不条理劇場 4.1

「先生の願い」

作・真城 悠

  • この作品は
「不条理劇場4 先生の願い」に寄せられた読者様の意見を元に加筆・訂正されたものです。
  • 水谷秋夫さま、ゴールドアームさま、八重洲さま、原田聖也さま、すなさん、龍雅さま、(投稿順)感謝します。
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 その控え室は異様なムードに包まれていた。

「みんな…落ちついて聞いて欲しい」

 そこにはユニフォームに身を包んだ精悍な若者がずらりと勢ぞろいしていた。

「先生が…」

 

 

 公立TS高校のサッカー部はまさしく弱小部だった。その「一応作りました」という程度の部には緊張感などかけらも無かった。しかもこの狭い地域で「進学校」とされている高校に所属していたこともあって、学校からも地域からも援助は無い。何かと手厚い野球部などに比べればその扱いは雲泥の差であった。

 サッカーに熱意を燃やす青木にはそれが不満だった。そうそう裕福な家庭に育った訳でもない彼は家計も考えて公立校を選んだのだ。私立に行ってサッカーに賭ける道は選べなかった。

 そこに待っていたのは絶望だった。

 噂には聞いていたものの、ここまで酷いとは思わなかった。

 真面目に練習する意思のある者など皆無。いても実力も伴わず、惨憺たる有様であった。しかも公立の悲しさで世間的に言う「不良」も多く、荒れていた。

 そんな中、一年生として入部した青木の孤軍奮闘は筆舌に尽くしがたい。暴力沙汰も経験した。

 事態が一変する。山川先生が転任して来たのだ。

 高齢で病気がちの先生だったが、情熱は青木すらも上回るほどだった。不良たちを叩きのめし、抜本的に部の改革を推し進めてくれたのだ。

 度重なる暴力沙汰に立ち向かい、公式大会に出場出来るまでの道のりはドラマにしてもおかしくないほど苦難の連続であった。

 それまでバラバラだった部員の心を一つにする事件が起きる。山川先生の入院である。これを機に全員が奮起する。そして勝ちを重ねるごとに連帯感は深まり、結果として破竹の連勝を重ねた。

 青木はもう3年生になっていた。すっかりイメージの変わった部は、朱美という待望の女子マネージャーも獲得し、益々勢いにのってくる。現金なもので成績が付いてきた途端に学校の対応も変わる。それまで荒れていた生徒も、存在を認めてもらえる快感に打ち震えていた。

 そんな中、山川先生の病状は更に悪化し、死線をさ迷うまでになってしまった。だが、皮肉なことに部の結束は山川先生の病状と反比例した。

 「奇跡」といって言い勝ちを積み重ね、この日遂に彼らは辿りついたのである。

 

 

 その知らせを持ってきたのは教頭だった。最後までこの部に理解を拒否する…かの様に見えたが、今では山川先生に次ぐ理解者となった男である。

「みんなも…噂は聞いていると…思う」

 明らかに教頭は顔色を失っていた。その対応を見るまでも無く予想は付いていた。誰一人として言葉は無い。

「もう…会場に広がっている。無用の混乱を避けるためにも、先にお前達だけにもと思ってな」

 よく気丈に話せた。立派なものである。

 ギリギリの人数、11人と紅一点のマネージャーが押し込められた控え室に重苦しいムードが漂う。

「早く言えよ」

 荒っぽい口調で網野が促す。最も反抗的だった生徒の一人である。

「ついさっき、山川先生が亡くなった」

 部屋の中には、十一人とマネージャーが勢ぞろいしていた。

 キャプテン、三年の青木雄一。

 同じく三年の網野陽介。いわゆる「不良」で、青木とは最も強く対立していた一人である。しかし、山川先生の粘り強い説得の末、真面目に取り組む気になった。髪を茶色に染めている勢力としては、部に残った最後の一人である。

