「華代ちゃんシリーズ」29


「子供の日」その後 第1回
作・真城 悠

*「華代ちゃんシリーズ・番外編」の詳細についてはhttp://www.geocities.co.jp/Playtown/7073/kayo_chan02.html を参照して下さい

*本作は「華代ちゃんシリーズ28「子供の日」」の「後日談」となりますので、是非そちらを先に読まれてください。

 また、「能天気な娯楽作」を目指していた同シリーズにあって、敢えて後味が悪くなる描写をする可能性がありますので、ご了承ください。



 ざわ・・・ざわ・・・
 教室内はまだ興奮が覚めやらない様子であった。
 人間、余りに突飛な出来事が起こると“驚く”という段階を超越してしまうのであろうか。
 少年・・・いや、“元・少年”と言うべきか・・・は、ふわりと床に降り立ち、そのまま両手で剥き出しになった両肩をそ、と柔らかく包み込んだ。
 元々吹き出物も無く、きめ細やかだったその肌はうら若き女性となって今も変わらなかった。

 それにしてもなんという華やかな空間なのであろうか。
 成熟した大人の女が放つ独特のオーラが、コスチュームに封印さている。
 白衣の看護婦、紺色のスーツのスチュワーデス、ピンク色の制服のOL、太もももまぶしいテニスウェア、豪奢な衣装のモデル風女、白塗りの舞妓、バスガイドやエレベーターガールと思しき制服、肌も露なレースクイーン、グラビアアイドルなのか水着姿も。ミニスカートの制服姿の女子高生までいる。これが「将来の夢」だったのだろうか。そしてちらほらと混じっている純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁たち。そして白銀のバレリーナ・・・
 決して混在するはずのない多種多様なユニフォームたちが一堂に会していた。

 突然伸びた身長と、その成熟した異性の肉体とのギャップに戸惑い、ありえない出来事が起こった衝撃に絶句している。
 そして“彼女たち”の目の前には、凛々しく成長した“青年たち”がいた。

 バリエーションの豊富さで言えば女性陣にはおうてい及ばないが、パイロットスーツ、迷彩塗装の軍装、医師風の白衣、各種スポーツのユニフォーム、ビキニパンツとリングシューズで固めた筋骨隆々の者などがいる。気の毒な事に典型的な“中年男性”となってしまっている者もいる。胸の議員バッジから推測するに、「政治家」となってしまったのであろう。

 言うまでも無く女性たちは、1人の不思議な力を持つ少女の“善意”によって変身させられた男子小学生たちの変身後の姿であり、男たちは女子小学生たちの末路である。

 鏡が無く、自分よりもまず「他人の」変わり果てた姿が目に飛び込んでくる。
 ある者は絶叫し、ある者は恐怖のあまりその場にへたりこんだ。
 バレリーナはどういう訳かその場で踊り始めていた。

 担任である女教師は変貌劇の冒頭にはもう意識を失って教壇で昏倒していた。

 その時だった。
 余りのことにその場で立ち上がったはいいが、制服姿の面々に囲まれて呆然としているだけだった“女子高生”・・・もちろん中身は小学生の男の子だ・・・が、かき消す様にその場から消えた。
 それに気が付いた余裕のある者は少なかった。皆、自分の身体のことに夢中だったのだ。
 そして・・・1人、また1人と哀れな犠牲者たちは、パソコンの画像を処理するかのように教室内から姿を消していった・・・。






「・・・ねえ!起きなよ!」
 甲高い声が耳に飛び込んできた。
「・・・ん」
 その少女は目を覚ました。
「もう5時間目始まるよ」
 がばっ!とその場に跳ね起きる少女。
「・・・どしたの?」
「・・・あ・・・あ・・・」
 “信じられない”といった風に目の前の風景を眺めている少女。
 少女の目に飛び込んできたのは、同じ制服に身を包んだ少女たちが何十人といる「教室」のビジョンだった。
 ここは・・・ここはどこだ?僕は教室にいたはずなのに・・・それに・・・みんなは?
 制服は漆黒のセーラー服だった。折り目正しい襞(プリーツ)の入ったスカートは膝下十数センチはあるだろうか。
「・・・?あっ!あああああああっ!」
 素っ頓狂な声をあげる少女。
イラスト:夜空さん 吸血美人←夜空さんのサイト

 何だか視界がおかしいと思ってたら・・・な、何だこれはっ!ぼ、僕・・・セーラー服を着てるじゃないか!
 かあっ!と顔が真っ赤になる。
 こんな・・・お姉ちゃんたちが一杯の教室に放り込まれてスカートを履かされるなんて・・・
 従姉妹のおねえちゃんにスカートを履かされそうになって泣いて抵抗した思い出が鮮やかに蘇る。
 バンバン!と全身を触りまくる。
 ・・・ん?
「な、無い!無い!無い!無いいいいいいいいいっ!」
 もう“絶叫”であった。
 反射的にスカートをめくりあげる“少女”。
「ちょ、ちょっと!何やってんのよ!」
 目の前の少女が慌てる。
 多くの“クラスメート”が不快な表情を浮かべているがそれどころでは無かった。
 履いた覚えの無い可愛らしいデザインのパンティを引っ張って中身を確かめる。
 クラスに黄色い悲鳴が響いた。

 だが、当人はそれどころでは無かった。
「わああああーっ!」
 狂騒状態になった少女はそのまま走り出した。
「こ、こら!どこに行くのよ!」
 少女は走った。ただひたすら走った。
 目に入ってくる光景は見渡す限りの漆黒の制服に身を包んだ女子高生の海であった。だが、その少女にその事態を認識する精神的余裕があったかどうかは不明である。
 初めて見るその構造物に何度も足が止まった。
 とにかく彼女・・・いや、もう止めよう・・・ついさっきまで小学生の男の子だったセーラー服ははこの「女子校」の建物からの脱出を図っていた。
 度々立ち止まっては自らが直面したその事態に恐怖し、絶叫した。だが、その叫び声が晴れてもその身体は元に戻る事は無かった。
 走ればひらひらのスカートがつるつるの肌着と共に脚にまとわりついた。
 イライラした。
 落ち着かずに思わずスカートを両足の間に挟み込む。
 せめて何とか履き慣れたズボンにその形状と体感感触を近づけようとしたのだろうが、それは却ってすべすべの女物の下着の感触を無駄毛ひとつないその素足に感じさせるだけだった。
 何度も苦戦した挙句、やっと下駄箱らしい場所に辿り付いた。
 考えるまでも無くどれが自分の靴なのかなんて分からない。
 少女は適当な靴を掴んでその足を押し込むと脱兎の如く校舎の外に向かって走り出した。

 “彼”は現実感を喪失していた。
 どこをどう歩いたのかも記憶に無い。
 その教室から外に出たのも、なんとか「家に帰りたい」と思ったからに他ならない。
 しかし、そこは見知らぬ街だった。
 髪を振り乱し、狂った様にひたすら歩きつづけるセーラー服の少女は目立った。
 だが、触らぬ神に祟りなし。“彼”は「迷子」になっていた。

 気が付くとそこには警官がいた。
 スカートの中身がまる見えになるのも構わず道端に深夜座り込んでいるセーラー服姿の少女がいれば警官としては補導せざるを得ない。
 “彼”は自宅の電話番号を覚えていなかった。あたりがすっかり暗くなってもどうしていいか分からず、もう座り込むしかなかった。
イラスト:夜空さん 吸血美人←夜空さんのサイト

 何か持っている物が無いか、全身を探ってみた。
 “彼”にとっては現在の自らの変わり果てた肉体を自覚せざるを得ないこの作業は恐怖でしかなかった。
 財布は無かった。あったとしてもどう使えばいいのかも分からなかっただろう。ポケット・・・スカートにポケットがついているということを初めて知った・・・にもロクなものは無かった。
 最初のうちはとにかくスカートの感触が気持ち悪く、股の間にスカートの生地を押し込んで“擬似ズボン”としていたのだが、それはつるつるですべすべの肌着の感触をより増幅させるだけだった。
 おっぱいが・・・おっぱいが苦しい・・・これって・・・ぶ、ぶらじゃあ?
 その単語を頭の中に思い浮かべるだけで顔がかあっ!と赤くなった。いや、「スカート」という単語だけでも似たようなものだったのだ。
 でも・・・今僕はお姉ちゃんになっちゃった上に「セーラー服」を着て・・・
 もう何十回目なのか恐怖のあまり絶叫した。
 もう声も枯れて喉に激痛が走っている。
 ふと気が付くと顔を滝の様に涙が流れていた。目尻に溜まった涙はもう馴染んでしまっていた。そう、随分前から絶叫と共に号泣を繰り返していたのだ。
 頭が割れるように痛い。
 泣いたときによく陥る状態である。
 目の前のアスファルトが色んな色に見えた。
 さっきの教室がフラッシュバックする。
 僕は・・・教室にいたんだ。あのお姉ちゃんたちが一杯いた教室じゃなくてみんながいた教室に・・・そして・・・。
 目の前で友達が「お姉ちゃん」に変わり、女物の衣装に変えられていく阿鼻叫喚の地獄絵図が蘇る。
 それらを振り払うかの様に頭をぶんぶんと振る。
 頭皮に鋭い痛みが走った。
 うざったいその長い髪の毛を毟り取ろうと無意識のうちに引っ張りつづけていたのだ。髪の毛の一部は毛根から脱落し、出血していた。

