に変身してしまう
“不完全な男”ということですね)ことが察されるわけです。

 ちなみに高橋留美子先生は漫画原作の神様、小池一夫先生の「劇画村塾」の卒業生。小島流の漫画原作には「主役のキャラクターととにかく立たせろ」ということと「何らかの欠点を設定して親しみやすくしろ」というセオリーがあります。
 実はこの漫画、
「らんま」というキャラクターについて説明しただけでこの作品そのものについての説明の殆どが終わってしまいます
 正に実践通りということになりますね。

 正直幾らでも語れるんですが、ここでは敢えて読者の皆さんが一通りらんまについての知識と見識を持っているという前提でお話させていただきます。
 名実ともに最もメジャーかつポピュラーな「性転換作品」でありながら、いや…だからこそ「濃いTSファン」には必ずしも全面的に歓迎されている訳では無い当作品。
 原因は幾つも考えられるのですが、かなりの主観を交えて分析すると以下の様になります。


@ 9年間(1987年〜1996年)にも及ぶ長期連載によるマンネリ化
A 「可逆」であるために切迫した危機感に乏しい
B 次第に女装が当たり前になっていき、「単なる可愛いキャラの格闘ギャグ漫画」でしかなくなってしまった
C 扉絵で可愛らしい衣装にセクシーポーズなどで登場したりして「嫌がっているのに女にされて女装せざるを得なくなる」という感慨が余り感じられない
D 後期のマゾ的展開(*決して誹謗中傷ではありませんので本文を読んでください)


 一番大きな理由は「マンネリ」であるというのは異論が無いところだと思います。唯一説明が必要かと思うのがDです。散々餌(えさ)で釣っておいて最後にはぐらかしたり、生気を吸い取って力に変える敵(?)の登場でらんま側が翻弄されるあの展開のことです。
 いや、ありがたいとは思ってますよ。そりゃあもう。ウチだってイラストレイターさんに「どんな風かといわれれば「らんま」みたいな」という説明が出来なければどれだけ交渉が難航したか分からないですからね。
 「らんま」の名前を出すだけで健全で可愛らしい性転換ギャグ漫画がイメージ出来るのですからこれほど便利なことは無いんです。

 やっぱり「刺激」の問題は大きいと思います。
 私が衝撃を受けたのがアニメ版「うる星やつら」の原生動物の逆襲!プールサイドは大騒ぎ(レビューはこちら)という空前絶後の破滅型不可逆TSで、一生もののトラウマを背負い込むほどだったので、可逆でありかつ性転換したところで可愛らしいファッションを楽しめ、楽しく生活出来るであろう「らんま」なんて全裸でのエベレスト登頂から帰ってきた後に裏庭で水浴びする程度の刺激しかないですから。

 ここまで極端でなくても、「嬉し恥ずかし」「痛し痒し」を9年間も引っ張ったのは長すぎでした。

 しかし、
だからと言って「らんま」の全てをTSファンが切り捨てていいものなのでしょうか?

 
否!断じて否!です。

 かつて私はふたば君チェンジレビュー
「長期連載のTS漫画は第一巻を狙え!」とアドバイス致しましたが、その法則は「らんま」にも当然当てはまります。

 特に連載開始当初の数巻は正に
「TS的名場面のつるべ打ち」と称してもいいほどハイレベル。評価を下すならば「大オススメ」「絶対に買うべし」級ということになります。
 この後にずるずると後退して行って「どこで止めるべきか」が明確にならないのが困りものなんですがねぇ…。
 ともあれ、序盤の名場面をば。

 この
有名すぎる場面、アニメ版はあっさりしすぎていることとどうにも「女らんま」の「可愛らしさ」を強調しようとする余りに響いてこないんですが、漫画版のこのフェチ的な描写はかなりのものです。

 「18禁なし」の看板を背負った事で「可逆」TS作品のポピュラー・リストの頂点を飾っている当作品ですが、「ムラムラ」に直結しそうな性欲を刺激する
僅かな「毒」がポイント。
 この場面は何度も読み返しましたよ…。

 実は「可逆」とか「刺激が少ない」という濃いTSファンにとってのマイナスポイントが実はそのまんまライトなファンにとってはプラスポイントなんですよね。
 これが18禁作品みたいに「女になってあんなことやこんなことをされる」では刺激が強すぎるし、そこまで行かなくても神変武闘女賊伝(レビューはこちら)みたいに「もう戻れない。これからどうしよう…」でもやっぱり強すぎるんですよ。
 だから「いつでも戻れる」位が丁度いいんです。

 そして、遂にこれを語る時がきたのが
「変身トリガー」のお話。
 実はらんまの「変身」は便宜上「可逆」に分類はされているんですが、「随意」(思うまま)変身ではなくて、「不随意」(変身したくないのに変身してしまう)変身なのですね。
 この「変身のきっかけ」作りに成功したことが「らんま」を9年もの長期連載の人気作になさしめた要因だと思います。
 ちなみに「うる星やつら」「めぞん一刻」「犬夜叉」などの長期連載を成し遂げた数々のヒット作を持つ高橋留美子先生ですが、実は今のところ
最も売れたのがこの「らんま」だったりします。

 さて、その「性転換トリガー」はなんと「冷水をかぶる」ことなんですね。
 正に青天の霹靂というか、
「ありそうでなかった」絶妙な設定です。


 ポイントはこれが「純粋に物理的要因」であるということ。
 同種の可逆作品の多くが「性的に興奮すること」「性的にときめくこと」などをトリガーに持ってきてしまっているのですが、これは実は「失敗の元凶」。
 結果的に「随意変身」(いつでも自由に変身出来る)になってしまうんです。

 この「いつでも自由に変身できる」という状況を裏返してみるとその欠陥が見えてきます。
 つまり「変身したくなければ変身しないことが出来る」ということに他ならないんですね。これでは
「女の子になんかなりたくないのになってしまう」という「痛し痒し」「嬉し恥ずかし」の感慨を得ることが出来ません

 そこで「らんま」が採用したのが「水」でした。
 これは稀代の名アイデアで、高橋留美子先生はインタビューにおいて「水で変身し、お湯で戻るというアイデアを思いついた瞬間
「いける」と思った」と答えていらっしゃいます。
 私もそう思います。

