「月下転生」

作・真城 悠

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 月の明るい夜だった。いや、狼男でも遠慮してしまうほど、眩しい位に輝く月の夜だった。

 僕は見知らぬ街を歩いていた。いや、いつもの街なのだが、深夜に通りかかるとこうも印象が違うものなのだろうか、と思う。

 友人の家にひょんな理由で遅くまで世話になった。毒くらわば皿まで、朝までお邪魔しようかとも思ったのだが、帰ることにした。幸い、歩いて三十分ほどの距離だし、この明るさだ。我が国の治安の良さに感謝しながら帰路をなぞった。

 適度に暖かい。いい陽気だ。夜景なのに明るさは十分。闇に隠れる場所が殆ど無い。まるで白黒テレビを見ているかのようにその色合いだけを変えた景色は僕を退屈させなかった。

 その店に気付いたのも、その夜の雰囲気のせいなんだろうか。それは唐突に視界に飛び込んできた。

 「ヒュー」という不思議な名前の看板が目に入った。

 思わず立ち止まる。

 こんな店あったっけ。思い出せない。

 しかも何屋なのかさっぱり分からない。

 しかし…何とも言えない「いい」雰囲気の店だった。多分喫茶店だろう、と思う。このお洒落な雰囲気は女の子を誘うには最適だ。よし、覚えておこう、と思った。

 次の瞬間、信じられないものが目に入った。…少々表現が大げさだったかも知れない。しかし、珍しい事象であるのは確かだ。そのドアには「OPEN」の札が下がっていたのだ。

 …営業してる?

 時計を持ち歩かないので正確な時間は分からないが、どう考えても夜中の一時以降にはなっているはずだ。コンビニやファミレスならともかく喫茶店が二十四時間営業?しかもこんな寂しい通りの店がこんな時間まで営業して採算は取れるんだろうか?他人事ながら心配になってしまう。

 いやいや馬鹿な。そんな筈はない。きっと札を返し忘れたに違いない。

 どうしてこんなに気になるのかな。自分でおかしくなった。何故か今、この店を見失うと二度とたどり着けない気がしているのだ。理由は分からないが。

 ドアに手を掛けた。ごくりと唾を飲む。

 ぐい、と押してみる。

 抵抗がない。

 思い切って中に入ってみた。

 カララン、とドアについた鈴が鳴る。僕は遂にその店に足を踏み入れた。

 特に照明があるわけでもないのに奇妙に明るい店内には、所狭しと骨董品らしきものが並んでいる。いわゆる「古道具屋」らしい。おっと「アンティークショップ」か。

「いらっしゃい」

 よく叫び声を上げなかったと思う。咄嗟に声のした方に振り返る。

 そこには一人の女性が座っていた。

 この店に負けず劣らす不思議な雰囲気の女性だった。

 東欧か北欧の民族衣装を思わせる裾の長い服を着ていた。長く、美しい髪が腰まで伸びている。色白で面長、絵に描いたような「綺麗な女性」だった。

「あ、どうも…」

 間抜けな返事である。

「はい。どうぞごゆっくり」

 にっこりと微笑んで会釈をしてくれる。こちらも会釈を返す。

 その時、その女性に感じていた「違和感」に気付いた気がした。

 彼女はこちらの方を見てはいるが、目の動きが必ずしも僕を追っていない。そして目玉も動かないのだ。

 少なくとも片方の目は義眼なんじゃないだろうか。全盲である可能性もある。

 

 机の上に乗っているその「物体」。

 今でもあの店は幻だったのではないか、と思う。

 目の前にそのオルゴールがあるのにそんなことを考えてしまう。

 こんなのは趣味じゃないよなあ、と自分でも苦笑する。僕はこれまでアンティークなんかに興味を持ったことは無い。それが誘い込まれるようにこの箱形オルゴールを持ってあの不思議な女性の前に立っていたのだ。

 簡単に分析すればあの女性に心惹かれていたんだと思う。記念に何か「証拠」になるものを手に入れたかったんだと思う。

 僕はオルゴールの蓋を開けた。

 天使の絵が覗き、綺麗な音楽が流れ始める。あの女性はこの天使についても簡単な蘊蓄を披露してくれたが、彼女に見とれる余り、詳しいことは覚えていない。何でも僕たちが一般に「エンジェル」と呼んでいる「天使」は八階級ある天使の位の内でも最も位が低く、名前の付いている天使だけでもロシアの人口を上回るだけの数がいる、などなど。

 オルゴールは他にもファンタジー系の生き物は一通り揃っていた。妖精、竜、一角獣…。

 でも僕はこの天使がよかった。彼女に似ていたから?…多分そうだと思う。

 怪談…というか、良く聞く「不思議な話」では只で譲ってくれたりするんだけど、彼女の提示した値段は高過ぎもせず、安過ぎもしない…といってもアンティークの相場なんか知らないからあくまで僕個人の判断だけど…値段だった。

 その心地よい旋律に乗せられて、何時しか僕は意識を失った。

 