 そこから交番にやってきた経緯は全く記憶に無かった。
 だが、やっと自分の窮状を理解してくれる・・・少なくとも手を差し伸べようとしてくれる・・・人に出会えた嬉しさからまた号泣し、そして身の上を全て話した。
 自分が小学生の男の子であること。いや、“あった”こと。
 全く身に覚えの無いのにセーラー服を着せられて、気が付いたら女子高の教室で寝ていたこと。
 警官は、話し始めてすぐによそよそしい態度になった。
 まともにあいてをしてくれていないのは確実だった。
 しかしそれでも話し続けるしかない。
 生徒手帳も持っていなかった「少女」だが、その制服からすぐに学校を割り出す事に成功した。実際に5時間目が始まってすぐに学校を飛び出したままの生徒がいるという。


 時刻はもう夕方であった。
 女子高生が外を歩くのにはそれほど不自然な時間帯ではない。だが小学生の男の子には未知の時間帯である。
 肉体への違和感へか自傷行為が目立ち、あちこちが裂傷・擦傷にまみれていた。救急車を呼ぶほどではないので、若い巡査が救急箱で治療を試みるのだが、拒絶されていた。
「まあ!ひろ!」
「・・・・・・・・・・・っ!」
「お母さんっ!」
 赤ん坊の様にむしゃぶりつく。
 母子の感動の対面に騒然となる交番内。
 だがしかし、「少年」が抱えている複雑な事情を整然と伝えるのは大変な苦労を要する事になる。
 少年の名前は「小林 宏」と言った。
 何だか役所の文例みたいたありふれた、ありふれすぎた名前である。
 少年が違和感に気が付くに時間はかからなかった。
 会話が再開されてから、その女性・・・見覚えのある母親・・・の口からは「ひろ」という名前が出ていた。
 そして噛み合っている様で噛み合っていないその会話の果てに、「ひろみ」という言葉が出た。

 数日が経過した。
 小林少年・・・いや、今は少女だが・・・は自宅にて静養生活を強いられていた。
 率直に言ってまともな精神状態では無かったのである。
 “彼”は何度も何度も自分の立場を主張し続けた。今日のお昼までは小学生の男の子だったこと。ある瞬間に突然女の子に変わってしまったこと。クラス全員が同様の運命に見舞われたこと。そして気が付いたら女子高の教室で「女子高生」として寝ていたところを起こされた事・・・
 だがそれをきちんと説明できていると思っていたのは当人だけであった。
 この数日間彼が主張できたのは「お母さん!僕だよ!」程度であったのだ。

 母親と出あったことで一時的に落ち着きを取り戻したかに見えた小林少年であったが、それも自宅に帰るまでのことであった。
 自宅に帰り、鏡を見せられてからの狂騒状態は筆舌に尽くしがたい。我を忘れて暴れ狂い、家の中の物をことごとく破壊した。
 少年は女となってしまった自らの肉体を認めることが出来なかった。深刻な自我と肉体の齟齬である。ましてや先ほどまで子供であったのが一気に6〜7年を経た思春期の少女に「成長」までしてしまったのである。
 自傷行為は止まらず、ハサミで全ての頭髪をスポーツ刈り程度までに切り落としてしまっていた。
 入浴など言うに及ばず、服を脱ぐことすら拒絶した。
 他に兄弟のいなかった“彼”は家に唯一存在する父親の衣服を身に付けていた。サイズは全く合っていない。
 セーラー服はもとより、ブラジャー等の女性物の下着はすべて脱ぎ捨てていた。
 身体に取り付いた“余計な物”である乳房をもぎ取ろうと奮闘し、上半身は傷だらけになっていた。
 ・・・ここまでが初日である。

 「少年」の説得は困難を極めた。
 何しろ全く会話が噛み合わないのである。
 両親にとっては「娘」は、昨日とは人が変わったとしか思えなかった。
 自らを「男の子」であると主張し、訳の分からないことを言う事を止めないのだ。
 不条理な思いをしているのは「少年」も同じだった。いや、“彼”こそこの事件の渦中に投げ込まれた最大の被害者に違いなかった。
 家族はそのままだった。
 父も、母もこの「事件」が起こる前と何も変わらなかった。
 だが、自分自身の存在の意味が全て書き換えられてしまっていた。
 自分は生まれたときから女で、十数年を経て女子高生になるまでの人生を送ってきたことになってしまっている。自分は間違いなく小学生の男の子なのに!
 「少年」の味方は誰もいなかった。
 かつて、いやつい数時間前まで「男の子」であったことなど誰も知らない。認識していない。
 こうなったら何でもいいからさっきまでの“世界”の手がかりを求めるしかなかった。
 絶え間なく物を投げつける“娘”から身を隠すように倒したテーブルの陰に隠れている両親に向かって知る限りのクラスメートの名前を連呼し、その存在を知っているかを尋ねた。
 その中には母親同士仲のいい友達もいた。気が付かない筈がない。
 だが、誰一人として母親は知らなかった。
 小林少年・・・今は少女・・・の両肩に一気に疲労がのしかかってきた。目の前が暗くなる。
 そう、彼は姿、肉体を変えられてしまったのみならず、見知らぬ世界へと飛ばされてしまっていたのである。
 いや、それは彼とその周辺の世界に何かの異変があったに過ぎないかもしれない。しかしそれは“異世界”への追放と何ら変わりのない過酷な運命であった。

 ・・・その後数日の記憶は無い。
 しかし、部屋の天井の映像の記憶はやたらにある。
 恐らくずうっと部屋に寝かされていたということなのだろう。
 目の前に見える世界全体に膜がかかったようであった。
 何度も何度もあの教室内の映像がフラッシュバックする。“少年”だったあの日々の・・・
 その度に声を上げて泣いた。
 どうして・・・どうしてこんなことに?・・・一体何がどうしちゃったんだ?

 はからずして自宅での軟禁生活は小林少年の精神的リハビリとなった。
 とにもかくにも食べ、そして出さなくては「生物」としての営みは不可能なのだから。
 恐らくこの数日、いや数週間小林「少年」は世界で最も自分自身の身体を“意識”した人間であっただろう。
 その全てが新鮮だった。
 この表現が適切なものなのかどうかは分からない。
 しかし、手探りで少しづつその扱い方を学習していった。
 初日にはいきなり全力疾走できたが、あれは緊急の事態によってである。やはり急に背が高くなった違和感は相当な物があった。
 「変身」前の身長は140センチ強。今は160センチであった。実に20センチ高くなったのである。それも数ヶ月をかけて徐々に変わっていくのではなく、ある瞬間にいきなりだ。
 部屋の内装物には憶えが無かったが、構造だけは見覚えがあった。それはそうだ、部屋の作りは全く変わらないのだから。
 部屋にテレビが無いこともあったが、“彼”は四六時中自分の身体を眺めながら過ごした。恐らく小学生の男の子は男の自分にもこれだけ自分の身体を観察したことは無いであろう。
 かつての自分の身体はどうだったのか?それを思い出すことは困難だった。
 目の前の変わり果てた肉体と引き比べる事が出来ないからである。

 乳房を攻撃する事はもう止めていた。何より痛いからである。
 自分の肉体への意識の齟齬から逃げ続けた数日間か過ぎ、次には自らの身体を徹底的に観察する段階へと入っていた。
 小林「少年」は上半身裸になり、目の前に重力にしたがって垂れ下がる乳房を延々と眺め続けた。
 その未体験の身体のパーツを、いつまでもいつまでもいじり続けた。思えばこれはその身体を脳の記憶に一致させるリハビリ行為だったのかも知れない。
 当然のことながら、秘部もまたその対象となった。
 これらは平均すれば各部分について数日以上続いた。
 それらが“快感”を喚起する器官にもなりうることを知るのは後年、かなり経ってからのことである。
 この数日間はただひたすらいじり、つねり、引っ張り、もみ、こね、飽かず眺め続けた。

 人望が厚かったのか、女子高生としての“彼女”の元にはひっきりなしに友達が尋ねてきていたが、当然会う事は出来なかった。
 少しずつ日常生活を回復しつつある小林少年・・・いや、小林ひろみだったが、やはり厄介だったのは「下」に関してだった。
 小学校低学年であったとは言え、男として小用を足すことに慣れきっていた彼に、「女として」の小用を足す行為は宇宙旅行よりも困難なことだった。
 本人に聞いてみなくては分からないが、恐らく彼はこの時点で女性の身体の構造についてそれほど詳しくなかったはずである。
 いや、女性にしてからがそうである。彼女たちはただ単に数多く経験を積み重ねてその扱い方に慣れているに過ぎない。多くの一般人が自らの操るパソコンの構造を理解しているとは思えない。
 であるから、自らの下腹部を覗き込む行為を「いやらしいこと」と直結させていたかどうか。
 もしも、人間の男とも女とも全く違う異形の構造に変えられてしまったとしても同じくこうした段階は踏むと考えられる。
 縦に三つ並んだその孔の意味を、・・・1つを除いて・・・経験を通じて知るにはそれだけで丸一日を要した。
 もう自分の裸を見ただけでは驚かなくなっていた。突然の性転換を経てから1ヵ月と経っていない時点でのお話である。

