不条理劇場 9

「四人の女」
連載第6回(にあたる部分以降)


作・真城 悠

この小説は「フィクション執筆掲示板」にて書かれたものです

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061(2002.11.8.)

 そのままとことこと部屋の中を歩き・・・いや、つま先で立ち上がりながらくるくると回転し始める白鳥。
 濃い目の化粧品の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「白鳥・・・さん・・・?」
 ど、どうしてしまったんだろう?おかしくなってしまったんじゃないのか・・・?
 思わず立ち上がる大野。
 引き絞られるかのように両足を拘束するタイトスカートがギッ!と引っかかる。
 流石にそう上手くはいかない、バランスを崩してよろよろとしてしまうバレリーナ。
「あはは・・・やっぱり・・・」
 床にその白魚の様な手をついて立ち上がるバレリーナ。
「テレビみたいには上手く行きませんね」




062(2002.11.9.)
 手を差し伸べる大野。その手を取って立ち上がるバレリーナ。
「白鳥・・・さん」
「大野さんはやってみました?」
「え・・・?」
 何を・・・と言いかけた。
「トイレでお化粧直したりとか」
 何を言っているんだろう?
「このホテルって部屋にお湯のポットがありますよね」
「はあ・・・」
「それで緑茶を入れて上司の机に出してみたりとか」
 頭が混乱した。
 本当にこの人はおかしくなってしまったんじゃないだろうか?
 ふう、と軽く溜め息をつく白鳥。しかしその表情はにこやかでかつ爽やかだ。
「大野さん・・・どう思います?」



063(2002.11.10.)
 漠然とした質問だ。
「“どう”って・・・」
「“災難”だと思ってます?」
「そりゃあ」
 当たり前じゃないか!こんな・・・こんな姿・・・女になんかされて・・・見知らぬ土地に放り出されて・・・。
「私は思ってませんよ」
 そういってまたその場でくるり、と回転した。
 今度は上手くいってぴたり、と決まる。
 そして見様見真似なのか深々とバレリーナ独特の“おじぎ”をした。
 何だか見ている方が恥ずかしくなってしまう。
「いい体験じゃないですか。こんな格好、滅多に出来るもんじゃありませんよ」
 そう言って自らの身体を示す。


064(2002.11.11.)
 そりゃそうだろう。男の立場でこんなもの着る事が出来るのはコメディアンくらいでは無いのか。いい加減テレビを観ている大野でも最近はコント番組が少なくなって来ているので、尚見かけない。
 “コスチューム”としてもメイドやバニーなどと比べても状況が限定されすぎていてお世辞にもメジャーな衣装だとも思えない。風俗系のコスプレとしても見かけないだろう。
 仮に女性だとしてもこんな衣装がどこに売っているというのか。
「まあ・・・そりゃあ・・・」
 珍しいですけども・・・と心の中で続けた。
「私は小さい頃に観た『八時だよ!全員集合!』が大好きでねえ・・・」
「はあ・・・」
 何だかさっきから「はあ」しか言っていない。馬鹿みたいである。



065(2002.11.12.)
「笑っちゃいますけど、「志村けん」は私の子供時代のヒーローでしたよ」
 悪いけど大野は「ひょうきん族」派だった。
「その頃親に向かって“あの服着てみたい”と言って笑われましたよ」
「ああ、なるほど」
 やっと少し分かった。「志村けん」はわが国を代表するコメディアンであるが、とにかくしょっちゅうバレリーナの格好をして笑いを取っていたのだ。良くも悪くもあの独特のスタイルをお茶の間に浸透させたといえる。まあ、そのお陰でただでさえどことなくユーモラスなあのスタイルが完全に「お笑い」ツールになってしまったのであるが・・・。
「今その夢がかなったって訳です」
 そう言ってにっこりと笑い、なんとなくバレリーナっぽいポーズを取る。
 そのわきの下は無駄毛一つ無く綺麗に処理されていた。
 ・・・何だか楽しそうだった。
 そして、流石に人の心の機微に疎い大野にも分かってきた。
 白鳥さんは強がっているのだと。




066(2002.11.13.)
 きっと白鳥さんだって不安なのである。どうしたらいいのか分からないのだ。それこそ本心では叫び出したいくらいなのかも知れない。
 しかしそれをやって何か事態が好転するか?
 多分しない。かといってこれ以上悪くなるとも思えない。
 だったら楽しんだ方がいいんじゃないのか?どうせ滅多に出来ない経験なんだ。目一杯楽しんでしまえ!
 呆れた。
 とてもじゃないけど自分はそんな風に考えられない。
「私ならやりますけどね」
「え?」
「OLごっこ」
「あっ!」
 そうだ、トイレでお化粧直しながら上司の悪口を言うとかお茶汲みをするのも「状況を使用してシチュエーションを楽しむ」ってことなんだ!




