TS関係のオススメ本07-01


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真城 悠


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キリサキ(2005年・田代 裕彦・富士見書房)
キリサキ

 何となく信じられていることがあります。
 努力は必ずしも報われず、愛や友情なんて虚しいものである。
 確かにそうかも知れませんが、日々そうした映像作品を量産する産業(お察し下さい)で働いている人は結構心神を病んでしまう方が多いんだそうです。大先輩から聞いた話ですが。

 普段、気恥ずかしくて口に出すのもはばかられる当たり前の道徳とか慈愛なんてものでも、それは潜在的に感じ続けないと生きる気力すら無くしてしまう…そういうものなのかもしれません。
 テレビのワイドショーやらニュースバラエティなどで短く入る「再現ドラマ」とやらでも矢鱈(やたら)に最後にはホロリとさせる「いい話」ばかり。
 「またか」と思いつつも「こういうのみんな好きだよねえ」とやっぱり見入ってしまうのでした。

 漫画みたいな可愛らしい絵柄の表紙を持ち、女の子になって生まれ変わる学園ドラマと聞けば陽気で
ちょっとエッチなドタバタコメディあたりを思い浮かべるじゃないですか。

 そんな淡い期待を
粉々に粉砕した上にカスも残さないほど踏みつけてくれるのがこのキリサキです。

三途の川(?)に出現して主人公を再びこの世に導く案内人(ナヴィ)。
何故か姉に生き写し

 主人公は冒頭で
いきなり死亡しています
 モノローグでそう言い切っているのですから間違いないでしょう。
 そこで自分の姉によく似た謎の存在「案内人(ナヴィゲーター。略してナヴィ)」に出会います。

 そして生き返ると同時に「霧崎いづみ」という16歳の女子高生の姿を借りて生き返ることになります。

「表紙買い」が続出するほどイラストの水準は高いんです。
しかし中身は…

 男の意識をはっきり残したまま女の身体になってしまった葛藤とか感慨は
十分な量書き込まれており、TSファンがよく感じる欲求不満に陥ることはありませんのでその点はご安心を。
 ミニスカートなどに関するモノローグは
一読の価値あり

 文体なんですが少々過激ではあるものの、小洒落(こじゃれ)たアメリカン・ジョークみたいなのが乱発される「和製翻訳調」のけんぷファーみたいなことは無いのでその点安心して読めたりします(^^;;。スラングの意味もちゃんと解説してくれるし。これは知識勝負には負けたくないと無意識に思ってしまう私の性分でしょうか。
 
ああいうマシンガン・トークも読者を選ぶなあ…と思ったりして。
 閑話休題。

 この事態の引き金を引いた「案内人」に散々悪態をつく主人公。ここで隣り合いながらもこの世界の「きまりごと」をきっちり説明する首尾はさすが。
 後半に顕著なのですが、何しろ整合性がしっかりしていないときちんとミステリが成り立たないのでここはお見事です。

 …ま、
この辺まではいいんです。
 恐らくライトノベルで同様のシチュエーションがあったならば多少書きこみの熱意に関する濃淡やら論理性の高低はあるにせよこうなるでしょう。
 共通しているのは「可愛らしい女子高生になってしまった」という
「痛し痒し」の感情。
 主人公は女性ものの下着の感覚に悪態をついたり色々やっている訳ですが、それは一種のポーズですな。
 嫌な事には違いないだろうけど、結果はぴちぴちの美少女ですよ?
 これがしわがれた老婆とか、よぼよぼのお爺ちゃんだったら?
 
リアルに嫌でしょ?
 …
要はそういうことなんですよ。

 ところがいざ「霧崎いづみ」として学校に通い始めるとここからこの小説が
読者に牙を剥き始めます

 明らかに疎ましがられていることを感じ取るものの、孤独を愛する主人公は意に介していないのですが、そんな甘いものではありません。
 そう、元の身体で瀕死の重傷だった「霧崎いづみ」はいじめられっ子だったんですね。
 ここからいじめ描写が幕を開けるわけですが、その
陰惨ぶりたるや筆舌に尽くし難いとはこのことか。

可愛いイラストですがやっていることはタバコの火を押し付ける“根性焼き”。極悪

 余りにも真に迫ったこの下りは
是非教育関係者に読んでいただきたい。話が大げさになって来てますが「いじめ」という表現がどうにも生ぬるいと以前から思っていたのでね。
 まっとうに生きてきた人間が遭遇したらそれだけでショック死しかねない惨劇が日本中で日々繰り広げられている訳ですよ。
今の自殺犠牲者はむしろ少ないと思うくらいで。

