不条理劇場 9

「四人の女」
連載第8回(にあたる部分以降)


作・真城 悠

この小説は「フィクション執筆掲示板」にて書かれたものです

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101(2002.12.18.)
 実際にはちっとも良くなんかないんだけど、とりあえずそう答える大野だった。
 やっと履けた。
 ・・・なんて頼りないんだろう。
 これから着る衣装は決して一般的なものではない。
 それにしても・・・そうだよなあ、女性の衣装が「前」にそれほど気を遣わないのは自明だよなあ。
 太陽が東から昇るのを当たり前だと思うほどに男というのは下腹部を覆う下着は「前」をきちんとフォローしてあるものであると信じていた。
 いい意味でも悪い意味でもやはり「男のシンボル」なのだった。
 ・・・やっぱり「喪失感」が胸を突き上げてきた。
 これって、ひょっとしたら日を追うごとに強くなっていく感情なのかもしれない。
 大野は予感めいて感じた。
 この胸に粘着的に吸い付いて来るかの様な乳房の重さも、大きな臀部も、そして喪失した男性器も、言ってみれば大規模なコスプレみたいなもんだ。
 自分のボキャブラリーの貧困さを恨みたくなるが、ともかく一種の変装みたいなもんだ。
 しかも都合がいい(?)ことに、ずうっとこれまで女装で過ごしてきたことが余計に「変装」と感じる度合いを強めている。
 意識化に頻繁に浮上はしなくなってきたが、やはりブラジャーの拘束感は男の頃には味わった事の無いものだったし、下着の肌触りに常にさらされても来た。
 それはまだ“新鮮な体験”だが、そのうち“当たり前”になりそして鬱陶しくなっていくのだろう。
 最早DNAにすら刷り込まれた“男としての挙動”は、いつしか当たり前にそこにあった男性器の喪失感覚を深刻なストレスとしてかきむしっていくに違いない。


102(2002.12.19.)
 
ま、とにもかくにも履ける事は履けた訳だ。
 スッポンポンにの所に細い細いパンティ・・・。
 うーん、余り人に見られたい姿じゃないな・・・
「それじゃあですね」
 白鳥さんが続ける。
「あ、はい」
「次に脇に置いてある白いバレエタイツを取ってください」
 バレエタイツねえ・・・。
 見ると、確かに白くて薄いストッキングが置いてある。
 無闇に長くて、何回も折り畳んである。
 ひょい、と持ち上げる。
 ・・・。
 これまた実に頼りない感じである。
 これまで白鳥さんを見ていて、その“脚”にはそれほど注目していなかった。
 というより真横に広がったスカートで良く見えないのである。
 だが・・・、実際にこうした中に人間の脚・・・肉体が入っていない状態のそれ・・・バレエタイツ・・・を見てみると実にその色が薄いのである。
 純白、というか真っ白で、下手をすると銀色の光沢が入っていそうなイメージすらあったのだが、目の前のそれは向こうが透けて見えそうなものだった。


103(2002.12.20.)
「まあ、次にはそれを履いて貰うってことで」
「はあ・・・」
 おっぱいは丸出しのままでいいんだろうか?
 良く分からない。何しろ着るどころか見たことも無い衣装なのである。恐らく白鳥さんだって正式な着方の順番なんて知らないに違いない。
 さっそくまずは片足に両方の親指を突っ込む。
 そしてくいくいと尺取虫の様に動かしながら手のひらの中に包み込んで行く。
「あ、ちょっといいですか?」
 また白鳥さんが声を掛けてくる。
「・・・?はあ」
「バレエタイツなんですけど」
 ・・・そういえば白鳥さんの方面からごそごそ言う音が聞こえないな・・・ひょっとして。
「ちょっとコツがあるんですよ」
 もう着替え終わったのかな?
「まずはですね・・・大野さん?」
「あ、はい!?」
「相変わらずですね」
 くすり、と笑った。
 ・・・様に聞こえた。


