「魔法少女ナナシちゃん!」
連載第131回〜第140回

連載第131回(2003年1月29日)

 風を感じた。

 咄嗟に何かが頭の中でリンクした。
 目を開けると空を飛んでいた。
 いや、正確にはほんの少し浮き上がっていた。
 ふわりと壁の厚さの上に着地する。
 ・・・やっぱりだ。理由は良く分からないけど、今の僕は本当に身軽みたいだった。
 そっか・・・裏から入れってことか。
 流石の浩太も、そろそろ要領が分かって来ていた。
 思い切ってやってみよう。
 だが、そう考えるよりも身体の方が先に反応していた。
 身体が小さくなっているので、2メートルにも感じるその高さからふわりと飛び降りる浩太。
 違和感無く着地する。
 その辺りは倉庫など、小振りの建物が密集していた。
 時間帯は・・・どうだろう?昼食後の昼休みというところだろうか。
 この辺りは近所に売店も何も無いはずだから、昼休みには生徒はそれほど出歩かない。
 ただならぬ空気はまだ続いている。
 何だろう?この胸が押し潰されるみたいな気持ち・・・。
 どす黒い悪意が襲ってきているかの様だった。
 目の前にそれはあった。
 体育倉庫である。
 そしてそこには人の気配があった。


連載第132回(2003年1月30日)
 
浩太は走った。
 自分でもその積極的姿勢に驚いていた。
 全くの赤の他人に何か関わる積りで近付いて行くこと自体が信じられなかったのだ。
 だが行かなければならなかった。
 入り口は閉まっている。
 手袋でその引き戸を左右に開こうとする。
 開かない。
 ・・・これは・・・鍵が掛かってる?
 いや違う。確かに人の気配がする。誰かいるはずなんだ!
 強引に左右に押し広げようとする。
 何かがめきめきっ!とひしゃげる音がする。
 中で何か、どよめく様な声がした。
 ええい!構うもんか!
「うああああああ〜っ!!」
 雄叫びが上がっていた。
 破砕音。
 ドカン!と何かが弾けるように一気に引き戸が左右に開ききる。
「な、何だぁ?!」
 浩太の目にそれは飛び込んできていた。
 そこにはもうもうと立ち込めるほこりの中、黒い学生服の一団がいた。
「・・・?何だお前は!?」
 ぐさり、と何かが浩太の胸に突き刺さった・・・気がした。


連載第133回(2003年1月31日)
 
こいつら・・・こいつら・・・。

 浩太の胸に、いつも見ている見慣れた光景が浮かんでくる。
 それは普段の生活そのものだった。
 こいつらの顔、表情はあのいじめっこ連中のものと全く同じなのである。
 浩太の脳がフル回転を始めていた。
「・・・?ガキじゃねえか」
 馬鹿にしきったその表情を突きつけて来る。
 こいつら・・・ここで一体何をしていたんだ?
「何見てんだよ!」
 裏返った金切り声を上げるその内のひとり。
「あんたがた!ここで何をしてるの?」
 びしり!と指差して口が勝手に動く。
「うるせえんだよ!」
 その内の1人が渾身の力を込めた蹴りを放ってくる。
 スローモーションを見る様だった。
 ひょい、とよけた浩太はそのまま向けた背中を思いっきりその中学生に叩き付けた!
 その瞬間に踏み鳴らした床の“ドシン!”という音が響き渡った。
 背中に物凄い衝撃が加わる。
 足元に衝撃が伝わった。
 先ほど背中をぶつけてやった生徒が床に叩き付けられた音だった。


連載第134回(2003年2月1日)
「てめえ!」

 もう避けられない。
 浩太にその判断は出来た。
 生徒は6人。今倒したのも含めると7人いる。
 一瞬後ろに下がる浩太。
 髪を金色に染めた生徒が飛び掛ってくる。
 だがそれには、床に倒れている生徒を乗り越えてくる必要があった。
 浩太は帽子のツバを掴んでむしりとる。
 一瞬下がった為に目の前に着地しようとする足が、まさに床に着こうとしたその時、思い切り横向きに蹴り払った!
「わああっ!」
 全体重が掛かった足を真横に払われてもんどりうってバランスを崩す金髪。
 そして、その顔が落下する先に浩太の頭があった。
 石をぶつけられた様な衝撃が走る。
「・・・・・っ!っっ!!!!!っ!」
 言葉にならない言葉を発する生徒。
 まともに頭の固いところに顔面を強打した生徒は鼻から鮮血を噴出してもがいた。
 顔の正面を押さえつけたその手の間から真っ赤な血がしたたり落ちている。
 ・・・。
 浩太は自分の行為に恐怖した。
 帽子をむしりとったのも打撃力を上げる・・・より固いところを鼻っ柱にクリーンヒットさせるためだったのか?!
 血の色に残りの荒くれ中学生に動揺が走った。


