不条理劇場 9

「四人の女」
第4節 掲示板連載020〜040


作・真城 悠


このイラストはオーダーメイドCOMによって製作されました。
クリエイターの平岡正宗さんに感謝!

連載1回目
連載2回目
連載3回目


021(2002.9.29.)
 それこそ器量がどうあれ、生物学的に「女」である以上最低限のルールには従わなくてはならないのだ。
 これまで人生に関わってきた「女装」というのはどれも非日常的なイベント、お祭り騒ぎでしかなかった。
 大野自身は関わらなかったが、文化祭での「女装喫茶」に参加させられた連中の嬉しそうな事!
 「女装喫茶」と言いつつウェイトレスの制服ではなく、女子のブレザーを拝借しただけのインスタントなものではあった。しかし、女子の制服にエプロンを掛けて給仕をする連中の至福の表情を今も忘れることが出来ない。
 この催しはたまたまこの年、1件だけだったということもあって、かなりの人気を集めた。
 客の9割9分までは女子だった。
 女子は妙なことだが、男子生徒の女装を殊のほか喜び、面白がるところがある。制服だって喜んで貸してくれたのである。
 この時男子生徒はどうしていたか・・・?
 遠巻きに眺めているだけだったのである。
 奇妙な事だが、中に堂堂と入っていく女子に対して、教室の外側に黒山の人だかりを作りながら中に入っては来ないのだ。
 女装した男子生徒に近付くのが気恥ずかしかったのか・・・?
 いや、実は密かに“羨ましい”と思っていたのだ。この大義名分を元に堂堂と女装出来る男子生徒たちに嫉妬して、その姿を一目見ようと集まっていたのだ。





022(2002.9.30.)
 だが、こいつらが今の大野の様に恒久的な女への変身を望んでいるかと言われればそれは間違いなく“否”だろう。制服を脱げば全てが終わるお祭りだからこそ、ささやかな“変身”を楽しむことが出来たのだ。
 恐らくあの時の「女装喫茶」で女子の制服に身を包んでいた連中は下着の類は男物のまんまだっただろう。下手をするとスカートの下には短パンを履いていたかも知れない。
 しかし・・・今の大野は生物学的に間違いなく“女”である。外見的にも疑い様が無い。
 よく「男は女装するとおかしいが、女は男装してもおかしくない」と言われる。
 確かに女が男装していても即「変態」と認定されることは無いだろう。しかしこれは一面的な見方だ。
 いい年こいた大人になれば、やはり女が男の格好をするのは異様だ。OLがOLの制服ではなくて背広にネクタイを着てきたらどうか?それはもう「男装」であり、「変装」に近い。体格や、何より世間的に染み付いた「イメージ」により、与える印象はかなり異様なものとなるだろう。
 女性の「パンツルック」と男の「ズボン」とは似て非なるものなのである。
 さも当たり前の様にこれからは「女装」しなくてはならない。そして「女装」が当たり前にならなくていけないのだ。
 ・・・先ほどまでは「女も悪くない」みたいなことを考えていたのにまたすぐ不安になってくる。
 こうして女の服装を「女装」だと感じ、違和感を感じているうちはいいが、そのうち意識せずにブラジャーをつけ、無意識にストッキングを脱ぐ日がやってくるのか・・・やってくるのだろう。
 きっとブラジャーをしていることも、スカートを履いていることも全く意識しない日々がすぐに来るに違いない。
 ・・・それは、じわじわと精神が慣れていく恐怖だった。それでいて逃れ様の無い恐怖に思われた。





