TS関係のオススメ本12-07
*アップロードする際に在庫を確認してから行ってはいますが、なにぶん古い本が多い為、時間が経過することで在庫切れになる場合もございますのでご了承下さい。 真城 悠 |
「ココロコネクト ヒトランダム」 (2010年・庵田定夏・ エンターブレイン/ファミ通文庫) |
||||
ココロコネクト ヒトランダム (ファミ通文庫) |
||||
大変ご無沙汰してしまいまして申し訳ございません。 今回は「ココロコネクト ヒトランダム」をお送りします。 ちょっと前振りが長くなってしまったので、この作品についてだけ読みたいというかたは「*****」まで飛ばしてくださって結構です。 さて、この作品はこの所数を増やしているTS系ライトノベルです。 帯を見ますと「第11回えんため大賞」で「特別賞」を獲得した作品であるとのこと。 この「新人賞をTS作品で獲得する」ことの先駆者ということになりますとやはり宮沢周さんの「アンシーズ」ということになるでしょう。 「アンシーズ」はうかうかしている間にシリーズ第3弾まで発売される人気作となっております。 |
||||
|
||||
では、この作品はどんな作品なのでしょうか? 一言で言いますと「入れ替わりもの」です。 TSのジャンル訳に関して簡単に復習しておきますと、まず男女の精神が入れ替わる「入れ替わり」があります。 恐らく最初にTSの物語として連想されたであろうこの形式は非常に数が多く、また長期連載漫画でしばしばアクセントとなるエピソードとして挿入されたりします。 代表作は何と言っても映画「転校生」でしょう。 この頃リメイクもされたこのジャンルの「古典」です。 |
||||
|
||||
実は「入れ替わり」は「変身」と違ってスペシャルエフェクト(特撮)が必要ではありませんし、なんと男優さんが女装したり、女優さんが男装したりする必要すらありません。だって外見はそのまんまなんだから。 |
||||
|
||||
ひたすら「異性の演技」で頑張ってもらえばいいので、ある種イージーに実写ドラマで展開できたりもするのでした。 ま、これはこれで「中に男が入っているはずなのに「普通の女性」が乱暴な言葉を棒読みしてるだけ」みたいなのを大量生産したりもするんですが…。まあそんな奇天烈な仕事は一流の女優さんには回らないということなんでしょうか? |
||||
|
||||
冗談はともかく、もう一方の雄が「変身」もので、言葉の通り「身体が異性に性転換」してしまうものを指します。 代表作は「らんま1/2」ということになるでしょう。 |
||||
|
||||
「変身」に比べて「非現実」度合いが上がらざるを得ないため、どうしても荒唐無稽になったり、はっきり言えば馬鹿馬鹿しくなってしまったりします。私などはそこがいいと思うんですが。 一応「外科手術による性転換」とか「半陰陽やホルモン異常などによる女性化」なども「変身」といえば「変身」なんですが、この場合は「性同一性障害」分野として別枠にした方がいいでしょう。 |
||||
とても真面目な作品なのでエキセントリックな萌えとかはありませんが良作。 |
||||
あくまでも「超自然的な原因によって」行われる性転換がモチーフです。魔法とか性転換薬とか実験の失敗とか超常現象とかそういうの。確かに馬鹿馬鹿しいんだけど、「現実には起こりえない」というのは担保してほしいなと。「脳移植」はギリギリOKかな? この他に「憑依」などもあります。異性の精神に同居したり、取り憑いたりするもの。 しかしまああ、大きく「入れ替わり」と「変身」があることを覚えておいて頂ければ十分です。 また、性転換したり元の身体に戻ったりを劇中で繰り返す状態を「可逆」といい、基本的に一度変身してしまうと元に戻れない「不可逆」があります。この用語は「入れ替わり」でも使われます。 そして、自らの意思で変身できる状態を「随意」、望まないのに勝手に変身してしまったりする場合を「不随意」といいます。そして「随意・不随意」は「不可逆」ものには余り付けない分類ですね。望んで性転換する展開は私たちが求めるものではないし、戻れないならば「随意だった」かどうかなんてそれほど意味を持ちませんものね。 例を挙げると「らんま1/2」は「変身・可逆・不随意」となります。 「転校生」は「入れ替わり・不可逆(・不随意)」ですね。 さて、その「入れ替わり」ですが近年の傑作といえば実写ドラマ化もされた「パパとムスメの七日間」があるでしょう。 |
