不条理劇場 5

「マジック・ショウ」

作・真城 悠

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「はい、いかがですか?皆さん?」

 手品師は落ち着き払った口調で言った。

「皆さんは、これから、身体の力が抜けて行きます。どんどん、どんどん抜けてくる…」

 牧は冷めた目でその手品師の口上を聞いていた。

 最近流行りの「集団催眠術師」である。100人からの人間を一度に操り、奇態を演じさせたり…という奴だ。ためにテレビで見かけるが、どうにも信用ならない。そんな馬鹿なことがあるだろうか?

 勿論「催眠術」そのものの存在は否定しない。しかし、ああも大勢の人間を一言喋っただけで操れるのか?いかがわしい「気功術」とやらで大袈裟に吹っ飛んでいる見世物と大差ないのではないか。

 「だったら来るな」という感じだろうが、最初は「マジック・ショウ」だと聞かされていたのだ。途中から何やら趣向が変わってきた。

 「手品」というのは罪の無い見世物である。送り手も受け手も「種も仕掛けもある」ことなど分かっているのだ。その上で敢えて騙されることを楽しみにしてくる。ここは想像力の闘いである。

 確かに楽しませてもらった。手品の見事さにではない、術者の話術にである。なるほどこれは一つの手だろう。

 ところが「催眠術」が始まってしまった。何だか拍子抜けである。生憎と牧は「催眠術にかかりたい」方ではない。現に今も掛かっていない。

「はいっ!そこで皆さん、手を上げてみて下さい。上げられないはずです」

 会場のあちこちから悲鳴にも似た嬌声が響く中、牧は悠々と挙手する。少し顔を回すと、何人もの客が同じく手を挙げている。やれやれ、これじゃ先が思いやられるな、と苦笑が浮かんだ。

「おやおや、結構いらっしゃいますね」

 余裕の表情の手品師。

「はい、それではそこのあなた」

 指名されてしまった。

「こちらに出てきて下さい」

 戸惑っていると、また別の人間を指名する。…これはひょっとしてわざとか?手品師が最初に間違えて、失敗したかの様に見せておいてからちょっとしたトリックを披露する、というありがちなテクニック。

 …考え過ぎか…ともあれ、受けて立ってやろうじゃないか。

 会場の前のほうに出て行く牧。同じく二人のスーツ姿の男が連れ出される。

「では座ってください」

 ご丁寧にも椅子が用意されている。

 つかつかと三人の前を行き来し始める手品師。

「さて…ここに集まって頂いた方は、先ほど掛からなかった人達です」

 聴衆が固唾を飲んで見守る中、手品師の講釈は続く。

「…と、普通の手品師なら言うでしょう」

 にやり、とする手品師。

 なるほど、相変わらず話術は上手い。こういう思いあがった人間は好きだ。

「ここに出てきていただいた方は、純粋に無作為に選ばれました。先ほどの術に掛からなかったから選ばれたのではありません」

 ほう、言うじゃないか。

「特に“信じていない”方々に出てきて頂いたに過ぎません。理由?それは反応をすぐに伺うことが出来るからです。例えばそこのあなた」

 マイクが突き出される。

「自分の目で見たものなら信じますか?」

 牧は少し考えた。が、答える。

「信じますね」

「それでは、自分の目で見たものしか信じないと」

「…はい」

 肩をすくめる手品師。予想通り、と言ったところか。

「こちらにいらっしゃる方々はその代表に過ぎません。これからまたこの会場にいらっしゃる全員に催眠術を掛けさせていただきます」

 その瞬間、牧は何やら寒気を感じた。…まさか、今の術がかからなかったことすらこいつに操られていると?…いや、馬鹿な。考えられない。しかし、こういったことを何一つ信じないこの自分がここまでのめりこまされているという点一つを取ってみても既にこいつの術は発揮されているのでは無いか?…いや、こうして考えている思考自体がこいつに操られたそれでないという保証はどこにあるというのか。

「はい、そこのあなた」

 少し逞しい感じの青年が前に出される。

「よろしいですか皆さん。これから彼の身に異変が起こります」

 会場からは息をする音すらしない。

「皆さんは一斉にそのイメージを見ることになります」

 丹念に客の表情を眺め回す手品師。

「お分かりですね。皆さん。たった一人にあるイメージを見せることは簡単です。言うまでも無く“イメージ”というのはそれぞれの頭の中に、これまで体験してきた“記憶”を、“映像の記憶”をリンクさせるという現象です」

 不安そうな青年。

「ですから、例えば言葉は同一でも、頭の中に描くイメージは微妙に異なります。一概に“ヌードの女性”と言っても、ある人はふくよかな女性のそれを想像するかもしれないし、またある人は…そうでもない想像をするでしょう」

 笑い声こそ起きないが、少し会場の空気が弛緩する。

「しかし、私の催眠術は違います。イメージは“絶対”なのです」

 おいおい、オカルトか?

