不条理劇場 9

「四人の女」
連載第5回(にあたる部分以降)


作・真城 悠

この小説は「フィクション執筆掲示板」にて書かれたものです

「不条理劇場」トップに戻る


連載1回目
連載2回目
連載3回目

連載4回目


041(2002.10.19.)
 決定的だった。
 もう“何か”が起こっているのは疑い様の無い事実だった。
 安らかな寝息を立てる花嫁さんの大きく開いた首元には、美しいネックレスが光っていたのだ。
 よく見ると耳にはイヤリングまで・・・。
 これは昨日の夜、質屋に売っ払って旅費にしたものじゃないか!
 これはありとあらゆる要素を考え合わせても絶対に考えられない。もしもこれを買い戻そうとしたら、・・・いや買い戻すことは出来ない。何しろここの宿代になっているんだから。
 確かに現金決済はまだだけど、白鳥さんや城さんから等分したお金を強奪しても足りないのだ。
 まさか・・・じゃあ・・・

 ことここに至って事態は明白だった。
 それなら今の自分がOLの制服を綺麗に着込んでいる理由も説明できる。だが・・・
 そんな恐ろしいことが現実に起こりうるのだろうか?
 いや、確かにそれは起こっているのだ。目を逸らしても仕方が無い。そもそもこの旅の始まりからして無茶苦茶だったじゃないか。
 大野は昨日の晩にさんざん巡らせた、女としての安穏とした生活プランなど頭から吹っ飛んでいた。
 ゆっくり・・・ゆっくりとベッドから離れる。
 あ、ストッキングだけだ・・・。
 部屋を見渡して、スリッパ・・・じゃなくて昨日履いていた婦人ものの靴を履き、そして再びバスルームに向かった。





042(2002.10.20.)
 バスルームの入り口で
靴を脱ぐかどうかちょっと迷う。
 えーと、こういう時ってどっちが正しいんだっけ?
 にしても全く持って疑問の余地無くタイトスカートだった。
 これは・・・アレだよなあ。ちょっとがに股になることも困難だ。幾らなんでも不便じゃないのか。
 い、いや今はそんなことはどうでもいい。
 結局、ほんおちょっとでもストッキングが濡れるのが嫌でそのまま入る大野。
 そしてそこにある鏡を見る・・・。
「あ・・・」
 予想していた悪夢がそこにあった。
 鏡の中の自分は、綺麗にメイクを施されていたのだ。







043(2002.10.21.)
 元々の造型がいいので、それほどドギツクは無いが、天然自然のままとは明らかに違うその紅い唇・・・。
 小さい頃「近所のお姉さん」に対して抱いた甘酸っぱい思いが鏡の中の自分に対して蘇る。
 い、いや今はそんなことを気にしている場合ではない。
 すぐにバスルームを出、ドアを開ける。
 そうだ、ここはカードキーでロックだからこのままだと締め出されてしまう。
 ドアそばにストッパーがあるのを発見してドアが閉まりきらない様に挟み込む。
 昨日の晩はこれで花嫁さんの帰還を待ったのである。
 大野は恐る恐るドアの外に出た。
 季節は早春、時刻は早朝・・・恐らく4時頃ではないかと思われる。
 あたりをきょろきょろする。
 こんな早朝にOLの制服姿で廊下を歩いている女は、大野の価値観では少なくともあまりありえない。





044(2002.10.22.)
 寒かった。
 決して厚着ではないその衣装は、底冷えする寒さである。こんな陽気で車に宿泊して来ていたという事実は我ながら信じられない。
 だが・・・今はとにかく会わなくてはならない。
 この緊急事態に、全員の知恵を合わせなくてはならないのは明白だった。
 しつこく廊下に人気が無いことを確認し、「302号室」の前に立つ。
 結局昨日の晩はさっさと寝込んでしまったお陰で一回も話さなかったな・・・
 実はまだ修学旅行気分が抜けていない大野は、あの陽気な女子高生と化してしまっていた城さんとお菓子か何か食べながら夜通し語っているイメージすらあったのだ。
 ガンガン、とノックした。





045(2002.10.23.)
 どうもやり方がスマートではなかったが、直接ドアを叩くしか方法が無かった。
 朝の4時である。
 ビジネスホテルの宿泊時にそれをやるのは、普段の大野ならやらなかっただろう。いくらフリーターとは言えその程度の常識はある。
 だが、大野には確信があった。
 起きてる。
 絶対に起きているはずだ。
「はい」
 ドア越しにくぐもった声がする。白鳥さんに違いない。
「おはようございます。大野です」
 その声は、やはりこれまで20年以上慣れ親しんだものでは無かった。だが今はこれを受け入れるしかない。
「今開けます」