 実は私が「らんま」を知ったのは単行本の確か2巻が出る直前くらい。
 なんと「週刊少年サンデー」を出版している小学館の「学年誌」の記事によってでした。あの「小学一年生」から「小学六年生」までのあの雑誌です。
 これはとてもいいアイデアで、現在も「小学○年生」には「週刊少年サンデー」で連載中の「名探偵コナン」の記事が載ったりしているみたいです。

 それはともかく、「あの「うる星やつら」の作者による、女の子に変身しちゃう男の子の漫画」などという存在を知ったからにはそりゃ読むでしょ。万難を排しても。
 あの410円の小さなコミックスを買って貪り読みましたよそりゃ。

 ここで「凄いな」と思ったのがやっぱり「水」「お湯」というトリガーでした。
 余りにもありふれているからです。だって「水」ですよ?普通は性転換するメカニズム由来にするものです。
 例えば「謎の物質」によって性転換するのならば、その「謎の物質」が近くに寄ってきたら性転換…とかですね。
 この「どんな原因で性転換するか」というポイント決めは本当に重要で、出来ればそうしたイニシアチブは作者の側が握っていたいものなんですよ。ですから物理的かつ外的な要因を設定する事が遂に出来なかった作品は自然と「心理的トリガー」に走って失敗する訳です。

 何しろ「水」ではそこいら中に水が溢れていますから喫茶店でウェイトレスさんがつまづいてコップをひっくり返しても性転換してしまいますし、雨が降ってきてもアウト。水泳の授業なんてもっての他です。
 要するに「まともな日常生活が困難になる」ほどのありふれたトリガーです。
 実は正にそれが狙いでした。この
「作者にすらコントロールがほぼ不可能」なほどの原因にしてしまうことで最大限に物語が転がったのです。

 お分かりですね。
 もしもこれが「特定の物質を近づける」などの「コントロール容易」なトリガーにしてしまうと、実は作劇のスタンスそのものが変わってきてしまうんです。
 つまりこの場合は
「如何(いか)に性転換させるか」という「攻め」の作劇になってしまうんですね。
 ところが「水」となると
「如何(いか)に性転換させないか」という「受け」の作劇になります。油断していると性転換してしまうんですね。
 論より証拠、このコマをご覧下さい。


 近所の水撒きをしているばあさんに水を引っ掛けられて性転換してしまっています。
 何度も言いますがこの
「女の子に“なってしまう”」感覚が何よりも大事なんです(ここ大事!テストに出ます!)
 しかも、「水を被って変身してしまい、お湯で元に戻る」ということは必然的に「入浴シーン」が多くなることを意味し、これが「読者サービス」場面を量産することに繋がります。
 いや〜本当に良く出来ています。

 私はこの「らんま1/2」を “可愛くなってしまった自分をコロコロと弄ぶ”系作品と位置付けています。
 やれミステリ風味だのオカルト風味だのといった「ストーリー展開」以前の「消費されるエンターテインメントとして目指すところ」とでも言うべき分類の話。
 これはもう「設定を思いついた段階で勝ち」みたいなものです。

 ここでちょっと思い出して欲しいのですが、今でこそ「TSもの」はそれほど珍しい趣向のフィクションではありません。
 「TSもの」などというジャーゴンを使ってしまうといかにもマニアックな雰囲気が漂ってしまいますが、「男の子が女の子になってしまう話」とか「精神入れ替わり」とかといった用語を使えば一般にも受け入れられやすいでしょう。
 もしも仮に「らんま」が無かったならば、恐らく未だに「TSもの」といえば、 映画『転校生』(大林宣彦監督)が唯一の代表作であったことは間違いないと思われます。
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 「精神が入れ替わる」とか「女装して潜入ミッションをこなす」といった展開は長期連載のギャグ漫画などでは正に定番の展開。まあ一度は何らかの形であると考えて間違いありません。
 しかし、「ジャンルの代表作」となるか?と言えばなりません。

 何度でも書きますが、私にとっては「TSフィクション」といえば「うる星やつら」の「原生動物の逆襲」が極北であり、原点です。この追体験をしたいから未だにアマチュアの創作活動をやってるみたいなもんです。

 ただ、「うる星やつら」のTS展開というのはファンの間でも殆ど話題に登る事が無いイレギュラーでしかありません。
 「不随意に性転換してしまう」存在を主人公に堂々と据えて、短編や読みきりの一発勝負ではなく長期連載…それも天才・高橋留美子先生の作品として…流通させた功績は限りなく大きいのです。

 「当たり前のこと」というのは、余りにも当たり前すぎてそれを最初にやった人間のことは認識されなかったりします。
 「タイムマシン」という「人間が開発した機械によって時間を越える」というアイデアは「SFの父」ことH・G・ウェルズの「発明」です。
 それまでにも「超常現象で時間を越えてしまう」物語はあったのですが、それをコントロールすることを思いついたのはウェルズなんですね。
 これはTS的に表現すると「不随意・不可逆」(タイムワープしたくないのにしてしまい、元の時代に戻れない)ものが、「随意・可逆」(タイプワープしたい時に出来、元の時代にも戻れる)に“進化”したということです。

 しかし、「ドラえもん」が当たり前に流通している現在、「タイムマシン」という概念そのものが「誰かが思いついたもの」であることであることすら認識されていないのではないでしょうか?

