不条理劇場 9
「四人の女」
第1回
作・真城 悠
立ち読みに夢中だったオタク風の男は突如隣に出現した花嫁に仰天した。相手のことも考えず、まじまじと見てしまう。 少し動いただけで小さく、しかし美しい衣擦れの音に包まれた純白のウェディングドレス。トレーンは2メートルを超え、狭いコンビニの角を曲がりこんでいる。 大胆に開いた襟もとは美しい鎖骨と首筋、そしてうなじを強調する。透き通るように白く、きめ細やかな肌が美しい。そこには真珠のネックレスが輝き、耳たぶからは大きなイヤリングが下がる。肩は大きくかぼちゃ状に広がり、その腕も柔らかそうな純白の手袋にすっぽりと覆われている。 整ったその顔は清楚なナチュラル・メイクが施され、息を呑むような美しさである。上半身をヴェールに包まれた花嫁はその折れそうな細い腰から、内側に仕込まれたパニエによるものなのであろう溢れるようなスカートを床一杯に広げている。 何故かスカートを手に持って“操る”ことのないその投げやりな仕草がどこか痛々しい。 しかしその存在感はまさしく圧倒的である。普段着に毛の生えたような物しか身に付けていない店内の一同は、艶やかなウェディングドレスの前にはまさしくかすんでしまう。さながら店内は、即席のウェディングホールとなったかのようであった。 「あ・・・あの・・・」 興味津々といった表情で制服姿の女子高生2人組みが話し掛けてくる。 ふ、とそちらのほうに向き直る花嫁。しゅるり、とすべすべのドレスが衣擦れの音をたてる。 きゃあ〜っ!と盛り上がる女子高生達。凄い綺麗!などと乱れた日本語を使っている。 「どうしたん・・・ですか?」 店内にいる全員が聞きたかった質問である。 「いたっ!」 調子っ外れの声が店内に響き渡る。そちらに目を向けた一同は、花嫁ほどではないにしろ場違いな乱入者を見ることになる。 ピンクの制服に身を包んだOLがかかとの高い靴に悪戦苦闘しながらろくに脚の開かないタイトスカートをひっかけつつ走りこんできたのである。 「ああっ!何やってんですか!」 今度は女子高生である。 「本当だって本当だって!コンビニにお嫁さんがいるんだよ!」 浅黒い男の1人はこの珍事をさっさと携帯電話で報告に走っている。 「駄目じゃないですか!早くこっちへ!」 仕方なくスカートを踏みながらも腕を取って花嫁を引っ張るOL。 「うるさい!放っておいてくれ!」 「そういう訳にはいきませんよ!」 呆然と見守る一同を尻目に、花嫁を連れ去ってしまうOLと女子高生。 見ず知らずだったが、ぽかんと見つめあってしまう一同。 その顔にはお互いに“今のは一体何だったんだ?”と書いてある。 女子高生他数名は店の外まで追いかけて見ている。が、しかしそれ以上追おうとはしなかった。 オタク風の男は美しい花嫁の残り香に酔う様にぽうっと頬を赤らめている。何故か股間を抑えるのも忘れずに。・・・が、しかし気を取り直し、元の雑誌棚の前まで戻り、読みかけの漫画を開く。 気を取り直して椅子に座ってジュースを飲み始める客の1人。 女子高生たちはそのまま帰ってしまったのか花嫁を追いかけたのか店内には帰ってこない。 店員も気を取り直してレジに戻る。そういえば間近で本物のお嫁さんなんて見たことないもんなあ、などと思う。 「いらっしゃいま・・・」 客が口に含んだジュースを吹き出す。 どこからか音楽が聞こえてきそうだった。凍りついた空気を全く意に介さないバレリーナは悠々と店内を横切り、淡々と品物を選んでいく。 浅黒男たちは一瞬絶句し、そしてまた慌てて携帯電話を乱打し始める。 無駄の無い動きのバレリーナはその細い身体に乗せるように大量の品物をレジに運んだ。コーヒーカップの様に真横に広がったスカートが商品棚をざらざらと擦る。 花嫁には話し掛ける気も起こった男ばかりの一同は呆然と見ているしかない。錯覚なのか、おたく風の男はすれ違いざまに流し目の視線を感じた。 あっけに取られている店員に向かって白鳥は言った。 「このお弁当、温めてください」 「どうしてそんな無茶をするんですか」 「・・・」 無言の花嫁。あの騒動の後である。アップに纏められた髪は僅かに乱れ、ヴェールは剥ぎ取られている。 「まあまあ・・・」 なだめるバレリーナ。 その光景は確かにシュールとしか言い様が無い。このRV車の中には四人の女がいる。それぞれOLの制服、女子高生のブレザー、バレリーナのチュチュ、そして純白のウェディングドレスに身を包んでいる。 イラスト 平岡正宗さん ・・・何号線だこりゃ?・・・ふん。 OLはしょぼしょぼする目を擦りながら現在位置を確認した。日はもう高く上っている。車体に埋め込まれたデジタル表示は午前十時を過ぎていた。 「どうです?」 バレリーナが声を掛けてくる。 「街が見えないですねえ」 「地図でもあれば・・・」 「買って来ましたよ」 「そうですか・・・早朝の女子事務員は目立ったでしょう」 「いえ。田舎は知りませんが、都会ではもうOLも出勤の時間ですから」 「はは・・・確かに」 「それに・・・」 「それに?」 「深夜のバレリーナほどじゃありませんよ」 「道理ですね」 信号が青になる。動き出す車。 「しかし・・・」 「何です?」 「日本ってこんなに広大な田舎が広がっていたんですね・・・いくら走っても山の中と田んぼの中ばかりで・・・」 「そんなもんですよ。