連載1回目 連載2回目 連載3回目 連載4回目
連載5回目 連載6回目 連載7回目 連載8回目
連載9回目
221(2003.6.30.) とにかくこの窮屈な“チュチュ”から上半身は解放された。 大野はなんとかパンツ部分にかっしりと食い込むようにへばりついたチュチュをずり下げるべく、スカートの身体に近い部分を掴んで、“ぐい!”と押し下げた。 その瞬間だった。 びりり、と嫌な音がした。 「ああっ!」 「きゃあ!」 後のは城さんの悲鳴である。 な、何てことだ。 外れてはいないものの、あの真横に広がったスカートの一部が、縫い付けられていた個所が破れてしまった! 222(2003.7.1.) 「あちゃー・・・」 困っているバレリーナ。 「どうしました?」 背後から声がする。白鳥さんの声だった。 「スカートが破れちゃいました」 おせっかいにも城さんが状況を報告してくれる。 「いいですよ。気にしなくて」 いかにも普通の口調だった。 「どうせこのホテルに置きっ放しにしますから・・・残念ですけど」 そうか・・・言われてみればそうである。 元々こんな格好は望んでいるものではない。 このメンバーが全員、元・男であることを考えれば持っていても仕方の無い衣装である。そもそも最初に着替えた時に半分打ち捨てたものなのだ。 そして・・・考えたくないことだが、もしも毎朝起きたら衣装が回復するのだとしたら、ここで廃棄して行ったところでまたどこからともなく現われることになる。 益々後生大事にする必要などなくなってしまう。 そう考えると吹っ切れた。 決して粗末に扱う訳では無いが、気負う事無く両足までチュチュから抜いた大野だった。 223(2003.7.2.) 「じゃあ、この紙袋に入っていますから」 城さんが、濡れた床に紙袋を置く。 このバレリーナのチュチュを脱いだ状態というのはなんとも間抜けである。 下半身をのみうっすらと肌色が透けるバレエタイツに覆われているが、上半身は丸裸である。 大野はストッキングを脱ぎなれていないので、乱暴にひっぺがす。 意外に頑丈で破れないものだが、別に破れたってよかった。 「貴方は着替えないんですか?」 ベッドに純白のスカートを広げて踏ん反り返っている花嫁さんに白鳥が聞いていた。 224(2003.7.3.) 「・・・何だそりゃ」 相変わらず花嫁さんは挑発的だった。 「私たちは構いませんが、とりあえずチェックアウトだけはしたいんです。付き合っていただけませんか」 「・・・強引だな」 「そうですかね?・・・紳士的な申し出だと思いますが・・・おっと、今は“淑女的”でしたね」 カチン!と来たのか一瞬表情がこわばる花嫁。 「着替えは俺の金で買ったのか?」 「ま、一応そういうことになりますね」 「勝手な事を・・・」 「私はそれほど流行の最先端を歩いてはいませんけど・・・それほどヒドイものでは無いと思いますよ」 くい、と紙袋を上げる白鳥。 「女の服を着ろってのか?」 「・・・まあ、そうですね」 シュールな会話である。 何しろ「女装は嫌だ」と主張している当の本人は、乱れているとは言え、純白のウェディングドレス姿なのだから。 「急ぎましょう」 「・・・」 頷きはしなかったが、明らかに肯定の意味を含んだ沈黙だった。 「その衣装じゃ脱ぐのも大変でしょう。お手伝いしましょうか?」 「いらん!」 少し久しぶりの大声だった。 225(2003.7.4.) 苦労した。 何しろ几帳面というか何と言うか、妙な所でサービス精神旺盛な城さんは、急場をしのぐために適当に用意すればよさそうな“着替え”も、大野などにとってはかなり本格的に買い揃えていたのである。 妙な汗をかいていたものの、その寒さで冷え切っていた身体に慣れないブラジャーをはめ、パンティまで履かされてしまった。 背後では険悪な女二人・・・白鳥さんと花嫁さん・・・が一触即発である。 ぐずぐずしている暇は無かった。 そして・・・嫌な予感が的中した。 城さんが用意してくれたのはやっぱりスカートだったのである。 226(2003.7.5.) これといった特徴の無い、地味目でかつおばさん臭く無いものではあったが、スカートはスカートである。 「じょ、城さん・・・」 “押し”の強くない大野は申し訳無さそうに言う。 「ん?何か?」 こちらは全く悪びれる様子は無い。 確かに自ら可愛らしいスカートルックで決めているのだが・・・。 「これ・・・」 みなまで言わずとも分かるはずだ。確かに今は肉体的には女だが、望んだ事では無い。