「魔法少女ナナシちゃん!」
連載第71回〜第80回
連載第71回(2002.11.30.)
「いや、なかなかお詳しくていらっしゃる」
 無視して進藤は続けた。
「他にも水戸黄門とか大岡越前とか、ありますよね。ああいうのは史実と違うって話は私も聞いたことがあります。でもそうなると“フィクション”ってことになりますよね」
「一言で言うと日本は特別なんですよ」
「・・・え?」
「納得いかないかもしれませんがその通りなんです。“神話”“説話”“御伽噺”でない純粋なフィクションとして人類最古の“物語”は何ですか?」
「・・・『源氏物語』・・・?」
「その通り。人類が“フィクション”を避けてきたのは、それが実際に何の役にも立たないということもありますが、やっぱりどこか恐ろしがっていたのではないかと思っています」
「どういうことですか?」
「基本的に“お話”というのは全部“本当にあったこと”を伝えるものなんですよ」
「“神話”の類もですか」
「まさにそれです。それが肝なんですよ。全部“本当にあったこと”と信じていたんです」
「あの・・・旧約聖書とかの」
「はい。海が割れたとか、モーゼが唯一神に十戒を授かる描写も、箱舟の描写も全部“本当のこと”だと信じていなくてはお話になりません。ギリシア神話には“神は人類を自分達の姿に似せて創造した”とあります。北欧神話に至っては神様が軽犯罪犯したのを見られて人間にかつ上げされていたりします」
 ・・・っていうかどういう知識量なのか。段々呆れてきた。黒田は「1聞けば20は返ってくる」と言っていたが、100は返ってきそうな勢いである。
「こういう“全ての話は本当の話だ”という前提がある時に“純粋な作り話”がどういう風に見られていたか・・・」
「あ・・・」
「恐らく薄気味悪く見られていたでしょうね。神に対する冒涜だと思われたかも知れない」


連載第72回(2002.12.1.)
「なるほど・・・」
「世界最古が『源氏物語』だと言いましたが、これは要するに“記録に残っている”という意味での話で、恐らく長い人類の歴史の中、オリジナルの作り話を考えるのが得意な人間なんて幾らでもいたと思いますよ」
 それはそうだろう。
「ヨーロッパで奴隷が開放された直後に大商人として名を成した元・奴隷なんてのがいたそうです。才能は生まれつきのものですから地位なんて関係ありません」
 ふむ。
「私は実はそうした「物語を考えるのが得意な奴」が率先して“実際にあったこと”という建前の神話を“見てきたように”記述したんじゃないかなんて思ってますが、それはともかくとして、日本は例外的に「記録に残す」行為に異常にかられているとしか思えない側面があります。「万葉集」とかそれ以降の勅撰和歌集なんて、どうしてここまでと言うほど古い文字情報が現在に至るまで残されています」
「それはどうして・・・」
「・・・この方面で脱線するとキリが無いんですけど簡単に言えば日本人は「言霊(ことだま)」を信じています。「言霊(ことだま)」というのは、言葉には特別な力が宿るという思想で、「言ったことは実現する」などと言ったことが現実に信じられている訳です。これは現在も同じで、結婚式では「おしまいです」などと言わずに「お開きです」と「言い換え」ることが行われています。先ほど話が出た「差別用語」の「言葉狩り」もこの「言霊(ことだま)」思想の発露です
 えらく深遠な話になってきた。


連載第73回(2002.12.2.)
「言葉を発することで、その“穢らわしい”事象がこの世に存在するようになってしまうのなら、その“言葉”が無ければすなわち“事象”そのものが存在しなくなるという考え方です」
 そんな馬鹿な。
「馬鹿馬鹿しいと思いますか?確かに馬鹿馬鹿しいんですが、日本人がそれに縛られているのも確かなんです。無意識のうちにね。「平和憲法を守ろう」と言っていさえすれば戦争が起こらないと思ってる人たちとかいるでしょ?まあでもメリットもあって、それは「言葉」そのものを非常に大事にする・・・ということです。和歌集やら『源氏物語』を始めとした『物語』の多くが現存しているのもまた「言霊(ことだま)」現象の一側面です。・・・まあこのお話はこの辺でいいでしょう」
 思わず進藤まで付き合ってしまった。
「現実世界で“ある力”を発揮するというお話ははっきり言って説得力が無いんですよ。平等の世の中ですから。まあ講談ですけども「水戸黄門」みたいに“実は誰だぞ”と言うには結局より身分制度が色濃く残っている時代を舞台にするしか無かった。現在で「明かされて驚く身分」なんてあります?それこそその辺にいた冴えないおっさんが『実は俺はアメリカ大統領だ』なんて言われたらどうです?その瞬間ボコボコにされるかも知れない」
 思わず噴出してしまった。
「まあ偽者でしょうし」
「そう思いますよね。まあもしも本物だったらもっとボコボコにされるというか」
 わ、笑えない・・・。
「ですから一番分かりやすいのは“腕力が強い”という“力”なんです。これは力持ちという意味だけじゃ無くて超能力があるとかも含まれます」
「それが“ナナシちゃん”だと・・・」