||||
いつの間にか文庫化してますね。解説もついているでしょうから今買うならこっちかな? |
||||
方々で何度も書いているんですが、「入れ替わり」の場合は、入れ替わる相手とも濃密な人間関係を持たざるを得ないために物語に「制約」が必然的に掛かり、それが展開を引き締める要因となっているというメリットがあります。 反面「弾け切らない」という欠点もあって、そこが「変身」ファンには不満なところ。「変身」はある意味「何でもあり」なので、「うる星やつら」みたいに着ている服まで学生服から一気にセーラー服に変えられてしまったりする(どんなご都合主義だ!)こともありますし、「らんま」は展開上必要も無さそうなバニーガールとかチャイナドレスとか着まくりでした。「入れ替わり」では「着る衣装」ともなればせいぜい学生や職業の制服か花嫁衣裳くらい。 |
||||
「女性の普段着」は結構慎重であって欲しいと思います。昨日まで男だった人間が必要も無いのに可愛らしい服を選んで着るのは不自然ですからね。 「女装の必然性」を担保する意味では「女装(性転換)アイドルもの」ジャンルは秀でている訳ですがその話も長くなるのでまたいつか。 そんなこんなで、ある種「女装」(?)分野においては「入れ替わり」は得意でないのは間違いないでしょう。普通の女性は逆に非日常的な女性の衣装なんて持ちませんからね。ごく普通の女性がバニーガールの衣装持ってたら「何で?」と訊きたくなります。それこそパーティーの盛り上げ役の男が持っている方が自然なくらい。 |
||||
|
||||
それこそ入れ替わってみたらスカートを一枚も持っていない女性だった、なんて展開もこの頃では考えられたりして。 また、「入れ替わり」において大半の場合は原因も復帰の方法も分からないので物語のトーンも重くなりがちです。この「渋さ」がある人たちには歓迎され、ある人たちには敬遠される要因といえましょう。 ただ、その「メリット・デメリット」を有効に克服する作品も当然ながら存在します。 「パパとムスメの七日間」もお互いの人間関係などを絡めた考えさせられる、それでいて痛快な娯楽作品となっておりますので読んでいない方はオススメ。ドラマも非常に良く出来ていました。続編もあります。 |
||||
|
||||
以下にオススメの「入れ替わり」ものを列記しますので、興味のある方はレビューなどを参考にしていただければ幸いです。 「ふたりめの蘭子」(レビューはこちら)(小説) 「桜の国から霧の国へ」(レビューはこちら)(漫画) 「ソウル・オブ・サラマンドラ」(レビューはこちら)(小説) 「変身」というのは、どんなに工夫しても「自分の都合」で自分の身体だけで完結するところがあるので、一種の「ご都合主義」になりがちです。 特に「可逆」ともなると変身トリガーの設定には細心の注意を払わないと物語の起伏に乏しいことになりかねません。 「ナイトウィザード ヴァリアブルウィッチ 1巻」(レビューはこちら)(漫画) 「フレックス キッド」(レビューはこちら)(漫画) 「ふたば君チェンジ」(レビューはこちら)(漫画) はいずれも「変身」もので、性転換は遺伝的体質なので(!!)性的に興奮すると一時的に女性になってしまう…というものでした。 アイデアの段階ではとても面白くなりそうなのですが、「可逆」で女性化へのデメリットを薄めているところにもってきて変身トリガーがあやふやなので、愛すべき作品群ではありますが若干迷走気味。 あえて言うなら読みきりとか、映像作品の尺で言うなら2時間の映画くらいで一気に駆け抜けるタイプならば“持った”かも知れないんですが、長期連載となると辛いでしょう。 あ、でも「可逆性転換体質」を持つ主人公ながら |
||||
(レビューはこちら) |
||||
「能瀬くんは大迷惑Jr.編」は超傑作。理由はレビューをどうぞ。 「可逆」変身で言うと、「いつでも自分が望むままに好きなタイミングで性転換できて、好きなタイミングで元に戻れて何のデメリットも無い」という物凄いのがあります。 それが快作「めたもる伊介」です。 |
||||
「めたもる伊介」(レビューはこちら) |
