不条理劇場 9

「四人の女」
連載第15回(にあたる部分以降)


作・真城 悠

この小説は「フィクション執筆掲示板」及び「メールマガジン」にて書かれたものです

「不条理劇場」トップに戻る


連載1回目 連載2回目 連載3回目 連載4回目
連載5回目 連載6回目 連載7回目 連載8回目
連載9回目


241(2003.7.20.)
「私は「近くの食事が出来そうなところで待っています」と伝えました。もしも花嫁さんに付いて来る意思があれば来るでしょう」
「そんな・・・」
「そうですかね。私は精一杯譲歩しましたよ」
「うん、そーそー」
 確かにそうだ。
 あの「花嫁さん」の行動はいちいち常軌を逸している。これ以上無いというほどつっけんどんな態度。
 夜の闇に乗じて大野は暴行されかかったのだ。抵抗の仕方が下手だったならどうなっていたか分からない。勿論今の花嫁さんには「男性器」が無いので、本質的な意味での「暴行」は出来ないのだが、それにしても悪質どころの話では無い。
 そしてトドメは部屋中水浸しにしての手首を切っての自殺未遂騒動である。
 まさに「歩くトラブルメーカー」だった。
 その意味では、ここでさよならしてしまって全く問題なかった。
「お金は・・・」
「最初の予定通り4万円を置いてきました」
「4万円?」
「昨日のディナーの時に一万円を持っていったでしょ?貴金属を売却した時の20万円を分けました」
「いや、そうじゃなくて」
 白鳥さんは絶対に気付いているはずだ。意図的に隠蔽している。
 大野はその事実を指摘するのが少し怖かった。


242(2003.7.21.)
「さっきのお金はどうなりました?」

「さっきのお金?」
「とぼけないで下さい。今朝花嫁さんから貰った貴金属があったでしょ?あれも換金してきたんじゃ無いんですか?」
 部屋の床には大量の花嫁衣裳のパーツが散乱していた。だが、その中には貴金属だけが綺麗に無かったのだ。
「・・・」
 顔を見合わせている白鳥さんと城さん。
「流石は大野さんですね」
「二人占めしようとしてたんですか?」
「まさか。でも花嫁さんには分ける道理はありません」
 冷たい声だった。


243(2003.7.22.)
 大野は考え込んだ。
 自分が花嫁さんにこだわった理由って何だったんだろう。
「お待たせしました。カツカレーの方」
「あ、はい」
 それほど広くないテーブルの上にとん、と乗せられるカツカレー。
 どうも見た目が黄色っぽい。匂いは完全にレトルトカレーである。まさかそのまま使ってはいないだろうが、ありもので代用しているのは明らかだった。決してこの店が仕込みを行ってスパイスを調合したものなんかではあり得ない。
 上に乗っているカツも明らかに揚げ過ぎである。皮が思い切り固くなっている。厚くてさくさくの皮をカリっ!と噛み締める食感など見た目から全く期待出来ない。その上ジューシーさも全く足りず、食べている内に口の中の水分をみんな吸い尽くしてしまいそうなほど干からびた断面が顔を覗かせる。
 ご飯もいかにも古い。贔屓目に見ても昨日炊いたご飯の残りだろう。
 レトルトな感じのカレーソースすら野菜がごろごろで水分が足りず、バランスも悪い。そもそも量が少ないのである。このカツの質からして、絶対に食べている内にカレーを食べ尽くしてご飯が多いに余ると思われる。
 お腹がすいた状態でメニューの「カツカレー」の文字を見るといかにも美味しそうなのだが、そうでなければこれを800円といわれても「ふざけるな」と言うだろう。
 そんなカツカレーだった。
「あ、どうぞ。お先に」
「いえ・・・」
 大野は他の二人に運ばれてくるのを待つことにしてコップの水を口に含んだ。
 ぬるかった。