 大木 轟はいかつい大男である。これでも二年生。

 一見二枚目でキザな優男に見えるのが伊集院俊。二年生。

 一年生の岡田准二はいわゆる「おたく」である。

 そして常に目元が緩んでいる様に見えるのがエロ本大好きの吉田大輔。一年生。

 見るからにたくましい西野宏は二年生。元・空手部だったのだが、理由あって飛び出したところを拝み倒して戦力に加わってもらったのだ。

 堀内 彰は、青木以外では最もまともなサッカー選手であろう。入学時点からサッカー馬鹿。うちのエースストライカーである。二年生。

 河村琢也は実に地味な存在。しかし、堅実な仕事をしてくれる。二年生。

 噂の田中 涼がいる。

 一見すると美少女にしか見えないが、れっきとした男である。その華奢な体躯は思わず「守ってあげたい」と男にすら思わせるものがある。学校内でサッカー部が注目されるのも、伊集院と田中目当ての女子生徒が大勢押しかけるからだ、という冗談もあったほどだ。一年生。

 そしてキーパーの大門弘美。

 名前は可愛いが、実に恰幅がいい。大木が背の高い「大男」だとするなら、こちらは・・・はっきり言えば「デブ」である。それでいてジョン・ベルーシを思わせる俊敏な動きに相手攻撃陣は面食らうことになる。勿論、ボールを止めるのに、その体表面積も多少は貢献しているであろう。

 そして紅一点、女子マネージャーの浜野朱美。

 震える声で色紙を読み上げる朱美。

「今日は・・・お前らの「晴れ姿」を見せつける日だ」

 声が詰まった。

 

 

 観客席に広がる動揺。

「なんかさあ、死んだってよ。あっちの監督」

「ホントか?」

 

 

「先生!山川先生が亡くなったって本当なんですか?」

 詰め寄られてしどろもどろになっている若い教師。

「い、いやその・・・まだ良く分からないんだ」

 

 

「・・・俺に出来ることは言葉を託してやることだけだ。もうTVを観る気力も無い」

 苦虫を噛み潰した様な表情の網野。

「お前たちの“夢”を実現しろ」

 大男の大木は、いつもの通り、無表情に立ち尽くしている。

「この試合が全てじゃ無い。この試合が終われば、またお前たちには将来が待っている」

 エロ本好きの吉田、おたくの岡田、そして地味な河村の神妙な面持ち。

「この試合もいい。しかし、試合前の今こそ、その後の、将来のことについて思いを馳せるんだ」

 常に斜に構えている様なところのある伊集院は目をつぶって聞いている。

「それがお前たちの“夢”だ」

 真剣な表情の大門、田中。

「今日、「晴れ姿」になれ」

 

 

 決勝のピッチに公立TS高校の生徒が勢揃いした。涙はもう拭いている。それどころか、燃えるような情熱が汗すらも乾かしてしまいそうである。

 

 

 色紙を抱きしめた朱美と教頭がグラウンドを見つめている。その二人のみならず、事情を知る全員が「先生の願いを現実のものにして欲しい」と思っていた。

 朱美と青木の仲は最早公然の秘密だった。

 赤い目の朱美は遠くに見える青木を見つめ、拳を握り締める。

「浜名。今何を考えている?」

 教頭が声を掛けて来た。

「…」

 朱美はとっさに何も答えられなかった。

「遠慮することは無い。“自分の”将来の「晴れ姿」を思い浮かべればいい」

「…はい」

 朱美は色紙を抱きしめ、とある想像にふけった。一瞬そのイメージにうっとりするも、すぐに思いなおしてグラウンドに向き直る。

 

 

 青木は考えていた。「晴れ姿」か…。

 少し背後を振り返る。みんな同じようなことを考えているだろうな。

 審判が笛を吹く。相手のキックオフで試合がスタートだ!

 …駆け出そうとした青木だったが、何やら身体に違和感を感じる。構わずボールに向かって走り始め…ることが出来ない。看過できない異常が全身を襲いつつあった。

「…???…っ!!」

 信じられなかった。しかし、視覚に入ってくる情報だけではない。その胸に感じられる「重さ」は間違い無くそれが現実であることを告げていた。

 胸が…自分の胸がむくむくと膨らみ始めていたのだ!