||||
余りに屈託無く性転換して自分のおっぱいをいじくりまわしたり全裸で走り回ったり女湯に紛れ込んだりする伊介(全部本当)は強烈なインパクトでした。 |
||||
女に変身して自分の自分のおっぱいをもみながら会話する主人公(うひゃあ!)。 服の上からでも強烈なのに「直接もむ」というのだから時代の三歩くらい先を行ってます(爆)。まあ、江戸時代の話だからブラジャーとか無いけどね。 こんなの数ある見せ場の一つに過ぎなかったりします。 |
||||
連載打ち切りが惜しい作品ですが、幸いなことに「おいしい」部分はほぼ単行本化されているのでご存じない方は是非どうぞ。全2巻とコンパクトなのも○。 「自分の姿を鏡で見てドキドキ」とか「これが…ぼく…?」といった感慨から一万光年くらい離れた煩悩が赤ちゃんレベルの能天気主人公が楽しめます。 寧(むし)ろ今アニメ化するならこれなんじゃ?とか思ったりします。念願の完結まで到達出来るかもしれないし。おっぱい出まくり(中身は男だけど)なので深夜枠でしょうが。 話が逸れましたが、このジャンルにも「進化」とか「流行」がありまして、お互い意識している訳ではないのでしょうが明らかに「先人の歩いた道」を踏襲する形で様々な形式が発明され、試されています。 「らんま1/2」は「可逆・変身」というジャンルを9年間という長期連載によって大いに発展させました。 「男のキャラクターの女の子バージョン」という発想は今ではそれほど珍しくありませんが、らんま以前には、「うる星やつら」でのイレギュラーくらいしかほぼありませんでした。 |
||||
「幸福押し売り! ピントはずれの青い鳥!!」(レビューはこちら) 何度目かの「女版・面堂終太郎」。前髪の形だけ原型なのがポイントか? スカートまでめくられてしまうという甚大な被害に。内側に覗く白いスリップが鳥肌もの。 どうしてセーラー服まで着ている(着せられている)のかはレビューをどうぞ。 「原生動物の逆襲!プールサイドは大騒ぎ」(レビューはこちら) 余りにも強烈なインパクトを残した、異世界に取り残されて原因不明の性転換を遂げてしまう面堂終太郎。「ムクムクとリアルタイムに身体が変形する」タイプの性転換は多分放送当時(1980年代)にも珍しかったと思います。下手すると世界初か?現在はYoutubeで見られます。 本当に強烈なので覚悟の上でどうぞ。 |
||||
アニメの現場にいたので分かりますが、その回限りの「女版面堂」などの設定資料が回覧されたことでしょう。ほ、欲しい…。 「らんま1/2」の後、「そういうのをやっていいんだ!」と思ったのかどうか知りませんが「何らかの原因で女の子になってしまう」「可逆」形式のお話はかなり出てきます。 ただ、どうしても間延びしやすく、はっきり言って連載第一回目の「主人公が初めて女の子に変身してしまう場面」が頂点である作品すらあります。 そこで登場したのが「少年魔法少女もの」(真城がこの呼び方を提唱しております)というもの。 要するに「魔法少女」に変身して悪を倒したりする役割を「男の子」が負わされる…というものです。 「魔法少女」と呼んでしまいましたが、一種の「変身ヒーロー」ものでもあります。変身するのが仮面ライダーやウルトラマンではなくて「魔法少女」ということなんですね。 「可逆」でありながら「随意変身」ではなく、「性転換する(させられる)」理由が明確で、変身のタイミングも、そして戻るタイミングも合理性があります。 そして、「不可逆」にありがちな重く沈んだムード(戻れないとなればそうなりますわな)とも無縁でありながら、決して「可逆」が持つ「制約がなさ過ぎるがゆえのフリーダムぶり」が行き過ぎない絶妙の設定でした。 「おと×まほ」(レビューはこちら) 「ナイトウィザード ヴァリアブルウィッチ 1巻」(レビューはこちら) 「シュヴァリエ」(レビューはこちら) |
||||
それにしてもamazonカスタマーレビューは大絶賛ですね。レンタルしてみようかな。 |
||||
