不条理劇場 9

「四人の女」
連載第16回(にあたる部分以降)


作・真城 悠

この小説は「フィクション執筆掲示板」及び「メールマガジン」にて書かれたものです

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261(2003.8.15.)
 少し考え込んでいる内にコーヒーがやってきた。
 大野はミルクだけを入れ、かき回した。
 こういう所のコーヒーというのは、何故か猛烈ににがいことが多く、別に甘党でなくとも付属の砂糖でも入れなくてはまともに飲めないことも多いことを経験で知っている。
 勝手な決めつけでは、この小粒な喫茶店では、きっと店主こだわりのコーヒー、なんてもんを出してくれるのだろう。きっと。
 せめて必死に味を中和しなくては飲めない様な代物では無いに違いない。
「高速道路を活用しましょう」
 唐突に白鳥さんは言った。
 大野はそれには直接答えず、まずは口に一杯運んだ。
 ・・・残念ながらそれは苦いどころか、酸味・・・何やらすっぱい感じまでする。
 料理だけでなく、喫茶店の顔でもあろうコーヒーまでこの程度か・・・喫“茶”店だろうに・・・と他人事ながら大野は落ち込んだ。
 それは決してまずいものを飲まされたからだけでは無い。
「高速道路って運転したこと無いんですけど、何か違うんですか?」
 無邪気に城さんが聞いている。
「免許取る時に体験させられますよね?」
 思わず城さんに突っ込んでしまった。
 何しろハンドルを任せるということは、一応命を預けるのである。大野とてこんな姿になってしまってはいるものの命はまだ惜しい。

262(2003.8.16.)
「普通の道路を使うだけじゃなくて、高速道路を使うとなると・・・分かりますね」

「あ・・・」
 大野は言った。
「何です?」
 これは城さん。
「高速道路料金だ」
「その通り」
 軽くリアクション付きで言う白鳥さん。
 なるほどそれは考えなかった。
「そんなに掛かるんですか?」
「私も日本を半分縦断する車の旅は経験が無いですけど・・・まあ1万円じゃ利かないでしょうね」
「はぁ!?」
 大野と城さんの声がハモった。


263(2003.8.17.)
「ご存知ありませんでしたか?」
 ぶるぶると頭を振る二人娘。
「ガソリン代も考えれば車での陸路なんて決して経済的では無いんですよ、かの瀬戸大橋なんて片道5,000円もしますし」
「ええ〜!?」
 あきれた話だ。一体誰がそんな道路を利用するというのか。ごくたまに通ったとしてもとても通勤通学に使える訳も無い。そんな道路を「開通した」と呼んでいいのだろうか?
「カーナビが無いので正確な高速道路料金は分かりませんが、3万円程度は見ておいた方がいいかと」
「ちょっと待ってください。そんなにお金が掛かるんじゃ、高速なんて使う必要無いんじゃないですか?」
「それはいいですけど、時間が掛かりますよ。一般道だったら渋滞にも引っかかるし」
「構いませんよ。費用対効果の問題です」
 大野は力説した。


264(2003.8.18.)
「それで時間が延びたって1日10時間も走るんですよ?せいぜい1日ってところじゃないですか」
「分かりました。まあ、それじゃあ全体の旅路を4日と考えます」
 不確定要素もあるだろうから、そんなものじゃないだろうか。
「はい」
「そうなると4伯分の宿泊費が掛かります」
「そっか・・・」
「そして食費も掛かります」
 なるほどこれは確かに容易な旅路ではない。


265(2003.8.24.)
「今朝の換金前の所持金はそれぞれ3万円です」
「はい」
「これだけですと宿泊費にも足りません」
 ・・・そっか。
「そこで今朝の換金分20万円を使わなくてはどうしようもなくなります」
「はい」
「食費を一人一回1,000円とします」
 ちょっと多い気がするが、まあいい。
「4日と考えると3人いますから4×3×3=36。つまり食費だけで3万6千円掛かります」