 TS要素を持つ物語があればいいって訳では無いですよ?
 ぶっちゃけ、深夜やらUHF、衛星放送などのマイナーアニメ枠でひっそりTS要素を持つ作品を放送したから画期的という訳では無いんです。


 「らんま1/2」に対しては我々TSファンはあれこれぶーぶー言うわけですが(爆)、「週刊少年サンデー」という数百万部を毎週発行するメジャー雑誌で9年間に渡る長期連載を人気のままにまっとうし、ゴールデンタイム及び夕方という「子供でも観られる時間帯」に地上波キー局で数年に渡って放送されたことが大きいのです。

 お笑い芸人の明石屋さんま氏がたびたび「うる星やつら」や「タッチ」などをネタにしますが、それが一応は通用するのも“メジャー枠”で人口に膾炙したアニメだったからなんですよ。
 恐らく「らんま1/2」も相当程度多くの一般人に話が通じると思います。
 我々TSファンにとっては「らんま1/2」などはごく最近登場した「新しい作品」ですが、それこそ「らんまの無かった世界」では「男が女になってしまう作品」そのものが「1から説明しなくてはならない」作品という地位に甘んじていた可能性があります。

 「入れ替わり」ものならば今も世界中で散発的に作られてますよ?そうじゃなくて「らんま」はまごうことなく「変身」ものじゃないですか。男が女になってしまう。

 当たり前のことを繰り返すことになってしまいますが、「TSものの代表」であるらんまコラムなので繰り返しますが、この「男が女になる」という現象は、単なる「変身」では無いんですね。
 他の何になってもいいんだけど、「男が女になる」ってのは丸っきり意味が違うんです。それこそ「女が男になる」というのともその意義が段違いなのですよ。

 私はもう物心ついた時からTS系の本は読みまくってきました。

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 私は学者じゃないので、心理学的な専門用語で説明することは出来ません。
 出来ませんが、「感覚的」に他の変身に比べても「男が女になる」のが特別なものであることは理解出来ます。

 これまでのコラムでも書いてきましたがそれは「受け身の性」となることであり、「去勢」と同じことなんです。
“女になる”以前に“男で無くなる”ということ。これです。
 なので、本来ならば「デメリット」であるはずなんです。本来ならね。
 ところが、それだけではないのがポイント。

 「早乙女乱馬」は「男である」メリットを喪失させられることによって“可愛く”なるのです。  そこが最大のポイント。この“痛し痒し”というあたりがまさしくもって“(性転換)萌え”なのですよ。


 ところが、更にややこしいことに「権利」(女性の美しさ、可愛らしさ)を得たのならば「義務」を履行することも求められるものです。
 それは言うまでも無く「生殖」でしょう。
 もっと言えば「出産」です。
 多くのTSものでは「義務の履行」とばかりに最後には出産して「さんざんそれまでの物語で好き放題やってきた罪滅ぼし」をする様な物語も幾つも存在します。

 何しろ、女性の「生物学的には不必要」なほどの大きな乳房も「男性を惹きつける女性的な魅力」は煎じ詰めれば全て「(男性を誘惑して)子孫を残す」ためのものですからね。
 極論して理屈だけを推し進めれば、「らんま」だってあれだけ「可愛い女の子になって」いい目を見るという「権利」を享受するのならば「義務」も履行しないと。
 あ、いやこれは「だから駄目」式のイチャモンではないですよ。
 そうじゃなくて、「らんま」はその点を上手い具合に「いいとこ取り」できているって話です。

 そうなんです。
 「らんま1/2」のヒットの要因の一つは、「女の子になってしまう男の子」という、性的にムチャクチャにデリケートなモチーフを扱っていながら“性的”な要素を見事に脱臭したことにあるんですよ。

 先日「成城紅茶館の事情」(レビューはこちら)を紹介しました。
 この劇中で「女になっているんならば、プライベートな時間ではあんなことやこんなことをやってるんだろ?」という風に言い寄られていました。

 実は私が「らんま」の存在を知ったのは、小学館の学年誌に載っていた(同じ出版社ですからね)の紹介記事なんですけど、そこのキャプションにはこうありました。

 「アソコはどうなっているのかな?」

 …と。
 中学生の読み物にしてはかなりの刺激なのですが、逆に「だからこそ」の疑問ですし、そもそも「男が女になる」シチュエーションが描かれるのならば100人が100人「最初に考える」点です。これから逃げる訳にはいかない。

 ぶっちゃけ、「懐かしのテレビアニメ」などでほぼ必ず紹介される「らんま1/2」ですが、スタジオの芸能人も「それは触れないこと」の扱いにしているみたいですよ。そりゃそうですよね。
 だってどうしたって「シモ」の話になっちゃうもん。
 この「何とも扱いに困る」感じこそがTSファンのツボなんですけど、ファン以外には分かりにくいだろうなあ…。

 私は子供の頃「鉄腕アトム」が大好きでした。いやホントに。
 何故好きだったか?と言えば、彼の「超人的な力」をケロっと言うあの感じが大好きだったんです。

 その「感じ」を垣間見られる名場面をご紹介。

 このコマを初めて読んだ時の気持ちって分かってもらえるかなあ…。

 どうですかこの「超然とした」態度!
 漫画のキャラクター相手に本気で嫉妬しましたよ。
 いや、ほぼ自由に男女を行き来出来るって立場にもそりゃ嫉妬はしたんだけど、そこだけじゃなくて、それにすっかり「慣れて」しまってクールに対処出来ているこの心理状態!

 ということで、この「らんまは普段自分の身体をどの様にしているのか?」という「根本的な疑問」は連載第1回目にしてもう「答え」は出てしまっているんです。

 答えは「もうすっかり慣れた」です。

 台詞をもう一度繰り返しますよ。

「おれは自分の体見慣れてっから 今さら女の裸見たってどーってことねーんだよ」

 …こんなこと言える立場ってどんなんでしょうかね?ある意味男の究極の憧れなんじゃないですかね。割と本気で。

 ただ、それによって失われたものもあります。
 TSものの「読みどころ」の一つとして「狼狽シーン」があります。
 突如女になってしまったことにうろたえて慌てふためいたりする一連のシークエンスのこと。
 ところが、「らんま」はTSフィクションで最もメジャーな存在でありながら、「可逆」であることによってこの「狼狽シーン」が全く無いんです。
 いや、全く無い訳じゃないけど、「原因不明の不可逆」に比べてもそのレベルが浅くならざるを得ません。
 それどころか、さっきのコメント思い出してみてください。
 「慣れている」「何とも思わない」と言ってるんですよ!?