023(2002.10.1.)
 「人類の半数は女である」。
 この当たり前の心理を、男をやっているとしばしば忘れがちである。
 それは男性が持つ、女性への偏見、羨望、嫌味があたかも全人類が持つ普遍的な意識であるかのように語られるからである。
 例えば・・・
 よく「金を払っているのにモザイク」などと揶揄されるAV、ヌード写真集など、女性の陰部をめぐる悲喜劇は枚挙に暇が無い。
 ・・・のだが、当の女性はあの騒ぎを一体どういう心境で眺めているのか。何しろ百万の金を積んでも見ることの出来ない、とされている部分を自分自身所有しているのである。
 そう、今の自分が。
 こう言っちゃなんだけど、別にどうと言うことも無いのかも知れない。
 大野の場合は諸々の条件が重なって、かなり状況としては特殊になる。
 もしも女になっていることが分かってすぐだったなら今の自分とは違う反応があったのかもしれない。しかし、女の格好のまま引き回されること3日目にして漸く服を脱ぐ機会に恵まれたのだ。
 ここだけの話、すぐにあれこれいじったりどーしたりというのが“勿体無い”と思っていたのだ。
 大野とて男である。女性の肉体には興味がある。
 その興味の客体になってしまった悲劇は充分にある。だが、それならそれでもう開き直って楽しむしかない。
 明日の事など知るものか。とにかく今は元の場所に戻り、生活の基盤を確立することだ。
 もう大野の意識はバイト生活に戻っていた。
 戸籍も保険証も何もかも男のままに違いない。一体どうするのか?あまり縁は無さそうだが、海外旅行なんてした日にはパスポートの偽造?に問われるんじゃ?
 ここまで考えが及んだ時、やっと大野は眠りの底に落ちていった。


024(2002.10.2.)
 言葉にならなかった。
 ?
 何だこの感触は?
 バチっ!と目を見開いた。
 暗闇に蠢く人影が目の前にあった。
「・・・・・・!!!!」
 唇に形容しようの無い異様な感覚が襲って来た。
 生暖かく、ぐにゅりとしてぬるぬる濡れている。
 夢との区別が付かなかった。
 その一瞬が長く長く感じられた。





025(2002.10.3.)
 事態を把握しかけたその瞬間に胸に強烈な刺激が襲って来た。
 人間には脊髄反射というものがある。頭で考えて反応していては間に合わないと身体が判断した時は、脳を経由しないで勝手に身体の各部が反応してしまうのである。
 暴れた。
 実際には暴れ初めてから意識が追いついた。
 信じられなかった。
 大野は乳房を鷲掴みにされ、揉みしだかれていた。
 これも少し後になってやっと理解出来たことである。
 男であった大野は乳房を他人に触れられるのは当然ながら初めてだった。いや、いい年をした大人は、そもそも男女の営みでもない限り身体の接触など殆ど無いものである。
「んー!んー!」
 この時点でやっと声に出せたのがこれである。
 訳が分からなかった。何が起こったのか分からなかった。
 少し前に大野の乳房を蹂躙していたその手が、ブラウスを強引にむしりとった。
 弾け飛ぶボタン。





026(2002.10.4.)
 裸になることは日常生活でどんな場合だろう。
 着替える場合と風呂に入る場合くらいではないのか。笑い話に、排便時に必ず裸になる人物が、入浴するべく脱衣した際、条件反射で便意を催すというものがある。サルから進化した人類は、日常生活のほぼ10割を何らかの衣類を着て過ごす。
 実はもう1つ裸になる機会がある。それは性交渉・・・つまりセックスの時なのだが、まだ経験の無い大野にはそれはピンとくる物ではなかった。
 ブラウスの前面を破り取られた瞬間、空気にその生まれたばかりの乳房がさらされる。
 それは異様な感覚だった。
 実は「裸になる」感覚それ自体が非日常的なものであることに気が付いたのだが、それにしても異様だった。
 口を覆っていた手が外される。
 大きく息を吸い込む。
 呼吸が苦しかった。
 身体が自由に動かない。
 下半身に鉛の様な感覚がのしかかる。
 薄暗いホテルの照明の中、その人物は大野の上に「馬乗り」になっていたのだ。
 口から手が離された瞬間、何も遮る物の無くなった大野の乳房がその手で直接鷲掴みにされた。
「・・・・!?!」
 思い切り力を込めてむしりとる様に力が込められる。同時にもう一方の乳房にも衝撃が走る。その乳首の先が爪で思いっきり引っかかれた。
 何を言っているか分からない絶叫が鳴り響いた。