266(2003.8.25.)
 3人分の計算か・・・。
 大野は勝手に4人分で更に計算していた。
「ちなみに4人ですと4万8,000円です」
 機先を制するかのように白鳥さんは言った。
「宿泊なんですけど、上手く繁華街のカプセルホテルみたいなのを見つけられれば一人5,000円程度で済むと思います」
 ああ、噂の「カプセルホテル」だな。
 外人が「棺おけみたいだ」とか言った例の奴だろう。
 大野は泊まった事は無いのだが・・・。
「あの・・・」
 大野が思い切って口を挟んだ。
「今の我々みたいなのでも泊めてもらえるんですかね?」
 珍しく白鳥が言いよどんだ。


267(2003.8.26.)
「・・・そうですね」
 全てに冷静な白鳥さんが、これだけは考えていなかったみたいだ。
 言われてみればその通りで、うら若い女性がよりによってカプセルホテルというのは余り聞いたことが無い。
 最近の若い娘は電車の中でハンバーガーをパクつくとかコンビニの前に座り込んで化粧をするとか色々言われているが、カプセルホテルに泊まるとか言うのは許容範囲なのだろうか。


268(2003.8.27.)
「車で寝るってのはどうです?」
 大野は言った。
「まあ・・・そうですね」
 これまでもそうしてきたのだ。とはいうものの、これまでとは違うかも知れない。
 何しろ車の中で一泊したとは言え、それは現場からどさくさにまぎれて逃げ出したさなかの話である。
 

269(2003.8.31.)
「じゃあ、間を取って普通のビジネスホテルでいいんじゃないですか?」
 珍しく城さんが建設的な提案をする。
「安いところなら5,000円台からありますよ」
「そうなんですか?」
「ええ、以前に出張した時に利用しました」
 可愛らしい女子高生風の女の子が「出張」というのはいかにも馴染まないが、それはあくまで外見の話である。
「カプセルホテルも使いましたけど、女性はいませんでしたねえ」
 そりゃそうだろう。
「でも、カプセルホテルって2〜3千円ならともかく、言うほど安くないですよ。私が使った所は4,500円でした」
「へえー」
 これは本当に感心した。


270(2003.9.3.)
「じゃあ、仮に5,000円としましょう」
 素早く白鳥さんが取り入れる。
「繰り返します。まず燃料が1万5,000円。食費が3万6,000円。そして宿泊費が5,000円×3人×4泊で6万円」
 やはり結構物入りだ。
「合計で11万1,000円になります」
「・・・つまり、現在プールされている予算の約半分になる訳ですね。」
「はい」
「そして、各自5万円の所持金がある訳ですよね」
「そうですね」
「・・・結構余裕があるんじゃないですか?」
 白鳥はコップの水を飲んだ。
「まあ、そうかも知れません」
「そうかもって・・・」
「いいですか大野さん」
 白鳥が改まった。


271(2003.9.4.)
「これは私たちの旅行が4日で終わると仮定した場合の話です」
「・・・はあ」
「どんなアクシデントがあるかも分かりません。タイヤがパンクすれば修理代もいりますし、もしも病院に掛かったりすれば保険証の無い私たちは医療費10割負担になります」
「あ・・・」
「そしてそれによって一泊伸びればその分宿泊費と食費があっという間に増大します。決して楽観できる数値なんかじゃありませんよ」
 言われてみれば白鳥の言う通りだった。それに首都圏まで4日ということだが、あくまでもそれは理屈の上でそう言えるだけのことであって、実際に走ってみないとなんとも分からない。カーナビも無い車で見知らぬ土地を走り抜けるのである。予定通りに行く保障なんか無いのだ。
 ましてやこの試算では一日10時間を交代で運転することになっている。「迷っている」時間は計算に入っていないのである。
「それに・・・大野さんは大事なことを忘れてますよ」
「え・・・?」
「あ、分かった」
 城は先に分かったみたいだった。


272(2003.9.5.)
「ひょ、ひょっとして・・・」
 大野は何故か一気に想像が突き抜けてしまった。
「その・・・月の・・・」
 言うのが恥ずかしかった。
 一瞬ポカンとする白鳥。
「・・・流石ですね大野さん。そこまでは思いつかなかった」
「え?」
「僅か4日なので、とりあえず必要ないんじゃないでしょうか」
「え?白鳥さんどういう意味?」
「ま、とにかく」
 敢えて城のツッコミを無視する形で白鳥は続けた。
「“着替え”が必要になります」
「あっ!」
 大野は飛び上がりそうになった。