 「らんま1/2」は物語が始まった段階で、「不随意可逆体質」になってしまってからかなりの年月が経過してしまっています。
 つまり、下世話な読者の皆さんが想像する様な「女体に興味津々」の段階は過ぎ去った時点なのです。


 これは結構特異な設定です。
 というのも、多くの「可逆」物語は「変身体質」を獲得するのが物語の冒頭である場合が多いからです。
 「ふたば君チェンジ!」(レビューはこちら)や「フレックスキッド」(レビューはこちら)なども同じですし、「おキツネさまでChu!」など、探せば類似作は幾らでも出てきます。

 何故リアルタイムで「可逆体質獲得」シーンを描くかといえば、それは勿論「狼狽シーン」を描きたいからであり、もっと言えば「作品を描く目的」そのものが「煩悩を満足させる」ことにあるからです。

 例えば、「まるでシンデレラボーイ」(レビューはこちら)などで、「狼狽シーン」を抜いたらまるで意味がありません。肉とじゃがいもの入ってない肉じゃがみたいなもんです。
 この「まるでシンデレラボーイ」が、この点の構造だけ見ると「らんま1/2」と「真逆」の構図をしていることがお分かりでしょう。

 だって、らんまよりも長い十年近い年月を「美少女モデル」として女装して過ごしながら、今に至ってすらドレスを着るだけのシチュエーションが「山場」になるほど盛り上がるのですから。

 ぜ、全然慣れてない…。そして、そこがいい!のですね(^^。

 これが「別に女の格好するなんて何とも思わないよ…」という主人公では描く意義そのものが無い訳です。ま、中には「たるとミックス!」(レビューはこちら)みたいに、その辺をひっかけて楽しませる設定の作品も登場している訳ですが。

 ところが、「らんま」はそういう作品なんですよ。

 「不随意に女に変身してしまう体質」を持つ主人公でありながら、当の本人はそれにすっかり慣れてしまっていて、少なくとも表面的には「別にどうってことない」と嘯(うそぶ)くんですから。

 TS作品の持つ「倒錯的体験の疑似体験」を何より愛する向きのファンに「らんま」がどうしても「イマイチ乗り切れない」作品となってしまう原因は間違いなくこの辺りにあります。

 ただ、高橋留美子先生の漫画って「ムラムラ」を誘発する系統の作品では最初から無いんですよ。
 例えば「女になったらんまがセックスしているところを想像できるか?」といえばそれは出来ませんよね。
 何しろ「原型」にして「元祖」でもあるので、どの様に解説しても「それは他の作品で読んだよ」という事になりかねないのですが、例えば主人公である「らんま」は肉体的には女性へと性転換してしまいますが、精神的には徹底的に「男」のままです。

 どうしてもTSものは「不可逆もの」の割合が高いので、「ある時点から女として生きていく」ことと向き合わなくてはなりません。
 この辺りを真剣に描こうとした佳作としては、「TSを絡めたミステリ」としてかなりの高水準を誇る「ふたりめの蘭子」(レビューはこちら)や、「神変」(レビューはこちら)があります。

 ところが、「らんま」の性転換はあくまでも「突発的な事態」であって、その後の生活などに地続きなものでは全く無いんです。
 だから、本人の意識としても「女になる」必然性が全くありません。
 そして、作者の演出意図としても「女性的な立場」へと精神が「折れる」「篭絡する」瞬間を描く…といったものが全くありません。

 これは、日々女性として生きている生粋の女性の方とかはムカつくでしょうねぇ(^^。
 何しろ「女として生きていく」覚悟も何も全く無く、どこまでも「一時の気の迷い」「面白半分」で女の世界を覗き見ていくみたいなもんですから。


 ただ、その良し悪しはともかくも、こうした数々の要素によって「男が女になる」というモチーフを扱っていながら「セックスの匂いが全くしない」奇跡みたいな作品が誕生したのです。

 世の中の人は「うる星やつら」をある種「やらしい漫画」だと思っているかもしれませんが、私は一度もそう思ったことがありません。アニメ版通してもです。
 「らんま」の変身トリガーは「水をかぶる」という純粋に物理的な要因ですが、この即物的な感じこそが多くの「精神的に興奮すると女性化する」といった「内的要因」を取らないのも、「セックスと関係ない」性転換を描くためでしょう。

 ちなみに、第一巻は「TS的名場面のつるべ打ち」と申し上げましたが、中でも興奮ものの場面をもう一つ。


 久能との一騎打ちの際、突然雨が降り出し、一次退避したというシチュエーション。
 「らんま」の目指す「TS的な魅力」の演出方針が良く分かる場面でもあります。
 要するに「意図しない可愛らしさ」を発散させる、という方向ですね。
 そもそもあの「自分の女体には慣れている」発言の場面も全く同じ意図です。
 この「絵」としてのインパクトの強烈さ。間違いなく男性のパーソナリティを持っていたはずのキャラクターが、大ぶりな乳房を持て余して身繕いしている場面の凶悪な倒錯さ。
 これは「本人がどう思っているか」は関係ないですよね。

 実は同趣旨の作品があることはあります。
 それが「めたもる伊介」(レビューはこちら)。

 主人公が自らの女体に頓着しないクールな性格であることも共通します。
 「伊介」について語り始めるとキリが無いので、詳しくはレビューをどうぞ。ここでは「男性の顔に女体」というビジュアルインパクトのある一枚だけ紹介して流します。

 再び「らんま」に戻ります。
 私が一巻で「核爆弾級」に強烈と評価する場面が他にもあります。プールから久能を逃れて木の上に登ったところ。

 どうですこの「意図せざるセクシーさ」!
 れっきとした男の子でありながらこのふとももは犯罪ですよ!(落ち着け)

 元々こうした演出って高橋留美子先生では良く見られます。

 もしかしたら「自らの女としての魅力」を最も意識していない存在としては「男の子」というのは最高の存在だったのかも知れません。

 この場面の意義は沢山あるんですけど、記号的に扱われる「乳房」以外にも「臀(でん)部」を含めた「体型」そのものを女性化させた造形を明示して見せたことがあるでしょう。

 今でこそ「TSフィクション」そのものが珍しくないのですが、この当時に主流だったのは「入れ替わり」程度。
 「れっきとした男の子キャラの“女の子状態”」というこれまでに無いビジュアルを提示して見せたことの意義も限りなく大きいです。
 「らんま」がこの世に無ければ、少なくとも「ヴァンパイアセイヴァー」(レビューはこちら)の「敵を性転換させる」という前代未聞の必殺技「ミッドナイトブリス」は生まれなかったことでしょう。

