不条理劇場 9

「四人の女」
連載第7回(にあたる部分以降)


作・真城 悠

この小説は「フィクション執筆掲示板」にて書かれたものです

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081(2002.11.28.)
「着てましたよ」
 見透かした様だった。
「売ってたんでね。ブラジャーもショーツも」
「あ、あの・・・」
「別に恥ずかしくなんてありませんよ。必要だから着たまでです」
「そう・・・ですか」
「大野さんは大袈裟に考えすぎですよ。所詮布切れ一枚の話じゃありませんか」
 この言葉は明らかに矛盾する。“たかが布切れ”ならこんな衣装交換を持ち出すことも無いではないか。
「じゃあ・・・」
 ぱさり、と床に風が起こった。
 振り返るのは流石に反則であろうから足元を見た。
 そこには水しぶきを固形化した様な美しい衣装の端が見えていた。
 床に脱ぎ落とされたチュチュだった。
 考える暇も無く、するすると脱ぎ落とされていく衣装。とは言え、大野には及びも付かないことであろうが、チュチュはパーツだけで言えば実に少ない。チュチュの本体を脱いでしまえば後はバレエタイツやトゥシューズ程度しか残っていないのだ。
 こうなれば大野も覚悟を決めるしか無かった。


082(2002.11.29.)
 昨日の晩に1人で服を脱いだ記憶がまざまざと蘇ってくる。
 ・・・駄目だ。やっぱり駄目だ。
 どうも自分は“あがり症”らしい。
 そうだ、あがり症なんだ。
 自分がこれまで肝腎なところでミスばかりの人生を送ってきたのもこの“あがり症”のせいに違いない。
 でも、他人の前で服を脱ぐ・・・なんて・・・。
 これって男の時にだったありえない事態では無いか。
 しかも、その服装の特殊さから、文字通り“全裸”にならなくてはならない・・・。
 そうこう考えている内に背後ではしゅるしゅる色んな音がし続けていた。
 大野は大企業に就職したことは無いが、恐らくこんな上司の元ではやっていけないだろう、と思った。
 優秀すぎる人間には劣っている人間の気持ちなんて分かりはしないんだ。
 大野はこの生活の中でまたあの捨て鉢な気持ちが自分の中に蘇りつつあることを自覚した。


083(2002.11.30.)
 もうどうでもいいや。
 大野はベストのボタンに手を掛けた。
 場違いだが、大野は夏休みのラジオ体操のことを思い出していた。今の子供の事はよく知らないが、大野が小さな頃は“ラジオ体操”と称して毎朝6時には近所の公園に小学生が集められる習慣があったのだ。
 夏休みに限らず、休みの日というのはいつまでも布団の中でゴロゴロしているのがいいんじゃねーか。と子供の頃は本当に嫌だった。だが、現在小学生の夏休みよりもずっとだらけた生活をしていると、ああやって無理矢理に習慣付けられるのも悪くないな、と思うようになってきた。嫌な事には変わり無い。
 敢えて言えば人には勧めるが自分では面倒くさいからやりたくない、といったところだろうか。
 何が言いたいかと言うと、自分の中からは全く出てこない発想に触れることで、少しは変わることが出来るかもしれない、という淡い期待が湧いてきたのである。
 腕から柔らかいブラウスの表面をこすりつつ、ベストが抜けていく。
 ・・・客観的に見ればよだれが出そうなおいしいシチュエーションなのだろう。一枚ずつ脱いでいく若い女の図である。
 その脱ぎ方は全くこなれていない。
 脱ぎ方1つで男を篭絡する・・・そんな風になれとでも言うのだろうか。大野は運命に問い掛けた。