私は出版されるTS作品の全てを網羅している訳ではありませんが、「トレンド」は明らかに「少年魔法少女もの」に傾斜していきました。あと、「少年魔法少女もの」には結構な割合で「女装しただけ」のものも含まれますが気にしないように(えー。 そして、「戦隊もの」がそうであるように、「集団体制」を備えるものが出現してきます。これは元々「魔法少女+戦隊もの」の要素を持った「美少女戦士セーラームーン」などの影響もあるでしょう。 「桜ish 1―推定魔法少女 」1巻・2巻(レビューはこちら) 「魔法少年マジョーリアン」(レビューはこちら) 「ブロッケンブラッド」(レビューはこちら) |
||||
|
||||
「魔法少女」ものというくくりには「変身して敵を倒す」場合と、「変身してアイドルをやる」場合とがありますが、ちゃんと両方存在しているのが素晴らしい。「ブロッケンブラッド」なんて両方兼ね備えています。 それにしても、男の子同士が二人(或いはそれ以上)とも女の子同士になって共闘するというのは何とも複雑な感情を喚起せしめるものがあります。 文化祭で男の子同士が女装しあった状態(しかもお互いかなり可愛い)で二人っきりで狭い控え室に取り残された時の気まずさというか…(うわー)。 「お、お前…こうして見ると結構可愛い…な」(赤面する) 「なっ…お前…こそ」(うつむく) みたいな。 実際「桜ish」ではそんな会話もあったりするので、そういう甘酸っぱい(ん?)思いをしたい方は是非どうぞ。 ところが、今度は「魔法少女」或いは「魔法を使う女の子の戦士」に変身させられる男の子というだけでは飽き足らず、その状態で「お互いに」戦い合わされる、という設定の作品が登場してきます。 「けんぷファー@」(レビューはこちら)(小説・漫画) 「アンシーズ―刀侠戦姫血風録」(レビューはこちら)(小説) |
||||
|
||||
この様に、「変身」ジャンルは次々に新しい設定を模索して来ました。 従来の「可逆体質」だけでは展開が持たないのであれこれ考えてきたんですね。 私などはこの「少年魔法少女同士のバトル・ロワイヤル形式」で「行き着くところまで行ったんじゃないか?」と思っていました。 ところが、意外なところから伏兵が登場しました。 王道の「不随意可逆変身もの」に隠された鉱脈が眠っていたんですね。 それが「不随意可逆変身」に「集団」という要素を絡めるものでした。 |
||||
|
||||
主人公の男の子5人組はある日を境に「雨が降ってくる」ことをきっかけに性転換してしまう厄介(?)極まりない体質になってしまいます。 仕方が無いので、その都度女子の制服に着替えて「女子生徒」として臨時に過ごす体制の「奇妙な日常」が始まる訳です。 これはありそうでなかった発想で、一人だけだとどうしても「自家撞着」「自己完結」はては「自家発電」になりがちな「性転換&女装」というイベントが、仲間が大勢いるために途端に爽やかなものに変貌してしまったんですね。 「TSもの」が必然的に持つある種の「背徳的」な要素がいい具合に薄められるんですよ。ひとりだけだと、どうしても自分ひとりでぶつぶつモノローグをするような内省的な話になりそうじゃないですか。 それでいて「女の子の可愛らしさ」とかは数倍にもなるという素晴らしさ。 何と言うか、「めたもる伊助」とはまた違った意味でのスポーツ感覚というか、「健康的なエロス」という矛盾に満ちた感慨を味わえます。 「雨がやんでも女の子の身体のまま戻れなくなる」とか「精神も(一時的に)女性化」などの定番イベントもこれから楽しみですが、個人的には 「お互いの性転換のタイミングがずれて発症する」 …というのがいいかな、と思ったりします。 理由は…その絵面を想像してみれば分かりますよね? あと、「学校」というのがいいですよね。 この頃のアニメは「どうしてそこまで」というほど主人公たちは「学校」に通おうとします。 「新世紀エヴァンゲリオン」も人類を救うパイロットなのに学校に通って乱暴な生徒に殴られていたりしますし(ぎゃー)、「コードギアス 反逆のルルーシュ」でも主人公のルルーシュは「どうしてそこまで?」というほど学園生活を捨てません。 |
||||
|
||||
やっぱり「子供」と「大人」の中間の年代で、若い男女が一箇所に押し込められて集団生活を送らされる「学校」…それも中学から高校…というのは人生の中でも特別な時期です。 前にも書きましたがこの頃の「萌え」アニメの舞台は高校ばっか。主役級のキャラも女子高生が満載ですよ。ちゃんと勉強してるか? |
||||
|
||||
