おかしなふたり 連載401〜410

第401回(2003年10月21日)
 目の前で恵(めぐみ)が目をぱちくりさせている。
 そりゃそうだろう。こんなスキンシップを行う姉弟などそうそうあるまい。
「あはは・・・仲いいのね・・・」
「ええ!そりゃもう!」
 聡(さとり)が胸を張って答える。
「でも・・・駄目よ。お姉ちゃんいじめちゃ」
 やっぱそう見えるよなあ・・・。
「えーと・・・あゆみ・・・さんだっけ?」
「え・・・あ・・・はい・・・」
 もじもじしているOL。か、可愛い・・・。
「あたしにも弟がいるんだけどね。同じことしたらまあ、半殺しにするわ」
 普通の姉弟ならそうなんだろうな。
「そこまでしなくてもいいけど、怒るときには怒らないと」
 それが出来れば苦労は・・・。
「さとし君!」
「はい」
「あんまりお姉ちゃんいじめちゃ駄目よ」
 そう言われると何だかみじめになってきた。
「あ、駄目駄目泣いちゃ」
 そんなこと言われても・・・。
 じわりと涙がにじんできた。
「これからメイクするんだから」
 ビシイッ!と背筋が凍る歩(あゆみ)だった。


第402回(2003年10月22日)
 表情がひきつっているOL歩(あゆみ)。
「メイク・・・ですか?」
「そんなにべっとりはやらないわ。でもまあ、簡単に整えさせてもらわないと」
 そう言われてみればスタジオの隅っこには簡単な鏡台なんかしつらえられているではないか。
「あゆみちゃん幾つだっけ?」
「じゅう・・・ななですけど」
「メイク初めてじゃ無いでしょ?」
 まあ、確かに初めてではない。この間電車の中で純白のウェディングドレス姿の花嫁にされた時に、同時にその顔にはしっかりメイクが乗っていたのである。
 歩(あゆみ)は今でもあの瞬間の、生暖かい“もの”がぬるーりと唇を撫でていく感触を忘れていない。
 あ、そうそうこの間チャイナドレス姿にされた時にもばっちりメイクされている。あの時には手の全ての爪にまで真紅のマニキュアすら施されてしまったのだ。
 だが、それは全て聡(さとり)の能力によるものだ。
 人間の手で、“普通に”口紅を引かれ、頬紅をはたかれ、るのは初めてに決まっている。
 聡(さとり)が飛び上がりそうなほど喜んでいる・・・のは見なくても分かった。


第403回(2003年10月23日)
「どーしたの?浮かない顔して・・・」
「はあ・・・」
 説明したって分かるまいなあ・・・。と歩(あゆみ)は口数が少ない。
 こうして見るとこの八重洲さんは今の歩(あゆみ)よりも頭半分位大きい。
 聡(さとり)の能力によって身長まで小柄になってしまっているとは言え、この人が女性にしてはかなり大柄な部類に属するのは間違いあるまい。
 それに加えて、何とも格好いいリクルートスーツみたいなのを着ている。歩(あゆみ)は女性の衣類についての知識は殆ど無いのでよく分からんけども。
 それに比べてこちらはどこをとっても柔らかそうなピンク色のいかにも“制服”である。フェミニンさでは勝ちだけども、こちらはこの格好で外出することは、まあ考えられないのに比べて恵(めぐみ)さんは今まさに出勤したキャリアウーマンみたいだ。
 上背の差、そして7〜8歳の年齢差もあって、本当に格段に大人に見える。
「まー、気持ちも分かるけどね。メイクの嫌いな女の子っているしね」
「そう・・・なんですか?」
 思わず“素”で聞いてしまった。
「てゆーかあたしがそうだったし・・・あゆみちゃんもそうなのね?」
 こく・・・と頷く。可愛い・・・。
「でもまあ、社会人になったらお化粧は男の髭剃りみたいなもんだから、仕方ないって。歩(あゆみ)ちゃん就職するんでしょ?」
 一瞬意味が分からなかった。
「何年後に就職するんだか分からないけど、今から慣れとくのも悪くないわよ」


第404回(2003年10月24日)
「うん!そーそー!」
 聡(さとり)が合いの手を入れる。
 だが、歩(あゆみ)の脳内はそれどころでは無かった。
 軽く恵(めぐみ)が言ったであろう言葉がトゲの様に引っかかっていたのだ。
『就職するんでしょ?』
 さも当たり前の様に二者択一を迫ってきた。
 歩(あゆみ)は今は可愛らしいOL姿なのだが、普段は男である。この撮影が終わればすぐにでも17歳の男子校生に戻ってそちらの人生を送ることになる。
 肉体的には女性になれるけどもそれはまあ、一種の“変装”みたいなもんだ。
 だから何の気なしに放たれたこの一言がショックだった。
 歩(あゆみ)にしてみれば、自分が将来何らかの形で仕事をして収入を得、それで生きていくことはごく当たり前のことであって、それに対して何の疑問も差し挟む余地も無かった。
 だが、女性はそうではないのだ。
 就職しないという選択が・・・まあ同じ比率では無いにしろ大きく横たわっているのだ。
 それは“結婚する”ということなのだろうが、歩(あゆみ)にはそれは“選択の自由”ではなくて、「就職できない」という風に映った。
 なるほど・・・。
 何と言っていいか分からないけど、女性がよく言う女性ならではの社会の過ごしにくさというか息苦しさが初めて肌で体感出来た様な気がした。
 そして・・・おあつらえ向きに今見に纏っているのは「代替の効く」「腰掛け」の代名詞であるOLの制服である。
「それにね」
 ということは、こういう芸能活動のマネージャーみたいなことをやっているこの恵(めぐみ)さんは・・・かなり凄い人なんじゃないだろうか・・・。
 そんな歩(あゆみ)の思惑もよそに、飄々とした恵(めぐみ)だった。


