TS関係のオススメ本11-06
*アップロードする際に在庫を確認してから行ってはいますが、なにぶん古い本が多い為、時間が経過することで在庫切れになる場合もございますのでご了承下さい。 真城 悠 |
「魔法少年マジョーリアン 2」 (2008年〜・石田敦子・双葉社)2巻続巻 |
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10-01 「魔法少年マジョーリアン」(レビューはこちら) |
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この所ウチのホームページとしては特に「桜ish ―推定魔法少女 」(レビューはこちら)を猛プッシュしています。 つーかあの世界観ってどうしても惹かれてしまうんですよねえ。 ストレートなエロもいいんだけど、甘美な破滅への希求ってのも私の性格に合っているのかもしれません。 第1巻が発売されてからレビューを載せるまでにかなり間があった問題作、「魔法少年マジョーリアン」の1巻ですが、それはなぜかと言うとどうしても「メタフィクション」っぽい冷めたスタンスに批判的にならざるを得なかったから。 メタフィクションってのは要するに作中の登場人物が「作者の都合でさ〜」とか「読者が云々」とか「これは漫画(作り話)ですよ」ということを認識していたり、モロに言及してしまう作品のこと。 これは、「天才バカボン」とか「まことちゃん」とか言う「破戒的ギャグ漫画」ではままある手法ですが、ごく普通の漫画でやるのは自殺行為です。 |
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どこの誰が「作り手が作品世界に没入してません」というスタンスを見せるお話に熱中します? ましてやそれを「セカイ系」でやるなんて何が何だか分かりません。 だって、「セカイ系」ってのは過剰なほど自ら作り上げたお話に没入するものだから。 何だか「真城の城」では世界の存亡に関わるお話となると全部「セカイ系」呼ばわりしているみたいですけど、第1巻まで読んだ段階ではあれだけ怪獣が暴れ回っているのに警察も軍隊も劇中に出てきませんし、「マジョーリアン」が報道されたりはしていますが、マスコミすら殆ど登場しないのですから、…まあ「セカイ系」と読んでも構わないでしょう。 (「セカイ系」そのものの解説については「桜ish ―推定魔法少女 」(レビューはこちら)の項を参照) 絶対にその内レビューしたいんですが、漫画「寄生獣」では跋扈する寄生獣に対して政府も軍隊も動きます。 アメリカのドラマ「24」では、主人公のジャック・バウワーは大抵の場合は正しいのみならず最も的確な捜査をしているんですが、余りの暴走振りにシーズンごとに組織そのものを敵に回してしまったり、場合によっては政府のお尋ね者になってしまったりします。 世界は少数の人間の個人的な都合で動くようなものではないのです。 |
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世界の存亡ってのは、多くの人間…それこそ生きている人間全てに関係せざるを得ない大問題です。 うじうじ悩んでいるたった一人で全てを抱え込める訳では無いんですよ。 「世界の存亡を担っている立場」という屈折したエリート意識こそが「セカイ系」の醍醐味です。 これって「オタク」の選民意識と殆どパラレルな関係です。 多くの人間には価値が無いものとされているものが、ある局面においては大きな価値を持つ様になる。 世間一般にではどれだけアニメ・漫画に詳しくても社会的成功には全く繋がりません。 ならばそれが価値を持つ世界から出てこなければいい。 え?そんなセカイ…もとい世界なんて存在しないって?いや、あるかも知れませんよ。無いかもしれないけど。 世の中ってのはままならないものであり、世の中に貢献出来たり、世の中で価値あるとされている技能を身に付けるには努力が必要なんですよ。 偶然自分が夢中になってやっている(要は努力しなくていい)漫画・アニメの知識を持っていることや、ゲームの技能ってのはそのままでは「他人に認められる価値」とはなりえません。 そこで「逆転の発想」です。 そのものの価値は変わらずとも、周囲のものの価値が落ちたりすると相対的に価値が上昇したりするでしょ? そういえば熱狂的な「スター・トレック」ファンたちがその知識を利用して本当に宇宙からの侵略に対抗して世界に貢献できる映画「ギャラクシー・クエスト」なんてのもありましたね。 |
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世界平和じゃないですが、オタクが世の中に貢献できる作品としては「七人のおたく」という映画もありました。 |