104(2002.12.21.)
「はあ・・・どうも・・・スミマセン」
 何故「スミマセン」なのか。
 自然と口を突いて出てしまった。
 まるで本物の若い女性を目の前にしてドギマギしているみたいである。
 ・・・今は自分自身がその“若い女”であるのに・・・
 結局立場がちっとも変わっていないじゃないか。
「いいええ。謝らなくても結構ですよ」
「はあ・・・」
「まずですね。片手をつま先まで突っ込んで下さい」
「・・・え?」
「これが“コツ”です」
「はあ」
 こうなれば言うなりである。
「あの・・・これってどっちがどっちなんです?」
 実は大野はこのバレエタイツがどっちが前なのか分からなかった。これまた女性の衣類の特徴で、明確に「前」をケアしていない為に前後が非常に分かりにくいのである。
「えーとですね・・・中を覗きこんでください」
 中?
 押し広げてみる。
「後ろ側に表示があるでしょ?」
 確かにお尻のあたり・・・もうちょっと上か・・・に四角い切れ端が見える。あの、Tシャツの背中側についている奴みたいなのだ。
「そっちが後ろです」


105(2002.12.22.)
「それで・・・」
「はい、指先まで差し入れて下さい」
「はあ・・・」
 しゅしゅしゅっとその細腕を肌の色が透けて浮き上がりそうなバレエタイツに差し入れて行く。
 ・・・ちょっと気持ちいいな・・・。
 などと考えていた。
 何だか“手に履くタイツ”みたいな感じになってしまった。
「それで抜いて下さい」
「はあ」
 何だか分からないが、おっぱい丸出しのパンツ一丁女は言われるままに折角指先まで差し入れた手を引き抜く。
「これでいいでしょ」
「あ・・・」
 気が付くと脚の長さ分の柔らかくて扱いにくいふにゃふにゃの物体は綺麗に丸い円筒を縮める形で小さく納まっていた。
 な、なるほど・・・。
 女の人はこうやってストッキングを扱ってるんだ・・・。
 感心した。
 大野は小学生の頃、背中の真中あたりまである髪の毛を器用にゴムひもで結んでいる光景を思い出していた。
 あんな長い髪を小さく何重にも丸めたゴムひもで一体どうやって結ぶのかと不思議で仕方が無かったのだが、親指・人差し指・中指にゴムを通し、その先で髪の束を掴んで引きずり出すのである。
 これを何度も繰り替えすことで巧みに結んで行くのである。
 そうした“経験の中でしか培われない”技を垣間見た思いだった。


106(2002.12.23.)
 両足をそうやって手のひらの中に取り込む。
 よーしそれじゃあ・・・。
 パンツを履くのと同じ要領で下の方に持っていき、片足を上げる。
 お、女の着物だからって、それほど構造が違う訳じゃ無いんだ。どっちも手も足も本数は一緒だし・・・。
 何だかしどろもどろになっている気がするがとにかくやるしか!
 右足をすうーっと通して行く。


107(2002.12.24.)
 な、何だか気持ちがいいな・・・。
 その肌に吸い付くような感触・・・。
 ストッキングならさっきも履いていたのに、これはこれでまた違うのだろうか。
 違うのかも知れない。
 オフィスで仕事をする為の格好と、舞台で踊る衣装が同じと考える方がおかしい。
 ともかく、もものあたりまで引き上げる。
 ・・・結構キツイな。
 OLのストッキングとは違って結構締め付けてくる。
 でもこれは履いた直後だからなのかも知れない。
 良く分からない。
 ももの真中の辺りまで引き上げ、今度は反対の脚にまた右手を突っ込む。
 ・・・何だか慣れて来たな・・・。
 しゅしゅっと腕を引き抜いてまとめ、そこから反対の脚を入れる。
 考えてみればそんなに難しいものでもない。
 パンティストッキングったって・・・これはバレエタイツか・・・要するに薄くて密着する長ズボンみたいなもんだ。
 大分違う気もするがとにかくそういうもんなんだ!