067(2002.11.14.)
 思わず大野は沈黙してしまった。
 何も返せなかった。
 大袈裟に言えば白鳥の人間としての大きさに圧倒されてしまっていたのである。
 現在の白鳥さんはこの凸凹四人組の実質的なリーダーである。
 彼・・・というか彼女というか・・・がいなければとっくの昔に空中分解していたはずである。
 そのムードメーカーぶりには感謝してもしたりない。多分白鳥がその名とは違って大野の様にOLスタイルにされていたらそれを最大限に利用して“笑い”すら取っていたかも知れない。花嫁さんの様にウェディングドレスであってもだ。
 そうだ。人間を取り巻く状況なんて所詮それだけのことなんだ。
 大野は何でも人のせいにして逃げていた自分が恥ずかしくなっていた。
 だが・・・それでも尚、花嫁さんの様に自暴自棄になるのが普通なのではないだろうか。
 それは言い訳なのだろうか?
 大野には分からなかった。
 それゆえに黙り込んでしまった。




068(2002.11.15.)
 ふと我に帰った。
 そこには華奢なバレリーナがいた。
 自分だったら・・・自分だったらこんな恥ずかしい格好をさせられたら・・・想像するのは難しかった。
 今現にOLの制服を着せられているのにである。
 やっぱり性格なんだろうな。
 ついさっきまで何やら反省していたのだが、すぐに自分に都合のいい様に思い直していた。
 大野は半ば引きこもりだったことからも分かる様に人前ではあがってしまう性質だった。
 でも世の中には逆に「多くの人に見られる」ことに快感を見出すタイプの人もいるのだ。恐らく歌手とか芸能人、舞台俳優の人たちなんかそうなんだろう。カラオケすら苦手な大野には想像も付かないが、それは「努力」とか「心掛け」とは違う次元の話じゃないかな、という気もする。
「大野さん!」
 また突然声を掛けられた。
「あ・・・すいません」
 また視界一杯に“恥ずかしい”衣装が満開に咲き誇る。
 次の一言に大野はまた言葉を失った。
「着てみます?」



069(2002.11.16.)
 かなり長い間その言葉の意味が分からなかった。
「え・・・その・・・」
 もう言葉ではなくてジェスチャーでのコミュニケーションだった。自分と白鳥とを、OLとバレリーナとを交互に指し示していた。
「そうです。はい」
 と言ってにっこりと悪戯娘よろしく微笑むバレリーナ。
 悪魔に見えてきた。
 でも・・・。
 自分がこの恥ずかしい姿に・・・。
 久しぶりにドキドキしてきた。
 ば、馬鹿な・・・何を考えているんだ・・・。でも・・・。
 確かに今の自分なら目の前のバレリーナ、白鳥さんと体格は殆ど同じである。あの衣装もサイズ的にぴったりなんじゃ・・・。
 ち、違う違う!何を考えているんだ!
 こんな・・・女の身体になっちゃってるけど、精神的に・・・じゃなくて、そうだ!社会的に、“社会的に”男じゃないか!
 大野はこの言葉の「発明」に自分で感心していた。
「やっぱり恥ずかしいですか?」
 うるうるした目で上目遣いに覗き込むバレリーナ。



070(2002.11.17.)
 ・・・おっさんだよな。正体って。
 ブラジャーの金具を冷や汗が伝って落ちた。気がした。
 本物の女であってもここまで自分を上手に演出できるものだろうか?
 よく女形は本物の女性よりも女らしい、なんて言うが男の身でありながら女になってしまっている白鳥は無意識の内にコテコテの“女らしい仕草”をなぞっているのでは無いだろうか・・・。
「じゃあこういうことにしましょう」
 何やらこの小悪魔が思いついたらしい。
「実は私、前からOLの制服が着てみたかったんですよ」
「はあ・・・」
 また「はあ」とか言っているが結構大変な事を口走っている気がする。
「女装願望があったんです」
 ドキッ!とした。
 心なしかその涼やかな声が可愛らしく高くなっている気が・・・。
「そうなん・・・ですか?」
 マジレスしてしまった。
「やだなー!もー!そういうことにするって言ってるじゃないですかぁ!」
 バレリーナに突っ込まれるOL。バシッ!と肩を叩かれる。
 ・・・もう深く考えるのは止めた。