084(2002.12.1.)
 かがみこむのが億劫で、ある程度までの高さになった時に手からベストを離した。
 空中を落下するうちに乱れ、床に音を立てずにぐしゃりと落下する。
 気になったけど仕方が無い。
 大野は再び上体を起こして、今度はブラウスにのボタンに手を掛け・・・ようとしてやめた。
 そうだ。このままブラウスを外したって駄目だ。スカートのフックを先に外さないと。
 また背中側に両手を回し、腰の辺りのフックをまさぐる。
 ・・・こんなことやってる場合なんだろうか?
 昨日の晩に何者かに襲われたのだ。
 ひょっとしたら賊はまだその辺に潜んでいるかも知れないのである。
 そんな時ににわか女同士で衣装交換なんて不謹慎なんじゃないだろうか。いや、“不謹慎”というのもちょっと違う気がするが、とにかく間違ってる。
 今度は何故か簡単だった。
 昨日の晩、あんなに苦労したスカートのフックを外す作業も簡単に探り当て、かちっと音を立ててそのウェストを開放した。
 ごくり、と唾を飲む大野。
 自分1人で服を脱ぐことすら慣れていないのに衣装交換だなんて・・・。飛行機に乗ることもやっとなのにアクロバット飛行をさせられている様な気分だった。


085(2002.12.2.)
 するすると女性物の肌着とスカートの内側の裏地がこすれ合う音がする。
 つるつるですべすべの物同士である。
 全く・・・どうしてこんなにつるつるですべすべだらけなのだろう、女の衣服ってのは。
 でも・・・気持ちよかった。
 それは否定のしようが無い事実である。
 これって男ものにも採用すればいいのに・・・。
 でも何だか変な気がした。
 そうだよな。それはありえないよな。
 どうしてありえないんだろう。
 理由ははっきり分からないけど、そんな気がした。
 女性の肌はもともと柔らかいし・・・その・・・。
 理由は分かった様で分からなかった。ただ、女の下着というのはそういうものなんだ、と思い込んだだけだった。
 これが“文化”って奴なんだろうな。きっと。
 でも、近代文明を築いて数十年、こうしてやってきたからにはそれなりの理由があるんだろう。女性の下着がつるつるですべすべであるのにもどこかに。
 スカートを膝下まで降ろし、そこから1本ずつ脚を上げて抜いて行く。
 ・・・やっぱり“いやらしい”。
 自分の身体なのにドキドキした。


086(2002.12.3.)
 完全にスカートが脱げる。
 無意識の内に“中身”の無くなった筒のフックをかちりと留め、じじじっとファスナーを上げる。
 あ、そういえば・・・。
 そうだ。これってこれからすぐに白鳥さんが着るんだよな。
 だからそんなに綺麗に畳むことも無いんだけど・・・
 でもまあやるべきなんだろう。
 そのスカートはついさっきまで包まれていた大野の女体のぬくもりが残っていた。
 ・・・な、何だか生々しいな・・・。
 ふと下の方を見ると、ブラウスのすそから肌着がそのまま剥き出しになっている。
 妙な表現だが、いかにも“下着”という感じである。
 ・・・これが・・・これが今の俺の身体・・・。
 それはもうそのまま放送禁止の代物だった。
 いや、別に下着姿なんて大したものでは無い。だが、もうここから一皮剥けばそこには、大勢の目にさらせばそれだけで“卑猥”な代物が鎮座しているのだ。
 女の身体ってのはもお・・・。


087(2002.12.4.)
 肌色のストッキングに包まれたその脚をするすると動かしてみる。
 その周囲に垂れた下着の裾のわざとらしい刺繍がふらふらと揺れる。
 ・・・なんというか・・・これまでさんざん色んなところで見た“下着姿の女”のビジュアルじゃないか。
「大野さん」
「はいっ!?」
「いいですよ」
 え?
「こちらは準備OKです」
 ・・・なんてことだ。こちらが頭の中でごちゃごちゃ考えている間に白鳥さんはすっかり支度を終えてしまったのだ。
 ということは・・・今・・・全裸に・・・。
 頭がぽ〜っとしてきた。
 全裸の女性のイメージが頭の中に浮かんでくる。
 今この後ろに全裸の女性が・・・
 実はこれまでの人生でこんなに美味しい状況は無かった。
 そうか・・・どうもおかしいと思った。
 これまで俺が自分が女の身体になってしまって、いちいち何をやるにしても大袈裟にリアクションとってしまうのは“女”そのものに純粋に慣れていないせいなんじゃないか?
 ・・・なんだ馬鹿馬鹿しい。
 きっと白鳥さんは、バリバリのプレイボーイ・・・って訳でも無いけど女性経験がそれなりに豊富なんだろう。
 そりゃ自分自身がそうなってしまうのと他人の女体を相手にするのと随分違うけど、全くあるとないのじゃ違うに決まっている。
「はい」
 大野は一気にブラウスのボタンを外した。