108(2002.12.25.)
 何だか痛いほどに密着するタイツを両足ともふとももまで引き上げる。
 そしてすぐに又下にぐいい、と持ち上げて密着させる。
「・・・」
 上に向けて端っこを持ち上げているだけでは股間まで密着しない。
 ・・・とても格好悪いのだが、おっぱい丸出し女こと大野は、「がに股」になって股間をすりすりするみたいな感じでなんとかタイツを身体に馴染ませた。
「・・・やってますね」
「あ、はあ・・・」
 流石にこの意味する所は大野にも理解出来た。
 お互い、新米女としての“分かり合った”会話だった。
「出来ました」
 やっと少し滑らかになる大野の口。
「じゃあ次はトゥシューズですね」
 いけないとは思いつつ、少し後ろを振り返ってしまう大野。
 ピンク色のものが見えた。
「あ、いいですよ」
「終わったんですね」
 着替え終わったんですね、という意味である。
「はい。・・・まあ、予想の範囲内ですし」
 理由は良く分からないが、これだけ女性物の扱いになれている白鳥さんのことである。OLの制服なんて難易度で言えば低い方なのだろう。
 ・・・まあ、着られるか。この位なら。
 大野の心にも余裕が生まれつつあるのだろうか。


109(2002.12.26.)
 トゥシューズ・・・。
 それは何とも魅惑的というか、複雑な響きを持って新米女の大野の胸に響いてくる。
 それをこれから履けというのか・・・。
 実はほんのちょっぴりドキドキもしている大野だった。
 ま、とにかく白いパンストを履いただけ状態からは早く脱出しなくてはなるまい。
 うーん、こんなので2日も過ごした白鳥さんは本当に凄い。
 花嫁さんのウェディングドレスも日常生活にはひどく不向きな衣装だが、バレリーナには敵わないだろう。
 ・・・?待てよ。
「白鳥さん」
「何です?」
「この・・・トゥシューズ・・・ですけど」
 言葉に出すのがほんの少しだけ恥ずかしかった。
「はい」
「その・・・着てからじゃ駄目ですか?」
「チュチュをですね」
「え・・・あ・・・はい」
 “チュチュ”って言うんだ・・・なんてね。知ってはいた・・・というか聞いたことはあったけども何となく、「当たり前の様に」話すのが躊躇(ためら)われた。
 だって、昨日まで男だったのがスカートがどうこうブラウスがどうのって話してたら気持ち悪いじゃんか。
 例えそれが必要に迫られたものであったとしても。
「止めた方がいいと思いますよ」
 即座に否定する先輩“白鳥”だった・・・今は“職場の華”・・・の白鳥。


110(2002.12.27.)
「どうしてです?」
 当然聞き返すおっぱい丸出し女の大野。
 普通は服を着終わる前に靴を履くなんてことは無い。
 だって胸を丸出しにしたまんま靴を履いている女子高生とか考えるだけで・・・特殊な趣味でもありそうな感じである。
「着てみると分かりますけど・・・」
「はあ」
「その衣装って殆ど下が見えないんですよ」
「あっ・・・」
「下っていうか自分の脚なんて全く見えません」
 言われてみればそうだ。
 こっちは横から見ているだけなんだけど、あのスカートの真中に胴体を埋め込まれれば・・・。
 何だかむずむずしてきた。
 だってこれから自分がその立場に・・・バレリーナになろうとしているのである。
 俺が・・・俺がバレリーナに・・・。
「だから」
 天から声が降って来た。
「ちょっとヘンですけど先にトゥシューズを履いた方がいいと思います」