 映画「セブン」は大変に救いのない映画です。
 “死体”にフェティッシュにこだわったことで名高い映画ですが、別に
残酷表現があるから後味が悪い訳ではありません。実際スプラッター度合いではかなりものものがある「北斗の拳」なんて後味は物凄く爽やかでしょ?寧(むし)ろ痛快で気分がよくなったりする。

 あれは編集側と綿密に話し合った計算に基づくものです。悪役は
ぶち殺されても一向に構わない極悪人に設定し、見た目を化け物に近くして感情移入を排除。その上死亡する際に若干のユーモアを匂わせる。これだけで印象が大分違います。よく「北斗の拳」の思い出話をする際に笑っちゃったりしますが、あれはわざとやってるんですよ。計算です。
 つまり逆算して考えれば、娯楽作品においては
無実の善人が意味も無くシリアスに殺されてはならんのです。

 気恥ずかしい話ですが、要するに
「希望が打ち砕かれる」のが人間には一番コタエるんですよ。
 そういう話を見たり聞いたりしていると気持ちが本当に落ち込んで、とても後を引きます。

 TSしたところから始まって、この制服のスカートが…などとやっている内はいいんですが、凄惨ないじめが再開され、翌日学校に行って見れば靴は隠されるは以前に行なわれたであろう「霧崎いづみ」のレイプ写真が机から出てくるわではたまったものではありません。
 そうです。これは
単なる性転換萌え小説なんかでは全く無いんですね。

 あの世の住人(と書いてしまうとナヴィが怒るでしょうが)のナヴィを使っての情報収集による
報復を始める主人公
 それに対する再報復の応酬…書いているだけで気が滅入ってくる展開が続きます。

 *ここでオチまでは明かしませんが、少しだけ本筋に触れますので、「一切合財知りたくない」方はこの先は飛ばしてください。

 いじめの中心人物だったクラスメートが謎の殺人鬼に殺害されるという事件が勃発します。
 報復に打って出ている「霧崎いづみ」たる主人公に疑いが降りかかるわけですが、読者にとっては彼にはアリバイがある訳ですよ。そりゃそうです。主観視点でここまで物語に付き合ってきたんだから。
 しかし、彼は「ありえない」とモノローグ。

 何故か?
 それは
連続殺人鬼「キリサキ」は今のこの女子高生に生まれ変わる前の自分自身だったから

 私は読んでいて目の前が真っ暗になった様でした。
 これほど救いも希望も無いTS小説(!)があったでしょうか。
 大抵の主人公には何らかの形で感情移入出来るもんですが、自ら連続殺人犯というのはかなりの衝撃でした。

 ジャック・ヒギンズが「鷲は舞い降りた」でナチスのチャーチル暗殺を扱った際に
「ナチ側が主人公の小説を書くなどけしからん!」とかなり非難があったそうですが、ナチス将校ったって人間ですからね。全員が鬼畜という訳では無い。大体暗殺も仕事だから真面目に一生懸命頑張るだけです。

 しかし、
猟奇殺人犯の主観視点ライトノベルってのはちょっとそういうレベルでは語れないでしょう。
 一応、「悪人」を主役にした小説のジャンルってのは確固として存在します。それが「ピカレスク(悪漢)」ものとか「コン・ゲーム(詐欺)」とか呼ばれるジャンルです。
 特に
大掛かりな詐欺ってのは何故か悪い事だと知りながらもワクワクしてしまったりするのが困りもの。それが成功した場合にはまるで大きな事業を成し遂げたみたいに喝采を送りたくなったりしてしまいます。
 映画「スティング」なんて全編通して大きな詐欺を成功させる映画なのに名画として称えられています。私も一箇所ちょっとずるい描写があるなあと思いつつもその痛快さ、爽快さに拍手した側。

 実は
その辺の魅力もこの小説にはあるのだからただ事ではありません。
 主人公は常に冷静に立ち回り、「計算づく」で女を演じます。
 そういえばテレビシリーズ「刑事コロンボ」も結局犯人に感情移入して
「どうやってごまかすか?」という見方でハラハラドキドキしてしまいますもんね。
 改めて読み返してみて、この(精神は)キリサキの真の意味での「頭の良さ」には舌を巻きました。

 実はかねてから「青春もの」みたいな作品には非常に不満を抱いておりました。
 
だって主人公を始めとした登場人物たちが馬鹿ばっかりなんだもん。
 道徳の時間に見せられる「いじめはやめよう」ドラマとかで
何も学ぶこととか無いでしょ?