244(2003.7.23.)
 大野の頭の中には色んな事が渦巻いていた。

 ここで花嫁さんを切り捨てれば確かに楽になる。しかし一番の問題は資金難だ。
 この放蕩生活は確かに楽しい。しかしいつまで続けられるかは分からないのだ。
 はやり先立つものは必要になってくる。
 額は聞かなかったけど、恐らく先ほどの換金でまた20万円ほど浮いただろう。
「結局今、所持金は幾らになるんですか?」
「お、そういう話に入ってもいいんですね?」
 こちらの心を見透かしたかの様な白鳥さんの反応だった。
「お待たせしました〜」
 澄んだ声に対して振り向くとそこにはお盆を持ったウェイトレスがいた。
「あ!来た来た〜!」
 幸せそうにはしゃぐ城さん。
 確かに美味しそうなミートソースの匂いがする。
 サンドイッチセットとミートソースが置かれる。
「じゃ、まずは食べましょうか」
 白鳥さんが促す。
「いただきま〜す」
 もう城さんはスパゲティをフォークでくるくる巻いている。
 匂いは確かにいいのだが、大野の目からは小学校の給食で出てきたミートソースを思い出すものだった。
 大野もスプーンを手にとってカレーを口に運んだ。


245(2003.7.24.)
 目の前の光景が信じられなかった。
 妙齢の美女と可愛い女の子。
 どちらも自分がしがないプータローだったとしたらこうして喫茶店で一緒にランチとしゃれ込むことなど絶対に不可能だったであろうメンバーである。


246(2003.7.25.)
 店内にはインストゥルメンタルというのだろうか、流行歌のボーカル無し版が流れていた。

 何とものん気な雰囲気である。
 正直、こんな機会でも無い限り二度三度と味わいたいものではなかったが空腹が勝った。
 気が付くとカツカレーは大半を食べ尽くしていた。
 何か相変わらずだな、と思った。
 こうしていると生まれた時から今の姿だったみたいである。
 わざわざ意識しなくてはスカートの感覚も分からなくなって来ている。
「白鳥さん」
 ふと見るともう城さんのお皿は空っぽだった。
「ジュース頼んでいいですか?」


247(2003.7.26.)
 
思わず声が出そうになった。
 馬鹿な、こんな喫茶店でジュースを飲む選択なんてありえない。
 思わずメニューを取り出す。
「あ、大野さんも何か頼みます?」
「いや・・・」
 そうじゃない。そうじゃないんだって。
 見開きしか無いメニューの裏側にソフトドリンク一覧があった。
 やっぱりだ。どのジュースも軒並み200〜300円もする。
 これだったら表に出て自動販売機で買った方が遥かに効率的だ。150円も出せば500mlのペットボトルが買える。300円なんて1lだって買えるじゃないか。
 どうにも染み付いた貧乏根性が抜けきらない。
 だが、これは決して無駄な思考じゃ無い筈だ。
 だって今は資金が枯渇気味なのだ。1円でも節約しなくてはいけない時期なんじゃないのか?極論すれば飲み物なんて公園の水道にしてもいい位だ。
「いいですよ。飲んでください」
「白鳥さん・・・」
「大野さん、今日だけはいいでしょう」
「でも・・・」
「とりあえず今日だけはここでしばらく待ちます」
 真剣な表情になる白鳥。
「それが花嫁さんとの約束でしたから」
「・・・」
「一番近い飲食店で待ってますから、付いて来る意思があるのなら来て欲しい、と」
 そうか、そういうことだったのか。


248(2003.7.27.)
「・・・そうでしたか・・・」
「ええ。そうなんです」
「白鳥さん・・・」
「あ、いいですよ。何でも頼んでください」
「はい!あ、すいませーん!」
 城さんの甲高い声が気に障る。
 大野は精神的に余裕が無くなってきていた。


249(2003.7.28.)
 それで喫茶店を選んだんだ・・・。
 今さらながら全て計算づくの白鳥さんの行動には腹が立つ。
 いや、別に悪いわけじゃない。自分と比べてなんと完璧な人間なのかと自己嫌悪に陥ってしまうのだ。
 ということは白鳥さんはここで長居をする積りだな。
「クリームソーダ下さい」
「はい。分かりました」
 隣では事情を把握しているのかいないのかのん気な会話が交わされている。
「大野さんはいいんですか?」
「じゃあ、コーヒーをお願いします」
「あ、私も」
 これは白鳥さん。
 何となく目が合った。
 ・・・長丁場になりそうだ。


250(2003.7.29.)