常に東京にいる人には分からないでしょう」 「私は神奈川ですが」 「似たようなもんです」 道が二車線になった。少しは開けてきた様だ。 「・・・ありました」 「何がです?」 外から見えないように締め切られたカーテンの隙間からバレリーナが外を覗く。 「ユニクロです」 「しかし・・・準備がいいですね」 バレリーナは言った。 「コンビニで地図を買うことまでは思いついてもメイク落しまでは普通買いませんよ」 「まあ・・・なんとなくですけども」 「お陰で助かりました」 そこにはカジュアルなジーパンにセーターといういでたちになったさっきまでのバレリーナがティアラを外して顔を洗っている。そのさらさらの髪の長さはセミロングよりも少し短い程度か。すらりとしたスレンダーな肢体がシンプルな装いで一層引き立つ。 “彼女”は自分が比較的日常的な衣服を着ているため、上から羽織るジャケットのみを買い、スカートのままであることを少し後悔した。 「起きたら怒りませんかね」 「書き置きもしてきましたし・・・そもそもそんなに長居はしませんよ。ホットコーヒーで」 「そうですね・・・あ、私はレモンティーを」 「はい畏まりました」 その場を去るウェイトレス。 しばし沈黙。 「可愛い制服ですね」 ウェイトレスに対して目を細める元バレリーナ。カジュアルな装いであるからなのか、こうして目の前にしていてもどきりとするほど美しい。 「単刀直入に聞きます」 “彼女”は羽織っただけのジャケットの前からピンクの制服を覗かせながら言った。 「“これ”は一体どういうことなんですか?」 首を振る元バレリーナ。 「私にもわかりません。きっとあなたと同じですよ」 「そうですか・・・」 聞く前から分かっていた。しかし、聞かずにはおれなかったのだ。 「問題は・・・」 顔を上げる“彼女”。 「これからどうするかです」 「原因は追求しないんですか?」 「そんなことをしても意味がありません」 「しかし!」 「あなたは交通事故に遭ったときどうします?」 「どうって・・・そりゃ」 「原因の追求はそれは確かにするでしょう。しかし、まずは保証なり、その後の処理のことを考えます。事故直後であるなら目の前の被害者を病院に搬送することも考えなくてはならないでしょう。ともあれ!まずは現状を把握することです」 「それは“原因”を把握するってことじゃ」 「“原因”ではありません。“現状”です」 「お待たせ・・・」 「現状も何も!こうして・・・現に性転換してしまっているじゃないですか!」 「・・・しました・・・」 動きの止まっているウェイトレス。 「あ、私がレモンティーです」 「・・・はあ・・・」 「いやその・・・いまのは・・・」 「それで?そのアニメの「せい」で「てんかん」症状が起こって・・・それからどうしました?」 「・・・え?・・・あ、ああ!そ、そうなんですよ!弟がてんかんを起こしちゃってそりゃもう大変で・・・」 ホットコーヒーを置き終えるウェイトレス。 「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」 「はい。ご苦労様です」 「はい」 その営業スマイルに向けて、ぱちりとウィンクをくれる元バレリーナ。 はっ!としてすぐにかあっと頬を赤らめるウェイトレス。 「そ・・・それじゃ・・・」 恥ずかしそうに走り去る。 「・・・見事なもんですな・・・」 「ん?これですか?」 といってまたぱちり。 今度は“彼女”がどきりとする。 「いやなに、あの女子従業員さんはまだ“恋に恋する恋子ちゃん”に見えたもので、ちょっとからかってみたのですが・・・」 この人は今の自らの姿・・・すなわち女性にも憧れの視線で見られるであろう・・・美人であることを計算してそこまでやっているのだろうか?と少々空恐ろしくなった。 「ま・・・ともかくです・・・私は少なくとも男でした。・・・都内に住むしがないフリーターでしたとも」 「そうですか」 「それが気が付いたら見知らぬオフィスでその・・・女になっていたばかりかこんな格好で寝ていたんですよ」 ジャケットを開いてピンク色の制服を示す“彼女”。 落ち着いてレモンティーをあおる元バレリーナ。 「どうぞ。冷めますよ」 「はあ・・・」 どうにもペースが掴めない。この人は元女じゃないのか? 「私は・・・まあ“企画屋”です」 「・・・ひょっとして広告代理店とか」 「まあ、そんな具合ですね」 それって超エリートじゃん、と“彼女”は思った。頭が良さそうに見えるのも道理である。 「私の場合も似たようなものです。仮眠から覚めてみると・・・ご存知の通りの姿で」 「倉庫の中ですか?」 「いえ、どうも『更衣室』みたいでした」 「それは・・・女子の?」 「ええ、先ほど私たちが入ったお手洗いと同じくね」 「周りにもいたんですか!?」 「沢山いました。全員似たような反応でしたね。姿かたちこそ楚々とした美女ばかりですが・・・まあ恐らくはほぼ全員が私たちと同じく元男性でしょう。かなり取り乱していらっしゃいました」 凄い状況である。 「それはその・・・全員が・・・」 「ええ。踊り子の扮装をしていました」 “彼女”は想像してみた。突然周囲にバレリーナ姿の女性が十数人いる狭い更衣室のなかに性転換したばかりか自らもバレリーナとなって放り込まれている状況を。 