18歳未満お断りのアダルト(成人)TS
作品の紹介ページ02
「コスチュームパラダイス」(1994年・山内繁利・ワニマガジン社) |
あれは忘れもしない渋谷での出来事。 渋谷といえばまんだらけに漫画の森、Comic Stasionに紀伊国屋書店、更には大盛堂にanimate、「Magic:The Ghathering」好きの私にはパラダイス名渋谷DCIジャパン・トーナメントセンターなどなど、秋葉原に負けず劣らずのオタク・タウンなんです。 先ほど名前を挙げたお店はその多くが今や店じまいをしたり引っ越したりして原型を留めていませんけども、渋谷が通勤圏内だった当時の私は「アジア一」(ということは世界一!)の漫画専門店のメッカである渋谷にはほぼ毎日通っていました。 当然探すのはTS物件! 折角立ち寄ったからには何か一冊は見つけて帰りたいと今は亡き渋谷の「まんがの森」の最上階に立ち寄ります(4Fだったかな?)。 そこで見つけたのがこの「コスチュームパラダイス」でした。 4Fというのは普通の漫画も置いてありますが非常に専門性の高いカオスなエリア。ここに来る人の多くは「エロ」を目的としていることでしょう。実際、女性のお客さんは一階の新刊ややおい物件には興味を示しても最上階には余りいらっしゃっていなかった記憶があります。 その表紙の著者名を見て驚きました。 「山内繁利」 …これってもしかして…。 そう、私が「これが…オレ?」シーンの最高峰と勝手に読んでいる場面を含む女装漫画の傑作「まるでシンデレラボーイ」で颯爽(さっそう)とデビューしたはずの山内氏ではありませんか! その表紙の絵柄を見てもう確信しました。間違いないと。 仮に名前を変えていらしても分かったと思います。 人気稼業というのは切ないもので、かつてアイドルや女優さんだった方が裸を売りにするお仕事に手を伸ばしていらっしゃることも御座います。 大変失礼ながらその時には同様の感慨を抱かざるを得ませんでした。 月刊とはいえ天下の少年マガジン連載でデビューし、まがりなりにも三巻の長期連載を務め上げて順風満帆かと思いきや18禁コミックを描く様になっていらっしゃったとは…。 確か当時の「まんがの森」は新刊であっても立ち読みが可能でした。 そこで中を見てみると…そこにはいい意味で相変わらずの世界が繰り広げられていたのです! 当然の様に一も二も無く購入しましたよそりゃ! 中身についてなんですが、表題の「コスチューム」はこの場合歴史劇などの演劇衣装を指す用語ではなく、非常に卑近かつ安易な意味の「コスプレ」(今やこの略語の方がお馴染みかも)からの連想でしょう。 「制服7種攻略法」というサブタイトルがついており、要するに「○○の制服を着た女の子とこんな具合にヤレました」的な内容の短編集を意図していたと思われます。…少なくとも編集部はね(爆)。 しかし、そこは「まるシン」(作者公認の略語です)でデビューするほど価値観が「こっちがわ」の山内氏ですからここぞとばかりに自らのリビドーを炸裂させていらっしゃいます。 七つの短編が存在しますが、そのTS頻度は尋常ではありません。 以下、一応テーマになっている衣装とTSの内容を書き出して見ましょう。 「メイドール」 メイド 脳移植によるTS 「ホワイトラインにご用心」婦人警官 敵を欺く為豊胸手術をした男性登場 「チャイニーズ・ゴーストハンター」 チャイナドレス 人格交換 「エクスタ・シスター」シスター 非TS 「恋人はミストレス」女王様スタイル 非TS 「バニーでKNIGHT」 バニーガール 暴漢を退治する方法としてTS幻覚を見せる 「ホスピタル・パラダイス」看護婦 脇役に女装キャラ登場 …とこんな具合。 明らかにTS系のお話がやりたくてやりたくて仕方が無い願望が滲み出ていますな。 大体表紙のドレスがポイントですよ。 男性のコスプレ好き(?)の方ってこういう衣装は余り好きではない方が多いんですね。もっと露出の多い記号的なコスプレ衣装の方が明らかに人気があります。というか、ぶっちゃけ最後には衣装は全部剥ぎ取るので「中身」の方が重要なんですね。 ところが山内氏は「まるシン」にて主人公に三度もウェディングドレスを着せ、「これが…オレ?」シーンもカラードレスでした。明らかに「衣装そのものに興味がある」風情です。 