273(2003.9.7.)
 そうなのである。ころっと忘れていた。
 今の自分たちには「着ているものが突然変異する体質」が身についてしまっている可能性があるのだ。
 あくまで可能性であるが、決して否定できない確率でそれは存在する。
 今着ているこの服だって、明日になったらOLの制服に変わっていない保障は無いのである。
「まあ、その心配もいるんですけど、普通に考えればやっぱり“着替え”はいりますよ。この寒さですけども、4日間も下着も替えないというのは・・・」
「不潔だもんね!」
 明るく言う城。
「じゃあ、それも計算しましょう」
「そこなんですけどね」
 白鳥が少し改まった。
「それに関しては個人の所持金から拠出しませんか」


274(2003.9.8.)
「個人負担ってことですか」
「そうです」
 少し考え込む。
 ・・・確かにその方が合理的なのかも知れない。
 女性の衣服なんてそれこそ千差万別、ピンからキリまである。安いものならユニクロで買えばいいのだろうが、高いものを買おうと思えば幾らでも高いものを探すことが出来る。
 そして、何だかファッションに目覚めてしまった城さんは毎日でも服を変えたいのだろうが、まだまだ男の自意識が充分すぎるほど残っている大野には今見に纏っているスカート一枚にしても違和感がある。
「そうですね。そうしましょう」
「お分かりだと思いますが、今自分が着ている服の他に最低もう一組用意しておいた方がいいでしょう」
 黙って頷く大野。バレリーナになってしまう白鳥さんに比べれば遥かにマシとはいえ、やはり街中でのOLの制服というのは違和感がある。
「とりあえずこんな所ですが・・・一応全員の共有財産は私が管理する、ということでいいですか?」
「勿論です」「はい」
 城と大野の声が被った。
 異論があろうはずも無い。それが一番賢明だろう。


275(2003.9.9.)
「・・・じゃあ・・・」
 財布を取り出す白鳥。
「これが大野さんの所持金です。4万円入っています」
 そうなのだ、結局ドサクサに紛れて昨日の配分をしていなかったのだ。
「4万円・・・ですか?」
「ご不満ですか?」
「いや、そうじゃなくて!随分キリがいい数字だな、と思って・・・。この財布だって只じゃないでしょ?」
「100円ショップで買いました」
 これは城さん。そういえばさっきそんなことも言っていた気がする。
「ま、折角ですしね。全員の共有財産に小銭を集中させたんです。どうぞお持ち下さい」
 ひょい、と手でジェスチャーをする白鳥。
「はあ・・・」
 突然振って湧いた現金である。
 貧乏フリーターだった大野にしてみれば、万単位の現金なん月二回に分けて支払われる給料日に見る程度だった。
「遠慮はいりませんよ。私たちも同額を手にしているんですから」
 言われてみればその通りだ。
 大野はテーブルに置かれた財布を取った。


276(2003.9.10.)
「先ほど説明した通り、必要最低限のお金は別にプールしてありますので、所持金の使い方は自由です。本を買うも良し、間食なさっても構いませんし、ゲームセンター、パチンコで使おうと・・・もしかしたら増やそうと・・・全く構いません」
 本・・・?
 時が止まった。
 考えたことも無かった。
 大野はアカデミックな教養には縁遠い大野だが、雑誌や雑知識の類を記した本は大好きだった。給料の多くはその駄本に消えていたところすらあるのだ。
 滅多に無いが、親に旅費を負担してもらって帰省することもある。
 そんな時は決まってあるパソコン雑誌なんかを買ったりする。
 特に意味は無いのだが、定期購読するほどでもなく、たまに読むには最適な雑誌だが、いつしか「旅行のときに買う本」といったイメージがついてしまったのだ。
 そうか・・・本か・・・。
 謎の集団性転換劇からの逃走。
 この二日間の目の回るような様々な出来事・・・正直、生きていくのが精一杯という状況にも思えた。
 そんな時に「自分の自由に使える所持金」が戻ってきたのだ。
 ・・・充分に安全策は取ってある。旅行代や宿代、食費すら計算し、充分に余裕を持ってプールしてある。しかも自分では無く、最も安全な人に預けてあるのだ。
 今持っている所持金を使い切ったとしても問題は無いのだ。
 ・・・何か意識が変わった気がした。