「全ての方は全く同じ映像を見ることになります」

「…」

「それだけでなく、それぞれの角度で、見える映像が違います」

 つまり、単一の映像イメージを送りこんでいる訳はでは無いってことか。

「論より証拠。早速実践してみましょう」

 パチン!と指を鳴らす手品師。

「これからこの男性は女性になります」

 …何だって?

「変わっていきます。見る見るうちに変わっていきます」

 思わず青年を注視する。

「…!?」

「はい、どんどんどんどん変わっていきます。まずは胸が大きくなります」 

「…あ…あああ…」

 …?これは一体どういうことだ?

「いいですね。大きさとしては申し分ありません。多分Dカップ位はあるでしょう」

 会場に小さくどよめきが広がる。

「しかし、乳房というのはただ大きいだけではいけません。形が整ってないと…という訳でツンと上を向いた形のいいものにしましょう。折角ですから」

 ぐぐぐ…と手品師が言った通りに青年の胸が盛り上がって行く。

「あ…あ…ん」

 青年は何やら感じているようだ。妙だな…こういうのは本人には何の自覚症状も無く、見ている側だけで感じるものなのではないのか?

 しかし、こんなのはトリックでい幾らでも可能だ。胸の中にリモコンで膨らむ風船を仕込んでおけばいいだけのこと。騙されやせんぞ。

「いいですね。それではお尻も大きくしましょうか」

 言うが早いが青年のお尻がむくむくと…それこそ女性の様な形のいいヒップに変わって行く。

「そ、…そん…な」

 大きなお尻とふくよかな乳房をつなぐウェストが細くなり、女性的な体型が露になる。

「ふむ…女性には不用だからね。これも無くす…と」

「あっ!」

 そういって下腹部を抑える青年。彼の身に何が起きたのかは明白だった。

「私は女性は髪が長い方が魅力的だと思っておりましてね…」

 さあ〜っとつややかなロングヘアが伸びる。

 会場のあちこちから小さな悲鳴が上がる。

 …これは凄い。とても単なる仕掛けではここまで出来ない。まさか…本当にこのおっさんは集団催眠術が使えるというのか?

 しかし、目の前には確かにそれが見えている。その青年は、完全に女性へと変貌を遂げていた。目をこすっても、頭を振っても見えている映像は変わらない。

「そうですね…折角美しい女性になられたのですから、衣装も女性のものになっていただきましょうか」

「そ、そんな…止めてください!」

 戸惑ったその表情。そしてその声はまさしく本物の女性のそれだった。

 牧は必死に記憶を探った。

 これは「入れ替わり」では無いのか?会場のどこかに潜んでいたあの手品師の助手の女性が巧みに入れ替わったのでは?…いや、確かに目の前で段段と女性へと性転換している。それは無い。どうなっているんだ?

 しかも、これだけの人数に一斉に同じ幻影を見せている。予備催眠の機会こそあったものの一体どうやって?

「そうですね…こんなのでどうでしょうか?」

 見る見る青年…だった女性の着ている服が紅く染まって行く。

 袖が短くなり、その表面に唐草模様の様な刺繍が刻まれて行く。

「あ…ああ…」

 ズボンが一体化し、膝下にまで縮んでくる。

「やはりスリットは高くなければ…」

 さく〜っと切れあがるスリット。そこから美しい脚線美が覗く。

「きゃっ!」

 何時の間にか革靴はハイヒールになっている。その手には大きな扇が握られている。

 その整った顔に少し濃ゆめのメイクが乗って行く。髪はだんご状態に結ばれている。

 青年はあっという間にチャイナドレス姿の美女と化してしまったのだ!

 不思議そうな様子で自分の変わり果てた身体を見つめている元・青年。

 会場はどよめきが止まらない。

 …考えられない。どうなっているんだ?こんな幻覚ってありなのか?

「さあ、それでは席にお戻り下さい」

「はあ…」

 その…元青年は私の隣に座る様促された。

 すう…とお尻に手を当てて着せられたばかり…であろうスカートを撫でつけて座る。その仕草は実に自然である。まるで生まれながらの女性であったかの様だ。ふわり、と起こされた風がこちらに爽やかな芳香を運んでくる。

 これは…本物?

 まさか、幻覚では無くて彼は本当に性転換させられたと言うのか!?

 いや…まさか…そんな馬鹿なことがあるわけが…。

「おい!」

 その時だった、会場の後ろからスタッフとおぼしき人物が飛んできた。

「馬鹿野郎!何をやってるんだ!」

 …何だ?

「これは催眠術ショーだろうが!」

「ええ。そうですけど…」

「だったら催眠術見せとけばいいだろうが!」

 牧は勿論、観客の誰一人として事態を把握出来ない。

「本当に性転換してどうするんだよ!」

「あっ!!」

 手品師は「しまった!」という風に言った。

「気が付かなかった」