不条理劇場 9

「四人の女」
連載第12回(にあたる部分以降)


作・真城 悠

この小説は「フィクション執筆掲示板」にて書かれたものです

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181(2003.4.1.)

「あんた・・・」
 遂に花嫁さんが口を開いた。
「よく平気だよな」
 かすれ声だった。
 何と言っていいのか分からない。


182(2003.4.2.)
「・・・別に・・・平気って訳じゃねえよ」

 自分の声なのだが、その妙に上ずったみたいな高音域の声にはまだ慣れなかった。
「よく言うぜ。そんな格好しといて」
 堂々巡りである。
「いいじゃねえか」
 大野は何かが吹っ切れた。その場で立ち上がる。
「あんたも着たいと思わないかい?」
 立ち上がると同時にバレリーナ独特の真横に広がったスカートが上下にふわりふわりと揺れる。
「・・・・ほら」
 急に視線をそらす花嫁。
 大野には少しその気持ちが分かった。
 バレリーナというのは浮世離れしているだけに、いざ目の前に出現してしまうと妙に気恥ずかしいものがある。
 下着並みの露出度に、スカートがついているだけの身体のライン出まくりのレオタードである。
 まっとうな男性の魂をしていれば何かを感じるのは当然だった。


183(2003.4.3.)
「やめろよ!」

 花嫁さんは大きな声を出した。
 やめろよったって・・・ただ立ち上がっただけなんだが。
「プライドはねえのか!男としての」
 視線を合わせずに言った。
 大野はすぐに二の句を告ぐことが出来なかった。
 しかし・・・何というか、この花嫁さんの行動原理の一端を見た気がした。


184(2003.4.4.)
 自分だけならともかく、他人である性転換者に対してさえ女性的な立ち振る舞いに難癖をつける・・・ということになると、これはもう自らの“男性性”に過剰にアイデンティティを見出しているタイプの人間なのではないか・・・。
 勝手な解釈だけども、大野はそう感じた。


185(2003.4.5.)
 
その瞬間、現在髪を振り乱している目の前のウェディングドレス姿のやさぐれ女に、逞しいムキムキマンのイメージがかぶった。
 はあ、なるほど、と思った。
 別にその姿が真実の姿という訳では全く無いであろうに、何か勝手に納得していた。
 確かに喧嘩上等なんて日々言っていた様なのが気が付いたら花嫁ってんじゃヤケクソにもなるだろう。
「とにかくだよ」
 大野は言った。
「これからどうすべきかを考えないか?」
 バレリーナがスカートに引っかからないように両手を広げて言った。


186(2003.4.6.)
 また沈黙が支配した。大野の言い分が至極まっとうだったからだろうか。
「どう・・・って・・・」
 一応話し合いに応じる気持ちはあるらしい。
「今買い出しに行ってる白鳥さんたちとは、これからも車の旅を続けることになってる」
「あれは「白鳥」っていうのか?」
「うん。この」
 自分のバレリーナ姿を指す大野。
「チュチュを着てた人な」


187(2003.4.7.)
 何やらまた決まりが悪くなったのか、視線をそらす花嫁。

「そ、そうかよ・・・何しに行ったんだ?」
 意外と純情なのかも知れない。
「だから買出しだって。バレリーナにOLじゃあ街中なんて動けないだろ」
「じゃあ・・・お前らも?」
 少し驚く大野。
 ・・・そうか、常に自分のことしか考えないこの花嫁は、こちらまで元の姿に戻ってしまっていることには思いが及かったのだ。
 やれやれ・・・苦笑して表情が緩むバレリーナ。
「何だよ・・・何がおかしい!」
「いや、別に・・・」
 それでも表情は緩んだままだった。
 妙なことだが、ちょっとこの暴れん坊を“可愛い”と思った。