 両親にしてみれば悲劇そのものであった。
 言ってみれば我が子が全く違う記憶を持つというのは、「人格」だけで見れば死んだも同然であるからである。
 「運命の日」以降、この家族の生活は一変した。
 全てはひろみ・・・もとは宏・・・を中心に回らざるを得なかった。
 本人がどうしてもスカートを固持するので、小学生の男の子用の長ズボン等を買い求めるしかなかった。同年代の男の子の服では小柄で華奢なひろみには大きすぎたのである。
 宏は「ひろみ」と呼ばれることも固持した。が、愛称である「ひろ」「ひろちゃん」は受け入れた。受け入れざるを得なかった。
 限りない試行錯誤を繰り返す事で、自分が今置かれている状況が少しずつ飲み込め始めていた。
 自分が「ひろみ」と呼ばれる女子高生であること。両親や友達のこと。
 それらを学び、身に付けていかなくてはどうにもならないことはこの1ヵ月の経験で薄々感づいていた。
 最初の一週間には常に考えていた「どうすれば元に戻れるのか?」「1回寝て目が覚めれば全て夢になるのでは無いか?」といった願望は、次第に打ち砕かれつつあった。
 だが、まだ心のどこかで今の肉体を拒否していた。こうして身の回りの事を学び、現実に対応していく仮定を少し踏み、このままではもう戻れなくなるとばかりにそれを拒否する心理状態を幾度となく繰り返した。
 現実を拒否することで「元に戻る」ことが出来るとでも考えていたのだろう。だが、現実にはそうはならなかった。
 トイレに入り、何も考えることなくごく自然に座って小用を足した瞬間にパニックを起こし、脳裏にあの男の子時代の最後の教室の光景がフラッシュバックして備品を破壊する日々が続いた。

 いざ社会復帰するとなるとそこには問題が山積みだった。
 まず周囲の人間に同じ人生経験を共有する人間が1人もいないのが大問題だった。
 「友人」と称するクラスメートには男にも女にも誰一人としてその人間の記憶が無かった。いや、あっちには「小林ひろみ」の記憶はある。こちらには無い。それだけだ。
 この短期間に小学校に通っていた少年がそこまでの順応性を見せたのは恐るべきことだった。
 “彼”は「ひきこもり」生活に入ってから3週間を過ぎた頃から「教科書」に目を通し始めた。
 言うまでも無くまるきりちんぷんかんぷんだった。頭の中は小学生なのだから当然である。いや、少しでも勉強を怠れば当の高校生ですらついて行けないだろう内容だ。
 とにかく・・・定期試験に受からなくては卒業はおぼつかないのだ。
 これを女子高生の肉体に押し込められた男子小学生・小林宏・・・現・「ひろみ」は自室で考えていた。
 人生を、この成長期に数年間も虚空に飛ばされてしまったのである。それは、丸ごと消失した中学時代の人生経験・思い出を失ったことに他ならず、そしてそれは学習面に覿面に影響を及ぼしていた。
 小学生時分にすら厄介だった「算数」は、異世界の言葉にしか見えない「数学」へと変貌し、国語の教科書はルビが無いため殆ど読むことが出来ない。英語に至ってはこの高校2年生の教科書が本格的に習う初体験なのである。
 恐らく、同年代のどの少年よりも彼は過酷な人生経験を体験していた。それが彼を精神的に大人にしたのだろう。
 どうやって生きていかなくてはいけないのか、それを必死に模索し始めたのだ。
 そして彼には、最後にもう1つ、与えられた“異性の肉体”に対する順応体験として、最大のものが迫りつつあった。

 小学3年生というのは、どれくらい自我が固まっているものなのだろうか。男として、或いは女として。
 “性差”というのは文化的なものである。それが「男らしい」「女らしい」という刷り込みが合って初めてそこに“性差”が意識される。生まれたばかりの男の子にスカートを履かせても少なくとも本人は何とも思わないだろう。別に何歳でも構わない。「スカート」という言葉も実態も知らない人間にいくら男がそれを見に付けることの滑稽さを説いても理解してはもらえまい。
 突き詰めれば単なる布切れ一枚に過ぎないのである。その柄やデザイン、着こなしなどに意味を求めるのは、それが刷り込まれた“情報”により導かれた結論でしかない。

 だが、それでも尚「小学校3年生」という年頃はまた「白紙」でもあり得ない。
 幾つになっても男にとって女性は謎めいた存在ではあるのだが、この頃は「興味」の遥か先の段階だった。
 小林少年は、クラス内で自分が女子に対して取っていた態度を思い出していた。

 小林少年は小学校3年生の男の子としてはありふれた子であったと思う。
 女の兄弟がいなかったので漫画は「ジャンプ」「マガジン」といった少年系のものばかり。一時期「学年誌」と呼ばれる雑誌を読んだ事もあったが、そこに展開されている「女の子用」の漫画や記事は読み飛ばしていた。
 クラスの女の子とは余り喋らず、専ら男の友達とばかり遊んでいた。
 この頃はまだ、「男性的なもの」「女性的なもの」に対する接し方が基本的に幼いのである。「異性」は全くのエイリアンであり、かつ「敵」なのであった。女の家族が殆どいない小林少年にとってはそれは自明のことであるかと思われた。
 女のアイドル、タレントを「好き」と公言することを「恥ずかしい」と感じる年頃である。「女なんか好きなのか?」という訳だ。
 感心の中心はまだまだ「仲間」である「男」であった。
 それはプロレスラーであったり、プロ野球選手であったりする。
 男とばかり話している、接しているのはある種同性愛的である。だがこれは自然な現象で、まずは同性に接する事を学ぶことによって人との接し方を学習していくのである。

 まだ2回だけだが、小学校の運動会は経験していた。そこで強要されたフォークダンスの恥ずかしかった事!
 どうして女なんかと手を繋がなくてはならないのか。
 小林少年のクラスでは、たまたま男子が2人多く、そいつは「女子役」ということで男とばかり手を繋いで踊る羽目になった。
 これが中学校、ましてや高校だったりしたらこの「女子役」生徒はもう道化である。「ああはなりたくない」という役回りの典型だ。
 だが、小学校においてはそうではない。その役回りこそ「女と手を繋がなくても済む」憧れのポジションなのである。
 アイドルの運動会があれば、この頃の子供は文句無く男性軍を応援する。
 恐ろしい事に、中には「好きなアイドル」をカミングアウトすることすら恥ずかしさのあまり出来ない子もいるのだ。
 この頃の男の子にとって、「女」はせいぜいクラスメートの同年代の女の子のことであり、修学旅行の夜中に告白大会をやるのが精一杯の「近くて遠い」存在なのだった。
 それが、その段階を一気に飛び越えて、自分よりも遥かに「お姉ちゃん」である「女子高生」に自分自身がなってしまったのである。その衝撃はとても表現できるものではない。

 小学生には「高校生」というのは遥かに大人に見える。
 いや、「大人」と全く変わらないと言ってもいいかもしれない。
 恥ずかしさと絶望の波状攻撃は、収まってはぶりかえし、また収まることを繰り返した。その生活ぶりはけものと何ら変わることがなかった。
 自分の裸を直視することが出来ないので、入浴を全くせず、差し入れられる食事をとっては泣き、あるいは叫びながら時々自分の身体をおそるおそる眺めることを繰り返した。下の処理だけはなんとかトイレに通ったが、数回に一回は「発作」がぶり返して室内の設備を破壊した。
 そして・・・その日がやってきた。

 一体何度目か、そんな意識は遥か彼方に掻き消えたある日の朝。目が覚めた小林少年・・・「小林ひろみ」・・・は下腹部に何とも言えない違和感を憶えていた。
 どーんと重い様な違和感・・・それはあまり経験の無いものだった。
 ・・・ここ1、2日の間、実は少しずつその痛みは大きくなってきていた。だが、意識でそれを拒絶していた。食欲が無くなって来ていた。

 これまでにお腹を壊した事は何回かあった。あれは腐りかけのものを食べたのか、それとも何かのアレルギーだったのか・・・それは今となっては分からないのだが、周期的に襲い来る腹痛はかなり辛い。
 ともあれ、この日は一日中トイレに入り浸っていた。
 下半身を露出するのはもう慣れた。そこに、僅か数年の間ではあるが「立ち小便」を可能にする器官が無いことへの嘆きは今日はもう無かった。
 自分の身長に対する違和感は、毎日意識していた。
 実際にはもう困る事は無かったのだが、かつては自分は今の身長よりも遥かに低かったのだ、ということを忘れないように努力することを自分に強要していた。
 身長が高くなった、ということはメリットのほうが大きい。
 小林少年は、かつてよりも世界が“狭く”なっているのを感じていた。かつてよりも遥かに少ない歩数で遥かに多くの距離を移動することが出来るのである。この「感覚の違い」もまた、かつての時代とは一線を画すものだった。
 普通に立っているだけで高い本棚の上の段の本も取り出すことが出来る。その感覚もいずれは意識なくなるのだろう。
 その日の大きな用は様子が違っていた。
 小林少年に限らず、自分の排泄物をまじまじと眺める趣味はあまり無いだろうが、何の気なしに振り返った小林少年には過酷な運命が待っていた。
 絹を引き裂くような悲鳴と共に、その場に腰を抜かしてへたり込んでしまったのだ。