027(2002.10.5.)
 手垢のついた表現ではあったが、死に物狂いの馬鹿力で馬乗りになっていた人物を持ち上げ、振り落とした。
 こう書くとあっという間だが、実際にはそこで力の均衡があり、何度か押し合いが繰り広げられた。
 大野の、平らになった下半身に何度も相手の下半身が打ち付けられた。この行動の意味は分からなかった。
 漸く相手のバランスを崩す事に成功し、身体を引き抜いた大野は、ほうほうのていでベッドからはいずり出た。
 頭がガンガンと割れるように痛んだ。
 目尻が熱く、痛かった。
 泣いていたのだ。
 ショックだった。
 自分はそれなりに人生経験があり、なによりものぐさなので女になってもそれほどの変化も起こさず、目立たず騒がずそこそこに生きていけると信じていた。
 確かにいい年して結婚もせずに一人暮らしなのは男はともかく女は辛い。自分も、普通に考えれば今は若い美女だが、10年も経れば立派なおばさんだ。そうなればバイトでもあるまい。生活を防衛する意味でも誰かに養ってもらうのが得策なのかもしれない。
 しかし、それはそれで自分の自我とは関係無い。どうなろうと自分は自分なのだ。
 そう思っていた。
 平たく言えば、「女になってしまった自分」と「性的に受身である女性」とが全くリンクしていなかったのだ。





028(2002.10.6.)
 大野は髪を振り乱して泣いていた。
 乳房がズキズキと痛む。
 破り取られた服がヒドイことになっている。

 暴行されかけたんだ・・・

 女性になるということは、おしゃれな服が着られるということでもなんでもない「レイプされるかもしれない」地位に落とされたということに他ならないのだった。
 この瞬間に大野の頭の中で女であることのメリットは全てはじけ飛んでいた。
 何よりショックだったのは、「脊髄反射」で、つまり意識していないレベルで自分の身体が女として動いてしまうことであった。
 「絹を裂くような」悲鳴を自分の身体があげるなんて重いも寄らなかった。
 大野は“腰が抜け”てしまっていた。
 本来ならこんな部屋にいられるはずが無い。いの一番で脱出しなければならないはずだ。
 しかし動けなかった。
 この時点で下半身の異常に気が付いた。
 ぶるぶると震えつづける手でパンティのあたりを探ってみる。
 まさか出血はしていなかったし、ぬれてもいなかった。
 だが無残にも生地の少ないパンティは破り取られ、そこには僅かな生地が引っかかっているだけだったのだ。
 自分が本当に間一髪であったことに慄然とする大野。
 さっきの、下半身を何度も打ち付ける行為は、やはり強姦行為だったのか・・・
 だが、ことここに至ってもどこかに冷静な部分が大野には残っていた。

 でも・・・どうして男性器の感触が無かったのだろう?

 自分で考えておきながら、そのおぞましい幻影に身震いする大野。





029(2002.10.7.)
 
震えが止まらなかった。
 すぐそばに自分に危害を加えようとしている対象がいる体験はそうそうあるものではない。
 よくレイプされた女性に「どうして死に物狂いで抵抗しなかったのか」などと非難する輩がいるが、到底出来る物ではない。
 今の自分は何とかここまで逃れる事が出来たが、それは単なる偶然、僥倖でしかない。

 逃げなきゃ・・・逃げなきゃ・・・

 本能はそう告げているのだが足が動かない。
 気持ちが悪かった。
 飲み過ぎて吐きそうな時の比では無かった。
 背中が冷たい。
 全身に冷や水を浴びせられたかの様だ。
 胸が・・・鷲掴みにされ、乱暴に扱われた胸が痛い・・・。
 それに・・・?
 ゆっくりとお腹から胸の辺りを触ってみた。
 ブラウスの前はボタンを全て弾き飛ばされ、無残に破り取られていた。
 生あたたくてねばねばした。
 これって・・・これって唾液?
 叫びだしそうだった。
 胸・・・まで・・・。
 身体をなめ回されていたのだ。
 その声が耳に入っていた。
 同時に唇の感触が蘇る。
 あの・・・あの柔らかくてぶよぶよの感触・・・無理矢理キスされて・・・。
 自然と涙がこぼれた。
 大野は初めて“女として”泣いた。
 いや、“泣いた”というより“勝手に涙が出た”。