連載第74回(2002.12.3.)
「まあまあ、落ち着いてください。結局“現実逃避”であって、“カタルシス”を得るために“超人物語”を見るのだとすれば、その“暴力”に“快感”が無くてはいけません」
「か、快感・・・?」
「そうですよ」
 こともなげに言う。
「でも、誰かがぶちのめされているのを見て快感を感じるなんて不謹慎だと思います?」
「まあ・・・そりゃ・・・」
「でもそれには条件がつきますよね」
 何だろう?
「その“暴力”が“正義”ならいいんですよ」
 嫌な気分になった。
「ですが“暴力”は“暴力”です。見方によってはナナシちゃんが卑劣なレイプ犯を投げ飛ばすのも、いじめっ子がいじめられっ子を殴るのも同じ“暴力”です」
 なんて残酷な現実だろう。でも確かにそうとしか言えない。
「流石にこれでは説得力がありません。そこで考え出される方便があります」
「はあ・・・」
 実は進藤には予想がついていた。
「相手が“悪”ならいいんです」


連載第75回(2002.12.4.)
「それも、どんなに酷い暴力でボコボコにされても決して見ている側の良心が痛まない、むしろ爽快ですらある“絶対的な悪”を設定する必要があります」
 “絶対的な悪”・・・か。
「現代・・・もっと言えば2000年を越えた21世紀に住む我々の中で“絶対的な悪”なんてものがありえると無邪気に信じている人はいないと思います。どうやらアメリカの大統領くらいになるとそうでも無いみたいですが」
 なかなか毒がある。こいつならこの道で食っていけるのではないか。
「これは“身分制度”を前提とした物語でも事情はあまり変わりません。『必殺』シリーズが特にそうなんですが、とにかく“狩られる”側の悪辣さをこれでもかとばかりに描きます。大抵“依頼人”は悪役によって途中に殺されます。その他にも娘を奪われたり散々な目に遭うので、見ている視聴者の方はいざ討ち入りする頃になると「そんな悪人はぶっ殺しちまえ!」という気分になっている訳です」
 これまであまり深く考えたことは無かったが、確かにそういう構図はあるだろう。
「プロレスの試合で、アントニオ猪木選手がタイガー・ジェット・シンの腕を試合中に叩き折る衝撃シーンがありますが、あれは普通にあのシーンだけ観ても気分が悪くなるだけです。が、試合を通してみると余りのシン選手のラフファイト・・・というか反則の嵐ですね・・・ぶりに憤慨する余り、骨を折るシーンには快哉を叫ぶことになります。・・・人間の心理なんてこれほど相対的でいい加減なものなんですよ」
「・・・」


連載第76回(2002.12.5.)
「進藤さんは『北斗の拳』という作品をご存知ですか」
「ええまあ・・・」
「この物語は『絶対悪』の宝庫です。まあチンケな奴ばっかりですが」
「そうなんですか」
「作画を担当した・・・というか元々アイデアは原哲夫氏にあって、話を考えるのが週間ペースでは辛いので“浪花節を理解してくれる”原作者の武論尊氏を招いた、というのが真相みたいですが・・・原哲夫氏は敵を「化け物」として描こうとした、とはっきりおっしゃっています。確かに人間の子供を手のひらに握れる様な大男だの「スター・ウォーズ」のジャバ・ザ・ハットみたいな異形の怪物みたいなのだの、まともな人間とは思えないのがゴロゴロ出て来ます」
 ここだけの話、進藤は少年向けの漫画には殆ど興味は無い。「北斗の拳」という名前は聞いたことがあったが、よくあるバイオレンス劇画としか思っていなかった。
「要するに“絶対悪”なんですよ。しかも近代文明が崩壊して暴力の支配する世の中、という触れ込みですからチンケな悪党もまた“一般人”を虫けら殺すみたいにポンポン殺します。そして・・・ここまでお膳立てが出来てからやっと『戦闘では無敵を誇る』超人である主人公が縦横無尽に活躍する素地が出来る訳です」
 やっと話が本筋に戻ろうとしている・・・様に進藤には感じられた。
「実は『北斗の拳』には現代を舞台とした読みきりが存在するのですが、流石にいかな悪徳政治家でも不良警官でも、一般人をポンポン殺す描写には違和感を禁じえないし、またそいつらを“成敗”するのも“そこまでやることは・・・”と思ってしまいます」