 どれくらい時間が経ったのだろう?僕はまた、月光の下で目が覚めた。

「ん…」

 辺りを見渡した。自分の部屋だ。何の変哲もない。

 寝汗をかいている様子はなかった。寝起きの不快な感覚は全くない。爽やかな目覚めである。僕はベッドに上半身を起こした。

 …異変にはすぐに気付いた。

 僕の視界に飛び込んできた僕の身体には、長い長い、そしてうっとりするほど美しい黒髪がまとわりついていたのである。

「…」

 びっくりはしたけど声は上げなかった。奇妙に冷静だった。

 僕はその髪を弄んだ。やはり白魚のようなその指で。

 どきどきした。

 なんて心地よい感触だろう、と思った。

 僕は従姉妹のお姉ちゃんの事を思い出しながら耳の上の部分の髪を指ですっと耳の後ろに流してみた。

 頬がぽっと紅くなった。いや、見えた訳じゃないんだけどきっとそうだ。

 反対側もそうする。

 不思議なことにどきどきと同時にわくわくした。

 自分の手で自分の手に触ってみる。さらさらに乾燥し、そして柔らかい。

 喉が渇いてくる。

 僕は自分の前でお祈りするように手を合わせ、そこからゆっくりと胸に密着させる。

 やっぱりだ。

 僕の胸に今まで体験したことのない感触がある。

 こりゃきっと夢だな。と、思った。でもまあ、綺麗なイメージの夢でいいや。その照明が月明かりだけってのも風情がある。…ん?月?

 慌てて立ち上がった。髪が波打って追いかけてくる。

 …夢だとしたらえらくリアルだな。

 ぺんぺんと軽く頬を叩いてみる。

 感覚がある。

 まさか…まさかね。

 もう一度自分の身体を見下ろす。

 豊かな乳房が目に入る。勿論服の上から。

 ん?服?

 この時初めて自分が眠り込んでしまった時と同じ服装をしているのに気付いた。

 何故か苦笑が漏れる。

 綺麗なイメージがぶち壊しだなあ、と思った。ぺたん、とベッドに座り込む。その感触を確かめるように自分自身を抱きしめるような格好になる。

 何とも言えない甘酸っぱい気持ちになる。

 これって別におかしくは無いよな。

 上半身を後ろに倒し込む。

「わっ!」

 初めて僕は声を上げた。同時に跳ね起きる。

 …今のは…一体?

 髪をいじりながら考える。

 今、確かに背中に変な感触があった。背中が増えたみたいな…。何て表現していいのか分からないけど…。

 僕は苦労して背中を見ようと首を捻った。

 明らかに背中が膨らんでいた。

 僕は薄々感じ始めたその疑惑を頭の中で明文化するのに躊躇わなかった。

 …羽根…だよな。これ。

 そこには明らかに感覚が通っていた。

 何とも不思議な体験だった。耳を動かそうとして初めて動かせた様な気分だった。

 背中のそれをえい、えい、と「動かそう」とすると確かに「動く」のである。

 僕は夢の中だと割り切って大胆な事を考えた。

 飛べるよな。羽根があるってことは。

 しかしそれには大きな障害があった。いや、別にそんな大げさに考える様な事ではないのかも知れないけども…。そう、服を脱がないと羽根を解放させてあげられないのだ。

 こりゃ明日から羽根を隠して生活するのは大変だな…。恐ろしく本質からずれた心配をしていたさなか、いいアイデアが浮かんだ。

 どうせこりゃ夢なんだから、かなり都合のいい事が出来る筈だ。服を透過して羽根を露出させる位は出来るんじゃないかな。

 僕は羽根を思いっきり広げた。やっぱり服に突っかかる。えい!と力を込める。と、その瞬間、その翼幅がベッドを覆い隠さんばかりの美しい羽根が広がった。

「わあ!」

 その声は驚嘆であり、感嘆、そして感動であった。

 ばさり、と羽ばたかせてみる。動く。動く動く!自分の思い通りに動くよこの羽根は!しかもばっさばっさなんて音は立てない。羽根が抜けて飛んだりもしない。

 僕は羽根で拍手してみたり、目隠ししてみたり、すりすりこすりあわせてみたり、…胸をつんつんしてみたり、といろいろ遊んだ。珍しいおもちゃを手に入れた子供みたいなもんだった。何だか嬉しくて嬉しくてたまらない気分になっていた。その歓喜を爆発させるように後先考えずに窓から飛び出していた。

 

 どれくらい時間が経ったのだろう?僕は月光の下で目が覚めた。

「ん…」

 辺りを見渡した。自分の部屋である。何の変哲もない。

 次に、刺すような陽光が目に飛び込んでくる。

「あ…」

 月明かり、と見えたのはカーテンを閉め切っている為の減光だった。もう朝日の射す時間になっていたのだ。

 慌てて自分の身体を見渡した。

 

 あのオルゴールは今も変わらず僕の机に乗っている。

 いい夢だった、と思う。誰も傷つけないし、変身願望も充足出来る。あと、僕は変身願望もあるけど、小さいときから空が飛びたかったのだ。

 「ヒュー」は相変わらずあの界隈にある。本当に生計は成り立っているのか?と不思議になるほど客が入っていない。でも、僕という常連を得て、あのお姉さんも喜んでくれている…と思う。

 きっとあんな都合のいい夢はもう見られないとは思うが、骨董品の価値は持ち主の想像力が上積みするものだ。

 僕はあれからファンタジー知識を身につけるべく、膨大な本を読んだ。図鑑や百科事典の類もかなりの数を読破した。勿論お姉さんに話を合わせるためだ。

 今日もまた僕は「ヒュー」に行く。

 

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