 その声に、常に遠巻きに眺めるしかなかった家族・・・母親が駆け寄ってきた。
 その胸にむちゃぶりつく小林少年・・・今は女子高生。
「べ・・・便器が・・・便器が・・・」
 号泣の中、それは聞き取れた。
 小林少年が狼狽・・・いや恐慌状態になったのも当然だった。
 どこも傷がついていないはずの自分の身体から滝の様な出血をした経験など皆無だったのだ。便器はスプラッタ映画さながらの血の海と化していた。
 小林少年は意識を失った。

 鈍い痛みと断続的な出血はその後2〜3日に渡って続いた。
 これまで我を失う暴れ方をしてきた小林少年ではあったが、最後に残った自我のひとかけらが完全に剥げ落ちてしまっていた。
 最早“幼児退行”してしまったかの見えるかつての少年は、一時も離れずに母親の胸に抱かれ続けた。

 この体験は母親にとっても貴重だった。
 まるきり別人になってしまった娘は、もう数年は経験しているはずの月経にまるで初潮の様に怯えている。そして全てをさらけだしている。
 この事件はこの母娘にとっては2度目の「誕生の儀式」となった。

 小林少年、いや「小林ひろみ」の中で何かが変わっていた。
 女性が女性であるための最大の特徴、どれは「出産」であることは間違い無い。生理はその準備現象であり、自分が女であることをこれ以上無い形で知らしめる自然の知恵であった。
 思春期の少女はこれによって男性よりも過酷な運命を背負わされた、と感じて落胆する事も珍しくない。が、小林少年にとってはこれは「とどめ」であった。
 ひらたく言えば「ヤケクソ」心理を引き出すには充分なものがあった。
 もう何をどうやっても元には戻れない、と思えた。
 未練が無いのはいいことである。「男に戻れるかも知れない」と思いつづけているのは仮にいつか戻れたとしても決して健康的な生活を保障しないであろう。
 後で考えると、女性の生物的な生理にそれほど造詣が深いとも思えない小学生の男の子がどうして陰部からの出血を出産と結び付けられたのかは不思議ではある。海亀が孵化直後に誰にも教えられないのにさも当然であるかのように海岸の方向に向かって進むのと同様、いつのまにか頭の中に存在していた“知識”であった。

 清潔感の問題もあり、それまで忌避してきた入浴も頻繁にこなす様になった。
 それほど食欲が旺盛でなかったお陰で、その体形は全く変化が無かった。
 「小林ひろみ」はぬるいお湯に半日以上つかり続ける日が続いた。
 かつての様に、突発的な発作で家財道具を破壊することはもう完全に無くなっていた。自分の身体を眺めつづける日々という意味では、運命のあの日から1週間後と同じであったが、もう全くその意味は違っていた。
 あの頃の興味の持ち方は、純粋に対象への興味であった。それは初めて見るものへの好奇心であった。道端に落ちていた謎の物体を観察するのと変わらない。そこに、それが自分の身体であるという「負荷」が掛かって、強迫観念にかられるかの様に凝視し続けたのである。
 だが今は違った。
 どう違うのかうまく説明出来ないのだが、単なる凝視とは違うものであった。
 ひろみがかつて少年であったある日、自分のひざ頭を飽かず眺めていたことを思い出していた。
 この世に生まれて10年を経過していないその身には、男性の物であれ女性の物であれありとあらゆるものが興味関心の対象であった。

 徐々に成長する過程を経ずにいきなり形成されていたその乳房であるが、この一週間の観察で、そろそろ愛着も湧いてきていた。
 いや、愛着というよりも「慣れ」であったかも知れない。
 それはくすぐったかった。
 3分の1から半日を浴槽の中で過ごしていたこの頃のひろみだったが、それはまさに“腫れ物に触るよう”な体験だった。
 意識すれば意識するほど、それは敏感な感触を持っているかのように思われた。
 ひろみは少年であった頃から、他人に身体を触られるのが苦手であった。足の裏などはもとより、背中を掻いてもらうにもちょっとでも力が弱いとそのくすぐったさにたまらなくなって転げまわって大笑いしてしまう子供だったのだ。
 ましてや内科医でお腹を触られる時などもう大騒ぎであった。
 それが蘇ってきていた。

 自分自身が変わることでそれまでの挙動が信じられなくなることが人生にはままある。
 ひろみはもう1ヵ月以上もこの身体でいたのに、どうしてこの「胸」で過ごしてこられたのか不思議でたまらなかった。
 恥ずかしかった。
 思い出すだけで真っ赤になるほどに恥ずかしかった。
 ひろみはまだ9歳の少年の精神しか持っていない。性知識も実に幼いものしか持っていない。男女の特徴にしても「男にはオ○ン○ンがある」「女にはおっぱいがある」レベルの知識しか無い。この引き篭もりの1ヵ月にした所で、女に関しての知識収集になど全く励まなかった。それどころかその期間の大半は正気であったかどうかすら疑わしいのだ。
 であるから情報の「外部入力」はほぼ不可能であったと断じてもいい。
 にも関わらずこの大きな胸が恥ずかしくてたまらなかった。

「裸は恥ずかしい」
 という思想(?)はどう贔屓目に考えても後付けの「文化」である。よく考えるまでも無く、「裸を見られる」ことは肉体的なデメリットは皆無である。にも関わらずそれを「恥ずかしい」とする文化が存在する。
 ひろみは今さらながらこの胸を誰にも見られたくなかった。
 どうしてそんなことを思ったのか、これまでの一ヶ月間はどう考えて過ごしてきたのか全く思い出せない。それどころでは無かったのだ。
 ・・・そう、「彼女」は確実に「それどころではない」事態からは脱出しつつあったのだ。

 まだ「鏡」を長時間直視出来るほどには「慣れ」が進行していなかった。
 だが、・・・次第にそれは苦痛では無くなっていた。
 ひろみは初めて鏡をまじまじと見た時の事を思い出していた。
 勿論それは少年であった時の頃の思い出である。
 まだまだ心の奥底では拒否していながらも、余りにも濃厚だった性転換後の日々が次第に自分の中で大きくなりつつあった。
 この1ヵ月の間で学んだことも多かった。
 母親ともこれまでに無い関係を得ることが出来た。
 もしも・・・もしもこの姿になっていなかったら・・・。
 もう暴れる事は無い。しかしひろみは混乱していた。

 甘酸っぱかった。
 もう以前の生活と引き比べることは無かった。
 今の感覚は絶対的なものだった。
 自分より遥かに「お姉ちゃん」だと思っていた今の姿だったが、世の中に溢れている「大人」から比べれば遥かに子供だった。
 今はひたすら自分が「女の子」であることが恥ずかしかった。
 それは以前に男の子であったこととは関係無いように思われた。ただ純粋に「女の子である自分」が恥ずかしかった。
 “恥ずかしい”というのも微妙で、「恥辱を感じる」という風のものではなく、「照れ」だった。
 あの「運命の日」から約一ヶ月。
 あの当初は女装することなど考えられなかった着ていた服はすぐに剥ぎ取った。
 生理的に「女の服を着ている」自分が受忍できるはずも無かったのだ。
 だが今は「恥ずかしく」てそれが出来なかった。

 ひろみは何度目になるか分からない身繕いをしていた。
 その・・・悪くない・・・と思う。
 正直、“自分なんかが女をやっていいのだろうか?”と思っていた。
 これは明らかに考えすぎである。
 “女である事”にそこまでの資格が要求されるはずも無いのである。

 季節は夏に近付きつつあった。
 それはそうだ。「運命の日」は子供の日を目前にした頃だったのだから。
 だがひろみは厚着を選んだ。
 母親には止められたが、長袖のセーターを着込んだ。肌の露出を少しでも防ぎたかったのである。
 唯一の帽子を目深に被り、なんとなく頼りないデザインではあったが長ズボンを着込んだ。
 靴下も履き、準備が整った。
 その状態でまた何度も何度も鏡の前で自らの姿を眺め回す。
 今日、自らの運命を受け入れようとするひろみは新たな挑戦をしようとしていた。

 靴を履く段階でまた引き返し、靴下を履く。
 思えば玄関まで来るのも久しぶりだった。

 外に出ること自体久しぶりだった。正真正銘の「ひきこもり」だったのだ。
 もう心臓がドキドキいっている。
 この・・・この胸にみんな注目してたらどうしよう・・・
 もう慣れたはずの自らの身体の特徴に過剰な心配をするひろみ。