第405回(2003年10月25日)
「それに、アレだよ。メイクってテレビに映る人は100%してるんだよ」
「え?・・・男でも?」
「そりゃそーじゃん!」
 と、ちょっとビックリした様子の恵(めぐみ)。
「お兄ちゃん・・・じゃなくてお姉ちゃん今時ありえないほど芸能界とか興味ないからねー」
 ちなみにこれは嘘である。
 “カラオケ大王”である歩(あゆみ)はそんじょそこらの女子高生など及びも付かないほど歌手には詳しい。・・・だがまあ、“一般的なテレビ・芸能界知識”はそれほど無いのかも知れない。
「じゃああの・・・おっさんとかも?」
「常識常識!土瓶蒸節也なんておじいさんのニュースキャスターも本番前にはきっちりメイクしてるよ。まあ、女の人のするメイクと違ってテカリを軽く抑えるとかその位だけどね。でも鏡に向かってパフをはたいたりはしてるんだよ。・・・ちょっと想像したくないけどね」
 確かに。


第406回(2003年10月26日)
「ま、という訳でよろしくお願いね」
 背中の真ん中を押される。
 うう、ブラジャーがあ・・・。
 歩きにくいタイトスカートのまま、ずるずると鏡台の前まで押し込まれてしまった。
 そこには、これまた髪をひっつめにした簡素な格好の女性である。


第407回(2003年10月27日)
「ま、とゆーことであやちゃんよろしく」
 気が付くと椅子の前に座らされている。
「はいはい」
 “あやちゃん”と呼ばれたこの若い女性も常にニコニコ顔の陽気な女性である。こういうタイプが芸能界には多いのだろうか。こんな辺鄙な部屋の中の撮影回に芸能界も無いもんだが。
「あらまー、可愛い娘(こ)ね!」
 とか何とか言いつつ手は休まらない。
 目の前の鏡には・・・そろそろ見慣れ始めていた女となった自分がピンクのOLの制服姿で座っている。
 ああ・・・こんな姿は他人には見せられないよなあ・・・。しかもメイクだって・・・。
 何だか引き返せない所まで来てしまった気分である。
 もう目をつぶっておく事にした。


第408回(2003年10月28日)
 なんとまあ皮肉なことに、これが良かったらしい。
 “あやちゃん”と呼ばれた女性は実に手馴れた手腕で、はたはたと顔をいじり回してくれる。
 甘い香りの化粧品がぬるーりと・・・というのを期待していたのだけど、顔の表面の汗をぬぐい、粉をはたくのが主な仕事だった。
 それこそ“整える”という奴なのである。
 ・・・何だか拍子抜けだった。
 折角覚悟したんだからもっとケバケバしい位のメイクをされても良かったのに・・・というか。どうにも人間心理は難しい。
「まあ、こんなもんでしょ」
 目を開けた!
「ん?どれどれ?」
 ・・・あんまり変わらなかった。
 これってメイクした意味とかあるのかな?


第409回(2003年11月02日)
「じゃー2人ともこっちに来て」
 恵(めぐみ)さんが声を掛ける。
 見ると、聡(さとり)の奴はもう着替えていやがる。なんて速いのか。
 そういえば一分一秒単位であいつのスピードなんか考えたことは無かったけど・・・。
「あ、ありがとうございます」
 ぺこり、とメイクさんにお辞儀をするOL歩(あゆみ)。
「いえいえ。どういたしまして」
 笑顔が素敵な“あや”さんだった。
 こーゆー人って何だかオカマっぽい喋り方をする男性というイメージがあったのだけども、こういう綺麗なお姉さんで良かった、と思った。
 まだ十七歳のあゆみ(あゆみ)は、多彩なメイク道具を手足の様に使いこなす女性が非常に大人びて見えたのだった。
「あゆみちゃん、ちょっと打ち合わせするね」
 どうも女性から“あゆみちゃん”と呼ばれることが多いな、と思った。


第410回(2003年11月05日)
「じゃあこれ持って」
 恵(めぐみ)さんが持ってきたのは書類の束だった。
「何ですこれ?」
「OLと言えば書類でしょ?」
 ・・・どうもこの人は根本的な思考パターンが聡(さとり)とよく似ている。
 まーともかくこれも仕事だ。さっさと終わらせてしまうしかない。
 じりじりと強いライトに照らされて周囲が見えにくいほどだった。
 その向こうには特に愛想がよさそうにも見えない照明さんやらのスタッフが数人、忙しそうに立ち働いている。
 これ以前にも以降にも大勢モデルはいるのだから、決してそんなことは無いのだが、自分の為に色々と世話を焼いてくれているのが申し訳なくてなんともい辛い。
 両手で挟み込むように書類を持つOL姿の歩(あゆみ)。
「あー、駄目駄目。それじゃ」