111(2002.12.28.)
「はあ・・・」
 仕方が無い。従うしかない。
 確かにあのみょうちきりんな衣装にめげずに靴を履こうとすればスカートを思いっきりひん曲げるとか色々しなきゃならなそうだ。
 少しでも不確定要素を減らしたい大野にはそれは避けたい選択だった。
 しゃがみこむ大野。
「じゃあ、トゥシューズなんですけど・・・」
 そこに淡いピンク色の光沢を放つ物体があった。
 それは白いすべすべのリボンで2つ並んで結ばれている。
 それを手に取る大野。
 そろそろ肩の、腕の寒さが見に染みてくる。
 だが、それは“完成”したとてそれは緩和されないのである。
 何しろ腕も肩も剥き出しの衣装なのだから。
 ・・・本当によくこんなのを着てたな。
 大野は感心した。
 こうしてホテルに泊まっている昨日の晩はともかく、RVで寝泊りしていた時もバレリーナスタイルでシートで寝ていたのである。
「やってみます」
 くるくるとリボンを回して解く大野。
 すぐにリボンは解け、隠される事無く“トゥシューズ”は大野の前に姿を現した。


112(2002.12.29.)
 何だか柔らかい靴だった。
 何と言うか、形だけは小学校の時に履かされていた「上履き」を思い出す。
 しかし、上履きももうちょっと固かったんじゃないのか?
 ともあれ、明らかに靴の形をしているのだ。流石にこれは履けるだろう。
 片膝を立ててしゃがみこんでいる大野。
 元の姿・・・20代半ばのフリーターで半ひきこもりのうだつの上がらない男ならまだしも、いい年をした成人女性としては滑稽ですらある。
 その白魚の様な指で「穴」を広げる。
 そして、遂にその中に足首から先を突っ込んだ!
 ・・・?
 ・・・何だこれ?
 ぺたぺたとかかとを上げ下げする。
 い、痛い・・・。
 指先が痛かった。
 何だこれ?無茶苦茶指先が窮屈な上に硬いじゃないか。
 思わずそのつま先を揉みほごそうとする。
 か、硬い!
 それは木の塊の様だった。
「ヘンな靴でしょ」
「はあ・・・」
 白鳥はずっとこれを履いていたのである。
 ・・・ひょっとして大野とこんな服装交換を持ちかけてきたのも、自分だけこの妙な衣装の感覚を味わうのじゃ不公平だと思ったんじゃないだろうか?
 そんな気がして来た。


113(2002.12.30.)
 硬い。
 とにかく硬い。
 しかもそれがつま先をぐるっと取り囲む様にドーム状に出来ている・・・様に感じられた。
 そっか・・・。
 大野の頭の中のビジョンで、つま先立ちをしたバレリーナがくるくると回転していた。
 つま先があんなに丈夫なんて凄いなと思っていたけど・・・靴が爪先立ち用に出来てたんだ。
 でも・・・。
 思わずぐいぐいその先端につま先を押し込んでみる大野。
 こりゃ痛いよ。こんなのでも爪先立ちやろうと思ったら相当の練習をしないと駄目だ・・・。
 当たり前ながら、修行を積んだバレリーナの凄さを思い知らされたのだった。
 それにしてもおかしな感触だ。
 どんなにつま先をぎゅうぎゅう押し込んでもかかとが浮いてしまうのである。というか、かかとがゆるゆるでちょっと上げると簡単にすっぽ抜けてしまう。
「白鳥さん」
「はい」
「これ・・・僕にはサイズが小さいみたいです」
「あ、違いますよ」
「へ?」


114(2002.12.31.)
「トゥシューズってのはそういうもんなんです」
「そういうもの・・・?」
「はい。かかとは普通の上履きみたいにしっくりきません」
 背中合わせの会話である。
 大野は片膝を立てて、そこに剥き出しのおっぱいが密着するのも厭わずに座り込んでいる。
 後頭部に声が降って来る様だった。
 確かにかかとはしっくりこない。てゆーか、底に板みたいな足型があるのだが、これがかかとの先まで来ていないのである。
「まあ・・・私もここ2日ほどの経験で学んだんですけど・・・」
「はあ・・・」
「大野さん」
「はい」
「あなたもパンプス履いてましたよね」
「え?」
「女性物の靴のことです」
「あ、はい。履いてました」
「それを今私が履かせて貰ってるんですけど」
 そうか・・・全身衣装を交換したんだからそれも当たり前だ。
「サイズはピッタリです。つまり・・・大野さんと私の女性としての足のサイズは一致すると考えられます」
「そっか・・・」
 白鳥さんはどこまでも理知的だった。
 そういうことなら、このサイズがつまりトゥシューズでいう所の適正サイズということになる。
 ・・・なんとまあ奇妙な靴だろうか。