 一歩歩く度に心臓が突き上げる。
 髪は少し伸びていた。
 一歩も外出も出来ない娘が理髪店に行けるはずもなかった。
 母親に切り揃えてもらった状態であった。勿論一流の美容師には及びもつかないが、狂乱のざんばら状態からは遥かにマシだった。
 たまたま家にあったベレー帽を目深に被り、絶対に人相がばれないように気を付けた。
 コンビニは目の前だった。

 よく考えれば、“元の自分”と“今の自分”を比べることが出来る人間はいないのである。
 仮に今の自分が、身体に従って女装してであるいていたとしても、それは“女装した女”にしか過ぎないのだ。それは特におかしいことではない。
 自分の知り合いが一人もいない、恐怖についてはこの1ヵ月間に嫌というほど考えた。考えに考え続けた。

 それについての一番の解決法は「考えない事」だった。
 そんなことへの結論が出るはずも無いのである。
 1ヵ月ぶりに入るコンビニは・・・特にこれといって変わることは無かった。
 周囲の客・・・ウィークデーの午前中なので特に人が多い訳でもない。
 普段何をやっているのかよく分からない風体の店員が床を掃いている。
 ひろみはびくびくしながら歩き回った。

 いつもコンビニで立ち読みしていた雑誌を手にとる。
 もう連載は遥か先まで進んでしまっていた。この間一体何号抜かしたのかすら分からなかった。
 ・・・読んだ憶えがある・・・。
 何度も書くが、この一ヶ月の経験で、ひろみは小学生・・・いや現時点の同年代である高校生の中でも最も人生について思索を深めた人間となっていた。
 ひろみはこの雑誌によって、少なくとも「変身」によって「時間のジャンプ」はしていないことを実感したのである。

 ひろみのコンビニ通いは続いた。
 家族の者が出掛けてしまってから、体形が出ないほどに来込んでコンビニに。
 「引きこもり生活」が「半ひきこもり生活」になっていた。
 女性として下着類を全て身に付けている訳では無い。実はパンティは毎日の様に履いていたのだが、正直ブラジャーにはまだ抵抗があった。
 だが、これを2週間も続けるうちに、少なくとも外出自体には抵抗が無いところまでは来ていた。

 親は自分の娘の事を重度の精神病と思っていたので、この社会性を取り戻しつつある行為は歓迎された。
 とはいえ、実はまだひろみは“父親”とまともに会話したことが無かった。
 この特殊すぎる状況下、母親ともやっとコミュニケーションが取れる様になったばかりなのである。“大人の男”とのコミュニケーションは余りにハードルが高かった。
 もともと高校生時分の“女の子”は男性の悪い面が噴出する中高年男性を毛嫌いすることが少なくない。その意味でも元の親子関係に戻るにはまだまだ時間が掛かりそうだった。

 家族の中では色々と物議を醸したらしいのだが、遂にひろみの部屋にテレビが設置された。
 これは引きこもりを加速させかねない危険な賭けだった。だが、コンビニ以外にも外出を始め、父が仕事に出てからは居間にやってきて新聞を読むまでになっていたひろみが、「いつ父親が帰ってくるか分からないので安心して見られない」テレビを楽しめるように、との措置だった。

 テレビがやってきてからひろみの生活は確実に変わって行った。
 自分以外に興味を持てなかった時期からは既に脱していた。
 運命の日から2箇月を経過していた。

 コンビニ通いを始めてから、ひろみは恐らく女子高生としては最も雑誌に詳しい存在になっていったであろう。
 なにしろ暇なのでコンビニにある雑誌の全てを読み尽くしていたのだ。殆どの雑誌は週間単位なので、次の号が出るまでが待ち遠しかった。
 流石にそろそろコンビニの店員にも目を付けられつつあった。
 一番近いそのコンビニでは、バイトの間で、女子高生程度の年なのに学校にも行かず毎日午前中にやってきて雑誌を読み倒す少女のことは有名になっていた。

 テレビに映し出されるアニメは、かなり元から見ていた部分から遠ざかっていたが、見覚えのあるものばかりだった。
 やはりこの世界は以前にいたものなのだ。ただ違うのは自分と取り巻く環境のみだったのだ。
 決してニュースを見るのが好きな子供ではなかった。だが、1日のテレビのコンテンツのかなりの部分はニュースが締める。
 人生における行動範囲が自室と近所のコンビニしか無いひろみは、テレビ視聴も重要な情報収集の方法だった。

 ゲームが欲しかった。
 テレビは望んだ時に望んだ物が見られるものでは決してなかった。
 ひろみが、男の子時代と殆ど変わらない嗜好だったのは番組の好みの傾向だった。
 与えられた小遣いで買ってきたテレビ雑誌と首っ引きで夕方のアニメの再放送と、本放送を全てチェックしていた。
 そしてその本数はすぐに絞られ、数本にまで減った。

 夏が近付いてきた。
 元々ひろみの部屋にはエアコンが付属していた。
 小学生時代には無い室内装備だった。
 これは使わせてもらうしかないだろう。
 じめじめと暑い季節になると、早くも「除湿」モードでほの一日中掛けっ放しになっていた。
 そしてこの「涼しい」環境はひろみに新たな局面をもたらしていた。
 それは「昼夜逆転の生活」である。

 科学的な理由はよく分からないが(?)、太陽の燦燦と照りつける日中に冷房を効かせていると、どうしてあんなに眠くなるのだろう?
 あまりに気持ちがよく、太陽が出るとあっという間にまた眠りの床についてしまう日々が続いた。
 そして気が付くとお昼になっており、ちょっとぼーっとしているだけですぐに夕方だった。
 完全週休二日制の父とニアミスすることが段々増えてきた。
 その姿が視界に入るとすぐに逃げ出してしまうのは、年頃の娘を持つ父親としてそう珍しい運命では無かったがそれでも辛い。

 言うまでも無いが、この調子で日のある内にたっぷり睡眠を取っていると夜には全く眠気が湧いてこない。
 その上、夜に寝ることによって“英気を養う”必要が無いのだ。
 翌日に学校に行かなくてはならない訳でもないし、仕事がある訳でもない。それこそお昼まで、いや一日中寝ていても構わないのである。夜更かしを妨げる理由は何も無かった。
 もしここにビデオをテレビゲームがあったら本当にどうしようもなかっただろう。だが幸いにしてテレビのみだった。パソコンも無いのだ。
 その退屈さは想像を絶していた。

 2度目の生理の経験も、それは“全身で体験”であった。
 前後数日に渡る体調不良。どこも切れていないのに噴出す血液・・・。その気持ち悪さは想像を絶していた。
 普段はともかく、やはりこの生理の期間は自らが女であることに嫌悪感を催す期間であった。
 そしてこの期間になるとまる一日風呂に漬かるのだった。
 だがこれは過剰に清潔さを求めるが故の自殺行為だった。
 日に何度も排出される身体の一部に、浴場は鮮血に染められた。

 ひろみは“社会復帰”について考え始めていた。
 毎日の様に自室とコンビニを往復する日々だった。最近は母親以外の家族と接触しないように台所で食事をするのが普通になっていたが、母親以外の人間とは殆ど触れ合おうとはしなかった。
 せいぜいコンビニの店員くらいのものである。
 それにしても眠かった。
 正直、人間がこれほど眠る事が出来る動物だとは思わなかった。

 もしもひろみが小学生の男の子の頃から強烈な夢を抱いていたりした訳では無い。それこそ例えば「小説家になりたい!」とばかりに毎日本を読んでいる子供だったりしたら、今もそういう生活をしていたかもしれない。
 また、「野球選手になりたい!」と思っていたら女の子になってしまった今の運命をより呪っていただろう。

 だが、そのどちらでも無かった。
 それでも絶望の日々は続いていた。
 よく「男性は一生に一度は女装してみたいものだ」とか「一回くらいは女になった自分を想像したりするものだ」などと言われるが、ひろみの少年時代は不幸にしてそちらの方面にはあまり免疫が無かった。


 むしろ、「女性的なもの」を努めて避ける微妙な年頃だったのだ。
 学年誌の少女漫画は読み飛ばし、クラスの「少女漫画読み」の女の子を馬鹿にしていた。
 稀にテレビの画面に登場する女性の裸からは目をそむけ、
ひたすら恥ずかしがっていた。

 これは女の兄弟がいなかったことも大きく影響していたのだろう。
 言ってみればこれも「先天的な条件」の1つなので本人の努力だけではどうにもならない部分がある。
 ある時友人数人と近所の公園で遊んでいた時のこと、犬を連れて散歩にやってきた人がいた。

 ひろみは犬も猫も飼っていない。
 だから「動物」が非常に苦手である。
 どうやら犬や猫の方でもそれは同じらしくて、近所で会っても実相性が悪い。それにしても散歩中の犬はどうしてすれ違った人にああも襲い掛かろうとするのだろうか?