 私ならばいじめられているとなったら卑怯でも情報収集から復讐の算段を練り、効果的に暴力を振るって自己防衛し、常に状況分析を怠らず、計算づくで立ち回る主人公に
大いに納得するものです。
 それに、
劇中に魅力的な「悪人」を配置して思う存分「極論」を語らせることで却(かえ)って本質がむき出しになることはよくあること。
 敵の大ボスの方が魅力的に見えることってあるでしょ?「X-MEN」のマグニートー様とか「餓狼伝説」のギース・ハワードとか。映画だと「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のシャアの演説が
あんなに魅力的なのは普段は言えない本音を悪役に仮託して語らせているからだと思いますね。

 そして
相手の刑事もまた切れ者
 今の自分の身体は完全に無罪ではあるものの、慎重に言葉を選んで同時に模倣犯に探りをいれる緊迫した下りは一級のサスペンスです。

 …この辺りで「読み方」というか
「読んでいる時の頭の使い方」が「TS小説」と全く違っていることに気付くのでした。
 この辺まで全て含めての
「衝撃のTS小説」なんですよ。
 まさかこんなのが眠ってると思わないじゃないですか。
ライトノベル恐るべし

 流石に内容を解説するのはこの辺にしましょう。
 その後も「当然そういうものだ」と無意識に考えていた
「物語の枠」が次々に壊されて本編に流入してくる怒涛(どとう)の展開が続きます。今までに解説した部分なんてまだまだ導入部ですよ!

 そうですねえ…ヒントだけ与えましょう。
 「カイジ」という漫画があります。
 毎回独自のギャンブルを創造して読者を楽しませてくれる福本伸行先生の傑作ですが、中でも一番評価が高いのが最初の「限定じゃんけん」。
 要するに一定の条件を満たしつつ、じゃんけんで勝利する為に奮闘しなくてはなりません(要約できないほど複雑なので未読の方は是非読んでください)。
 ところがこの限定じゃんけんの終盤で、
「どうやら必ずしもじゃんけんに勝利しなくてもどうにかなる方法が存在しているかも知れない」という事実が明かされ、実際にそうなるのです。

 この展開が読者を惹きつけて止まないのは、それまで必死に考察し続けてきた
「前提条件」が崩壊するからです。
 全く新しい条件が提示され、それを元に全てを考え直さなくてはなりません。
 …この小説もそうなんです。
 「え?そんなのあり!?」と思わせる「隠されていた新事実」が次々に明らかになり、主人公自身が連続殺人犯であるという設定のみならず、「普通の小説」ならば何の疑いも無く(道徳的な観点から)「悪」と断定されるであろう事実が、当事者の立場からは必ずしもそうではないという「価値観の転換」すら迫りながら突き進みます。


 …最後の方はかなりややこしくなるので、急ぎ足で読み進めるとわかりにくくなってしまうのが玉に瑕なのですが、これはノンストップ・エンターテインメントですね。
 ライトノベル以外で発売されていたとしても違和感無いです。

 ただ、それは「通常の正義感」を必ずしも踏まえないということだから、読んでいて精神的にダメージを受けないとは言い切れません。というか間違いなく受けます。
 まあ、小説なら友成純一やらウィリアム・バロウズしか読まない人ならばともかく、
「嬉し恥ずかし」「可愛らしくなっちゃったぼく」系のTSファンはかなりショックです。

 ただ、犯罪者自ら(?)が猟奇事件が起これば安易にアニメ・ゲームを槍玉に挙げるメディア批判をしたり(お前が言うな状態ですが)、読みどころも満載。本当にこの著者は頭がいい。
 ここは勇気を持ってどうぞ!と言ってしまいましょう。

 ラストは個人的にかなり好きです。
 誰がどういう状態になって終わるのかを書いてしまうとオチを割るので書けないのがもどかしい!
 とにかく、一人でも多くこのジェットコースターを体験してもらいたいなと。
2007.01.07.Mon.
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