115(2003.1.1.)
 いや、やっぱりそれはごく普通の靴の基準を当てはめるからいけないんだ、と大野は思った。
 それにしても入ることは入るのに、底がかかとがはみ出す大きさになっているのが「普通」と言われても・・・何だか落ち着かない。
「そのリボンで靴を固定するみたいですよ」
「はあ・・・」
 この“リボン”がまた難物なのである。
 普通、靴のリボン・・・じゃなくて靴ひもと言えば足の甲の上あたりで結ぶものだろう。
 だが、この「トゥシューズ」はあろうことか、くるぶしのあたりから両側に2本、しかも矢鱈に長いリボンがまっすぐ伸びているのである。
 ・・・これは何に使うんだ?
 さっぱり分からない。
「あの・・・」
 助けを求める声だった。
「どうします?声だけで指示しますか?」
 ・・・それはこっち側に来て直に見ながら指導していいか、という問いだろう。
 大野は少し考えた。
 ちらりとしか見ていないけど、きっと白鳥さんはもうすっかりOLスタイルになっているはずだ。
 それに比べてこっちは、まだ下半身パンストの半裸状態では無いか。
「はい。お願いします」
 気がつくとそう言っていた。


116(2002.1.2.)
「これって・・足首を縛るんですよね」
「はい」
 流石の白鳥さんだって、何時の間にかなされていた自分へのバレリーナ変装からその“着方”を分析したに違いない。
「私がなされていたのの逆算なんですけど・・・」
「はい」
「まず、2本のリボンを足首の前のあたりで十字・・・というかバッテンにします」
 その通りにする大野。
「そして・・・ぐるぐる巻きにします」
 言われるままにくるくると巻いて行く大野。
 何だか包帯を巻きつけているみたいである。
 そして、こうしてまじまじとバレエタイツに身を包んだ自らの脚を見ていると・・・何だか複雑な気分になる。
 恐らくこれも計算によってなされているのだろうが、ほんのりと肌の色が透けて、単純な白では無い白がそこにあるのである。
 うーん・・・。
 淡いピンク色のトゥシューズを履かされ、そこから伸びたピンク色のリボンでぐるぐる巻きにされている足首を見ると、ああバレリーナの足だ・・・という気分になってくる。
「結構きつめに結んでありましたよ」


117(2002.1.3.)
「そうですか・・・」
 言われて慌てて足首を伸ばしてみる。
 今度はかかとの部分がその動きに合わせてついてくるでは無いか。
 なるほど・・・こういう履き物だったのか。
 履いてみないと分からないものである。
 ほんの数日前まで、日の高いときにはひたすらゴロゴロしてバイトの時間が来るのを待っていたグータラ人間だった大野が、こうしてトゥシューズを履いているとは、まさしくお釈迦さまでもご存知あるめえってなもんだ。
 何だか分からないが自分で自分に啖呵を斬っていた。
 言われて少しリボンを緩め、もう一度ちょっと強く巻き直す。
 柔らかい肉体に食い込むリボン。
「あ、別にそんなに強くすることは無いですよ」
「そうですね」
 お互いに苦笑が漏れる。
 そうだ、言われてみればこれで白鳥さんと僕は「バレリーナ仲間」って訳だ。
 何だかおかしくなってきた。
 バラエティ番組なんかで、コントの背景として十把一絡げにバレリーナの格好をさせられている若手芸人同士にはこんな仲間意識とか育っているんだろうか。
 大きなお世話だが、大野はそんな所まで考えていた。