「しかし・・・ま、」 達観したかのように美女は言う。 「過ぎたことです」 確かにその状況自体は過ぎたことだろう。しかし、現実に我々の身体は依然として女であり、どことも分からない田舎町のファミリーレストランにいるのである。 そこからどうなったかを尋ねる気にはならなかった。きっと自分と同じであろう。 オフィスの机で突っ伏して寝ていた不良OLたる自分は、みた事も無い「上司」に肩を叩いて起こされた。その後の事ははっきりとは覚えていない。ただ、前後不覚になるほど取り乱し、気が付いたら何かを叫びながらオフィスを飛び出していたのだ。 幾つ目なのか分からないそのドアを開けると周囲は真っ暗だった。それはもう悪夢に他ならなかった。その道端に、RV車が停めてあった。矢も盾もとりあえずそこに駆け寄った。さながら怪談の「のっぺらぼう」の被害者だが、溺れる者は藁をも掴む、だ。必死で助けを求めた。 中には今まさにエンジンを掛けようとしている女子高生と、後部座席に乗り込んだ純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁がいたんだ。 そしてそこにバレリーナが同じく駆け寄ってきた。 そこから先はアイ・コンタクト、以心伝心って奴だ。一言も言葉を交わさない内に“同じく謎の現象に見舞われた仲間だ”と感じ取った四人はさっさと車を発進させた。 ただひたすら走り続け、一晩を明かしたところなのである。 「OLさん」 そんな風に呼ばれるのは初めてだ。 「はあ」 「これからどうするかを考えなくてはなりません」 「・・・はあ」 そんなこと言われても考えられる訳が無いのだ。こんな無茶苦茶な話があるだろうか。男に戻る?どうやって!?もしかしてこのまま女として生きて行けとでも言うのか?この、今の格好の通りOLとして働き、男と結婚するのか?男に組み敷かれ、セックスするのか?そして・・・あの被害者みたくウェディングドレスを着て花嫁になれと?・・・馬鹿な!冗談じゃない。 「まずはここがどこかを確認することです」 あくまで冷静なバレリーナが少々恨めしかった。 「そんなことしてどうなるんです?」 「現状を把握しなくては何も始まりませんよ」 「だから分かりきっているじゃないですか!」 「ええ。その通りです。私たちは現在、生まれてきたのと違う・・・と感じる姿になっています。加えてその居場所も分からない。戻り方も・・・身体の方ですが・・・も分からない・・・ですからまずは元いた場所に帰らなくては」 意外な言葉だった。 「元いた場所?」 「ええ。私は職場が23区内。住居は神奈川県です。あなたは?」 「・・・神奈川・・・ですけど」 「じゃあ決まりですね。進路は北です。後は2人の意見を聞かないと」 俺は半分上の空だった。 そうか・・・帰るのか・・・。 これまで余りに突飛な状況に敢えて現実と対比することが無かったが、恐らく住処に帰ればこれまでと変わらない日常が・・・恐らくは待っているのだろう。 OLになる前の・・・ひどく妙な文章だが、他に言い様がないのだから仕方が無い・・・状況を少しずつ思い出してきた。俺はいつものとおり、夢うつつの中にいた。今日のバイトは夕方4時からだ。前日の深夜に帰ってきた俺はそのままだらだらと過ごし、気が付いたら朝になっていた。「なに、バイトは夕方からだ」とたかをくくってそこから寝入り、気が付いたら昼だった。 くだらない真昼のバラエティやワイドショーを流している内に2時を回っていた。 こういう日に・・・といっても俺の日常はずうっとこんな具合だが・・・いつも考えることがある。 もしもきちんと夜に寝て、朝から活動していればもっと色んなことが出来たんだろうか?・・・と。 多分出来たんだろう。 何しろ一日は何をどうしたって24時間だ。海水浴だって山登りだって朝に行って、夜には帰ってくる。同じ一日なのにどうしてこんなに違うんだろう。子供の頃と今では時計の針の意味がまるで違ってしまっている。 小学校・中学校・高校、みんな午前中こそが全てだった。何しろ「4時間目」までが午前中に詰め込まれるのだ。そこから昼飯。・・・午後の5時間目だ6時間目なんてのはおまけに過ぎなかった。忘れもしない小学3年生の頃のときだ。俺は生まれて始めての「6時間目」を体験した。それまで4時間目、つまり昼まで学校にいればすぐに帰れた身からすればそれは凄まじく「遅い」時間だった。心なしか日も暮れていた様にすら見えたもんだ。しかし時計の針は「3時」を指していた。そう、この時間にはもう俺の中では1日は・・・終わってはいないがとっくに峠を過ぎてたんだ。 しかし今では午前中なんて朝の続きだ。正午を過ぎてから1日が始まる様な気すらしてしまう。そして油断するともう夕方だ。・・・俺の1日は一体どこに消えたんだろう? 「OLさん」 声を掛けられてはっとした。 「大丈夫ですか?」 「あの・・・」 「はい」 「“OLさん”は止めてください」 「そうですか・・・」 「不自然ですよ。俺は大野っていいます。大きい野原で」 「大野さんですね。私は・・・」 と、反射的に名刺を探ろうとしたのだろうが、すぐに思い直す。 「・・・笑わないで下さいよ」 「・・・別に・・・」 「白鳥です。白い鳥で」 ぷっ!と吹き出してしまった。 「あ、笑いましたね」 かあっと白鳥氏の顔が赤くなるのが分かる。