おかしなふたり 連載801〜820 |
第801回(2006年01月28日(土)) 「直接どうこうって訳じゃないけど、何しろ日本で一番儲けてるレコード会社の売り上げの何割かを担ってる存在だからね。「あの子が好き」とか言えばうちみたいな吹けば飛ぶような会社ならどうにかしてあげようって気になるかもね」 「そんな…」 「あ、勿論本当にただのコネならそんなこと無いけど、あゆみちゃんの声は控え目に言っても十年に一人の逸材だし、一石二鳥ってところだわ」 「ちょっと待ってください!僕は歌手とかなりませんから!」 「でもねえ…あたしやウチの会社はどーでもいいけど、あゆ自身があなたにご執心だしぃ〜」 ムチャクチャにいやらしい口調…に歩(あゆみ)には聞こえる。明らかに沢崎あゆみを出汁(だし)に使っている。 しかし、あゆ自身の勘違いも非常に大きい。これは本人に糾(ただ)さないと。 |
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第802回(2006年01月29日(日)) 「じゃあ、返事しますね」 「何て返事するの」 「決まってるでしょ!友達としてだけでいいって返事するんですよ」 「あゆを裏切るんだ」 「だって勘違いですもん。それに、もし万が一本当に歌手を目指すとしたってコネでなんて嫌です」 もう歩(あゆみ)はメールの文面をタイプし始めていた。 歩(あゆみ)は人並みに携帯は使うし、メールも使うけど「今時の女子高生」バリバリであるわが妹には到底及ばない。妹からもしょっちゅうメールが来るが、 『おにいちゃん、今ちょっと退屈なんで女子高生にしていい?』 『ふざけるな』 と言った、心温まる(?)ごく短いやりとり程度である。 だから打つのに時間がかかる。 |
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第803回(2006年01月30日(月)) 恵(めぐみ)は考えていた。 これは思わぬ追い風である。このあゆみちゃんは強引な方法を使うのは逆効果だ。見ようによっては女の子みたいな頼りない感じに見えなくもないけど、実は芯が強い。 この兄妹の『秘密』を知っているのは、本人たち以外ではあたしだけみたいだけど、流石にこれを脅迫に使うというのは穏やかではない。へたすりゃ破滅させてしまう。それでは意味がない。 しかし、あこがれである「沢崎あゆみ」ブランドは絶大な効果があるらしい。 これを梃子(てこ)にどうにかしてみたい。 しかも、本人は偶然とはいえ本人とのかなり強固なコネクションを得たらしい。これは上手くすれば会社そのものも大きくステップアップ出来る「天使」かもしれない。 …これを逃す手は無い。 |
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第804回(2006年01月31日(火)) 「…送っちゃった?」 ぱちん!と折り畳み式の携帯電話を閉じる歩(あゆみ)。 「はい、送りました」 経験から分かる。この程度で道は閉ざされない。 カンだけども、現時点では一介の高校生に過ぎないあゆみちゃんが歌手としてのし上がるに当たっては、ここで「あたしは歌手になりたいから沢崎さん盛り立ててね!」などとがっついたメールを送り返すのは逆効果だ。やんわり断るのは一番上手いやり方である。結果的に。 ま、本人が望んでいるかどうかは別問題なんだけど。 「でも、どうするの?あゆっておにいちゃんが歌手としてバリバリやってると思ってるんでしょ?」 「仕方が無いわね。本人にやる気が無いんだから」 「…」 歩(あゆみ)は思っていた。 この言い方だとまるで歩(あゆみ)が何か悪いことしたみたいだ。だけど、向こうから誘ってきた話であって、こちらは何も後ろ暗いところはない。…と歩(あゆみ)は一人で納得しようとした。 「…あ」 また携帯電話が鳴り始める。 「返事来たでしょ?」 「…」 無言で携帯を開く歩(あゆみ)。 今度は恵(めぐみ)の思考。 「大きなお世話だ!」と言いたいと思う。あたしがあゆみちゃんでもそう思う。しかし、それを声に出して言えない性格なのよね歩(あゆみ)ちゃん。小さい頃からあの元気のいい妹さんに押されてフェミニストになっちゃったかな? …と勝手なことを思う恵(めぐみ)。 |
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第805回(2006年02月01日(水)) 二人で携帯の液晶を覗き込む城嶋兄妹。 当たり前の様に接触しそうな距離で顔を見合わせる。仲がいいというよりも、それがごく自然という感じだ。 「めぐさんあの…」 「あれ?お兄ちゃんの方から声を掛けてくれるんだ?」 ちょっと意地悪だったな、と恵(めぐみ)は思う。 「見ていただいていいですか?」 自主的に携帯電話を差し出す歩(あゆみ)。どういう風の吹き回しだろうか。 |