071(2002.11.18.)
「ということでその制服貸してください。でもって大野さんは仕方が無いのでその間、私が着ているこの服を着るしかないってことで」
「はあ、なるほど」
 だから「なるほど」じゃないっての!
 ・・・と心の中で自分に向かって突っ込む。
 だからその・・・「社会的に」マズイんじゃあ・・・?
 もしもある男が一時期女だった・・・というか女になったことがある・・・と分かったらどんな事に興味が湧くか?
 その女になっている間にやらしいことしたのか?は当然として、そこで嬉々として女装したり女として“しな”作ったりして楽しんだんじゃないのか?とか突っ込まれるのが怖い・・・。
 でもそんなことってありえるのだろうか?
 もうこれは“白鳥マジック”と言って良かった。何度も絶望と平静の間を振り回されている人間を「戻った時に追求されたら?」なんてことを一瞬とは言え思い起こさせるのだから。
 次の瞬間に自分の口を突いて出てきた言葉は、我ながら意外だった。
「はい」



072(2002.11.19.)
 確かに・・・確かにそう言った。
「そうですか・・・分かりました」
 窓の外はうっすらと白んでくる時間帯だった。
 暖房と体温で窓には水滴が付着し始めている。
 徹夜した時独特の罪悪感と高揚感が入り混じった感情がそのピンクのベストの下に去来する。



073(2002.11.20.)
「じゃあ・・・脱いで下さい」
 淡々と事を進めようとするバレリーナ。
 こんな・・・こんなことをしていていいのだろうか?
 性転換して見知らぬ土地に放り出されているだけでもこれ以上無い異常事態だというのに、そこに持ってきて更に謎の服装復旧現象・・・その全貌はようとして知れない。
 話し合った所でどうなるとも思えないけども、でも・・・何とかすべきなんじゃ・・・こんな時に衣装交換とか遊んでいる場合じゃ無いんじゃないだろうか・・・。
 肩紐に手を掛けようとするバレリーナ。
「わあっ!ちょ、ちょっ・・・」
 赤面して止めようとするOL。
「ん?どうしました?」


074(2002.11.21.)
 きょとんとして動きを止めるバレリーナ。
 天然なのだろうか?
 いや、そんな筈は無いこれまでの理知的な振る舞い、言動からしてもありえない。ということは・・・
 “壊れて”しまったのだろうか・・・。
「何を照れてるんです?女同士でしょ?」
 お、おんな・・・どうし・・・。


075(2002.11.22.)
 どきどきした。
 なんとも言えない気分だった。
 また例の気持ちが胸の中に湧き上がってきた。
 そうだ・・・今の俺って女だったんだ・・・。
 現実感が揺り戻してきた。
 いや、一体どっちが現実だと言うのか。
「あ、あの・・・」
「冗談ですよ」
 白鳥はその濃い目のメイクを破顔させた。
「こうしましょう」
 といって、大野の両手のひじの部分をぎゅっと握る。
「あ・・・」
 とか言っている暇もなく、その場でぐるりと後ろ向きにされてしまう。
「こうやって・・・背中合わせに全部脱ぐんです」
 ぜ、全部・・・脱ぐ・・・
「そしてそのまま、背中合わせのままぐるりと回ってお互いに足元の服を着ましょう」


076(2002.11.23.)
 
白鳥の正体は知らないが、電通マンみたいなことを言っていた。本当だとすればそれこそ東大、京大とか私立の一流どころの大学を出た人なんだろう。そして事実その聡明さを嫌というほど見せ付けてくれている。
 その白鳥に比べればこちらはしがない高卒のプータローだ。決して頭は良くない。良くないんだけど、その大して中身の詰まっていない脳みそが物凄い勢いでフル回転していた。
 お互い・・・全裸になって服を全部交換・・・?だって・・・?
 まあ、確かにそうするしかないだろう。それこそセーラー服とブレザー、とかエレベーターガールの制服とスチュワーデスの制服、というのなら下着は共通でも問題無いかも知れない。
 だが、今回は一方の衣装が特殊過ぎる。
 恐らく今自分が身に付けているブラジャーもスリップも役に立たないだろう。あの真横にピン!と広がったバレリーナのチュチュには・・・。
 大きく露出した細い肩にはみ出したブラジャーの肩紐・・・実に格好悪い



077(2002.11.24.)
 