でも、ある意味平凡な人生の甘酸っぱい頂点の時期だから過剰に美化されるのかもしれません。「大学」では同じ集団生活でも意味が全く違いますもんね。 同じ制服で「昼食」やら「部活」やら、半ばプライベートまで強制的に共有させられる「学校」というのは近代になって登場したある種の理想郷です。原始時代や中世には「学校」なんて無いですもん。あるのは「大人」か「子供」かという「機能として」の区分だけ。 でも、近代の「学生」は恋だのスポーツだのに現(うつつ)を抜かしていられるんですよ。いやあ、素晴らしい。 実際に通っている頃は「面倒だ」としか思わなかったんですけどね。 綾波レイか長門有希みたいな無表情でぶっきらぼうな美少女ターミネーターが活躍するという、明らかに日本のサブカルチャーの影響を受けまくったであろう「ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ」というアメリカのテレビドラマでも、主人公のジョン・コナーは逃亡生活を送りながら、必ず逃亡先で現地の高校に入学しては学生生活を送ります。 |
||||
|
||||
縁あって全話鑑賞しましたけど、これはかなり疑問でした。仮にも逃亡者なのにどうしてそこまでして学校通うのかと。人類を救うことに比べれば高校の勉強なんて小さなことでしょうに。ジョンが進学希望だとも思えないし、何よりその後世界を巻き込んだ核戦争になると分かってるのに…。 でもって高校に通うジョンを追ってきたターミネーターに襲撃されて無関係な生徒を大勢巻き添えにすると。 「高校時代への郷愁」ってのはアメリカ人にも共通するんでしょうか。 * * * * * そこでやっと今回紹介する作品のお話です。前振り長っ! 今回も新しい趣向が出てきました。 なんと「入れ替わり」を「集団」でやってしまおうと言うわけ。 タイトルの「ヒトランダム」はそこから来ているんですね。 あ、ここで「集団の入れ替わりなら前にもあったぞ!」と主張される方はベテラン(古参兵)です。 そう、確かにありました。それが西澤保彦の「人格転移の殺人」(レビューはこちら)です。 |
||||
|
||||
詳しくはレビューを参照していただきたいのですが、確かにこの作品も「集団入れ替わり」を扱ってはいます。 ただ、西澤保彦さんという方は、その都度「その作品でしか通用しない」独自のルールを持ち込んではそれを土台にしてミステリーを展開するというオンリーワンの作風をお持ちのミステリ作家です。 毎回オリジナルルールのギャンブルが登場する「カイジ」とか「LIAR GAME」なんかが感覚としては近いですけど、西澤保彦さんの場合は平気で超自然的現象まで持ち込むのが凄いところ。 なので、この「人格転移の殺人」も「お互いに入れ替わり続ける女性一人を含む集団」がクローズド・サークル内で「犯人は誰だ?」と疑心暗鬼になる…という「謎解小説の形式」(ミステリ)です。 また、実はランダム(無作為)なのはタイミングだけで、「入れ替わる順番の法則」は確定しています。でないと推理出来ませんからね。 つまり、誤解を恐れずに書くならば彼らは物語の為のコマ、パーツなのであってその心情を描写したりするための「人物」という扱いからはちと遠いのです。あ、これ別にけなしている訳ではないので誤解なきよう。 詳しくはレビューをどうぞ。 あと、「うる星やつら」などギャグ系作品のオチとして「最後にその場の全員の人格がムチャクチャに入れ替わっちゃいました」みたいな展開にして投げっぱなしで終わっちゃうものは結構見かけます。 閑話休題。 今回はこの5人が完全に「ランダム(無作為)」に入れ替わり現象を起こします。 |
||||
永瀬伊織 稲葉姫子 八重樫太一(主人公) 桐山 唯 青木義文 *実はこの小説、キャラクターの名前を全員「苗字だけ」で地の文に書くものだから、読んでいて誰が誰なんだかわからなくなりそうになることがしょっちゅうでした。 なのでこの冒頭のイラストには随分助けられました。 混乱する度に口絵のイラストに戻って確認したものです。 ちなみに脚本の世界には「男性キャラは苗字で、女性キャラは名前で」書くという習慣がありますが、それだったら分かりやすかったです。まあ、それは無理なので煩雑ではありますがいちいちフルネームを書いていただきたいなあとか思ったり。 |
||||
