「魔法少女ナナシちゃん!」
連載第31回〜第40回

連載第31回(2002.10.21.)
「おい・・・今日もな」
 その生徒は若干声をひそめて言った。
 言われた方の生徒、メガネに痩せッぽっちの少年、堀井浩太(ほりい・こうた)は黙って聞いている。
「おうっ!・・・分かったのかよ・・・」
 不承不承頷く浩太。
「あんだその目は・・・」
 ぐいっ!と胸倉を掴み、椅子から吊り上げる田中。
 田中は中学生にして相撲部屋に入門できそうな恰幅の良さを誇り、その怪力にモノを言わせてクラスを牛耳っていた。
 その田中が低い声で凄む。
 その迫力は怒鳴りつけられるに倍するものがあった。
 周囲ではにやにやしながらクラスメートが見守っている。誰も助けるそぶりを見せない。
「へっ!」
 ゴミでも捨てるかのように浩太を放り出す田中。
 すぐに取り巻きと話し始める。
 その内容は完全には聞き取れないが、「ゴミ」「クソ」「バイキン」といった単語が確認出来た。
 あと5時間・・・。
 浩太はまた、暇さえあれば時計を気にしていた。彼にとって学校とは「時計を見詰めるところ」だったのだ。




連載第32回(2002.10.22.)
「・・・なんだってさ」
「ふーん・・・」
「何だよ・・・喜ぶかと思ってたのに・・・」
「やっぱり荒唐無稽だと思うぜ」
 藤堂は携帯電話に向かって言った。
「やっぱ本職でも分からねえか」
「本職だからだ」
 藤堂は刑事である。
 悪名高くなってしまった神奈川県警の生活安全課の一番下っ端のぺーぺーである。
 口の悪い先輩はその苗字だけで採用試験に合格した、などと言う。確かに藤堂は伝説的刑事ドラマの主役の役名と同じだ。だが、そこまで珍しい苗字という訳でもない。探せば警察内になって幾らでもいるだろうに・・・
 ともあれ、藤堂の友人から面白そうな電話が掛かってきたのである。こいつは安宅といい、様々な趣味に通じた暇人である。
「そういうと思ってな。写真があるんだよ」
「写真だと?」
「驚いたか」
 これまで目撃情報のみが先行していた「ナナシちゃん」は似顔絵すら無い。ひたすら目撃者の話だけだった。
 別に治安を乱している訳では無い。だが、基本的に近代法は「自力救済」を禁じている。つまり、個人が「やられたらやりかえす」ことを禁止しているのだ。それは警察権力の役割だ。





連載第33回(2002.10.23.)
 実は「逮捕権」というのは警察官だけが持つものではない。一般人であれ、現行犯を「逮捕」する権限が認められている。
 だが、「正当防衛」或いは「緊急避難」以上の行動を起こす市民団体が生まれかねない「ナナシちゃん」の存在は決して放置しておいていいものではない。
 藤堂は忙しい日々の中、風の噂で聞こえてくる「ナナシちゃん」に興味津々だった。
 警察が掴んでいるだけで、「ナナシちゃんに助けられた」と称する市民は30人に及んでいた。恐らく警察が掴んでいない案件も多いはずだ。
 目撃証言をそのまま信じればであるが、「ナナシちゃん」はそばに警官がいれば犯人を引き渡すし、時には現場に警官を誘導するだけの場合もある。まあ、最もスマートな解決方法と言っていいだろう。
 それにしても・・・。
 にわかには信じがたい話だ。
 せいぜい9〜10歳の女の子が街のチンピラやゴロツキをほいほい投げ飛ばし、誰も敵う者がいないというのだ。
 しかも相手が振るっている。
 競技場で向かい合っている「試合」では無いのだ。どんな武器を持っているのかも分からない。ここだけの話、精神的に普通の状態では無い可能性すらあるのだ。未成年だと、罰されても大した事が無いことを知って掛かってくる。
 正直、警官になるにあたって武芸を叩き込まれた藤堂ですら出来れば相手をしたくない手合いである。



連載第34回(2002.10.24.)
 それを果敢に飛び込んでいき、確実に被害者を救い出す・・・。
 本当にそんな存在がいるのならまさしくヒーローだ。
 女の子らしいから“ヒロイン”かも知れないが。
 これだけでも考察に値するのだが、目撃証言の多くで彼女は「法律用語」をしばしば口にするらしいのである。
 「悪法もまた法なり」と言ってソクラテスは理不尽な死刑に従って毒杯をあおった。その際には弟子のみならず看視すら号泣したと伝えられる。
 法律の要請する犯罪の構成要件と感覚的なそれはしばしば食い違う。
 一番の問題は近代法、特に日本の民法が「意思主義」を採用していることだろう。
 「意思主義」とは、法律行為を為すにあたって、その行為を行う意思をもって行ったものを有効とする、という考え方である。
 これは契約などには有効な考え方だ。状態がAであると思って契約したが実際にはBであった場合などは、「契約する意思」が無いとみなされて何らかの救済措置がある場合が殆どである。
 これによって、詐欺や脅迫による契約の強要などから市民は守られることになる。「意思」をないがしろにしているからだ。