すらりとした美人がかすかに頬を染めるのは美しい。 「な・・・なるほどね」 こうなると“ツボ”だ。俺は笑いをこらえながら言った。 「そういえば・・・失礼ですが大野さん。下の名前は?」 「・・・英です。英語の英です。ちょっと変わってるでしょ」 「おおの、えい・・・おお・・・える・・・」 「ま、まさか!」 何だよそりゃ!そんな駄洒落みたいな理由でこんな姿にされたってのかよ!2人は腹を抱えてけらけらと笑い出した。 「あの・・・」 突然声を掛けられて、笑いが中断した。 一斉にそちらの方に向けて視線を上げる美女2人。そこにはさっきのコンビニで見かけたような浅黒い肌に茶色く脱色した髪の若い男がいた。 「お姉さんたち・・・暇ですか?」 顔を見合わせる大野と白鳥。2人ともその意味を理解した。 「場所変えてお茶しません?仲間もいるんでぇ」 俺はそちらの方向を見た。少し離れたテーブルに同じような風貌の男たちがにやにやしながらこちらを伺っている。その一団には、軽薄そうな女性の姿もある。 こいつら、平日の真昼間から何を考えていやがるんだ。自分が女性としてナンパされたという事実よりもまずそちらに腹が立った。 「すいません。連れがいるもので・・・」 にっこりと愛想を振り撒きながら白鳥が小首をかしげる。その響きは、目の前で聞いている俺にすら「これから男が来ます」と聞こえる。・・・恐ろしい機転である。本当に元男性なのだろうか。 「女2人で1人の男待ってるの?嘘はいけないなあ嘘は」 調子のいい若者はひるまない。 「だいたい駄目だよ。会社抜け出しちゃ・・・嫌なことでもあったの?」 その男はこちらに向けて話し掛けてくる。会社?何のこっちゃ? 「あ・・・」 そうか!俺は自分の身体を見下ろした。立派なOLの制服じゃないか。こりゃ誤解も当然だ。時刻は昼の11時・・・一般的な昼休みの時間にはかなり早い。 そいつはかがみこみ、テーブルに顎をつけて甘える様に言う。 「ねえねえ〜!」 「おいっす!」 素っ頓狂な声が後方から響く。 3人一斉に振り向く。そこには女子高生がいた。 「全く・・・落ち着いて話もできやしない・・・」 ハンドルは、カジュアルな出で立ちとなった白鳥・・・元バレリーナにバトンタッチされていた。 「たまたまですよ」 「何の話をしていたんですか?」 女子高生が興味津々で聞いてくる。今度は彼女が後部座席である。 「まあ、軽い自己紹介ですかね」 俺が口を開く。 「ああ、なるほど」 「そんなことより」 和やかな雰囲気になりかけているところに花嫁が口を挟んだ。それは精一杯の重低音を効かせたつもりの声だったのだろうが、キーの高い女声であることが不自然さを強調してしまう。 「いつまでこうやってドライブしてる積もりだ」 その口調には明らかにとげとげしいものがある。 「あなたは着替えなかったのですか?」 そう言われればそうだ。比較的日常生活を送りやすいOLと女子高生の我々はもとより、白鳥氏はとっくに生活にはひどく不向きな舞台衣装を脱ぎ捨ててカジュアルな服装になっている。にもかかわらずこの不機嫌な花嫁は依然として車内では動く事すら困難に見えるウェディングドレス姿のままだ。 「着替えならそこに買っておきました・・・サイズはフィットするとは限りませんが」 「降ろしてくれ」 一斉に沈黙が車内を支配する。 「降りてどうします」 「あんたには関係ないことだ」 「その姿では目立ちますよ」 「だからどうした」 「だから、降りてどうするんです?」 俺が口を挟んだ。 「・・・」 黙ってしまう花嫁。やはり別段手立てがある訳でも無いのだ。それに・・・車内の誰もが感じていることだが・・・降りたいのなら残りの3人がファミレスに行っていたさっき、さっさと降りてしまえばよかったのである。 「作戦会議が必要ですね」 白鳥は寂しい道の隅に車を停めた。 「すぐそばに自動販売機がありますが」 「いらん」 「なら始めましょう」 花嫁は先ほどから腕組みをしている。とにかくその全身全てがまんべんなくつるつるですべすべの生地のドレスに身を包んでいる。少し動くたびにちゅる・・・しゅるるっと衣擦れの音が響く。そのあふれんばかりのスカートの下の脚はどうなっているのであろうか。がに股なのか正座をしているのか胡座を組んでいるのか・・・ここからでは全く分からない。 「自己紹介がまだでしたね・・・私は白鳥です・・・こちらは大野さん」 助手席から軽く黙礼をする。 「私は城です。大阪城とかの城ですね」 「そして・・・?」 白鳥氏が花嫁に促した。 「・・・言いたくない」 「そうですか・・・」 「自己紹介の為に車停めたのか?これからどうするのか言えよ」 俺はそろそろその高飛車な物言いが腹が立ってきた。誰がなんと言おうと運転していたのは我々2人である。コンビニから無理矢理連れ出しもした。今だってみんなこれからどうしていいか分からないのは同じだ。それなのに自分ばかり被害者面しやがって。 「・・・せめて名前くらい名乗ったらどうです?」 女子高生・・・もとい城氏が少しばかり語気を荒げた。 「勝手に名乗ったのはあんた方だ。付き合う義理は無い」 「・・・なんだと?」 「まあまあ!落ち着いて!・・・とにかくこれからの予定を・・・分かっている範囲で」 と、地図を取り出す白鳥氏。 「現在位置は大分県の半ばです。