 
大野は何となく急いでカレーの皿を空にした。
 実家だったら2〜3杯はお替りするところだが、そんな味でも無いし、まあお腹一杯である。
「白鳥さん」
「ん?」
「じゃあ、冷静にこれからの予定を立てましょう」
「いいですよ」
「あの・・・お皿をお下げしてよろしいですか?」
 親戚なのか子供なのか、普段着にしか見えない格好のウェイトレスさんが尋ねてくる。
「あ、お願いします」
 正直言って大野は不安な気持ちもあったが、それ以上にキャンプみたいな楽しさがこみ上げてきていた。
 ほんの数日になるとは思うが、誰にも邪魔されない逃避行が始まるのである。
 そもそもどうして車なのか?帰るだけなら飛行機でもいいではないか。
 確かに朝起きたらバレリーナやOLに戻っていたら困るが、それでも別に死ぬ訳でも無い。
 白鳥さんもどこか望んでいる・・・というか、わざわざ時間のかかる帰り方を選んでいる時点で、この旅が終わらないことをどこかで願っているのではないか?
 そんな気がしていた。


251(2003.7.30.)

 
コーヒーをずずず、とすする白鳥さん。
「一応免許は持っているんですけどそれほど詳しい訳ではありません」
「はい」
 つまり、これまで1人奮闘していた運転も最低二人で分担出来ることになる。これは大きなアドバンテージである。
「地図で観る限り・・・そうですねえ首都圏までは1,500キロメートルという所でしょうか」
 この見積もりが正しいのかどうかは実は大野には分からない。日本列島って端から端まで何キロくらいあったっけ?それの約半分・・・?いや、東京の位置って真ん中よりもずっと東よりだったよな?
「実は日本は結構山だらけなので見かけよりも距離があります」
「そうですね」
 それは少し感じていた。熊本(推定)の山奥から出発して現在の位置は大分県だが、少し街があるだけで大半はコンビニすら無い山道を延々走り続けることになる。


252(2003.7.31.)
「何しろ車が大きいですからね。しかも人間が3人乗っています」

 3人・・・か、白鳥さんはやっぱり花嫁さんを除外して考えているのだろうか。
「仮に4人だとしても事情はそうは変わりません」
「はい」
「山道も多いでしょうし、恐らく燃費は1リットルで10キロという所でしょう」
 1リットル10キロ・・・そんなもんだろうか。
「あのRVの燃料タンクは確か40リットルで満タンです。ガソリンを大雑把に1リットル100円として1,500キロ走る訳ですから・・・」
 大野はそれほど優れてもいない頭を回した。
 えーと、1リットルで10キロ走るんだから、つまり150リットルのガソリンが必要ということになる。
 そしてガソリンは1リットル100円だから、150に100を掛けると・・・。
「1万5千円ですね」
 なんだそんなものか・・・。
 日本を半分縦断するのにそんなものとは、結構拍子抜けだった。


253(2003.8.1.)

「結構安いと思ってるでしょ?」

「そうですね」
 大野は素直に言った。実際安いだろうこれは。
「一切の割引を使わなければ確かこの辺から東京までの飛行機が片道2〜3万円のはずです。確かに割安には感じますよね」
 言われてみればそうだ。
 昨日のうちは確か「車よりも飛行機の方が安い」という話では無かったか。
 実は車の方がずっと安上がりだったというのか?
「お待たせしましたー」
 ウェイトレスが涼やかな色のクリームソーダを持ってくる。
「わーい」
 毒々しくも見えなくも無い真っ青のジュースの上に鎮座するバニラのアイスクリーム・・・。
 大野も食欲をそそられない事も無かったが、何しろこの寒さである。ほとほと女の子にとって「お菓子は別腹」なんだなあ、と思った。
 ま、城さんは元・男だけれども。


254(2003.8.4.)

「しかしですね」
 白鳥さんが続ける。
「額面どおりは必ずしも行きません」
「はあ」
 また「はあ」ばかり連呼する状態に戻っている。ま、こっちはリーダーシップ溢れた白鳥さんに付いて行くしか無いんだけども。


255(2003.8.9.)
「この試算は食費と宿泊費のことを全く考えていません」
「あ・・・」
 そうか、と思った。
「仮にガソリン代が1万5千円で済んだとしても、食費と宿泊費のことを考えるとそう単純には行きません」
「でも・・・」
 大野はすぐに反論した。
「昨日は特別ですよね。ホテルに泊まったのも翌日には開放されると思ってたからだし」
「おっしゃる通りです」
 隣では城さんが、この寒さの中でクリームソーダのアイスを美味しそうに食べている。


256(2003.8.10.)