つまり、「その制服姿の女性たちといかにヤルか」がテーマでその路線で売っていこうと考えていたはずなのが「いかにしてその衣装を着る(着せられる)状況になるか」がテーマになってしまっているんです! 実は考えた事が無いことは無いんです。「まるシン」読んでいて「この作者さんが18禁描写を解禁されたならばどうなるのだろう?」と。 そして遂にその枷(かせ)が取り払われ、18禁描写ありありの作品が登場したのです! 今回レビューするにあたって改めて読み返したんですけど、やっぱり普通の(?)18禁コミックスとは明らかに空気が違います。 ただ、見た目は女性の裸ありのセックス描写ありの漫画には違いないのですがそこには明らかに「TS漫画でしか読めない」描写や特徴が頻出します。 それは我々TSファンには願っても無いことなのですが(爆)、一般のエロ漫画を求めていらっしゃる読者様にどの程度アピールするのかは微妙なところ。 例えばこの「コスチュームパラダイス」においてはモザイク・ボカシ・黒線が登場しません。 私がどうしてこの漫画にウチのサイト的な意味でいい意味でのエロさをさほど感じないかと言うとまずこれがあります。 「局部どアップ」とか「異様に気合の入った男性器の描写(ぼかしの類も恐ろしくおざなり)」とかがもう本当に“全く無い”んです。 前にも書きましたが、本当にそういう描写は辟易します。だったらアダルトコミックなんぞ読むなという感じですが、実際余り読みません。 そして更に女性器そのものにクローズアップした様子が無く、全く描く気が感じられません。構図の関係で見えそうな時にも白く飛ばされており、極論すればこの「コスチューム・パラダイス」を読んでいるだけでは「セックスとはこの様なことをする行為である」ということが良く分からない可能性すらあります。 次にこちらでレビューしようと思っている「ミカエル計画」では局部どころか結合部分のどアップも辞さず、そこから流れ落ちる精液すら描写されているドギツさで、その点ではこの「コスチュームパラダイス」は非常に淡白とすら言えるでしょう。 それ以外については個別にレビューしていきましょう。 まず冒頭の「メイドール」です。 主人公はまずごく普通の少年なのですが、 |
直後に「ドーン!」と轢かれて瀕死に |
いきなり交通事故にあって瀕死の重症を負い、美少女の身体に脳移植されます。 これがいざ目覚めた場面。 |
表の方でもこれから幾つも漫画を紹介しますけど、同種の漫画の中でも出色の出来!「全く別人」でありながら確かに自分の意思で動くその身体!。 実は少し考えれば当たり前なのですが、人類は「鏡」が無い限りは自らの姿を正確に見ることが出来ません。 写真を始めて見るという、外界と遮断された人たちに集合写真を見せると大抵は「一人だけ知らない奴がいる」と言うそうです。 そう、「自分」だけは見たことが無いから分からないんですね。 何度も言いますが、女性への変身というのは何と言っても見た目の大変革であり、人格がそのままであるために引き起こされる「外見と中身のギャップ」です。更に言えばそれが「外見だけ変わってしまった人間」の心理の起伏のドラマでもあります。 要するに「性転換したのならば鏡を観るシーンは入れるべき」となる訳ですよ。 ちなみに、この短編集では実はTSTS言ってますが純粋な「変身」は出て来ません。「脳移植」「人格交換」「豊胸手術」は出て来るんですが、「変身」は出てこないんですね。 流石にそこは「建前はエロコミック」なだけに一線を引かれたのでしょう。 ともあれ、彼は手術代の身代わりとしてメイドとして働かされることになります。 そこでのコマがまずこれ。 |
手頃な着せ替え人形が手に入って喜ぶマッドサイエンティスト。基本です |
四段ぶち抜きでの全身像がまず素晴らしい。 この「可愛らしい姿になって、こんな衣装まで着せられちゃったボク」を誇らしげにこれ見よがしに見せ付けているんですね。 ちなみに先輩メイドの「千尋」にお風呂場で色んなことをされちゃいます。ここは多分似たようなことは「まるシン」でもやりたかったのだろうけど少年誌という枠では出来なかったことが、遂に実現した感じ。 |