 問題になるのは「不法行為」の場合である。





連載第35回(2002.10.25.)
 「法律行為」に関しては意思主義も結構なのだが、「不法行為」に関してもこれが適用されると少々おかしなことになる。
 つまり「不法行為をするぞ!」としっかり思い込んで不法行為をしなくては罪を構成しない、という論理が成り立ってしまうのである。
 極論すれば人を殺しても「殺すつもりは無かった」と言えば罪を逃れられるのである。
 流石に「過失致死」には問われる可能性があるが、それでも「殺すつもりで殺した」(刑が確定すれば民法199条違反の「殺人罪」。死刑または無期懲役)のではなく、「殺すつもりは無かったけどたまたま死んじゃった」という扱いになるのだ。
 わが国は建前は「証拠主義」なので、例え自称犯人が自白して「私がやりました。死刑にして下さい」と訴えても、物的証拠が無ければ罪にはならない。「誰彼を殺しました」と訴えても死体が見つからなければ「夢でも見たんだろう」ということになる。反対に容疑者がいくら「私はやっていません」と言っても物的証拠があればその事実は認定される。
 だがこれは「事実関係」のお話である。これとは別に「殺意」のある無しによって適用される法律が違ってくるのである。
 よくミステリードラマなどで、知り合いに殴りかかられ、もみ合っているうちに突き飛ばして殺してしまい、慌てて逃げ出す登場人物が出てくる。そのまま数年間逃げ続けて愛人の前で御用、数年間の服役・・・などよく見る場面だが、藤堂に言わせればまるっきりアホである。
 場合にもよるが、こうした場合には「殺人罪」はまず適用されないと思っていい。何しろ「殺す意思」が無いのだから。
 こうしたアクシデントで相手を結果的に「殺した」ことによって十三階段を上って絞首刑にされる場面などまず想像できない。
 せいぜい執行猶予、下手すると起訴猶予の可能性すらある。



連載第36回(2002.10.26.)
 こういう場合はともかく、問題は「意思」などは本人の言いようでどうにでもなるということだ。明らかに殺意を持って殺しても「殺すつもりはありませんでした」と言うのは簡単だからだ。
 これを如何にして物的証拠でもって突き崩すかが検察の腕の見せ所な訳だが、問題は「心神喪失」「心神耗弱」の場合である。

 刑法39条。
   心神喪失者の行為は之を罰せず。
   心神耗弱者の行為はその刑を減軽す。

 要するに「意思主義」を取るわけだから「自分で自分の身体がどうにもならなかった」ということは「殺す(不法行為をする)意思を欠いていた」と見なされる。
 つまり「不法行為」が「不成立」になるというおかしなことになるのだ。
 「不成立」も何も現に人は死んでるのだが、法律上そうなってしまう。そして「人を殺している」ことが否定できない場合は「心神喪失」だったとするのが「法廷戦術」として確立するに至るのである。
 これについては幾らでも語れるのだが、ここで「ナナシちゃん」の戦術が光ってくる。
 今電話で聞いた話が本当なら、そのヒモは銃を向けて延々脅し続け、そして発砲している。
 その間、指はトリガーに掛けっ放しである。これで「事故だった」で済まされる筈も無い。どう贔屓目に見ても「殺意」が認定される。100歩譲っても「未必の故意」は認められるはずだ。流石にそこまでわが国の法曹は腐っちゃいない。あとは法廷戦術としては黙秘による引き伸ばし程度しか無いだろう。




連載第37回(2002.10.27.)
 まあ、結果として狂言だった訳だが、これを計算してやっているとすれば・・・「ナナシちゃん」に警察関係者として注目しない訳にはいかない。
 山の様な目撃者、その前に自分に敢えて暴行を受けている。これも計算ずくに違いない。この暴行の直後の発砲であるから殺意の立証も容易だ。
 とにかく現在、一番揉めるのが「事実認定」という「入り口」の場面なのである。
 だが、「ナナシちゃん」とやらが助けた被害者に関しては容疑者は全員逮捕されており、キチンと罪に問われている。
 何と言うか「警察を上手く利用している」というイメージである。
 それでいて、まだ報告は少ないながらも“警察には出来ない”解決をしている場合もある。
 今回の「ヒモ男撃退事件」・・・まあ藤堂が勝手に呼んだ訳だが・・・などその典型である。警察には犯人を洗脳する権限は無い。だから犯人が生きている限り被害者は常に危険な状態にあるとも言える。そしてこの程度の罪状では死刑に処すことなど持っての他だ。
 結局、ストーカーによる被害者の殺害という最悪の形の決着・・・ということになりかねない。
 そうなのである。少なくともこうしたケースにおいては、警察は無力なのだ。市民から自力救済権限を奪っておいて役に立たないとなれば市民も怒るだろう。
 だが結局ナナシちゃんはこれも解決している。しかも相手を殺す事なしにだ。
 もしもこの世に“正義の味方”が本当にいてくれたなら、こうした「警察権力の及ばない」悪を討って欲しい。
 ひょっとしたら「ナナシちゃん」がそれなのかもしれない。
 藤堂はそう思い始めていた。
 そして・・・写真が送られてきた。