まっとうな男に「着替え」と称してスカート押し付ける行為と何も変わらない。これじゃあ「罰ゲーム」では無いか。 227(2003.7.6.) 「あの・・・他に無いんですか?」 大野は一応スカートに抵抗する。 「急いでたもんで・・・一応女物の方がいいでしょ?」 「いやその・・・」 「多分、男性者のズボンだと大野さん、お尻が入らないですよ」 「えっ!?」 これはまさに青天の霹靂だった。 そ、そういうものなのか? 228(2003.7.7.) 「まあ、後で買えばいいじゃないですか。外に出れば幾らでもありますよ。とりあえずは」 「でも・・・車を運転するんですよ?」 ぷっ!と吹き出す城さん。可愛い。本当に元男か? 「今までOLの制服でここまで乗ってきていたじゃないですか!大丈夫ですよ!」 その言葉が最後の一押しだった。 大野は観念してブラジャーとパンティの上から厚手のタートルネックをかぶり、そしてちょっと長めのスカートに脚を通した。 「・・・」 何も履いている気がしない。 何しろ下半身に何も接触しないので、パンツ・・・いやパンティ一丁の時と感触が殆ど変わらないのである。 思わず「これだけですか?」と言いそうになって言葉を飲み込んだ。 これだけに決まっている。 それがスカートというものだ。 「・・・ちょっと寒いですね」 「あ、そうか」 城さんはぺロリと舌を出した。 初めて“失敗した”と思ったらしい。 229(2003.7.8.) 「行けよ!」 大声だった。 ショートカットの大野が振り返る。 何となくこの寒さで感覚が敏感になっているようないない様な素足の肌が、スカートの内側のつるつるすべすべの裏地にさわさわとこすれるのがいらつく。 「白鳥さん?」 「おや、可愛くなりましたね」 ドキッ!とする大野。 「いやその・・・」 「やっぱりバレリーナもいいですけど普段着もなかなか」 「白鳥さん!」 「うせろ!」 追い討ちがかかる。その声で分かる。花嫁さんだ。 「さあ、行きましょう皆さん」 「あ・・・でも・・・」 「いいからいいから。何か忘れ物でも?」 忘れ物は無かった。 自分の部屋だったが、「私物」といえる物はまだこの旅では得ていなかったのだ。 またたくまに大野と城は部屋を追い出され、重いドアがゴツン、と閉められた。 230(2003.7.9.) そこはもうすっかり明るくなった廊下だった。 いや、窓は遥かに先だったのだが、やはり深夜とはかなり様子が違う。 ホテル独特の落ち着いた空気といい匂いがする。 「あの・・・良かったんですか?」 大野が言う。 「歩きましょう」 「でも・・・」 「城さん」 「はい」 「私たちの私物を取りましょう」 「白鳥さん・・・」 「大野さん」 突然視線を合わせてくる白鳥。 「花嫁さんたっての希望です」 「1人にすることがですか?」 「最初の車の時もそうだったでしょ?」 「ああ・・・」 確かに、あの時も調達した服に着替える際、車内に1人残ったものだった。 「行きましょう」 231(2003.7.10.) 思えばストッキング無しでのスカートは初めてである。 椅子に座っていても何だか落ち着かない。 周囲の人間に見られているのではないか?との思いが払拭しきれない。 別にこの美形の若い女がスカート姿でホテルのロビーに座っていたところで何も不審には思われないのだが、意識なんて物はそう簡単には改革出来ないのである。まあ、野暮ったい格好であることは確かなのだが。 目の前で城さんがスポーツ新聞を広げて読んでいる。 「何か面白い記事はありますか?」 手持ち無沙汰、という訳でも無いのだが何となく声を掛ける大野。 今はまだ2月なのでプロ野球の季節では無い。 結局日本ではプロ野球のシーズンオフになると始まる人気のあるプロスポーツリーグはまだ誕生していないので、この時期はやれキャンプだトレードだといった話題でお茶を濁す事になる。 「ん?何です?」 良く見ると城さんは派手なカラーリングのスポーツ新聞の三面、つまり芸能記事を熱心に読みふけっていたのだった。 ・・・本当に女子高生みたいだ。 「あ・・・いえ。何でも無いです」 232(2003.7.11.) とことこやってきた白鳥さんがどっか、と隣に座る。 大野はドキッ!とした。 「終わりました」 こともなげに言う白鳥。 手には車の鍵がある。 「長居は無用です。出発しましょう」 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。花嫁さんは?」 「それも車内で話します。