この漫画を紹介するにあたって、どうやっても絶賛になることが分かっていたので少し迷いがありました。 というのもこれを「最上級」と仮に認めることになると「究極的には18禁なし作品の方がエロい」という私の持論が崩れ、例外を認めざるを得なくなるからです。 しかし、よくよく分析してみると「その看板は下す必要が無さそうだな」と思いなおしました。 というのは、山内氏は明らかに「違う目的」でエロを使っているからです。 それはこの場面で顕著です。 もしも普通の(?)エロ漫画ならばそもそも自分が脳移植されて美少女になるというシチュエーションがありえないのですが、例えばこの場面、非常に際どいことは間違いないのですが、実は何もやってません。 確かに局部をいじられたり素っ裸が画面に踊ったりはしているんですが、局部そのものが全く画面のフレームに入ってこないのは勿論のこと、何かに達するとかも無し。途中で止められてしまうんです。 要するに「こんな美少女になってしまったボクが可愛いメイドさんに裸で身体のあちこちをいじくられている」というシチュエーションが最も大事で、要するに「性器をいじって絶頂に達する」という非常に即物的かつ男性的な「読書による快感」の得方ではなくて「脳内をかき回して」得る快感なのですね。 その過程ではどうしても裸も必要だし、概念として「裸の女性が局部や乳首をいじられている」という状況を描写する必要があります。だからアダルトコミックの看板が必要なのですが、この場合「接触による快感」ではなくて寧(むし)ろ「状況」「シチュエーション」にこそ快感を得ていますので、極論すれば絵はいりません。 「小説」でいいんです。 しかし、自分の脳内のバーチャル体験を他人におすそわけ出来る媒体を完成するほど人類の科学は進んでいないので、仕方なく「漫画」という形で図解するしかないんです。 ここで記号的に「女性の裸」が出て来るからといって、その「記号に引きずられる」のはちょっと勿体無いです。勿論、それによって喚起される効果をゼロとして計算している訳では無いのですが、一番大事なのは「状況・シチュエーションに興奮する」ことなのです。 その証拠にモノローグでしつこいほど状況を確認、確認するんですね。 絵でイヤと言うほど見せているんだからそんな説明はいらないんじゃ?というのは早とちりで、これが「自ら(!)を精神的に責め苛(さいな)んで快感を得る」エンジンとして機能を果たすのです。 これは後の場面でも頻出する表現で、別作品にも登場します。 行為そのものを中断するのも、実は「ここまでやれば十分」でそこから先に進む必要は全くありません。 実際、ここでこの事態の張本人である「先生」が登場して何と千尋を制止するんですね(ギャグっぽくではありますが)。 |
漫画なのに文字によるモノローグで“皮膚感覚”まで補完する主人公。 この情報量の多さはかなりのもの |
これは全く辻褄の合わない話です。 その後自らがもっと過激な行為を彼に対して散々行なうのですから、「誰がそこまでしろと言った」と止める必然性がありません。 ちょっと皆さん想像して欲しいんですが、もしも普通(?)のアダルトコミックだったらこの場面って絶対これだけでは終わらないですよね。 あのグロテスクなどろどろグチャグチャのセックス描写が開始されたはずです。 しかし、あくまでも画面は清潔感を保って(←ここ大事!テストに出ます)綺麗なまま次の場面に行ってしまうのです。 これは「肉体への執着」が非常に弱く、「状況」への執着が強いからであると思われます。 千尋は性転換した元・男で男性器のみを残したふたなりだということが判明します(こんな奴ばっかり…)。 更に脳を外された自らの身体がコンピューターを入れられて今の自分の身体を犯しに来ます。 はい、もうお分かりですね。 この「コスチュームパラダイス」には主人公がからむまともな男女セックスはひとつもありません(核爆)。 大抵は主人公側が性転換した元・男だったり、お互いに入れ替わった状態だったりします。 |
ムチャクチャ可愛らしい仕草で嫌がる主人公(中身は男)。山内先生ノリノリですな |