088(2002.12.5.)
 これまでさんざんに逡巡していたその原因が、「全ての男に共通の、“女体を目の前にした時の戸惑い”」では無い、と感じられたことは大きかった。
 一気にブラウスの前をはだける。
 そこには昨日の晩に見た、“下着姿の女”があった。
 柔らかいブラウスをしゅるしゅると両腕から抜いて行く。
 一気に肩が、腕がひんやりと涼しくなった。
 でも・・・肩ひもしか無い様な衣装をずっと着続けていた白鳥さんはずっとこんな調子だったんだよな・・・。
 柔らかいのか固いのかよく分からない「肩パット」のせいで極端に“畳みにくい”それをまたもやくしゃっと床に落とす。
 うーん、この畳み方1つで普段の性格が出ているみたいだ。
 何とも惨めな気分になる。
 気持ちが負けているのだろうか。
 肩ひもを両側に広げ、しゅるしゅると真下に降ろして行く。
 ・・・何だか罪悪感に似たものがその形のいい胸を突き上げる。
 べ、別に着たくて着てるんじゃないぞ!・・・と誰に言うでも無く言い聞かせる。
 そうなのだ。
 大野としては“着た”経験は一度も無いのに、“脱ぐ”経験を2回もするという奇天烈なことになってしまっているのだ。


089(2002.12.6.)
 ああ、まただ。
 また俺はこの格好をしてる。
 白一色のブラジャーとパンティ。そしてストッキング。
 そこから後ろに手を回す。
 女性には分からないだろうが、実は男の衣類には後ろで留めるものは皆無である。
 そこに持ってきて女性の衣類は後ろで留めるものばかりである。
 ワンピースを怪獣の着ぐるみの様に背中をファスナーでオープンして着るものであることをどれくらいの男性が知っているだろうか。実は大野はこの時点になっても知らないのだった。
 スカートのフックを背中側の腰の高さでつけたり外したりするのを「難度A」だとすれば、背中のファスナーの開閉は「難度B」。
 そして・・・ブラジャーの付け外しは「難度ウルトラC」と言えるだろう。
 まずもって肩甲骨の高さの胸の真後ろに「手が届かない」。
 こんなアクション自体が日常生活にありえないのだ。
 だからどう回していいのかも分からない。
 この身体がどうやって形成されたものなのか、それこそ神のみぞ知るところなのだが、どうやらブラジャーの付け外しには熟達していないらしい。
 昨日の晩はなんとかなったのだが、これは苦戦が予想された。
 渋い顔で、手を無理矢理後方にねじこむ。
 早速あちこち痛くなってくる。
 “やっと届く”レベルで自在なアクションなど出来る訳も無い。
「大野さん」
 びくっとする。
「は、はい!」
「手伝いましょうか?」
 背筋が寒くなった。


090(2002.12.7.)

「あ、あの・・・」

「遠慮しないで下さい」
 いや・・・そんなこと言われたってその・・・。
 これはその・・・言ってみれば男同士でパンツが脱げないから脱がしてあげましょうか、と言っている様なものなんじゃ無いか?
 ・・・状況が特殊過ぎて全然置き換えられない。
「行きますよ」
 白鳥さんってそんなに強引な性格なんだろうか。それともこの“無能な部下”に業を煮やして自ら手伝おうと言うのだろうか。
 考える暇も無く、ブラジャーの背中の連結部分に人の肌が接触する感覚があった。
「あ・・・」
 それが白鳥さんの指であるのはもう自明であった。
 と、ということは今、白鳥さんは全裸でこっちの下着姿を見ているということに・・・
 いくら考えない様にしようとしても、どうしても女性の裸のビジュアルが頭の中に浮かんでしまう。って別に考えない様にする必要も無いのかも知れないんだけど。
 てゆーか考えちゃ駄目なんじゃないか?これから嫌というほど見ることになる“自分の身体”だぞ。らんまも言っていた「オレは自分の身体見慣れてるから女の裸なんか見てもなんとも感じない」って。
「外します」
 こちらの精神活動の営みにお構いなしに白鳥さんは土足で踏み込んでくる。
 パチっという音がした。
「・・・あっ・・・!」