030(2002.10.8.)
 そしてその「声」が耳に飛び込んできた。
 先ほどからずうっと耳には入っていた。
 しかし、頭の中で回りに回る思考と耳鳴りにかき消されていたのだ。
 それは唸(うな)り声の様に聞こえた。





031(2002.10.9.)
 ・・・そうだ・・・。
 大事なことを忘れていた。
 この、警戒厳重のはずのホテルの一室に侵入した賊である。同室していた“花嫁さん”にとっても大変な事態ではないか。
 というか“花嫁さん”はどうしちゃったんだ?
 ほんの少しだけいつもの思考が戻ってきた。
 だが、すぐ直後に“暴行された”呈の自らの姿に思いが至り、暗澹とする。
 ダッチロールの様に波打った思考の渦から、乳房の痛みが蘇る。
「・・・くっ!」
 そして聴覚も、次第に蘇りつつあった。
 ・・・それは「唸り声」では無かった。
 ・・・泣いている・・・のか?
 ついさっきまで大野がいたベッドで誰かが泣いていた。
 それはこの突然の襲撃によって大野が覚醒してから初めて認識出来た他人であった。





032(2002.10.10.)
 誰なんだろう?
 いや、“誰なんだろう”も何もあるものか、下手人・・・賊・・・犯人に決まっている。
 しかし、その様態は「凶悪犯」からはかけ離れたものだった。
 「犯人」は泣いていた。
 大声で泣いていた。布団を叩き、嗚咽している。
 その・・・女性としてレイプされた経験は無いので良く分からないのだが、基本的に性的欲求が極限まで高まって理性が獣欲に負けて爆発してしまうのが普通なのではないのか?
 そう、目の前に服をもぎ取られた女が這いつくばっているのにほったらかしで号泣しているのである。
 してはいけない連想が大野の脳裏に浮かんできた。
 まさか・・・まさか・・・“花嫁”・・・さん?





033(2002.10.11.)
 その瞬間だった。
 ありえない衝動が身体を襲って来た。
 事態は何も好転していない。それどころか、同居人が犯人であった場合、より深刻な事態と言えるのだ。
 だが、逆らえなかった。
 これまで気の休まる事の無い旅を続けてきたせいだろうか、瞼の上に重りを乗せられたかの様であった。
 だ、駄目だ・・・駄目だ・・・こんな所で・・・
 その抵抗空しく、大野の意識は失われた。





034(2002.10.12.)
「ん・・・」
 活動していないその目に陽光が突き刺さる。
 いや、決して強い光ではない。
 だが、周囲の空気を暖め、そして優しく包み込むその陽気は心を安らがせた。
「あ・・・」
 目が覚めていた。
 自分はまだ生きていた。
 何とも言えない気持ちのよさが身体全体を包んでいた。
 ああ・・・何て気持ちがいいんだろう・・・
 この薄ら寒い早春の日、自らの体温でほどよく温まった布団の中ほど快適な場所があるだろうか・・・。
 大野は予備校時代や、なによりつい最近のバイト生活を思い出していた。
 いつコタツを片付けるのか・・・そんなことに日々の生活がすべて食われていた日々・・・。
 また変わらず目が覚めた訳か・・・。
 大野は安堵していた。
 この布団の感触・・・布団?
 起き上がろうとしたその身体を理性が押しとどめる。
 何か・・・何かおかしくないか?
 大野は動かなかった。
 慎重に、慎重に思考を進めていた。
 落ち着いて、落ち着いて少しずつ考えるんだ・・・
 夜中よりも薄明るい朝の日の光で照らされた天井を眺めながら大野は起きたばかりの脳細胞をフル回転させた。少なくともさせようとした。