188(2003.4.8.)
 ぴくり!と大野の表情が緊迫する。

「ん・・・!?」
 大きな声だった。
「な・・・何だ・・・?」
 くい!と背筋が反り返るバレリーナ。ぴん!とそのぴっちりした衣装の前面が張り詰め、カップに包まれた乳房が押し付けられる。
 肩のひもが背中側で余り、浮き上がる。
 両手までが背中側にそらされる。
「こ、これ・・・は・・・」
 指先が微妙に“演技”をし、艶かしく動かされる。
 きゅうっ!とお尻が上に向かって突き上げられ、スカートが斜めに傾ぐ。
 怪訝な表情をしている花嫁。
 スカートの丸い形が視界に飛び込んでくる。
「あ・・・あっ・・・」
 大野の表情が苦悶と恥辱に濡れ、甘い喘ぎ声がその美しい顔から漏れる。
「誰・・・か・・・」
 何が起こったのか。


189(2003.4.9.)
「た、助け・・・て・・・」
 苦悶と羞恥の表情に歪むバレリーナ。
 その身体は躍動し、生き物の様に不自然なスカートがたわむ。
「な、何だよ・・・」
 思わず口にする花嫁。
「か、身体が・・・勝手に・・・」
 ふわり、と空中に飛び上がるバレリーナの姿に変わり果てた大野。
 長い滞空だった。


190(2003.4.10.)
 だん!と不恰好に着地したにわかバレリーナ。
 普段着、いやこのバレリーナのスタイル以外であったなら、さぞかし無様であったに違いない。しかし、衝撃を吸収したトゥシューズはタン!と音がしただけだった。
「おい・・・」
 花嫁の声も耳に入らない様だった。
 その場でくるくると回転を続けるバレリーナ。一体何がどうしてしまったのか。
「だ、誰か・・・止めてくれえ・・・」
 次々にバレリーナがしそうなポーズを決め続ける。
 1拍置いて、押し殺すような悲鳴が響き渡った。


191(2003.4.11.)
 パニックになっている花嫁が髪を振り乱して、その場に泣き伏した。
 それは、目の前の人間が突然摩訶不思議な力に操られ、勝手に身体が動き出してしまうという天変地異にも等しい超常現象を目の当たりにした人間の素直な反応だったのか。
 布団に埋めたその顔の下で、駄々っ子みたいに泣く花嫁の脳裏には、自らの身体のコントロールを失い、衣装に引きずられて女として振舞ってしまう自分がいたのだろうか。


192(2003.4.12.)
 バレリーナはその場に立ち尽くしていた。
 花嫁の鳴き声が止むのを待っている様だった。


193(2003.4.13.)
「・・・大丈夫・・・か?」
 部屋に何とも言えない気まずい沈黙が訪れた。
「お前・・・」
 花嫁が言う。
「いやその・・・冗談・・・だよ」
 花嫁は大きく溜め息をついた。
 吐息がドレスの艶やかな表面を滑っていく。
 流石に調子に乗りすぎたな、と大野は思った。
「あんたさあ・・・これからどうする積りなんだ?」
 意外だった。
 “花嫁さん”のこれまでの行動からは、いきなり暴れだしても不思議は無かったと思うのだが、何とも「建設的」な言葉が口から漏れるでは無いか。


194(2003.4.14.)
 バレリーナはくるりと振り返るとすたすたと歩いて、再び椅子に座った。
 背中側のスカートがぐしゃりと押し潰されて座りにくいのは同じだが、仕方が無い。
「とりあえず白鳥さんたちが着替えを買って来てくれてる。車で関東まで移動しようということになってるよ」
 落ち着いて話し始めると自らの声の違和感が気になるが仕方が無い。
「帰ってどうするんだ」
「・・・知らんよ」
「“知らん”ってことがあるかよ。何か策があるんじゃないのか?」
「元々今日にもみんなめいめい勝手に行動し様とは思ってたんだ」


195(2003.4.15.)
「しかしまあ・・・あんたも身をもって知ってのとおりこのザマさ」

 バレリーナの衣装の、真横に広がったスカートの先を指でちょい、とつまむ大野。
「・・・」


196(2003.4.16.)
 花嫁は黙り込んだ。
 決まりが悪いのだろう。何しろ“それ”が原因でのこの大立ち回りなのだから。
 こりゃしばらくこのワガママな花嫁は喋らんな、と予測した大野は自らちょっと饒舌になってみた。
「俺は起きたらまたOLになってたよ。お隣さんも同じみたいで、それぞれバレリーナと女子高生になってたらしい。今着てみて分かるんだけど、見た目と違って結構ちくちく痛いんだこれが。まあ、こんなスカートだから固いのは当たり前なのかも知れんけどね。いずれにせよこんなので布団で寝てたんだから気の毒としか言いようがないね」
「・・・」
 こうも黙っていられるとこちらも辛い。