118(2002.1.4.)
 ぐるぐる巻いている内にすぐリボンが無くなる。
 あとはこれを結ぶだけだ。
「大野さん」
「はい」
「リボンは後ろ側で結んでありましたよ」
「そうですか・・・」
 一体どこの誰がそんなことをしているのか分からないのだが、デフォルト(初期状態)でそうならば、きっと「正しいバレリーナ」としてはそうなんだろう。
 別に大野がそれに従わなくちゃいけない道理なんて何も無いんだけど、折角なら・・・毒食わば皿までと言うじゃないか。バレエタイツとか中のTバックみたいなのまで履いたのだ。トゥシューズだけ我流というのもどうにも格好がつかない。
 バレリーナの扮装をするのに格好いいも悪いもありゃしないんだけど・・・。
 思った以上に難しい。
 ほどく時のことを考えて、ちょうちょ結びにしなくちゃいけないんだけど、そうなると強い締め付けを維持したままというのがなかなか両立しない。
 そうこうするうちに手が滑ってすぐに緩んでしまう。
 そうなるたびに引っ張って全部ほどき、また結び直しである。
 5〜6回も繰り返してやっと結ぶことが出来た。


119(2002.1.5.)
 ふう・・・。
 ここまでだけで何だか精神的にひどく疲れた。
 ちょっと足を持ち上げてみる。
 ・・・リボンが足首に食い込んでちょっと痛い。
 足首をぐりぐりとねじって回してみる。
 うん、今度は全く外れない。上手く結べている。
 でも・・・大野は余計なことが心配になっていた。
 これって、自分程度が部屋で動き回るにはこれでもいいんだろうけど、舞台の上で飛んだり跳ねたりしてたらほどけてすっぽ抜けちゃったりしないのかな・・・。
 まあ、そんな月よりも遠い世界の話を心配しても仕方が無い。
 大野は所詮精神は半引きこもりのプータローなのである。肉体はスレンダーな美女だし、バレリーナの衣装を着ることも出来るんだけど、バレリーナとして他人の前で踊ったりは未来永劫ありえないのだから。
 大野は気を取り直して左足も同じ要領でつま先を突っ込み、リボンを足首に巻きつけて結ぶ。
 勿論一回で上手く行かないので何度も何度も行う事になる。
 こういうのって、何度もやっている内にちょうちょ結びってどうやるんだっけ?なんて思い始めてしまう。
 やっとこさ落ちつく所に落ち着く。
 まあ、所詮素人の仕様なので結び目の位置とか結び方が完全に左右同じにならない。
 よってちょっと落ち着かないものが残る物の、なんとか両足ともトゥシューズに収めることが出来た。


120(2002.1.6.)
「出来ました?」

 気配が伝わったのだろうか。
「はい」
「そうですか」
 ごくりと唾を飲む大野。
「じゃあ、行きますか」
「・・・はい」
 何だかかなりの大事をしようとしているみたいである。
 だが、この2人にとってはそうだったかも知れない。
 あれほど複雑怪奇に見えたバレリーナの“部品”も、最大で最後のものを1つ残すだけになっていたからだ。
 ・・・チュチュである。
「なーに、ぱぱっ!とやっちゃいますよ!」
 何だか掃除当番みたいである。
 どうしてこんなにハイになっているのか。
 そこにあったのはまさしく「抜け殻」だった。
 東洋の衣装に比べて西洋の衣装は「立体的」であると言われる。
 確かに日本の「着物」は平べったい生地を身体にぐるぐる巻きつける形で成立している物が多い。
 対して“洋服”は最初から筒型に構成されているので、脱着の手間が段違いである。
 だが、世の中に“立体的な”衣装は数あれど、放っておいても“自立”しているほどの立体感を誇る衣装があるだろうか。
 それはこの他にはありそうになかった。
 物理法則に、この世の仕組みに反抗するかのように、重力に逆らって真横に伸びるそのスカート・・・。
 その衣装を着た者は重力から解き放たれ、空中で舞う。バレリーナのチュチュである。