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第806回(2006年02月02日(木)) そこにはこうあった。 『電話してもいいかな?出来たらマネージャーさんも一緒に』 「…直(じか)に電話の許可?随分急ねえ」 「そうなんですよ。どう考えていいのか…」 本当に困っている様子の歩(あゆみ)。この様子だと沢崎あゆみには、「実は城嶋歩(あゆみ)は芸能活動していないしその積りも無い」ということは間違いなく「伝わっていない」。しかも、何らかの事情で切迫している様子が伝わってくる。 「あたしがマネージャーってことでいいのかしら?」 「…それは…」 かなりえぐい交渉だが、本人に関わることではなくてどれだけ意気投合したか知らないが、一回であっただけの芸能人相手へのことなのだから許されるだろう、と恵(めぐみ)は判断した。 |
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第807回(2006年02月03日(金)) 「いいじゃんめぐさん。やったげてよ。ボランティアだと思って」 聡(さとり)の無邪気ないい様に心の中で舌打ちする恵(めぐみ)。そうなのだ。本当ならその程度の話なのだけど、それをそう思っていない相手に高く売りつけることで交渉は成立する。ここは兄の芸能活動をサポートする積りなら黙っていて欲しかった。 だが、その静寂を破って携帯が再び鳴り始めた。 そしてその液晶画面は確かに沢崎あゆみからの電話であることを告げていた。 |
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第808回(2006年02月04日(土)) 「来た…」 「返事を聞いてなかったわね?どうなの?」 ここは強気で押す。新人に上下関係を刷り込んでおくにはいい機会だ。 「あの…」 泣きそうな表情になる歩(あゆみ)。可哀想だが言質だけは取りたい。 「おい」 「ほいきた!」 一瞬にして女子高生へと変貌を遂げる歩(あゆみ)。そうなのだ。沢崎あゆみと知り合ったのはあくまでも女子高生の「あゆみちゃん」なのである。このあうんの呼吸は見事なものだった。 それにしても、制服まで女子高生のものに変える必要は無い気がするが…。 |
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第809回(2006年02月05日(日)) それでもそれどころではないのだろう。恵(めぐみ)の返事も聞かずに歩(あゆみ)は電話に出た。 その耳元に聡(さとり)が張り付く。沢崎あゆみの声が聞きたいのだろう。 可愛い女の子同士が密着し会っているのは実に目の保養になるなあ…。 「もしもし…城嶋です」 こんな可愛らしい声色は聡(さとり)も聞いたことが無いほど「女子高生」な歩(あゆみ)の声。 『あ、もしもし…あゆみちゃん?』 そのハスキーな声は間違いなく歌手の沢崎あゆみのものだった。 |
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第810回(2006年02月06日(月)) 聡(さとり)が耳を密着させたまま脚をじたばたさせて興奮している。 本物の沢崎あゆみに興奮しているのだろう。こんなところは普通の女子高生である。 恵(めぐみ)は咄嗟に思いついて部屋の隅にある引き出しから、会議用のボイスレコーダーを引っ張り出してきて録音ボタンを押し、聡(さとり)に押し付ける。 ジェスチャーで「声を録音して!」とやってみると、頷いてマイクを受話器に近づける。本当に利発な子だ、と恵(めぐみ)は関心した。 『ごめんあゆみちゃん…いきなり電話しちゃって…』 「そんな!いいよいつでも!うん」 これといって「女言葉」は使っていないのだが、普通に女の子に聞こえる。これまで着せ替え人形にされることも多かったけど、妹に成り代わらされた時以外は別に歩(あゆみ)は「女の子として」生活したこともないし、する必要も無い。 カラオケの練習をする時以外はこちらから頼んだことも無い。 だから「女言葉」を練習したことは一度も無いのだけど、それを感じさせないほど自然だった。 |
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第811回(2006年02月07日(火)) 『…』 歩(あゆみ)は反射的に感じ取った。 「泣いてるんですか!?」 遠くから聞いている恵(めぐみ)の表情に剣が浮かぶ。 『ごめん…利用するみたいになっちゃって…』 「何のこと?もしもし!」 ただならぬ事態になっているのは確実だった。 恵(めぐみ)は咄嗟に録音した自分の智謀を誇った。 |
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第812回(2006年02月08日(水)) 電話の向こうで何やら押し合いへし合いみたいな声がした。 何か揉めているのは間違いない。 「あゆ!あゆ!」 もう歩(あゆみ)は我を忘れて叫んでいた。 『あ〜もしもしぃ』 面倒くさそうな響きを放つおっさん臭い声がした。 |