035(2002.10.13.)
 布団の中で手を動かす大野。
 ・・・この時点で既に間違っているんだ。うん。
 大野の記憶が確かなら、昨日の晩・・・昨日の晩はそうだ!暴漢に襲われて、ベッドから命からがら這い出し、そこで意識をうしなっているはずじゃないか!
 昨日の晩の恐怖が蘇る。
 鷲掴みにされ、揉みしだかれた乳房・・・引きちぎられ裸同然になったではないか!
 ・・・じゃあどうしてこうしてベッドに寝ているんだ?
 昨日のあれは・・・夢?
 夢なのか?
 ・・・夢ならば納得がいく。だが、それでは説明のつかない現象もあった。
 それは先ほどから全身に感じているこの感触であった。
 俺って・・・ブラジャーを・・・してる?
 ブラジャーだけでは無かった。
 この、全身を包み込む柔らかくてすべすべした感触・・・動かしにくい脚・・・そして脚全体を包み込む圧迫感・・・。
 いきなり上半身を起こすことはしなかった。
 何だかそれでは勿体無い気がしたのだ。
 大野は理解の出来ない事態に動転しつつも、幾つかの点で安心と不安を同梱させていた。
 まず・・・結局自分の身体は女のままだった。
 まだ布団の中で、しっかり触ったり観察したりした訳ではないが、もう明らかだった。この2〜3日、嫌というほど体験した女体の感覚は、あちこちに押さえつけてくる女物の衣類を通してすら明らかだった。
 結局、何度となく期待した「起きたら全て夢だった」のは自分が女になっているレベルでは実現しなかったのだった。





036(2002.10.14.)
 じゃあ一体どこまでが夢なのか?
 昨日の晩に、襲われたのが夢なのか?
 もともとの前提からして“夢みたい”な話である。頭が混乱してきた。
 とにかく・・・とにかく起き上がろう。
 大野は身体を回転させた。
 それに伴って布団の内側をOLの制服がこすっていく。
 制服を着てる・・・?
 どうして制服を着てるんだ?
 随分前にインターネットの掲示板で読んだ話を思い出した。
 なんとかして手に入れた制服マニアの男が、セーラー服を着た状態で男性器丸出しのまま寝込んでしまい、起きたら綺麗にパンティも履いており、スカートも綺麗に直されていて布団もきちんとかけてあったらしい。そしてその日から母親が口を聞いてくれなくなったのだそうだ。
 その話を読んだ時は爆笑したもんだが、今も似たような状況ではないか。
 ・・・違うか。
 ともあれ、俺は制服は脱いだ。
 脱いでベッドの隅っこの方にまとめておいたのだ。
 あの大騒ぎできっと部屋中に撒き散らされてしまっただろう。
 身体を触ってみる。
 ・・・完全に着ている。この感触はブラウスだし、きちんと上からベストまで羽織っている。
 その・・・下のほうは布団にくるまったままでは分からないが、スカートにストッキングまできちんと履いているのは間違い無い。
 ブラジャーも、・・・パンティはよく分からないが、この上半身のすべすべの感触からスリップも着ているらしい。
 そうだ・・・ボタン・・・。
 ブラウスのボタンも完全についていた。





