おかしなふたり 連載1321〜1340

第1321回(2007年07月17日(火))
「いらっしゃいませー!」
 店内に足を踏み入れた瞬間に若い女性の勢いのある声に出迎えられる。
 むっとする暑さだったものが、ひんやりとした冷房が心地いい。

第1322回(2007年07月18日(水))
 流石に神奈川県のベッドタウンの駅前繁華街である。この時間帯であっても結構込んでいる。
 3つあるレジにはそれぞれ3〜4人が並んでいる。
 これ幸いと目立たない様に脇の階段を駆け上がる。


第1323回(2007年07月19日(木))
 トイレって何階だったっけかな…。
 女の身体で自宅の外で活動したことが余り無いので違和感バリバリである。
 ブラジャーもしていない形のいい胸が、「階段を登る」ということになると流石に揺れる。

第1324回(2007年07月20日(金))
 結論として、前三階の建物で、二階にのみトイレが存在することに気が付く。
 こんなことを明確に意識したことなんて無いから勉強になった。何の勉強だか分からないが。


第1325回(2007年07月21日(土))
 他のこの店がどうなのかは知らないが、この店は三階が喫煙席で、二階が禁煙席となっている。
 タバコを吸いたかったらより高いところまで登っていかなくてはならない仕様ということだ。どこも喫煙者への風当たりは強いというところだ。

第1326回(2007年07月22日(日))
 こちとら財布も持たないトイレ目当ての客である。
 なるべくちゃっちゃと済ませなくてはならない。


第1327回(2007年07月30日(月))
「いらっしゃいませー!」
 明るい声に罪悪感を感じながら脇の階段を駆け上がる。

第1328回(2007年09月18日(火))
 お客はそこそこおり、今声を掛けてくれた可愛らしい店員さんのレジにもすぐに別のお客が取り付いた。今の自分の行為も人ごみに紛れるはずだ…と言い聞かせる歩(あゆみ)。
 こ、こちとら別に万引きをしようってんじゃないぞ!
 多分トイレだけを借りにファーストフード店に入ってくる人だっているはずなんだ。うん。
 狭い階段で上から迫ってくる人影の気配を感じた。


第1329回(2007年09月19日(水))
 若い男の子二人組みである。
 一瞬視線が交差した。
 心臓が止まるかと思った。
 その制服…間違いなく歩(あゆみ)たちが通っている高校の制服だった。
 そしてその顔はクラスメートの男達だったのである。

第1330回(2007年09月20日(木))
 恐らくマイクロ秒しか経っていないであろう時間の間に歩(あゆみ)の脳はフル回転した。
 ど、どうすればいいんだろう…。
 今は「記号」としての服装をしている訳ではない。スチュワーデスの制服も、水着もウェディングドレスも着ている訳では無いのだ。
 つーかそんなぞろっとした格好で繁華街をぶらつく趣味は無いから当たり前なのだが、理論的にはそうした事態が起こらないとも限らないのだから恐ろしい。今この瞬間にも聡(さとり)がクラスメートの女の子たちと花嫁衣裳の話題で盛り上がったりしたら…。


第1331回(2007年09月21日(金))
 ともあれ、象徴的な記号であるウチの女子の制服を着ているわけでも無い。
 あの格好で妹の身代わりで校内を走りまわされたことなんて思い出したくも無い。
 服装としては何の変哲も無い普通の服である。
 つまり、肉体だけが女になっているのだ。
 当然反射的に考えたのは「バレる!」ということだった。
 今のこの「変身体質」を知っているのは城嶋兄妹以外ではめぐさんこと八重洲恵さんしかいない。
 それ以外の人間にバレたりしたら…。
 物凄い勢いで思考がネガティブ方面に暴走し、パニックになりかけた。

第1332回(2007年09月22日(土))
「あ、すいません」
 よく知る男、二村は恐縮して道を譲ってくれた。
「お前もどけよ」
 と、後から続いてきた三宅に声を掛けている。
「…」
 一瞬真っ白になりかけたが、どうやら言葉に出来ない段階を経て致命的な危機を回避したことを察知したらしい。
 一気に全身の力が抜けていく様だった。
 だが、こんなところで腰を抜かしている訳にはいかない。
「…どうも」
 と言って有り難く横をすりぬける美少女。


第1333回(2007年09月23日(日))
 そういえば声があったな…とすれ違いながら思う歩(あゆみ)。
 先日カラオケで歌ってみて分かったのだが、とにかく「声」が全然違うのである。
 生半可な「女装」では胸に詰め物をしたり長い髪のカツラをかぶったりして「足し算」で「記号」を身に纏(まと)うことは出来るが、「身体を細くする」ことは出来ない。
 女装で「胸」を盛り上げることは出来ても、同時にアンダーバストを引っ込めることは出来ないのだ。それが出来れば「女装」は完璧になるが、それが不可能だからこそ男女差というものがある。
 この辺の、本当にどうしようもない「体格差」みたいなものを歩(あゆみ)は…望むと望まざるとに係らず実感させられていた。
 男が分厚いスカートで女装することは出来ても、薄いビキニの水着で「女装」することは不可能なのである。


第1334回(2007年09月24日(月))
 それと同じで、女になった時に漏れ出る「声」は男が無理して裏声を出している「高い声」とはもう根元から違うのだ。
 それは実際に出したことがある人間だからこそ分かる感慨だった。

 …実際にそういう機会があるのかどうかはともかく、もしも同一人物疑惑を掛けられたならば何か喋った瞬間にその疑問も雲散霧消するだろう。
 そう考えると少し気分が楽になった。


第1335回(2007年09月25日(火))
 すれ違って数歩歩いた時だった。
 もう次の階の明かりが見えてくる。その時、背後から囁く様な声がしてきた。

「すげぇ髪…」
「なんかシャンプーのCMみてえだ」
「しかもいい匂いするし」

 歩(あゆみ)は咄嗟に振り返った。
 存在を意識したことで突如出現したかの様に腰まである美しい黒髪が大きくなびいた。


第1336回(2007年09月26日(水))
 見下ろした階段は、急角度でしかも螺旋状に曲がっているので彼らの姿はすぐに見えなくなった。
 歩(あゆみ)は自分の胸がドキドキしていることに気がついた。
 突如首の周りは勿論のこと、耳まで覆い隠して背中に軽い重さをかけてくる黒髪の暑さが意識される。

第1337回(2007年09月27日(木))
 そっか…この髪…。
 思わず一部をつまんで離す。
 さらさらと流れ落ちる黒髪。
 こちらは勝手に心配していたが、これだけの長い髪を持っているやせっぽっちなんて男だと思われるはずがないのだ。


第1338回(2007年09月28日(金))
 …これから先、余り使う機会が訪れそうに無い…というか出来たら使わないまま終わって欲しい…知識ではあるが、とりあえず身体だけ女にされた状態であるならば男と間違われる心配は無さそうだ。

 そんなこんなで唯一トイレのある2階に到着した。

第1339回(2007年09月29日(土))
 このファーストフード店においては階段とトイレは反対方向についているらしかった。
 2階に降り立った歩(あゆみ)は、無一文でこの中央を突破する破目になる。
 フロア内は半々の込み具合だった。


第1340回(2007年09月30日(日))
 1人掛けの壁に向かう椅子は半分も埋まっていなかったが、向かい合って座るテーブル席は完全に埋まっていた。

 歩(あゆみ)の嫌な予感は的中した