046(2002.10.24.)
 ドキドキした。
 頼むから自分の妄想は、妄想であってくれと願っていた。
 昨日の晩の惨劇にも関わらずの今のOLスタイル。そして純白のウェディングドレス姿の“花嫁さん”。
 であるならばこれから目の前に展開するであろう光景もすぐに導かれるはずだった。
 しかし、それでも尚嘘であって欲しかった。
 ピッ!という電子音がする。
 昔ながらの方式でない方法でドアのロックが外れた。
「どうぞ」
 考えてみれば大野は白鳥さんの元の声を知らない。いや、元の姿も知らないのだ。知っているのはあの理知的な態度で全てを取り仕切る女性リーダーだ。
 冷え性なのか、先端が常に冷たいその細く美しい指でドアに手を掛け、思い切って開く大野。そこには予想していた光景があった。
「おはようございます」
 そこにはバレリーナがたたずんでいた。





047(2002.10.25.)
「あ・・・」
 やっぱりだった。
「入ってください。人に見られます」
「あ、すいません」
 ドアの内側に入る大野。一晩の宿ではあれ、他人の部屋に踏み込むみたいでちょっと気が引けてしまう。
 中は暖かかった。何しろ部屋の主人が薄着で、肌のかなりの部分を露出させているのだ。暖房を効かせているのだろう。
 ふと視線を上げると、バレリーナが部屋の奥に向かって歩いていくビジュアルが目に入った。
 無味乾燥なビジネスホテルを背景にしたバレリーナはやはりシュールだった。
 肩ひもに、女性の下着を思わせる背中。少し歩く度に大きく揺らぐ真横に伸びたスカート・・・。
 そのまま真横に手を伸ばすとスカートに当たってしまう。手のやり場に困っている様だった。
 そのスカートは少々歪んでいる様に見えた。



048(2002.10.26.)
「大野さん?」
「あ、どうも」
 奥に入っていく大野。
 よく考えれば白鳥はこちらのOLスタイルを全く気に留めていない。予想の範囲内ということだろうか。
「私はこちらで失礼します」
 ベッドに座り込むバレリーナ。
 ガサカサ・・・と硬質のシュールが布団と擦れる音がする。
「白鳥さん・・・」
 何も言わずに頷く白鳥。
「どうぞ座ってください」
「あ・・・ええ」
 部屋の椅子に腰掛ける大野。タイトスカートなので斜めに脚を揃えることになってしまう。その猫背気味の姿勢の悪さが、唯一に近い元の姿の面影だった。
 ふと視線を部屋内に走らせる。
 そこには、ミニスカートから伸びた脚・・・そして下着まで・・・を大胆に露出させて寝返りを打つ“女子高生”がすやすやと寝息を立てていた。
 事態は明らかだった。





049(2002.10.27.)
「見ての通りです」
 これ以上の言葉は必要なかった。
 そう、我々は「元に戻って」しまったのである。
 これまでは車で宿泊していた。事態がまだよく分かっていなかったこともあって、着替えることすら無かったのだ。
 だがしかし昨日の晩は違う。
 非常識な格好の2人も含めて全員がより居住性の高いスタイルになった。そして・・・
「ちょっと失礼します」
 そう言って布団を上から羽織るバレリーナ。
 寒いのだ。
 それはそうだろう。
 何しろ下着同然の格好なのである。薄手のバレエタイツに包まれ、うっすらと肌の色が透けて見えるその下半身はまだマシとしても胸から上が、その腕を含めて全て露出している上半身が寒くない訳が無かった。
「いつ頃でした?」
「え?」



050(2002.10.28.)
 いきなり前提を吹っ飛ばした質問に大野はちょっとドギマギした。だが、よく考えれば思考力の無い子供では無いのである。起こっている事態をいちいち定義する必要も無い。
「あ、ああ・・・私は・・・」
「私は、起きたらこうでした」
 “こう”と言いながら両手を広げて見せる白鳥さん。
「私も・・・です」
 一瞬、昨日の晩の暴行未遂のことを話そうかと思ったが、そういう雰囲気では無かった。
「花嫁さんはどうでした?」
「あ、そう!そうなんです!花嫁さんも元に戻ってました!」
 そうなのである。この奇妙な四人組は、最初に出会ったときの姿に自然回復していたのだ。
「そうですか・・・」
 考え込むバレリーナ。
 こうして見て見ると、それほど濃い化粧でもない。少なくとも人相が変わるほどの宝塚調とは違っていた。だが、それでも一介のOLと比べれば遥かに舞台メイクだった。