「…え?」

 思わず声をあげる頃には自分の胸に発生した突然の乳房はその大きさを確定させていた。

 変化は止まらない。

 下腹部からは男のシンボルが徐々に縮小する感覚が襲う。肩幅がせばまり、ウェストが引き締まって行く…。

「な、何だぁ!?」

 そう言っている間にもヒップは大きく張り出したばかりか、その露出した脚は美しい脚線美を形成し始める。

「あ…あ…」

 

 

「おいおい!何してんだ!」

「何か様子がおかしいぞ」

 一歩も動かない選手達に、応援席も異常を察知する。

 

 

 目の前に差し出したその手がぐぐぐ…と美しい、少女のそれに変化していく…。

「こ、これ…は?」

 全身に感じるゆるゆるになったユニフォームの感覚…。そしてそこに襲いかかるばさり!というロングヘアの重さ。

「ああ!」

 ここに至って事態は明らかだった。

 と、目の前に相手選手が呆然と立ち尽くしている。

「……」

 目を大きく見開き、衝撃の余り一歩も動けない。それはお互い一緒だった。

 みどりなす黒髪をぶわり、と大きくなびかせ、思わず後ろを振りかえる青木。

「……!!」

 

 

 網野陽介は、この中では際立った容姿をしていた。

 言うまでも無くその“茶髪”である。肌の色も浅黒く焼け、逞しくはあるものの、不健康な目の色である。

 数々の軋轢を乗り越え、ここに至った彼は、青木をライバル視していた。小学生時代の純朴なサッカー少年の残骸である彼だが、今日まで自分を押し殺し、チームの為にやってきた。

「見てろよ…」

 小さくつぶやく網野。

 あの山川とは随分やりあったが、今は涙は出ない。敢えて考えない様にしていた。硬派の俺がめそめそしているのは様にならない。

 …それにしてもさっきから感じているこの胸の違和感は何だろう?

「…え?」

 複雑な、胸の奥をくすぐられるような奇妙な感覚と共に、自らの胸がツンと上向きの美しい乳房を形成していくのを見ているしか無い網野。

「な、何だこりゃあぁ!?」

 そうこうするうちにもきゅううっと引き締まるウェスト、盛り上がるヒップ。

 何が起こっているのか分からない網野。

 

 

 青木の身体の変化は待って呉れない。

 ユニフォームの中の乳房を何かがぎゅっと押さえ付ける。

「あっ…」

 初めての感触に思わず声を出してしまう青木。

 原色のユニフォームは純白へと変わって行く。のみならずその生地は猛烈な勢いで全身へと広がって行くではないか。

「一体……何が…」

 胸元が大きく開いたまま腕全体が純白の生地に侵食される。その肩の部分はかぼちゃブルマの様に膨らむ。

「起こったん…だ?」

 目の前に翳した手は、その指先に至るまで純白に染まる。

 スパイクの厚みが薄れ、踵の下ばかりに何かが出現し、押し上げてくる。つま先のとがったシューズである。

 無駄毛一つ無いその脚をストッキングが包み込んで行く。ストッキングはももの部分で止まり、腰に出現した止め具にぶら下がる。

「あ…あ…」

 半ズボンが猛烈な勢いで八方に広がる。大きく膨らんだそれは直径1メートル以上の広さに広がり、それは上半身を包む生地と同じ美しい刺繍に彩られて行く。それは誰が見てもスカートだった。そのすそは大きく広がり、背後に2メートルは引きずった。

「そん…な…」

 胸の谷間が見えそうになるほど大きく開いた胸元に真珠のネックレスが出現する。

「い…いや…」

 耳たぶにも真珠のピアスが刺さる。

「何なんだよ…これは…」

 青木は驚いた。その声は自分の物とは信じられない、澄んだ甲高い声だったのだ。

 長い髪がアップに纏められ、美しいうなじが空気にさらされる。その愛くるしい顔には、清楚なナチュラルメイクが施されて行く…。

「これって…ウェディング…」

 思わず身体を動かす青木。しゅるる…という心地よい衣擦れの音がピアス付きの耳に飛びこんで来る。

 その時、ふわっと目の前に何かが覆い被さる。

「…ドレス…!?」

 それはウェディングヴェールだった。身体を動かしたその感触は、間違い無く大きく重いスカートを引きずるものだった。

 気が付くとその手には花をあしらったウェディングヴーケが握られている。

「まさ…か…」

 間違い無かった。青木は純白のウェディングドレスに身を包んだ美しい花嫁になってしまったのだ!