彼ら彼女らは同じ学校の寄り合い所帯のサークルのメンバーという設定。 こうも男女が入り乱れるクラブというのは逆に珍しい気もします。大抵は文化部でも男子は男子、女子は女子で固まるか一方に偏るものです。体育会系は男女別だし。 演劇部や文芸部なんて男子なんて数えるほどしかいないのが普通ですもんね。 まあ、そこは寄せ集めの文化部ということで、作者さんはその理由付けに結構なページ数を費やしています。 |
||||
*封入されている特製しおり。キャラクター全員が魅力的に描かれていますね。 ちなみにこちらにはこの絵柄の壁紙も設置されております。 この頃のライトノベルはアンケート葉書やチラシ以外に独自のしおり兼カードみたいな厚紙を封入することが多いんですが、とても良い傾向だと思います。 |
||||
男女の入れ替わり小説はこれまで数え切れないほど読んできましたけど、「複数の男女がランダム(無作為)に入れ替わったり戻ったりする」しかもそれが「劇中ずっと繰り返され続ける」という設定は実に新鮮な体験でした。 場所が離れていても関係なく、「魂がお互いの肉体の場所にすっ飛んで行く」みたいなことになります。 ですから入れ替わった直後はさながら「瞬間移動」したみたいなもの。その都度周囲の状況把握から始めなくてはなりません。直前までその肉体の持ち主だった相手の行動を引き継いで責任を取らなくてはならないのです。 これは「人格転移の殺人」でも使われていたフックですけど、読んでいただければ分かりますが実に上手く使われています。 「離れた時空にいる異性との入れ替わり」ということになると「パートタイムプリンセス」(レビューはこちら)があります。 |
||||
|
||||
この場合は男女二人の間のみではありますが、劇中ずっと入れ替わったり戻ったりを繰り返します。この点、少しだけ「ココロコネクト ヒトランダム」に似てなくも無いですね。 この「タイミングがランダム(無作為)で原因不明のまま不随意に「なったり戻ったり」が繰り返される」というのは完全な「随意・可逆」とは言い切れません。「元に戻れる」保障が無いのでその意味で「安心」出来ないんですよね。 現状においては「タイミングがランダム(無作為)で原因不明のまま不随意に「なったり戻ったり」が繰り返される」という「形式」を一言で現すTS用語はTS業界に存在していないと思います。 「グランド・ホテル形式」みたいに作品名を冠するのもありだと思いますが、「入れ替わり」にも「変身」にも使えるので難しいですね。「あめのちはれ。」もそうだし。 「不完全可逆」なんてどうでしょう?「多分戻れるけど保証は無い」という雰囲気が出てるんじゃないかと思いますが。あと、「体質付与型」とか。違うか。 さて、もう一度入れ替わるメンツを見ていただきたいのですが、「男2人」に「女3人」となっています。 |
||||
ほぼ見た目通りの印象のメンバー。 委員長系のしっかり者、とか能天気なおバカ系やら…。あと、会話がナチュラルに濃くて時にエキセントリック、ツッコミと称して男子をぶん殴ったり(当然ギャグとして処理)したりといい意味で「ステレオタイプ」な行動も見せる面々です。 ただ、作者の方の描写が上手いのか、「こんな人間いないだろ」的な不自然さはそれほど感じません。 「キャラ立ち」重視のライトノベルでは結構いますよ。非現実的すぎる言動の登場人物。つーか実際に殴られたら痛いし問題になるでしょう。漫画やアニメではギャグとして処理できても小説だとどうも…。 |
||||
つまり、「男が入れ替わって男の身体に入る」パターンはどうやっても一種類しか存在しないのです! 後のパターンは全部「男⇔女」か「女⇔女」のみ! いやあ、実にお見事!(えー)。 もう一度書きますが、「入れ替わり」ものというのは、ある種の「社会性」が色濃く反映します。 自分ひとりだけで行われる「変身」の暗黒面の極北とも言える作品が「PERFECT BLUE―夢なら醒めて」(レビューはこちら)(小説)です。 |
||||
|
||||
アニメ映画にもなっていますが、あちらはタイトルを借りただけの別物で、こちらはダークな短編。 ネタバレになってしまいますが、アイドルに憧れた男が自分の小汚い部屋の中でその女性アイドルに変身している自分に気が付いて…というもの。 最後までそれが幻覚だったのか何なのかも分からない後味の悪い作品です。まあ、後味の悪さだけは映画版も引けを取りませんけど(爆)。 |