051(2002.10.29.)
 何と言ったらいいのだろう。
 だが事態は分かり安すぎるほど明らかだった。
「とにかくこれで・・・」
 “バレリーナ”が口を開いた。その赤い唇が開閉する。
「解散は難しいと思うのですが」
「え?」
 少し考えてから大野は
「あっ!」
 と思いついた様に言った。
 そうなのである。我々はこの日の朝にはそれぞれ所持金を持って独自に帰途につくべく解散する予定だったのだ。
「大野さんには、かなり頼らなければなりません」
「はあ・・・」
 確かにOL姿の自分と女子高生スタイルの城さんはまだしも、バレリーナ衣装の白鳥さんと、純白のウェディングドレス姿の・・・「花嫁さん」・・・は幾らなんでも目立ちすぎる。そりゃOLの制服で電車に乗ったり飛行機に乗っても目立つだろうが、チュチュやウェディングドレスには負ける。




052(2002.10.30.)
「とりあえず所持金の一部を出しますので・・・申し訳ありませんけどまた衣類を調達して頂けますか?」
「え、ええ・・・」
 それは別に構わない。ここに至るまでの旅路でも専らこの「日常ユニフォーム組」の役割だったのだ。
 しかし・・・根本的な疑問は湧かないのだろうか?
 大野はことここに至っても冷静な白鳥氏に脱帽した。
「着ていた服は・・・」
 カサリ、とスカートのチュールを鳴らしながら言う白鳥。
「どうなりました?」
「あ・・・」
 そういえば見ていなかった。
 OLの制服はベッドの上に脱ぎ散らしたままなのである。それを寝ている隙に着せられた、という頭しかなかった大野には無い疑問だった。
「白鳥さんはどうです?」
「私ですか?」
「昨日はどんな格好で?」
「ああ・・・浴衣で寝ました」
 浴衣・・・ってホテルに備え付けてある浴衣?
「そう・・・ですか」
「大野さんは?」



053(2002.10.31.)
「いやその・・・」
 何と答えればいいのだろう。
「色々あったんで・・・そのまま・・・」
「制服でですか?」
「いや・・・下着類だけ脱いでそれで・・・」
「お風呂には?」
 この質問には大野は逆に質問で返していた。
「白鳥さん・・・お風呂入ったんですか?」
「はい」
 こともなげに言う。
 まあ、質問自体は特に珍しい物ではない。だが、状況が状況なのである。恐らく白鳥にとっても女になって初めての入浴であろう。それを何事も無かったかのように・・・
 そんなことを気にする自分の方がおかしかったのだろうか?
「折角ですので・・・それで浴衣に」
「はあ・・・」
 俺の方がおかしいのだろうか?
 まあそりゃ、これからある程度以上の期間をこの身体で過ごす事を考えれば入浴1つに一晩も悩む訳にはいかないだろう。
「ま、とにかくあの車にはもっと活躍してもらわないと」
「車・・・ですか?」
 どういうことだ?まさかこの旅行をまだ続けようというのか?



054(2002.11.1.)
「ええ。やっぱりリスクが高いと思いますので」
 そうか!
 この時になってやっと白鳥の考えていることが大野にも了解できた。
 そうなのである。白鳥はこの「着ている服の変形」がいつ起こるか分からないので、それを心配しているのだ。
「それは・・・あれですよね?それこそ飛行機とか電車の中で変身しちゃわないように・・・という」
 軽く笑みを作る白鳥。実に美しい。
「そうですね。まあ多分変身自体は防げないと思います。その為の用心ですかね」
「でも、一日のうちに帰り着けば・・・ここって大分ですよね?福岡まで電車で行ってそこから飛行機に乗れば、丸一日あれば都内までは楽勝ですよ」
「“一日”とは?」
「いや、だからその・・・」
 大野の脳裏に何かがスパークした。
 そうだ・・・俺は一体何を思い込んでいたんだ・・・。
 寝て、起きたら服が変わっていた。だから「1日の終わりに元の姿に戻る」ものとばかり思い込んでいたが、別に夜に変身するなんて限らないじゃないか。それこそ白昼堂々と変身してしまう可能性もあるのだ!




055(2002.11.2.)
「そう・・・ですね」
「ええ。車の中なら何とか・・・」
 やっぱりこの人は凄い。とてもそんな所まで頭は回らなかった。
 電車の中や飛行機の中で、着ているカジュアルな服が見る見るうちにOLの制服やらバレリーナのチュチュ、あまつさえウェディングドレスに変形して・・・
 大野はその様子を脳裏に思い描いてぞっとした。
 確かに肉体的には女性だから「衆人環視の中女装している変態男」にはならない。だが「コスプレマニアのヘンな女」には認定確実である。
 まさか逮捕はされないだろうが・・・それにしても困った事になるのは確実だった。
「確かに大野さんがおっしゃる様に、寝ている間なのかも知れません。しかしその保証は何も無い・・・」
「そうですね・・・」
 大野はこの2〜3日のことを必死で思い出していた。
 不眠不休・・・とまでは言わないまでも、寝たり起きたりを繰り返しながら運転を続けた。
 その間服が変わったりはしなかったわけだが、それは最初の服から着替えていなかったからだ。
 もしも意識を張っていたら、その瞬間が見られたのだろうか?それとも意識がある内には服装の還元は起こらない?
 ・・・混乱してきた。