世の中でよく誤解されているんですが、TS漫画・小説ファンってのは全員が女性への性転換願望がある男性であると思われがちです。 が、実際にはそんなことはありません。だったらミステリファンは全員人殺しの欲求がありますか?コン・ゲーム小説のファンは全員犯罪者ですか? 中にはそういう方もいらっしゃるのかも知れませんが、大抵は「面白半分」に「女になったところ」「女にされた状況」を「疑似体験」することが快感なのです。 それはその中に登場する「純粋な男性としての欲求」とも「純粋な女性としての欲求」とも違う原理で動くことに他なりません。 ですから都合がいいことに「女性として遇されたい」「女性として振舞いたい」そして「セックスなどによる女性的な性的快感をえる疑似体験がしてみたい」と思いつつも「男性とセックスするのはイヤ」という無茶苦茶な願望になってしまいます。 ところが! そこはフィクションなので、「男性とセックスせずに女性の性的快感を得る」方法を模索することになります。 最も安易なのが女性同士の絡みであるレズです。 けども男性器が介在して欲しいと思う方は張型などに頼ることになります。いや、相手は男性の肉体で無いと!と言う場合に持ち出されるある種究極の方法が「性転換した元・女性」という存在を使う方法。 これですと卑怯(?)なことに主人公の男性は「女性としてセックスを経験する」というある種一番美味しいところを持って行きながら「純粋な男性とのセックス経験は無い」ということになります。う〜ん。 そして、この「メイドール」という短編では更にその先に一歩進んで「女性になった自分の精神と男性である自分の肉体とのセックス」というところにまで到達します。 まずその前座として千尋に犯されるのですが、ここにも特筆すべき特徴が幾つもあります。 例えばこの場面。 |
ひたすら倒錯的な状況を成文化し、強調して脳内で反芻する主人公。 普通に考えれば追い討ち掛けるだけなのですが、この場合はこれが正しいのでは無いかと |
実際このいやらしさ(?)はかなりのもので、全編がこの調子で直接裸が一度も描写されなかったとしても「18禁」にカテゴライズされたのは間違いないでしょう。何故ならばいやらしいから。 「裸を描写しなくても幾らでもいやらしく出来る」の典型例ですな。 そして先ほど「自らの状況を何度も何度も“概念として”確認して脳に叩きつけることで快感を得る」為に使われていると説明したモノローグがかぶさります。 もう「必要な要素は全て満たした」と言いたくなる力作ですね。 トドメが自分自身の身体に犯されるこの場面。 |
「人類史上究極のオナ○ー」の完成。おめでとうございます。 ここに至って「オナ○ー」を伏字にするあたりが奥ゆかしいですね(*^^* |
う〜ん、普通に「コスプレでH」を期待して…要は「エロ本」だと思っていた読者はこのオチをどう感じたのでしょう(*^^*;;。 しかし、その後も必然性があるとは思えないTS(?)まがいの描写が続きます。 推測ですが「ワンパターンだから止めろ」と言われているので真正面からやれず、何とかしてねじ込んだみたい…。 例えば二番目のエピソード「ホワイトラインにご用心」に謎のバイカーが登場するんですが、実はこの美女の正体は女装した男だったりします…が、これも一筋縄ではいかなかったり。 |
おっぱいをむき出しにされるキャラ。しかしこいつは男です |
女装するのはいいんですが、強姦された姉の仇(かたき)をおびき寄せるための女装で、何故豊胸手術をしなくてはなりませんか? 普通に詰め物すれば済むでしょうに…。 三番目のエピソード「チャイニーズ・ゴーストハンター」では、「入れ替わり」が描かれます。 |
妖術師が敵の攻撃によって身体の自由を奪われたので、 そばにいた男と身体を入れ替えることで現状の打開を図ります。 入れ替えられる男にとってはたまらんですな。…両方の意味で(爆) |
6番目のエピソードである「バニーでKNIGHT」の主人公は女の子ですので、流石に「男→女」のTS被害に遭うことは無いんですが、何とこの中では暴漢を撃退する方法が「TS幻覚を見せる」方法なのです! |
…これってどういう状況なのでしょうか?「男として役立たず」って… |