「でも・・・みんなホテルに泊まるんですか?」

「その辺りを相談しましょう」
 なるほどこれは複雑な問題だ。
「まずは試算してみますね」
 白鳥さんがバッグからメモとボールペンを取り出した。
 大野は少なからず驚いた。
 全く淀みない動きだったからだ。
「あ、あの・・・」
「これですか?」
 バッグを示して言う白鳥さん。
「安物ですよ」
「100円ショップのね」
 これは城さん。
「はあ・・・」
 そこまで感心することも無いのかも知れないが、抜かりの無いことだ。
「とりあえず3人での道中だとします」
 さらさらとペンを走らせる白鳥さん。


257(2003.8.11.)

「全行程を仮に1,500キロだとしますね」

「はい」
「あ」
 大野は気が付いたことがあった。
「すいません、いいですか?」
「どうぞ」
「城さんって車は運転出来るんですか?」
「出来ます」
 にこにこで答える城さん。
 見ると、もうクリームソーダは殆ど残っていない。
「でも、免許はありませんよね」
 それはそうだ。というかそもそも高校生では四輪車の免許は取れないだろう。
「大野さん」
「はい」
「その意味では、私たちも“大人”ではありますけど、免許不携帯には違いないですよ」


258(2003.8.12.)

 そうか・・・免許不携帯。それはそうだ。全く他人になってしまっているのだから。

 もし仮に免許を持っていたとしても、まるっきり違う人間の身分証明でしかないだろう。
「じゃあ、もしも検問なんかに引っかかったら・・・」
「アウトですね。勿論事故なんて論外です」
「その場合ってどうなるんですかね?」
「・・・」
 白鳥さんは考え始めてしまった。
「ま、普通に免許不携帯と同扱いでしょうね」
「実家に連絡とかされるんでしょうか」
 これは城さん。
「出来るんなら」
 ・・・簡単そうで、案外奥の深い話である。
「ちなみに大野さん、『検問』にぶつかったことあります?」
「え・・・と・・・多分無いですね」
「私もありません。普通の人が検問になんてぶつかりませんよ。その事については考えなくてもいいでしょう」


259(2003.8.13.)
 ま、確かにそうだ。

 大野は納得した。
 そもそもイレギュラーだらけどころの話ではないのだ。今回の旅は。いちいちその程度のことで動揺していたら話しにならない。
「話を戻します」
 と、白鳥さん。
「全行程が仮に1,500キロだとして、1日に10時間、平均時速50キロで走ったとして500キロですから、理屈では3日掛かります」
「3日かあ」
「1日10時間ですか?」
「ま、これは最小化した“論理モデル”だと考えてください」
 難しい話になってきた。ま、大体言いたい事は分かるけども。
「ドライバーがこれまでの様に大野さん一人だったとしたら余りにも無謀な計画で好けども、今は3人います。平均すれば一人3時間20分ですから、それほど無理という訳でも無いでしょう」
「はあ」


260(2003.8.14.)
「大体最初の出発地点から考えても大野さんはきっと3時間20分以上は確実に運転していますよ。ね?」

「そうですね」
「あたしも運転するんですね」
「出来ますか?」
「うーん、出来ると思いますけど・・・」
 どうもこの態度だと、城さんはイマイチ乗り気では無い様に見える。
「あの車ってカーナビとか付いてないですよね」
「あ・・・」
「ただまっすぐ走るんなら出来ますけど・・・どう走ればいいか分からないんだと・・・」
「そうか・・・そうですよね」
「ふむ・・・」
 白鳥さんは腕を組んで考え込んだ。
 ちらちらとそちらを見る大野。
 その腕組みした腕はそれほど豊満ではないものの、男の物とは明らかに利違うそれ、乳房を抱きしめる様な格好になっている。
 聞いた話ではブラジャーまで抵抗無く付けているという、その感触に違和感は感じないのか?
 余りにも堂々たるたたずまいのリーダーに羨望の念にも近いものを抱いてしまう大野。勿論その違和感は、今現在も肌に食い込むブラジャーとじわじわと精神を蝕む乳房の重さ、そして落ち着かないスカートの感触にじわじわと精神を蝕まれつつある大野の焦燥が見せる理不尽な幻覚と言っていいものだった。