056(2002.11.3.)
 というよりも何よりも、この白鳥の提案は、最も大事な視点が抜けているのである。或いは意図的に無視しているのか・・・
 そう、この“体質”を一体どうするのか?ということだ。
 女になってしまったのは、まあいいとしよう。
 ちっとも良くないが、とりあえず命に別状は無い。人類の半分はこれでもなんとかやっているのだ。
 だが、「着ている服が知らず知らずの内に移り変わってしまう」というこの体質は?
 白鳥の言う様に、まったく無差別にこの変換が起こる可能性だって大いにあるのである。そんなことで日常生活が送れるのだろうか?
 大野はまだいい。それこそ会社にでも勤めれば。「制服」なんだから。だが白鳥さんや「花嫁さん」はどうなのか?
 今目の前にいるバレリーナだって浮世離れしているという意味では花嫁さんといい勝負だ。いや、ウェディングドレスはそれこそ全ての女性が着てもおかしくないが、チュチュを着たことのある大人の女性なんてどう考えても少数派ではないか。
「大野さんの考えていることは分かります」
 意外な言葉だった。顔に出たのだろうか。
「ですが、この事だけで決め付けるのは早計ですね」
 白鳥はあくまでも冷静だった。



057(2002.11.4.)
「確かにこうして変わってしまいましたけど・・・」
 スカートの端をつまんで言うバレリーナ。
「これが定期的な現象なのかどうかはまだ分かりません。この一回きりなのかも知れない」
「はあ・・・」
 確かに可能性としてはそうだろう。しかし、そうでない可能性だって同じくらいあるのではないか?
「私たちはこの現象についてまで知りません。もっとよく知る必要があります。少しでも危険があるのならやらない方がいい」
「つまり・・・運転しながら帰った方がいいと?」
「今度はあなたにばかり運転はさせませんよ」
 笑顔になるバレリーナ。
「でも・・・」
「燃料なら現在の所持金でも充分足ります」
 燃料・・・か。
 不思議な物で、大野はそれはこの数日にしてからあまり考えた事が無かった。目の前に燃料計はあったはずなのに。
 何と言うか・・・戦国時代にタイムスリップした自衛隊の燃料切れが迫ってきたかのような、すでに甘美な域に達した絶望がそこにあった。



058(2002.11.5.)
 これまで何度も考えてきたのだが、大野には戻っても何も希望が無いのである。これまでと同じ怠惰な日常が帰ってくるだけなのだ。それにこんな妙な障壁が重なったんじゃ・・・
「大野さん?」
「あ、・・・すいません」
「本当によく“しょうけつ”される方ですよね」
「“しょうけつ”って何です?」
「そうですね・・・」
 腕組みをして考える背中に布団を被ったバレリーナ。その光景はやはりシュールといういしか無かった。
「一言で言えば“ぼうっとする”程度の意味ですけど・・・」
「あはは・・・」
 渇いた笑いを漏らす女子事務員。確かにそうだ。昔からよく「一人の世界」に入ってしまっていたもんだ。
「大丈夫ですよ!きっと何とかなりますって」
 どうしてこの人はこんなに前向きな思考が出来るのだろう?
 大野には分からなかった。
 この世にそんなに執着することがあるのだろうか?
 その底抜けの楽観主義は・・・少々の嫉妬を大野に芽生えさせていた。




059(2002.11.6.)
 それにしても・・・。
 必死に目をそらそうとするのだが、どうしてもマジマジと見てしまう。
 その露出度の高い衣装・・・。
 その・・・大真面目な白鳥には悪いんだけど、どうしてもその形態にはどこかユーモラスなものを感じてしまう。
 平たく言えば“笑っちゃう”のだ。
 これは小さい頃からコントのオチとか、股間から白鳥の首が生えたふざけたコスチュームばかり見せられてきたせいだろうか。





060(2002.11.7.)
 と、その時だった。
 ふぁさ・・・。
 目の前の線の細い華奢なバレリーナが肩に掛けていた布団を背中側に落としたのだ。
 折れそうなその細い身体・・・剥き出しになった肩から上、その腕・・・。透き通る様なその肌ながら、大きく露出した素肌の色がなんともいえないいやらしさがあった。
 すっくと立ち上がるバレリーナ。
「白鳥・・・さん?」
 ふわりふわりとそれだけで上下するスカート。
 そのスカートに手が付かないように自然と広がってしまうその手・・・。
 当たり前のことだが、もう全身バレリーナだった。
 これが元男性だなんて一見した人間は誰も予想だにしないだろう。