連載第135回(2003年2月2日)
 この突然の珍入者は彼らの計画を狂わせることになったらしい。
 ナナシちゃん・・・いや浩太は考えていた。
 こいつらはここで一体何をしているのか。どうしてここに自分は導かれたのか?
 浩太は少し、ほんの少しだけこの身体に慣れ始めていた。
 この身体になっていると何と言うかカンがこれまでに比べて働くようになっている。
 連中の動きからして、何かをかばっている様に感じた。
 そんなことにまで気が付く自分に少し驚いていた。冴えない男子中学生の頃には全く考えられないことである。
 その瞬間、鉄パイプが降ってきた。
 咄嗟に一瞬身体を横にずらす。
 コンクリート打ちっ放しの床に鉄パイプがけたたましい音を立てて跳ね返る。
 浩太の背筋が怒りに総毛立った。
 こいつら・・・。
 こんなものが直撃したら一体どうなると思っているのか。
 勿論これはほんの一瞬の内に浩太の脳裏を駆け巡った思考である。実際にはこの間にも事態はコンマ秒単位で進行している。
 こちとら小さな女の子である。・・・少なくとも今はそうなってしまっている。
 にも関わらず鉄パイプを渾身の力で振り下ろせるこいつらは人間として何かが壊れている。壊れてしまっている。
「っ!!」
 跳ね返った鉄パイプの衝撃がしびれとなって叩き込まれている。
 真っ赤な髪で目を血走らせた生徒が再びそれを振り上げようとする。
 浩太はその鉄パイプを上から思いっきり踏んずけた。
「あんじゃごるぁ!」
 最早日本語ですらない。こいつら・・・本当に自分と同じ中学生なのだろうか。


連載第136回(2003年2月3日)
 身長で見れば頭1つほども違うが、流石に全体重の乗った鉄パイプを手だけで持ち上げられるはずもない。

 更に思いっきり鉄パイプに体重を掛ける浩太。
 赤毛の手から鉄パイプが離れ、コンクリートに叩きつけられる。
 浩太が一瞬スウェーバックする。
 目の前を赤毛の蹴りが通過した。
 訳の分からない奇声が耳をつんざく。
 体育倉庫だけあってそこに置かれている石灰の粉が舞い上がり、何とも言えない臭気が充満する。
 その小さな指で鉄パイプを拾い上げる。
 同時にその指に衝撃が伝わってきた。
 相手もそれを手に取ったのである。
 それほどこの倉庫が広くないのが幸いだった。
 最初にノックアウトして転がっている生徒と、溢れ出す鼻血で戦闘意欲を失ってよろよろしている金髪が残りのメンバーの活動領域をふさいでいた。
 浩太は1度に1人を相手にすればそれで良かったのである。
 鉄パイプが空中に持ち上がる。
 その両端を浩太と赤毛が握っている。
 また身体が勝手に動いていた。
 浩太は両手で持ち直すと、思いっきり右方向にねじった。
 当然赤毛も必死に握り返してくるので容易には回転しない。
 だが抵抗が強く感じられたその瞬間、今度は反対の左側に思いっきりねじった!
「うわっ!」
 流石にこれには抗し切れず、手の中から鉄パイプが離れる赤毛。
 ナナシちゃん・・・いや、浩太はこの瞬間を見逃さなかった。
 今度は両手を鉄パイプに添え、前方に向けて思いっきり突き出した!
「ぐええっ!」
 腹部にその先端がめり込む。
 腹を抑えてもんどりうってその場に赤毛が転がる。


連載第137回(2003年2月4日)
 連続して3人がなす術もなくノックアウトされたのである。

 集団は一種のパニック状態になっていた。
 一番出口に近かった3人にはその珍入者の存在が分かっても、奥にいる4人には何が起こったのかすら分からなかったであろう。
 また、考えるよりも先に行動していた。
 その鉄パイプをくるくるっと回転させると、
「うわああああああ〜っ!」
 大声を上げて体育倉庫の奥に向かって突進したのだ!
 完全にその体制は崩壊していた。
 薄暗い中ではその非常識なスタイルははっきりと視認出来なかったであろうが、自分たちに危害を加えようとしている存在が襲い来ていることだけは分かった。
 倒れ伏している仲間を見殺しにして蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
 しばし沈黙。
 石灰の粉が舞い上がる薄暗い体育倉庫の中に、先ほどノックアウトされた3人のうめき声のみがこだまする。
 浩太は奥を見た。
 心臓が止まるかと思った。
 絶叫しなかったのは奇跡だった。
 そこには人間の足が飛び出していたのだ。


連載第138回(2003年2月5日)
 