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このタイトルは言うまでも無く黒澤映画にして「日本映画の最高傑作」と呼ばれ、IMDb(インターネット・ムービー・データベース)でもベスト10に唯一ランキングしている日本映画である「七人の侍」のパロディですね。 |
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ベスト250リスト(英語のみ) http://www.imdb.com/chart/top 私が見たときは7位だったんですが、いつの間にか10位まで落ちています(2008.01.14.Mon.時点)。 海外では「SEVEN SAMURAI」というタイトルであることが多いんですが、IMDbでは「Shitinin no Samurai」表記になっているみたいです。 ちなみに「七人のおたく」は1992年の公開ですから、「電車男」(書籍は2004年10月22日発売)に始まる「オタクバブル」の遥かに前の話です。 ともあれ、今回「マジョーリアン」はかなりシリアス度合いを深める模様。 前巻のラスト間際にもこれから先の暗い展開を予想できる要素は幾つかあったのですが、特にこの帯のコピーがなかなかにストレートです。 |
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…「変態!」の方が遥かに大きいのがアレですが…。 ちなみに帯でこれほどデカデカ「変態」を謳うのって「成城紅茶館の事情」(レビューはこちら)もそうだったりします。「どう男女!?」(レビューはこちら)も帯で堂々とストーリーを割っているんですが、あちらは少女漫画であるためか控え目でした。 む〜ん、これってやっぱりTSものの社会的認知度の差なんでしょうか。出版社側が「こんな変態的な内容の漫画なんて…」と内心忸怩たる思いを持っていることが滲み出ています。 だって我々が帯のキャッチコピーを書くとしたら、少なくとも「変体!変態!変身!」なんてやらないでしょ?つーか担当者出て来い。これはあんまりでしょうよ。 ただ、この「どうせ滅亡しちゃう地球だけど」とさらりとえらいことが書いてあるのは如何(いか)にもセカイ系っぽいタナトスぶり。 前置きがムチャクチャ長くなりました。 前回のラストであの「謎の宇宙人」に「どっちにしろ地球は滅亡する」と衝撃的な宣言をされます。 ちなみにこれがそのコマ。 |
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何と今回はマサルがその発言に意気消沈してしまい、何もかもやる気を失った状態でスタートします。ボクはもう嫌ですよ。ミサトさんがエヴァに乗ればいいじゃないですか。 |
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これが世界中の人口の半分が死滅し、いざ最終決戦の直前…というのならばともかく、ただ謎の小動物がそう口走っただけなのですからどうにも。 ともあれ、「何をやっても無駄」という認識が突きつけられた形になり、全てにやる気を失ってしまうのですね。 いや〜びっくり。これって「人間とは何故生きるのか?」というテーマに思い悩む思春期の青年のテーマじゃないですか。 今回は「どうせイムド(怪獣の総称)を倒しても無駄」とばかりに態(わざ)と出動せずに大被害を出してしまいます。 それすらも新聞を読み上げるだけで、具体的な被害描写も何も無いのがいかにもセカイ系。本当に世界は滅びているんでしょうか?主人公の妄想では? 「機動戦士ガンダム」の最終回で「実は夢オチでした!」とやったらサンライズは焼き討ちに遭うでしょう。でも、「新世紀エヴァンゲリオン」が夢オチでも…怒りはするけど、「さもありなん」って感じではあります。つーか実際夢オチみたいなもんでしょあんなの(近親憎悪)。 「機動戦士ガンダム」を始めとした「ロボットアニメ」にも主人公が拗(す)ねて戦うことを嫌がったりする「成長段階」描写はあります。 しかし、今回はそれとも違う気がします。 だって、マサルをなだめている様に見えるイオリすらも「世界は滅びるらしい」ことを頭から信じてしまっているんですよ。 |