091(2002.12.8.)
 音と同時にその乳房に掛かっていた力が一気に解放された。
 それが何とも言えない緊張と弛緩を齎し、それまでありえなかった身体の部分を通じて大野に新たな刺激を突きつけた。
 い、今・・・今・・・声を・・・。
 お、女みたいな声を・・・
 この・・・この乳房が、ブラジャーの拘束から逃れて楽になったことで何らかの快感を感じたとでも・・・いうのだろうか・・・。
 よく考えるまでも無く、女の身体になってしまっていると言う事は、その・・・“感じ方”も女の物に・・・
 そこまで頭の中で文字にしただけで恥ずかしさに顔が赤くなった。でも・・・そうなんだよな。
 これらはもう意識ではどうにもならない問題だった。
 幾ら頑張っても、足の裏をくすぐられてくすぐったくない様に我慢することは出来ない。意識して死なない程度に息を止めることはなんとか出来ても、心臓を止めることは出来ない。
 そ、そうだ。そういうものなんだ。
「・・・大丈夫ですか?」
 知ってか知らずか、きょとんと声を掛ける白鳥。
「は、はあ・・・」
 大野としてもそれは“知られたくない”お話である。
 努めて平静を装った。
 拘束を解かれたブラジャーから両腕を抜き、肩ひもをつまんで床に降ろす。
 ・・・そこで、剥き出しになった乳房に触れないように気をつけたのは言うまでも無い。


092(2002.12.9
 ・・・まさしく“腫れ物に触るよう”だった。
 いや、正確には“触って”はいないのだが。
 あ・・・ち、乳首が・・・
 大野の目にはこの薄ら寒い陽気の中、その先端が自立している様に見えた。
 ついさっきまで薄い生地ではあったが包まれていたその部分が冷たい空気に触れ、ピリピリとした緊張感の中に包まれている。
 目の前に形のいい乳房がツンと上を向いている。
 肌色よりも少し色の濃い先端がすぐに触れるところにあるのだ・・・。
 考えられなかった。
 見ているだけで緊張感と興奮で震えそうである。
 これを・・・触ることすら考えるだけで背中がゾクゾクした。
 これを直接触ったり、つ、つまんだり・・・その・・・爪を立てたりなんて考えられなかった。
 きっと、足の裏をくすぐられるのの数倍のくすぐったさが襲ってくるに違いない。
 これは直感だった。
 神経が敏感なところは、くすぐったいのだ。
 でも・・・その内ここを、先っぽだけ爪の先でつまんだり・・・口にくわえてしゃぶられたり・・・その・・・し、舌の先でれろれろされなきゃいけないのか?
 爆発しそうだった。


093(2002.12.10.)
「あと一息ですよ」

 登山にでも出かけているかの様な調子で言う。
 えーいままよ!
 自分に考える間を与えない様に一気にパンティをひきずりおろそう!・・・として止まった。
 そうなのだ。大野の女体はお腹の辺りまでぴっちりとパンティストッキングに覆われていたのだ。


094(2002.12.11.)
 でもパンストなら昨日の晩にも脱いだ。
 ええい!もう見てくれなんて気にしていられるか!
 パンストってのは本当に脱いだ形が不恰好である。これは20年以上も男をやっていたからそう感じるのかも知れない。
 男の中にはこのパンストに特別な愛着を持って接しているのもいるらしい。・・・それはそれで分かる気がする。
「じゃあ、私は後ろを向きますね」
 パンストをすっかり脱ぎきった時に背後から白鳥さんの声がした。
 ・・・つまり、“さっさとパンティまで脱いでね”ということなんだろう。
 明らかに楽しんでいる。絶対に。
 さっきは冗談めかして「女装願望がある」なんて言っていたけど・・・本当なのだろうか。
 これも大野をリラックスさせようという白鳥さんなりの思いやりなのか?
 大体女装願望も何も、今の白鳥さんの格好でOLの制服を新調に店にやってきたとしても一体何が不自然なものだろうか。むしろ「そこの会社ですか?良かったらお茶でも」なんて言われる方を心配すべきだ。
「じゃ、じゃあ・・・」
 大野はなるべく“見ないように”パンティをそろそろと下ろした。
 言うまでも無いことだが、大野は女となってしまった自分の肉体の局部をまじまじと凝視した経験がまだ無い。