037(2002.10.15.)
 他のはともかく、これは絶対におかしい。
 大野は戦慄が走った。
 その・・・一番考えられる可能性は、何者かが半裸状態で気絶している大野に、部屋に散乱していたOLの制服を着せた、ということだ。
 そんなこと出来るのか?
 大野は生憎と女性に衣服を着せた事も脱がせた事も無い。
 だが、気絶している人間に、ストッキングみたいな肌に密着する衣装を着せることが出来るのだろうか?
 というか、一番ありえないのがこのボタンだ。
 うつ伏せになっていた大野は、両腕を使ってゆっくりと起き上がった。
 上半身と布団との間に早春の冷たい空気が入り込んでくる。寒い。
 間違いなかった。
 そこにあるのは、OLの制服に身を包んだ成熟した大人の女の肉体だったのだ。がに股気味に歩く事すら困難なのだ。胡座がかけるはずも無く、その場で正座状態になる。
 やっぱりだ・・・。
 乱暴に引きちぎられ、ぶちぶちっ!と吹っ飛んだはずのボタンが全部綺麗に留められているではないか。
 ・・・何かが起こっている。
 そう考えるしかなかった。
 もしこれを実現しようとしたら、部屋に散乱しているボタンを全部拾い集め、裁縫でボタンを全て復旧しなくてはならないではないか。もう1つ可能性があるとしたら・・・
 “もう1つの可能性”に気が付いた大野は、恐怖の為にその場で立ち上がった。





038(2002.10.16.)
 ホテルの一室でベッドの上に仁王立ちのOL・・・シュールな風景だった。
 はらり、と布団が落ちる。
 ストッキングのせいで、足の裏が布団に直接触れていない。
 この数日でストッキングに対する高感度を上げた大野だったが、これは嫌いだった。
 そうだ・・・この隣のベッドに“花嫁さん”がいたんだよな・・・。
 今は賊のことは考えられなかった。
 大野は恐ろしくて“花嫁さん”がいたベッドを振り返ることが出来なかった。
 もしも・・・もしもあの暴行未遂が夢であったとしても、このOLの制服を着ている事態は説明出来ない。確かに綺麗に脱いで寝たのだから。
 それはかすかに視界の隅に入って来ていた。
 大野は思い切ってそちらを振り返った!





039(2002.10.17.)
「あ・・・ああ・・・」
 そこには信じられないものがあった。
 いや、こっちは可能性ゼロじゃない。ゼロじゃないんだ・・・。
 自分の方は殆ど説明つかないけど、“花嫁さん”なら説明がつく。うん。
「どういう・・・ことなん・・・だ?」
 囁く様に声が出た。
 そこに“花嫁さん”は寝ていた。
 我々がここにたどり着くまでに調達したカジュアルな衣装。特にこの“花嫁さん”は自らの姿をひどく嫌がっていた。
 にもかかわらず、だ。
 そこには純白のウェディングドレスに身を包んだ美しい花嫁が、夜明けの陽光の中、白雪姫の様に安らかに寝ていた。





040(2002.10.18.)
 考えられない。考えられない。

 他の人ならともかく、この“花嫁さん”が、自ら率先してまたウェディングドレスを着たりするものだろうか?
 まあその・・・物理的に可能性はゼロでは無い。
 フロントから車のキーを借りて夜中に車に舞い戻り、そこからウェディングドレスを取り出して部屋に持ち込み、そして着替えて・・・。
 “にわかOL”の大野が歩きにくいタイトスカートで文字通りの“花嫁さん”のベッドの元に歩み寄る。
「・・・」
 すやすやと安らかな寝息を立てている。
「・・・っ!」
 大野は大事なことに気が付いた。
 は、“花嫁さん”、化粧してる・・・。
 これは決定的だ。だって化粧はみんな苦労しながら一生懸命落としたじゃないか。
 ドレスを再び着込むだけならまだともかくも、わざわざメイクまでして寝る筈が無い。そんな理由があるもんか。そもそもきっとこの人はメイクなんて出来ないはずだ。
 仮に出来たとしても道具が無い。いや・・・最近はコンビニで化粧品も売ってるみたいだけど・・・それにしてもそんな可能性が一体どれだけあるのか?あの所持金なら不可能じゃないけど、こんな時に化粧品なんかで出費するなんてありえない。
 ・・・ってひょっとして俺も化粧してるのか!?
 反射的に自分の唇に人差し指の腹をそっと当ててみる。
 恐る恐る見てみると。
 ・・・何となく紅い気はするけど・・・良く分からない。
「あっ!」
 声を飲み込んだ。