連載第38回(2002.10.28.)
「先輩」
 一年後輩の売り出し中のディレクター、黒田が声を掛けてくる。
「どうしたの黒田」
「この間の話、覚えてますか?」
「何だっけ」
「“ナナシちゃん”のことですよ」
「ああ・・・」
 そんなこともあったっけ・・・。
 売れっ子女子アナウンサー、進藤真里は“ナナシちゃん”のことはよく憶えていたが、黒田との約束など忘れてしまっていたのだ。
「先輩の方はどうです?」
「“ナナシちゃん”のこと?」
「ええ」
「あたしもナナシちゃんに助けられたって人と電話で話す機会があったわ」
「どうでした?」
「まあ・・・これまでのものと一緒ね」
「それだけですか?」
「それだけ・・・って。あたしはナナシちゃん専属記者でもないし」
「知ってますか?」
「何を」
「その・・・話半分に聞いて欲しいんですけど・・・とある匿名巨大掲示板があるんですけど」
「ああ・・・」
 噂には聞いたことがあった。何しろ匿名性が高いので犯罪予告などにも使われ、その書き込みの内容をめぐって訴訟沙汰も多い掲示板の集合体である。
「そこに・・・“ナナシちゃん”の写真が張ってあるんですよ」





連載第39回(2002.10.29.)
「写真?」
 これまでにない案件だった。
「ええ。元々ちょくちょく話題には出てたんですけど・・・」
「見たいわ」
「そう言うと思って持って来ました」
 黒田が一枚の紙を取り出す。
 そこには酷く不鮮明な黒い画面の中に、ぼやけた赤い人物が映っている。
「・・・これ?」
「写真機能付き携帯電話の画像らしいんですけどね」
「うーん・・・」
 これでは何も分からない。何とでも言える写真である。
「一応“ナナシちゃん”の写真だってことで流通してるみたいですよ」
「ナナシちゃんってそんなに有名なの?」
「まあ、俗称というか一般名詞と化していますからね。あくまで一部にはですけど」
「どういう意味?」
「まあ何ですよ。「UFO」とか「河童」とかそんな感じですかね」
「ああ、「河童」ね」
 京極夏彦を読み込んでいる真里には馴染みの名前である。
「どちらかというと義賊の代表である「ねずみ小僧」という感じでしょうか」
 ふむ・・・妖怪を引き合いに出されるよりは現実感のある別称である。
「実はもう1つ説があるんですよ」
「何?」
「これは・・・現代の「魔法少女」じゃないかって」





連載第40回(2002.10.30.)
「“魔法少女”?」
「“魔女っ子”でもいいですけど」
 やれやれ、とばかりに首を振る真里。現実には程遠い話だ。
「そこでさっきの話ですよ」
 そういえばそこから話が始まったのだった。
「俺の悪友に安宅(あたか)ってのがいるんですが・・・こいつがまあたいがいな博学でして・・・」
「何よ・・・アニメ講座でもしてくれるわけ?」
「それだけじゃ無いですけど・・・実はここだけの話、刑事に知り合いもいるんで・・・まあ僕の有力な情報網の1つですよ」
 売り出し中のディレクターらしい殊勝な言葉だ。
「刑事に知り合いってのが引っかかるわね。民間アドバイザーとか」
「ははは。それはありえません。本物の刑事はドラマみたいに居酒屋で事件について一般人の意見求めたりはしませんから」
 それは真里も知っている。捜査中の事件について口を滑らせれば服務規程違反だ。そもそも刑事は裁判所に提出する書類の作成に忙殺される「事務職」の傾向が強く、ドラマの様に面白くは無いものなのだ。
「まだあんまり話してはくれませんが、下手すると警察より“ナナシちゃん”について情報を集めてるかも知れませんよ」
 真里が反応した。
「ふーん・・・」
 面白そうではある。
「多くのオタクと同じで饒舌な奴で、1つ聞けば20は返って来ます。駄目元で聞いてみたらどうです?1時間潰す価値はあると思いますよ」
「分かったわ。連絡方法教えて」