 私が「鉄腕アトム」に嫉妬したのはこの「意識せざる強さ」を嫌味なく(?)発散させてしまう感じなのですよ。
 いやー本当に高橋留美子先生はこの「純真な男の子の読者」の気持ちをかき乱すのが上手い!
 何と言うか、うぶな男子中学生に百戦錬磨のセクシー女優がパンチラ見せ付けてオドオドするのを楽しんでるみたいな感じですよ。
 この場面見てくださいよ。

 この「天道なびき」というキャラは前半のサド部門担当キャラなんですが、当然らんまの「女になってしまう」ところもいびり抜きます。
 いや〜、もうこの漫画読むのなんてここ二十年くらいの付き合いですけど、今読んですらかき乱される様です(^^;;。

 話を戻します。

 先ほど「らんまは性転換には慣れている」ってなことは書きました。
 確かに、女体で入浴する場面すら手馴れたものですが、実は「女装」には余り慣れていません。

 勿論、らんまは「精神的に女性性に侵食されない」系のキャラなので女装そのものに過剰にうろたえたりはしないんですが、やっぱり読者含めて「嬉し恥ずかし」シチュエーションにはなるんです。

 これは長期連載なので宿痾(しゅくあ)みたいなものですが、どうしてもマンネリになってしまいます。
 単に「似たような展開」というだけではなく“特に何とも思わない性転換”と、そしてそれに付随して起こる“女装”が大安売り状態となってしまうということを意味します。
 これは“価値の暴落”を意味します。

 しかし、これを持って「だから駄目」というのはちょっと理不尽ではあります。
“終わり無き日常”たるドタバタコメディを選んだ時点でマンネリは避けられないし、“男が女になる”という刺激的なシチュエーションも読む側も書く側も慣れてしまうのは宿命です。

 しかし、やっぱり「ギリギリのところを綱渡りするように」演出する場面はあるんですね〜。

 それまでは、唯一「女になる」らんまのみで物語を転がしていた作品は「響良牙」(ひびき・りょうが)の登場から一応新展開と言ってもいい展開になります。
 一応パンダになってしまう父親はいましたが、遂に「別の変身体質を持つ」サブキャラが登場することになるのです。
 この、初登場場面は「神場面」でしたねえ。

 元々この二人はお互いが完全な男同士の時からの知り合い。
 それでいて女になってしまったかつての悪友をお互いに素っ裸で男と女という立場で追いすがる…。

 この可愛らしい絵柄なので「ギャグ」で許されてますが、下手すりゃ成人指定漫画ですよ。
 実はこの「らんま1/2」は、そのモチーフのためか少年漫画にしては異常なほど「裸体」が踊る漫画でもあります。それも老若男女…いや、若い女の子すらも。
 それでいて「いやらしくない」のですから凄いことです。

 さて、第二巻ラストの「黒バラの小太刀」編から“熱闘編”に突入します。
 この「バトル漫画化」というのは寧(むし)ろ「週刊少年ジャンプ」によく見られる構図ですが、実はこの「らんま1/2」を「笑える格闘漫画」にするというのは高橋留美子先生の連載開始当初からの計画でした。
 結果として先生のキャリア最大のヒット作となったので、この目論見は大当たりだったと言えるでしょう。

 ともあれ、ここから「らんま」の連載の大半を占める「コスプレ・バトル」が幕開けすることになります。
 ではこの「コスプレ・バトル編」をTSファンとしてどう評価するか?ということになるんですが、正直微妙というところ。
 あ、分かってますよ。TS世界の発展に「らんま」の影響は計り知れませんし、これ以上を望むのは酷というもの。
 なので、高橋留美子先生の方を向いて100回も1,000回も「有難うございます」と頭を下げた上で、その上で書いておりますのでどうぞご理解下さい。

 では、「コスプレ・バトル」の何が画竜点睛を欠くのか?ということ。
 それはやっぱりらんまの「嫌々度合い」が薄いってことでしょうか。

 元々「不随意に女になってしまう」ことそのものが男にとっては「尋常ならざる」ほど避けたい事態です。
 とはいえ「体質」なので、仕方が無い場面もあります。

 しかし「女装」となると話は違います。
 明らかに明確な意思と意図を持って身体を動かさないと「女装」ってのは出来ないんですよ。
 ならば、「状況的にどうしても女装しなくてはならない」状況を作らなくてはなりません。
 ただ、「女の子に変身しちゃう男の子の(女装)コスプレ・バトル」をメインモチーフにしている漫画で毎度毎度「女装の必然性」を演出するのは中々難しいものがあります。
 そこで「何となく」とか「ギャグの勢いで」女装に持ち込んだりするのですが、その辺りの「追い込まれなさ」が不満と言えば不満。
 例えば次のシチュエーション。
 足首をくじいてしまったあかねの代役をらんまが務めなければならないことが確定した瞬間です。


 この場面では「おれ、レオタードなんか」と一応嫌がっているのですが、次のシーンでは

 もう見事に着こなしていたりします。
 こうしたところで確かに「狼狽」は描かれません。( ;´Д`)ハァハァしたりするのは読者にお任せです。
 このクールでフラットなところは「一般向け」TS作品の面目躍如というところでしょう。

 主人公は女装趣味者ではないので、積極的に女装してはなりません。注文がうるさいのですが。なので「避けようと思えば避けられる」障害として女装を出すのではなくて、そこは追い込んで欲しいなあと。
 実は「女装趣味者」とか「女装に憧れている少年」を描いた佳作もあるのですが、ここでは例外扱いで。

 しかし、「女装せざるを得なくなる」絶妙のシチュエーションとしては、これまた序盤で「服を全て洗濯してしまい、仕方なくあかねの服を貸してもらう」場面があります。

 Σ(゜Д゜)カ、カワイイ・・・。
 これなんですよ!この感覚が欲しかった。
 「可愛くなっちゃったボクをコロコロと弄(もてあそ)ぶ」この感じが!