行きましょう」 白鳥さんはいつになく強引だった。 す、と立ち上がろうとして脚にまとわりつく妙な感触に気が付く。 どうもやはりスカートというのは慣れない。 「えー、ちょっと待ってくださいよー」 城さんはまだスポーツ新聞を読み終えていない様だった。 構わず出口に向かって歩いていく凛々しい美女。 こうして背中から見てみるとそのスレンダーな肢体はいかにも素晴らしかった。これも「バレリーナ」として割り当てられたためなのだろうか。 ロクに荷物も無い大野たちは、冷ややかな空気の充満するホテルのロビーを後にした。 外は2月の寒気ながらいい天気だった。 233(2003.7.12.) 大野は最初にこのホテルにやってきた時のことを思い出していた。 ごく平凡な中流家庭に育った大野はそれほど「ホテル経験」が多い訳ではない。 数少ないホテル経験は、中部地方の親戚を尋ねた時に泊まったり、家族旅行した時に泊まったホテルである。 やはりホテルというのは非日常の空間であり、それゆえにどこかワクワクする性質のものだった。 ショートカットの髪にブラジャーの締め付け、そして何よりスカートの頼りない感覚と、日常からかけ離れた現在の状況下にあってもその感慨は変わらなかった。 世界は変わりなくそこにあった。 四人の男の・・・いや四人の女の身の上に起こった天変地異にも関わらず世界は何一つ変わらずにそこにあった。 誰かがホテルに足を踏み入れてくる。 平日にも関わらず、背広姿の男だ。 仕事だろうか。 平凡な丈の長いスカートに野暮ったいタートルネックの女を見て彼は何を思っただろう。視界の端にも入っていなかったかも知れない。 あの人の人生と今の自分の人生は何もリンクしていない。 ・・・どうしてこんなことになってしまったのか。 何も自分のせいでは無いと思いつつもそんな思いが胸を突き上げる。 クラクションが鳴った。 背後には見慣れたRVがあった。 「行きましょう」 234(2003.7.13.) 白鳥さんには確信があるみたいに見えた。 だから理由は聞かなかった。 運転席には颯爽とした白鳥さん、助手席には楽しそうな城さんが座っている。 違和感は無かった。 大野は後部のスライドドアを開けた。 取っ手が冷たい。 まだまだ2月の風は応える。 今まであまり意識はしてこなかったけど、お尻を先に乗せる様にして乗り込み、脚を後から引っ込める形で全身を押し込めた。 重いスライド・ドアをゴーッ!バタン!と閉める。 「では、行きましょうか」 昨日の晩まで自分が座っていた運転席から白鳥の声がする。 「白鳥さん、お腹すいたー」 これは城さんの声である。 「そうですね。もうお昼近くですけど、食事にしましょうか」 「あの・・・」 その声に応える様に車はゆっくりと動き出す。 ホテルの玄関の正面を横切っていく。 235(2003.7.14.) それほど遠くないところにそれはあった。 大きすぎず、小さすぎない喫茶店だった。 時間の感覚がおかしくなっていたのだが、時刻は昼の11時だったらしい。 車が2〜3台しか止められない駐車場にこの大きなRVを付ける白鳥。 実は白鳥が運転するのは初めて見るのだが、実に堂に行っている。元はかなり慣れている人だったのだろう。 「ここにしましょう」 「えーでも・・・」 「ファミレスとかの方がいいですか?」 「はい!」 笑顔で応える城さん。 もうこの人のことを元・男だとは考えないことにした。 「喫茶店の昼食メニューってのも悪くないもんですよ」 深遠なことを言ってドアを開ける白鳥。 「ここで話しますよ」 振り返らずに白鳥は言った。 一応それで合点した・・・ことにした大野もスライドドアを引く。 スカートの内側は自らの体温でぬくもり、その特異な感触を一瞬忘れそうになる。 が、大きく動く時にはすぐに思い出す。 この感覚っていつまで続くんだろうか。 靴下なしで履く靴の感覚がイマイチ納得出来ないまま、大野は車の外に降り立った。 236(2003.7.15.) 「えーとね。じゃあスパゲティミートソース!」 なんだかすっかりランチタイム気分の城さんである。 「そうですね・・・じゃあ私はサンドイッチセットで」 「はあ・・・」 結局花嫁さんは置いてきてしまった。 それほど離れていないとは言え、喫茶店で昼食と洒落込むことに大野は罪悪感に似たものを感じていた。 「とりあえず何か頼んでください」 「・・・」 そう言われて慌てて再びメニューを見直す。 しかし・・・、正直それほど食指をそそられるメニューは無い。 