地図を購入したのは昨日・・・正確には今日でしょうね・・・なので、スタート地点は恐らく九州山脈の半ば程度では無いかと思われます」 そうか・・・そんなところにいたんだ・・・。 「私たちにはこのRV車が現在の全財産です。少なくとも私はこうなる前に身につけていた現金やクレジットカードの一切を現在所持していません」 「あ、俺も」 城氏が言う。こうも活発な女の子姿で「俺も!」なんて言われるとお転婆な女の子みたいである。 俺も無言で頷いた。現金なんて持っていない。 「花嫁さんは如何です?」 花嫁はそう呼ばれることで明らかに不快感を示した。が、これは自業自得というものだろう。静かに首を振る。ちりり、とイヤリングの揺れる音がする。 「幸いなことにこの車の燃料はほぼ満タンで、現金も5万円ほどありました」 「五万!?」 残りの3人が一斉に声を上げる。 「ええ。これまでの食料補給と燃料を一回入れた関係で残りはあと4万飛んで543円になってますけどね」 花嫁が自嘲気味にけらけらと笑い出した。押さえ気味とはいえ、きちんと化粧してあるのだ。年頃の女性がこうも口をおっぴろげて笑うのは始めてだった。その大きく広げられたより紅く見える唇が不快感に似たものを喚起させる。 「何だよ?話にも何にもならねえじゃねえか!?」 「だからどうしようかと考えているんですよ。大野さんと私は神奈川在住です。ですから今北を目指しているんです」 「あ、私は東京です」 城氏が答える。 「花嫁さんは?」 「・・・千葉だけど」 「決まりですね」 「何が決まりだよ」 「何か問題でも?」 「どうして車なんだ?電車でも飛行機でも何でもいいじゃないか」 あっ! 俺の頭の中で何かが弾けた。・・・そうだ・・・。何でこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう?突然の性転換の上に強制女装という事態の中、混乱した頭はその程度のことすら思いつかなかったのだろうか。 「お説ごもっともですが・・・」 「この格好か?」 初めて花嫁がドレスのスカートを掴んだ。 「着替えりゃいいだけの話だ。現にあんたはそうしてるじゃないか。そっちのOLさんはその制服がお気に入りのようですがね」 露骨な挑発に腹が立たないことも無かったが、今はこの花嫁の言うことが正しい。 「そもそもあんたがた身の回りの誰かに連絡はしたのか?助けてくれって。どうせ金が無いって言いたいんだろ?確かに無いだろう。けど今は緊急事態だ。金を送ってもらうなりすればいい。銀行も郵便局も使えないんなら最悪来て貰うって手段もあるじゃないか!」 沈黙が横切った。 誰もが自分の中で花嫁の言葉を反芻していたのだろう。それは悠久の時の様に感じられた。 「・・・そうですね。確かにあなたのおっしゃる通りです」 「そうだろうが」 「ですが大事なことを忘れている」 「・・・何だ」 「あなたは連絡をすればいいとおっしゃった」 「言ったね」 「それは電話でですか?」 「手紙でしろと?」 「現実的ではないでしょうね。E-MAILも」 「電話だろうな。少々の長距離電話なら掛けられる金額だ」 「私たちは声が変わっています」 俺は数瞬、その意味が分からなかった。 「電話に出た人がすぐに認識してくれるでしょうか?」 「そっか・・・」 城氏が自らに言い聞かせるように呟いた。そしてその頃には俺にもその言葉の意味が分かり始めていた。 「恐らく知人にとっては悪戯電話と感じるでしょう」 「でも、通じるかも知れない」 「確かにそうです。止めはしません」 正直、俺はこの珍道中を少し楽しみ始めていた。それは確かである。テレビも何も無い生活。だがそれは一切のしがらみから開放された、同じ境遇にいる者同士の理想郷ですらあった。 が、しかしやはりそうではないのだ。俺たちは「別人」となってしまったのである。それは現実存在としては死んだも同然ではないか。もしも今、元の住んでいた場所に戻ってもそれは周囲の人間にとっては完全な復旧を意味しない。そして俺たちは・・・残りの人間が当たり前に過ごしている「現実」から弾き飛ばされた哀れな浦島太郎ではないか。 「連絡・・・してみたいです」 城氏が言った。丁寧なですます調でお互いにしゃべっているせいか、お互いにあまり「男」を感じない。こちらの・・・そして個々の自意識は依然として「男」のままなのだろうが、お互いの外観は「女」である。ここの4人は全員「男」として「女」達と話しているかのような意識であった。 「では多数決をとりますか」 「必要なんですか?」 城氏が言った。 「連絡を取りたい人は取ればいいじゃないですか」 道理である。城氏は少なくとも取りたいのだろう。 俺は・・・俺はどうなんだろう? もう一人暮らしも長い。連絡といっても近所に両親が住んでいる訳でもない。友人はいるにはいるが、部屋にもロクに入れたことが無い程の薄い薄い付き合いである。 どんなに考えても余り興味が無かった。 恐らくそれまで生きてきた人生にそれほど未練が無いのだろう。俺はもう23だが、しがないフリーターだ。小さい頃はいっちょまえに漫画家になりたい!なんて言ってみたりもしたが、そんなのは“はしか”みたいなもんだ。身の回りにちょっと上手いのがいるとびびってやめちまう。 勉強もそれなりに一生懸命やったが、せいぜい人並みの成績が残せた程度。