197(2003.4.17.)
「・・・どうすればいいんだ・・・」
 花嫁の口から漏れた。
 いかにも常識的な一言だった。
 かさかさとスカートをいじっていた大野が言った。
「・・・考えてても仕方がねーよ。なるよーにしかなんねー」
「お前、一人ものだろ」
 よく考えると女同士でこの会話というのは、言葉使いとしてはかなり乱暴な域に入るだろう。いや、ひょっとしたら当の女は男どもの思惑とは違って結構砕けているのかも知れない。いずれにせよ、現在の大野たちには想像のつかないレベルのお話である。
 ちらちと時計を見る。
 実に気まずい。早く白鳥さんたちは帰ってこないかなあ・・・。
 しかし、ふと視線が落ちた先のバレリーナのきらびやかな衣装に身を包んだ女体は、紛れも無い本物である。
 花嫁の言う不安はもっともだった。
 いや、変に落ち着いてしまった我々よりも、この非常識な状況下に置かれた者としての素直な反応だった。
 しかし・・・花嫁さんの言葉は気になった。


198(2003.4.18.)
「一人・・・?」
「・・・」
 また黙り込む花嫁。
 ・・・そうか・・・。ほんの少しだけこの花嫁の行動原理が見えてきた気がする。
「あんた、妻帯者だろ」
「悪いかよ」
「いや、別に悪くない」
 にやにやしている大野。勿論、露骨に悟らせてはこの癇癪持ちの花嫁がまたぞろ暴れだすかも知れないので、その美しい腕で巧妙に覆う。
 そのたたずまいは、まさに“上品に口元を隠して笑う”女性のそれだった。
 そうか・・・なるほど、そういうことだったのか・・・。
 何故かわからないが、大野はそれだけで全てが合点出来た気分だった。
 この変身劇の主人公となった四人の女たちは、それぞれに背負っている過去がある。OLに変身していた大野は単なるプータローくずれのフリーターでしかないが、バレリーナへと変わり果てていた白鳥さんは一流サラリーマン。女子高生になっていた城さん・・・は元がどんな人なんだか分からないが、この純白のウェディングドレスに身を包んだ美しい花嫁となってしまった・・・まだ名前が分からない・・・目の前の人物は、妻帯者だったのだ。
 ひょっとしたら、最も「失うものが大きい」人だったかも知れない。


199(2003.4.19.)
 なぜだろう、大野には奇妙な“余裕”が生まれていた。
 ほんの数時間、いやこの二人がそれぞれOLと花嫁に変身してしまった時期は同時なのかも知れない。だが、これでも現実から目を反らし続けた花嫁と違って、知恵熱が出るほど慣れぬ女体に向き合った人間である。
 少しだけ“先輩面”が出来るシチュエーションが何故か嬉しかった。
 そうなるとこの真面目なはずなのにどこかユーモラスな女性ものの衣装も、アドバンテージに思えてくるから不思議である。


200(2003.4.20.)
 大野の精神的な余裕は、当の大野自信にはよく分かっていた。

 何と言うか、目の前の花嫁にはどこか自分と似たところがあるのである。
 何事も飄々と受け流してしまいそうな城さんや、その叡知で全てを解決してしまいそうな白鳥さんと違って、この目の前の花嫁はひたすら自らの運命に翻弄され、落ち着きを失って暴走し、周囲に迷惑をかけまくっているのである。
 大野は白鳥さんには劣等感ばかり感じる。人間的にも全く適う気がしないが、この“花嫁”は違った。
 他のことは分からない。
 だが、少なくともこの事態に対する対処では自分の方がより「マシ」な自信があった。
 実にレベルが低い争いだが、自分らしくてそれも悪くない、と勝手に思った。