277(2003.9.11.)
「・・・どうしました?」
「あ、いえ・・・」
 にこり、と微笑む白鳥。
「大野さんって本当に考え込みますよね」
「それも真顔で、突然」
 何だかいいコンビの白鳥と城。
「あ・・・あはは・・・」
「で、これからどうすんの?」
 最もだった。
 めぼしい打ち合わせは終わった気がする。
 ふと気が付くとすっかりコーヒーは冷めていた。
「良かったら出かけてくるといいですよ」


278(2003.9.17.)
「出かける・・・?」
「はい。私はここで待っていますから」
「どこに出かけるの?」
 無邪気に聞く城さん。本当に女の子みたいだ。
「別にどこでも構いませんよ。折角予約も一日伸びたことですし、私はここで花嫁さんを待っています」
 そうか・・・大野は肩の力が抜けた。
 一応約束なのだから花嫁さんを待たなくてはならないのだ。
 来るだろうか・・・。来るかもしれないし来ないかも知れない。
 来たところでどうなるとも思えない。
 あの“歩くトラブルメーカー”である。あと三日間も一緒にいればどうなるか分かったものではない。それに・・・これが一番大きいのだが、とてもではないが、あの人にハンドルを任せる気にはなれない。
 一緒に集団自殺よろしく大型トラックに突っ込まれないとも限らない。リストカットすらやってみせた問題児なのだ。
 ふと周囲を見渡してみた。
 この“小じゃれた”喫茶店にはよくある漫画の類も置いてはいないし、テレビも無い。退屈を紛らわせるのはおしゃべりだけ、というところか。
「分かりました。行って来ます」
「どこ行くんです?大野さん」
「すぐに帰りますよ。本屋に行って本でも買ってきます。退屈でしょ?白鳥さん」


279(2003.10.19.)
「お気遣い無く。私は一応本は買ってありますから」
 そうか・・・。よく考えたら自分がバレリーナ姿で花嫁さんとくんずほぐれつしていた間にこの二人は買い物を済ませているのである。この白鳥さんがほんの一冊も買っていないと考える方が不自然だろう。
「心置きなく楽しんでください。ま、時間無制限という訳には行きませんけど」
「時間を決めましょうか」
「そうですね・・・どれくらいがいいですか?」
 時計を見る。時刻は12時半ごろを指していた。
「一応今日中の移動もありますので・・・そうですねえ、2時頃で如何でしょう?」
 そんなもんだろう。
「すみませーん!」
 突然白鳥さんが声を上げた。ウェイトレス・・・というよりは“手伝っている家族”という感じだが・・・を呼んだ。
「はーい」
 次の行動が予測できずに戸惑う大野。
 ・・・変な話だが、今の環境はまるっきり女装しているのと変わらないのである。若い女性・・・に近くに来られるのはまだまだ心理的な抵抗がある。


280(2003.10.26.)
「すみません。この辺に大きな本屋さんとか無いですかね」
 そうか、地元民である店員にローカル情報を聞こうというのだ。
 その手の発想は、大野にも皆無ではないのだが、余りにも滑らかである。
「え・・・と・・・ちょっと遠いですね」
「歩いてどれくらいです?」
 にこやかに城さんが言う。
 店員は20代後半から30代に入った位だろうか。ウェイトレスというよりも完全に私服で、まさに家族でやっている店という感じである。
「そうですねえ・・・歩くと20分くらいは掛かるかも知れません」
「ええっ!?」
 ちょっと驚いた。
「すみません・・・」
「いえいえ、いいんですよ」
 そうか・・・ここは九州の片田舎なのだ。神奈川県在住の大野の常識は通用しないのである。地方では大きな本屋そのものが貴重である、なんて話も聞いたことがあるが、まさにそれを地で行っている。
「お客さんたち・・・ご旅行ですか?」
「・・・そうです」
 流石の白鳥さんも一瞬詰まる。