どこを取っても平平凡凡な人間だ。フリーターになるまえにやっていた仕事だって・・・というか他の人間に混じって仕事をしたりするたびに自分の嫌なところばかりが目に入る。結局、はやく終業時間にならないかとばかり考える、どこにでもいる労働者に成り下がっていた。 下らない意見の食い違いでその職場を止め、バイト生活になったがそんなルーティンワークに情熱を燃やす訳もなく、だらだらと生きている。そんな中、楽しみといえば仕事から帰って観るバラエティ番組と少ない給料を貯めて買うテレビゲーム。 同年代の奴は有名企業に就職し、風の噂じゃボーナスでこちらの年収分をもらってたりする。中にはもう結婚してる奴までいる。・・・まあ23じゃ普通か。 いつから俺の人生には希望が無くなったのだろう。どんなに努力しても先が無いと思ったときからだろうか。明確な区別なんて出来ないがその辺だろう。人間、他人と何も比較できないで生きていけたらどんなにいいだろう、と思う。こんな俺でも努力はした。しかし生まれ持った不器用さ、ドン臭さは消し様が無い。血液型や誕生日を変えられないのと一緒だ。必死で努力し、ある程度経過に満足し、ふと顔を上げた時にさしたる苦労もせずに自分の遥か前を走っている人間を目の当たりにする羞恥よ! 俺はひたむきに努力する奴が大嫌いだ。努力なんて決して報われることは無い。人間の運命なんて生まれたときから決まっているんだ。天才は生まれたときから天才だし、馬鹿は死ぬまで馬鹿だ。凡人・・・いや馬鹿が「頑張れば何とかなる!」と信じてひたむきに努力することの滑稽さよ! 俺は何時の頃からか、一流大学にすすんで官庁や一流企業という人生の成功コースに乗れず、かといって自分の夢を追いかけられた訳でもない腐った人生を卑下するようになっていた。 今日も何も無く過ぎた一日を後悔し、自分を責めた。どうせ何をやっても駄目だ、と投げやりになり、事実何も上手くいかなかった。 そうした“終わり無き日常”を日々過ごすうちに、世界が滅びてくれないかと心のどこかで願うようになっていた。 それほどどうしようもない人生ならさっさと終わりにしてしまえばいい。しかし自殺は痛そうだ。それに、これだけ自分が渇望してもそう生まれついていないが為に得られなかった成功を、さも簡単に得てしまっている他の人間どもは俺の死についてどう思うのだろう?何も思いはすまい。それが憎らしい。どうせなら奴らも死んで欲しい。しかし殺すのは嫌だ。こちらは当然の権利を行使しているだけなのに殺人者扱いで、向こうは“被害者”?冗談じゃない。 だったら世界のほうから滅びてくれればいい。 どんなに待っても世界は滅びなかった。しかし自分はとんでもない事態に巻き込まれた。普通に考えれば人生はもうめちゃくちゃになっている。男が女になるなんてそんな馬鹿な話があるか。俺にそれなりの人生設計があれば根本から見直しを迫られるだろう。 しかしそれなりの喪失感が無いのは何故だ?むしろ爽快感すらある。それは不謹慎ながら某新興宗教が都心に毒ガスを撒いた時の「何かが起こるかもしれない」という期待感にも似たものなのだろうか。 いずこかに連絡するというのはこの非日常的なイベントを終焉に導く行為に思えた。いつまでも日常の仕事に煩わされること無く放浪していたい。そうだよ。俺はこんなにスリムな体型じゃなかった。それがこのスレンダーなプロポーションを手に入れているのだ。それこそ永遠に年を取らないかもしれないじゃないか!そ、そうだそうだ!昨日から飯食いまくってるが、何も食べなくても腹も減らないかもしれないじゃないか! この時点で俺は相当腹が立っていたのだろう。気が付いたら女にされていた上にOLの制服という・・・半分コスプレみたいな真似までさせられているのに、その先にはきっと今までと少し違うだけの日常があり、生活があるのである。どうして徹底的に破壊してくれなかったのだろう。 「・・・大野さん!」 え? 「大丈夫かよ・・・」 花嫁が相変わらずむくれている。 「あなた、よく“しょうけつ”しますよね」 「な、何ですって?」 「考え込みすぎですよ」 目の前で話すもう見慣れた美人。女子高生、そして花嫁。・・・馬鹿馬鹿しいが、これは紛れも無い現実なのだ。ふと身体を見下ろす。それは間違いなくOLのものだった。スカートの中で脚を擦り合わせる。ざらりとしたストッキングの感触・・・間違いなかった。 「これから駅前のビジネスホテルに向かいます」 車を発進させながら白鳥氏は言った。 この人は広告代理店に勤めているって言ってたっけ・・・それは所謂“一流企業”じゃないか・・・頭の冴えも自分とは段違いだ・・・きっと俺なんかよりも今のこの状況によって失った物は大きいんだろうな・・・と思った。 「ともあれ今夜は泊まりです。何時までも車の中で寝起きしている訳にはいきません」 「え・・・」 「資金は心配ですが、2人部屋を2つとることで節約です」 そんなこと言っても残り4万円じゃないか。 と、後部座席で花嫁が何かをしている。自分の左手を引っ張っているのだ。 「あ、あの・・・」 「手伝いましょうか?」 無言で手を振り払う花嫁。 肘を曲がりこんで二の腕の上、肩のかぼちゃ状の生地にまで達していそうなその手袋は悪戦苦闘の末、ようやく少しずつ脱げてきた。花嫁はこんな窮屈な物をしているのか、と今更ながら感心する。 