 だがその友人は違った。
 何と言うか、犬のほうからして雰囲気が全然違うのである。
 後で聞いてみると、生まれたときから犬を飼っていたらしい。もう全身からかもし出される気配というか、そのものが全く違うとしか言い様が無い。
 そしてこれは男女関係にも言えるのである。

 “男女関係”などと言ってしまうと大袈裟だが、要するに“女性”そのものに免疫があるかどうかは先天的な条件は大きいと思われる。
 小中学生時分で、クラスの女子と平気でぺらぺら喋っている男子は、姉・妹がいると考えてほぼ間違い無い。

 ひろみにはそういった耐性が殆ど無かったのだ。
 勿論弄んでくれる従姉妹もいない。
 いや、いることはいるらしいんだけど、あまり会った事も無いし、仮に会ってもよそよそしいだけだろう。
 何と言うか・・・無理に言葉にすればひろみは“ツッコミ”を恐れていた。
 以前の姿は誰が知っているわけでもないのだ。
 だが、何食わぬ顔で平気で「女」をやることに抵抗があった。

 あのスカートの制服を着て・・・。
 「こいつ男のくせにスカート履いてるぜ!」
 そういう声が今の時点でもう聞こえてくる。
 誰かに見られての恥ずかしさよりも、自分自身に対する恥ずかしさみたいなものがあった。
 よく万引きだの、落し物を拾ったりする時の罪悪感というか・・・誰も見ていなくても天の神様が見ているぞ、みたいなものだろうか。

 だからその時の気持ちは分からない。
 どうしてそんなことをしたのかよく覚えていない。
 でもひょっとしたら花粉症みたいな物なのかもしれないな、と思った。
 花粉症ってなる人はなるけどならない人は全然ならない。でもそれは生まれつきとかじゃあ全然無くて、許容量を越えるまで丸っきりその症状が現われないけども、ある日突然に花粉症になってしまう、それと似たようなものだったのだろう。

 気が付いたら僕は道を歩いていた。
 スカートを履いて・・・。

 スカートを見つけるのは簡単だった。
 何しろ部屋の箪笥の引出しには沢山入っていたから。
 ひろみはまだ女性の下着をつけていない。
 ごく普通のシャツを下に着ているだけである。
 もう夏になろうというのに無用心なことである。

 ひろみがスカートに対してのハードルを下げたのは正に花粉症に罹患したかのごとくだった。
 毎日毎日冷房の効いた部屋で朝も昼も寝つづけている生活は「こんなことをしてていいのか?」という罪悪感をいやが上にも掻き立てる。
 中には書き立てられない人もいるみたいだけど、ひろみの場合は気にする方だった。
 でもそれにはあの「制服」のハードルを越えなくてはならなかったのだ。

 なんというか、あの「運命の日」の女装姿は、言わば強制されたものだった。
 着たくなくても気が付いたら着ていたのだ。
 だからその・・・妙な言い方だけれども“言い訳が効く”のだ。
 「着たくて着てるんじゃない」って。
 でも、もしも社会復帰して、「女子高生として」学校に通うことになったりしたら、毎日毎日あの制服を着なくちゃいけないのだ。
 それは「強制される」ことには違いなかったが、でも「自分の意志で」着なくては絶対に着ることは出来ないのだ。

 それはもう「女である事を受け入れる」行為そのものでしかなかった。
 ひろみはなんだかんだ言っても未だに男に未練があるのである。
 男にとって「自ら女を選ぶ」という選択は、もう考えられないことだった。
 もしもこれが「一週間後には男に戻れるから、その間だけ女装して学校に通いなさい」というイベントならば渋々ながら従っていたかもしれない。
 いや、従わないか。

 馬鹿馬鹿しいのだが、ひろみは色々と「自分を納得させる」方法を考えつづけた。
 まず、学校から帰ったらすぐに制服を脱ぐ。
 つまり、「本当は着たく無いんだけど、必要のある時だけ仕方なく着ているんだ」と内外共にアピールしようというものだ。
 他にもスカートの下に単パンを履こうとか、可能な限りジャージで過ごそうかとかあらゆる方法を考えつづけた。
 もうスカートが嫌だとか言うレベルでは無く、「自分を納得させる」方が大きな目的と化していた。

 引きこもり始めてからしばらくしないうちに、もう気が付いていた。
 別にスカートの一枚履いたところで死ぬわけじゃないのだ。
 あんなの布切れ一枚に過ぎないではないか。本当かどうか知らないけども、世界には男のスカートが民族衣装になっている国もあるというし。
 でも・・・言ってみればスカートは「女の象徴」では無いか。
 ついこの間まで小学校の男の子だったひろみには「スカート」というのは、その語感だけで赤面してしまうほどだった。

 それを着て毎日過ごす?
 出来る訳が無い。
 それこそ“死んでもゴメン”だ。
 しかし・・・人間とは不思議な物で、そこまで嫌ってしまうと逆に「禁断の」魅力が芽生えてしまうのである。
 死体の写真とか、“見てはいけないもの”を見たくなる衝動と似たようなものだろうか。
 ひろみは、いつも観ているテレビのワイドショーが終わる頃にはもうテレビを消して「スカート」という単語を頭の中で反芻し、恥ずかしさに身悶えする様になっていた。

 引きこもり生活で、必然的にワイドショーを見流しているのも実はここで思わぬ効果を齎していた。
 ワイドショーというのは、メインの視聴者としては専業主婦や“家事手伝い”の女性を想定している。
 勢い芸能情報や、ファッション、料理などがコンテンツとして頻出することになる。
 ・・・どうしてもファッション系の話題が気になってしまうのである。
 どうしてこんなものに情熱を傾けなくてはならないのだろう?

 “男の子”であったひろみは、それなりに趣味を持っていた。
 別に大したものじゃない。でも、ゲームやマンガは小学生時分の男の子には他に換える事の出来ない宝物だったのだ。
 そしてそれには小学生の限界を超えたお金がかかることも承知していた。正直世の中には面白い事が多すぎる。とても楽しみ切れないほどだ。
 でも世の中の女はそんなものには目もくれず、やれブランドだダイエットだと言い募っている馬鹿の集団に見えた。
 そして・・・自分もその末席に座っているのだ。

 ひろみの母親は、同世代の女性の中では非常に痩せていた。
 そしてそれは明らかにひろみにも遺伝していた。
 普通これだけ「食っちゃ寝」生活を続けていれば贅肉が付いてきそうなものだが、ひろみは今もってモデル並みの痩身を誇っていた。
 だが・・・、日々のコンビニ詣での最中にすれ違う近所のおばさん達は・・・
 お相撲さんみたいなのばかりだった。
 ファッションに全く関心の無い“少年”ひろみも、「ああはなりたくないな」と思わせるのに充分な物があった。

 女子高生にして引きこもりであるひろみの噂が広がっていない訳が無い。
 ひろみがそばを通り過ぎると、必ず愛想笑いみたいなものをしながらひそひそと何やら話している。
 実に醜い。
 わざとやっているとしか思えない下品で大きな笑い声。
 ・・・自分も将来ああなっちゃうのだろうか・・・?
 それだけは嫌だった。
 自分ならこの間テレビに映ってたああいう感じのオシャレな服を着こなして・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・今、何て思った?

 鏡には自分が映っていた。
 ひろみは鏡を見たり見なかったりする生活だった。
 しかしやはり見ずにはいられなかった。
 その姿は・・・やっぱり女の子だった。
 そう、その日ひろみは初めて自主的にスカートを履いたのである。

 スカートの感触は・・・
 実に奇妙なものだった。
 履いた感じがしなかった。
 でも、それだけだった。
 これまで散々にスカートについて考察を巡らせることになってしまっていた生活が齎した影響なのだろうか、今の自分の状態は“ただ単にスカートを履いている”以上でも以下でも無かった。
 ・・・なんだ、こんなもんか。
 拍子抜けだった。
 実は「物凄い感触」があるかと思っていたのだ。

 今では10年も昔に感じるあの「運命の日」から約3ヶ月ぶりのスカートだった。スカートの“感触”“肌触り”なんて憶えている訳も無かった。いや、覚えていたとしても無理矢理にそれを封印していた。
 本来“触覚”に残っているはずのそれは容易に忘れられるものではあるまい。しかし、悪夢の様な記憶がそれを闇の彼方に吹き飛ばしていた。

 スカートはなるべく長いものを選んでいた。
 床を引きずりそうなそれは、その細い身体と相まって独特のシルエットをその鏡の中に浮かび上がらせていた。
 スカートの中で直接触れ合う素足・・・。
 男の衣類では絶対に味わえないこの独特の、そして禁断の感触・・・。
 だが、どういう訳かひろみのなかで、それを「大変な事」として受け止める感受性がどこかに雲散霧消してしまっていた。
 スカートはスカートでしかない。それ以上でもそれ以下でもない。

 どうしてこうなってしまったのだろうか?
 決定的な瞬間というのは無意識のうちに通り過ぎてしまっていた。
 ひろみは必死になって“スカートを履いているにも関わらず特に何とも思わなくなっている自分”を否定し様とした。
 しかし・・・どういう訳か鏡に映るその姿の可愛らしさにどこか誇らしいものを感じる様になっていた。
 そして・・・すぐに不満を憶え始めていた。