その反射的な動きがどちらのものだったのかは分からない。
 だが、浩太は次の瞬間にはその運動マットに飛びついていた。
 今の浩太は自分自身に体重が無く、また体躯も決定的に不足している為にそれを扱うのは一苦労だった。
 だが、慎重にそれを横に倒す。
 卵を扱うかのように床に横たえると、今度はぐるぐる巻きになっているそのマットをはがして行く。
「これは・・・」
 そこから男の子が顔を出した。
 何てことだ。
 この子はこんな状態で逆さにして立てられてたというのか!
 怒りのあまり全身の血液が逆流した。
 さっきの連中・・・何故逃がしてしまったのだろう。
 そこに伸びている連中みたいに一発喰らわせるだけでは物足りない。
 だが、今はそんなことを言っている場合では無かった。
 男の子の顔には全く血の気が無かった。いや、顔色は正確には良く分からなかったのだが、ともかく意識が無いことだけは分かった。
 相当にきつい撒かれ方をされていたのだ。その上逆さ釣りではどうしようもない。
 こんなことをすれば下手をすると死ぬこと位あの連中は分からないのか?手袋の中の手がぶるぶると震えた。
 顔に耳を押し付ける。
 ・・・呼吸して無い・・・。
 ・・・死んでる?・・・。
 浩太はこれまでに無いほど必死に頭を回転させ続けた。


連載第139回(2003年2月6日)
 
保健体育の時間に習った。人工呼吸法を試すしかない。
 浩太は哀れな生徒の頭の横に膝をついた。
 そして顎を上に向けさせる。確かこれで喉の奥に舌が陥没して気道を塞ぐことを防止出来るはずだ。
 でもって鼻から空気が抜けないように鼻をつまんで・・・思いっきり息を吹き込んだ!
 えーと・・・確か心臓停止からの時間でこの間隔は変わってきてたと思うんだけど、今はフィーリングでやるしかない。
 「1、2、」と数えて「3」のタイミングでもう一回息を吹き込んだ。
 これでどうだろう?
 口に耳を押し当てる。
 ・・・駄目だ。やっぱり息をしてない。
 先ほど逆流したはずの血が今度は下がって行く。
 死んじゃう・・・目の前で人が死んじゃう・・・。
 その瞬間思い出した。
 そうだ!人工呼吸だけじゃなくて心臓マッサージも同時にやらないと駄目なんだった!
 ひょい、と仰向けのその胸に飛び乗る浩太。
 えーと・・・心臓は・・・確か・・・。
 その手が勝手に動いてガクランのボタンを引きちぎって胸をはだけさせた。更に中のカッターシャツをも破り取る。
 えーと・・・この「胸骨」という骨・・・。
 ここから先は謎の思考に助けられていた。幾らなんでも将来ライフセーバーを目指すのでも無ければこんなことまで憶えていない。
 肋骨を両面で繋いでいる「胸骨」の一番下の端から拳1つ分左・・・この辺が心臓のはずだ。
 浩太はその辺りに右手のひらの腹を押し付け、更に左手を重ねる。そして、この軽い全体重をそこにぐいっ!と押し付けた。
 それをリズミカルに繰り返す。
 生き返って!生き返ってよ!
 心の中で絶叫していた。
 涙がほとばしっていた。
 この子は・・・この子は僕だ!
 いじめられて・・・体育倉庫に押し込められて逆さに押し込められて・・・こんなことろで死んじゃ駄目だ!駄目だ!生き返って!


連載第140回(2003年2月7日)
 
何度も繰り返した。

 何回目なのか憶えていなかった。
 「ごふっ!」とセキが出た。
「やったー!」
 金切り声で叫んでいた。
 脱力してその場に倒れ伏していた。
 疲労に全身が蝕まれ、全く動く事が出来ない。
 でも・・・。
 そんなことは問題にならないほど充実していた。
 何とか・・・何とか1人の命を救えたのである。
 先ほどまで死ぬ事を真剣に考えていた自分が他人の命を救っているなんて不思議な気分だった。
 でも・・・こんな自分でも何か他の人の役に立ったのだ。
 それだけでも生きている甲斐はあった。
 心の底から嬉しかった。
 いじめられっ子は何不自由なく生きている他の人と少し違う価値観を持っている。ほんの少しのことでも幸せを感じてしまうのである。
「やった・・・やったよ・・・」
 何故か床をどん!と殴って喜んだ。
 自分自身を助けた気分だった。
 自分もあんなふうにいじめっ子を撃退出来ればなあ・・・。
 でも翻って自分の立場が恵まれていることを悟っていた。
 確かに自分も大概ヒドイいじめを受けているが、こんなに実際に殺されてしまうほどではない。それに比べれば幸運では無いか。
 そこまで考えた時だった。
 人の気配を感じて振り仰いだ。
 そこには先ほど逃げ去った4人がいた。
「おお、いたぜ」
「ガキじゃねえか」
「なんだその格好は?」
「やっちまえ」
 気が付いた。
 こいつらは・・・さっきの奴らだ。
 全身の毛穴が開いた。
 ・・・証拠隠滅に来たんだ。
 理性が弾け飛んだ。
 こいつら・・・こいつら・・・。