片手を皺だらけにしながら漸く脱げた。 その瞬間、意図を理解した。その薬指には大きく輝く指輪があったのである。 「婚約・・・指輪・・・」 ムッ!とする花嫁。 「大野さん。“結婚指輪”ですよ」 「あ、そうか」 花嫁は少し考えていたが、純白の手袋をつるつると滑らせながらその指輪を抜いていく。 それは客観的に見れば悲劇的だった。花嫁衣裳のまま結婚指輪だけを抜き取る花嫁はある種の“決意”を感じさせる。だがそれも一種の錯綜に過ぎない。この花嫁は紛れも無い元男で、性転換させられた上、意に添わずに着せられたウェディングドレスなのである。が、分かっていてもそのヴィジュアルは間違いなく「結婚指輪を抜き取る花嫁」であった。 「幾らで売れますかね」 これは城氏。 一体どんなことを考えているのか、無表情に目の前で大きな宝石を回している花嫁。 こうして見るとやはり化粧が目立つ。元男の俺が見ているせいなのだろうか。常にめくり上げられているそのヴェールにどこか違和感を感じた。が、その違和感が何なのかは分からなかった。 「頑張ったんですが・・・」 開口一番、白鳥氏はそう言った。ここは「質屋」の前である。 「結局幾らでした?」 「20万円ですね」 「ええっ!?」 凄いじゃないか。 「これから何が起こるか分かりませんからね。1000万円あっても安心できません」 「いいっていいって。少なくとも今夜の一泊くらいは心配なくなったんだから!」 「あ・・・来ました」 顔に剣のある美人がつかつかと歩いてくる。結局車内で着替えることは了承したものの、他のメンバーには全員出て行くように言われてしまったのである。裸を見られたくない?結構なことだ。お陰で俺は未だにOLの制服姿である。まあ、上からジャケットを羽織ってはいたが。 「無事に脱げましたね」 少々の嫌味を込めて言った。仮に男であっても車内で着替えるのはそう楽ではない。ましてやウェディングドレスなんて着方も脱ぎ方も分からない。事実、さっきは手袋一つ外すのにあんなに苦労していたではないか。しかし、見事に着替えに成功していた。今のこの姿から、少し前までの花嫁衣装を連想できる人間はいまい。 「何て言ったっけ?」 「白鳥です」 「これも」 と言って手のひらに載せたイヤリングとネックレスを差し出す。 そうか、そんなものもしていたっけ。それにしても一緒に出すくらい出来ないのか?“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”ならぬ“花嫁憎けりゃウェディングドレスまで憎い”である。俺はこの名無しの花嫁に小さなことまで反発し始めた。 ヴェールをきちんと外さずにむしり取ったのか、髪は乱れ気味である。四人の中で一番髪が長く、背中まで垂れている。白鳥氏と殆ど変わらないジーンズにセーターを無造作に引っ掛けている。しかし美人とは得な物でその影のあるたたずまいがよりその魅力を引き立てている。 「じゃあ行きましょうか」 「待って下さい」 俺が静止する。 「今度は僕らが着替えますんで」 自然と城氏とアイコンタクトを交わす。 「女子高生にOLじゃあ、どんなビジネスホテルでも追い出されますよ」 久しぶりの新聞だった。 ここはホテルのロビーである。妙な話だが、遂に天下晴れてのんびり出来る。しかしテレビ欄の少なさに驚かされる。しかも番組編成も首都圏に住む者には奇天烈なものしにか見えない。 三面記事も相変わらずで特に変わったものは見当たらない。 「ただいま〜」 能天気な声に顔を上げると城氏がいる。制服姿からタートルネックに床まで引きずりそうなロングスカートである。その陽性なキャラクターは、「私服姿の女子高生」そのものであった。 「ありましたありましたユニクロ。いやー、軍資増えたんで迷っちゃって」 吊り込まれてこちらも笑みがこぼれてくる。が、同時にあることに気付いて戦慄した。 「城・・・さん」 「ん?」 「スカート・・・買ってきたんですか?」 「ん?・・・何かおかしい?」 「いや・・・おかしいって言うか・・・」 俺にとってはここでの「着替え」はカモフラージュの意味もあったが、それ以上に「女装」から逃れるためのものであった。制服で無くなったからいいというものでは無い。 この人は・・・もう「女装」に屈託が無くなってしまっている。それどころかまるでおしゃれを楽しんでいるかのようである。 俺はあれだけ自己破壊願望がありながら、自ら進んで「女装」するのは、何かある一線を超えてしまう様な気がするのである。 「あ、城さん」 手続きを終えたのであろう白鳥が歩み寄ってくる。 「よくお似合いですよ」 「あ、そうですか?いやー、照れるなあ」 こうして見ると体型の違いは歴然だった。バレリーナにされた白鳥はそこまで背は高くないが、スレンダーでしかも抜群に脚が長い。腰の位置が高いのだ。それでいてジーンズなので実に格好がいい。対して城は小柄でロングスカート。バランスが全体的に下に寄っている。その見た目の身長差は姉妹のようだ。城氏の年齢は見た目で城が16〜17歳。残りのメンバーは23〜25歳というところだろう。着せられた衣装に合わせてなのか年齢設定が1人低い。 「僕たちってどんな一行に見えるんでしょうね?」 俺が思わず言った。 「OL仲良し四人組には見えないでしょうね」 あくまで冷静な白鳥が冷やかす。 