連載第77回(2002.12.6.)
 もう進藤にはついていけなかった。
「“暴力講座”はこれまでにしましょう。要するに現在は単純な“力”だけでは事態は解決しないということを言いたかったんです」
「はあ・・・」
「“ナナシちゃん”がやっていることは、見かけは女の子ですが、実際には“必殺仕事人”に近いです」
 実は進藤はそれも観ていない。
「ちょっとだけ話が飛びますが、進藤さん『三億円事件』はご存知ですか」
「はい?」
 無茶苦茶な飛び方だ。どこが“ちょっと”なのか。
「三億円事件も語ろうと思えば幾らでも語れるんですが、あの事件で注目すべきは警察官に変装していたとされる犯人のモンタージュ写真です」
 ああ、思い出した。・・・思い出したんだけど一体どんな関係があるのか?
「要するに“警官の姿”が余りにも強く印象付けられてしまったが故に却って見つからなかったんです」
「はあ・・・」
「進藤さん、“ナナシちゃん”の目撃者の証言の内容を覚えていますか?」
 やっと関係のありそうな話になってきた。
「一様に“派手な格好の小さな女の子”と言ってませんでしたか?」
「・・・あっ!」
「“ナナシちゃん”がどこまで計算していたかは何とも言えないんですけど、その極端なシチュエーション故に、その特徴のみが印象に残り、肝腎の“どんな女の子だったか”まで行かないんですよ」
 ・・・!・・・なんてことだ。


連載第78回(2002.12.7.)
「この世には残念ながらフィクションで活躍するヒーローはいません。仮面ライダーもウルトラマンもいないんです。その代わりショッカーや宇宙怪獣もいないんです。“ナナシちゃん”は今の所超自然能力は何も使っていません。恐らく使えないんだと思います」
「・・・」
「極論すればやはり“街の自警団”なんですよ」
「でも・・・」
「分かります。それならそれで何も少女である必然性はありません。確かにそのスタイルで活躍していれば目立つでしょう。それこそ仮面ライダーの着ぐるみを着て夜な夜なチンピラをなぎ倒し続ければ話題にもなるし、特定されにくくなると思います」
 進藤は考え込んだ。
 結局ここに戻ってくるのである。
「僕が考えるに、“ナナシちゃん”があの形態を取る理由はあと2つあります」
「聞かせて下さい」
「1つは現実性が薄いことです」
「はあ」
「例えば屈強な筋肉マンが特撮ヒーローのコスプレで自警行動をやっていた、なんてニュースがあったとしたら・・・どう思います?」
「え・・・?」
「物好きもいるもんだ、とは思いますけど“ひょっとしたらそういうこともあるかな”と思うでしょ」
 確かに・・・。
「“ナナシちゃん”は今もって本人の仮名すら分からない・・・だから“ナナシちゃん”なんて呼んでいる訳ですが・・・ほど隠密性の高い行動ユニットです。ですが、どうしても活動を続けるうちに噂は広まります」
「はい」
「ですが、これだけ状況が突飛だと誰も“信じてくれません”」


連載第79回(2002.12.8.)
 安宅(あたか)の言い分はもっともだった。
 多くの目撃者の証言を直接聞いて尚、進藤は“ナナシちゃん”の存在を完全に信じた訳では無い。
 その“幼い少女”という形態を選んだのが、“めくらまし”の意図があるのだとすればそれは大成功と言える。
「それで“魔法少女”・・・」
 遂に進藤が安宅(あたか)の言葉を先取りした。
「・・・はい。成年男子が“変身”するヒーローは沢山います。ですが、幼い少女となると・・・それは必然的に“魔法少女”ということになるでしょう」
 カモフラージュ?正体を悟られないための?
「理由はもう一つ」
 そうだった。
「あくまで推測ですけども・・・」
「お願いします」
「“ナナシちゃん”の活躍の多くは何だかんだ言っても暴漢の直接制圧です」
「はい」
「またちょっと話が飛ぶんですが・・・」
 もう慣れてきた。何でも来いだ。
「進藤さん、マイク・タイソンは知ってます?」


連載第80回(2002.12.9.)
 ・・・やっぱりかなりジャンプしたな・・・。
「まあ・・・一応」
「よく冗談で“路上でマイク・タイソンに喧嘩を売る奴がいるか?”なんて言いますよね。今だったらきっとK-1選手なんかがそう言われるんでしょうけど」
「はあ・・・」
「実は実際に喧嘩売られたことがあるんです」
 だから何でそんなしょーもない知識を持っているのか。もう進藤には信じられなかった。
「しかも統一世界チャンピオンになった後にです」
「はあ・・・」
「相手は顔面の上が腫れ上がってヒドイことになってましたけど、別に殺されたりはしてません。これは結構意外ですけども」
 ああそうか、この人は京極堂だと思えばいいんだ、と思った。中身が妖怪の話ではなくてオタク話だというのが情けないが。
「タイソンの例は極端だとしても男ってのはどうしても“戦闘衝動”があるもんでしてね、普通の人間ならK-1ファイターみたいなのに喧嘩を売ろうとは思わない・・・と思いきや“腕に憶えのある”連中は意外とそういうもんでも無いんですよ」
「“腕試しをしたい”と?」
「端的に言えばそういうことです」
「これがそれこそプロレスラーやら格闘家ならまあ、凄んでやり過ごすことも出来るんでしょうけど、そういう役を演じている俳優なんかだと困ったことになります。『ファイト・クラブ』という殴り合い映画の主演を努めたブラッド・ピットは随分からまれたそうですから」
 話としては面白いのだが、また脱線しつつある。