普通に解決出来ないんでしょうか(*^^*;;。しかし素晴らしい。 多分山内先生としてはこのヤクザどもを全員バニーガールにして…とか考えていたと思うんですが、主人公のうさ美が「バニーKNIGHT」に変身しちゃってるので物語の構造上難しいのでこうなったのでしょう。 ラストのエピソード「ホスピタル・パラダイス」は珍しく普通のエピソードっぽい性欲(?)を主人公の少年が示すんですが、実際にセックスするのは脇役ばっかりで、主人公は憧れの看護婦さんへのプラトニックな恋心を語るばかり…つくづく普通のアダルトコミックにはありえない展開ばかりです(*^^*;;。 そして、このエピソード(前後編です)で一番女性とセックスするのが一方的に憧れてきた後輩。これが女装した男なんですが、オチに至って彼女をゲットしているというカオスぶり。 |
…本人たちが幸せなのが一番です。てゆーか論理も倫理もムチャクチャ(だが、それがいい) |
色々見てきた訳ですが、結局のところどうなのか? 勿論、私としてはこの連作は「まるでシンデレラボーイ」の延長線上にあると思ってます。 昔からTS界には「商業作品論争」なるものがありました。 それはTS作品そのものが膨大に増えてきた現在ではちょっと考えにくいものなのですが、要するに「商業作品にTSものが登場した場合、TSファンの立場としては内容はともあれ熱狂的に支持することで後続の作品リリースにつなげるべし」という派と「卑しくもプロの作品なのだから、厳しい批評にさらして更なるレベルアップを図るべし」派に分かれて論争を繰り広げたものです。 真城はどちらかというと後者に属していました。 それは折角取り上げて紹介している作品に必ずしも絶賛のコメントばかりつけていないところからもお分かり頂けると思います。 というのは上記の「商業作品論争」(真城が仮に名付けました)における「肯定派」の主張ははある幻想の元に成り立っていると思うからです。 それは、「TS的に美味しい作品」「性転換萌えスピリッツに溢れた作品」というものが、恰(あたか)も何かの方程式を解くがごとくに試行錯誤の末に到達する必然であり、それを人為的に操作できると考えているところです。 「こういう風に展開してくれれば私たちはTS萌えを感じることが出来る!だからこの様な展開にしてくれ!」とリクエストしたり、そうした展開になるものを支持して購買にて支えたりすればそうなっていくと信じていたんですね。 これは私、成り立たないと思うんですよ。 一見すると正しいように見えなくも無いですが、それは「セイの法則」などという寝言を信じて共産主義が崩壊した様に単なる幻想だと思います。 確かに「この様にすればTS的に萌えられる」といった「法則」めいたものは私ですら瞬時に幾つか挙げることは出来ます。 しかし、結局は描く作家に「TS的素質」「TS的素養」が在るか無いか?が一番大きなファクターなのではないか?とこの「コスチュームパラダイス」を読んで強く感じてしまいました。 山内氏はどこまで行っても「こっち側」の方であって、それは特にTSでメインテーマを掲げている訳では無いこうした作品にすら勝手ににじみ出てきてしまいます。 この考えには簡単には決着がつきません。 もしもこの考え方が正しければ、我々一般のTSファンは山内氏の様な方が出現して活躍してくれるのを辛抱強く待つか、…それとも自分で書くかしか無いということになります。 作家としての命運はひとえに「時代に愛されるか」に尽きます。 山内氏的な感受性が時代に受け入れられたのかどうか…それはコメントがし辛いですね。 しかし…今回amazonリンクを張る際に本当に驚きました。 何とこの12年前に初版発行された「コスチュームパラダイス」は、2006年現在で新刊が手に入るんです(1巻に関しては張る時点で在庫1冊だけですが)。 まず、絶版・品切れかあってもマーケットプレイスだと思っていたので本当に驚き。 ということはつまり、売れているってことです。 この十年の間に再刷が掛かったことがあるのは間違いないでしょう。流石に今でも刷っているとは思いませんが、少なくともamazonの書庫には存在しているのです。 二巻目もありますので、もし購買意欲が沸かれたならば、二巻目も併せて是非新刊を買って下さい。何故ならそれは山内先生の懐に入るからです。やっぱり支持したいじゃないですか。 個人的にはこの一連の作品群を「エロ無しでも出来たか?」というのは結構大きなテーマですが、ここに記すには流石に長すぎますので別作品にて語りましょう。 最後に、正に作者の心の叫びと、そして今でもこうした作品を書く際のスタンスを端的に表現しきったページを紹介してお別れです。2006.12.07.Thu. |