打ち解けた雰囲気が流れる。 「お嫁さんは?」 まだ名前を知らないのでこう呼ぶしかない。 「電話してますよ」 白鳥が言う。 「どこです?」 「私たちが見ているところでは嫌みたいですよ」 「・・・なるほど」 おおかた外の電話ボックスにでもいるのだろう。徹底的に我々とコミュニケーションを取らない積もりらしい。まあ、気持ちも分かる。やけくそになって当然だからだ。それにしても困ったときはお互い様だ。こんなんでは孤立が深まるばかりだ。 「白鳥さんは電話しないんですか?」 「・・・私は反対でしたから」 「そう・・・でしたね」 「それはそうと恐らく今日でお別れでしょうね」 「え?・・・」 「現在の我々の所持金は27万円です。一人当たり6万円を超えています。これだけあれば飛行機で東京まで往復できます」 「一緒にいるメリットは無い・・・と?」 「・・・正直私も指輪があれほどお金になるとは思っていませんでした。確かにあの方が言うように別に車にこだわる理由もありません。まあ、問題があるとすれば私やあの方の様にその衣装の突飛さでしょうが・・・それも解決しましたしね」 「そっか・・・」 ・・・何だか寂しい気がした。「夢」が終わろうとしていた。 「時に・・・お分かりでしょうが・・・」 神妙な声だった。 「くじ引きが公平でしょうね」 各人がくじを引き終わって、新聞読みタイムに突入した。 まあ、自分のくじ運は承知していたが、あの不機嫌な花嫁と一晩過ごすことになってしまった。まあ、残りの2人と一緒にしたのでは刃傷沙汰になるかもしれない。・・・というのは大げさとしてもまあ、平穏な一夜になるとは思えない。 新聞にはあらかた目を通していた。スポーツ新聞も読み終わり、俺は退屈な時を過ごしていた。 女子高生・・・今はそう言ったほうが相応しい・・・はうつらうつらし始めている。ぴんと張ったそのみずみずしい肌が可愛らしい。 白鳥氏は食い入るように新聞に見入っている。・・・そういえば電通マンみたいなことを言っていたっけ。こうして日々情報を仕入れているんだろうか。ひょっとしたら自らのこの不思議体験も商売のネタにでもしようと考えているんだろうか。 我々は不機嫌な花嫁が帰ってくるのを待っていた。ホテルから出て行ったきり帰ってこないのだ。買ったテレホンカードを持たせただけで、所持金はこちらにあるのが救いだった。 あのまま街に消えていってしまったのだろうか・・・ 俺はそう思った。 どんないきさつがあれ、不幸な運命なのは間違いない。それがこんなところで行方不明か・・・ 「ありませんねえ・・・」 独り言なのか、白鳥が呟いた。 「何がです?」 「・・・」 少し周囲をうかがう白鳥。周りには上品な紳士やいかにもビジネスマンといった男たちが雑談に興じている。が、特に女3人に興味を持っている様子は無い。 「私もあなた方も多くの“犠牲者”を目撃しています」 「はあ・・・」 そういえばそんなこともあった。俺は目の前の状況にすら夢中でそんなことにすら頭が回らなかった。 「もしも何か組織的な出来事なら、分散的にしろ、多くの人間が行方不明になっていると思ったんですが・・・」 「・・・」 組織的?・・・そうか・・・何かの陰謀が絡んでいるんだろうか・・・。色んな人間をさらってきて性転換させ、更にコスプレまがいの女装をさせてその状況に放り込むのが陰謀?・・・何が何だかさっぱりわからない。 一体そんなことをして何になるのか?そもそも可能なのか? 「あの・・・」 ふと気が付くと不機嫌な花嫁がいる。 「行きますか?」 「いや・・・とりあえず清算したい」 「清算?」 「まあ、立ち話もなんですから」 「いや、結構」 「残高を均等に割れと?」 分かっちゃいたが、敢えて正す。 「元は俺の指輪だ」 一体どこまで勝手なのか。指輪が財源になっているのは確かだが。 「無理ですね」 「何故だ」 「代金はチェックアウト時に払います。細かい清算分もあるでしょうし」 「先に払えばいい。その上何かあれば個人で払えばいい」 「そんな・・・」 「・・・ん?・・・な、何?」 眠り姫がお目覚めの様だ。 「これからレストランで食事をしようと思っています。共同資金から。分割はその後でもいいでしょう」 「いや、割り勘だ」 この強情さは一体どこから来るのだろう。 「困りましたね・・・いいですか?」 「え?俺?」 どうして俺に聞くんだ? 「細かいのがありませんから大雑把になりますがいいですか?」 「ああ」 「じゃあ、食事でもしながら・・・」 「俺はこれからまだやることがある。勝手に食ってくれ」 この申し出は歓迎したかった。幾ら美人でもこんなのと一緒では飯がまずくなる。 「あなたはこの大野さんと相部屋です。部屋番号は303号室」 「303だな」 「何時ごろにいらっしゃいます?」 「分からん」 「それは困ります。痩せても枯れても“若い女性”です。無用心は出来ません」 改めてそう言われるとなにやらくすぐったい。 「10時までには来る」 「10時!?」 「10時ですね・・・大野さん。申し訳ありませんが先にお休みになっていても構わないので一応ドアは空けて置いてください」 「いや、いいですよ。起きてますよそれくらいなら」 「一部でもいいからくれ」 やれやれ、というジェスチャーをしながら一万円札を渡すと、長い髪をなびかせてその女はホテルから出て行った。 |