 そして気が付くと道を歩いていたのだ。
 流石に少々は慣れない衣装に対する意識が働いていた。
 暑くなって来ていることもあって、スニーカーに靴下、という色気の無い足元だった。開放されている下腹部と束縛されている足元という奇妙な感覚であった。
 この突然の外出は、変身直後に見舞われた自分自身に対する“破壊衝動”の延長だったかも知れない。
 スカートを、なんと自主的に履いている恥ずかしい自分、を世の中に見せ付け、徹底的に自分を破壊し様としたのだ。

 まだひろみの意識の中では、女装を、それも率先して行い、それを他人に見られるのは「精神の自殺」と同じ事だった。
 それを敢えて行った意図は良く分からない。
 だが、これまでの3ヶ月間を掛けても「考える」ことすら忌避してきた「(自主的に)スカートを履く」という行為が、いざ行ってみると堤防が決壊したかのように一気にそのまま外出するという次元にまで至ってしまうのは意外だった。

 もう自分の中でいちいち意識することは難しかった。
 だからこの時期の記憶は一番薄い。
 性転換された直後などは、色んな意味で夢の様に憶えている。とにかく暴れ来るって家の中を破壊するので指だの拳だのがひっきりなしに痛かったものだ。
 実はこの頃に手の甲を一部骨折していたらしいことが後に分かったりしている。
 自然治癒してしまったらしいのだが、ほんの少し骨が歪んでついているのがレントゲンでも確認出来るのだ。
 いずれにせよ・・・もうその日は近付いてきていた。

 最初の一回は酷く印象深いのだが、後はどれも似たようなものだった。
 ひろみは毎日の日課になっている近所のコンビニへの散歩に、もう毎日の様にスカートを履いて行くのが普通になっていた。
 スカートに脚を通した瞬間にはまだ背筋にぞくぞくしたものが走る。
 これはもう生涯変わらないんじゃないかと思った。
 別にスカートにこだわる必要も無いんじゃないかという気がする。確か小学生になる前だったと思うけども、従姉妹のお姉ちゃん・・・その頃にもう二十歳越えていた・・・が全くスカートを履かない云々と親戚が大勢集まった時に聞いた記憶がある。おぼろげだけども。
 それに、引きこもり生活によってその辺の主婦など及びもつかないほどワイドショー通になってしまっていたひろみは、女性のファッションが必ずしもスカートどイコールでは無いことも承知している。
 だが・・・ある年代の、ある環境の女は、スカートを履くことを強制されるのである。その名は「制服」という。

 実は毎日の様にスカートで出かけていたひろみだったが、その服の内側は実にいい加減なものだった。
 男物のブリーフにTシャツ。
 そう、実はその豊かなバストに反してひろみはまだブラジャーをしていなかった。
 ・・・なんというか、スカートまでは“シャレ”で済む様な気がするのだが、ブラジャーを自主的に、日常的に身に着けるとなればそれはもう完全に女ではないか。・・・まあ実際女なのだが。
 どうして自分はこんなことをやっているのか?
 元に戻るための算段も何も無い。何時の間にか“慣れる”ことが第一になってきてしまっている。でもそれは・・・ある時点から諦めたんじゃなかったのか?
 それらの湧き上がってくる疑問を押しのけ、逃避する様にひろみは毎日散歩を続けていた。スカートを履いて。
 そしてある日・・・ひろみの心境に変化が出るきっかけがあった。

 ひろみの“女装”というのはイコール“スカートを履く事”だった。
 それはもう小学生レベルの単純な発想である。
 が、それも道理だ。何しろほんの3ヶ月も前には本当に小学生の男の子だったのだから。
 でも考えるのとやるのとでは大違いだった。
 少なくともハードルはまだまだ高かった。
 スカートを履く・・・しかもひろみの様に脚を見せたくないという理由で、地面を引きずりそうな長いスカートを・・・履いているということで、何がズボンと一番違うかと言えばそれはやっぱり「見た目」だった。
 大きく空気に晒された“素足”というファクターもまたスカートの醍醐味であろうが、長い長いスカートによって形成されシルエットもまた、いかにも“女性的”な雰囲気をかもし出していた。
 ひろみは、無意識ではあったがそのスカートによってどうしても日常のアクションが“女性的”に矯正されていったのであった。
 これはスカートを履く習慣をごく最近になって始めなくてはならなくなったが故の“不慣れ”がもたらしたものであろうが、ひろみはスカートを履いている間、常に神経が張り詰める様だった。

 何と言うか・・・やっぱり落ち着かなかったのである。
 これまでずうっとズボンでやってきたので、それぞれの脚を包み込む方が合理的というか・・・“当たり前”だと思っていたのである。
 こうしてその・・・下半身まるごと包み込んでしまうスカートだと、お互いの脚がスカートの中でさわさわと触れ合って落ち着かないことこの上ない。
 そして・・・どうやらこれはスカートを履く様になってからの発見だったのだが・・・どうやらひろみは「くすぐったがり」だったみたいだ。
 スカートの内側のつるつるが気持ち良くって悪くってもう大変だった。
 実はスカートにも色々あって、つるつるがついているのとついていないのがある。
 ただでさえスカートの中で自分の脚同士がこそこそするのがくすぐったいのに、スカートの内側までということになってはたまらない。
 たまらないっていうか・・・その・・・。
 上手く言葉に出来ないけども、脚の付け根から膝あたりまでの“感触”なんてものは男だった時には意識すらした事が無かった。
 でも、ちょっと脚をぴたっとひっつけるともうそこには素肌があるのである。
 ・・・これは気にならない方が嘘だった。

 この年頃の男の子・・・もとい“女子高生”として、ひろみはかなりワイドショーを見る方である。まあひきこもりという環境がそれをなさしめているのだが。
 言ってみれば“耳年増”ならぬ“目年増”に近くなっていた。
 だから、女性の衣類が男性のそれに比べて遥かに肌を露出する割合が多いことも、言葉にする程ではないが、何となく感づいていた。
 寒い季節になってもノースリーブで腕を全部空気にさらしている女性も珍しくない。男のほうは真夏の盛りでもスーツは長袖では無いか。まあ、毛むくじゃらの腕なんぞ見たくもないが。
 イブニングドレスなどの“正装”ともなれば一層その傾向は顕著で、下着同然のものが“ファッション”としてまかり通っている。
 謎の有名人“化膿姉妹”とやらも露出狂一歩手前の格好であちこちのイベントに顔を出している・・・って本当に主婦みたいなワイドショーへの傾倒ぶりだが。
 あれが男だったら・・・まともに扱われないのは考えるまでも無い。
 女性の方が露出度が高い理由はひろみには分からない。そんなことばかり毎日考えるのも、少年から女子高生へと変貌してしまったひろみの特殊な環境ゆえなのだろう。
 しかし・・・その女性の“露出度の高さ”の象徴こそがやはり“スカート”だったのだ。

 ひろみは、いつもその店員が気になっていた。
 毎日の様にコンビニに通っていると、自然と雑誌の発売日を覚える。これは前にも言った。
 とにかく食っちゃ寝の生活なので、どんな時間だろうと平気で出かけて行く。
 特に家族に会わな様にするために、夜の2時とか3時とかに出歩くことも珍しくない。睡眠時間は充分なので平気なのである。
 その店員は殆ど毎日働いていた。
 日曜日と月・水・金かな。うろ覚えだけど。
 月曜日発売の雑誌を日曜の深夜、日付が変わる頃に梱包を解いているのを見かけたのが印象に残っているから、日曜の深夜にいるのは間違い無いみたいだ。
 すらりと背の高い・・・まあ、格好いい兄ちゃんだ。
 この頃のひろみの男性を見る目は、きっと少年の心の持ち主として同性としての憧れのものだっただろう。スポーツマンに憧れるような物だろうか。
 稀に・・・ごく稀に目があったりするのだ。
 普通の高校生ならまず出没しないはずの真昼間に現われたりするので、こちらも随分印象的に思われているはずだ。
 ・・・何時の間にかそんな世間知の回る娘になっていたひろみだった。

このイラストはオーダーメイドCOMによって製作されました。クリエイターのあぷぷさんに感謝!
 ひろみの部屋の洋服箪笥には見た事の無い服が沢山あった。
 それは小学生の、女の姉妹がいない少年には別の星の物質に近いものだった。
 必要とは思えない装飾。機能性とは程遠い構造。
 何がオシャレで何がオシャレでないかはまだひろみにはすんなり理解することは出来なかった。
 だけど、色だけは分かった。
 鮮やかな赤とか、静かな水色とか。
 あ、あと柄も分かった。
 無地とかチェック柄とか。名前は分からないけど他にも色々あることが。
 しかし自分ってやたら沢山のスカートを持ってるんだなあ、と他人事みたいに感心していた。
 だが、その一部は失われていることも知っていた。
 “変身”直後の大暴れで破り捨てたり、おかずをぶちまけたりしてどうしようもなくなってしまったのだ。
 その時の片付けの様子なんて知らないけど、多分捨てられたのだと思う。
 ・・・何というか、まだまだ“保守的”だったひろみは2〜3枚のスカートをぐるぐると使いまわしていた。
 ひろみは、普段着ている服を下半身だけスカートにしたこの“なんちゃって女装”みたいなスタイルだけで精一杯だったのだ。
 少なくとも最初の内は。
 だが、そろそろいつも同じ物では飽き足らなくなってくる。
 そして・・・その日は、これまでに無い柄のものを選んでみたのだ。