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これは分からないですね。 だって、そんなの連中がそう言っているだけで本当かどうかなんて分からないじゃないですか。 なのに、「もう駄目だ」とすっかり諦めちゃってる。 これって、中学生くらいが「どうせみんないつかは死んじゃうんなら勉強しても無駄じゃないか」とか言い出して中間試験の勉強もせずに不貞寝(ふてね)しちゃう…みたいな状態に見えません? 何と言うか、私もこういう子供の時の方がこの世に自分が引っ掛かっていることへの危うさがあったなあ…と思います。 年齢を重ねるごとに徐々に人間がふてぶてしくなっていきますから、こんなにピュアに「人生とは!?」みたいなことを思い悩まないもん。 要するにここでは「魔法少女に変身して怪獣を倒す事」について思い悩んでいる様に見えますが、実際には「自分は何の為に生きているんだろう」とか「どうせ人間、最後には死んじゃうのに一生懸命何かやってもそんなこと意味無いんじゃないかな」といった心情が投影されている…と見るのが正しいと思います。 …実はこの「終末的雰囲気」というのはかなり魅力的でした。 かの「第1次アニメブーム」の立役者である「宇宙戦艦ヤマト」は毎週地球滅亡までをカウントするかなり絶望的かつ悲壮なものでした。 第2次の「機動戦士ガンダム」は人類の半分がジオン軍によって死滅されされており、第3次の「新世紀エヴァンゲリオン」では何だか分からないけどこの世の危機が訪れています。 こうしたことから考えても、人間ってのは不思議なものでやっぱりこういう展開って惹かれるものがあるみたいです。 何枚か並べてみますので、この「世紀末的な雰囲気」に酔って下さいませ。 |
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あなたも世界の危機を救ったりするロボットアニメなんかに夢中だった小学・中学生の頃に日曜日の午後、しとしと雨が降る日に空を見上げてこんなことをぼんやり考えたこととかありませんでした?私はありました。 もう「何もかもどうでもよくなってしまう」倦怠感に苛(さいな)まれている子供の図。 どうせ政治は腐敗しているしな!とか訳の分からんことを言って自分が明日のテスト勉強をしないことのいい訳にしたりとか。 |
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これってえらく「書生くさい」悩みですよね。 いい年こいた「大人」ってのはそんな「考えたってしょうがない」ことは考えないんですよ。分別のある50男が「自分は何の為に生きてるんだろう?」とか悩みませんよね。 悩んでもいいけど、それでそれで仕事まですっぽかして部屋に引きこもったりはしないでしょう。子供っぽい。 そう、「子供っぽい」んです。「セカイ系」ってのは。 「精神的に未成熟な人が共感する」要素に満ち溢れてるんですよ。 だから私がこんなに熱狂する訳で(爆)。 「桜ish」2巻の「学校生活」にまつわる下りなんて本当に身につまされましたもん。 あの中学生っぽい破滅の甘美なイメージとかたまらないです。 この「マジョーリアン」には細かいながらも重要な表現が随所にあります。 「どうせみんな死んじゃう」と捨て鉢になっているイオリですが、女子にこの様に諭(さと)されます。 |
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この「自分が死のうと世界が滅びようと、好きである思いの方が大事でより強い」という「恋愛至上主義」が溢れてますね。「恋愛至上主義」に関しては「どう男女!?」(レビューはこちら)に書いたので詳しくはそちらで。 この時のイオリのモノローグがポイント。 |
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この「姿かたちは女の子になっているけど、精神的にはどこまでも男の子」という展開は女装系のTS作品には割合見られます。 「魔法少年マジョーリアン」の作者は女性である石田敦子さんなのですが、この「表面的に女性になって女の世界に紛れ込み、犯してはならない領域まで侵してしまっている」罪悪感の描写を見事になさっています。 「マジョーリアン」は女装潜入ミッションものでもないし、「女生徒として学園で生活する」ものでもない。 「おと×まほ」(レビューはこちら)や「ナイトウィザード ヴァリアブルウィッチ」(レビューはこちら)みたいな「職業魔法少女」的な位置付けに近いといえば近いけど、押し付けられてやっている立場。 「女性の立場を利用して何も知らない一般の女性のプライバシーを覗き見る」ことをやっている訳はないのだから、それほど罪悪感に苛(さいな)まれることも無いのでは…と私は思います。 それでも、彼らはやっぱり罪悪感は感じているわけですよ。 これは個人的な見解ですけど、「男が女になる」ことに関して、「罪悪感」という表現にまでしなくてもいいけど、本当に単なるおちゃらけだけの作品は信用出来ない気がします。 少なくとも「このままでいいのか」とは感じて欲しい。軽く匂わせるだけでもいいから。 「男が女の世界に入り込む罪悪感」は「リバーシブル」(レビューはこちら)にも描かれていますし、「好き放題やってきた虚しさを最後に反省」する展開を辿る作品は幾つもあります。ウチでレビューした作品ですと「 |