||||
|
||||
そこへ行くと「入れ替わりもの」はどうしたって「女性の自意識」を介在します。 つまり「女性の視点」が絶対に入り込むので、それはつまりかなりの程度の「客観性」を担保することにもなる訳です。 「異性の」ではなくて「女性の」というのがポイント。 長寿バラエティ番組の「笑っていいとも!」では客席が若い女性ばかりで埋め尽くされていますが、実はあれも「長年の知恵」によるものなのだとか。 |
||||
|
||||
あそこには若い女性か或いはその女性が連れてきた男性しか入れないそうです。 女性はどうしても他人の目を強く意識して、外出時にはきちんと身だしなみを整えますし、一緒に歩く男性にもそのレベルを求めるでしょう。 某秋葉原などで開かれるイベントの「男性のみの客席」を想像してみてください。 …まあ、そんな感じです。 相対的に男性は女性に比べて周囲の目を気にするレベルが高くない(控え目な表現)と言えるでしょう。 |
||||
|
||||
この「ココロコネクト ヒトランダム」では「複数の女性」が入れ替わりに巻き込まれる形を取ります。 5人の内2人だけが入れ替わる場合もあれば、3人が玉突きのように押し出されることもあり、時間帯も入れ替わりの継続する時間すらまちまちです。 古今東西、「転校生」などのように一組の男女が入れ替わる場合はお互いにどこにも逃げ場が無く、果てしないののしり合いから愛に至ったりと人間関係が「濃く」ならざるを得ません。 |
||||
|
||||
ところがアラ不思議、これが5人(男2人、女3人)ともなるとその辺りが相対的に「薄まる」んですね。決して悪い意味ではなく。 これは「薄まる」というより「濃くなりすぎない」とでも表現するべきでしょうか。 当事者2人だけの問題ではなく、残りの3人も決して他人ではない。 そこには 「男の子になる体験をさせられた女の子」 同士の人間関係もあれば、 「女の子になる体験をさせられた男の子」 同士の関係もあり、そして 「男の子になる体験をさせられた女の子」 と 「女の子になる体験をさせられた男の子」 との「男女の人間関係」もある…ということになるのです。文字にするとややこしいうえに分かりにくいんですが、脳内でビジュアル化してくださいませ。 これがお互いに入れ替わった状態だと生々しくなりますが(それはそれでいいもんですが)、その場にいない異性の姿を借りていたり、或いはその場にいない同性の姿を借りていたりもするんですね。 これはお互いに相当客観視レベルを高く保たないといけません。自分たちだけならばともかく、今どこかで自分の身体を所有しているであろう他人に迷惑を掛けられませんからね。 いやあ、目から鱗とはこのことか。 まさかこんな方法があったとは思いませんでした。 |
||||
|
||||
作者の庵田定夏さんが「TSフィクションの表現形式の歴史」をどのくらい研究なさったのか存じませんが、これは全く新しいTS体験です。 はっきり言いますと、「TSもの」は「シモの問題」に直結しますので、そこをどう描くかというのは、これはもう作者の見識と立ち位置に拠るしかありません。 「それが目的」の成人向け描写ありの作品であれば、「そういう展開(描写)」に至るでしょうし、そうでないならば「そういう展開(描写)」には至らないでしょう。 ただ、表現をするかしないかはともかく「無かったかのように」避けて通るのは不自然であるのは間違いありません。 入れ替わった状態でお互いに数ヶ月を過ごしながら、自分の異性の身体に対して何もしないというのは不自然でしょう。 「転校生」の原作「おれがあいつであいつがおれで」では主人公たちは小学生(!!)なので、「何も無い」のも仕方が無いかもしれませんが、少なくとも「高校生以上」であるならば「何かある」のは当然な訳です。 以下、「そういう描写がある」か或いは描写はされなくても、「そうした展開があった」ことを匂わせる作品を列記しましたので、興味のある読者さまにおかれましてはご自身で確かめてくださいませ。 「女神の誓い」(レビューはこちら)(小説) 「悪徳なんかこわくない」(レビューはこちら)(小説) 「金魚のフン」(レビューはこちら)(漫画) 「 |