 まあ、すっぽんぽんでレオタードを片手に「こ、こんなものを着なくてはならないのか…」と悶々と悩むらんまが見たいか?と言えば、TSファンとしては見たい訳ですが、一般の読者にはもうお腹いっぱいというところでしょう。

 あ、ただ「状況をごまかすため」に“仕方なく”女装する場面は存在はします。

 「総身猫舌のツボ」を押されてしまい、お湯に触れることが出来なくなった為に結果として「男に戻れなくなった」シチュエーションがあるんです。
 「らんま」は「可逆もの」のパイオニアですから、かなり色々な状況が描かれます。当然「可逆ものの定番」である「何らかの原因で戻れなくなる」状況もある訳です。
 個人的には今イチオシの作品である「ヴァリアブルウィッチ」(レビューはこちら)で「何らかの原因で戻れなくなる」にチャレンジして欲しいのですが。
 ともあれ、「肉体的には女のまま」というハンディを背負ったままムースと戦わなくてはならないため、「女体に変身する手品を使った」ことにしてごまかしたんですね。
 なるほどこれならば「ついでに女装する」ことにも説得力が…一応あります。

 実は、装飾的度合いの強い「ハイヒール」ではなくて、動きやすい靴になっているなど細かい工夫が凝らされている衣装ではありますが、ここで「バニーガール」を選択するのがいかにも高橋留美子先生。

 まだまだ連載は「序盤」と言ってもいい時点で、らんまの刺激的な「女装」に読者が慣れていない段階でいきなりこれをぶつけてくるのが素晴らしいですねえ。

 実は高橋留美子先生は、大層な「バニーガール好き」でいらっしゃいます。 最も挑発的でかつ刺激的にして扇情的。  男性が着るには恥ずかしい衣装だということを熟知した上でのチョイスでしょう。
 中盤以降増えてくる「特に必要とも思われない場面での、半ば積極的な女装」にもバニーは頻発します。

 「チップ代を稼ぐため」という名目でカジノでバニーガール姿で働かされるらんま。すらっと描いてますが、実際問題どうやって衣装を調達したのか?とか考えると疑問がいっぱい。ま、この場合はカジノなので既に準備されていたと考えることも出来ますが、バニー衣装は特に身体に密着するので実質的に全てがオーダーメイドです。適当に作った他人用のものはフィットしないのですが…。

 ちなみに小ネタですがこんな風にも使われてます。

 「代々伝わる秘密の衣装」みたいな位置づけでいざ木箱を開けてみたらこれですからね(爆)。
 何と言うかシチュエーションコメディみたい(^^;;。客席の笑い声が入っても違和感がありません。
 恐らくここで「バニーガールの衣装」以外の何を持ってきてもしっくり来ないでしょう。「セーラー服」とかじゃ破壊力不足。

 一応娯楽エンターテインメントですから、『読者サービス』は絶対に必要。
 それを担っているのがらんまのバニー女装だったりするという…(^^。
 これって「マーダーライセンス牙」(レビューはこちら)と同じ構図です。
 ちなみにあかねと右京が囚われた時にも何故かバニーガールの扮装をさせられています。

 いや〜、もう見上げたバニー好きです(*^^*。
 もう男女問わずバニーにしまくるという(爆)。

 ちなみに私だったら男女問わずバレリーナししまくるところですが、「セクシーな衣装」そのものという象徴的なバニーコートと違って「舞台衣装」であるチュチュではちょっと意味合いが違ってきてしまうのが残念。
 でも、「バレリーナ対決」のシチュエーションは欲しかったなあ…。

 ま、ともあれこの高橋留美子先生の「男性のフェティシズム」を理解する嗅覚はお見事にの一言。恐らく「普通の女性」はこんなにバニーガール好きじゃないでしょう(爆)。

 私なんかケチで貧乏性だから「バニーガール」なんて飛び道具は温存したくなるんですが、らんまや「涼宮ハルヒ」シリーズの強みは「一番強いところ」である(個人的見解です)バニーガール衣装を最初っから惜しげもなくバンバン出してくるところなんじゃないかなと。


 さて!ここでマンネリ気味になっていたらんまに救世主が現れます。
 本人は「救世主」というのは程遠い風貌ですが、「強制TS状況」を作り出すという意味では最強の味方です。

 その名を「八宝菜」(はっぽうさい)と言います。

 このキャラは久しく忘れていた“不随意に女になってしまう”ことのデメリットを実感させてくれます。例えば次のコマ。

 この八宝菜は女体であるなら元男かどうかなんて全く問わないので、らんまな格好のおもちゃ。  考えればいきなり女にされて身体を触られる、というのはかなり強烈な体験です。
 この点、実は「不随意性転換体質」を持つキャラの周辺に配する脇役として「スケベ」を設定するのは効果的であるはずなのですが、ありそで無かったシチュエーションではあります。
 やっぱり「ギャグ主体」というのは最も才能を問われる分野なのだなあ、と実感。だって「ふたば君チェンジ!」(レビューはこちら)とか「フレックスキッド」(レビューはこちら)とか、これは18禁だけど「そのまんまXX」にすら「レギュラーの主人公にセクハラしまくるスケベキャラ」っていないもん。

 しかも八宝菜は、単なるセクハラではなくてらんま相手には「無理矢理女の身体に性転換させた上」でのセクハラをかまします。
 これはもう男にとっては最大の屈辱にして恥辱。
 「外的要因」を変身トリガーにした最大のメリットがここで噴出します。

 この漫画では「他人に水を掛けられて強引に女への性転換を強要される」場面は沢山あるのですが、その中でも特に強烈なのがやっぱり八宝菜がらみの次の場面。

 銭湯での一コマなんですが、これはたまらんです。
 周囲には裸の男だらけ。
 その中で一糸まとわぬ状態で強制性転換ですからね。

 何しろ性転換してしまうのが主人公なので“女装”というファクターの扱いは微妙なんですが、この八宝菜は“女装”というキャラは“男にとって恥ずかしい事”であるというのを熟知していて、積極的に仕掛けてくるんですよこれが。
 女装趣味ならぬ、人に女装させ趣味みたいなものです。
 …ね?サドでしょ?

 初登場早々からとにかく女になったらんまにブラジャーを付けさせようとする八宝菜。
 …私が「救世主」と呼んだ理由がお分かり頂けましたか?