「……あ…ああああ…あ…」

 

 

 目に飛びこんで来るドレスのスカートのつやつやの光沢…。全身を包む男物ではあまり感じない束縛された感触…。もう間違い無かった。

 俺は、今ウェディングドレスを着ているんだ!網野は総毛立った。

 イヤリングをちりちりと鳴らし、ウェディングヴェールをなびかせて周囲を見まわす。つるつるのドレスのあちこちがこすれ合い、衣擦れのしゅるるるる…という音が奏でられる。ドレス独特の香り…自らに施された化粧品の匂いが鼻をつく。

 間違い無い。今、俺はグラウンドにいる。

 沸きあがる羞恥に血の気が下がって行く。かあっと耳まで赤くなる花嫁。

 は、恥ずかしい…。

 硬派で鳴らしたこの俺が、どうして聴衆のど真ん中でこんな恥ずかしい格好をさせられなきゃならないんだ…。

 自分の身体を見下ろし、純白の手袋…それもウェディングヴーケを持っていない方の手でスカートを鷲掴みにし、振りまわす。

 …現実だ。そんな…そんな馬鹿な!こんなことってあるか!

「…可憐だ…」

 はっ!と顔を上げる花嫁となった網野。

 ウェディングヴェール越しに対戦相手の一人が見える。何時の間にかタキシードなんか着込んですっかり花婿気分である。

「…なんだテメエ…!!」

 凄んでみたものの、その声は言われた通りの“可憐な”ものだった。猛烈な違和感の前に言葉を失う。

 構わず近寄ってくる男に拳を振り上げる網野。

「好きなんだ!」

「わああああっ!」

 ヴーケを投げつけるもそれは虚しく外れて虚空を舞う。右手のパンチをかいくぐって抱きしめられる網野。

「この…変態野郎!…は、放せええっ!」

 ドレスのスカートを踏みつけている相手から距離を取ることが出来ない。そもそも絡みつく腕を引き剥がすことが出来ないのである。

 く…畜生…まさか…力まで女並に弱くなっちまった…のか?

「好きだ…愛してる」

 ますます腕に力を込める男。

「止めろ!…俺は…男…」

 喧嘩で無敵だった俺が…女になった上、ウェディングドレスまで着せられて…男に抱きしめられているなんて…

 男の掌が蜂の様に細い腰を周り、露出した背中を撫でまわす。

「あっ…いや…や、やめ…」

 ウェディングヴェールがめくり上げられる。この…腰を抱きしめられている…感触…。

 こんな…こんな姿を…青木や朱美はもとより、こんな大勢に見られて…いる…なんて…。

「あああっ!」

 華奢な身体をひねって迫り来る口から逃れようとする熟れた小さなサクランボウ。

 

 

「…」

 大木はいつもの様に無口だった。

 違っていたのは、自らの身体がすらりと伸びたスレンダーな美女のそれになり、そこにマーメイドタイプのウェディングドレスが着せられていることだった。

「…」

 それまでの節くれだったゴツイそれとはかけ離れたすらりと伸びた白魚の様な美しい手で慣れない身体を触る大木。切れ長の美しい瞳をぱちぱちと瞬かせる。

「…」

 身体をひねって自分のお尻を見る。背中まで伸びたつややかな黒髪が流れる。

「あの…」

 振り返るとそこには花婿がいる。

「綺麗…ですね」

 頭一つも背の低い花婿が歩み寄ってくる。

「…」

 見下ろしている花嫁。

 

 

「…これ…は?」

 伊集院俊は言葉を失っていた。

 そこには純白のウェディングドレスに身を包んだ美しい花嫁がいた。…問題はそれが「主観視点」で感じられることだった。

 自分の手を見る。すべすべの光沢はストレッチサテンのウェディンググローブ…それに握られているのはウェディングヴーケ…。

「えええええっ!?」

 動いた瞬間、胸を締め付けるブラジャー、脚を包み込むざらざらのストッキング、つんのめる様なウェディングシューズ、腰から重く垂れ下がる重い重いドレスのスカートの感触がそれぞれ襲ってくる。

「あ…あ…」

 耳たぶの先に感じられるイヤリングの重さ、ぱちぱちと瞬きをする度に感じられる付けまつ毛、大きく…少なくともこれまでの男としての体験としては…大きく開いた胸元に露出した肌に直接触れる真珠のネックレスのころころとした感触、その先の豊かな乳房の膨らみ…。

 何度も何度も身体を少しずつ動かす。その度に衣擦れの音が耳をくすぐる。ああ…僕は今、ドレスを着ているんだ…。

 突然の不可思議な運命に、胸の奥から言いようの無い不安と絶望が噴き上がる。

 …と、同時にこれまた形容しようの無い喜悦が沸きあがってくる。

 美しい…。

 なんて…なんて綺麗なんだろう…僕は…。

 思わず身体の前に、ヴーケを小さく手を縮める。いかにも花嫁然としたその仕草にゾクゾクっとする伊集院。

 ああ、みんなに見られてる…みんなに…。

 どこで憶えたのか、スカートの真後ろの部分を掴み、ぐるりと1回転する。衣擦れの音で昇天してしまいそうだ…。

 目の前でその様子を呆然と見ている花婿。

 

 

「な…」

 岡田准二もまた、身の上に降りかかってきた突然の女性化&花嫁化に驚愕していた。

 これ…は?