チキンバスケットだとかサンドイッチだとか、いかにも若い女性向けのメニューばかりだ。いつも牛丼大盛りに卵だの、天丼つゆだくだのと、「安くて、美味くて、ガツガツ喰えるもの」を中心に食べてきた身としてはいかにも物足りない。 確かにスパゲティミートソースだとかカレーライスなんてのはあることはあるんだが、申し訳程度に添えられた写真を見ても“コストパフォーマンスの悪さ”ばかりが頭の中をぐるぐる旋回する。 いわゆる「そば屋のカレーライス」という奴だ。もっと言えば“あるだけまし”。 良くも悪くもここは「喫茶店」なのだ。お茶を飲みながらまったりする所であって、空腹を満たすためのお店とはちょっと違うと考えた方がいい。 「ま、気持ちは分かりますよ。この場は私がおごりますから」 「ホントですか!」 思わず大きな声が出てしまう。 「あ・・・」 見るとウェイトレスのお姉さんがくすくす笑っている・・・様に見える。 237(2003.7.16.) 実は酒がそれほど飲めず、何より食い意地が上回る大野はある時飲み会で早々に「お茶漬け」を頼んで顰蹙を買ったことがある。 なんというか、この地方でこじんまりと経営されているおしゃれなもの好きな夫婦が経営していそうな(勝手な予想だが)、“雰囲気を楽しんで欲しい”系のお店で腹を膨らませることを目的にしているのも、同じレベルでの「精神的幼さ」を感じさせる。 だが、大野にとってはそれは大事な事なのだ。 クオリティ・オブ・ライフでは無いが、この先生きていて何回食事が出来るか分からないのだ。それを食ったか食わないか分からない様なので潰されてたまるか。 ・・・だが、まあおごりだというのならそれもいいか。 「じゃあ・・・カツカレーで・・・。スミマセン」 「どうぞどうぞ。構いませんよ」 メニューによると「カレーライス」は550円と、まあ割安なのだが、「カツカレー」となると途端に値段が跳ね上がって800円になるのだ。 おごりと聞いた瞬間にカツカレーと言い出すのは、我ながらいかにもいやしい感じだ。・・・だが、言い訳を言わせて貰えば恐らく自分で金を出したとしてもカツカレーを選んだだろう・・・言い訳になっていないが。 馴染みの全国チェーンの牛丼屋なら「並」が一杯280円である。 つまりこのカツカレー一杯で三杯食べられる。 俺っていつまでもこんなことを考えながら生きていくのだろうか。 ウェイトレスの背中を見ながら大野は考えていた。 238(2003.7.17.) 「大野さんが何を考えているか分かりますよ」 白鳥さんが言った。 「・・・そうですか?」 何ともいい様が無い。 「花嫁さんのことでしょ?」 大野は目の前にあったお冷を一杯軽く口に含んだ。 「はい」 「あ、そういえば花嫁さん・・・どうしたんでしたっけ?」 城さんはもうすっかり忘れてしまっている。 「あの場で何か話したんですね?」 「話しました」 別に問い詰めている訳ではない。あの破天荒な性格の花嫁さんに未練があった訳でも無い。しかし、あの状況に1人残してくれば一体どうなるのか・・・。 強引にこの二人を連れ出したのは余りにも非常な措置だとしか思えなかった。 自らを弱い人間だと思っている大野は、破天荒な性格に見えた花嫁さんの人間的な弱さにどこか共感していた。“もしも自分なら”と思ってしまっていたのだ。 「どんなことを?」 「気になりますか?」 大野はカチンと来ていた。 人間的なタイプで分類すれば明らかに大野は花嫁さん側の人間だ。未熟で、もっと言えば馬鹿だ。それに比べれば白鳥さんは違う。 頼むから上から見下ろさないでくれ。 239(2003.7.18.) 「気になりますね」 「まあ、そう難しくないんですよ。要するに放っておいてくれと言われましてね」 「それで本当に放って帰ってきたんですか?」 「・・・」 白鳥さんは少し黙った。 「でも・・・いいじゃん。性格悪かったし」 これは城さん。 しかし、そういう問題ではなかった。 「勿論、基本的にはお誘いしました。しかしあの状況ですからね。素直には応じて貰えませんでした」 恐らく・・・そうなのだろう。 「それで?」 240(2003.7.19.) 「勿論お誘いしましたよ。そしたら『時間をくれ』とのことでしたから、着替えを置いて来ました 「・・・」 それはスカートなのか?と聞き返そうとして止めた。 それは大きな問題では無い。 「それで・・・こうなったと」 「花嫁さんはここは知ってるんですか?」 「さあ」 「『さあ』って・・・」 納得がいかない大野。 |