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第813回(2006年02月09日(木)) 「…!?」 突然こんな声がしていきなり適切な答えが出来る筈(はず)が無い。 答えに詰まってしまう歩(あゆみ)。 『あんたか、ウチの沢崎を引っ張りまわしたのは…うるさい黙ってろ!』 後半は背後に向けて怒鳴っているのが分かる。きっと沢崎あゆみが必死の抵抗をしたんだろう。 「…何ですか?」 『何なんだあんたは!どういうつもりだよ!?てゆーか嘘だろ?口裏合わせろって言われてるんだろ?あぁ!?』 無茶苦茶である。一切の説明無しに頭ごなしに全てを決め付けてくる。 |
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第814回(2006年02月10日(金)) 「何を言ってるのかさっぱり分かりません!」 滅多に怒らない歩(あゆみ)が怒声を発する。それが女の子の声なので可愛い。 『その程度も分からんのか!ふざけるな!』 まるでやくざにからまれている様な恐ろしい口調である。平凡な男子高校生でしかない歩(あゆみ)はこんな修羅場に直面したことなど無い。 理由はさっぱり分からないが、コワモテ(推測)の相手がかなり怒っていることだけは間違いないのだ。 歩(あゆみ)の背筋で氷を押し付けたかの様に血の気が下がっていくのが分かった。 |
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第815回(2006年02月11日(土)) それでも頭の中をフル回転させる。 恐らくこいつが、評判の悪いマネージャーの郡山に間違いない。つまり、自分があゆのアリバイを証明すればいいのだ。 「お、お疑いのようですけど、わ…たしは沢崎さんと会っていました」 手がぶるぶる震えている。ここが勝負どころなのが自分でも分かる。 身体を密着させるようにして話に聞き耳を立てていた聡(さとり)が、震える手を上からそっと包んでくれる。冷え性気味なので夏でもひんやりと冷たいその手がありがたかった。 聡(さとり)と目が会う。 密着しそうな距離で頷く聡(さとり)。その目は「大丈夫だよお兄ちゃん。あたしがついてるよ!」と言っている。 |
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第816回(2006年02月12日(日)) 『あんでてめーみたいなのがウチの看板歌手とその辺で会えるんだよ!売り込もうとしていたんじゃねーのか?てゆーか嘘つくな!沢崎にゴマすっても後悔するだけだぞ!』 何が一体どうなっているのだろうか? 横暴な人だとは聞いていたけど、ここまで他人を決め付けて怒鳴り散らせるものなのだろうか?間接的に話を聞いただけに間違いないのに、目の前で見ていたとしてもこれほど激昂出来るとも思えないほどの勢いである。 |
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第817回(2006年02月13日(月)) もしも万が一濡れ衣だったりした場合には一体どうやって詫びる積もりなのだろう? 歩(あゆみ)は、自分だったら仮に完全に犯人であるとの確信があったとしてもここまでいえないだろうという自信(?)があった。 「この世にこんな人間がいるんだ!」という軽い衝撃があった。 |
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第818回(2006年02月14日(火)) くいくい、と自分の鼻の頭を指す恵(めぐみ)が歩(あゆみ)の視界に入る。 明らかに「替わろうか?」と言っている。 聡(さとり)がびゅんびゅんびゅん!と扇風機みたいに凄い勢いで手を上下させて手招きしている。 もうここは任せるしかない!と歩(あゆみ)は観念した。 |
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第819回(2006年02月15日(水)) 受話器と一緒に会議用レコーダーも一緒に取り上げる冷静な恵(めぐみ)。 聞こえない位小さく咳き込むと「営業用の声」の体制を整える。 「もしもし、お電話変わりました」 さっきまでのふざけたねーちゃんとは別人みたいに冷静なモードになっている。 |
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第820回(2006年02月16日(木)) もう歩(あゆみ)たちの耳にははっきりと郡山の声は聞こえないが、何やらもごもご反響する不愉快な重低音がこちらにまで響いてくる。きっと、さっきみたいな調子で飛ばしているのだろう。 「お話は分かりました。しかしうちの城嶋は間違いなく沢崎さんと出会っていました。間違いありません」 一オクターブ高くなったその声は、聞いているほうも一瞬気恥ずかしくなる様な営業ボイスではあったが、反面有無を言わせぬ迫力があった。 |