 岡田もまた自らの身体を丹念に触る。

「あ…あああ…あ」

 間違い無かった。身体が女性になっているばかりで無く、ウェディングドレスまで着せられている…。

 こんな無茶な話は聞いた事が無いぞ!

 現実離れも甚だしいこの非常識な事態に、気は動転している筈なのだが、頭のどこかに冷静な自分がいる。

 これって…脱いだ後も女のままってことだよな…。このドレスどうすんだろう、うちなんて狭いから置き場所なんか無いし…ってちがーう!

 違う違う!そんなことを考えている場合じゃない。でもユニフォームはどこかにいっちまったから注文し直さないと…いあ、どっちにしても今日が最後の試合だからもういらないのか…いや、3年は卒業かも知れないけど俺達にはまだ将来が…いや、そうじゃなくて!

 妙な気分だった。

 とても考えられない異常事態なのにパニックになれない。これまでのオタク経験から、こういう状態に置かれた漫画やアニメの登場人物はひどく取り乱したり叫んだりするのだが、「泣き叫んでも事態は変わらないしな」などと考えてしまう。

 目下のテーマはこのスカートだった。このまま歩いたのではスカートに泥がついてしまう。上手く持ち上げて歩かないと…

 きっと俺は数時間後にはパニックになっているかも知れない。問題を脳が必死に先送りしているのだ…きっとそうだ。これも「脳内麻薬」とか言う脳の本能的な防衛作用なんだ…

 徐々に背中が冷たくなってくる感覚と闘いながら岡田はスカートを持ち上げる練習を始めた。その手はぶるぶると震え始めていた。

 

 

「…」

 エロ本好きと言われる吉田大輔はすべすべの手袋越しに、美しい刺繍の刻まれた純白のドレスに包まれた自らの乳房を触っていた。

「…」

 これが…これが本物のおっぱいか…。柔らかい…。

 少し指先に力を入れるとお互いにすべすべの生地に包まれているせいであろうか、しゅるりとすべる。それを何度も何度も繰り返した。

 視界を埋め尽くす白尽くめの映像が目に痛い。

 掴み方は指先から、掌になった。掴むのではなく、掌底で乳房を押しつぶす様にする。

 ああ…これが・・これがおっぱいに触られている感触か…。でも…

 ごくりと唾を飲みこむ吉田。

 やっぱ、“乳首”に触らないと…。いや…でもこれはちょっと楽しみに取っておきたい気もするし…。あそこ…あそこはどうなってるのかな…。

 吉田は下半身に目を向けた。

 そこには分厚いスカートが立ちふさがっていた。

 

 

 西野宏の感じている身体の違和感は尋常なものでは無かった。

 空手で鍛え上げた厚い胸板、筋骨隆々とした丸太の様な腕、亀の甲羅の様に浮き出ていた腹筋…それらはツンと上を向いた美しい乳房、柔らかな皮下脂肪に包まれた細い腕、そしてきゅうっと引き締まった細いウェストへと変わっていた。

 身体の体積が半減したかの様な感覚と共に、身体を包み込む束縛もまた、これまでに体験したことのないものだった。

「……ん?」

 それは…西野の知識によれば…考えられなかった。考えられなかったが、単純な事実として、目の前に展開されているそれは…ウェディング・ドレスだった。

 なんだこりゃ?…けっ…下らん。

 ウェディングヴェールに視界が遮られ、分厚いスカートによって動きが制限されるのも厭わず、西野は走り始めた。

 が、スカートを踏んでしまい、思わずよろける。

「…とと」

 西野はウェディングヴーケを放り出すと、上半身をかがめて両手で大きくスカートを抱きかかえた。そのまま“お嫁さん走り”を始める。靴は脱がなかった。裸足よりはマシだ。

 その視線はボールを追っていた。

 

 

 堀内 彰は動転していた。それはそうだ。一瞬にして自らの身体が性転換してしまったのみならず、原色のユニフォームは純白のウェディングドレスになってしまったのだ!