 突き詰めて言えばブラジャーに限らず、女の衣類と言ったところで単なる布切れに過ぎません。男性の正装がスカートである国だってあるし、所詮は“性差”というのは文化的なものでしかないんです。
 にもかかわらず“女に変えられてブラジャーを付けさせられてそれを写真に撮られる”ことが“恥ずかしい事”であるという了解事項があるからこそ成立する八宝菜の言動。

 はっきり言うと“煩悩爆発”みたいなシチュエーション。これを女性の作者がやっているというのだから驚きます。
 ね?「らんま」にも「これは凄い」ってシチュエーションは結構あるでしょ?
 ちなみに八宝菜には一瞬にして相手をセーラー服姿にする技もあります。

 (・∀・)…。
 個人的見解では、これはかなり強力な技です。
 どういうメカニズムなのか良く分からないのですが、嫌がっている敵にであろうと一瞬にして強引に女装させられるのですから。
 こんなことが出来るのならば、あまた存在した格闘シチュエーションで使えばよかったのに…と思いますが。

 ま、こういう「光る」シチュエーションもありますが、実際問題「らんま1/2」内における「女装」の位置付けは「迷走気味」なのは間違いないところです。

 例えば、先ほど褒めた「強制ブラジャー着用」をされそうになるシチュエーションですが、八宝菜の初登場はコミックスで言うと7巻にあたります。
 先ほどの「バニー変身」は5巻には行われているし、そもそも「それ以前」にもこんな「自主的としか思えない」女装シチュエーションは沢山あるのです。

  

 これらの女装を半ば自主的にこなし、あまつさえ自主的にバニーガール女装をすることすら厭わなかった人間が、今さらブラジャー一つをそんなに嫌がるというのは…どうなんでしょう。
 そりゃ「自分からする」のと「他人にさせられる」のでは違うでしょうが、辻褄が合わないのは間違いありません。

 だって、こんなことすら「自主的に」こなすんですよ?

 む〜ん、これでは「女装に抵抗がある」とか「女装させられるのが嫌」というのはどうかなあ…(^^。

 その後、個人的にかなり「そそる」場面がありました。第12巻にて。連載のかなり初期なので憶えていらっしゃる方も多いでしょう。これです。

 この後のコマであかねが“これまでは下着だけは男ものだったのに、遂にランジェリーまで身に付けた!”と言い放ちます。
 本当に高橋留美子先生が凄いと思うのは、男にとって「女性物の下着」がどういう位置付けにあるのかを熟知しているってことです。
 いや、「熟知」はしていないのかもしれないけど、感覚的にそれを感じ取ることが出来るんでしょうね。

 ただ、問題はこのシチュエーションはこれまで出てきた女装の大半をこなした後であるということ。
 レオタードやら、あまつさえバニーガールの衣装まで着まくっといてそれはどうか。バニーコートなんてなまじの女性用下着よりもよっぽど恥ずかしいでしょうに(^^。

 「らんま1/2」における「女装」の使い方について続けます。
 らんまに多いのは、女装した状態でお湯を被って男に戻ってしまい、“女装した男”状態になるという“くすぐり”です。



 いや、面白いんですけど、理屈には合いません。これ、非難じゃないですからね。
 肉体が男だろうと女だろうと、本人が女の服を着ているという事実は変わらん訳です。
 だったら肉体が男だろうと女だろうと女装には変わり無い。つまり女の肉体だろうと女装している時点でもう“女装”な訳です。  「変態」の看板掲げたいのならその遥かに前ということになります。

 いや、これは細かくケチをつけたいとかそういうことではなく、これが“くすぐり”として機能してしまうが故に、“女の時には女装してもおかしくない”ということになってしまうという逆説的な現象が残念である…という話です。
 しかし、「らんま1/2」の困ったところは、たまに「ドキっとする」ほど素晴らしい舞台立てをしてみせることなんですよ。そこのTSファンのあなた!「らんまはぬるい」とか言う前に一応通読した方がいいですよ(^^。
 例えばこれ。

 気絶して、起きたら白無垢を着せられていた、という状況。
 ギャグ漫画なので、さらりと流すのも可能なんですが…これってかなりヤヴァイ状況です。

 和装に詳しい訳では無いんですが、全裸にして一枚一枚着せていったのでしょう。というかそうとしか考えられません。正真正銘『強制女装』場面なんですよ!
 ま、私だったらここでウェディングドレスなんですが(爆)、ここは「着物で正装バトル」なので和装なのは仕方が無いでしょう。

 ちなみに“男に戻れない”ことを物理的に定義した回もあります。
 これは「総身猫舌のツボ」によってお湯に触れられなくなる…といった「変身トリガーを封じる」のではなく、「物理的」に阻害するんです。
 それが「女の時に体格に合わせて装着されてしまったコルセットのお陰で男に戻れない」というもの。

 ちなみにこのエピソードではらんまがドレス着っぱなしなのでそういう衣装に萌える人には読みどころとなります(*^^*。

 まあ、自主的と強制的の間の女装もあることはあります。

 これは自分の正体を知らない母親とショッピングに付き合っているところ。 む〜ん( *´∀`)カワイイ…。

 あと、こんなのもありまする。
 非常に珍しい…と言うか恐らく唯一の乱馬の“男の時の女装”。

 これは「ヤマタノオロチが女性好き」ということで、それを吊り出すための女装です。
 理詰めで考えればメスのフェロモンか何かを感知しとるんじゃろうから女装しても無駄な気はするんですが…。
 少なくとも夏祭りに浴衣着て来たり海水浴にワンピース着てくるのに比べればいちおう物語内で要請されているのは間違いありません。


 そろそろ終わりなんですが、最後に「非常に魅力的なシチュエーション」を創出することに成功したゲストキャラがいるのでご紹介。

 それが本編中にいい加減マンネリムードが漂い始める24巻で初登場するハーブです。

 のっけから露出度高いんですが、この漫画では男か女かを判断する基準の大半は乳房の有無によるので仕方が無いでしょう。
 では何故このキャラが魅力的なのか?

 結論から言うとこのキャラは当初女として登場するんですが、実は娘溺泉で溺れ、水を被ると女になるらんまと同じ体質になってしまった元・男だったんです!!