だから全部脱ぐしかない。脱ぐしかないんだけど・・・
 大野は想像した。自分があの可憐なバレリーナの衣装を身に付けている姿を・・・
 駄目だ。
 どうしても男の頃の自分の姿しかイメージ出来ない。
 無理も無い。今のこの姿になったのはものの2〜3日前なのだ。自分の今の姿・・・二十代前半の若いショートカットの痩せぎすの女・・・も見たことはある。鏡越しにほんの数分だが。
 あの姿をバレリーナにして・・・
 背筋がゾクッとした。
 こんな感情・・・抱いていいんだろうか?
 限りない逡巡と罪悪感が渦を巻いていた。確かに今の自分は肉体的には女だ。しかし、だからと言って欲望に身を任せてしまっていいのだろうか?
 欲望に身を任せると言ったって、ちょいと変わった女のものの衣装を身に付けようというだけの話だ。変態セックス三昧という訳でも何でも無い。
 その瞬間、大野の頭の中に恐ろしいイメージが沸き起こってきた。



078(2002.11.25.)
 
もしも・・・もしもこの生活がある程度続き、それこそ女の肉体にも慣れてきたその時に男に戻ったりしたら・・・。
 そうなのだ。今の自分は、白鳥さんにそそのかされる様な形で女の肉体に強制的に慣れる行程を次々に踏んでいる。いや、踏まされている。
 どうして“男に戻る”方策を模索しないのか。
 どう考えてもそっちの方が先だし、優先すべきことなんじゃないのか?
 そうだ、もしもこの旅を自分1人で続けていたとしたら・・・。きっと未だに慣れない肉体を前に風呂に入るの入らないのという次元で逡巡していたのでは無いか?
 いや違う。きっと「ある一線」まで越えていた。きっと。
 そうだ・・・自分の部屋で結局半裸で寝る以上のことが出来なかった最大の理由は、隣に白鳥さんたちがいたからだ。

079(2002.11.26.)
 もしもその・・・自慰までやっちゃったとしたら・・・どんな顔で翌朝対面しろというのか。
 そうだ。そうだったんだよ。
 そういえば・・・。
 同じことを反射させて考えてみた。
 この・・・白鳥さん・・・。今は清楚なバレリーナの衣装に身を包んだ可憐な踊り子に身をやつしているが、昨日は午前中からカジュアルな服装に変わっていたのだ・・・。
 そ、そういえばあの格好の時に下着ってどうしてたんだろう?
 次から次へと妄想はとめどなく湧き上がってきていた。
 だが、この点だけは看過出来ない疑問だった。少なくとも女若葉マークの大野にとっては。
「白鳥・・・さん」
「はい」
 少し遠い声だった。
 ミニのタイトスカートのお尻の部分に固いチュールがかさかさと当たる。
 背中を向けているらしい。
「あの・・・」


080(2002.11.27.)
「白鳥さん・・・」
「はい?」
「聞いても・・・いいですか?」
「何ですか」
 白鳥の声に先ほどまでのはしゃぐ感じが少し消えていた。
 窓の外の陽気は先ほどと余り変わっていない。完全に真夜中ではない。だが日が昇りきってもいない。カーテンが締め切られ、昇ってきた朝日を拒絶しているかの様だ。
 徹夜明けの様な罪悪感にも似た独特の感情が胸を突き上げる。
「その・・・昨日・・・ですけど」
「昨日?」
「私服・・・っていうのもおかしいけど・・・着てましたよね」
「私服ねえ・・・」
「いやその・・・」
「分かります。分かりますよ。はい。着てました」
 ドキッとした。その声に男性時代のものが滲んだ・・・様な気がしたのだ。
 声質が女性のものなので、その口調から想像するしか無いのだが、それは冷徹なビジネスマン・・・の様に聞こえた。
「その・・・下着は・・・」
 意外な事にここまでスムースに声が出た。