095(2002.12.12.)
 全く・・・初めてエロ本を初めて見る中学生じゃあるまいし・・・。
 ことここに至っても非常に“オクテ”な自分に少々イライラする大野だった。
 だが、こんな特殊な状況も無いだろう。ちょっとは同情して欲しいもんだ。・・・誰にかはよく分からないけど。
 それにしても・・・。
 服の上からでもはっきりと分かったのだが、こうして“生まれたままの”姿になってみると、その体形の基本的な骨格の段階から男性のものとはかけ離れていることがはっきりと分かる。
 特に下腹部が不自然に広くぺったんこである。
 そうなんだよなあ・・・、よくコントなんかで女装したコメディアンの前方が“もっこり”しているもんだが、今の自分の肉体は“ぺったんこ”なんだよなあ・・・。
 ああ、本当に女になっちゃったんだ・・・。
 この数日で一体何回目になるのか、大野はまたその言葉を頭の中で繰り返した。
「よろしいですか?」
「は、はい」
 大野は遂にもう一方の脚からパンティを抜いた。
 下腹部が寂しい。
 男の頃だったら、何故か裸になっただけで局部には色々と感じる物があったのに今は何も無い・・・。
 大野のキャラクターにマッチョな要素は皆無、の積りだったがやはり寂しいものがある。


096(2002.12.13.)
 ふわり、とくしゃくしゃの着替えの一番上にパンティを重ねる。
 ・・・だが何となくストッキングの下に隠す。
 どうせ見られる・・・というか身に付けられてまでしまうのだからそう気にすることも無い様な気もするのだが、そこは何と言うか“女として”というよりも人としての恥じらいだろう。
 多分。
 大野は背筋を伸ばして直立不動状態になる。
 う・・・。
 大野の胸に引っ張られる様な粘着的な感触が襲う。
 これは・・・む、胸の重さ!?
 間違い無かった。
 ねっとりと肌に張り付き、引っ張ってくるそれは自らの乳房の重さだったのだ。
 幾ら暖房してもこたえるその寒さに先端は感覚を失いかけている。
 思わずその物体に手を伸ばしかける。
 が、何となく手が止まった。
 今のこの冷えた手でこんなものをいきなり掴んだりした日には・・・大野は自分が保てるか自身が無かった。
 そしてまた大野は別の女を自分の中に発見していた。
 そうか・・・何となくいつも冷たい様な気がするこの細い指先は・・・冷え性ってことなんだろう。きっと。
 ひょっとしてこの身体になって自分はその・・・やっぱり便秘気味だったりするのだろうか?せ、生理通は?
 相変わらず妄想だけは幾らでも湧いてくる。


097(2002.12.14.)
「では、このまま背中合わせのまま回転しましょう」
「は、はい」
 もう言われるままである。
「あの・・・白鳥さん」
「はい?」
「僕その・・・」
 それにしても慣れない声である。
 風邪を引いているみたいだ。でも、これが女になった自分の声なのだ。
「どうやって着たらいいのか・・・」
 分かる訳が無かった。
 大袈裟に言えばついさっき脱いだばかりのOLの制服だってちゃんと着直せる自信が無い。朝起きたら何時の間にか着ていたからなんとかなったに過ぎないのだ。ましてやバレリーナの衣装なんて火星語を翻訳しろと言われている様なもんだ。それこそ大野が生まれつき女であったって分からないだろう。
「あ、大丈夫ですよ。指示しますから」
「はあ・・・」
 どうして俺はこんなことやってるんだ?
 混乱して来た。
 確か俺はその・・・昨日の晩、何者かに襲われて・・・それで朝起きたら何故か昨日のままのOLの服を綺麗に着てたんだ。それで慌てて旅仲間・・・としか言い様が無い・・・の元に駆けつけたんだ。
 同室だった“花嫁さん”と同じくバレリーナも昨日と同じく回復して・・・つまりは見目麗しいバレリーナにメイクアップされていたのだ。
 ・・・そこからどうして俺がバレリーナにならなくちゃいけないんだ?
 自分も体験していたはずなのにそこのトンでもない飛び方を良く憶えていない。