 これは、一見すると「らんまがもう一人増えたというだけ」という風に見えます。
 ところが実際はそうではなく、「女になった」だけでは無くてその姿のまま固定されてしまったキャラクターなんですね。
 そう、「可逆体質を付与する」はずだった呪泉郷の被害者の中でも「不可逆」犠牲者が出ていたのですよ。

 漫画を何度読み返しても「女になっていた」正確な期間を特定する事は出来なかったのですが、恐らくは短くても数ヶ月。長ければ数年である可能性があります。

 この「らんまですら経験していない数年女になりっぱなし」状態。
 流石は高橋留美子先生。ここに来て「不可逆」の魅力を探求に来ました。

 胸をはだけられなければ女と分からなかったことからも分かる通り、このハーブは決っして積極的に女装したりはしません。そこがストイックでいいわけですよ。

 「ハーブが実は元・男である」ということを知識として知った上だとこういうカットも味わい深い訳です。

 それにしても本当に裸…それも女体…がいっぱい出てくる漫画ですね(^^。
 もう、仕草や立ち居振る舞い含めて完全に生粋の女性にしか見えません。
 ちなみにこのカットが掲載された時点ではハーブが元・男ということは明かされていません。

 私の様なベテランTS読みになると(ギャグで言ってるのでよろしくです)、この「女になりっぱなしの数年間」を想像するだけで萌えてきます(^^。

 かなり多くの長く続いたTSものでは、主役よりもゲストキャラの方がインパクトを与えられる場合が多いんですが、このハーブなどは典型と言えるでしょう。
 ちなみに彼は最終的にどうなるのか?…まあ、これは秘密にしてもいいでしょう。
 読んで確かめてみて下さい。

 さて、そろそろまとめに入りましょう。
 実際問題、「呪泉郷」の「可逆変身体質」はどの程度のデメリットなのでしょうか?
 ちなみに、“若い娘が溺れた泉”ということなんですが、他の「呪泉郷」がブタになったりパンダになったりしているところから考えても、「その娘」本人にならなくてはおかしいでしょう。
 ところが、「若い娘になる」ということで、「単なる性転換」をしてしまっています。その人間本人の人格は残ったまま。しかも「そのキャラの女バージョン」へと変わっている訳です。

 勿論、ドタバタコメディなんだから厳密に理屈をあわせる必要なんかなくて、寧(むし)ろ「都合よくいいとこ取り」でいいんだけど、…まあそういうことになります。

 そして、この泉は“若い娘”が溺れたことで、水を被ると“若い娘”になってしまいます。
 つまり何歳になっても水を被れば“若い娘”になることになる訳です。

 余り想像したくないけど、らんまが50歳〜60歳の壮年の男性になっても水を被れば“若い娘”になるし、70歳〜80歳のの老年になっても水を被れば“若い娘”になることになります。…そうでしょ?

 これって「デメリット」なんでしょうか?
 ま、この「らんまの変身体質は別に悪い事ないだろ」論は連載中にもさんざん行なわれましたのでここでくどくどやる必要は無いでしょう。

 一応ネタバレを断った上で書きます。

 結局この「らんま1/2」はお約束通り、最終回でもらんまの性転換体質は戻る事無く、“終わらない日常”のまま幕を下ろす事になります。


 この「らんまは最終回でどうなったのか?」ってのはご存じない方も結構いらっしゃるんじゃないかと思います。特にTSファンであればあるほど。

 しかし、間違いなく「TS」というジャンルの間口を押し広げてくれた歴史的な大ヒット作です。
 細かいところを見ていけば色々不満はそりゃあるでしょう。
 特に、当のらんま本人が自らの性転換体質や女装を強要されるシチュエーションを「嫌がってない」場面が多く、そこが…控え目に言って実に「もったいない」んです。

 例えば「自らの女性化体質」に辟易しているはずのパーソナリティからはまず出て来るはずの無い「少女然としてコビを売る」場面ですが、なんと単行本2巻の時点で既に存在するんです。


 まあ、逆に「そういうところが好き」というファンもいるので話がややこしいのですが…。
 でも、各回の扉絵表紙に登場する「らんま」(乱馬の女状態)のかわいらしい挙動や、おしゃれで可愛らしい扮装などを見るにつけ、作者の高橋留美子氏自身が「そういうの」が好きなタイプなんだなあ…と思いますね。
 そう、これまでも紹介してきた「エクスカリバー!」(レビューはこちら)や「ゲシュタルト」(レビューはこちら)みたいに「作者が美少女化した主人公を愛玩する」という趣向です。
 この方面でもパイオニアなんですね「らんま1/2」は。

 濃いTSファンからは「マンネリ」とか「ぬるい」とか思われているのですが、そうやって切り捨ててしまうのは勿体無いオススメ作品ですよ!と強調しておきましょう。

 いや〜、最初に連載の第1回目を読んだ時にはこうして全体を通したレビューを書くことが出来る日が来るとは思いませんでした(^^。

 高橋留美子先生には最大限の感謝を捧げましてこの文章を終わりにしたいと思います。

 明日からは「101作品目」以降ということになります。
 これからも「らんまチルドレン」に相当する作品も沢山レビューすることになると思いますのでよろしくお願いいたします!

2007.11.25.Sun.

*「実際問題何巻までがオススメなのか?」という質問には非常に答えづらいんですが、とりあえず「1巻」はガチ。TSファンとして読まないことはありえません。私は多分数冊持ってます(爆)。
 とりあえず10巻くらいまでは間違いないと思います。八宝菜の出始めとかはオススメなので。後は今回のレビューに巻数表示のある巻を個人の好みで適当に抑える方針で。
 何しろ恐ろしく売れた漫画なので、どんな古本屋にも50円も出せば買えるほどうなっています。広告を貼っておいて私が言うのも何ですが、新古書店にでも行けば簡単に手に入るのでそこでどうぞ。
 最近表紙が全部リニューアルして新しくなりました。古い表紙のバージョンを手に入れようと思えばちょっと苦労するかもしれませんが、新しい表紙でいいのならば新刊も途切れません。
 まず絶版にはならないロングセラーなので入手難易度は「0」(見つからない事がありえない)で。
 それでは!
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