 何故かこの間までのローテーションをよく憶えているんだけど、ここの所紺色に黒、でもってこげ茶色と実に地味な色のスカートが続いていた。
 でも・・・今日は鮮やかな赤のスカートである。
 うーん、多分これって初めてじゃないかと思う。
 そして、ひろみは今日初めて「組み合わせ」を考えていた。
 とは言う物の考えただけで、それが上手くいっているかどうかは別問題である。考えた、ことが重要なのだ。
 ほんのちょっとだけ装飾過剰・・・というか襟がひらひら気味の上着を着て、そこに赤のスカートを合わせていた。
 しっかりと鏡に向かってポーズまで決めてきた。万全だ。
 ・・・何が万全なのか分からない。
 別にその・・・誰に見せるためって訳でも無いんだよ。
 ただ何となく・・・折角着られるんだから着るしか無いって言うか・・・。
 実はそれこそが女性心理だということにひろみは当然気が付いていない。
 よく男を惹き付ける為に女性は着飾る、と思われているが、実際には自分以外の生命体が残らず死に絶えてしまったとしても“より美しく装おうとする”意識にはきっと変わりが無いであろう。

 ひろみはちらちら見ていた。
 その店員の方である。
 だが、その店員は特にいつもと変わったそぶりは見せなかった。
 そういえば・・・かくいうひろみの方も、その店員が気になってはいたものの、その挙動までいちいち全て把握している訳では決して無い。
 だからいつもと違っているかどうかなんて、今この瞬間に分かるはずも無いのである。
 にも関わらず、そのリアクションにちょっと期待してしまったりしていた。
 ・・・ちょっと今日は派手な柄のスカートなんだけど・・・気が付かないのかな?
 どうやらひろみは気が付いて欲しかったみたいだ。
 いつも顔を合わせている人間と言えば母親なんだけど、母親にはなんだかこんなのは恥ずかしい。というか家族はみんな恥ずかしい。
 でも変身以来引きこもっているひろみには友達も・・・当然女友達もいない。
 実はこれまでセーラー服の一団とニアミスしたことはあることはある。
 ひろみの方に自覚症状が無いもんだから、“お仲間”と鉢合わせしかねないところだった。
 だから、“おっ”と思って欲しい相手は、身も知らない・・・けども見覚えはあるコンビニの店員くらいが丁度適当だったのだ。

 結論から言うとその店員は全く気が付かなかった。
 少なくとも気が付く素振りは全く見せてくれなかった。
 折角ちょっと違うスタイルだったのに・・・
 ひろみはちょっとがっかりしていた。
 このあたりからも堤防が決壊するみたいだった。
 自室の中だけだったけども、ひろみは手当たり次第女性物の下着を身につけ始めていた。

 それは新しいおもちゃの様だった。
 “女性的なもの”に最も拒否反応を示す年代・・・少年・・・だったはずのひろみは、初めて体験するそれを試行錯誤の末に付けたり外したりを繰り返していた。
 そのぷっくり膨らんだ女子高生にしては発育のいい乳房が、そのブラジャーの内側にぴっちりと密着するのを見て、“へえ、よく出来てるんだな”なんて感心したりしている。

 ひろみは、男の子だった頃の事を1つだけ思い出していた。
 あれは、布団の中でのことだった。
 よく憶えていないんだけど、布団に下腹部・・・この“下腹部”という言葉の由来とか、どの部位を指すのかはずっと後になってから知るのだが・・・を押し付けたりしていた時のこと。
 何だかオシッコがしたい様な気分になった。
 ・・・気持ちが良かった。
 その正体は分からなかった。
 少なくともその時には。
 それとは全く違うけれども、自分の身体にそんな“仕組み”が隠れていることを、この時にひろみはまた実感する事になるのだった。

 これまで、外出することに慣れてきていた筈のひろみは、また部屋に篭り気味になってしまった。
 部屋に篭って一体何をやっていたのか・・・
 それは人間が生まれながらに持つ、最もお金の掛からない娯楽であった。

 ひろみはこれまでの数ヶ月でその身体に慣れてきていた。
 いきなり高くなった身長には割とすぐに慣れた。
 甲高くなったその声は・・・これまでとあまり変わらなかった。
 その柔らかい身体には・・・直視しないで来た。
 鏡も頻繁に見る様になったし、何より「女の象徴」と自ら思い込んでいた「スカート」を意識して日常的に身に付けるようになっていた。
 だが、真の意味で自分自身を客観的に見詰める事はして来なかったような気がする。

 でも、本当の意味で自分自身を見つめるというのは一体どういうことなんだろうか。
 心は少年のままと言っていいひろみには当然分からないのだが、何と言うか自分の身体にはこれまでは嫌悪感は無かった。
 こう言うと誤解されかねないのだが、恐怖感や違和感はあっても“嫌悪感”というのとは少し意味合いの違うものだった。

 だが、布団の中で上を向いたり下を向いたり、以前に比べれば遥かに長くなったその身体を「く」の字に折り曲げたりしている内にそれは訪れていた。
 大きな乳房も、横幅の広いヒップもなんとなく“みっともない”気がしてしまったのだ。理由なんか分からない。それは“感覚的なもの”である。
 それに・・・なんと言うかこれまでも少しは感じていたけど、独特の女の臭気というか女性独特の体臭も鼻に付く。

 かなり後になって気がつくことになるのだが、結局ひろみは“男の快感”を知ることが出来なかった。
 その前に女になってしまったのである。
 はっきり言えば自慰行為である。
 小学生の時分ではそれも難しかったかも知れない。
 似たようなことはおぼろげに経験があった。
 布団に性器を押し付け、何となく尿意を催したことがあるだけである。
 あれをもって“自慰”とはかなり片腹痛い。
 自分で苦笑してしまうほどである。
 そして・・・今“女の快感”を知ることは出来た。
 勿論、それを自らの言葉で定義づける事まで出来た訳では無い。
 思考を“抽象化”することは、かなり高度な精神活動である。
 ひろみは、ただ単に「女の身体ってのは、ここをこうすると何となく気持ちいい」ということを「体験的に」知りえただけである。

 ひろみは、これまでの何よりも自分が“女になった”気がした。
 本人がいくら否定し様としても、その肉体と精神が分かちがたく一体化しつつあった。

 ひろみは、見よう見真似で下着一式から全てを女性物で遂に統一した。
 見かけは単なる普段着に長めのスカートという平凡なスタイルだが、中身はさながら“完全武装”であった。

 遂に、全く意識する事無く「開き直った」かの様な精神状態を持続できる様になっていたのだ。
 生まれた時からそうであったかの様に当たり前にブラジャーを着け、パンティに脚を通す。
 肌着を身に着け、スカートを履く。
 実に滑らかだった。
 そして徐々に伸びてきた髪をいじりながら鏡を見て、そして散歩をする。

 これらの変化は当然家族も気が付いていた。

 ひろみにとって意外・・・というか想像していなかったことがあった。
 女になってしまったその日から、自分はこれまでとは別の物になってしまうのだ、とその身の上に起こった事実に戦慄した。
 絶望し、暴れ、どうにも手の付けられない暴君と化した。
 そしてそれまでの生活を続けることも出来ず、また新たな身体がそれまで過ごしていた生活をトレースすることも出来ず、結果として延々と部屋に引きこもり続けた。
 そんな生活の中、しかしそれでもひろみは適応し続けた。
 するより他に仕方が無かったということもある。
 だが、“時間”は想像以上の万能薬だった。
 恥ずかしくてたまらなかった自分の身体との対面も、文字通り“血肉となる”まで行っていた。
 ・・・だが、そこまでやって尚、自分は自分だったのである。

 よく「30代の自分が想像できない」と10代の若者は言う。
 これはどの年代を入れても成立する命題である。
 だが、その頃になれば革命的に自分が変わってしまう訳では無い。徐々に時間を掛けて、じわりじわりと変わっていくのである。
 そこは意識が連続しており、決して断絶はしていない。
 直接比較してみれば、自分でも明らかに違う部分は多々あるだろう。過去の自分を思い起こしてその未熟さに赤面することもある。
 だが、“自分は自分”なのである。
 ひろみは、女になってしまった直後、これから自分は得体の知れない“女”になってしまい、今の自分の精神はどこかに消えてしまうものだと思って恐怖した。
 だが、消えなかった。
 今の自分は、自分が少年だった時の記憶をしっかりと持ち、それなりに“男らしい”(自己申告)精神性を持ったまま、女としてここにいる。
 違和感無く女物を着る事も出来るし、立ち居振舞いも女性的になることにそこまでの拒否感は無くなって来た。
 現に今、こうして下着から完全に“女装”し、スカートも履いているが、だからといって別にどうということも無い。

 妙に腹が据わった。
 もう大丈夫、だと思う。
 どんなに環境が変わっても自分は失わないと思う。
 気が付くと、制服姿の自分が鏡に映っていた。