「ああ…あああ…」

 必死に自らの身体を確かめる堀内。しかし、目の前には波打つ様な純白のドレスが広がっているのみだ。

「あああああああああ〜っ!!!」

 何やら奇声をあげながら死に物狂いで全身をまさぐる花嫁。胸を揉みしだき、かきむしる。分厚いスカートすらまくりあげ、ガーターベルトが露出するのも構わず、下着の下を探索する。

 そして絶叫。

 俺は…俺は一体どうなってしまったんだ!?どうして身体が女になってるんだ!?しかも…こんなドレスまで着せられて!!

 俺はこれから一体どうなるんだ!?サッカー選手になるという夢は!?これから…一生…女として生きていかなくてはならないのか!?

 堀内はそのまま矢も盾もとりあえず走り出した。髪を振り乱し、ヴーケも放り出している。しかし、ウェディングドレスでまともに走れるはずもない。すぐに自らのスカートに躓いて転んでしまう。

 泥だらけになりながら起き上がり、なお走り出そうとして転ぶ。壮大なスカートが全身に絡みつき、その場で転げまわることしか出来ない。

 何事かを叫びながら半狂乱になって服を引き千切り、なおもどこかに向けて逃げ出そうとするのだった…。

 

 

 河村琢也がその異常を認識したのは僅かな時間だった。

 むくむくと性転換していく自らの身体…そして純白のドレスに包まれてゆく。

 自らが完全に“花嫁”と化した…であろう瞬間に、意識を失った。

 

 

 大門弘美は、体型的にそれほど変わらなかった。太くぽっちゃりとした“お嫁さん”だった。

 その場にぺたん、と座り込んでしまう大門。

 四方に広がるスカートの海…。その真ん中に、浮いている上半身こそが今の自分だった。目の前に握られている花をあしらったウェディングヴーケとともに、化粧品の香りと共にグラウンドの土の匂いが鼻をつく。見上げる空と人の声…それは圧倒的リアリティを持って、目の前の出来事が現実であると告げていた。

 

 

 田中 涼は可愛かった。

 いや、元々可愛らしかったのだが、くりくりっとしたその瞳に透き通る様な白い肌を純白のウェディングドレスに押しこめている現在、その可愛らしさは犯罪すれすれであった。

「何…これ?」

 その大きな目をぱちくりさせ、その身を包む美しいドレスを見下ろす。折れそうなその細い手でスカートをかき分ける。しゅるるるるっというその優しい音。

「そんな…」

 しかし、そうした確認作業などするまでも無かった。全ての変化が終わり、目の前にウェディングヴェールが下りてきた時には全身を包むその感覚は間違い無く女性のものだったからだ。

「どうして…?」

 と、目の前に誰かがいるのに気がつく。

「なんて…可愛いんだ…」

 それは相手のチームの選手だった。それも花婿衣装に身を包んでいる。

「あ…その」

「君を…幸せにして見せる」

「きゃっ!」

 あっと言う間に抱き上げられる田中。

 両膝と脇の下を抱えられる、いわゆる“お姫様だっこ”である。

 かああっと真っ赤になる田中。

「あ…」

 僕は…僕は今…お嫁さんとして抱きしめられているんだ…

 

 

「そんな…これが…晴れ…すが…た?」

 色紙を取り落とす朱美。

 

 

「美しい…」

 その声にヴェールをなびかせて思わず振りかえる青木。踵の高いウェディングシューズが扱いにくく、ドレスのスカートがねじれる。

「…!!」

 そこにはさっきの相手選手がいた。いや、そこにいたのはタキシードで決めた花婿だったのだ!

「あ・・いや…これは…その…」

 あとずさる青木。いや、余りに動きにくいその格好に必死にスカートを持ち上げようとする。しゅるるるるっさらららららっというを奏でる純白のドレス。

「結婚して…下さい」

 こちらに近付いてくる花婿。

「いや…や、やめ…」

 恐怖にかられ、ドレスのスカートを抱えて走り出す花嫁。

「待って!待ってくださああい!」

「いやあああっ!!助けてぇえええ!!」