098(2002.12.15.)
「では・・・行きますよ」
 “神の声”がした。
 するする・・・と何故かすり足でホテルの部屋の絨毯をこすりながら背中側の一点を中心に回る。
 壁が目に入った。
 かさかさ、と足に固いチュールのスカートの一部がこすれる。
 あ、これ・・・が。
 咄嗟に下を見る。
 そこには、水に何かを投げ入れて広がったしぶきを一瞬にして氷漬けにしたかの様な美しいスカートがあったのだ。
 ・・・綺麗・・・。
 一瞬心が空白になった。
 歩みが止まる。
 大体180度回転しただろうか。
「では参りましょう」
 またもこともなげに言う白鳥さん。
「こちらはこちらでやってます。チュチュに比べて想像は付きますから」
 そうか?俺だったらちっとも分からんけど・・・。大体ブラジャー出来ないって。
 本当にブラジャー未体験の男をずらりと並べて「ブラジャー速付け選手権」をやったら盛り上がるほど難しいのだ。
 ・・・少なくとも男にとっては。
「じゃあ、そのTバックみたいなのを履いて下さい」
 綺麗な衣装の脇に、畳まれた真っ白なストッキングと共にそれはあった。
 それにしても・・・、この薄いピンク色の変な形の靴って・・・所謂「トゥシューズ」って奴だよな・・・。
 大野でもそれくらいは知っていた。名前だけだけど。


099(2002.12.16.)
 背後でしゅるしゅると音がする。
 有言実行、白鳥さんがさっさと始めたらしい。
 ・・・す、凄いな。何て適応力だ。
 っていうか、俺の身体のぬくもりが残った服だぞ、それ・・・。
 これが男同士だったら想像もしたくない構図である。
 幾ら珍しい衣装だったとしても、その場で全裸になってパンツから全部交換?オエ〜っ!
 なんだかウ○コや○液が付着していそうなパンツなんぞゴメンだ。自分のなら許せるが、他人のなんてゴメンこうむる。
 でも・・・何故か女同士なら許せる気がしてしまうのだから不思議だ。
 それにしても・・・。
 大野はその「Tバックみたいなの」を手にとった。
 ば、バレリーナかぁ・・・。
 およそ女性の衣装の中でも最も浮世離れした、それでは無いだろうか。各種制服やウェディングドレスならまだ分かる。そうだなあ、もう一方の雄(?)であるバニーガールの衣装だって風俗に勤めれば着られるだろう。細かいことは知らんけど。
 でもバレエの衣装は着ない。まず着ない。
 普通の女性なら一生身に付けないだろう。
 大野は言うまでも無く、数日前から“活躍”している白鳥さんを間近に見るまでは「本物の」バレリーナを見たことが無かった。
 まあその・・・確かに白鳥さんは“バレリーナ”では無いだろう。本人の言い分を信じれば一回のサラリーマンである。勿論元男性の。
 だが、その“衣装”が立ち居振舞い自体をバレリーナと化していたのだ。


100(2002.12.17.)
 ・・・どっちが前なんだこれ?
 「Tバックみたいなの」は実に頼りなかった。
 どっちを前向きに履いたとしてもお尻だのアブナイところが殆ど丸出しじゃないか・・・、と思ってはっとした。
 いや、別にそんな大袈裟なもんじゃないのだが。
 そうだ・・・今の俺って女だから、「前からハミ出す」こととか心配しなくていいんだ・・・。まあ、別のものがハミ出す心配はいるかも知れないけど、少なくとも男の時に比べれば遥かに気を使わなくていい。
「着ました?」
「あ、はい!」
 反射的にその「穴」を広げて脚を上げていた。
 ももが胸の先っちょをむぎゅ!と押し潰す。
「・・っ!!?!っ」
 脳のあちこちが新鮮な刺激やら雰囲気やらでオーバーヒートしそうになる。
 すとん、と通って行く脚。
 すぐに反対の脚を通し、そして引き上げる。
 ・・・結局まだ「パンティを履いた」経験の無い大野。
 これが「パンティ履き初体験」みたいなものになった。
 上に行くほど窮屈だ。
 っていうかこれ入るのか?
 というほどピンピンだった。
 ・・・きゅ、窮屈だ・・・。
「いいですか?」
「あ、はい。いいです」